スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
鈴木 陽成(すずき ひなせ、2004年12月22日 - )は… 鈴木 陽成(すずき ひなせ、2004年12月22日 - )は、秋田県秋田市出身のプロサッカー選手。東北社会人サッカーリーグ・福島ユナイテッドFCセカンド所属。ポジションはミッドフィールダー。 切れ味抜群のドリブルが持ち味のサイドハーフ。 ブラウブリッツ秋田U-18在籍中の2022年、2種登録選手としてトップチームに登録された。6月1日、天皇杯2回戦の東京ヴェルディ戦で途中出場し、同じくU-18所属の佐藤旺雅、大友侑也、岸部倖と共にトップチームデビューを果たした。2023年トップチームに昇格、トラップの位置や足首の向きなど、細かい部分の精度にアマチュアとの差を感じている。2023年2月1日の新潟との練習試合でアシストを記録して勝利し、他のトレーニングマッチでは1ゴールした。
成田 翔(なりた かける、1998年2月3日 - )は、秋田… 成田 翔(なりた かける、1998年2月3日 - )は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 保戸野小学校4年生から野球をスタート。秋田東中学校では軟式野球部に所属していた。中学時代の同学年のチームメイトに石井大智がおり、それまでエースだった石井から、3年生のときにエースの座を奪っている。 秋田商業高等学校進学後は、1年の夏は控え投手として第95回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦の富山第一高校戦にリリーフで登板し、2回を無失点3奪三振と結果を残した。2年の秋からエースとしてチームを引っ張り、3年の夏の秋田県大会では準々決勝の西目高校戦で9回16奪三振、続く秋田工業戦では9回14奪三振、そして決勝の秋田南高校戦では9回9奪三振完封、県大会は39回を投げ55奪三振の好投で甲子園出場を決めた。
船川 琢之介(ふなかわ たくのすけ、1996年8月11日 -… 船川 琢之介(ふなかわ たくのすけ、1996年8月11日 - )は、秋田県秋田市出身のサッカー選手。ポジションはフォワード(FW)。東北社会人サッカーリーグ・ブランデュー弘前FC所属 秋田商業高校から2015年にブラウブリッツ秋田に入団した。高卒選手としての加入はクラブ史上初であった。 2017年、北信越フットボールリーグ1部のアルティスタ東御に期限付き移籍。2018年1月、ブラウブリッツ秋田、アルティスタ東御ともに契約満了を発表。 2018年2月、高知ユナイテッドSCへの移籍が発表された。 2020年をもって高知ユナイテッドSCを退団。 2021年、東北社会人サッカーリーグ1部のブランデュー弘前FCに移籍。
佐々木 孔明(ささき こうめい、1994年12月 - )は日… 佐々木 孔明(ささき こうめい、1994年12月 - )は日本の実業家。株式会社レッドクリフ代表取締役。日本でのドローンショーのスペシャリストとして知られる。ドローンショーで描く「ディスプレイの大きさ」で高巨創新とともにギネス世界記録を持つ。 1994年12月、秋田県秋田市生まれ。秋田商業高校を卒業後、関東学院大学 建築・環境学部へ入学。2016年に2年間の休学を使いドローンとともに世界一周の旅に出る。世界一周を2回、アメリカ縦断、フィジー留学など世界各国を周る。帰国後、大学を中退しドローン世界最大手DJIの日本一号店に勤務。ドローンの販売・講習・空撮などを担当。 2019年、「株式会社レッドクリフ」を設立。
