スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
野口 侑真(のぐち ゆうま、2001年9月18日 - )は、… 野口 侑真(のぐち ゆうま、2001年9月18日 - )は、日本のバスケットボール選手である。鹿児島県薩摩川内市出身。日本大学卒。ポジションはスモールフォワード。 薩摩川内市立川内中央中学校から鹿児島県立川内高等学校へ進み、2017-19にかけてウィンターカップへ出場した。 2020年4月、日本大学へ進学した。2年次には全日本大学バスケットボール選手権(インカレ)2021年(ベスト8)、3年次には関東大学バスケットボール新人戦(5位決定戦決勝)・全日本バスケットボール新人戦2022年・同インカレ(ともに3位決定戦)、4年次には関東大学バスケットボール新人戦(3位決定戦)・全日本バスケットボール新人戦2023年(決勝トーナメント準決勝)・同インカレ(ベスト8)等に出場した。
柳 喬之(やなぎ たかゆき、1990年8月6日 - )は、日… 柳 喬之(やなぎ たかゆき、1990年8月6日 - )は、日本の俳優。
金子 彩(かねこ あや、1988年9月6日 - )は日本の女… 金子 彩(かねこ あや、1988年9月6日 - )は日本の女性タレント・モデル。鹿児島県薩摩川内市出身。サンミュージックブレーン所属。&ref() 鹿児島県立川内高等学校時代はバスケットボール部のマネージャーをしていた。
濱田 玲(はまだ れい、1985年3月2日 - )は、鹿児島… 濱田 玲(はまだ れい、1985年3月2日 - )は、鹿児島県薩摩川内市出身のモデル。FRONT Model Agency 所属。モデル名はREI(れい)。
宇都 格(うと いたる、1984年5月20日 - )は、鹿児… 宇都 格(うと いたる、1984年5月20日 - )は、鹿児島県いちき串木野市出身の元プロ野球選手(投手)である。現在はプロダーツプレイヤー、ダーツバーの経営者を務める。 高校では2年秋の県大会で準優勝。九州大会出場を果たしたが、準々決勝で長崎南山高に敗れセンバツ出場はならなかった。3年夏は県大会ベスト8に終わるが、長身から投げ下ろす、140km/h台後半の速球派として注目を集めた。 2002年のドラフト5位で近鉄に入団。新人年である2003年は二軍で6試合で防御率3.78とまずまずの成績を残すが翌2004年はイップス気味で制球難となり、7試合で防御率15.63と不調に終わる。2004年11月8日の選手分配ドラフトでオリックスへ移籍した。
西堂 雅彦(さいどう まさひこ、1983年8月17日 - )… 西堂 雅彦(さいどう まさひこ、1983年8月17日 - )は、鹿児島県出身の元男子バスケットボール選手である。ポジションはF/C。 鹿児島県・川内高から東海大学に進み、2005年、大学4年生時にキャプテンとして挑んだインカレではチームを優勝に導き、優秀選手賞・デフェンス王を獲得。同期には池田雄一、1年後輩には竹内譲次がいる。 卒業後は、黒田電気を経て、2007年にトヨタ自動車アルバルクに加入。 2011年、地元のレノヴァ鹿児島に移籍。 2013年、現役を引退。地元の津曲学園鹿児島高等学校、普通科の体育教師に就任し、女子バスケ部の顧問を務める。 粘り強い性格で最後まで諦めない。特に北入してからは強い。
井手迫弘美(いでさこ ひろみ、1980年9月22日 - )は… 井手迫弘美(いでさこ ひろみ、1980年9月22日 - )は、福岡で活躍するローカルタレント、モデル。エーエスオー(ASO)所属。鹿児島県出身。鹿児島県立川内高等学校卒業。西南学院大学卒業。
