寺尾 新(てらお しん、1970年12月24日 - )は、日… 寺尾 新(てらお しん、1970年12月24日 - )は、日本のキックボクサーで、元プロボクサー、プロレスラーである。東京都八王子市出身。ボクシング元日本フライ級2位、キックボクシングUKF東洋フェザー級初代王者。プロボクシングKSD杯フライ級優勝。 21歳で伊原ジムに入門しキックボクサーとしてデビュー。8戦経験し日本キックボクシング連盟ランキング入りを果たした。 1995年、開設されたばかり八王子中屋ジムに入門しボクシングに転向。同ジム第1号プロとして9月22日のデビュー戦を勝利で飾る。しかし2戦目はKO負け。 1998年5月18日、当時OPBF東洋太平洋フライ級王者でWBA5位・WBC7位にランクされていたマニー・パッキャオと後楽園ホールでノンタイトルを戦い、3度のダウンを奪われ1R2分59秒でKO負けを喫した。
下田 美馬(しもだ みま、1970年12月23日 - )は、… 下田 美馬(しもだ みま、1970年12月23日 - )は、日本の女子プロレスラー。 1987年8月5日、全日本女子プロレスでの三田英津子戦でデビューし、全日本ジュニア王座を獲得するなどしたが、新人時代は伸び悩み、同期の豊田真奈美とタッグチーム『スイートハーツ』を結成する。端正なルックスからアイドルレスラー的な売り方をされる。ただし、これは本人が望んだことではなく、フロントの考えによるものである。その後、同期の三田英津子とタッグを組み、全日本タッグのタイトルを獲得。 1990年3月18日、格闘技経験が皆無である状況ながら、後楽園ホールにおける格闘技戦(グローブマッチ) でアジャコングと対戦し、滅多打ちにされ、ローリング裏拳により下顎骨折および前歯数本を欠損した。
三宅 綾(みやけ りょう、1970年12月8日 - )は、日… 三宅 綾(みやけ りょう、1970年12月8日 - )は、日本のプロレスラー。神奈川県平塚市出身。 中学を卒業後にプロレスラーを志すが、小柄な体格のために新日本プロレスの入門テストを不合格となり、全日本プロレスでは入団オーデションすら受けさせてもらえなかった。 プロレスラーになるチャンスを得るため、全日本プロレスのリングスタッフとして興行に同行していた際、当時全日本プロレスのリングアナウンサーであった仲田龍から「大仁田厚がFMWを旗揚げする」という話を聞き、中学時代の同級生で同じくプロレスラー志望であった上野幸秀を誘ってFMWのオーデションを受け、三宅・上野両者ともにオーデションは落ちるも結果には納得が行かず、大仁田に直談判して練習生として入門し、FMW第1期生となる。
ジャンクハンター吉田(ジャンクハンターよしだ、本名:吉田武、… ジャンクハンター吉田(ジャンクハンターよしだ、本名:吉田武、1970年11月5日 - )は、日本の会社経営者、元プロレスラー、ゲーム・映画コラムニスト。東京都北区赤羽出身。東京都立赤羽商業高等学校卒業。身長184cm。
藤田 和之(ふじた かずゆき、1970年10月16日 - )… 藤田 和之(ふじた かずゆき、1970年10月16日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、アマチュアレスリング選手。千葉県船橋市出身。藤田事務所、プロレスリング・ノア所属。血液型O型。八千代松陰高校、日本大学文理学部卒業。 レスリングを経てプロレスデビューし、総合格闘技選手としての活動も同時並行して行っている。レスリング技術も然ることながら、その強靭な肉体から繰り出される圧倒的なパワーからの攻撃は非常に強力で、トップクラスの外国人ヘビー級選手であってもマットに沈めるほどの威力を持つ。さらにテイクダウンからの打撃、肩固め、袈裟固めなどの技を得意としている。PRIDE発足当時から数々の強豪外国人と対戦し、その実績から日本人最強のプロレスラーとの呼び声も高い。
鳥巣 朱美(とりす あけみ、女性、1970年10月6日 - … 鳥巣 朱美(とりす あけみ、女性、1970年10月6日 - )は、日本の空手家、元プロレスラー。佐賀県佐賀市出身。 1990年、全日本空手道連盟二段の実績を引っさげて吉永恵理子(後のバット吉永)の異種格闘技戦の相手として全日本女子プロレスのリングに初参戦。しかし、1Rで敗戦。 その後、プロレスラーを目指し平成2年組として全女に入団。新人王決定トーナメントで優勝を果たす。 1991年4月、バット吉永が保持するWWWA世界格闘技王座に挑戦。試合は敗れたものの、6Rの激闘を耐えた。 同年10月にプロテスト合格。 1992年3月2日、全日本ジュニア王座決定トーナメント決勝戦で李由紀と対戦するも敗れる。 4月、沼田三絵美と同王座を争いタイトル獲得。
