松永 沙由里(まつなが さゆり、1979年4月23日 - )… 松永 沙由里(まつなが さゆり、1979年4月23日 - )は、日本のタレント、ファッションモデル、グラビアアイドル。所属事務所はフロス。
東京都立武蔵丘高等学校:45人
※有名人ナビに登録されている45人を職業別に数えました。複数の職業を持つ人は、それぞれの職業に数えています。
松永 沙由里(まつなが さゆり、1979年4月23日 - )… 松永 沙由里(まつなが さゆり、1979年4月23日 - )は、日本のタレント、ファッションモデル、グラビアアイドル。所属事務所はフロス。
成瀬 ちさと(なるせ ちさと、1978年6月15日 - )は… 成瀬 ちさと(なるせ ちさと、1978年6月15日 - )は、イラストレーター、キャラクターデザイナー、漫画家。女性。東京都出身。主にギャルゲー原画を手がける。同人サークル『たんぽぽ屋』として同人誌イベントに長年参加。初期の一部イラストでは「都幸せるな」名義の作品もある。 子供のころから絵を描くのが好きで、中学から高校にかけて『電撃アドベンチャーズ』や『ドラゴンマガジン』などの雑誌に投稿を重ね、高校2年の終わりごろにイラストレーターを志望する。高校3年のころ、参加していたホビー・データのプレイバイメール(PBM)でキャラクターイラストが読者参加企画1位となり、編集部から誘いを受けたのがデビューのきっかけである。
Maaya Wakasugi(マーヤ・ワカスギ、1977年 … Maaya Wakasugi(マーヤ・ワカスギ、1977年 - )は岡山県・玉野市生まれ。書道家・アーティスト。日本の男性。フランスのボルドー在住。 6歳より書道を始め、高校在学中に世界的に評価されている赤塚暁月に師事。第10回成田山全国競書大会で「日本書道教育会議賞」を受賞する。1994年の夏に17歳で初の個展開催。その後、日展特別会員の田中節山に師事。大学在学中はドラァグクィーンとしても活動。フランス・ルーヴル美術館のNPO「グラン・ルーヴル・オ・ジャポン」のロゴマーク制作や、在学中は謙慎書道展、読売書法展などの公募展にも応募し入選。2001年、大東文化大学中国文学科卒業後、渡英。ロンドン大学で個展開催。
田代 恭崇(たしろ やすたか、1974年6月7日 - )は、… 田代 恭崇(たしろ やすたか、1974年6月7日 - )は、東京都出身の元自転車プロロードレース選手である。2007年シーズンをもって引退し、2008年1月にブリヂストンサイクルに入社した。 城西大学在学中にサイクリング部に所属し、ロードレーサーに乗り始め、行事の耐久レースに参戦したのをきっかけに本格的に自転車競技を始める。 大学卒業後にプロへ転向。後にフランスを拠点とし、ヨーロッパ各国のレースに参戦。国際カテゴリーにおいて優勝を果たす一方、国内でも全日本選手権を二度制覇するなどトップレーサーとして活躍を続ける。 2007年10月15日、チームブリヂストン・アンカー・オフィシャルブログで2007年シーズン限りでの現役引退を発表。
黒木 克昌(くろき かつまさ、1973年1月9日 - )は、… 黒木 克昌(くろき かつまさ、1973年1月9日 - )は、日本の男性元プロレスラー、空手家(大道塾空道参段)。東京都江東区出身。血液型AB型。 一般には闘龍門JAPAN及びDRAGON GATE所属時のリングネームはマグナムTOKYO(マグナムトーキョー)として知られてミスター・エゴイスト(正規軍時代はミスター・バイアグラ)、踊る銃弾戦士などと称された。ギミック上のモチーフになっているのはAV男優やストリッパー。ダンスをしつつ観客が、お札を黒木のコスチュームに挟む入場シーンが有名であった。マグナムTOKYOのリングネームはAV男優のマグナム北斗が由来。 プロレス入り前は父の会社でサラリーマンとして働いていたが、ウルティモ・ドラゴンに憧れておりウルティモが当時所属していたWARに頻繁に出入りする(ウルティモ曰く、「勝手に入ってきた」らしい)。
