仲地 礼亜(なかち れいあ、2001年2月15日 - )は、… 仲地 礼亜(なかち れいあ、2001年2月15日 - )は、沖縄県中頭郡読谷村出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 読谷村立古堅南小学校で野球を始め、読谷村立古堅中学校在学時は硬式野球のクラブチームである北谷ボーイズでプレーしていた。 2学年上の兄・玖礼を追い、沖縄県立嘉手納高等学校へ進学。1年夏にチームは第98回全国高等学校野球選手権大会へ出場し、玖礼がエースを務めたが、自身はベンチ外だった。その後2年時からエースを務めた。1年夏以降は甲子園大会への出場はなく、3年夏は沖縄県大会準決勝で宮城大弥擁する興南に敗れた。 沖縄大学に進学し、1年時からベンチ入り。3年春に出場した全日本大学野球選手権大会では名城大学を相手に8回1失点と好投し、注目を集めた。
儀保 幸英(ぎぼ ゆきひで、1996年4月2日 - )は、沖… 儀保 幸英(ぎぼ ゆきひで、1996年4月2日 - )は、沖縄県読谷村出身の元サッカー選手。ポジションは、フォワード(FW)。 読谷中学校から流通経済大学付属柏高校へ進学し、1年次に千葉県選抜として国体に出場。しかし2年時は左膝前十字靭帯断裂の重傷によって10か月間試合に出ることができなかった。 高校卒業後は東京学芸大学への進学を志望し勉強に励んでいたが、故障の影響などで必須の実技試験を受けることができず、最終的に地元・沖縄へ戻ることを決意し、沖縄国際大学へ進学。在学中、Jクラブが沖縄でキャンプを行う利点を生かし、横浜F・マリノスや湘南ベルマーレに招待選手として練習参加した。 2017年、FC琉球に特別指定選手として登録され、同年3月18日のJ3第2節・グルージャ盛岡戦でJリーグ初出場した。
山内 達朗(やまうち たつろう、1994年1月23日 - )… 山内 達朗(やまうち たつろう、1994年1月23日 - )は、沖縄県中頭郡読谷村出身の元サッカー選手。現役時代の登録ポジションはフォワード(FW)。 地元の読谷中学校、読谷高校を経て、大阪産業大学へ進学。 2016年より、FC琉球へ加入した(大学で同期の宮城晃太も同年加入)。読谷村出身者初のJリーガーとなった。本来のポジションとは異なるサイドバックに挑戦し、開幕戦では右サイドバックで先発出場した。2017シーズン限りで契約満了に伴い退団。 2018年、沖縄SVへ移籍。2019年シーズンは18得点を決め九州サッカーリーグの得点王となり、MVPとベストイレブンにも選出された。 2021年、MIOびわこ滋賀へ完全移籍 し、2022年に退団した。
立川 笑二(たてかわ しょうじ、1990年11月26日 - … 立川 笑二(たてかわ しょうじ、1990年11月26日 - )は落語立川流所属の落語家である。沖縄県読谷村出身。本名∶知花 弘之。出囃子∶『てぃんさぐぬ花』。 沖縄県で読谷高校卒業までを過ごした後、2009年4月に吉本総合芸能学院(NSC・大阪校、32期)に入学。「知花ひろゆき」名義であらびき団に出演経験がある。 高校時代からの憧れだった落語家を目指し立川談春への入門を考えたが、タイミングを図っている間に聞いた六代目立川談笑に感動して2011年6月に談笑に入門。前座名∶笑二。談笑の2番弟子となる。 2014年6月、入門から3年で二ツ目に昇進する。 2023年11月下旬から活動を休止。2024年8月の談笑一門会から徐々に活動を再開している。
奥平 貴也(おくひら たかや、1986年9月9日 - )は、… 奥平 貴也(おくひら たかや、1986年9月9日 - )は、沖縄県中頭郡読谷村出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはガード。 前原高校から近畿大学を経て、琉球ゴールデンキングスに練習生として入団。 2010年、プロ契約。シーズン途中で契約解除。 2011年オフ、JBL2の石川ブルースパークス加入。 2012年オフ引退。 2012年、Bjリーグ富山グラウジーズ加入(練習生を経て)。2013-14シーズン終了後に現役引退。 山城拓馬は高校・大学の1年先輩。
