田北 浩章(たきた ひろあき、1960年(昭和35年)8月1… 田北 浩章(たきた ひろあき、1960年(昭和35年)8月16日 - )は、日本の編集者、実業家。 株式会社東洋経済新報社代表取締役社長。 大分県杵築市出身。大分県立杵築高等学校(31回生)卒業。1984年(昭和59年)慶應義塾大学経済学部を卒業し、東洋経済新報社入社。建設、医薬、証券、機械などの産業記者、『オール投資』『週刊東洋経済』の編集部を経て、1999年(平成11年)『ベンチャークラブ』編集長、2002年(平成14年)『週刊東洋経済』副編集長、2005年(平成17年)『会社四季報』編集長、2007年(平成19年)第1編集局次長兼証券部長、2008年(平成20年)企業情報部長を歴任。 2011年(平成23年)取締役、2020年(令和2年)専務。
工藤 健(くどう けん、1940年9月12日 - )は、日本… 工藤 健(くどう けん、1940年9月12日 - )は、日本の実業家。元セブン-イレブン・ジャパン代表取締役社長。 大分県杵築市出身。大分県立四日市高等学校(現大分県立宇佐高等学校)を経て、東北大学法学部卒業後、いすゞ自動車入社。ミサワホームを経て、1976年ヨークセブン入社。1981年セブン-イレブン・ジャパン取締役オペレーション本部ゾーンマネジャー。1986年セブン-イレブン・ジャパン取締役商品部長。1989年セブン-イレブン・ジャパン常務取締役商品本部長。1994年セブン-イレブン・ジャパン専務取締役商品本部長。1997年セブン-イレブン・ジャパン代表取締役社長。2002年セブン-イレブン・ジャパン取締役副会長。
八坂 善一郎(やさか ぜんいちろう、1895年(明治28年)… 八坂 善一郎(やさか ぜんいちろう、1895年(明治28年)1月23日 - 1980年(昭和55年)8月29日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、初代大分県旧杵築市長。 大分県速見郡八坂村大字日野(現杵築市)で、大分県会議長を務めた八坂三治の長男として生まれる。早稲田大学政治経済科で学んだが、中国大陸に心惹かれ中退して満州に渡った。1927年(昭和2年)政治家を目ざして帰郷。 1933年(昭和8年)八坂村会議員に選出された。別府自動車社長に就任し、1939年(昭和14年)大分県会議員となる。1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で大分県全県区から日本進歩党公認で出馬して当選し、その後、民主党に所属し衆議院議員に1期在任した。
宇都宮 則綱(うつのみや のりつな、1889年(明治22年)… 宇都宮 則綱(うつのみや のりつな、1889年(明治22年)5月1日 - 1973年(昭和48年)5月31日)は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(1期)。 大分県速見郡八坂村(現杵築市)で、酒造業の家に生まれる。大分県農学校(のち大分県立三重農業高等学校となり閉校)を卒業。 速見郡朝日村(現別府市)の兄が経営していた酒店を引き継ぐ。油屋熊八、梅田凡平らと別府宣伝協会を結成して全国に別府を宣伝した。豊洋水産取締役会長、鬼山地獄社長なども務めた。 1924年(大正13年)別府市会議員に選出され同議長にも就任。1943年(昭和18年)全国市会議長会(現全国市議会議長会)会長に就任。1935年(昭和10年)大分県会議員となり1期在任した。
藤波 収(ふじなみ おさむ、1888年〈明治21年〉2月27… 藤波 収(ふじなみ おさむ、1888年〈明治21年〉2月27日 - 1972年〈昭和47年〉10月18日)は、大正から昭和にかけて活動した実業家。主として電気事業に関係した。 元は電気技術者。戦前期の大手電力会社大同電力で常務取締役まで昇進し、日本発送電理事、関東配電副社長を経て戦後は北海道電力社長・会長、電源開発総裁を務めた。大分県出身。 藤波収は1888年(明治21年)2月27日、藤波久文の六男として大分県速見郡杵築村(現・杵築市)に生まれた。生家は杵築城の旧城下町の一角である北台にあり、藤波家は父久文の代まで杵築藩士であった。収は男子6人・女子4人の兄弟姉妹の末子で、23歳年上の長兄に司法官となり大審院判事などを歴任した藤波元雄、一つ上の兄に陸軍の軍医となり軍医総監を務めた藤波正がいる。
堀 悌吉(ほり ていきち、1883年〈明治16年〉8月16日… 堀 悌吉(ほり ていきち、1883年〈明治16年〉8月16日 - 1959年〈昭和34年〉5月12日)は、日本の海軍軍人、実業家。日本飛行機 社長、大日本兵器社長、浦賀船渠(現:住友重機械工業)社長を歴任した。 海軍兵学校32期首席・海軍大学校16期次席。海軍軍人としての最終階級は海軍中将。海軍の現役を退いた後の1941年(昭和16年)に、法制局長官(現:内閣法制局長官)に擬されたが、辞退した。大分県杵築市出身。 天下の秀才を集める海軍兵学校の同期生たちをして「神様の傑作の一つ堀の頭脳」 と畏敬せしめる程の、桁外れの英才であった。 からの信頼が厚く、山本権兵衛(兵2期)・加藤友三郎(兵7期)の系譜を継ぐ人物として、いずれ海軍大臣に就任することが確実視されていた。