松下 忠洋(まつした ただひろ、1939年〈昭和14年〉2月… 松下 忠洋(まつした ただひろ、1939年〈昭和14年〉2月9日 - 2012年〈平成24年〉9月10日)は、日本の政治家、建設官僚。 内閣府特命担当大臣(金融担当)・郵政民営化担当大臣(野田第2次改造内閣)、復興副大臣兼内閣府副大臣(野田第1次改造内閣)、経済産業副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣・菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣・野田内閣・野田第1次改造内閣)、内閣府副大臣(規制改革、男女共同参画、国民生活、栄典などの担当)(第1次小泉内閣)、衆議院内閣委員長、衆議院議員(5期)、国民新党副代表、同鹿児島県支部代表を歴任。 鹿児島県薩摩郡川内町(のちの川内市、現:薩摩川内市)出身。
樺山 可也(かばやま かなり、1877年(明治9年)10月1… 樺山 可也(かばやま かなり、1877年(明治9年)10月14日 - 1932年(昭和7年)10月27日)は、日本の海軍軍人(最終階級は海軍少将)、政治家(鹿児島市長)。族籍は鹿児島県士族。元フィギュアスケート選手・八木沼純子の曾祖父。 鹿児島県薩摩郡藺牟田村(現・薩摩川内市祁答院町藺牟田)出身。医者の次男である。1877年、父が西南戦争に西郷軍の軍医として出征、戦死した。可也は貧しい少年時代を送った。教科書を買う金がなかったため友達から借りて書き写し勉強した。 1898年12月、海軍兵学校(26期)を卒業し、1900年1月、海軍少尉任官。「大和」航海長などを経て、日露戦争に「和泉」分隊長として出征し、同砲術長となった。
岩月 直彦(いわつき なおひこ、1866年7月21日(慶応2… 岩月 直彦(いわつき なおひこ、1866年7月21日(慶応2年6月10日) - 1938年(昭和13年)6月5日)は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。旧姓・堀之内。 堀之内庄右衛門の弟として薩摩鹿児島藩領薩摩郡隈之城郷(隈之城村、川内町、川内市を経て現薩摩川内市勝目町)に生まれ、1891年(明治24年)8月、前戸主岩月佐美の養子となり家督を相続する。1887年(明治20年)薩摩郡城下尋常小学校訓導、同校長を経て隈之城村会議員に当選。ほか、鹿児島県農工銀行取締役、隈之城村学務委員、鹿児島県会議員、同参事会員などを歴任する傍ら、金銀鉱業を経営し、大口金山支配人を務めた。 1904年(明治37年)鹿児島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1906年(明治39年)8月27日まで在任。
河野 徹志(こうの てつし、元治2年1月4日(1865年1月… 河野 徹志(こうの てつし、元治2年1月4日(1865年1月30日) - 昭和15年(1940年)10月23日)は、日本の衆議院議員(正交倶楽部)。産婦人科医、小児科医。 薩摩国薩摩郡高江村(現在の鹿児島県薩摩川内市)出身。1885年(明治18年)、大阪医学校(現在の大阪大学医学部)を卒業し、東京慈恵医院において高木兼寛・実吉安純のもと実地経験を積んだ。1891年(明治24年)、渡米してペンシルベニア大学に入学し、卒業の後医学博士の学位を得た。その後、ジョンズ・ホプキンス大学で学び、さらにオーストリアのウィーン大学でも学んだ。帰国後は大阪医学校助教諭や吉田病院副院長を務めた。1899年(明治32年)に河野病院を開業し、1912年(大正元年)には大阪市医師会議長に就任した。