住田 隆(すみた たかし、1966年1月7日 - )は、日本… 住田 隆(すみた たかし、1966年1月7日 - )は、日本の俳優、コメディアン。 東京都三鷹市出身。プロダクション人力舎所属。同社の新人養成課程「スクールJCA」にて講師も務める。 コンビでの出演歴についてはビシバシステムを参照。
浜田 麻里(はまだ まり、1962年7月18日 - )は、日… 浜田 麻里(はまだ まり、1962年7月18日 - )は、日本のシンガーソングライター。東京都出身。 小学生の時に地元の合唱団に参加、12歳頃からヴォーカルスクールに通い、15歳頃からテレビのコマーシャルソングの収録に参加。都立武蔵丘高校入学後はパンク・ロックバンド『麻里バンド』を結成。青山学院大学文学部に進学(デビューにあたって中退)、『Misty Cats』のヴォーカリストとして活動。 1983年、糸井重里による「麻里ちゃんは、ヘビーメタル。」というキャッチコピーとともに、LOUDNESSの樋口宗孝プロデュースによるアルバム『Lunatic Doll〜暗殺警告』でメジャー・デビュー。1980年代に女性ロックヴォーカリストの旗手として注目を集め、当時のハードロックジャンルとしては異例とも言えるアルバム売上を誇っていた。
垂井 ひろし(たるい ひろし、1961年 7月27日-)は、… 垂井 ひろし(たるい ひろし、1961年 7月27日-)は、日本のイラストレーター、画家。東京都出身。 墨画の技法を取入れた独特の描画法で疾走するF1マシンやGTマシンなどモータースポーツ・イラストを描き、レーシングカーの空気感や生の醍醐味を表現する。鈴鹿サーキットをはじめ京都知恩院など全国各地で「墨のF1アート展」を精力的に展開していることで知られている。2010年頃より墨画ライブアートと称して大型作品の実演も行なっている。 元々は、サッカーや大相撲力士などスポーツ選手の似顔絵を描くイラストレーターからスタートし、近年は「現代版大首絵」と称し、軽妙洒脱な似顔絵イラストも得意としている。また、幼少時より日本史や三国志など歴史にも造詣が深く、歴史雑学モノの表紙や挿絵のイラストも数多く手掛けている。
森本 茂樹(もりもと しげき、1961年5月7日 - )は、… 森本 茂樹(もりもと しげき、1961年5月7日 - )は、福井放送 (FBC) のアナウンサー。エキスパートキャスターの肩書を持つ。 東京都世田谷区出身。東京都立武蔵丘高等学校、日本大学芸術学部放送学科を卒業後、1984年にFBCに入社。 2007年10月1日付で報道制作局報道部から制作部へ異動した。
窪田 晴男(くぼた はるお、1959年9月18日 - )は、… 窪田 晴男(くぼた はるお、1959年9月18日 - )は、日本の音楽家・ギタリスト・作曲家・音楽プロデューサー。東京都杉並区出身。作編曲家 山屋清の甥。 1979年、バンド「人種熱」を結成。都内のライブハウスで活動。 1980年、人種熱が近田春夫のバックバンドとして取り込まれる形で近田春夫&ビブラトーンズ(以下ビブラと表記)を結成、プロデビュー。まったく同じメンバーながら、近田が主導権を握るプロ活動はビブラ、窪田が主導権を握るライブ活動は人種熱として並行的に活動する。その後、人種熱ライブにおけるMCで「ビブラトーンズという、営業でやっているバンド」との発言が近田の不興をかったため、ビブラ・人種熱ともに脱退。
堀田 佳男(ほった よしお、1957年〈昭和32年〉6月22… 堀田 佳男(ほった よしお、1957年〈昭和32年〉6月22日 - )は、日本のジャーナリストである。元日本テレビNEWS24特別解説委員。日本外国特派員協会正会員。 1957年生まれ。東京都中野区出身。早稲田大学文学部卒業後、米首都ワシントンのアメリカン大学大学院国際関係課程修了。高校時代にNHKで放映された未来への遺産のマヤ文明(特にマヤ文字)の謎に触発されて考古学者になることを夢見る。大学2年時にバックパッカーとしてアメリカに行った時、考古学を断念。以後、アメリカでジャーナリストになることを次なる夢にしたという。 1982年に留学のため渡米。本人は「英語ではかなり苦労した」と語っている。大学院在学中に読売新聞ワシントン支局でインターンとして働き、卒業後は首都ワシントンの米情報調査会社に勤務。
