西銘 恒三郎(にしめ こうさぶろう、1954年〈昭和29年〉… 西銘 恒三郎(にしめ こうさぶろう、1954年〈昭和29年〉8月7日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(8期)。 復興大臣(第12・13代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策)・福島原発事故再生総括担当大臣(第1次岸田内閣・第2次岸田内閣)、経済産業副大臣(第3次安倍第3次改造内閣)、総務副大臣(第2次安倍改造内閣)、国土交通大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、衆議院安全保障委員長、同国土交通委員長、沖縄県議会議員(連続4期)、自由民主党幹事長代理、自由民主党副幹事長、同総務部会長、同沖縄県支部連合会長などを歴任。 父は沖縄県知事、衆議院議員、那覇市長を務めた西銘順治。
西銘 順志郎(にしめ じゅんしろう、1950年1月2日 - … 西銘 順志郎(にしめ じゅんしろう、1950年1月2日 - )は、日本の政治家。参議院議員(1期)を務めた。 沖縄県島尻郡与那原町生まれ。琉球政府立那覇高等学校、立正大学経済学部卒業。元衆議院議員で沖縄県知事も務めた西銘順治の長男。三男は衆議院議員の西銘恒三郎という政治家一族の生まれである。1973年に琉球海運に入社し、1979年からは父(県知事)の秘書を務めた。 1983年の第13回参議院議員通常選挙に出馬したが落選。以後2回の衆院選落選を経て、2001年の第19回参議院議員通常選挙で沖縄県選挙区から出馬し初当選。2007年の第21回参議院議員通常選挙では元職の糸数慶子に敗れ落選。 2022年8月、同年9月投開票の沖縄県議会議員補欠選挙に立候補を表明したが、他の自民党系の候補者が立候補に意欲を示したため辞退した。
大城 眞順(おおしろ しんじゅん、1927年10月5日 - … 大城 眞順(おおしろ しんじゅん、1927年10月5日 - 2016年2月18日)は、日本の政治家。沖縄返還前の琉球政府では立法院議員として活動し、復帰後には衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)を務めた。 1965年の琉球政府の第7回立法院議員総選挙で第26区より当選。 1968年の第8回立法院議員総選挙で再選。 1979年10月7日の第35回衆議院議員総選挙に沖縄県全県区に自由民主党から出馬し、初当選。四十日抗争では田中派として大平正芳に投票。 1980年の第36回衆議院議員総選挙で落選。 1980年の喜屋武眞榮の任期途中での沖縄県知事選出馬に伴う第12回参議院議員通常選挙の沖縄県選挙区補欠選挙で自由民主党から出馬し、初当選。
西銘 順治(にしめ じゅんじ、1921年〈大正10年〉11月… 西銘 順治(にしめ じゅんじ、1921年〈大正10年〉11月5日 - 2001年〈平成13年〉11月10日)は、日本の政治家。那覇市名誉市民、知念村名誉村民、与那国町名誉町民。 沖縄県知事(本土復帰後第3代)、衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長、衆議院議員(4期)、沖縄県那覇市長(第18・19代)、沖縄自由民主党総裁、立法院議員(1期)等を歴任した。 沖縄県八重山郡与那国村(現・与那国町)生まれ。小学生時代の一時期、南洋庁のパラオに在住していた。旧制沖縄県立第二中学校、旧制水戸高等学校を経て1948年、東京帝国大学法学部卒業。戦時下に海軍中尉となる。 外務省に入省するが、半年で退官。沖縄へ戻り、沖縄ヘラルド(その後改名して沖縄朝日新聞)の創設に参加し社長などを歴任する。
亀谷 長榮(かめや ちょうえい、1914年(大正3年)1月4… 亀谷 長榮(かめや ちょうえい、1914年(大正3年)1月4日 - 1999年(平成11年))は、日本の政治家。福岡県筑紫郡春日村(現、春日市)村議会議員(2期)、同町議会議員(2期)。同議長(2期)。 春日市長(3期。第2・3・4代)を務めた。 1914年(大正3年)1月に、第一尚氏の末裔とされる亀谷家(福山英治著、大神二郎発行『波濤を越えて 亀谷長栄伝記』葦書房有限会社、初版昭和61年9月15日、8頁。以下特に脚注・出典の記載がないかぎり記述は全て同書からの引用である。また名の表記については同書に基づき「長栄」とする。)の亀谷長睦と、その妻であるツルとの間に沖縄県島尻郡玉城村字屋嘉部(現、南城市字玉城屋嘉部)に生まれる。
湧上 聾人(わくがみ ろうじん、1888年(明治21年)6月… 湧上 聾人(わくがみ ろうじん、1888年(明治21年)6月26日 - 1966年(昭和41年)5月24日)は、日本の政治家、社会運動家。戦前の沖縄県議会議員(3期)、衆議院議員(1期)。 沖縄県玉城間切冨名越(現・南城市玉城船越)に生まれる。幼名平二。幼少期に水遊び中の耳のケガが原因で聴力を失ったといわれ、35歳の時に「聾人」と改名する。長じて上京し、攻玉社中学校を経て早稲田大学高等師範部に入学。在学中は安部磯雄に私淑するも中退し、帰郷後玉城村村議(1921年)を経て、1925年沖縄県議に当選。 沖縄県議時代は、関西の県出身出稼ぎ紡績女工の待遇改善に尽力。また自身の医療公営論を実践するため、1931年那覇市に「沖縄同仁病院」を設立するなど、庶民の立場に立った活動を行う。
大城 幸之一(おおしろ こうのいち / おおぐすく こうのい… 大城 幸之一(おおしろ こうのいち / おおぐすく こうのいち、1879年(明治12年)8月15日 - 1932年(昭和7年)11月2日)は、日本の衆議院議員(政友本党→立憲民政党)。医師。 沖縄県島尻郡玉城村(現在の南城市)出身。沖縄県病院附属医生教習所に入学し、在学中に医術開業試験試験に合格した。1900年(明治33年)に教習所を卒業し、県病院に勤務した。翌年には郷里に医院を開業し、後に沖縄県医師会代議員、島尻郡医師会副会長を務めた。1909年(明治42年)に玉城村会議員に選ばれ、さらに沖縄県会議員、同議長に選ばれた。 1925年(大正14年)、衆議院補欠選挙で当選を果たした。 その他、玉城村中部信用販売購買組合長、奥武漁業組合長を務めた。