木佐貫 洋(きさぬき ひろし、1980年5月17日 - )は… 木佐貫 洋(きさぬき ひろし、1980年5月17日 - )は、鹿児島県川内市(現:薩摩川内市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 川内市川内南中学校では軟式野球部に所属。川内高校では3年時の1998年、鹿児島県高等学校春季野球大会にて杉内俊哉を擁する鹿児島実業を破り優勝。夏の全国高等学校野球選手権鹿児島大会決勝では鹿児島実業に1-3で惜敗。甲子園出場を逃した。卒業後は亜細亜大学に進学。2年時にはリーグ戦未勝利ながら大学選手権準決勝でドラフト有力候補だった山村路直(九州共立大)と延長10回を投げ合って完封勝利。決勝でも先発し3回1失点で交代するも優勝に貢献した。東都大学リーグ通算31試合登板、12勝8敗、防御率1.80、225奪三振。
杉安 和憲(すぎやす かずのり、1977年 - ) は、日本… 杉安 和憲(すぎやす かずのり、1977年 - ) は、日本の化学者、材料科学者。京都大学大学院工学研究科高分子化学専攻教授。 鹿児島県生まれ。1996年鹿児島県立川内高等学校卒業。2000年九州大学工学部応用物質化学科卒業。2002年九州大学大学院工学府物質創造工学専攻修士課程修了、修士(工学)。2005年九州大学大学院工学府物質創造工学専攻博士課程修了、博士(工学)。 同年マサチューセッツ工科大学化学科博士研究員(ティモシー・M・スワージャー)。2007年物質・材料研究機構NIMSポスドク研究員。2008年物質・材料研究機構主任研究員。2013年九州大学大学院工学府材料物性工学専攻材料有機化学研究室准教授兼任。
窪薗 晴夫(くぼぞの はるお、1957年〈昭和32年〉3月-… 窪薗 晴夫(くぼぞの はるお、1957年〈昭和32年〉3月- )は、日本の言語学者。専門は音声学・音韻論。国立国語研究所名誉教授。 英語への興味から研究生活を始めたものの、イギリス留学時代の「母語である日本語のことをほとんど知らない」という体験によって、日本語への探求へと研究対象を変えてゆくこととなる。日本語のピッチアクセント、連濁、促音、イントネーションの研究などで有名。近年は母方言である鹿児島方言の調査や借用語の促音挿入問題を中心に、言語接触による言語変化についての研究を行っている。一般向けの著作も多数あり、国際学会なども積極的に開催している。 鹿児島県薩摩川内市出身。 1975年鹿児島県立川内高等学校卒業。
田中 良二(たなか りょうじ、1956年〈昭和31年〉10月… 田中 良二(たなか りょうじ、1956年〈昭和31年〉10月22日 - )は、日本の政治家。鹿児島県薩摩川内市長(2期)。元鹿児島県議会議員(4期)。 鹿児島県薩摩郡下東郷村大字田海(のちの川内市田海町、現・薩摩川内市田海町)生まれ。川内市立八幡小学校(現・薩摩川内市立八幡小学校)、川内市立下東郷中学校(現・薩摩川内市立平成中学校)、鹿児島県立川内高等学校卒業。1974年(昭和49年)4月、九州大学文学部哲学科に入学。在学中は空手部の主将を務めた。1978年(昭和53年)3月、同大学卒業。同年4月、川内市役所に入庁。 市町村合併対策課長、合併協議会事務局長などを務め、2004年(平成16年)10月12日、川内市は樋脇町、入来町、東郷町、祁答院町、里村、上甑村、下甑村、鹿島村と合併し、薩摩川内市が誕生した。
辻原 幸雄(つじはら さちお、1949年6月5日 - )は、… 辻原 幸雄(つじはら さちお、1949年6月5日 - )は、鹿児島県出身の元プロ野球選手(投手)。 川内高校では、エースとして1967年夏の甲子園県予選決勝に進むが、中原勇のいた鹿児島高に惜敗。1967年ドラフト会議で西鉄ライオンズから5位指名を受け入団。1969年10月2日のロッテオリオンズとの対戦で初登板を果たす。投法はアンダースロー。 1970年11月の第1回選抜会議(トレード会議)の対象となり、南海ホークスへ移籍し、1974年に引退。漫画「あぶさん」に当初アンダースローを苦手としていたチームメイトで主人公・景浦安武の練習相手として登場する。 現在は故郷でスポーツ用品店を営んでいる。また川内スラッガーズの監督も勤める。