吉田 鉄太郎(よしだ てつたろう、1975年7月26日 - … 吉田 鉄太郎(よしだ てつたろう、1975年7月26日 - )は、ラジオ沖縄報道部アナウンサー。高知さんさんテレビのアナウンサーの後、沖縄県でフリーアナウンサー、ラジオパーソナリティー、記者として活動。旧所属事務所はキャラOKINAWA。 沖縄県読谷村出身。早稲田大学政治経済学部卒業後の2001年に高知さんさんテレビへ入社した。高知さんさんテレビ退社後は、2004年からFM新潟で1年ほどアナウンサーを務めた後、地元・沖縄に戻りフリーアナウンサーとして活動後、琉球放送にて報道スポーツの仕事に従事していた。さらに2022年琉球朝日放送で記者業務に従事。2025年1月にラジオ沖縄に入社。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
佐久本 昌広(さくもと まさひろ、1974年7月15日 - … 佐久本 昌広(さくもと まさひろ、1974年7月15日 - )は、沖縄県中頭郡読谷村出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。 中学時代には沖縄選抜として九州大会で優勝。高校は福岡県の久留米工大付属高に野球留学した。大和銀行では1995年に日本生命の補強選手として都市対抗野球に出場した。 1995年度ドラフト会議で福岡ダイエーホークスから4位指名を受けて入団。1年目から中継ぎを中心に一軍で活躍。1997年にはルーキーストッパーの岡本克道に繋ぐセットアッパーとして、8勝3セーブを挙げた。1998年には中盤以降から最後まで先発ローテーションに加わり6勝を記録(先発成績は4勝5敗)。1999年には工藤公康に次ぐ左投手の先発2番手として期待され、開幕からローテーションに入ったものの不調で二軍落ち、終盤に復調し日本シリーズ第5戦に先発登板した。
新里 紹也(しんざと しょうや、1972年8月6日 - )は… 新里 紹也(しんざと しょうや、1972年8月6日 - )は、沖縄県出身の元プロ野球選手(内野手)。
糸数 慶子(いとかず けいこ、1947年10月11日 - )… 糸数 慶子(いとかず けいこ、1947年10月11日 - )は、日本のバスガイド、政治家。オール沖縄共同代表。 参議院議員(3期)、沖縄社会大衆党委員長(第11代)、沖縄県議会議員(3期)を務めた。 1947年、中頭郡読谷村生まれ。米軍統治下で育ち、米軍基地・読谷補助飛行場で実施されたパラシュート演習で投下されたトレーラーに小学生の少女が圧殺された事件(1965年6月11日)をきっかけにはじまった米軍抗議集会に初参加。 1966年に琉球政府立読谷高等学校卒業後、琉球放送の番組「土曜ワイド」アシスタントや、沖縄バス・東陽バス等のバスガイドに勤務。沖縄県の歴史や現状を県外、国外の人に伝えるバスガイド経験は20年以上におよぶ。
又吉 康助(またよし こうすけ、1921年〈大正10年〉5月… 又吉 康助(またよし こうすけ、1921年〈大正10年〉5月1日 - 2004年〈平成16年〉4月8日)は、日本の陸軍軍人、陸上自衛官。最終階級は陸軍大尉(大日本帝国陸軍)、陸将補(陸上自衛隊)。初代自衛隊沖縄地方連絡部長。 初代沖縄県知事屋良朝苗の教え子であり、沖縄返還の際に政府・自衛隊・沖縄県の交渉に関わった。 沖縄県読谷村生まれ。旧制沖縄県立第二中学校(現・沖縄県立那覇高等学校)では陸軍特攻隊の伊舎堂用久中佐と同窓。1941年8月、陸軍士官学校(55期)卒業。歩兵第130連隊(高田)、仙台、得撫島守備を経て、独立混成第101旅団司令部付。 終戦後、知念高校教諭を務める。1955年、陸上自衛隊入隊。
比嘉 秀平(ひが しゅうへい、1901年(明治34年)6月7… 比嘉 秀平(ひが しゅうへい、1901年(明治34年)6月7日 - 1956年(昭和31年)10月25日)は、沖縄県の官僚、教育者、琉球政府の政治家。1952年4月から1956年10月まで琉球政府行政主席を務めた。琉球民主党初代総裁。 沖縄県中頭郡読谷村に生まれる。小学校時代に事故で右腕を失うも、勉学に励み、1925年(大正14年)早稲田大学文学部英文学科を卒業する。 和歌山県の高野山中学に勤務後、約20年間の教員生活を送り、母校である沖縄県立第二中学校の教諭および沖縄県立第三中学校の教頭を務める。 沖縄戦では県立第三中学校の学徒隊を率いたが生還し、終戦後、沖縄民政府に採用されて、翻訳課長や官房長などを歴任した。