池田 萌子(いけだ もえこ、1993年6月27日- )は、日… 池田 萌子(いけだ もえこ、1993年6月27日- )は、日本の女優である。秋田県秋田市出身。jungle所属。 秋田商業高校を経て中央大学卒業。高校時代からラジオなどメディア出演。高校時代には生徒会長も務めた。 2014年、マニンゲンプロジェクト『I was born.』にて初舞台、女優として活動を開始。 2015年に戸田彬弘作・演出の舞台『川辺市子のために』に出演。再演時にも同じ配役で抜擢され、その後、ぬいぐるみハンタープロデュース公演『野良な犬ほど夜光る』 などに出演。 大学卒業後、本格的に女優活動を開始。特撮ドラマ『ウルトラマンオーブ』ではゼットン星人扮する真渡子役を演じた。 女優としての所属は長らくフリーランスであったが、2018年7月よりjungle所属。
斎藤 純平(さいとう じゅんぺい、1992年12月27日 -… 斎藤 純平(さいとう じゅんぺい、1992年12月27日 - )は、秋田県出身のサッカー選手。ポジションはMF。 秋田商業高校から駒澤大学を経て、2015年にブラウブリッツ秋田に加入。 2015年シーズン限りで、契約満了となった。 2016年からは、秋田FCカンビアーレでプレー。
下田 光平(しもだ こうへい、1989年4月8日 - )は、… 下田 光平(しもだ こうへい、1989年4月8日 - )は、秋田県秋田市仁井田出身の元サッカー選手。ポジションは主にミッドフィールダー(MF)。 小学校3年生時に 地元・秋田のスポーツ少年団でサッカーを始め、中学生時に所属したFCあきたでボランチに転向。3年生時に高円宮杯全国大会に出場。秋田商高在学時には、恵まれた体格に身体能力と当たりの強さを備え、ダイナミックなプレーぶりから「みちのくの稲本」と呼ばれていた。 2008年、名古屋などとの争奪を経てFC東京へ入団。入団会見では「目標とする選手は今野泰幸」とコメント。同年の公式戦出場機会は掴めなかったが、サテライトや練習試合ではチームのレギュラー選手相手に、守備から攻撃の第一歩となるプレーが通用する所を見せた。
熊谷 智哉(くまがい ともや、1988年3月25日 - )は… 熊谷 智哉(くまがい ともや、1988年3月25日 - )は、秋田県出身のサッカー選手。ポジションはFW。
佐藤 剛士 (さとう つよし、1986年5月16日 - )は… 佐藤 剛士 (さとう つよし、1986年5月16日 - )は、秋田県秋田市上新城出身の元プロ野球選手(投手)。 秋田商業高校では1年からベンチ入りし、3年春夏に甲子園出場。ダルビッシュ有、木村正太らと並び称され、東北ビッグ3とも呼ばれていた。なお、「肘や肩に負担をかけさせないように」という監督の方針から、高校時代まで試合で変化球はカーブしか投げなかったという。 2004年のドラフトで、最速150キロのストレートが評価され、1巡目で広島東洋カープに入団した。 2年目の2006年、一軍の先発が足りない事情から、当時、二軍の先発ローテーションだった佐藤に白羽の矢が立った。4月20日の横浜戦でプロ初登板初先発をするも、3回途中9失点で降板し敗戦投手となった。
高田 由香(たかだ ゆか、1985年3月29日 - )は、日… 高田 由香(たかだ ゆか、1985年3月29日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、ラジオパーソナリティ。元女性ボーカルダンスユニット『rhythmic』のボーカリスト。秋田県出身。血液型はA型。 秋田県出身。秋田市立秋田商業高等学校卒業。テレビ東京『ウェルカムTV』ダンス&ボーカル・プロジェクトにてボーカル部門グランプリを受賞し、ユニット『rhythmic』を結成。2010年6月16日、R and Cよりメジャーデビュー。デビューシングルのC/W『ONE WAY』の作詞も担当している。2012年5月にrhythmic解散後はソロ活動として地元秋田や東京、福岡などを中心にシンガーソングライター、パーソナリティ、声優、タレント、モデルとして活動。
