後藤 玄利(ごとう げんり、1967年2月4日 -)は、日本… 後藤 玄利(ごとう げんり、1967年2月4日 -)は、日本の実業家。ジャクール株式会社代表取締役、一般社団法人タグフィット代表理事、ケンコーコム株式会社創業者・元代表取締役社長。 大分県臼杵市出身。地元の製薬会社うすき製薬の創業家に生まれる。父の後藤國利は、うすき製薬の代表取締役のほか、1997年から2009年まで臼杵市長を務めた。1989年3月に東京大学教養学部基礎科学科を卒業した後、アンダーセンコンサルティング(現・アクセンチュア)勤務。 その後、1994年5月にうすき製薬に取締役として入社。当時、うすき製薬で取り扱っていた霊芝飲料「喜喜萬年」の通信販売のために、1994年11月に株式会社ヘルシーネット(後のケンコーコム→Rakuten Direct)を設立し、代表取締役に就任した。
鷹野 志穂(たかの しほ、1964年6月20日 - )は、日… 鷹野 志穂(たかの しほ、1964年6月20日 - )は、日本の実業家。ロクシタン日本代表・日本法人社長、メルヴィータ日本法人社長を経て、カーライル・グループ日本法人シニア・アドバイザー、森永製菓取締役、藤田観光取締役、日本バスケットボール協会理事、AOI TYO Holdings取締役、ユナイテッドアローズ取締役等を歴任。 大分県臼杵市出身。臼杵市立下南小学校などを経て、1987年東京女子大学文理学部日本文学科卒業、明治乳業入社。1990年イヴ・サンローランパルファム入社。1996年日本コカ・コーラアクティベーションマネージャー。1998年ブーツMCバイイングアンドマーケティングマネージャー。
青野 浩志(あおの ひろし、1956年4月24日 - )は、… 青野 浩志(あおの ひろし、1956年4月24日 - )は、日本の公務員、経営者。株式会社大分フットボールクラブ(Jリーグ・大分トリニータ運営会社)前代表取締役。 大分県臼杵市出身。1973年、長崎県立国際経済大学経済学部を卒業。新日本証券(現・新光証券)を経て、津久見市立千怒小学校に事務職員として勤務。1982年に大分県庁に入り、文化スポーツ振興課長等を歴任。 2009年9月に大分県からJリーグに所属する大分トリニータの運営会社である株式会社大分フットボールクラブに、取締役経営企画部長として出向。同年12月12日に溝畑宏が代表取締役を辞任したことに伴い、代表取締役代行を務め、2010年1月から代表取締役となる。
後藤 國利(ごとう くにとし、1940年(昭和15年)1月6… 後藤 國利(ごとう くにとし、1940年(昭和15年)1月6日 - )は、日本の実業家、政治家、林業家。うすき製薬株式会社代表取締役社長、臼杵市長、大分県議会議長、株式会社コアラ会長を歴任した。豊の国木造建築賞優秀賞入賞。 大分県臼杵市出身。地元の製薬会社うすき製薬の創業家の医師の子として生まれる。1964年に一橋大学社会学部を卒業し、三菱重工業神戸造船所で勤務した後、家業再建のため1966年からうすき製薬の代表取締役社長を務めた。 セメント工場建設反対の住民運動に関わったのをきっかけに、1975年から大分県議会議員を5期20年にわたって務め、1989年から約1年間は自由民主党大分県連の幹事長、1990年には県議会議長を務めた。
佐藤 文夫(さとう ふみお、1929年2月14日 - 202… 佐藤 文夫(さとう ふみお、1929年2月14日 - 2023年8月23日)は、日本の経営者。東芝社長を務めた。 大分県臼杵市出身。1953年、東京大学工学部機械工学科卒業。同年、東京芝浦電気(現在の東芝)に入社。1982年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1988年6月に副社長に就任した。1992年6月に社長に昇格し、1996年6月に会長に就任し、1999年からは相談役を務めた。 日本ロジスティクスシステム協会会長、日本科学技術振興財団理事、日本機械学会会長なども歴任した。 2023年8月23日腎不全のために死去。94歳没。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
長野 綱良(ながの つなよし、1879年(明治12年)1月8… 長野 綱良(ながの つなよし、1879年(明治12年)1月8日 - 1950年(昭和25年)7月29日)は、昭和期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、大分県大野郡戸上村長。 大分県大野郡、のちの戸上村(犬飼町、野津町戸上を経て現臼杵市)で、長野音五郎の長男として生まれる。野津高等小学校、臼杵の久保塾で学んだ。農業を営む。 戸上村会議員、同村長を務める。1915年(大正4年)大分県会議員に選出され、政治活動を本格的に開始。憲政会大分県支部常任理事、同幹事長を務め、同党の解散後、立憲民政党に加わり同党大分県支部幹事長となる。 1930年(昭和5年)2月、第17回衆議院議員総選挙(大分県第1区、立憲民政党公認)で初当選。
大塚 幸兵衛(幸兵衞、おおつか こうべえ、1857年(安政4… 大塚 幸兵衛(幸兵衞、おおつか こうべえ、1857年(安政4年 7月)- 1910年(明治43年)1月12日)は、明治期の実業家、政治家。衆議院議員。 豊後国海部郡、のちの大分県北海部郡臼杵町平清水(現臼杵市福良平清水)で商家に生まれた。漢学、数学を修めた。家業を継承し、商才に恵まれ、たばこ製造、米相場で多額の財産を得た。 大分郡会議員、臼杵町会議員、大分県勧業諮問会委員などを務めた。1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙(大分県第2区、山下倶楽部)で豊州会から選挙活動を行う予定であったが、改進派との話し合いで活動を停止したが、改進派の違約により投票日前日一日だけの選挙活動で当選し、「大塚の一日選挙」と称された。
箕浦 勝人(みのうら かつんど、1854年3月13日〈嘉永7… 箕浦 勝人(みのうら かつんど、1854年3月13日〈嘉永7年2月15日〉- 1929年〈昭和4年〉8月30日)は、日本の新聞記者、実業家、政治家。 豊後国臼杵で、臼杵藩の武道師範の実相寺常之丞の次男として生まれる。15歳で藩士箕浦又生の養子となる。慶應義塾出身で福澤諭吉の弟子。福澤諭吉の子孫の家庭教師を担当した。1880年(明治13年)、神戸新報(慶応義塾―交詢社系の新聞)を主筆(兵神交詢社会員、神戸商法講習所所長)として、社主安倍清誠五郎、代表三木善八(のち『郵便報知新聞』社主)、主幹鹿島 秀麿(のち兵庫県会議員をへて改進党系代議士)等と共に、創刊に関わった。郵便報知新聞社に入社し、新聞記者の後、社長となる。
荘田 平五郎(しょうだ へいごろう、1847年11月8日(弘… 荘田 平五郎(しょうだ へいごろう、1847年11月8日(弘化4年10月1日) - 1922年(大正11年)4月30日)は、豊後国臼杵藩出身の明治・大正期の三菱財閥の実業家・教育者。 長崎造船所第2代所長、三菱造船所支配人等を経て、三菱合資会社理事長、日本郵船社長、会長、東京海上火災保険会社会長等三菱の要職を歴任して大番頭といわれた。海員掖済会や日本勧業銀行、満鉄等の創立にも携わり、三菱商業学校(明治義塾)校長、三菱工業予備学校所長として三菱社員の教育にあたった。勲四等旭日小綬章、賜・銀杯一組。 弘化4年(1847年)、豊後国臼杵(現・大分県臼杵市)に、百石の世禄を食む臼杵藩士の儒者・荘田雅太郎允命の長男として生まれる。