今久保 幸生(いまくぼ さちお、1948年2月22日 - )… 今久保 幸生(いまくぼ さちお、1948年2月22日 - )は、日本の経済学者。京都大学名誉教授。専門は、経済政策、比較経済政策システム。 鹿児島県薩摩川内市出身。鹿児島県立川内高等学校卒。長崎大学卒業。京都大学大学院経済学研究科博士課程修了。京都大学博士(経済学)。博士論文は「19世紀末ドイツの工場―電機工業の資本蓄積と労資関係」(平成6年)。京都大学大学院経済学研究科教授。所属学会は、社会政策学会、社会経済史学会、経営史学会、政治経済学・経済史学会、ドイツ現代史学会。2012年3月に退職し、京都大学名誉教授。
井上 順孝(いのうえ のぶたか、1948年 - )は、日本の… 井上 順孝(いのうえ のぶたか、1948年 - )は、日本の歴史学者・宗教学者。國學院大學名誉教授、国際宗教研究所宗教情報リサーチセンター長、宗教文化教育センター長、日本宗教学会会長。専門は宗教社会学で新宗教や教派神道を研究。学位は宗教学博士(乙種、國學院大學、1992年)。 鹿児島県出身。祖父は日本画家の棚田暁山。鹿児島県立川内高等学校を経て、東京大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科博士課程中退。1974年、東京大学文学部助手となる。1982年、國學院大學日本文化研究所講師に就任。その傍ら、近代の宗教運動の比較研究などに携わった。1986年に助教授、1992年に教授へ昇任。同年、「教派神道の形成」で國學院大學より宗教学博士の学位を取得。
青崎 済(あおさき わたる、1943年6月14日 - )は、… 青崎 済(あおさき わたる、1943年6月14日 - )は、日本の実業家。日本製粉代表取締役社長や、同社特別顧問を務めた。 鹿児島県出身。1962年鹿児島県立川内高等学校卒業。1968年九州大学法学部卒業、日本製粉入社。仕入れや製造に携わり、小山工場長、千葉工場長を経て、2001年取締役千葉工場長に昇格。2002年取締役経営企画部長。2004年常務取締役製粉業務部長。2005年常務取締役製粉事業本部長。2006年から代表取締役社長(C.O.O.)を務め、意識改革などにあたった。2008年にリーマン・ショックが発生し、2009年に特別顧問に退いた。
岩切 秀雄(いわきり ひでお、1942年(昭和17年)6月1… 岩切 秀雄(いわきり ひでお、1942年(昭和17年)6月18日 - )は日本の政治家。元鹿児島県薩摩川内市長(3期)。 鹿児島県薩摩郡永利村(川内市を経て薩摩川内市の一部)に佐多家の7人兄弟の6番目として生まれる。「岩切」姓は母方の伯母の嫁ぎ先のもので、伯母の夫が戦死し跡取りとして岩切家の養子となったことで、岩切姓を名乗るようになった。父・佐多義信は永利村議員を16年務めたほか、母方の伯父にあたる福山稔は永利村最後の村長であった。 永利小学校、永利中学校(1960年に川内南中学校に統合)を経て1961年(昭和36年)に鹿児島県立川内高等学校卒業。鹿児島大学を受験するが不合格となったため、旧川内市役所の採用試験を受験。
福留 久大(ふくどめ ひさお、1941年 - 2022年7月… 福留 久大(ふくどめ ひさお、1941年 - 2022年7月1日)は、日本の経済学者。九州大学名誉教授。 1941年に上海にて生まれる。 1960年に鹿児島県立川内高等学校を卒業。 1964年に東京大学経済学部を、1969年に同大学院を修了。 1969年に東北大学助手に着任。 1970年に九州大学講師・助教授、1985年に教授に就任。