武満 義雄(武滿、たけみつ よしお、1863年3月24日(文… 武満 義雄(武滿、たけみつ よしお、1863年3月24日(文久3年2月6日)- 1941年(昭和16年)6月19日)は、明治から昭和初期の漁業家・政治家。衆議院議員。旧姓・木原。 薩摩国薩摩郡隈之城郷、のちの鹿児島県薩摩郡隈之城村(川内町、川内市隈之城を経て現薩摩川内市)で、木原助左衛門の二男として生まれ、1876年(明治9年)武満貢の養子となり、1876年(明治9年)9月、家督を相続した。英漢学を修得。1880年(明治13年)に上京して岡千仭(岡鹿門)から漢学を学んだ。1883年(明治16年)鹿児島の三州義塾で中学程度の普通学を修め、そのほか私塾で学ぶ。1884年(明治17年)再度上京して東京法学院(英吉利法律学校、現中央大学)で学んだ。
堀之内 庄右衛門(ほりのうち しょううえもん、1863年1-… 堀之内 庄右衛門(ほりのうち しょううえもん、1863年1-2月(文久2年12月) - 1909年(明治42年)1月30日)は、明治時代の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。 薩摩国薩摩郡隈之城郷勝目(鹿児島県薩摩郡隈之城村、川内町、川内市を経て現薩摩川内市勝目町)出身。1900年(明治33年)より大洋商船、曽木電気などの重役を務めたのち、1906年(明治39年)12月、鹿児島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同月13日、議員に就任し、在任中に脳溢血により死去した。
山崎 良純(やまさき よしずみ、1856年12月7日(安政3… 山崎 良純(やまさき よしずみ、1856年12月7日(安政3年11月10日)- 1918年(大正7年)10月4日)は、明治期の政治家、実業家。衆議院議員、鹿児島県会議長。旧姓・平川。 薩摩国高城郡水引郷宮内村(鹿児島県高城郡水引郷水引村、東水引村、薩摩郡東水引村、川内町、川内市宮内町を経て現薩摩川内市宮内町)で、鹿児島県会議員を務めた山崎良尚の息子として生まれた。兄・良弼と共に西南戦争で薩摩軍として従軍したが、戦後に父の勧めで上京した。その後、帰郷して平川家の養嗣子となるが、兄が病死したため山崎家に復籍した。 1885年(明治18年)1月、鹿児島県会議員に選出され、1894年(明治27年)4月、第9代県会議長に就任した。
龍岡 信熊(たつおか しんくま、安政2年12月16日〈185… 龍岡 信熊(たつおか しんくま、安政2年12月16日〈1856年1月23日〉 - 1940年〈昭和15年〉7月27日)は、日本の警察官、政治家。函館区長(第8代)、函館支庁長(初代)、小樽区長、小倉市長(第4代)などを務めた。 薩摩国薩摩郡平佐村(現薩摩川内市)に生まれる。明治8年、警察官(四等巡査)になり第五方面勤務となる。西南戦争では植木口警視が率いる一番小隊の伍長を任される。明治17年に28歳で那覇警察署長となると、さらに2年後の明治19年には沖縄県警察 トップの警部長(本部長)にまでに昇りつめ、以後、宮崎県警察部、岡山県警察部、滋賀県警察部、佐賀県警察部各部の警部長を歴任した。その後は石川県書記官及び石川県参事会員を経て台湾へ渡り、台北県書記官や台湾総督府法院の高等法院検察官などを務めた。
柏田 盛文(かしわだ もりぶみ / もりふみ、1851年4月… 柏田 盛文(かしわだ もりぶみ / もりふみ、1851年4月23日(嘉永4年3月22日) - 1910年(明治43年)6月20日)は明治時代の日本の政治家、教育者。号は天颷。 鹿児島県会(鹿児島県議会の前身)議長、第四高等中学校(金沢大学の前身の一つ)校長、衆議院議員、文部次官、千葉・茨城・新潟の各県知事を歴任した。 薩摩国薩摩郡平佐郷平佐村(現在の薩摩川内市平佐町)出身の武士であり、部屋には東郷平八郎から送られた日本刀が飾ってあった。 鹿児島時代は漢学を修め武芸に秀でていた。薩長土の御親兵を務め上京。小松原英太郎、美澤進、鎌田栄吉、神津国助らと同志で、1874年(明治7年)慶應義塾で同窓の薩摩藩士・奥田直之助と学び、在学中から曙新聞に政策論を発表し、そうした関係で国会期成同盟会員となる。