加賀 健一(かが けんいち、1983年9月30日 - )は、… 加賀 健一(かが けんいち、1983年9月30日 - )は、秋田県南秋田郡天王町(現:潟上市)出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー(本職はセンターバック(CB))。 10歳の時にサッカーを始める。1999年、秋田商業高校に進学。高校2年生の時にFWからDFにコンバートされた。当時はもっぱら3バックの中央を務め、1対1の強さと攻撃参加を売りにしていた。 2002年にジュビロ磐田に入団。サテライトではスピードを活かし右のストッパーとして活躍していたが、トップチームで同ポジションを務めていた鈴木秀人からポジションを奪うことができなかった。 出場機会を求めて、2005年よりコンサドーレ札幌へと期限付き移籍。
田村 彰啓(たむら あきひろ、1982年7月27日 - )は… 田村 彰啓(たむら あきひろ、1982年7月27日 - )は、秋田県仙北郡西仙北町(現・大仙市)出身の元プロ野球選手(外野手)。 秋田商業では、1年から4番を打ち、県大会準優勝。2年秋は県大会決勝で秋田経法大付・攝津正の前に敗退し、東北大会では準々決勝で惜敗して選抜出場を逃した。3年次は主将として春の県大会決勝で摂津から本塁打を放ち優勝。夏の甲子園に出場するも初戦敗退。2000年のドラフト5位で広島東洋カープに入団。一軍出場がないまま、2005年に引退。その後、広島の二軍マネージャー補佐を務めた。
山内 友喜(やまうち ゆうき、1982年5月10日 - )は… 山内 友喜(やまうち ゆうき、1982年5月10日 - )は、秋田県出身の元プロサッカー選手。 センターバック、サイドバック、ボランチをこなせる守備のユーティリティープレイヤーとして期待されたが、トップチームでの出場はなかった。
清野 智秋(せいの ともあき、1981年9月29日 - )は… 清野 智秋(せいの ともあき、1981年9月29日 - )は、新潟県阿賀野市(旧水原町)出身の元サッカー選手である。 水原町立水原中学校卒業後、秋田市立秋田商業高等学校に単身スポーツ留学。高校時代からコンビを組んでいたMF熊林親吾と共に、2000年にジュビロ磐田へ入団。 2002年6月、生活規範に問題(多重債務による金銭問題)があると判断され、磐田から解雇される。11月からは東海リーグ1部の静岡FCに入団し、2003年は11ゴールでリーグ得点王となる。2004年、コンサドーレ札幌に移籍。2005年にはチーム一といわれたシュート技術で11月19日の京都パープルサンガ戦でハットトリックを決めるなど、チーム2位の10得点を叩き出した。
熊林 親吾(くまばやし しんご、1981年6月23日 - )… 熊林 親吾(くまばやし しんご、1981年6月23日 - )は、秋田県出身(北海道旭川市生まれ)の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィルダー。 秋田市立秋田商業高等学校では同級生に清野智秋がおり、3年連続インターハイ・全国高校サッカー選手権に出場。全国高校サッカー選手権おいては3年ともにベスト16という成績を収めた。卒業後は清野と共にジュビロ磐田へ入団。 磐田では出場機会は得られなかったが、2002年に期限付き移籍をした湘南ベルマーレでは定位置を確保し、2004年には完全移籍に移行する。 その後数々のクラブを渡り歩き、2008年に加入したザスパ草津時代には2011年10月26日の対横浜FC戦で、J1・J2通算300試合出場、2012年3月10日の対湘南ベルマーレ戦でJ2通算300試合出場を達成。
石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )… 石川 雅規(いしかわ まさのり、1980年1月22日 - )は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。東京ヤクルトスワローズ所属。 NPBフランチャイズ投手として史上初となる1年目から24年連続勝利を挙げている(2002年 - 2025年)。また、大卒の投手として史上初となる1年目から24年連続安打を記録している(2002年 - 2025年)。 秋田市立下新城小学校、秋田市立秋田北中学校卒。秋田商では2年夏の県大会は2番手投手でベスト4。秋からはエースとなり、3年春は東北大会で初戦(7回コールド)から2戦連続で完封したが準決勝は先発せずに2番手登板も敗戦。3年夏の甲子園に出場した(石川とバッテリーを組んだ、主将で捕手の太田直は現在の秋田商硬式野球部監督である)。