松下 忠洋(まつした ただひろ、1939年〈昭和14年〉2月… 松下 忠洋(まつした ただひろ、1939年〈昭和14年〉2月9日 - 2012年〈平成24年〉9月10日)は、日本の政治家、建設官僚。 内閣府特命担当大臣(金融担当)・郵政民営化担当大臣(野田第2次改造内閣)、復興副大臣兼内閣府副大臣(野田第1次改造内閣)、経済産業副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣・菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣・野田内閣・野田第1次改造内閣)、内閣府副大臣(規制改革、男女共同参画、国民生活、栄典などの担当)(第1次小泉内閣)、衆議院内閣委員長、衆議院議員(5期)、国民新党副代表、同鹿児島県支部代表を歴任。 鹿児島県薩摩郡川内町(のちの川内市、現:薩摩川内市)出身。
生頼 範義(、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 20… 生頼 範義(、1935年〈昭和10年〉11月17日 - 2015年〈平成27年〉10月27日)は、日本のイラストレーター。油絵風の画法が特徴。イラスト集や作品展のタイトルでは生賴範義の表記が見られる。「生瀬 範義」は誤表記。息子のオーライタローも画家。 兵庫県明石市生まれ。第二次世界大戦さなかの1945年に鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)に疎開。鹿児島県立川内高等学校卒業。高校卒業後、東京芸術大学美術学部に入学したが、後に中退した。1962年、イラストレーターとして活動を開始。1973年、東京から妻の郷里宮崎県宮崎市に転居。 1980年、SF雑誌に発表した「スターウォーズ」のイメージ画が、制作者のジョージ・ルーカスの目に留まり、その続編ポスター用イラストを正式に依頼される。
中村 浩道(なかむら ひろみち、1935年10月27日 - … 中村 浩道(なかむら ひろみち、1935年10月27日 - 2007年4月6日)は、元プロ野球審判員、野球解説者。鹿児島県鹿児島市出身。審判員袖番号は18(1977年初採用 - 1990年引退まで、※1991年以降はその年採用の山村達也が引き継ぐ)。 川内高校、早稲田大学を卒業後、大平鉱業、大洋鑿泉工業を経て1964年にパシフィック・リーグの東京審判部に入局し1990年の引退まで審判をつとめる。一軍2121試合に出場し、オールスターは3回出場した。1990年に定年年齢到達に基づき引退したあと数年間は東京審判部の指導員をつとめた。 張本勲が3000本安打を達成した試合で球審を務めた。 英語が堪能で、米国の野球事情に精通した審判員であった。
笹山 幸俊(ささやま かずとし、1924年〈大正13年〉6月… 笹山 幸俊(ささやま かずとし、1924年〈大正13年〉6月15日 - 2011年〈平成23年〉12月10日) は、日本の政治家、土木技術者。位階は正四位。勲等は勲一等。 神戸市都市計画局長、神戸市助役、神戸市長などを歴任した。 神戸市役所にて都市計画局次長や都市計画局計画部長、都市計画局長を歴任し、1981年12月に神戸市助役に就任した。1989年、市役所内の派閥を大きく二分した熾烈な神戸市長選挙では、同じく神戸市助役だった宮岡寿雄を破り初当選を果たし、以後、3期12年間に渡って神戸市長を務めた。 市長在任中に発生した兵庫県南部地震による阪神・淡路大震災で神戸市は大きな被害を受けたため、その復興に尽力した。
内田 善利(うちだ ぜんり、1919年(大正8年)6月10日… 内田 善利(うちだ ぜんり、1919年(大正8年)6月10日 - 2005年(平成17年)3月24日)は、日本の政治家。公明党参議院議員(2期)。 鹿児島県日置郡東市来村養母(現日置市)出身。鹿児島県立川内中学校 (旧制)を経て、1941年明治専門学校応用化学科卒。日本窒素肥料に入社するが、直後に召集。1946年の復員後、旧制鹿児島県立伊集院中学校・新制鹿児島県立伊集院高等学校や福岡県立折尾高等学校で教職に就く。1968年の第8回参議院議員通常選挙において公明党公認で全国区から立候補して当選する。6年後の第10回参議院議員通常選挙においても再選。参議院議員を2期務めた。この間、参議院運輸委員長などを歴任した。