金原 弘光(かねはら ひろみつ、1970年10月5日 - )… 金原 弘光(かねはら ひろみつ、1970年10月5日 - )は、日本の元男性プロレスラー、総合格闘家。愛知県尾張旭市出身。U.K.R.金原道場主宰。 UWFインターナショナルの第1回入門テストに合格し、1991年12月22日の前田雅和戦でデビュー。1992年末に開催されたジュニアリーグ戦では、後輩の高山善廣などを破って優勝した。同団体がタイからムエタイのコーチを招聘していたことからムエタイに傾倒。タイで幾度かの試合を経験、1996年3月1日にはUインター興行でチャンプア・ゲッソンリットとK-1ルールで対戦した。頭脳的なファイトスタイルからUWFの智将と呼ばれた。その後キングダムに戦いの場を移し、1998年3月には山本喧一と共にリングスに移籍した。
TAJIRI(タジリ、1970年9月29日 - )は、日本の… TAJIRI(タジリ、1970年9月29日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名:田尻 義博(たじり よしひろ)。妻は元女子プロレスラーの新谷朋江。熊本県玉名市出身。九州プロレス所属。血液型A型。 アメリカのプロレス団体「WWE」での活躍により、地域によっては日本人メジャーリーガーのイチローや松井秀喜以上の知名度とも言われていたため、日本でも「プロレス版メジャーリーガー」と呼ばれている。 日本では熊本県玉名市出身としているが、日本国外では知名度の高い東京都や、育ちの地である神奈川県横浜市を出身地としている。 大学卒業後、金融会社のサラリーマンとして働いていたがプロレスラーへの夢を断ちがたくアニマル浜口ジムでトレーニングを積みI.W.A JAPANのテストに合格。
池谷 幸雄(いけたに ゆきお、1970年9月26日 - )は… 池谷 幸雄(いけたに ゆきお、1970年9月26日 - )は、日本の体操指導者、元体操選手、タレント、プロレスラー。 弟は元体操選手の池谷直樹。 4歳で体操競技を始める。18歳で1988年ソウルオリンピックに出場し団体総合で銅メダル、個人種目別ゆかで銅メダルを獲得。4年後の1992年バルセロナオリンピックでは団体総合で銅メダル、個人種目別ゆかで銀メダルを獲得した。 2007年12月31日に「池谷銀牙」としてプロレスデビュー。 2015年6月12日、東京都現代美術館で行われた山本寛斎のファッションイベントで、退場する際、演出の一部として助走→バック転→後方1回宙返りを披露した際、右アキレス腱断裂、左脹脛肉離れで全治2、3カ月の怪我を負った。
長嶋 美智子(ながしま みちこ、1970年9月26日 - )… 長嶋 美智子(ながしま みちこ、1970年9月26日 - )は、日本の元女子プロレスラー。身長164cm、体重62kg。血液型A型。群馬県渋川市出身。現在はプロレスを引退し看護師として活躍している。夫は元プロレスラーのYOSHIYA。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
アジャコング(本名: 宍戸 江利花〈ししど えりか〉、197… アジャコング(本名: 宍戸 江利花〈ししど えりか〉、1970年9月25日 - )は、東京都立川市出身の女子プロレスラー、タレント、女優。血液型O型。芸能活動はWAHAHA本舗に所属。100kgを超える体重から繰り出すパワフルなファイトが特徴。女子プロレスラーの中でもレジェンドと言われる重鎮の一人。 父親が米軍立川基地に勤務していたアフリカ系アメリカ人で、母親は日本人。「江利花」という名前は父親がエリカ属の花から命名した。両親は事実婚だったが、幼少時に父の突然の本国召還のため離別を余儀なくされ、母子家庭に育つ。母は、父との関係を良く思わない親族全てから絶縁されていた。小学5年生の時に立川市から昭島市へ転居。
小島 聡(こじま さとし、1970年9月14日 - )は、日… 小島 聡(こじま さとし、1970年9月14日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都江東区出身。新日本プロレス所属。血液型A型。 オレンジを基調としたコスチュームがトレードマーク。全日本プロレス時代はヒールユニット「VOODOO-MURDERS」に加入した際に黒と赤を基調としたコスチュームがトレードマークだった。 実兄にハードコア・パンクバンド「鉄アレイ」のヴォーカリストのBUTA-MANがいる。 学生時代に格闘技のバックボーンを持たず、一度はノーリツに就職したものの退職しアニマル浜口ジムでトレーニングを積み、1991年2月に新日本プロレスに入門。なお、小島の脱サラのきっかけは失恋だった。同年7月、山本広吉(後の天山広吉)戦でデビュー。