片山 貴光(かたやま たかみつ、1971年9月21日 - )… 片山 貴光(かたやま たかみつ、1971年9月21日 - )は、日本の陸上自衛官、元レスリング選手。秋田県出身。 秋田商業高校では全国大会出場はならなかったが、日本体育大学進学後は4年時の1993年に大学四冠を獲得。 卒業後は自衛隊体育学校所属の自衛官として競技を続ける。全日本選手権ではグレコローマン74kg級で1993年より3連覇、同76kg級で1996年から4連覇。 アトランタオリンピックでは8位入賞。シドニーオリンピックにも出場した。 引退後は第1空挺団で一般自衛官となる。 グレコローマン74kg級 グレコローマン76kg級
桜庭 和志(さくらば かずし、1969年7月14日 - )は… 桜庭 和志(さくらば かずし、1969年7月14日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、日本ブラジリアン柔術連盟スペシャルアドバイザー。ハイタイド所属。秋田県南秋田郡昭和町(のちの潟上市)出身。UFC-Jヘビー級トーナメント優勝。UFC殿堂入り。 1997年にUFC Japanのヘビー級トーナメントで優勝。1998年以降、PRIDEなどで総合格闘家として活躍し、2012年にプロレスラーに転向。2017年に日本人として初のUFC殿堂入り。2018年に寝技格闘技イベントQUINTETを創設し、同イベントの運営会社「ラバーランド」の代表を務めている。 小学生のころにタイガーマスクに憧れ、レスリングの名門秋田市立秋田商業高等学校のレスリング部に入部、1987年の学校対抗戦では5番手の70kg級で活躍し全国高校選抜3位、高校総体準優勝 、個人では全国高校生グレコ選手権で3位入賞の実績を残す。
湊 貴信(みなと たかのぶ、1965年(昭和40年)8月26… 湊 貴信(みなと たかのぶ、1965年(昭和40年)8月26日- )は、日本の政治家。秋田県由利本荘市長(2期)。元由利本荘市議会議員(3期)。 秋田県秋田市生まれ。秋田市立八橋小学校、秋田市立高清水中学校、秋田市立秋田商業高等学校卒業。1984年(昭和59年)4月、秋田経済法科大学経済学部(現・ノースアジア大学)に入学。大学1年生の冬、父親の経営する会社が倒産し、生活が一変。学費や生活費を稼ぐためアルバイトに明け暮れる。この影響で2年時に留年。 1989年(平成元年)3月、秋田経済法科大学経済学部卒業。同年4月、日産サニー秋田販売(現・日産サティオ秋田)に就職。1991年(平成3年)4月、結婚を機に由利郡岩城町(現・由利本荘市岩城二古横砂子)の鶴潟団地へ転居。
水沢 薫(みずさわ かおる、1965年2月18日 - 201… 水沢 薫(みずさわ かおる、1965年2月18日 - 2014年1月10日)は、秋田県秋田市金足出身の元プロ野球選手(投手)。 現役時代は140km/h台の速球とシュートを中心とする投球スタイルだった。 秋田商では3年夏に秋田県大会決勝で秋田経大付属に敗れるなど、全国大会への出場はなかった。素質を評価され、高校卒業後は社会人野球の河合楽器に進んでいる。1986年は都市対抗野球1回戦で完投勝利すると続くNTT北陸戦も先発したが補強の杉山孝一に2本塁打を浴びて敗れた。日本選手権では1回戦の対日本生命戦で田島俊雄に投げ勝つなど、ベスト8進出に貢献した。同年のドラフト会議で読売ジャイアンツ、阪神タイガース、ロッテオリオンズの3球団から2位で指名を受け、巨人が交渉権を獲得。