中馬 兼四(ちゅうま けんし/ちゅうまん けんし、1917年… 中馬 兼四(ちゅうま けんし/ちゅうまん けんし、1917年(大正6年)2月28日 - 1942年(昭和17年)5月31日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争におけるシドニー湾攻撃で特殊潜航艇「甲標的」艇長として戦死。二階級特進により最終階級は海軍中佐。位階は正六位。 鹿児島県薩摩郡上東郷村大字鳥丸(現在の薩摩川内市東郷町鳥丸)出身。父の姓は知敷。中馬は鹿児島県立川内中学校(現在の鹿児島県立川内高等学校)を卒業後、海軍兵学校へ進み、海兵66期として卒業した。海兵66期は、219名の同期生のうち143名が戦死し、戦死率は65.2%である。中馬と同様に特殊潜航艇(以下「特潜」 )艇長としてシドニー湾攻撃で戦死した松尾敬宇、同日にマダガスカル攻撃で戦死した秋枝三郎は同期生であった。
小牧 次生(こまき つぎお、1911年(明治44年)9月 -… 小牧 次生(こまき つぎお、1911年(明治44年)9月 - 没年不詳)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員。 鹿児島県薩摩郡、のちの川内市(現薩摩川内市)で生まれる。旧制鹿児島県立川内中学校(現鹿児島県立川内高等学校)を経て、1932年(昭和7年)に旧制第七高等学校造士館文科を卒業して東北帝国大学法文学部へ進学するが、1933年(昭和8年)に東京帝国大学法学部法律学科へ入学し直す。1936年(昭和11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業した。 三井鉱山(現日本コークス工業)に入社。終戦直前に帰郷した。その後、鹿児島造船役員、東亜重工業役員、西日本建設業保証 (株) 営業所長などを務めた。 戦後、山中貞則らと青壮年同志会に加わり青年団運動に参画。
上村 孝二(かみむら たかじ、1908年(明治41年)3月1… 上村 孝二(かみむら たかじ、1908年(明治41年)3月14日 - 1996年(平成8年)3月25日)は、日本の国語学者・方言学者。九州の方言学における重鎮だった。文学博士。鹿児島大学名誉教授。 1908年、佐賀県武雄町で出生。本籍は鹿児島県上甑村(甑島列島、現在の薩摩川内市の一部)。生後すぐ母が亡くなったこともあり、上甑村中甑の上村家の養子となった。同村の中津尋常高等小学校を経て、1925年(大正14年)に本土の鹿児島県立川内中学校 (旧制)を卒業。 旧制中学卒業後に帰郷し、上甑村の江石尋常高等小学校で1年間代用教員を務めた。その後、九州帝国大学法文学部国文学科に入学して学び、1933年3月に卒業。
木元 規矩男(きもと きくお、1905年11月1日 -199… 木元 規矩男(きもと きくお、1905年11月1日 -1992年11月19日)は、日本の実業家、ラグビー選手。 鹿児島県出身。旧制川内中学卒業後、明治大学に入学。 明治大学ラグビー部では(当初、柔道部だったが転部)、当初フッカーだったが北島忠治に譲り、知葉友雄とセカンドロー(ロック)を組み活躍した(5シーズン26試合出場、3トライ)。 1924年(大正13年)、明治大学在学中に秋田県のラグビーを振興するメンバーとして尽力した。 1929年(昭和4年)、毎日新聞社東京本社に入社し、東京本社総務局長、西部本社営業局長を歴任。1958年(昭和33年)、RKB毎日放送代表取締役専務、副社長を歴任した。 1974年(昭和49年)2月から1986年3月まで、九州ラグビーフットボール協会会長を務めた。