柳原 慧(やなぎはら けい、1957年 -)は、日本の小説家… 柳原 慧(やなぎはら けい、1957年 -)は、日本の小説家、推理作家。グラフィックデザイナー。日本推理作家協会会員。 東京都生まれ。日本大学芸術学部卒業。大学卒業後、デザイン会社勤務を経て、独立。グラフィック・デザイン関係の会社である株式会社ブレインの代表取締役となる。 プロのグラフィックデザイナーとして活躍する傍ら、作品の投稿を続け、1995年から1998年にかけて日本ホラー小説大賞の最終候補に3回選ばれている(第2回が「脳の中の樹海」、第4回が「祈り」、第5回が「夜に眠れぬ者たちへ」)。2003年、『パーフェクト・プラン』で第2回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞する。受賞した際、『パーフェクト・プラン』は「漫画のようにすらすら読めて、展開が早くて途中でやめられなくなるような小説が書けないか、という思いで取り組んだ」と語っている。
中野 正貴(なかの まさたか、1955年8月2日 - )は、… 中野 正貴(なかの まさたか、1955年8月2日 - )は、日本の写真家。人の姿が全く無い東京の風景を撮影した「TOKYO NOBODY」をはじめ、都市を独自の視点で捉えた作風で知られている。
秋元 雄史(あきもと ゆうじ、1955年7月24日 - )は… 秋元 雄史(あきもと ゆうじ、1955年7月24日 - )は、東京藝術大学名誉教授、金沢21世紀美術館特任館長、国立台南芸術大学栄誉教授、美術評論家。
麻田 奈美(あさだ なみ、1953年12月15日 - )は日… 麻田 奈美(あさだ なみ、1953年12月15日 - )は日本で1970年代に活動したグラビアモデル。「りんごヌード」と呼ばれる一枚の写真をきっかけに大ブレイクし、ヌードモデルでありながら当時の青年(団塊の世代・しらけ世代)のアイドルにまで祭り上げられた。なお、「麻田奈美」は芸名であり本名は非公開。 東京都江戸川区出身。小学生時代にクラシックバレエを習い、中学ではバスケットボール部に所属。東京都立武蔵丘高等学校を卒業する頃には、豊満な乳房(今でいう巨乳)と張りのある大きなヒップが魅力のグラマラスな肢体に成長。ボディラインに対して身長は150センチ台と小柄で、あどけなさの残る童顔であった。この若く美しい頃の姿を記録として残してやりたいと考えた母親が、娘が18歳だった1972年秋に写真家・青柳陽一にヌード写真の撮影を依頼。
湯山 邦彦(ゆやま くにひこ、1952年10月15日 - )… 湯山 邦彦(ゆやま くにひこ、1952年10月15日 - )は、日本のアニメーション演出家、アニメ監督。東京都練馬区出身。東京都立武蔵丘高等学校卒。 かつて藤原鉄太郎や、ゆやまくにひこというペンネームを使っていたこともあった。 元々漫画家に憧れ、美術大学を受験するも失敗、代々木ゼミナールの美術大学コースに入るも次第に漫画家になりたい望みが薄れ、後に美術大学進学は断念、一方で友人らとフォークソングのバンドを組んで活動していたことがあった。その傍らでいくつかのアルバイトのうちの一つとして、近所のアニメ制作スタジオで動画描きを担当した事が、アニメ業界入りのきっかけである。 その後、アニメーターとして活躍する傍ら絵コンテも任されるようになり、1978年より演出家に転向。
島田 稔(しまだ みのる、1952年9月18日 - )は元N… 島田 稔(しまだ みのる、1952年9月18日 - )は元NHKアナウンサー。 鹿児島県生まれ東京育ち。都立武蔵丘高校、早稲田大学卒業後の1975年入局。初任地は大分。室蘭、ラジオセンター、1999年大分、2003年奈良、その後大分。2017年3月限りで退職。NHK文化センター大分教室で講師をしている。