高山 郁夫(たかやま いくお、1962年9月8日 - )は、… 高山 郁夫(たかやま いくお、1962年9月8日 - )は、秋田県大館市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、コーチ。 秋田商業高校では甲子園に3回出場。2年生の時、背番号11ながらエースとして1979年夏の甲子園に出場。2回戦(初戦)で永田利則のいた広島商に敗退。 1980年は春の選抜に出場。140km/h近い速球を投げ、1回戦では玄岡正充を擁する鹿児島商工を4安打1失点に抑え完投勝利した。チームにとって19年ぶりとなった準々決勝では帝京高の伊東昭光と投げ合い、5安打2失点で完投したものの0-2で敗れた。試合途中で右足に激痛が走り大会終了後に診察を受けたところ、親指付け根付近の骨が砕けていることが判明した。
加藤 鷹(かとう たか、1959年5月1日 - )は、日本の… 加藤 鷹(かとう たか、1959年5月1日 - )は、日本のタレント・YouTuber。10-POINTに所属する元AV男優で、出演したAVは1万5千本を超える。AV男優業で築いた知名度を生かし、現在はタレント活動や著述活動を行っている。 デビュー当初は本名の「加藤正行」で活動を行っていたが、後に現在の芸名に改名。芸名が気に入って、その後、本名も「加藤鷹」と改名した。 愛称は「たかさん」。そのテクニックから、「ゴールドフィンガー」「ゴッドフィンガー」と呼ばれることも多い。 秋田県秋田市川元小川町出身。父親は警察官のOBで代書屋。母親は警察官の定期検診をやっていた看護師。5歳上の兄がいる。 1978年、秋田市立秋田商業高等学校卒業。
武藤 一邦(むとう かずくに、1959年1月20日 - )は… 武藤 一邦(むとう かずくに、1959年1月20日 - )は、秋田県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 大曲市立大曲中学校卒業。秋田商高では2年生の時、四番打者、一塁手として1975年の夏の甲子園に出場。同期の山岡政志投手(日本石油に進む)を擁し、3回戦に進出するが磐城高に敗退した。翌1976年にも中堅手として夏の甲子園に連続出場するが、2回戦で福家雅明、鈴木康友のいた天理高に延長12回サヨナラ負け。 同年に南海のドラフト1位指名を受け、当時の野村克也兼任監督が秋田まで訪れたが、進学希望のため拒否し法政大(法政短大から法大進学)に進学。東京六大学野球リーグでは、3年生の1979年秋季リーグで打率.440を記録し首位打者となる。
太田 章(おおた あきら、1957年4月8日 - )は、日本… 太田 章(おおた あきら、1957年4月8日 - )は、日本のレスリング選手(フリースタイル)。秋田県秋田市出身。血液型B型[要出典]。早稲田大学スポーツ科学部教授、日本レスリング協会強化委員、埼玉県所沢市教育委員らを歴任。
田口 光久(たぐち みつひさ、1955年2月14日 - 20… 田口 光久(たぐち みつひさ、1955年2月14日 - 2019年11月12日)は、秋田県河辺郡河辺町赤平(現在の秋田市河辺)出身。元サッカー日本代表。ポジションはGK。 秋田市立秋田商業高等学校卒業後の1973年に三菱重工サッカー部(現:浦和レッドダイヤモンズ)に入部。同年には日本ユース代表としてAFCユース選手権準優勝に貢献、翌1974年にもユース代表に選出され、同大会に出場した。所属する三菱では、正ゴールキーパーに横山謙三がいたため出場機会に恵まれなかったが、3年目の1975年にポジションを奪取、翌1976年には日本代表に選出され、代表でも正ゴールキーパーの座を確保するようになり、国際Aマッチ59試合に出場。
足利 道夫(あしかが みちお、1950年5月22日 - )は… 足利 道夫(あしかが みちお、1950年5月22日 - )は、日本の元サッカー選手。秋田県河辺郡(現秋田市河辺)出身。 三菱重工などに所属し、日本代表としてもミュンヘンオリンピック予選など、国際Aマッチ7試合に出場した。