神 重徳(かみ しげのり、1900年(明治33年)1月23日… 神 重徳(かみ しげのり、1900年(明治33年)1月23日 - 1945年(昭和20年)9月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。海軍兵学校48期生。 1900年(明治33年)1月23日、鹿児島県出水郡高尾野村(現在の出水市)の神焼酎製造(現神酒造)を営む父・神惣士の長男として生まれる。旧制鹿児島県立川内中学校から1917年海軍兵学校を受けたが不合格となり、同年10月10日、第48期補欠募集で 166名中29番の成績で入校。1919年10月8日、成績優等章授与。1920年7月16日、171名中10番の成績で海兵48期を卒業。海軍少尉候補生となり装甲巡洋艦「浅間」に乗組。 1920年8月21日、練習艦隊遠洋航海( 基隆〜馬公〜香港〜シンガポール〜コロンボ〜ダーバン〜ケープタウン〜リオデジャネイロ〜サントス〜モンテビデオ〜バイアブランカ〜バルパライソ〜イキケ〜カヤオ〜タヒナ〜トラック〜サイパン〜母島〜父島方面巡航の西廻り世界一周)に出発。
鮫島素直(さめじま すなお、1900年〈明治33年〉 - 1… 鮫島素直(さめじま すなお、1900年〈明治33年〉 - 1985年〈昭和60年〉)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大佐。専門は通信および電波兵器で、太平洋戦争期に軍令部通信課長(兼任複数)を務めた。 1900年、鹿児島県に生まれる。川内中学 (旧制)(現・鹿児島県立川内高等学校)を経て、海軍兵学校第48期に入校し、大正9年(1920年)に卒業した。 その後、海軍大学校甲種第31期を昭和8年(1933年)に卒業。海軍通信学校教官、聯合艦隊通信参謀などを歴任し、通信分野の専門家として知られた。 昭和18年(1943年)頃から軍令部第四部第九課長、第十課長兼第十一課長を務め、大本営海軍部通信課長を兼任。
田上 八郎(たのうえ はちろう、1891年(明治24年)2月… 田上 八郎(たのうえ はちろう、1891年(明治24年)2月17日 - 1948年(昭和23年)10月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 鹿児島県(現在の薩摩川内市上川内町)出身。士族・農業、田上亭二の二男として生まれる。川内中学校(現鹿児島県立川内高等学校)を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第13連隊付となる。1926年(大正15年)12月、陸軍大学校(38期)を卒業。 1927年(昭和2年)3月、歩兵第45連隊中隊長となり、陸士教官、歩兵第17連隊大隊長、陸軍歩兵学校教官、第16師団参謀、第1師団参謀、歩兵学校教官などを務め、1937年(昭和12年)8月、陸軍大佐に進級し歩兵第34連隊長に発令され日中戦争(上海派遣軍/松井石根大将)に出征し上海戦、南京戦などに参戦した。
大迫 通貞(おおさこ みちさだ、1890年(明治23年)11… 大迫 通貞(おおさこ みちさだ、1890年(明治23年)11月1日 - 1974年(昭和49年)3月13日)は、鹿児島県出身の日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 鹿児島県日置郡、のちの東市来町(現日置市)で、農業・村長、大迫半七の子息として生まれる。川内中学校(現鹿児島県立川内高等学校)、名古屋陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第45連隊付となる。1923年(大正12年)11月、陸軍大学校(35期)を卒業し歩兵第45連隊中隊長に就任。 1925年(大正14年)3月、陸士教官となり、参謀本部員、参謀本部付(支那研究員、吉林駐在)を務め、1927年(昭和2年)7月、歩兵少佐に昇進。
