植村 卍(うえむら まんじ、1942年 - )は、日本のユダ… 植村 卍(うえむら まんじ、1942年 - )は、日本のユダヤ思想研究者。専門は西洋現代哲学・倫理学、ユダヤ思想。 大阪市生まれ。1967年関西大学文学部哲学科卒業。1972年同大学院文学研究科哲学専攻博士課程所定単位取得後退学。1993年から1994年にかけてイスラエルへ留学。 2002年「ブーバー「対話」思想の研究 二元論と言語哲学を中心として」で関西大学文学博士。 1990年神戸学院大学人文学部教授。2013年定年退任。
伊藤 精晤(いとう せいご、1942年 - )は、日本の森林… 伊藤 精晤(いとう せいご、1942年 - )は、日本の森林研究者、森林科学教育者。造園研究者。信州大学名誉教授。一般社団法人森林風致計画研究所代表理事。専門は緑地環境文化学、森林美学、森林風致計画学、森林施業学。農学博士。 日本造園学会理事・評議員、副会長を歴任。1986年日本造園学会上原敬二賞、1991年国立公園協会田村賞を受賞。 1965年(昭和40年)に北海道大学を卒業し、京都大学農学部の造園学研究室研究生。翌年1966年に同大学大学院修士課程に入学し、修了後の1968年(昭和43年)に師・岡崎文彬の推挙で京都大学附属演習林の助手の職を得て、1970年(昭和45年)1月に信州大学に赴任した。
杉山 徹宗(すぎやま かつみ、1942年 - )は、日本の国… 杉山 徹宗(すぎやま かつみ、1942年 - )は、日本の国際関係研究者。法学博士。 東京都出身。1965年、慶應義塾大学法学部卒業。アメリカ・ウィスコンシン大学大学院修士課程修了。カリフォルニア州立大学講師(在米12年)を経て、嘉悦女子短期大学助教授、明海大学不動産学部教授、同大名誉教授。 現在[いつ?]、陸上自衛隊幹部学校・指揮幕僚課程および高級課程講師、財団法人ディフェンス・リサーチ・センター理事・研究委員。専門は外交史、戦略論。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
瀬谷 幸男(せや ゆきお、1942年 - )は、中世ラテン文… 瀬谷 幸男(せや ゆきお、1942年 - )は、中世ラテン文学・中世英文学の研究者。 福島県生まれ。1964年慶應義塾大学文学部英文科卒、68年同大学院修士課程修了。79-80年オックスフォード大学留学。武蔵大学、慶應義塾大学各兼任講師、北里大学教授。2007年定年退職。
山野 清二郎(やまの せいじろう、1942年 - )は、日本… 山野 清二郎(やまの せいじろう、1942年 - )は、日本の上代文学研究者。埼玉大学教養学部名誉教授。勲等は瑞宝中綬章。平安時代の漢文学や万葉集を研究している。 1942年生まれ。1965年、埼玉大学文理学部文学科卒業後、1973年、東京教育大学大学院文学研究科修士課程を修了。1974年、埼玉大学教養部専任講師として着任。1975年、埼玉大学教養部助教授、1983年、埼玉大学教養部教授を経て、1995年、埼玉大学教養学部教授となった。埼玉大学を退官したのち、2007年 鎌倉女子大学特任教授に着任。 また、川越市立博物館協議会の会長も務めている。
本山 直樹(もとやま なおき、1942年 - )は、日本の研… 本山 直樹(もとやま なおき、1942年 - )は、日本の研究者。千葉大学名誉教授。元千葉大学園芸学部生物生産科学科教授。元農水省農業資材審議会農薬分科会長。 研究分野は、植物保護、農薬毒性学。 千葉大学園芸学部卒業。名古屋大学大学院修士課程修了。1969年米国ノースカロライナ州立大学PhD課程に留学、1970年に研究助手。10年間農薬毒性学に関する研究に従事。