なべやかん(1970年〈昭和45年〉8月22日 - )は、日… なべやかん(1970年〈昭和45年〉8月22日 - )は、日本のお笑いタレント・俳優・演出家・プロレスラー・元パワーリフティング日本代表。所属事務所はゴッデス・エンターテイメント。身長156cm。東京都出身。 本名は渡辺 心(わたなべ しん)。なべおさみ・笹るみ子夫妻のもとに出生。姉がひとりいる。 平子理沙とは成城学園初等学校の同級生(小学4年生まで)。雨宮塔子と鶴田真由、中山泰秀は成城学園高等学校の同級生。なお、高校3年で留年し、大西祥平と同じクラスになった。中学・高校時代はラグビー部に所属していた。 芸名のなべは父の芸名から、やかんは明大二部(=夜間学部)商学部の裏口入学に失敗したことを、「なべ」と同じく台所道具である「やかん」に引っ掛けて命名。
ドレイク森松(ドレイクもりまつ、1970年8月21日 - )… ドレイク森松(ドレイクもりまつ、1970年8月21日 - )は、日本の女子プロレスラー。本名:森松 由紀(もりまつ ゆき)。 中学までは柔道、高校でレスリングに転向。1988年の第2回全日本女子選手権70kg級で3位に入る。 2019年、大阪に立ち呑みスタイルの沖縄料理の店「立ち呑み処 て〜げ〜家」をオープンし、自ら調理場に立っている。 2024年、新店舗として「#テーゲーヤー2nd」を開店。旧店舗は譲渡。 2005年8月4日、元プロレスラーの東城えみ(元バンビプロモーション所属)とのシングルが「負けたらアダルトビデオ出演」という条件で行われ、森松が勝利、試合後に敗北した東城えみのAV撮影がリング上で行われた。
上野 幸秀(うえの ゆきひで、1970年7月19日 - )は… 上野 幸秀(うえの ゆきひで、1970年7月19日 - )は、日本のプロレスラー。覆面レスラーとしてのリングネームは超電戦士バトレンジャー(ちょうでんせんしバトレンジャー)。 FMWの1期生。同期にはフライングキッド市原と三宅綾がいる。同団体旗揚げから暫くレフェリーを務めた後、1990年1月17日、熊本県・熊本小国ドームでの、ザ・シューター2号(正体は三宅綾)との異種格闘技戦でレスラーとしてデビュー。 FMWの「なんでもあり」の興行精神により、キックボクサーである上田勝次とは異種格闘技戦を行い、パンダの着ぐるみを着たレスラーレイ・パンディータ戦では、コミカルな試合展開をするなど、プロレスの幅は広かった。
アステカ(1970年7月16日 - )は、アステカをモチーフ… アステカ(1970年7月16日 - )は、アステカをモチーフにした日本の覆面レスラー。長崎県長崎市出身。福岡県福岡市南区在住。コミックプロレス用の別キャラクター「ハラキリ・ハカタ」としても活動している。
ドン・フジイ(Don Fujii、1970年7月6日 - )… ドン・フジイ(Don Fujii、1970年7月6日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名:藤井 達樹(ふじい たつき)。大阪府箕面市出身。DRAGON GATE所属。血液型A型。 北の湖部屋所属の元大相撲力士であり力の海(りきのうみ)の四股名で最高位は三段目51枚目。二枚目レスラーが多いDRAGON GATEにおいて「おっさん」臭いキャラクターで人気を集めている。通称「フジイさん」。 中学卒業後、北の湖部屋に入門し、1986年7月場所初土俵、1995年9月場所を最後に引退。本人の言によると「10年やってダメなら辞めようと思っていた」とのこと。入門した同期に幕内・北桜がいる。 力士廃業後に天龍源一郎が率いるWARでアルバイトとして営業業務を勤める(このときの経験は、現在チケットの営業として活かされている)が、闘龍門の1期生の募集を知り、応募してメキシコへ渡る。
長谷川 咲恵(はせがわ さきえ、1970年6月17日 - )… 長谷川 咲恵(はせがわ さきえ、1970年6月17日 - )は、日本の元女子プロレスラー。栃木県上都賀郡出身。 リングアナウンサーのオッキー沖田と1999年に結婚し2子をもうけたが、2008年離婚。2009年時点では、宇都宮市内の花卉店で働いている。
杉浦 貴(すぎうら たかし、1970年5月31日 - )は、… 杉浦 貴(すぎうら たかし、1970年5月31日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、アマチュアレスリング選手。愛知県名古屋市出身。プロレスリング・ノア所属。元自衛官。血液型B型。ユニットはTEAM 2000X 高校卒業後、自衛隊に入隊しレスリングを本格的に始める。レスリング選手としては3度の国体優勝の他、1995年の全日本選手権優勝、1996年のアジア選手権4位といった実績を持つ。 後にプロレスラーに転向し、2000年に新団体プロレスリング・ノア初の新人選手として30歳でノア 生え抜き 第1号としてプロデビューした。 プロレスリング・ノアのグローバル・オナード・クラウン(GHC)を冠した5王座全てを獲得(グランドスラムを達成)した初の選手である。