檀 雄二(だん ゆうじ、1952年8月11日 - )は、日本… 檀 雄二(だん ゆうじ、1952年8月11日 - )は、日本の作曲家、シンガーソングライター。 一般社団法人日本音楽著作権協会会員(1982年 - )。 東京都出身。東京都立武蔵丘高等学校卒業後、日本大学理工学部機械工学科入学/中退。「悠人」「檀雄司」「Yujin Dan」名義での楽曲提供もある。血液型はAB型。ニックネームは、「ユージン」。 主な先祖(父方の旧姓は九鬼である) 1974年、平尾昌晃が代表を務める音楽制作会社、平尾エンタープライズに入社。作曲・音楽制作活動をスタート。1980年3月同社を退社。 1980年4月、三保敬太郎が代表を務める音楽制作会社、三保敬太郎事務所で作曲・音楽プロデュース活動をスタート。
さくま あきら(1952年7月29日 - )は、東京都杉並区… さくま あきら(1952年7月29日 - )は、東京都杉並区出身のゲームライター・作家。血液型はA型。本名は佐久間 晃(読み同じ)。 東京都立武蔵丘高等学校から1年浪人。立教大学経済学部、劇画村塾出身。小池一夫曰く「自分の一番弟子」。自身が中学生のときから強い影響を受けたという作曲家のすぎやまこういちにあやかって、ペンネームを平仮名にする。 漫画評論家を廃業した後は、漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』の読者投稿コーナー『ジャンプ放送局』の構成を1982年から1995年にわたり担当したほか、コンピュータゲーム「桃太郎シリーズ」(『桃太郎伝説』シリーズ、『桃太郎電鉄』シリーズなど)や『忍者らホイ!』などにゲーム監督・監修などとして制作に携わる。
小川 浩一(おがわ こういち、1944年(昭和19年)12月… 小川 浩一(おがわ こういち、1944年(昭和19年)12月12日 - )は、日本の社会学者。専門は、社会変動論。東海大学名誉教授。 1944年東京都板橋区生まれ(1947年分区により練馬区となる)。二人兄弟の長男。1963年に東京都立武蔵丘高等学校卒業、1967年東海大学文学部広報学科卒業、1973年慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。 以後、東海大学、慶應義塾大学、日本大学などで教鞭をとる。
村上 勝三(むらかみ かつぞ、1944年4月23日 - )は… 村上 勝三(むらかみ かつぞ、1944年4月23日 - )は、日本の哲学研究者、東洋大学元研究科教授。文学博士。 1971年東京大学文学部哲学科卒、1979年同大学院博士課程満期退学。1981年山口大学講師、1983年助教授、1993年東洋大学教授。1991年「デカルト形而上学の成立」で東大文学博士。 1998年から1999年フランスのマルクブロック大学交換研究員、2011年7月から2016年3月まで東洋大学国際哲学研究センター長に就任。2014年に同大教授を退職。2015年に同大学大学院特任教授に就き、教鞭を取った。
尾形 明子(おがた あきこ、1944年 - )は、日本の文芸… 尾形 明子(おがた あきこ、1944年 - )は、日本の文芸評論家、日本近代文学の研究者。近代日本文学、特に自然主義文学と女性文学 - 「女人芸術」「輝ク」の研究が専門。 東京都生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。同大学院博士課程満期退学。東京女学館短期大学、東京女学館大学教授を歴任。
青山 佾(あおやま やすし、1943年10月5日 - )は、… 青山 佾(あおやま やすし、1943年10月5日 - )は、日本の地方公務員、政治学者。東京都出身。東京都人事委員会委員長。元東京都副知事、元東京都住宅供給公社理事長。博士(政治学)、明治大学名誉教授。ペンネームは郷 仙太郎(ごう せんたろう)。
古在 豊樹(こざい とよき、1943年(昭和18年)9月25… 古在 豊樹(こざい とよき、1943年(昭和18年)9月25日 - )は、日本の生物環境学者。農学博士。千葉大学名誉教授。第12代千葉大学学長。祖父古在由直も豊樹と同様、農芸化学者で東京大学総長を務めた。父親は元名古屋大学教授のマルクス哲学者古在由重である。「古在機構」等で知られる、国立天文台初代台長を務めた天文学者の古在由秀は従兄(由直の長男である由正の子。由重は次男)。 千葉大学学長時の平成18年度文部科学省大学評価委員会による実績評価では、「年度計画の16項目すべてにおいて、中期目標・中期計画を『上回って実施している』あるいは『十分に実施している』」と評価を受けた。また、平成19年度には学生・教職員に向けて「底力宣言!千葉大学」の決意表明を行った。