中川 素子(なかがわ もとこ、1942年 - )は、日本の絵… 中川 素子(なかがわ もとこ、1942年 - )は、日本の絵本研究者。専門は美術史。文教大学名誉教授。 1942年、東京生まれ。旧姓小川。1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。1966年、東京藝術大学美術学部芸術学科卒業(1965年に安宅賞(奨学金)受賞)。1969年、同大学院美術研究科保存修復技術専攻(修士課程)修了。修了制作では「興福寺五部浄像脱乾漆復元想定像」を制作、東京芸術大学芸術資料館の買い上げとなった。同年、立正女子大学教育学部初等教育課程美術専修助手、1971年、同専任講師、1978年7月、文教大学(校名変更)教育学部初等教育課程美術専修助教授、1993年、同教授。2009年から2012年まで絵本学会会長を務めた。
山口 吉彦(やまぐち よしひこ、1942年 - )は、日本の… 山口 吉彦(やまぐち よしひこ、1942年 - )は、日本の文化人類学研究者。アマゾン民族館・アマゾン自然館館長(2014年3月、共に閉館)。致道博物館評議員。 1942年、山形県鶴岡市に生れる。1965年、東京農業大学農業拓殖科卒業。フランスのボルドー大学へ留学し、のちにリヨン大学へ移る。1971年、ペルーの日本語学校で講師となる。アマゾン奥地のインディオ集落などを調査する。1975年、結婚。1982年、自宅に「アマゾン資料館」を開設し、これまで収集した資料を公開する。1985年、外国人留学生に、ホームステイなどを体験させる「庄内国際青年祭」を実施する。1987年、国際交流活動組織「庄内国際交流協会」を発足させる。
長澤 邦彦(ながさわ くにひこ、1942年 - )は、日本の… 長澤 邦彦(ながさわ くにひこ、1942年 - )は、日本の哲学研究者。同志社大学名誉教授。国際フィヒテ学会編集委員、日本フィヒテ協会会長、日本哲学会編集委員、日本哲学会委員、関西哲学会委員などを歴任。 同志社大学文学部哲学科・文学研究科修了、ミュンヘン大学でDr.phil取得。隈元忠敬、大峰顕とともに1985年日本フィヒテ協会の設立に携わる。現在同志社大学名誉教授および同大学財務理事。 2022年、瑞宝中綬章受章。 入江幸男共著『フィヒテ知識学の全容』晃洋書房、2014年
宇高 忠(うたか ただし、1942年 - 2012年11月)… 宇高 忠(うたか ただし、1942年 - 2012年11月)は、研究者。経営者。工学博士(東京大学1998年にて取得)。アワーズテック元社長。リガク元X線研究所副所長兼第3研究部長。 1942年生まれ。山口県出身。1964年3月、山口大学文理学部卒業。同年、同大学にて助手としてX線を用いた強誘電体の研究を行う。1967年、理学電機工業(現・リガク)入社。同社にて専門分野の研究に携わる。1997年同社第3研究部長兼小型専用機開発グループ長。1998年 X線研究所副所長兼第3研究部長に就任。同年、『全反射蛍光X線分析法による微量分析の研究』により、東京大学にて工学博士。1999年同社退職し、同年アワーズテックに入社し、同社取締役研究開発部長。
黒川 浩助(くろかわ こうすけ、1942年 - )は、日本の… 黒川 浩助(くろかわ こうすけ、1942年 - )は、日本の太陽光発電の研究者。東京農工大学名誉教授。東京農工大学および東京工業大学で教鞭を執る傍ら、国のロードマップ策定等にも関わった。 1942年生まれ。1965年、早稲田大学第一理工学部電気工学科卒。1965年、通産省工業技術院電気試験所(旧・電子技術総合研究所、現・産業技術総合研究所)に入所、高圧直流送電、太陽エネルギーの研究等に従事。太陽熱発電の研究を手がけるかたわら、太陽光発電の研究に携わる同僚にも助力。以後30年間以上、太陽光発電の研究に従事。1996年東京農工大学工学部教授に転任、2004年同大学大学院共生科学技術研究院生存科学研究拠点教授。
