秋山 東一(あきやま とういち、1942年 - 2025年8… 秋山 東一(あきやま とういち、1942年 - 2025年8月)は、日本の建築家。
職業が建築家・建築学者:1,277人
秋山 東一(あきやま とういち、1942年 - 2025年8… 秋山 東一(あきやま とういち、1942年 - 2025年8月)は、日本の建築家。
中村 弘道(なかむら ひろみち、1942年 - )は日本の建… 中村 弘道(なかむら ひろみち、1942年 - )は日本の建築家。中村弘道・都市建築計画設計研究所代表取締役。一級建築士。1997年度にグッドデザイン賞を受賞した秦野駅橋上駅舎のデザイナーのひとり。丹下健三のもとで働き、丹下健三・都市建築設計研究所( URTEC)に1971年 - 1987年まで在籍し、多くの海外のプロジェクトにかかわった経験を持つ。サンフランシスコのウェルバブエナセンター再開発(事務所、アイスアリーナ、商業などのコンプレックス)からボルチモアインナーハーバーウェスト(集合住宅中心のコンプレックス)ミネアポリスアートコンプレックス増築(美術館、子供のための劇場)テヘランのファーラー王妃冠のホテル、サウディアラビア国王国家宮殿、王国国家宮殿、ヨルダン国王と王妃の宮殿、シリアダマスカス大統領副大統領官邸公邸、ナイジェリア新首都都心計画(国会議事堂、最高裁判所)など国内の経験以上に海外の計画が多く、実現しなかったものも多い。
城戸崎 博孝(きどさき ひろたか、1942年 - )は、日本… 城戸崎 博孝(きどさき ひろたか、1942年 - )は、日本の建築家。東京都出身。建築同人組織「アーキテクトファイブ」創設メンバーの一人。 -2006年グッドデザイン賞 -日本建築家協会優秀建築選2006 -日本建築学会作品選集2010 -日本建築家協会優秀建築選2006 -日本建築家協会優秀建築選2007 -BEST STORE OF THE YEAR 第16回優秀賞受賞 -日本建築学会作品選集2009 -日本建築家協会優秀建築選2009
三橋 博巳(みつはし ひろみ、1942年 - )は、日本の建… 三橋 博巳(みつはし ひろみ、1942年 - )は、日本の建築学者。日本大学教授、日本建築衛生管理教育センター会長、日本不動産学会会長、資産評価政策学会会長などを歴任した。 1966年日本大学理工学部建築学科卒業。1968年日本大学大学院理工学研究科修士課程修了。1994年日本大学博士(工学)。日本大学理工学部建築学科教授を経て、2000年日本雪氷学会理事。2003年日本建築学会総務理事。2006年日本環境共生学会副会長、日本不動産学会副会長。2008年日本不動産学会会長、地域マネジメント学会副会長。2009年資産評価政策学会会長。2013年マンションライフ継続支援協会代表理事。2019年日本建築衛生管理教育センター会長。
有村 桂子(ありむら けいこ、1942年 - 2020年12… 有村 桂子(ありむら けいこ、1942年 - 2020年12月15日)は、日本の女性建築家。大阪府生まれ。夫は建築家で象設計集団をともに設立した重村力。 大阪市立大学家政学部住居学科卒業。神戸大学大学院工学研究科修士課程修了。神戸大学では建築史の向井正也研究室に在籍した。在籍時の向井研には毛綱毅曠、末吉栄三がいた。1971年、大竹康市、樋口裕康、富田玲子、重村力、象設計集団設立メンバー。 1981年から吉村雅夫らと建築設計事務所いるか設計集団を主宰。神戸市文化財保護審議会委員などを歴任。地域の固有性に依拠した建築設計を行う一方、神戸居留地の歴史的建造物の保存や、阪神淡路大震災にてダメージを負った神戸北野の異人館の復興も手がけ、象グループの中では、時間的な連続性を重視する視点を持っていた。
仙田 満(せんだ みつる、1941年12月8日 - )は、日… 仙田 満(せんだ みつる、1941年12月8日 - )は、日本の建築家(東京工業大学工学博士)、環境デザイナー。株式会社環境デザイン研究所会長(創設者)。 東京工業大学名誉教授。専門は、建築学・環境デザイン。1982年(昭和57年)に「こどものあそび環境の構造に関する研究」で東京工業大学より工学博士号を取得。 神奈川県横浜市出身。東京工業大学建築学科卒業後、1964年菊竹清訓建築設計事務所へ入所。1968年環境デザイン研究所を創設し代表に就任。琉球大学工学部建築学科教授(1984年 - 1987年)、名古屋工業大学社会開発工学科教授(1988年 - 1992年)、東京工業大学工学部建築学科教授(1992年 - 2005年)、日本建築学会会長(2001年 - 2003年)、放送大学教養学部教授(2007年 - 2012年)。