岩満 重(いわみつ しげる、1889年(明治22年)12月4… 岩満 重(いわみつ しげる、1889年(明治22年)12月4日 - 1971年(昭和46)1月4日)は、台湾総督府官僚。鹿児島県川内市(現在の薩摩川内市)市長、川内市議会議長等を歴任。 鹿児島県薩摩郡平佐村(後の川内町、川内市、薩摩川内市)出身。旧制鹿児島県立川内中学校(現 鹿児島県立川内高等学校)を経て、1911年(明治44年)旧制第七高等学校造士館卒業。1915年(大正4年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業して、高等文官試験に合格した。1916年(大正5年)、台湾総督府属となり、台北庁事務官、阿猴庁事務官、理事官・新竹州内務部地理課長・知事官房税務課長、台湾総督府中央研究所事務官、台中州内務部長を歴任した。
今井 白楊(いまい はくよう、1889年12月3日 - 19… 今井 白楊(いまい はくよう、1889年12月3日 - 1917年8月2日)は、日本の詩人である。 本名は国三。別号に夏明、太原、冬夜。鹿児島県薩摩郡隈之城村大字東手の向田(現在の鹿児島県薩摩川内市)の焼酎製造業の家に生まれた。川内中学校(現在の鹿児島県立川内高等学校)で岩谷莫哀と同窓となり、早稲田大学英文科に進学。1909年、自由詩社に参加。機関紙「自然と印象」に詩を発表するほか、河井醉茗主宰の「詩人」(詩草社)などにも作品を寄せている。1911年、『闇と脚光』で第5回雑誌『太陽』懸賞脚本に当選(賞金100万円)。1914年、「失楽園物語」を執筆。1917年、千葉県犬吠埼で遊泳中に親友三富朽葉とともに溺死。
岩谷 莫哀(いわや ばくあい、本名:岩谷 禎次、1888年(… 岩谷 莫哀(いわや ばくあい、本名:岩谷 禎次、1888年(明治21年)4月18日 - 1927年(昭和2年)11月20日)は、日本の歌人、編集者。鹿児島県生まれ。 鹿児島県薩摩郡宮之城村湯田(現在のさつま町)に生まれる。川内中学校(現在の鹿児島県立川内高等学校)に進学、今井白楊と同窓となり文学を志し、「秀才文壇」などに投稿。第七高等学校造士館(現在の鹿児島大学)を経て、東京帝国大学法科大学経済学科を卒業。東大では尾上柴舟に学んだ。 短歌雑誌『車前草』を創刊。編集者として『桜草』や、橋田東聲主宰の『珊瑚礁』など、他の短歌雑誌でも活躍、のちに『水甕』を創刊し、同誌に専念する。 1916年、出版社「莫哀社」を起こすも事業に失敗し、翌年には明治製糖に入社して台湾に渡る。
萬造寺 齊(まんぞうじ ひとし、1886年(明治19年)7月… 萬造寺 齊(まんぞうじ ひとし、1886年(明治19年)7月29日 - 1957年(昭和32年)7月9日)は、日本の歌人、小説家、英文学者。鹿児島県生まれ。 鹿児島県日置郡串木野町羽島(現在のいちき串木野市)の裕福な地主の家に生まれる。旧制川内中学から旧制第七高等学校を経て東京帝国大学英文科卒業。東京で与謝野鉄幹に師事し、「明星」、「スバル」に参加、堀口大學から「短編実作者の第一人者」と評された。また石川啄木、高村光太郎、北原白秋、森鷗外らと親交し、東大卒業後は愛媛県西条中学校などで教鞭をとった。 28歳の時、加世田の私有地を売った資金で「我等」を創刊するも下宿の火事により原稿が消失、廃刊。京都に移り住み、「街道」を発行して再起を図るも1944年、戦時統制による紙不足でまたも廃刊、戦後は農地改革により地主としての地位を失い、故郷に戻る願いも叶わず1957年、京都で70年の生涯を終えた。