佐野 匡男(さの まさお、1942年 - )は奈良県出身のメ… 佐野 匡男(さの まさお、1942年 - )は奈良県出身のメディア研究者、元・関西大学総合情報学部教授。研究分野は、ケーブルテレビ、コミュニティ放送をキーワードとした地域メディア論。ケーブルテレビ事業について20年を超える実務経験をもつ、実務出身の研究者である。 1965年に早稲田大学第一文学部哲学科心理学専修を卒業。当時の電通PRセンターに入社した。 1970年代はじめ、当時の通商産業省はニューメディアと呼ばれた「映像情報システムの開発」を目的とする実験システム構築を企画し、1973年にはその対象地として奈良県生駒市東生駒地区が選ばれた。佐野はHi-OVIS(Highly-interactive Optical Visual Information System)と名付けられたこの双方向映像配信実験プロジェクトに、1973年から調査・広報担当として関わった。
森本穫(もりもと おさむ、1942年(昭和17年)- )は、… 森本穫(もりもと おさむ、1942年(昭和17年)- )は、日本近現代文学の研究者。福井県生まれ。早稲田大学第一法学部、第一文学部国文専修卒業。紅野敏郎に師事。1968年(昭和43年)に国語教師として広島県立油木高等学校に赴任。1978年(昭和53年)頃、安田女子大学専任講師、のち賢明女子学院短期大学教授を務めた。日本近代文学専攻。松本清張研究会会員。川端康成学会常任理事。阿部知二研究会事務局長。
立本 英機(たつもと ひでき、1942年 - 2016年5月… 立本 英機(たつもと ひでき、1942年 - 2016年5月2日)は、日本の研究者。専門は衛生工学、環境学。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
朝倉 尚(あさくら ひさし、1942年 - 2021年4月9… 朝倉 尚(あさくら ひさし、1942年 - 2021年4月9日)は、日本中世文学の研究者、広島大学名誉教授、鈴峯女子短期大学教授。専門は中世五山文学、禅林文学。 大阪市生まれ。修道高等学校を経て[要出典]、1964年広島大学教育学部高等学校教育科国語科専攻卒、70年同大学院文学研究科国文科博士課程単位修得退学。72年岡山大学専任講師、74年助教授、84年広島大学教養部助教授、87年教授、総合科学部教授、2006年定年退官、名誉教授、鈴峯女子短期大学教授。97年「抄物の世界と禅林の文学」で角川源義賞受賞。2000年同書で広島大学文学博士。2021年4月9日死去。叙正四位、瑞宝中綬章追贈。
吉川 恒夫(よしかわ つねお、1941年 (昭和16年) 1… 吉川 恒夫(よしかわ つねお、1941年 (昭和16年) 12月19日 - )は、日本のロボット研究者。工学博士(京都大学)、京都大学名誉教授。ロボットマニピュレータの可操作性 (Manipulability) や動的ハイブリッド制御の提唱者。著書『ロボット制御基礎論』は評価が高く、英語版に相当する“Foundations of Robotics”も世界で読まれている。 京都大学助手、NASAマーシャル宇宙飛行センターNRC準研究員、助教授、教授、立命館大学教授、 同大学 総合科学技術研究機構 チェアプロフェッサー、日本ロボット学会会長などを歴任し、2013年より立命館大学総合科学技術研究機構 上席研究員。
高橋 紘(たかはし ひろし、1941年(昭和16年)12月1… 高橋 紘(たかはし ひろし、1941年(昭和16年)12月12日 - 2011年(平成23年)9月30日)は、日本のジャーナリスト、皇室研究者。 東京都生まれ。東京都立竹早高等学校、早稲田大学法学部卒業後、1965年(昭和40年)に共同通信社に入社。社会部長・仙台支社長、ラジオ・テレビ局長、取締役事業本部長などを経て退職。同じく皇室関係の著作がある橋本明は上司にあたる。2005年(平成17年)に、小泉政権時代に開かれた「皇室典範に関する有識者会議」にて議題となった皇位継承問題においては女系天皇化を主張していた。2008年(平成20年)まで、静岡福祉大学社会福祉学部教授(専攻は皇室制度、近現代日本史)。