モンゴルマン(1970年4月28日 - )は、日本のプロレス… モンゴルマン(1970年4月28日 - )は、日本のプロレスラー、格闘家。本名:斉藤 俊一(さいとう しゅんいち)。 1991年8月、東京・後楽園ホールで行われた世界格闘技連合W★INGの旗揚げでの対ジェット・ジャガー戦にてデビュー。 ジェット・ジャガーが、旗揚げ前の宣伝で、有名な格闘家の変身であるかのような扱われ方をされたため、その対戦相手として過度の期待をされてしまうが、実際の試合はお世辞にもレベルが高い試合とは言えず、観客から失笑される(これについては、後にモンゴルマン本人が、「プロレスのリングに上がるために無理なウエイトアップを行ったため、動きが鈍くなってしまった」と発言している)。 W★INGにはその一戦のみの登場となり、その後、フリーランスとしてIWA格闘志塾等のインディー団体に活動の場を移し、喧嘩プロレス二瓶組に所属した後、現在はサンライズねわざワールド所属。
紅夜叉(くれないやしゃ、1970年4月23日 - )は、日本… 紅夜叉(くれないやしゃ、1970年4月23日 - )は、日本の元女子プロレスラー。本名:椿 留美(つばき るみ)、旧姓・旧リングネーム:安田 留美(やすだ るみ)。身長162cm、体重65kg、福井県小浜市出身。最終所属はLLPW。 幼少期はプロレスが大嫌いであったが、テリー・ファンクの試合をたまたま見てプロレスが好きになった。中学時代は毎日プロレスごっこをしており、授業中にノートに好きなプロレスラーの名前を1位から10位まで書いたり技の名前を書いたりして一日を過ごしていた。 高校を1年で中退し、上京してジャパン女子プロレスの練習生となり、蕎麦屋でアルバイトをしながら一人暮らしをした。 1989年12月1日、後楽園ホール大会での対北村真美戦で、本名の安田留美でリングにデビュー。
SAITO(サイトー、1970年4月9日 - )は、日本のプ… SAITO(サイトー、1970年4月9日 - )は、日本のプロレスラー。覆面レスラーとしてのリングネームはスペル・シーサー。本名:斉藤 義之(さいとう よしゆき)。 みちのくプロレスに入門するがデビュー前に退団してメキシコへ渡る。 1994年7月3日、メキシコで覆面レスラー「スペル・シーサー」としてデビュー。 1998年、闘龍門に入団。 1999年1月31日、闘龍門JAPAN後楽園ホール大会でSAITOとして素顔になって再デビュー。 2001年10月28日、闘龍門JAPANディファ有明大会で引退試合が行われた。引退後は闘龍門JAPANのインストラクターに転身。12月10日、闘龍門JAPAN駒沢オリンピック公園屋内球技場大会でSAITOの弟子を名乗るスペル・シーサーがデビューしているが、シーサーの声がSAITOに似ていることやSAITOの過去の活動歴から同一人物疑惑が絶えなかった。
小金井 幸子(こがねい さちこ、1970年4月6日 - )は… 小金井 幸子(こがねい さちこ、1970年4月6日 - )は、日本の元女子プロレスラー。ジャパン女子プロレスに所属していた。 身長161cm、体重60kg、血液型O型。埼玉県上福岡市(現・ふじみ野市)出身。上福岡市立第一中学校(現・ふじみ野市立福岡中学校)卒業。私立埼玉栄高等学校の進学が決まっていたが、ジャパン女子プロレスへの入団テストに合格したため、埼玉栄高等学校の進学を断念した。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。
山川 竜司(やまかわ りゅうじ、1970年4月2日 - )は… 山川 竜司(やまかわ りゅうじ、1970年4月2日 - )は、日本の元プロレスラー。 本名、山川 征二(やまかわ せいじ)。北海道川上郡弟子屈町出身。身長176.5cm、体重90kg。大日本プロレス所属。 1994年10月25日、神奈川・南足柄市体育センター、対ポイズン澤田戦にてデビュー。 以後、NOW(1994年)、東京プロレス(1994年 - 1995年)、大日本プロレス(1995年 - )と、活躍の場を移してきた。 リングネームの改名歴は、本名でデビューの後、1996年8月に「竜司山川」と改名したがすぐに現在の「山川竜司」へ改名した。 「不死身」という言葉を「不自身」と間違えて書いてしまい、以降彼の通り名として定着してしまった。
臼田 勝美(うすだ かつみ、1970年3月17日 - )は、… 臼田 勝美(うすだ かつみ、1970年3月17日 - )は、日本の元プロレスラー。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