小浪 博英(こなみ ひろひで、1942年(昭和17年)7月 … 小浪 博英(こなみ ひろひで、1942年(昭和17年)7月 - )は、日本の工学者。専門は都市工学。博士(工学)。駅前広場の「小浪式」考案者である。 専門は都市工学であるが、長い行政経験を生かして、国土計画、地域計画、都市計画、観光振興、国際協力等幅広く研究している。また、国内の1000カ所以上のまちづくりの指導をしてきたほか、フィリピン、インドネシア、マレーシア、エジプト、イエメン等の国際技術協力を指導してきた。 土木学会、日本都市計画学会、日本国際観光学会、燈光会会員。 現在、社団法人国土政策研究会・社団法人木の総合文化・ウッドレガシー推進協議会の各専務理事を務めているほか、川崎市登戸土地区画整理審議会会長(2010年就任)、東アジア住宅・計画会議(EAROPH)理事、全日本土地区画整理士会編集参与、都市環境デザイン会議運営委員、江東区の水辺に親しむ会理事、TPI都市計画研究所相談役などとして活動している。
トミー 関(トミー せき、1942年6月28日 - )は、日… トミー 関(トミー せき、1942年6月28日 - )は、日本の男性声優、俳優。テアトル・エコー所属。本名:大関 富也()。旧芸名:関 富也()。東京都港区麻布出生。蟹座。血液型はA型。東京都立武蔵丘高等学校卒。 学生時は板橋区立板橋第一小学校、板橋区立板橋第三中学校、東京都立武蔵丘高等学校に通学。 高校卒業後、1961年に劇団NBKに入団。その後、喜劇役者を目指して、1963年に劇団テアトル・エコーに移籍した。 特撮テレビドラマ『仮面ライダー』では、再生怪人で比較的セリフの多い役を担当することが多かった。声質から倉口佳三と混同されることもある。
六角 鬼丈(ろっかく きじょう、1941年6月22日 - 2… 六角 鬼丈(ろっかく きじょう、1941年6月22日 - 2019年1月12日)は、日本の建築家、東京藝術大学名誉教授。旧名は正廣。東京都出身。日本建築学会賞作品賞など受賞。 祖父は漆芸家の六角紫水、父は漆芸家の六角大壌、娘は建築家の六角美瑠。
長谷川 毅(はせがわ つよし、1941年2月23日 - )は… 長谷川 毅(はせがわ つよし、1941年2月23日 - )は、アメリカ合衆国在住の歴史学者。アメリカ合衆国国籍。専門はロシア史、日露関係。 東京都生まれ。東京都立武蔵丘高等学校、東京大学教養学部卒業後、ワシントン大学で博士号取得。1976年、アメリカ市民権取得。北海道大学スラブ研究センター(現・北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター)教授を経て、2016年に引退するまでカリフォルニア大学サンタバーバラ校歴史学部教授を務め冷戦研究プログラム責任者を務めた。 アメリカにおいて、日ソ関係について研究を行っている。長谷川が英文で書かれたものと日本読者向けに和文で出版されたものについては、内容が微妙に異なる箇所が散見される。
福田 アジオ(ふくた アジオ、1941年(昭和16年)2月1… 福田 アジオ(ふくた アジオ、1941年(昭和16年)2月10日 - )は、日本の歴史学者・民俗学者。国立歴史民俗博物館名誉教授、元・神奈川大学外国語学部・大学院歴史民俗資料学研究科教授。柳田國男研究者。 三重県四日市市出身。 1963年に東京教育大学文学部史学科を卒業した。その後同大学大学院文学研究科に進み、1971年に文学研究科修士課程を修了した。 1977年に武蔵大学助教授となり、1984年に教授に昇進した。同年、国立歴史民俗博物館教授となる。 1993年に新潟大学に移る。1998年に神奈川大学教授となり、2011年まで務める。神奈川大学では非文字資料研究センター長を2010年3月まで兼務した。