西 鋭夫(にし としお、1941年(昭和16年)12月 - … 西 鋭夫(にし としお、1941年(昭和16年)12月 - )は、日本出身でアメリカ在住の国際政治学者、教育学者、歴史研究者。 スタンフォード大学フーヴァー研究所元研究員。専門は日米関係、占領史、日本近代史。 1941年12月大阪生まれ。 関西学院大学文学部卒業後に渡米し、ワシントン大学大学院に学ぶ。 修士号取得後にJ・ウォルター・トンプソンに勤務しながらワシントン大学研究助手・バテル記念研究所(英語版)専任研究員を務め、学位論文(Politics of Freedom : American Occupation of Japan, 1945-1952)を執筆。博士号(国際政治・教育学博士)を取得。
福原 正弘(ふくはら まさひろ、1941年11月29日 - … 福原 正弘(ふくはら まさひろ、1941年11月29日 - 2004年8月11日)は、日本の人文地理学研究者、大妻女子大学教授。 兵庫県尼崎市生まれ。1967年、東京大学教養学部を卒業し、三井銀行に入行した。 1974年、東京大学から理学博士を取得した。 三井銀行では、店舗企画部副部長や、業務部調査役などを歴任したが、その後、退職して恵泉女学園大学人文学部教授に転じた。 1992年に大妻女子大社会情報学部教授となった。この間、さくら総合研究所では主席研究員、顧問を歴任した。
奥 雅博(おく まさひろ、1941年11月10日 - 200… 奥 雅博(おく まさひろ、1941年11月10日 - 2006年1月17日)は、日本の哲学研究者、大阪大学名誉教授。科学哲学、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインが専門。 兵庫県生まれ。1965年東京大学教養学部卒。1969年同大学院人文科学研究科哲学博士課程中退、東京大学文学部助手、1970年新潟大学専任講師、1973年大阪大学文学部助教授、1989年教授、2005年定年退官、名誉教授。2006年、虚血性心疾患のため死去、64歳。
福永 哲夫(ふくなが てつお、1941年11月8日 - )は… 福永 哲夫(ふくなが てつお、1941年11月8日 - )は、徳島県出身の体育研究者。教育学博士(東京大学)。専門分野は運動生理学、バイオメカニクス、トレーニング科学。 東京大学名誉教授、早稲田大学名誉教授、鹿屋体育大学名誉教授、順天堂大学客員教授、日本ゴルフ学会会長、日本スポーツパフォーマンス学会会長、一般社団法人日本体育・スポーツ・健康学会名誉会員、一般社団法人日本体力医学会名誉会員。 1941年11月8日徳島県徳島市生まれ。学生時代はラグビー部に所属。1964年の第19回国民体育大会(新潟大会)ラグビー競技には徳島県代表として出場。 東京オリンピックが開催された同年に徳島大学学芸部保健体育科を卒業後、徳島県立小松島西高等学校の教諭に就任。
高橋 徹(たかはし とおる、(英語: Toru Takaha… 高橋 徹(たかはし とおる、(英語: Toru Takahashi)、1941年11月5日 - 2022年12月20日)は、日本のコンピュータネットワーク研究者、実業家。1990年代における日本およびアジアのインターネット普及に貢献し、インターネット初期の商業的展開で重要な役割を演じた。「日本のインターネットの母」とも呼ばれる。 1941年に栃木県宇都宮市で生まれた。1964年に東北大学文学部哲学科美学美術史専攻を卒業したのち、編集者および執筆者として働いた。 1982年からビデオテックスのマーケティングなどに関わり、1986年からUNIXワークステーションとルータを用いた高速LAN構築事業を手がけた。