高阪 剛(こうさか つよし、1970年3月6日 - )は、日… 高阪 剛(こうさか つよし、1970年3月6日 - )は、日本の元男性総合格闘家、プロレスラー。滋賀県草津市出身。ALLIANCE主宰。元スーパーヘビー級キング・オブ・パンクラシスト。マウントポジションを取られた状態から脱出する技「TKシザース」の開発者として知られる。先祖は戦国武将の高坂昌信。 幼い頃は兄弟でプロレスごっこをしてよく遊んでおり、常に兄達に勝つ事ばかり考えていた。そんな事がきっかけになり、中学生の頃に柔道を始める。正強高等学校(現・奈良大学附属高等学校)、専修大学(全日本プロレスの秋山準は同級生で友人)、東レと柔道部に所属。柔道をバックボーンにリングスに入団。同期には坂田亘がいる。
井上 雅央(いのうえ まさお、1970年3月6日 - 、男性… 井上 雅央(いのうえ まさお、1970年3月6日 - 、男性)は、日本の男性プロレスラー、トレーナー。山梨県中央市出身。血液型O型。OSWスタイル・レスリング所属。 中学高校時代はハンドボール部に所属していた。学生時代のあだ名は「がまお」である。同郷のジャンボ鶴田に憧れてプロレス入りを熱望し、1990年春、鶴田の後援会関係者の口添えでジャイアント馬場と面談し全日本プロレス入りを果たした。 1991年4月4日、百田光雄をパートナーに迎えたリチャード・スリンガー&浅子覚戦でデビュー。1999年に本田多聞とのコンビでアジアタッグ王座を獲得した。 2000年、三沢光晴が旗揚げしたプロレスリング・ノアに移籍する。
浅生 恭子(あそう きょうこ、1970年2月26日 - )(… 浅生 恭子(あそう きょうこ、1970年2月26日 - )(Kyoko Aso) は、日本の元女子プロレスラー。身長170cm、体重68kg、血液型A型。埼玉県戸田市出身。ニックネームはきっこ。兄は戸田市議会議員のあそう和英。 特にデビル雅美に新人オーディション時から才能が買われ、期待されていた。 自宅が美容室であり、引退後は美容師になろうと考えていたが、詳細は不明。引退直後は実家の経営する喫茶店を手伝ったり、一方でタレントを目指している姿が雑誌に取り上げられていた。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
望月 成晃(もちづき まさあき、1970年1月17日 - )… 望月 成晃(もちづき まさあき、1970年1月17日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都江東区出身。DRAGON GATE所属。血液型B型。DRAGON GATEでのリングネームは望月 マサアキ。 足立高等学校(現:足立学園高等学校)卒業。1994年1月21日、WAR後楽園ホール大会でデビュー(望月のブログ「マサにモチヅキ」では、「北尾道場(後に武輝道場に改名)旗揚げ戦です。週プロの選手名鑑が間違えたんだよな(苦笑)」と語っている)。対戦相手は後にタズとなるピート・タンジーロであった。この頃はまだ岡村隆志、TARUとともに北尾光司率いる武輝道場の一員であった。その後もフリーとして格闘探偵団バトラーツ、みちのくプロレスなど10以上の団体で活動していた。
髙木 三四郎(たかぎ さんしろう、1970年1月13日 - … 髙木 三四郎(たかぎ さんしろう、1970年1月13日 - )は、日本の男性プロレスラー、実業家。血液型A型。DDTプロレスリング所属。本名:髙木 規(たかぎ ただし)。大阪府豊中市出身。 DDTプロレスリングとプロレスリング・ノアを傘下に持つ株式会社CyberFight(サイバーファイト)の元代表取締役社長で、2025年現在は取締役副社長。また日本プロレスリング連盟代表理事も務める。 高木の幼少期は、テレビ好きで活発な性格の子供であった。ある日父親が勤務するテレビ局のスタジオを訪れた際、制作現場に触れ、その裏方の世界に強く魅了されるようになったという。 また「オープンタッグ選手権」のザ・ファンクスvsアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク戦をきっかけとしてプロレスに興味を持ち、教室ではプロレスごっこをしていた。
296(ニグロ、1969年12月20日 - )は、日本のプロ… 296(ニグロ、1969年12月20日 - )は、日本のプロレスマネージャー、プロレスラー、プロレス解説者、イベント機材オペレーター、俳優、実業家。本名:上原 洋(うえはら ひろし)。 マスター・D・296やBIG DICK 296の名で大阪プロレスに旗揚げ初期から所属。ヒールユニット「LOV(エル・オー・ヴィ)」のマネージャーとして活躍した。のちディック東郷らとともに大阪プロレスを退団。 大阪プロ退団後はみちのくプロレスに参加し、296の名前でヒールユニット「F.E.C」のマネージャーになる。 2003年、KAIENTAI DOJOに入団。上原洋の名でコミッショナーに就任。 2005年1月10日、K-DOJO後楽園ホール大会で真霜拳號、KAZMAと共にヒールユニット「勤王党」を結成と同時にコミッショナーを辞任。