長谷川 逸子(はせがわ いつこ、1941年12月1日 - )… 長谷川 逸子(はせがわ いつこ、1941年12月1日 - )は日本の建築家。菊竹清訓事務所出身。静岡県焼津市出身。関東学院大学工学部建築学科卒業。東京工業大学研究生を経て、1979年長谷川逸子・建築計画工房設立。関東学院大学客員教授。 伊東豊雄とともに「野武士」世代と伝えられている(槇文彦が命名)。1984年竣工の眉山ホールでの日本建築学会賞作品賞受賞や1986年に槇文彦や磯崎新らが審査員を務めた湘南台文化センターの公開コンペで最優秀賞を受賞し一躍注目を浴びる。トウキョウ建築コレクション2020審査員長などを歴任。 1941年(昭和16年)、静岡県焼津町に生まれる。父親は、逸子の祖父が創業したいくつもの会社を継ぎ、練炭工場や鉄工所など複数の事業を営んでいた。
早川 邦彦(はやかわ くにひこ、1941年11月19日 - … 早川 邦彦(はやかわ くにひこ、1941年11月19日 - )は、日本の建築家。東京都生まれ。1966年早稲田大学理工学部建築学科卒業、イェール大学建築芸術学大学院修士課程修了。1978年早川邦彦建築研究室設立。 竹中工務店出身。空間構成が明快な建築を設計するのが特徴。1985年日本建築家協会新人賞受賞。1992年日本文化デザイン賞受賞。1994年日本建築学会賞(作品)受賞。2010年日本建築家協会25年賞受賞。
毛綱 毅曠(もづな きこう、本名:毛綱 一裕、1941年(昭… 毛綱 毅曠(もづな きこう、本名:毛綱 一裕、1941年(昭和16年)11月14日 - 2001年(平成13年)9月2日)は、日本の建築家。日本建築学会賞作品賞など多数受賞。 初期に毛綱モン太(もづなもんた)と名乗っていたが「毅曠」に改名。1970年代の日本の前衛建築の先鋒の観が有ったとされる。「阿弥陀から弥勒への七つのメッセージ』という九枚のパネルを発表し、世界的にも有名となった。 彼の設計は、「機能」というものに挑戦的であった。例えば、初期の代表作「反住器」は8m角の立方体(建築本体)のなかに4m角の立方体(部屋)が有り、その中に1.7m角の立方体(家具)が有り、三者は同形にデザインされているという。
松永 安光(まつなが やすみつ、1941年11月2日 - )… 松永 安光(まつなが やすみつ、1941年11月2日 - )は日本の建築家。近代建築研究所主宰。元鹿児島大学工学部建築学科教授。 1941年、東京都で生まれる。1965年、東京大学工学部建築学科卒業。同年から1972年まで、芦原建築設計研究所勤務。1972年、ハーバード大学デザイン学部修士課程修了。同年、アメリカTACに勤務。1979年から1992年まで、SKM設計計画事務所共同主宰。1983年、早稲田大学理工学部助手。1992年、近代建築研究所設立。1997年から2007年まで、鹿児島大学工学部教授。2011年から、一般社団法人HEAD研究会理事長。
緒方 理一郎(おがた りいちろう、1941年10月24日 -… 緒方 理一郎(おがた りいちろう、1941年10月24日 - 1990年)は日本の建築家。熊本県出身。 この項目は、建築・土木に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:建築/Portal:建築)。
安藤 忠雄(あんどう ただお、1941年(昭和16年)9月1… 安藤 忠雄(あんどう ただお、1941年(昭和16年)9月13日 - )は、日本の建築家。一級建築士(登録番号第79912号)。安藤忠雄建築研究所代表。東京大学特別栄誉教授。文化功労者。文化勲章、フランスレジオンドヌール勲章シュヴァリエ受章。21世紀臨調特別顧問、東日本大震災復興構想会議議長代理、大阪府・大阪市特別顧問。コンクリート打ちっ放し建築を主に住宅や教会、ホテルなど国内外に数々の作品を発表。「住吉の長屋」(1976年)、「光の教会」(1989年)、「ベネッセアートサイト直島」(1992年 - )、「淡路夢舞台」(2000年)、「こども本の森 中之島」(2020年)などの代表作が知られる。