若松 節朗(わかまつ せつろう、1949年(昭和24年)5月… 若松 節朗(わかまつ せつろう、1949年(昭和24年)5月5日 - )は、日本のテレビドラマ演出家・映画監督。 秋田県河辺郡河辺町(現・秋田市)生まれ。秋田市立秋田商業高等学校、日本大学藝術学部放送学科卒業後、TBS系のテレパックに入社。ADを経て『思春期の妻たち』(1984年、フジテレビ)などのテレビドラマを演出。 1986年にフジテレビ系の共同テレビジョンに移籍。局制作が少なかったフジの中でテレパック時代のノウハウを活かし、『あまえないでヨ!』『ラジオびんびん物語』『しゃぼん玉』などのヒットドラマを数々手がけた。 90年代は『振り返れば奴がいる』『お金がない!』『正義は勝つ』など織田裕二の主演ドラマを多数演出し、その縁で2000年、織田主演のアクション大作『ホワイトアウト』で映画監督デビューを果たす。
平沢 周策(ひらさわ しゅうさく、1949年3月5日 - )… 平沢 周策(ひらさわ しゅうさく、1949年3月5日 - )は、秋田県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFW、MF。 秋田商業高等学校3年次の高校選手権決勝で藤枝東高等学校と引き分け同時優勝、関東以北に初めて優勝旗を持ち帰った。 卒業後の1967年に日本サッカーリーグの日立製作所に入部。「走る日立」の異名で呼ばれた同サッカー部の中心選手として1960年代後半から70年代を通じて活躍した。また日本代表としても1974年のアジア競技大会を始め、国際Aマッチ11試合出場1得点を記録した。大相撲力士の春日錦は娘婿にあたる。
柳田 英明(やなぎだ ひであき、男性、1947年1月1日 -… 柳田 英明(やなぎだ ひであき、男性、1947年1月1日 - )は、日本のレスリング選手。 1947年1月1日、秋田県南秋田郡八郎潟町出身。秋田商業高校、明治大学を経て大都リッチランドに就職。 フリースタイル57kg級では全日本レスリング選手権大会で1969年から1972年まで4年連続優勝を果たし、1970年アジア競技大会(タイ・バンコク)、レスリング世界選手権では1970年、1971年と2年連続優勝を果たすなど、1964年東京オリンピックフェザー級金メダリストの渡辺長武を彷彿とさせる圧倒的な強さから「アニマル二世」の異名を付けられた。 1972年、ミュンヘンオリンピックフリー57kg級に出場、ミュンヘンでは減量に苦しみ、試合前の3日間をジュースを飲むだけという状況で本番に臨み、7試合を全勝して金メダルを獲得した。
成田 光弘(なりた みつひろ、1942年10月7日 - 20… 成田 光弘(なりた みつひろ、1942年10月7日 - 2023年10月19日)は、秋田県北秋田郡鷹巣町(現・北秋田市)出身のプロ野球選手(捕手、外野手)。 小学生の時、父親が出張のお土産にキャッチャーミットを購入し、野球を始めるきっかけになった。 しかし、当時は野球をするには充分な環境がなかったため、本格的に取り組むのは中学校へ進学してからになる。 高校進学は当初家が農家だったこともあり、秋田県立鷹巣農林高等学校を希望していたが、秋田市立秋田商業高等学校野球部の勧誘があり、秋田商業高等学校への進学を決めた。甲子園出場は計3回経験している。 秋田商業高等学校を卒業後、大毎に入団する。大毎入団の経緯としては他に大洋、西鉄、中日の計4球団から誘いがあったが、秋田商業高等学校OBの三平晴樹がいたことが決め手となった。
石戸 四六(いしど しろく、1941年6月4日 - 1980… 石戸 四六(いしど しろく、1941年6月4日 - 1980年8月2日)は、日本のプロ野球選手(投手)。秋田県大館市出身。 長男ではあるが、6月4日に生まれたことに因んで「四六」というユニークな名前が付けられた。“六四”ではないのは、父親によると「六四だと頭が重くて、下が軽いからフラフラするだろう。四六だと下が大きくて安定する。男が一生、フラフラ生きてどうするのだ」であるためという。秋田商業高校では、エースとして1957年秋季東北大会県予選決勝に進むが、金足農に完封負け。翌1958年夏の甲子園に出場。しかし初戦(2回戦)で板東英二を擁する徳島商と対戦し、自らのエラーもあり0-3で敗れた。 社会人野球の日立製作所に進み、1962年に日本鉱業日立の補強選手として都市対抗に出場。