みつはし ちかこ(女性、1941年1月30日 - )は、日本… みつはし ちかこ(女性、1941年1月30日 - )は、日本の漫画家。本名青木 千禾子。代表作は『小さな恋のものがたり』『ハーイあっこです』など。 茨城県石岡市生まれで、1歳の時から東京都中野区で育つ。1947年に中野区立鷺宮小学校に入学、1953年に中野区立第八中学校に入学。1956年に東京都立武蔵丘高等学校に入学、美術部に所属したが、2年生の時に放送劇部に転部し、脚本の執筆などの活動を行った。同部における活動は、サリーのモデルとなる男子生徒と出会うなど、後の『小さな恋のものがたり』の原点となる。1959年に同校卒業後、皆川正インダストリアルデザイナーに1960年2月より入所。その後1961年4月よりヨーコーアニメーションに転職。
山田 嘉彦(やまだ よしひこ、1940年〈昭和15年〉10月… 山田 嘉彦(やまだ よしひこ、1940年〈昭和15年〉10月3日 - )は、日本の洋画家。東京学芸大学名誉教授、立軌会同人。東京都江戸川区出身。 日本橋芳町より京都市右京区御室へ移転。東京都中野区東中野へ移転。 東京都立武蔵丘高等学校、東京藝術大学美術学部絵画科油絵専攻卒(林武教室)。東京藝術大学大学院修了(牛島憲之教室)。 中学校の美術部で初めて油彩画を描き、高校の美術部に所属し石膏デッサンに夢中になる。東京藝術大学の大学院修了後、同大学に勤務し、その間に牛島憲之に風景画の指導を受ける。 1969年にフランス政府給付留学生として渡仏。マルセーユ芸術建築学校(ビュッス教室)に学ぶ。グループ十騎会(髙島屋東京日本橋店、~2015年)に参加。
村重 寧(むらしげ やすし、1937年11月10日 - )は… 村重 寧(むらしげ やすし、1937年11月10日 - )は、日本の美術史学者。専門は日本美術史。早稲田大学名誉教授。 1956年東京都立武蔵丘高等学校卒業。1962年早稲田大学第一文学部美術史専修卒業、1964年同大学大学院文学研究科美術史学専攻修士課程修了、1967年同博士課程単位取得満期退学。1964年早稲田大学文学部助手。1967年東京国立博物館学芸部資料課研究員(文部技官)、1968年同法隆寺宝物館研究員、1979年同学芸部美術課主任研究官、1985年同絵画室長、1989年同美術課長、1992年同企画課長。その間、女子美術大学、東京大学、筑波大学など非常勤講師。1994年早稲田大学文学部美術史専修教授、2008年早稲田大学文学学術院定年退職。
黒羽 清隆(くろは きよたか、1934年(昭和9年)2月25… 黒羽 清隆(くろは きよたか、1934年(昭和9年)2月25日 - 1987年(昭和62年)6月19日)は、日本の歴史学者・教育者。静岡大学教育学部教授。東京都杉並区出身。 歴史教育や日中戦争・太平洋戦争についての著作がある。教科書の自由発行、自由選択を支持し、家永教科書裁判当事者を支援した。 東京教育大学文学部史学科卒業。 中学教諭として新宿区立東戸山中学校、同四谷第一中学校で教鞭をとった後[要出典]、東京都立大学附属高等学校・東京学芸大学教育学部附属高等学校教諭となる。この間、和歌森の後任として1969年から10年間、NHK通信高校テレビ講座で日本史を担当した。 1975年から1977年まで東京学芸大学・中央大学の非常勤講師を併任、1979年に静岡大学教育学部助教授となる。
土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023… 土屋 邦雄(つちや くにお、1933年9月3日 - 2023年8月20日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者。1959年、東洋人初のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の団員となり、40年以上にわたって在籍した。妻はピアニストの元井美幸。