永田 祐三(ながた ゆうぞう、1941年9月4日 - )は、… 永田 祐三(ながた ゆうぞう、1941年9月4日 - )は、大阪府豊中市出身の日本の建築家。株式会社永田建築研究所代表。関西や九州、北陸を中心にオフィスやホテル、住宅などの建築を手掛ける。代表作に、村野藤吾賞を受賞したホテル川久や、BCS賞を受賞したますのすし製造会社源の工場がある。 1941年9月4日、大阪府池田市で三越に勤める父親と専業主婦の母親の間に4きょうだいの末っ子として生まれる。第二次世界大戦の戦況悪化のため、1944年の暮れに鳥取県西伯郡大高村の母方の実家に疎開。戦後に大阪の豊中市に戻る。小学生の頃に『少年朝日年鑑』に載っていた、ル・コルビュジエのユニテ・ダビタシオンのドローイングに感銘を受ける。
日紫喜 勝也(ひしき かつなり、1941年9月 - )は、日… 日紫喜 勝也(ひしき かつなり、1941年9月 - )は、日本の建築家である。西日本工業大学工学部建築学科教授。 福岡県生まれ。武蔵高等学校、西日本工業大学工学部建築学科を卒業、同大学大学院工学系研究科建築学専攻を修了。 2000年、妻で料理家の前田直子と共にマスキオフィス(MO)を設立。 若材令から乾燥を受けるセメント硬化体中の水分移動、それに対応する水和進行問題、各種強度問題、乾燥収縮応力問題、クリープ問題、ひびわれ発生問題等に関する総合的な研究。 多種多様のコンクリート用細骨材出現に対しての現行のJISによる細骨材表乾判定方法適用はかなりの問題を呈しているが、『乾燥速度法』なる新概念の表乾状態判定法を提案し、多面からその妥当性を検討した一連の研究。
黒沢 隆(くろさわ たかし、1941年8月20日 - 201… 黒沢 隆(くろさわ たかし、1941年8月20日 - 2014年3月15日)は、日本の建築家。住宅作家。建築評論家。 多くの建築家(仙田満、内藤廣、塚本由晴など)を輩出している戦後日本における有数の実験高校であった神奈川県立湘南高等学校卒業。 1965年日本大学理工学部経営工学科建築専攻卒業。1967年まで東京大学教養学部にて教鞭をとっていた生田勉の下での研究生を経て、1971年日本大学大学院博士課程修了。1973黒沢隆研究室を設立。住宅を中心に設計活動を展開し、建築家・磯崎新に「解体の世代」と呼ばれた。その一方で、篠原一男の住宅に対し批判を展開したことでも有名な論客として活動している。生田勉や近江栄の影響を受け、学生時代より多くの建築批評を発表。
中村 光男(なかむら みつお、1941年7月2日 - 202… 中村 光男(なかむら みつお、1941年7月2日 - 2020年8月13日)は、日本の建築家。元株式会社日建設計代表取締役社長。東京都生まれ。 1965年、千葉大学工学部建築学科卒業。1967年、東京藝術大学大学院美術研究科建築設計専攻修士課程修了。1967年、日建設計工務株式会社(現・株式会社日建設計)に入社し、東京事務所勤務。1991年に同社取締役・東京スタジオ所長就任。1995年に常務取締役・名古屋事務所長。1999年に専務取締役・東京本社代表。2000年に副社長、2004年、日建設計代表取締役社長。 2020年8月13日、膵臓癌のため死去。79歳没。
六角 鬼丈(ろっかく きじょう、1941年6月22日 - 2… 六角 鬼丈(ろっかく きじょう、1941年6月22日 - 2019年1月12日)は、日本の建築家、東京藝術大学名誉教授。旧名は正廣。東京都出身。日本建築学会賞作品賞など受賞。 祖父は漆芸家の六角紫水、父は漆芸家の六角大壌、娘は建築家の六角美瑠。
伊東 豊雄(いとう とよお、1941年6月1日 - )は、日… 伊東 豊雄(いとう とよお、1941年6月1日 - )は、日本の建築家。一級建築士。伊東豊雄建築設計事務所代表。 東京大学、東北大学、多摩美術大学、神戸芸術工科大学で客員教授を歴任。高松宮殿下記念世界文化賞、RIBAゴールドメダル、UIAゴールドメダル、日本建築学会賞作品賞2度、グッドデザイン大賞、2013年度プリツカー賞など受賞歴多数。多摩美術大学大学院美術研究科教授。 1941年(昭和16年)、父親が日本と日本統治時代の朝鮮を行き来して陶磁器事業をしていた関係で、朝鮮の京畿道京城府(現・大韓民国ソウル特別市)に生まれる。 2歳頃から中学生までを祖父と父の郷里である長野県諏訪郡下諏訪町で過ごす。