三平 晴樹(みひら はるき、1938年7月26日 - 201… 三平 晴樹(みひら はるき、1938年7月26日 - 2016年7月25日)は、秋田県出身のプロ野球選手(投手)。 秋田市立土崎中学校卒。秋田商では、エース三浦清(慶大-日本石油-大昭和製紙)の控えにとどまる。1年上に嵯峨健四郎、1年下には佐々木吉郎がいたが、在学中に甲子園には届かなかった。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立に入団。 1957年の産業対抗野球に出場、東洋紡富田から大会新記録となる15三振を奪い一躍注目を浴びる。 1958年に大毎オリオンズに入団。1年目から一軍に上がり6月には先発として起用される。7月12日には近鉄の伊藤四郎と投げ合い初完封勝利を果たした、1960年には初の2桁勝利となる12勝を挙げ、チームのリーグ優勝に貢献、規定投球回(防御率リーグ10位)にも達する。
嵯峨 健四郎(さが けんしろう、1937年8月15日 - 2… 嵯峨 健四郎(さが けんしろう、1937年8月15日 - 2011年11月1日)は、秋田県秋田市上北手出身のプロ野球選手(投手)。 秋田商業高では、エースとして1954年秋季東北大会準決勝に進むが、盛岡商業高に敗退。翌1955年も夏の甲子園県予選を勝ち抜き、奥羽大会に進むが1回戦で盛岡工業高に敗れる。なお、高校時代の1年後輩には、後に大毎オリオンズや阪急ブレーブスなどで活躍する三平晴樹がいた。三平も高校卒業後、嵯峨と同じルートでプロ入りしている(但し、プロでチームメイトになる事は無かった)。 高校卒業後は、社会人野球の日本鉱業日立に入団。1956年の都市対抗野球にエースとして出場、準々決勝に進むが大昭和製紙に敗れる。
池田昭(いけだ あきら、1929年- )は、日本の宗教学者。… 池田昭(いけだ あきら、1929年- )は、日本の宗教学者。専門は宗教社会学。元中京大学教授。
阿部 楽方(あべ がくほう、1928年 - 2023年11月… 阿部 楽方(あべ がくほう、1928年 - 2023年11月)は、日本の魔方陣研究者。「方陣界の超人」と称されている。 高校卒業後、家業の漆業の職人となる。高校時代に秋田県秋田市の古本屋で方陣の本に出会い、それ以降漆業の傍ら方陣の研究に邁進する。 2008年には「正方形分割224魔方陣」が東京の国立科学博物館で開催された「数学 日本のパイオニアたち : 関孝和三百年祭記念」(真島秀行, 渡辺純成執筆・監修 ; 国立科学博物館展示課編集)において展示された。この展示の中で阿部楽方は唯一故人ではない。この世界最高峰の方陣はサイエンスナビゲーターの桜井進が解説している。 以下に桜井の解説をもとにした概要を記す。
加藤 一夫(かとう かずお、1925年2月18日 - 201… 加藤 一夫(かとう かずお、1925年2月18日 - 2012年10月7日)は、日本の経済学者。静岡大学名誉教授。専門はイギリスの経済・政治思想。 秋田市生まれ。秋田市商業学校(現・秋田市立秋田商業高等学校)卒業後、福島経済専門学校(現・福島大学)に進学、その後、1949年東京商科大学(現・一橋大学)卒業。秋田大学学芸学部助教授、1971年静岡大学教養部助教授、1972年教授、1977年教養部長、1982年学長、1987年定年退官、名誉教授、1991年「トマス・モアの社会経済思想」で東京経済大学経済学博士。 甥は予備校講師の今井宏。今井は「経済学者ではあるが、物静かな文学青年タイプの人で、著書にもその傾向が常につきまとった」と伯父・加藤のことを評している。