青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17… 青島 幸男(あおしま ゆきお、1932年〈昭和7年〉7月17日 - 2006年〈平成18年〉12月20日)は、日本の政治家、小説家、作詞家、タレント、テレビ司会者、俳優、放送作家、映画監督、歌手。位階は正四位。 参議院議員(5期)、第二院クラブ代表(初代・第5代)、東京都知事(第13代)等を歴任した。 テレビ業界で当初は放送作家として成功し、高度成長期を歌った「スーダラ節」を作詞する。クレージーキャッツ主演の映画はもとより、『若大将シリーズ』などでも映画の主題歌を作詞した。主演したドラマ『いじわるばあさん』では国民的キャラクターとして定着し、小説を執筆すれば処女作『人間万事塞翁が丙午』が直木賞を受賞するなど、多才の人として知られ、「超マルチタレント」と呼ばれた。
砂田 実(すなだ みのる、1931年10月17日 - )は、… 砂田 実(すなだ みのる、1931年10月17日 - )は、日本のテレビプロデューサー、演出家、音楽プロデューサー。ラジオ東京→東京放送(TBS。後のTBSホールディングス・TBSテレビ・TBSラジオ)、渡辺プロダクションを経てフリーランス。東京都出身。 戦争中は疎開先の石川県で勤労動員され、帰京後、東京都立第二十一中学校(現・東京都立武蔵丘高等学校)で青島幸男やすぎやまこういちと同期になる。同校入学後1年を経て、臨時募集で慶應義塾中等部に転入し慶應義塾高等学校に進学。同高校の同級生に浅利慶太がいた。 1955年に慶應義塾大学文学部仏文学科を卒業し、ラジオ東京へ入社。1956年、前年開局のテレビ局内テレビ製作部に配属。
川崎 普照(かわさき ひろてる、1931年5月15日 - 2… 川崎 普照(かわさき ひろてる、1931年5月15日 - 2024年5月31日)は、日本の彫刻家。日本藝術院会員。 東京府(現東京都北区)生まれ。東京都立武蔵丘高等学校卒。1952年に三美工芸に就職、1959年に彫刻家として活動をはじめる。1993年「未来への讃歌」で日展内閣総理大臣賞、1998年「大地」で日本芸術院賞受章。日展理事。2004年芸術院会員。2007年旭日中綬章受章。2024年5月31日、老衰のため東京都の自宅で死去した。93歳没。死没日付をもって従四位に叙された。
すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931… すぎやま こういち(本名:椙山 浩一〈読みは同じ〉、1931年〈昭和6年〉4月11日 - 2021年〈令和3年〉9月30日)は、日本の作曲家・編曲家・指揮者。位階は従四位。 日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員、日本カジノ学会理事、日本バックギャモン協会名誉会長、喫煙文化研究会代表。 1931年、東京府東京市下谷区(現在の東京都台東区)で、椙山庸吉、蔦子の長男として生まれる。 父親の庸吉は1907年、奈良藩士の末裔である椙山家の人物と小学校教頭であった母の間の一人息子として神戸市に生まれ、旧制大阪高等学校を経て東京帝国大学薬学部を卒業後、昭和薬科大学で教鞭を執り、1938年より愛知県庁の衛生技官を務め、1942年に厚生省本省に転じ、1952年に保安庁に出向したという経歴を持つ人物だった。
卯木 肇(うのき はじめ、1930年7月11日 - )は、日… 卯木 肇(うのき はじめ、1930年7月11日 - )は、日本の実業家。アイワ代表取締役社長、同会長や、スカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現スカパーJSAT)代表取締役会長、同社長を務めた。 福岡県出身。一橋大学商学部卒業後、1954年4月ゼネラル物産株式会社(現三井物産株式会社)入社。1959年10月、海外貿易要員第1期としてソニー株式会社に入社し、外国部配属。 ソニー入社数ヶ月でアフリカ出張を行い、エジプトからアフリカ大陸に入り、南アフリカ、西アフリカと、半年間アフリカ大陸を周って代理店契約の相手方候補の調査を行い、海外販路の開拓を行った。ソニー・アメリカ駐在やソニー外国部長株式会社などを経て、1977年10月ソニー株式会社取締役、1984年1月ソニー株式会社専務取締役。