加藤 昭 (かとう あきら、1941年3月12日 - )は、… 加藤 昭 (かとう あきら、1941年3月12日 - )は、日本の建設技官。元北海道開発事務次官。 三重県出身。1963年北海道大学工学部卒業、建設省入省、近畿地方建設局。1975年建設省東北地方建設局河川部河川計画課長。1977年建設省河川局治水課長補佐。1979年建設省近畿地方建設局和歌山工事事務所長。1981年建設省近畿地方建設局河川部河川調査官。1983年建設省河川局海岸課海洋開発官。1985年岐阜県土木部河川課長。1987年国土庁長官官房水資源部水資源計画課長。1989年建設省北陸地方建設局企画部長。1990年建設省河川防災課長。1992年国土庁長官官房水資源部長。1993年北海道開発庁計画監理官。
遠藤 剛生(えんどう たかお、1941年(昭和16年) 2月… 遠藤 剛生(えんどう たかお、1941年(昭和16年) 2月10日 - )は、日本の建築家。遠藤剛生建築事務所代表。神戸芸術工科大学特別教授。 山形県出身。1964年、大阪工業大学工学部建築学科卒業、1969年、遠藤剛生建築設計事務所設立。同年生まれに伊東豊雄や安藤忠雄など世界的に著名な建築家がおり、日本建築界において花の16年といわれる昭和16年生まれの建築家の一人である。
大場 新太郎(おおば しんたろう、1941年1月28日 - … 大場 新太郎(おおば しんたろう、1941年1月28日 - )は、日本の建築工学・構造工学者。工学博士(大阪大学)。大阪工業大学名誉教授。元日本建築学会代議員。元地盤工学会関西支部評議員。 専門は、建築構造(特に地盤工学・地震工学)・建築工学(特に寺塔)、建築材料(コンクリート工学・木造)。 1963年大阪工業大学工学部建築学科卒業。1967年同大学建築学科助手。1972年同学科講師を経て、1984年大阪大学より工学博士の学位を取得。 1984年大阪工業大学工学部建築学科助教授。1989年同学科教授、2001年工学部長。2005年大阪工業大学名誉教授。大阪工業大学工学部建築学科にて30年以上の長きにわたり教鞭を執り、同大学法人グループの広島国際大学教授も務めた。
山崎 健一(やまざき けんいち、1941年 - )は、日本の… 山崎 健一(やまざき けんいち、1941年 - )は、日本の建築家。アトリエ系建築設計事務所「山崎・榎本建築研究室」主宰。新潟県生まれ。
北川 良和(きたがわ よしかず、1941年 - )は、日本の… 北川 良和(きたがわ よしかず、1941年 - )は、日本の建設技官・地震工学者。学位は、工学博士。建設省建築研究所部長、広島大学教授、慶應義塾大学理工学部教授、日本地震工学会会長を歴任。 1965年芝浦工業大学建築学科卒業。1971年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了、工学博士。同年建設省建築研究所研究員。1979年建設省建築研究所第3研究部構造研究室室長。1980年建設省建築研究所第3研究部振動研究室室長。1987年建設省建築研究所国際地震工学部第二耐震工学室室長。1989年建設省建築研究所建築試験室室長。1990年建設省建築研究所第4研究部部長。1991年建設省建築研究所国際地震工学部部長。
水野 一郎(みずの いちろう、1941年 - )は、日本の建… 水野 一郎(みずの いちろう、1941年 - )は、日本の建築家で、水野一郎+金沢計画研究所主宰。金沢工業大学教授。東京生まれ。1970年代に金沢において伝統工芸を中心とした街作りを提唱した。 1964年(昭和39年)、東京大学工学部建築学科卒業。1966年(昭和41年)、東京芸術大学大学院修士課程建築学専攻修了。1966年(昭和41年)から1976年(昭和51年)まで大谷研究所所属。1976年(昭和51年)に金沢工業大学助教授就任。1979年(昭和54年)、教授就任 鳥越村営住宅別宮 宮の森団地で1984年中部建設賞・建築大臣表彰。「スプリングポイント」で1988年石川県建築賞と1989年金沢都市文化賞。