安岡 正臣(やすおか まさおみ、1886年(明治19年)7月… 安岡 正臣(やすおか まさおみ、1886年(明治19年)7月21日 - 1948年(昭和23年)4月12日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 鹿児島県、後の川内市(現・薩摩川内市御陵下町)で、安岡正陸軍大尉の息子として生れる。川内中学校、熊本陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1905年(明治38年)11月、陸軍士官学校(第18期)を卒業。翌年6月、歩兵少尉に任官し歩兵第43連隊付となる。陸軍戸山学校で学び、1914年(大正3年)11月、陸軍大学校(第26期)を卒業した。 陸軍省軍務局課員、歩兵第51連隊大隊長、第9師団参謀、歩兵第29連隊付、第16師団参謀、歩兵第49連隊長、第5師団参謀長などを歴任し、1935年(昭和10年)3月、陸軍少将に進級。
山本 実彦(やまもと さねひこ、1885年〈明治18年〉1月… 山本 実彦(やまもと さねひこ、1885年〈明治18年〉1月5日 - 1952年〈昭和27年〉7月1日)は、日本のジャーナリスト。改造社社長。雅号は亀城。 鹿児島県高城郡水引郷大小路村(現在の鹿児島県薩摩川内市大小路町)出身。1885年(明治18年)1月、にて鍛冶屋山本庄之助の長男として出生する。実彦が小学生の頃に生家の経済状況が悪化、困窮を極めたことから旧制鹿児島県立川内中学校を自主退学。自ら働くことを決意して沖縄に渡り、離島にて1902年(明治35年)に代用教員の職を得る。 1904年に19歳で上京、郵便及び筆耕屋の仕事の傍ら日本大学法律科を卒業。『門司新報』『やまと新聞』記者を経て、1915年(大正4年)に東京毎日新聞社(現在の毎日新聞とは資本関係はない)社長に就任。
久米 成夫(くめ なりお、1882年(明治15年)12月1日… 久米 成夫(くめ なりお、1882年(明治15年)12月1日 - 1954年(昭和29年)9月29日)は、日本の内務官僚。政友会系官選県知事、鹿児島市長。 鹿児島県薩摩郡山崎村麓大窪(現さつま町)で、山崎村長を務めた久米岳、シメ夫妻の長男として生まれる。鹿児島県立川内中学校、第七高等学校造士館(首席卒業)を経て、1910年7月、東京帝国大学法科大学を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し千葉県属となる。 その後、千葉県試補、神奈川県愛甲郡長、同県理事官・知事官房主事、同県商工課長、秋田県理事官・教育兵事課長、岩手県警察部長、神奈川県警察部長、山形県内務部長、岩手県書記官・内務部長、広島県書記官・内務部長などを歴任。
松永 信也(まつなが のぶや、1957年 - )は、社会福祉… 松永 信也(まつなが のぶや、1957年 - )は、社会福祉活動家。幼少期から罹患していた網膜色素変性症の悪化により40歳頃に失明。見えない世界を伝えるため、学校や企業などで講演活動をおこなっている。 鹿児島県阿久根市生まれ。1975年、鹿児島県立川内高等学校卒業。1980年、佛教大学社会福祉学科卒業。 その後16年間児童福祉施設に勤務したが、失明のため退職。京都ライトハウスにて1年間生活訓練を受け社会復帰。 四天王寺大学、京都福祉専門学校、京都YMCA国際福祉専門学校、長尾谷高校、枚方なぎさ高校、大阪医療福祉専門学校などで非常勤講師、特別講師などを勤める。その他、各地の小学校・中学校で、福祉特別授業を担当。
山口 健一(やまぐち けんいち)は、日本の弁護士。山口法律会… 山口 健一(やまぐち けんいち)は、日本の弁護士。山口法律会計事務所所長。大阪弁護士会元会長。日本弁護士連合会元副会長。鹿児島県出身。 鹿児島県薩摩川内市生まれ。中学校の頃は理系に進もうと考えていたが、鹿児島県立川内高等学校に在籍中「研究所で働くよりも社会で人と関わる仕事がしたい」と思い、中でも弱い人のために働こうと考え弁護士を目指し、大阪市立大学法学部へ入学。大学ではドイツ法を学んだ。1974年司法試験合格と同時に大学を卒業し、1975年司法修習所入所(29期)。1991年に山口健一法律事務所を設立した。その後、大阪弁護士会や近畿弁護士会連合会、日本弁護士連合会で要職を務め、2016年には大阪市立大学出身者としては20年ぶりに大阪弁護士会の会長に就任した。