田村 潔司(たむら きよし、1969年12月17日 - )は… 田村 潔司(たむら きよし、1969年12月17日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家。本名・旧リングネーム:田村 潔(読み同じ)。岡山県岡山市出身。U-FILE CAMP主宰。GLEATエグゼクティブディレクター。初代、第3代リングス無差別級王者。 幼い頃、藤波辰巳に憧れてプロレスラーを志す。岡山理科大学附属高等学校では相撲部に所属して国体に出場。卒業後、1988年に第2次UWFの入団テストを受けて合格し、1989年5月21日に鈴木実(現:鈴木みのる)戦でデビューを果たした。新人の頃は前田日明、高田延彦、山崎一夫の付き人を行っていたが、付き人としての忙しさは「もう体が3つ欲しかった」と語るほどであった。
三澤 威(みさわ たけし、1969年11月28日 - )は、… 三澤 威(みさわ たけし、1969年11月28日 - )は、日本の元プロレスラー、現メディカルトレーナー兼トレーニングディレクター。新日本プロレス所属。秋田県大館市出身。血液型はA型。 1989年10月22日、新日本プロレスで、vs松田納戦にてデビューしたが、1990年12月1日の後楽園ホール「夢☆勝ちます」興行で獣神ライガーの浴びせ蹴りを受け頸椎損傷、その後一度は復帰したものの再度欠場、結局完治することなく引退。 現在は、新日本プロレスのメディカルトレーナー兼トレーニングディレクターを務める傍ら、等々力にミサワ整骨院を開業している。また2008年にはミサワ整骨院を主な拠点とするトレーナー育成団体として「新日本メディカルトレーナー協会」を設立し、同協会の理事長を務めている。
木村 浩一郎(きむら こういちろう、1969年11月18日 … 木村 浩一郎(きむら こういちろう、1969年11月18日 - 2014年10月28日) は、日本のプロレスラー、総合格闘家。 大東文化大学在学中の1989年、サブミッション・アーツ・レスリング(S.A.W.)に入門して格闘家としての活動をスタートした。1990年、FMWに参戦。7月18日の岡崎市体育館興行における三宅綾戦でプロレスデビュー。その後W★INGに参加し、柔道の徳田光輝、空手・誠心会館の齋藤彰俊らと共に格闘三兄弟の一人として活躍した。1991年にはリングスに参戦。5月11日の旗揚げ戦でSAWルールの試合を行い、12月7日からはリングスルールでの試合を行った。 1992年に大学を卒業、1994年には新格闘プロレス所属となり、1995年に西日本プロレスに所属後フリーとなった。
キューティー鈴木(キューティーすずき、本名:原嶋 由美 - … キューティー鈴木(キューティーすずき、本名:原嶋 由美 - はらしま ゆみ、旧姓:鈴木、1969年10月22日 - )は、日本の元女子プロレスラー、タレント・女優。埼玉県出身、川口市立十二月田小学校、川口市立十二月田中学校卒業、川口市立川口女子高等学校中退。
大森 隆男(おおもり たかお、1969年10月16日 - )… 大森 隆男(おおもり たかお、1969年10月16日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都世田谷区出身。保善高等学校、城西大学卒業。血液型B型。 幼少時よりプロレス好きで、プロレスラーになれずともプロレスに関わる仕事をしたいという夢を抱いていた。 城西大学時代はアメリカンフットボールの選手として活動。アニマル浜口ジムで身体を鍛えた後、全日本プロレスに入門する。端正な顔立ちで、かつ恵まれた体格をしていたが、入門後はなかなか芽が出ず人の良すぎる性格もあり伸び悩み、苦しい日々が続いた。 一時は、秋山準とのタッグでアジアタッグ王座を獲得(連続防衛回数歴代2位)、スタン・ハンセンからパートナーとして指名されるなど、徐々に力を付けていった。
秋山 準(あきやま じゅん、1969年10月9日 - )は、… 秋山 準(あきやま じゅん、1969年10月9日 - )は、日本のプロレスラー、実業家。本名:秋山 潤(あきやま じゅん)。大阪府和泉市出身。全日本プロレス所属。本名の秋山潤の名義で全日本プロレス運営会社「オールジャパン・プロレスリング株式会社」および有限会社アキヤマ・インターナショナル・コミュニケーションの代表取締役社長を務める。
ディック東郷(ディックとうごう、1969年8月17日 - )… ディック東郷(ディックとうごう、1969年8月17日 - )は、日本のプロレスラー。本名:佐藤 茂樹(さとう しげき)。