片山 和俊(かたやま かずとし、 1941年 - )は、日本… 片山 和俊(かたやま かずとし、 1941年 - )は、日本の建築家、建築研究者・教育者。東京芸術大学名誉教授。 研究者・教育者として集住環境の実測調査および設計に携わる。1989年から2009年まで、東京芸術大学美術学部、大学院美術研究科教授。 東京生まれ。1966年(昭和41年)、東京芸術大学美術学部卒業。1968年(昭和43年)に同大学院修士課程修了。環境設計茂木研究室での建築実務を経て、1989年、東京芸術大学美術学部建築科助教授。2000年(平成12年)に東京芸術大学美術学部建築科教授。2008年(平成20年)に退任。教育・研究の傍らで主に住宅設計を中心に建築設計を多く手がけ、その他各地の町並みや景観計画にも係わる。
永田 昌民(ながた まさひと、1941年 - 2013年12… 永田 昌民(ながた まさひと、1941年 - 2013年12月)は、日本の建築家。 大阪府に生まれる。1967年東京芸術大学美術学部建築科を卒業(1962年入学)、1969年同大学院修士課程を修了(吉村順三研究室)。1971年~1973年同大学非常勤講師。アルプ設計室(1973〜1976年)を経て、1976年益子義弘とM&N設計室を設立、1984年N設計室に改称。
江口 征男(えぐち ゆきお、1941年- )は、日本の建築家… 江口 征男(えぐち ゆきお、1941年- )は、日本の建築家。住宅コンサルタント。東京弁護士会、第一東京弁護士会、第二東京弁護士会などですまい・住宅分野の紛争処理委員もつとめる。東京都生まれ。
清水 公夫(しみず きみお、1941年 - )は、日本の建築… 清水 公夫(しみず きみお、1941年 - )は、日本の建築家。出身地の福島県を拠点に活動する。 1963年、日本大学理工学部建築学科を卒業後、田口病院建築研究所、奥野建築設計事務所をへて、ダーバン設計研究所を設立。1980年に清水公夫研究所に社名変更。1974年から日本大学工学部の非常勤講師。1994年に日刊建設通信新聞社から清水公夫作品集を出版。 磐梯町中央公民館町民体育館で1988年第1回公共建築賞優秀賞を、わかくさ幼稚園で1985年東北建築賞作品賞を、磐梯山慧日寺資料館で1988年第7回福島県建築文化賞準賞を、都路村役場庁舎で1996年第15回福島県建築文化賞準賞を、檜枝岐村燧の湯1号館で2002年第21回福島県建築文化賞準賞を受賞し、やないづ町立斎藤清美術館(1997年)で、1998年東北建築賞佳作、1999年福島県建築文化賞優秀賞を、飯舘村立飯樋小学校で2006年福島県建築文化賞優秀賞、2005年文教施設協会賞会長賞を受賞した。
平松 良洋(ひらまつ よしひろ、1941年 - )は東京都生… 平松 良洋(ひらまつ よしひろ、1941年 - )は東京都生まれ、現在、独立行政法人福祉医療機構福祉経営専門委員や社会福祉法人杉樹会理事、株式会社新環境設計取締役会長をつとめる日本の建築家。東京都建築士事務所協会常任理事・文京支部副支部長。日本建築家協会登録建築家。日本建築学会、東京建築士会、医療福祉建築協会各会員。 代表作に武蔵野障害者総合センター(1993年)特別養護老人ホーム「森の小径」(1996年)カフェレストラン 茶居花(2002年、街並景観賞)など。 1964年 日本大学理工学部建築学科卒業。1966年 日本大学大学院建設工学専攻修士課程修了。1966年 西松建設本社建築設計部に配属され建築設計実務に携わる。
細田 雅春(ほそだ まさはる、1941年(昭和16年) - … 細田 雅春(ほそだ まさはる、1941年(昭和16年) - )は、日本の建築家、佐藤総合計画会長。日本建築学会副会長などを歴任。 東京生まれ。1965年(昭和40年)、日本大学理工学部建築学科を卒業し、当時の佐藤武夫設計事務所入社。組織系建築設計事務所である佐藤総合計画で、長く佐藤のパートナーとして活動。1998年(平成10年)に佐藤総合計画代表取締役副社長、2009年(平成21年)に代表取締役社長。2023年(令和5年)6月代表取締役会長に就任。