相馬 暁(そうま さとる、1941年11月5日 - 2005… 相馬 暁(そうま さとる、1941年11月5日 - 2005年3月10日)は、日本の農業研究者。大阪府出身。 北海道農業のあり方に警鐘を鳴らし、環境にも配慮したクリーン農業を提唱してきた。短大教員時には新規就農事業にも取り組み、相馬の理念を継承する若き農業経営者を育てた。[要出典] 数多くの著書や講演、テレビ出演では食と健康についてもその重要性を訴え、自身のがんを公表後は、闘病生活にも関心が集まった。[要出典]
竹谷 靱負(たけや ゆきえ、本名:竹谷 誠(たけや まこと)… 竹谷 靱負(たけや ゆきえ、本名:竹谷 誠(たけや まこと)、1941年11月2日 - 2025年2月19日)は、日本の富士山文化の研究者、富士信仰の研究者、元教育情報工学者。理学博士。拓殖大学名誉教授、富士山御師の末裔。富士山文化研究会会長、富士学会理事などを務める。東京都武蔵野市出身。 1941年(昭和16年)11月2日、富士山北口の御師(山梨県富士吉田市)である竹谷家の長子として誕生。父親は出生前に出征、戦死、母親の生家である東京武蔵野市で育つ。 成蹊高等学校を卒業後、早稲田大学理工学部応用物理学科に入学、1967年(昭和42年)早稲田大学大学院理工学研究科応用物理学専攻修士課程修了、同年より日本電気株式会社(NEC)中央研究所勤務。
西島 孜哉(にしじま あつや、1941年11月 - )は、日… 西島 孜哉(にしじま あつや、1941年11月 - )は、日本の近世文学研究者、武庫川女子大学名誉教授。 京都府生まれ。1966年大阪市立大学国文科卒、1974年同大学院博士課程中退、1976年武庫川女子大学文学部専任講師、1979年助教授、1988年教授、1992年「近世上方狂歌の研究」で大阪市大文学博士、2004年武庫川女子大関西文化研究センター長。2012年定年、名誉教授。 上方狂歌・西鶴を中心に研究している。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
篠塚 徹(しのつか とおる、1941年10月15日 - )は… 篠塚 徹(しのつか とおる、1941年10月15日 - )は、日本の研究者。元拓殖大学北海道短期大学学長、元拓殖大学教授、元国際協力銀行理事。東京都出身。 武蔵大学経済学部卒業後、35年間、国際協力銀行(JBIC)にて、開発途上国との経済協力に従事し、人々が宇宙船地球号で協働し、共存していくことの大切さを痛感した。趣味は、ハイキング、途上国の農村逍遥など 国際協力銀行(JBIC)を理事職を最後に2000年3月に退職。2000年4月、拓殖大学国際開発学部教授。04年4月、拓殖大学国際開発学部長。08年4月、拓殖大学副学長。09年4月から拓殖大学北海道短期大学学長。2023年拓殖大学北海道短期大学退職。
松丸 國照(まつまる くにてる、1941年8月25日 - )… 松丸 國照(まつまる くにてる、1941年8月25日 - )は、日本の地学の研究者。研究分野有孔虫微古生物学、層序学、一般地質学。埼玉大学教育学部教授を経て、同大学名誉教授。ミオジプシナ動物群の始祖パレオを発見した名付け親でもある。また、小幡層、庭谷層、板鼻層、井戸沢層、牛伏層、吉井層、原田篠層など新第三紀、ジュラ紀の地層を数多く命名した。1970レピドシクリナを発見。伊豆半島の地質学に大きく貢献した。 千葉県船橋市に生まれる。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