中川 達彦(なかがわ たつひこ、1969年7月29日 -)は… 中川 達彦(なかがわ たつひこ、1969年7月29日 -)は、日本の空手家、プロレスラー。東京都出身。空手家としては打撃武道我円所属。プロレスラーとしては王子キツネ空手軍所属。 2008年8月31日、喧嘩イベント・Shibuya CLUB ATOM「KRUNCH」に出場しプロデビュー(ハンマー・ミノル戦)。40歳でデビューしたため、異名は“史上最強中年”であった。2009年8月23日、東京・多摩永山情報教育センター多目的ホールにて行われた「山本喧一プロデュース TFC タイタン・ファイティング・チャンピオンシップ5〜無差別級オープントーナメント〜」にうなぎ拳法使いとして参戦。この時点での競技歴は「キックボクシング1年、柔道6年、KRUNCH4回、ナイトキング1回、空手2回」というものであった。
山元 真由美(やまもと まゆみ、1969年7月23日 - )… 山元 真由美(やまもと まゆみ、1969年7月23日 - )は、日本の元女子プロレスラー。身長165cm、体重63kg、血液型O型。広島県大竹市出身。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:スポーツ/PJ:スポーツ人物伝)。
ザ・グレート・サスケ(The Great Sasuke、19… ザ・グレート・サスケ(The Great Sasuke、1969年7月18日 - )は、日本の男性覆面レスラー、元政治家、元岩手県議会議員(1期)。本名:村川 政徳(むらかわ まさのり)。岩手県盛岡市出身。血液型O型。 ウルティモ・ドラゴン、スペル・デルフィンと並びジャパニーズ・ルチャの立役者の1人。 歌舞伎の隈取りをモチーフとしたマスクを着用しており、普段は赤い隈取りだがヒール転向時は青い隈取りのマスクを着用しSASUKEと名乗る。自ら所属レスラーとして精力的にリングに上ると同時に、みちのくプロレス株式会社代表取締役社長を2003年まで務め、岩手県議選当選後に取締役会長に退いたが、2009年8月に社長へ復帰。
石井 美紀(いしい みき、1969年7月18日 - )は、日… 石井 美紀(いしい みき、1969年7月18日 - )は、日本の女子プロレスラー。元自衛隊員。 身長156cm、体重50kg、血液型A型。千葉県船橋市出身。 2007年2月9日付で、実娘のきのこと共に我闘姑娘からアイスリボンに移籍後、2008年2月をもって引退した。
桜庭 和志(さくらば かずし、1969年7月14日 - )は… 桜庭 和志(さくらば かずし、1969年7月14日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、日本ブラジリアン柔術連盟スペシャルアドバイザー。ハイタイド所属。秋田県南秋田郡昭和町(のちの潟上市)出身。UFC-Jヘビー級トーナメント優勝。UFC殿堂入り。 1997年にUFC Japanのヘビー級トーナメントで優勝。1998年以降、PRIDEなどで総合格闘家として活躍し、2012年にプロレスラーに転向。2017年に日本人として初のUFC殿堂入り。2018年に寝技格闘技イベントQUINTETを創設し、同イベントの運営会社「ラバーランド」の代表を務めている。 小学生のころにタイガーマスクに憧れ、レスリングの名門秋田市立秋田商業高等学校のレスリング部に入部、1987年の学校対抗戦では5番手の70kg級で活躍し全国高校選抜3位、高校総体準優勝 、個人では全国高校生グレコ選手権で3位入賞の実績を残す。
富豪富豪夢路(ふごふご ゆめじ、1969年6月21日 - )… 富豪富豪夢路(ふごふご ゆめじ、1969年6月21日 - )は、日本のプロレスラー、デザイナー、タレント、俳優、ボビナムマスター。本名: 藤崎 忠博(ふじさき ただひろ) デザイナーとしてはプロレスリングZERO-ONE、ロッテモーフィングソルジャーガム、ビックリマンチョコ2000、アケボノステーキのロゴマーク、日本相撲協会公認による朝青龍、白鵬、琴欧州、日馬富士のグッズを手掛けた。 フジオ・プロダクションで、赤塚不二夫のアシスタントを務めた漫画家の竹中健治は叔父にあたる。 一般社団法人「日本ボビナム協会」で日本におけるベトナム武道「ボビナム」の普及を務めている。マスターの称号は指導者資格を持つ者のみに世界ボビナム協会から与えられている。
入江 秀忠(いりえ ひでただ、1969年6月17日 - )は… 入江 秀忠(いりえ ひでただ、1969年6月17日 - )は、日本の男性総合格闘家、プロレスラー、パーソナルトレーナー. 福祉施設のケアマネージャーや、企業投資家としての側面もある。キングダムエルガイツ代表、総合格闘技ジム聖蹟桜ヶ丘ファーストスピリット代表。総合格闘技ジムキングダム立川コロッセオ代表。キングダムネットワーク(聖蹟桜ヶ丘、立川、府中 -SEVEN SPIRIT-、日野 -SHINSENGUMI-、対馬、札幌、横浜、目黒、福生、国分寺、稲城若葉、沖縄那覇-栄町道場-各支部)総代表。 2016年3月には『ららぽーと立川立飛』内に格闘技教室を進出させた。同団体を旧キングダムの戦いの聖地であった代々木第2体育館に進出させる夢を持っている。