押野見邦英(おしのみ くにひで、1941年 - )は日本の建… 押野見邦英(おしのみ くにひで、1941年 - )は日本の建築家。おもに鹿島建設設計部で活動。1969年、最高裁判所設計競技で岡田新一の下、チーフとして案をとりまとめ、1等当選に貢献する。 横浜国立大学在学中に、デザイン学校にも通っていたという。1965年大学卒業と同時に、母校の助手をつとめた後に鹿島建設に入社。同社で担当した建築作品は、1972年の愛知医科大学校舎、1974年の大正製薬総合研究所、1978年の八重洲ブックセンター、1983年の囲いの家、1985年のタグボート・ビル、赤坂ノアビルなど、その他代表作にhhstyle.com/sleep(青海1丁目パレットタウン内)がある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
大宇根 弘司(おおうね ひろし、1941年 - )は、日本の… 大宇根 弘司(おおうね ひろし、1941年 - )は、日本の建築家である。社団法人である日本建築家協会(JIA)会長、東京理科大学の非常勤講師などを歴任した。静岡県生まれ。 1960年静岡県立藤枝東高等学校卒業。1965年東京大学工学部建築学科卒業、前川國男建築設計事務所入所。山梨県立美術館の設計を担当。1982年大宇根建築設計事務所設立。代表作に(仮称)麻布子ども中高生プラザ等複合施設(設計プロポーザルで選定)。東京エレクトロン仙台事業所研究開発施設2号棟、芸術の森公園・山梨県立文学館、夢の島熱帯植物館など。
三栖 邦博(みす くにひろ、1941年(昭和16年) - )… 三栖 邦博(みす くにひろ、1941年(昭和16年) - )は、日本の建築家。三栖邦博・環境デザイン研究室代表。日建設計元代表取締役社長、取締役会長および顧問を歴任した(2012年6月退任)。 1941年3月26日神奈川県横浜市生まれ。神奈川県立厚木高等学校を卒業後、1963年東京工業大学理工学部建築学科を卒業。1966年、イリノイ工科大学(Illinois Insitute of Technology,米国シカゴ市)大学院建築学専攻修士課程修了。同大学院修了後、Skidmore,Owings & Merrill建築設計事務所(米国シカゴ市)に勤務。1968年、日建設計工務(株)(現日建設計)に入社し、2000年代表取締役社長、2004年取締役会長、2008年同社顧問を歴任し2012年6月退任。
延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2… 延藤 安弘(えんどう やすひろ、1940年12月1日 - 2018年2月8日)は、日本の建築家、都市研究者、都市計画家、教育者、地域プランナー、地域活動家。専攻は生活空間計画学。工学博士。 まち育ての研究と実践、人材育成のほかに各地で「幻燈会」を開いて啓蒙に努める自称「まち育ての語り部」。大阪府大阪市生まれ。 その他、まちの縁側GOGO、神戸市真野地区まち育て、武蔵野市公団緑町団地共同建替、高知赤岡町まち育て等、各地で数多くの地域づくり、まちづくり実践に努める。
田中 辰明(たなか たつあき、1940年(昭和15年)11月… 田中 辰明(たなか たつあき、1940年(昭和15年)11月3日 - )は、日本の建築学者、お茶の水女子大学名誉教授。東京生まれ。1963年早稲田大学理工学部建築学科卒、65年同大学院理工学研究科建設工学専修修士課程修了、大林組技術研究所勤務。1971 - 73年ドイツ学術交流会奨学生としてベルリン工科大学ヘルマン・リーチェル研究所客員研究員。1979年「建築外皮構造の熱的評価に関する研究」で早大工学博士。1993年お茶の水女子大学生活科学部教授。2006年定年退官、名誉教授。同年ドイツ技術者協会(VDI)よりヘルマン・リーチェル栄誉メダルを授与される。
益子義弘(ますこ よしひろ 1940年4月3日-)は日本の建… 益子義弘(ますこ よしひろ 1940年4月3日-)は日本の建築家。元東京藝術大学教授、現在東京藝術大学名誉教授。
室伏 次郎(むろふし じろう、1940年3月20日 - )は… 室伏 次郎(むろふし じろう、1940年3月20日 - )は、日本の建築家。神奈川大学工学部建築学科名誉教授。東京生まれ。
葉 祥栄(よう しょうえい、1940年3月7日 - )は、日… 葉 祥栄(よう しょうえい、1940年3月7日 - )は、日本の建築家。熊本県熊本市出身。本名、葉村祥栄。絵本作家の葉祥明、写真家の葉山祥鼎は実弟。イラストレーターの葉山賢英は甥。