湯川 武(ゆかわ たけし、1941年8月 - 2014年3月… 湯川 武(ゆかわ たけし、1941年8月 - 2014年3月8日)は、日本のイスラーム研究者。専門は、中世イスラームの史、中世イスラームの社会・政治思想史。 1941年、兵庫県芦屋市で生まれた。慶應義塾大学で学び、同大学大学院修士課程を修了。1969年から1972年までカイロ・アメリカン大学(英語版)修士課程で学んで終了。 1973年、慶應義塾大学商学部助手に採用された。1974年から1976年にかけてプリンストン大学へイスラーム史研究のため留学。1977年に慶應義塾大学商学部助教授となり、1988年に教授昇格。1997年から2001年まで学校法人慶應義塾常任理事も務めた。2007年に慶應義塾大学を退任し、同大学名誉教授となった。
江村 超(えむら たかし、1941年(昭和16年)7月19日… 江村 超(えむら たかし、1941年(昭和16年)7月19日 - )は、機械工学・メカトロニクスを専門とする日本の研究者、教育者。東北大学名誉教授。吸振フライホイール、二相PLLによるサーボモータ制御、非円形歯車を加工できるNCホブ盤の開発、三半規管にヒントを得た角速度センサ、倒立振子や動的二足歩行ロボットの制御などで実績を残した。工学博士(東北大学、1969年)。2021年瑞宝中綬章受章者。 江村は1964年に東北大学工学部精密工学科を卒業。1966年には同大学大学院精密工学専攻修士課程を修了し、博士課程に進学する。この間、熱力学や流体力学を専門とし、沈降塔による液体噴霧の粒度分布測定法の研究によって1969年に工学博士の学位を取得する。
長浜 功(ながはま いさお、1941年(昭和16年)7月1日… 長浜 功(ながはま いさお、1941年(昭和16年)7月1日 - )は、日本の教育学者、近代日本文化研究者。 北海道岩内町に生まれ、北海道大学教育学部を卒業後(恵迪寮OB)、同大学院博士課程を単位取得退学した。1974年に東京学芸大学講師となり、その後助教授(1976年)を経て、1987年に教授に昇格した。2007年に定年退職。 もともとは近現代日本教育史を専門としており、『教育の戦争責任』(1979年)にて宮原誠一をはじめ戦争協力の過去を戦後に隠蔽した教育学者たちを厳しく批判した。2000年代以降は北大路魯山人、石川啄木、土岐善麿といった近代文化に関する著作をなす。
三浦 國雄(みうら くにお、1941年7月 - )は、日本の… 三浦 國雄(みうら くにお、1941年7月 - )は、日本の中国哲学研究者。学位は、文学博士(大阪市立大学・論文博士・1995年)(学位論文「中国近世における気の展開」)。大阪市立大学名誉教授。四川大学文化科技協同創新研発中心教授。 大阪市生まれ。1964年大阪市立大学文学部中国哲学卒業。1972年京都大学大学院博士課程中退。京都大学助手、東北大学助教授、大阪市立大学教授、1995年「中国近世における気の展開」で大阪市立大学より文学博士の学位を取得。2004年定年退官、名誉教授、大東文化大学文学部教授。2012年退休。専攻は中国思想史、東アジア比較文化論。日本道教学会会長(2000年-2001年度)。
足立 和浩(あだち かずひろ、1941年6月18日 - 19… 足立 和浩(あだち かずひろ、1941年6月18日 - 1987年11月14日)は、日本の哲学研究者、翻訳家。 埼玉県浦和市(現・さいたま市浦和区)生まれ。1960年、東京都立新宿高等学校卒業。1965年、東京大学教養学部教養学科フランス分科卒業、同大学院人文科学研究科比較文学比較文化専攻修士課程入学。森本和夫の指導を受けた。1967年、修士課程修了、東大教養学部助手。1972年、ジャック・デリダの『グラマトロジーについて』をいち早く翻訳、1973年、立教大学専任講師、1975年、東京都立大学助教授。1981年、哲学奨励山崎賞受賞。1987年、急逝。 日本ではまだほとんど知られていない時代に、ジャック・デリダの主著を日本語訳した人物である。