渡辺 誠太郎(わたなべ せいたろう、1922年(大正11年)… 渡辺 誠太郎(わたなべ せいたろう、1922年(大正11年)2月8日 - 2013年(平成25年)6月22日)は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手。 秋田市立土崎商業学校(現:秋田市立秋田商業高等学校)卒業後、1941年に阪神軍に入団。その後、1944年(昭和19年)に応召。 1946年から大阪タイガースに復帰。同年は開幕投手を勤め、10勝を挙げる(12敗)。同年7月26日の対パシフィック戦(阪急西宮球場、1-0で勝利)では、13時15分の開始から14時10分の終了まで試合時間が僅か55分という、日本プロ野球史上最短試合時間記録を達成した。この試合ではパシフィック先発の湯浅芳彰と投げ合い、被安打5・88球で完封勝ちした。
渡辺 敬蔵(わたなべ けいぞう、1921年 - 没年不明)は… 渡辺 敬蔵(わたなべ けいぞう、1921年 - 没年不明)は、秋田県出身の元プロ野球選手(外野手)。 秋田市立土崎商業学校(現・秋田市立秋田商業高校)では渡辺誠太郎と共に投手として活躍した。渡辺誠太郎とは後にプロ野球においてもチームメイトとなっている。卒業後の1942年に阪神軍に入団した。 シーズン途中に大洋軍(後の大洋ホエールズとは無関係)に移籍したが、同年引退した。
中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 -… 中川 利三郎(なかがわ りさぶろう、1920年2月28日 - 1997年4月22日)は日本の教育者、政治家、文学者。元衆議院議員(日本共産党公認、3期)。柔道7段。 秋田県秋田市出身。秋田市立川尻小学校を経て秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)卒業。京都の紡績工場に勤務後、立正大学高等師範科卒業。 戦後は秋田市立高等学校の教師を経て、1951年に教職を辞し秋田市会議員選挙に日本社会党再建派から出馬。この時は落選するものの4年後に秋田市議となり2期務める。初出馬の際に推薦されたことから共産党との縁ができ、市議在任中の1961年12月に日本共産党に入党。1963年から秋田県議3期を経て、1972年に行われた第33回衆議院議員総選挙の秋田県第1区に、日本共産党から立候補し初当選を果たす。
内藤 良平(ないとう りょうへい、1916年〈大正5年〉3月… 内藤 良平(ないとう りょうへい、1916年〈大正5年〉3月17日 - 1996年〈平成8年〉12月21日)は、昭和期の労働運動家、政治家。衆議院議員。 秋田県秋田市で生まれる。1933年(昭和8年)秋田市商業学校(現秋田市立秋田商業高等学校)を卒業した。 1935年(昭和10年)鉄道省(のちの日本国有鉄道)に入省。仙台鉄道局秋田運輸事務所、新潟鉄道局秋田管理部総務課などに勤務。国鉄労働組合中央委員、同秋田支部書記長、秋田県労働組合会議議長、同事務局長、護憲連合秋田県代表委員などを務めた。秋田市議会議員に選出され2期在任し、同総務財政委員長、秋田県地方労働委員も務めた。 1949年(昭和24年)日本社会党に入党。
赤根谷 飛雄太郎(あかねや ひゅうたろう、1916年1月5日… 赤根谷 飛雄太郎(あかねや ひゅうたろう、1916年1月5日 - 1969年8月22日)は、秋田県秋田市出身のプロ野球選手(投手)、野球指導者(秋田市立秋田商業高等学校硬式野球部監督)。プロ野球史上、最も漢字名の長い(7文字)選手として知られる。 なお、「ヒユウタロウ」は誤読である。巨人の星の星飛雄馬風に「ヒュウタロウ」である。 秋田商業を経て、法政大学に進学すると、東京六大学野球で活躍を見せる。その後、社会人野球の秋田コンマーシャルクラブ・帝国石油でプレー。 1948年に32歳にして急映フライヤーズに入団。新人ながら加藤正二(35歳)に次ぐ高齢の選手だった。1年目は二軍の急映チックフライヤーズの監督を兼任しながらドロップを武器に一軍で12試合に登板し2勝を挙げるが、9月28日に行われた対金星戦(後楽園球場)で坪内道則に史上初の1000本安打を打たれてしまう。