安中 徳二(あんなか とくじ、別表記:安中 德二、1940年… 安中 徳二(あんなか とくじ、別表記:安中 德二、1940年または1941年 – 2020年 <令和2年> 6月7日)は、日本の建設技官。建設省下水道部長、日本下水道事業団理事長等を歴任。瑞宝中綬章受章。位階は従四位。 1967年 (昭和42) 年3月 東京大学大学院工学系研究科(土木工学専門課程)を修了し、同年4月建設省に入省。土木研究所赤羽支所下水道部第三次処理研究室長をはじめ,岡山県土木部下水道課長、土木研究所下水道部長、都市局下水道部長、財団法人河川環境管理財団技術参与。2002年から2005年 日本下水道事業団理事長。事業団の地方共同法人化を行った。同年7月 社団法人日本下水道協会第42回定時総会で理事長に選出された。
村上 美奈子(むらかみ みなこ、1940年 - )は、日本の… 村上 美奈子(むらかみ みなこ、1940年 - )は、日本の建築家、都市計画家、一級建築士、再開発コーディネーター、再開発プランナー。まちづくり専門家。(株)計画工房主宰。専門分野は建築設計、地域、地区計画。住宅を中心とした建築設計から、住環境整備として地域計画に携わる。 公共事業の実績には国土交通省関連の障害者施策推進協議会、中央建設業審議会委員、東京都関連の住宅バリアフリー協議会副会長、墨田区景観アドバイザー、住宅政策審議会委員など多数歴任。杉並区でまちづくり関連審議会委員等を務める。 1940年広島県生まれ。1965年東京芸術大学建築科卒業。1967年同大学大学院修士課程修了。1969年計画工房設立、主宰、現在に至る。
寺尾 道仁(てらお みちひと、1940年 - )は日本の工学… 寺尾 道仁(てらお みちひと、1940年 - )は日本の工学者、建築学者。神奈川大学教授、神奈川大学名誉教授。専門は建築設備、環境工学、騒音制御工学。日本音響学会会員。
井出 共治(いで ともはる、1940年 - 2010年)は、… 井出 共治(いで ともはる、1940年 - 2010年)は、日本の建築家。斜面開発を得意とし「斜面の魔術師」の異名を持つ。1972年、株式会社SUM建築研究所を設立し斜面地を有効に活用した数々の建築を手掛ける。 葉山ハートセンターで2000年グッドデザイン賞金賞(建築環境デザイン部門)と、2001年医療福祉建築賞を受賞。2004年湯河原のリゾートマンションでグッドデザイン賞を受賞。また中国にて2004年アジア住居環境計画設計アイデア賞を受賞。2013年神奈川県川崎市のマンションヒルサイド久末で日本建築家協会25年賞を受賞。 「デザインには意味と意思がある」が彼の口癖であった。東京都生まれ。 東京雑司ヶ谷に生まれる。
芦原 信孝(あしはら のぶたか、1940年 - )は、日本の… 芦原 信孝(あしはら のぶたか、1940年 - )は、日本の建築家である。 アメリカ合衆国ニューヨークに拠点「Nobutaka Ashihara Architect」を構える。アメリカ建築家協会会員。日本建築家協会会員。 東京都生まれ。法政大学工学部建築学科卒業。1965年「鹿島建設」に入社。翌年渡米し「Kajima Associates Los Angeles」に勤務。その後、ハーバード大学大学院を修了し、1978年「Nobutaka Ashihara Architect」を設立。2011年現在、日本にはまだ芦原が設計に携わった建造物はなく、一度は設計したい、それが夢だという。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
足立育朗(1940年 - )は、日本の著作家、建築家、波動の… 足立育朗(1940年 - )は、日本の著作家、建築家、波動の研究家。形態波動エネルギー研究所の所長。 1964年、早稲田大学第一理工学部建築学科卒業。1968年、樹生建築研究所設立。1990年、形態波動エネルギー研究所設立。 宇宙はエネルギー及び物質の振動波で構成されていることを真の科学として直覚し、研究・創作活動として実践する。 全ての存在、現象は、エネルギー及び物質の振動波であることを自らの周波数変換によって発見し、振動波科学の基礎的研究活動を行い、自然の法則にかなった地球文化の創造に役割を続ける。 1983年、直観とは何なのか?閃きとは何なのか?に疑問に持ち、妹である足立幸子と共に波動というものを追窮するスタートを切る。
