光法 賢一(こうぼう けんいち、1973年(昭和48年)8月… 光法 賢一(こうぼう けんいち、1973年(昭和48年)8月18日 - 2021年(令和3年)7月1日)は、鹿児島県熊毛郡南種子町出身で宮城野部屋に所属した大相撲力士。本名は峯山 賢一(みねやま けんいち)。身長182cm、体重137kg。 最高位は西前頭9枚目(2002年1月場所)。得意技は左四つ、下手投げ、寄り。血液型B型。愛称は本名の「ミネヤマ」。 中学校卒業と同時に宮城野部屋に入門し、1989年(平成元年)3月場所で初土俵を踏んだ。 1991年9月場所において18歳で幕下へ昇進したものの、攻めが遅かったため幕下上位で苦労し、十両昇進までに7年以上掛かってしまった。1996年11月場所から四股名を「光法」と改めるが、これは茨城県ひたちなか市にある道明寺の住職が考案した3つの候補の中から、父と祖父の名前にそれぞれ「光」という字が入っており、父の名である「みつのり」とも読めるとの理由で選んだという。
柳田 理科雄(やなぎた りかお、本名同じ、1961年(昭和3… 柳田 理科雄(やなぎた りかお、本名同じ、1961年(昭和36年)6月21日 - )は、日本の作家、漫画原作者、大学教員、ラジオパーソナリティ、YouTuber。 明治大学理工学部 兼任講師。株式会社『空想科学研究所』主任研究員。 鹿児島県熊毛郡南種子町出身。父は南種子町長を2007年まで4期16年務めた柳田長谷男。「理科雄」は、ペンネームではなく本名である。彼が生まれる2ヵ月ほど前(1961年4月12日)にユーリイ・ガガーリンが世界初の宇宙飛行に成功しており、これに感激した父が「これからは科学の時代だ」と考えて命名した名前であるという。「理科雄」という変わった名前で父が出生届を出した際、町役場の係員からは「本当にこれでいいんですね?」と繰り返し念を押されたという。
林家 種平(はやしや たねへい、1948年11月25日 - … 林家 種平(はやしや たねへい、1948年11月25日 - )は、落語家である。落語協会所属の真打。本名:瀬戸口 次男。紋は『花菱』。出囃子は『木賊刈』。 鹿児島県熊毛郡南種子町島間(種子島)出身。1967年、鹿児島県立南種子高等学校卒業。 1969年、初代林家三平に入門する。種子島出身なので、種平と命名された。初高座は、1970年8月、目黒名人会にて。前座時代には立川寸志、林家公平、柳家ほたるの4人で「少女ふれんど」というバンドを結成しレコードを出している。 1974年、林家上蔵と共に二ツ目に昇進。 1985年に桂藤兵衛、古今亭八朝と共に真打昇進。 趣味は、ゴルフ。種子島観光協会「種子島観光大使」。
小山勉(おやま つとむ、1936年6月20日-2006年12… 小山勉(おやま つとむ、1936年6月20日-2006年12月29日)は、日本の政治学者。法学博士、九州大学名誉教授。特にトクヴィルを中軸とするフランス政治思想を専門とした。 鹿児島県熊毛郡南種子町生まれ・出身(種子島生まれ)。1967年3月早稲田大学第一政治経済学部卒業。同年4月早稲田大学大学院政治学研究科修士課程へ進学し、堀豊彦教授に師事。1970年3月に修了し、政治学修士号取得。同年4月東京都立大学大学院社会科学研究科(政治学専攻)博士課程へ進学し、半澤孝麿教授の下でフランス政治思想研究に従事。研究対象をそれまでのディドロからトクヴィルに変える。1973年3月博士課程満期。1973年4月新潟大学人文学部講師に就職。
峯山 昭範(みねやま あきのり、1935年〈昭和10年〉11… 峯山 昭範(みねやま あきのり、1935年〈昭和10年〉11月29日 - 2025年7月18日)は、日本の政治家、参議院議員(4期、公明党所属)。近畿大学教養学部教授。 種子島生まれ、鹿児島県熊毛郡南種子町出身。中学時代に大阪へ移り、大阪市立天下茶屋中学校、大阪府立今宮工業高等学校を経て、近畿大学理工学部機械工学科中退の後、1954年に日本合成化学工業入社。1961年聖教新聞社に入社し、1962年創価学会関西本部庶務部長となる。その後、創価学会副理事長、関西本部事務局長に就任。1968年の第8回参議院議員通常選挙で全国区から公明党公認で立候補して初当選。議員在任中に大学法学部で学び、近畿大学法学部を卒業。
原 全五(はら ぜんご、1912年3月21日 - 2003年… 原 全五(はら ぜんご、1912年3月21日 - 2003年7月17日)は、昭和から平成時代の社会運動家。日本共産党中央委員候補。 鹿児島県熊毛郡南種子村(現南種子町)生まれ。小学校卒業。17歳のとき大阪に来て鉄工所の見習工となり、1932年3月大阪砲兵工廠に旋盤工として入社。大阪で同郷の先輩で、全協日本金属労働組合で非合法活動をしていた山田六左衛門から影響を受け、同年4月に全協日本金属労働組合大阪支部砲兵工廠分会を結成。同年5月には日本共産党に入党、共青・党関西地方委員会専従オルグとなった。1933年検挙、起訴猶予。1934年宮内勇らの日本共産党「多数派」に参加。1935年検挙、1937年起訴猶予。
山田 六左衛門(やまだ ろくざえもん、1901年2月28日 … 山田 六左衛門(やまだ ろくざえもん、1901年2月28日 - 1978年3月24日)は、共産主義活動家。 鹿児島県熊毛郡南種子村(現在の南種子町)字平山生まれ。早稲田高等学院政経科中退。1927年(昭和2年)に日本労働組合評議会に加盟。1928年(昭和3年)に日本共産党に入党。同じ年の3月15日の三・一五事件などで検挙。 戦後は1946年(昭和21年)日本共産党に再入党。1949年1月、第24回衆議院議員総選挙において和歌山県第1区から日本共産党公認で立候補して落選した。1950年(昭和25年)の日本共産党の分裂時に関西の「国際派」の指導者となったため、除名された。1955年(昭和30年)に日本共産党が統一した際に復党し、1958年(昭和33年)に中央委員となった。
鮫島 二男丸(さめじま じなんまる、1889年 - 不明)は… 鮫島 二男丸(さめじま じなんまる、1889年 - 不明)は、種子島南種子町初代町長。糖業の振興、煙草の誘致、水稲の早期栽培に尽力し、1963年(昭和38年)に名誉町民の称号を贈られた。 南種子町島間の上方の農家に生まれ、学生時代から成績優秀、兵役後村長らに懇願され役場に入る。勧業主任、農会書記兼務、農会技手兼務、南種子町糖業支部長、農会副会長兼務、産業組合長。助役を経て村長に。一度辞職し、県農業委員を務めたのちに再び村長になった。この2期目の際に町制実施のため初代町長に就任(1956年〈昭和31年〉)。1959年(昭和34年)70歳の時に惜しまれて退任。その功績に報いるべく1963年(昭和38年)に胸像が役場前庭に建立された。