田山 力哉(たやま りきや、1930年6月1日 - 1997… 田山 力哉(たやま りきや、1930年6月1日 - 1997年3月23日)は、日本の映画評論家である。 兵庫県神戸市出身。旧制都立武蔵中学校を経て早稲田大学第一政治経済学部経済学科卒業。 日新火災海上保険を経て、1961年に日本放送協会に入局し、国際局に勤務した。並行して、映画雑誌の『キネマ旬報』『映画評論』には1950年代初めから読者投稿を繰り返し常連採用者となっていた。 やがて、読者から常連執筆者となり、1969年にNHKを退局。以後、フリーランスの立場で映画評論やフランス語翻訳などの執筆活動を行い、毒舌の辛口映画評論家として知られた。特にフランス映画に強く、1972年以降フランスのカンヌ国際映画祭には繰り返し出席してレポート記事を執筆した。
佃 公彦(つくだ きみひこ、1930年1月1日 - 2010… 佃 公彦(つくだ きみひこ、1930年1月1日 - 2010年6月28日)は、日本の漫画家。 東京(当時東京府)出身であるが、旧制東京府立第二十一中学校(現・東京都立武蔵丘高等学校)2年生の時に父親の出身地である徳島県に疎開した。旧制麻植中学校(現・徳島県立川島高等学校)に転校。卒業後、海軍兵学校予科(78期)に進むが、終戦により閉校(休校)。 東京に戻り、東京府立第二十一中学校を卒業するが、1946年に父が亡くなったことから徳島に向い、伯父が経営する造り酒屋を手伝いながら漫画のカットを徳島新聞に投稿する生活を送った後、1950年頃に東京に再度戻る。 1955年、文春漫画読本に掲載された「ほのぼの君日記」で漫画家デビュー。
中西 進(なかにし すすむ、1929年〈昭和4年〉8月21日… 中西 進(なかにし すすむ、1929年〈昭和4年〉8月21日 - )は、日本の教育者・文学者(日本文学・比較文学)。学位は、文学博士(東京大学・論文博士・1962年)。国際日本文化研究センター名誉教授、大阪女子大学名誉教授、京都市立芸術大学名誉教授、奈良県立万葉文化館名誉館長。文化功労者。文化勲章受章。 東京学芸大学附属高等学校教諭、成城大学文芸学部教授、筑波大学歴史人類学系教授、国際日本文化研究センター教授、帝塚山学院大学教授、帝塚山学院大学国際理解研究所所長、大阪女子大学学長、日本学術会議会員、学校法人帝塚山学院理事長、京都市立芸術大学学長、池坊短期大学学長、奈良県立万葉文化館館長、高志の国文学館館長などを歴任した。
坂本 真綾 は、日本の声優、女優、歌手、ラジオパーソナリティ… 坂本 真綾 は、日本の声優、女優、歌手、ラジオパーソナリティ、エッセイスト。東京都板橋区出身。夫は声優の鈴村健一。
佐藤 恭子(さとう きょうこ)は1977年(昭和52年)のミ… 佐藤 恭子(さとう きょうこ)は1977年(昭和52年)のミス・ユニバース日本代表である。 東京都中野区出身。東京都立武蔵丘高等学校を卒業し、東京ビジネス専門学校スチュワーデス科で学んでいた19歳のときミス・ユニバースに応募し、関東地区代表となった。1977年(昭和52年)3月22日、大阪市のABCホールで開かれた日本大会で代表に選出された。国際線のスチュワーデスになりたいと将来の夢を語った。同年7月にドミニカ共和国のサントドミンゴで開かれた世界大会に出場したが、入賞を果たすことは出来なかった。
RIOW ARAI (リョウアライ) は、東京都出身の日本の… RIOW ARAI (リョウアライ) は、東京都出身の日本のミュージシャンである。 1995年、フロッグマンレコーズのコンピレーション「From the Bedroom to the Whole Universe」に参加後、1996年にファーストアルバム「Again」 (Ryo Arai名義) でデビュー。 『Beat Bracelet』(2001年)や『Rough Machine』(2004年)等の作品で、トレードマークとも言える個性的なブレイクビーツと、エディット(編集)スタイルを確立した。2003年には『Mind Edit』(1999年)がイギリスのLeafよりワールドワイドリリースされ、海外にも活躍の場を広げた。