藤田 忠夫(ふじた ただお、1939年〈昭和14年〉12月2… 藤田 忠夫(ふじた ただお、1939年〈昭和14年〉12月27日 - )は、日本の元政治家・元建設技官。元山口県宇部市長。 山口県宇部市出身。山口県立宇部高等学校、東京大学工学部を経て、建設省(当時)に入省。沖縄開発庁振興局専門官、日本道路公団計画部課長、会計検査院技術参事官、建設省関東地方建設局道路部長、同道路局国道1課長、同近畿地方建設局長などを歴任する。 1993年(平成5年)5月に建設省を退官し、翌月の宇部市長選挙に出馬。この市長選挙は、前任の中村勝人が小野湖周辺のゴルフ場建設計画を巡って市長職をリコールされたことに伴い実施されたもので、ゴルフ場開発以外の方法での小野地域振興を掲げた藤田は保守系から日本共産党まで幅広い層の支持を受け、無投票で当選した。
横山正(よこやま ただし、1939年11月25日- )は、日… 横山正(よこやま ただし、1939年11月25日- )は、日本の建築学者。東京大学・情報科学芸術大学院大学名誉教授。
横山正(よこやま ただし、1939年11月25日- )は、日… 横山正(よこやま ただし、1939年11月25日- )は、日本の建築学者。東京大学・情報科学芸術大学院大学名誉教授。 岐阜県出身。1963年東京大学工学部建築学科卒、67年同大学院博士課程中退。1984年東京大学工学博士。1976年東京大学教養学部助教授、1978年より工学系研究科建築学専攻担当。1987年教授、1994年より総合文化研究科に所属。2000年定年退官、名誉教授、情報科学芸術大学院大学教授、2003年学長。2009年退職、名誉教授。
山岸 俊之 (やまぎし としゆき、1939年7月 - 201… 山岸 俊之 (やまぎし としゆき、1939年7月 - 2018年1月29日)は、日本の建設技官。国土庁長官官房水資源部長や、井上工業代表取締役社長などを務めた。土木学会技術賞受賞。 埼玉県大宮市生まれ。1963年山梨大学工学部土木工学科卒業。1965年東京大学大学院数物系研究科修士課程修了、建設省入省、中国地方建設局。1974年建設省中国地方建設局河川部河川計画課長。1975年土木学会技術賞受賞。1976年建設省河川局開発課課長補佐。1979年建設省静岡河川工事事務所所長。1981年建設省関東地方建設局八ッ場ダム工事事務所長。1983年国土技術研究センター調査第一部長。1988年建設省近畿地方建設局河川部長。
丸山 欣也(まるやま きんや、1939年3月14日 - )は… 丸山 欣也(まるやま きんや、1939年3月14日 - )は、日本の建築家。東京都生まれ。アトリエモビル主宰。内閣府承認非営利活動法人有形デザイン機構 理事長。 早稲田大学理工学部建築学科卒業、同大学大学院修士課程修了。施政権返還前の沖縄に滞在し、今帰仁村中央公民館や名護市庁舎など、象設計集団との協働設計が多い。 現在も建築設計を続けながら、国内外で、木や土といった素材に触れながら、身体を使って形を生み出す「ワークショップ」方式で、学生を指導している。 その他主な作品に、ひかり保育園、ミラノ・ペントハウス・レゾネイトクラブくじゅう、久住高原ゴルフクラブ・クラブハウスと地ビール村などがある。 この項目は、美術家・芸術家に関連した書きかけの項目です。
岡本 賢(おかもと まさる、1939年2月23日 - )は、… 岡本 賢(おかもと まさる、1939年2月23日 - )は、日本の建築家。元久米設計代表取締役社長。日本建築美術工芸協会会長。 東京都生まれ。1964年名古屋工業大学建築学科卒業、久米建築事務所(現久米設計)入社。1999年同社代表取締役社長。2006年社団法人東京都建築士事務所協会副会長。2007年社長定年68歳の内規により久米設計代表取締役会長。2014年一般社団法人日本建築美術協会会長。岡本賢設計室を開設し、久米設計特別顧問、光鯱会会長、久米・早川建築関連業務共同企業体特別顧問、東京都建築賞選考委員、高校生けんちくコンテスト審査委員長、AACA賞・芦原義信賞選考委員等も歴任した。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。