折原 昌夫(おりはら まさお、1969年6月16日 - )は… 折原 昌夫(おりはら まさお、1969年6月16日 - )は、日本のプロレスラー。 タイガーマスク(初代)に憧れてプロレスラーになることを志す。 1988年4月、関東学園大学附属高等学校卒業後、東京三洋電機に入社して設計部に配属されて実業団レスリング部に所属。 1989年、全日本プロレスに入門。天龍源一郎の付き人を務める。この頃から師である天龍からトンパチの異名を付けられる。 1990年2月22日、全日本プロレス浜松市体育館大会の対菊地毅戦でデビュー。7月、SWSに移籍。 1992年6月19日、SWSが解散。6月28日、WARに入団。 1993年5月から6月、新日本プロレスで開催された「TOP OF THE SUPER Jr.」に出場。
志賀 悟(しが さとる、1969年6月11日 - )は、日本… 志賀 悟(しが さとる、1969年6月11日 - )は、日本のプロレスラー。新潟県十日町市出身。初代から受け継ぎ3代目となる現在のリングネームはミスター・ポーゴ。 独創的なプロレスムーヴは特に持っていないが、スタンダードな技を中心とした王道プロレスのようなパワースタイルで戦っているためストロングスタイルにも対応できる幅の広さを持つ。 今までに用いたことのあるリングネーム 1 ザ・グレート・ポーゴ / 2 松永光弘 / 3 シャドウWX / 4 アブドーラ・ザ・ブッチャー / 5 シャドウWX / 6 山川竜司 / 7 シャドウWX / 8 山川竜司 / 9 本間朋晃 / 10 ザンディグ 11 本間朋晃 / 12 ザンディグ / 13 松永光弘 / 14 ザンディグ / 15 金村キンタロー / 16 伊東竜二 / 17 アブドーラ小林 / 18 佐々木貴 / 19 伊東竜二 / 20 佐々木貴 21 "黒天使"沼澤邪鬼 / 22 伊東竜二 / 23 シャドウWX / 24 宮本裕向 / 25 伊東竜二 / 26 アブドーラ小林 / 27 石川修司 / 28 木髙イサミ / 29 伊東竜二 / 30 宮本裕向 31 アブドーラ小林 / 32 伊東竜二 / 33 星野勘九郎 / 34 アブドーラ小林 / 35 高橋匡哉 / 36 竹田誠志 / 37 高橋匡哉 / 38 木髙イサミ / 39 アブドーラ・小林 / 40 伊東竜二 41 藤田ミノル / 42 塚本拓海 / 43 ドリュー・パーカー / 44 宮本裕向 / 45 ドリュー・パーカー / 46 神谷英慶 / 47 アブドーラ小林 / 48 石川勇希 / 49 マッドマン・ポンド / 50 石川勇希 51 神谷英慶 / 52 アキラ / 53 伊東優作 / 54 アブドーラ・小林
ムーン章子(ムーン あやこ、本名:月井 章子、1969年6月… ムーン章子(ムーン あやこ、本名:月井 章子、1969年6月10日 - )は、日本の元女子プロレスラー。身長166cm、体重65kg、血液型AB型。埼玉県川口市出身。ジャパン女子プロレス所属。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
サバイバル飛田(サバイバルとびた、1969年6月1日 - )… サバイバル飛田(サバイバルとびた、1969年6月1日 - )は、日本のプロレスラー。本名:飛田 将(とびた まさる)。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
Cooga(クーガ、1969年5月19日 - )は、日本の元… Cooga(クーガ、1969年5月19日 - )は、日本の元女子プロレスラー。近年は一般の仕事をしながら、女子プロレスの記念興行やYoutubeなどで時々公に姿を現す。結婚と離婚を2度繰り返し、現在は独身で成人した子供が1人いる。 1986年9月25日、全日本女子プロレス大宮スケートセンター大会で神谷美織として対高橋美香戦でデビュー。 1992年12月13日、引退。 1996年4月14日、ヴェルファーレで開催された吉本女子プロレスJd'旗揚げ戦で覆面レスラー「Cooga」として参戦。最後まで「正体不明」を貫いたが、そのためタッグマッチではマスクを脱がされると、そのまま素顔を隠して戦闘不能になってしまい、結果パートナーを見殺しにしてしまうことも多く、中期から後期にかけてのタッグマッチでは明らかにパートナーを孤立させることを狙った相手チームにマスクを剥がされることが多かった。