清水 真砂子(しみず まさこ、旧字体: 淸水 眞砂子、194… 清水 真砂子(しみず まさこ、旧字体: 淸水 眞砂子、1941年<昭和16年>5月27日 - )は、日本の翻訳家・児童文学研究者。青山学院女子短期大学名誉教授。 アーシュラ・K・ル=グウィン『ゲド戦記』の翻訳で知られ、児童文学に関する評論・著作も多い。 1941年、朝鮮北部に生まれる。1946年春、両親の故郷である静岡県掛川に引き揚げた。 静岡大学教育学部卒業後、静岡県立高校で英語教諭を9年間務めたのち、1976年4月から2010年3月まで青山学院女子短期大学の専任教員を務め、退職後は名誉教授となった。 1968年から児童文学の翻訳および評論の仕事を始め、1974年に評論「石井桃子論」で第7回日本児童文学者協会新人賞を受賞した。
宇多 文雄(うだ ふみお、1941年5月25日 - )は、日… 宇多 文雄(うだ ふみお、1941年5月25日 - )は、日本のロシア語学者、ロシア・ソ連研究者、上智大学名誉教授。 宇多五郎の次男として神奈川県に生まれる。1964年上智大学外国語学部ロシア語科卒。外務省勤務、在ソ連邦日本大使館勤務、1970年上智大学外国語学部専任講師、助教授、教授、90-93年外国語学部長。2000-2003年ロシア・東欧学会代表理事。2012年定年、名誉教授。サンクトペテルブルク文化大学名誉博士。息子の宇多賢治郎は山梨大学准教授(経済学)。
相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日… 相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日本の中国研究者、福岡教育大学名誉教授。
相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日… 相田 洋(そうだ ひろし、1941年5月16日 - )は、日本の中国研究者、福岡教育大学名誉教授。 中華民国河北省張家口市生まれ。1964年熊本大学法文学部卒、1973年東京教育大学大学院博士課程満期退学、福岡教育大学講師、1975年助教授、1983年教授、2001年定年退官、名誉教授、青山学院大学教授。2012年退職。
新井 皓士(あらい ひろし、1941年5月 - )は、日本の… 新井 皓士(あらい ひろし、1941年5月 - )は、日本の文学研究者、ドイツ文学者、統計言語学者。一橋大学名誉教授、放送大学特任教授。 神奈川県小田原市出身。1964年東京大学独文科卒、1966年同大学院修士課程修了、静岡大学専任講師、1971年一橋大学専任講師、1973年助教授、1984年教授、1996年創設された同大言語社会研究科長、2006年定年となる。『ほらふき男爵の冒険』の超絶翻訳で知られ、統計言語学では日本文学、英文学などに対象を広げる異能の学者である。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
細木 郁代(ほそき いくよ、1941年〈昭和16年〉5月 -… 細木 郁代(ほそき いくよ、1941年〈昭和16年〉5月 - )は、日本の源氏物語研究者。福岡県北九州市小倉生まれ。福岡学芸大学附属小倉小学校、小林聖心女子学院中学校・高等学校卒業。1964年聖心女子大学文学部卒業。1971年より計7年間を、イギリス・ロンドン、ドイツ・デュッセルドルフ、セルビア・ベオグラードで過ごす。1992年より市民講座(東京都杉並区、神奈川県鎌倉市腰越など)の講師を務める。
山岡 義典(やまおか よしのり、1941年4月12日 - )… 山岡 義典(やまおか よしのり、1941年4月12日 - )は日本の市民活動家、都市計画家、地域研究者。法政大学名誉教授。専門は非営利組織論、都市・地域計画論。助成財団センター理事長、市民社会創造ファンド運営委員長、日本NPOセンター顧問、シューレ大学アドバイザー。 旧満洲国(現・中国東北部)生まれ、広島で育つ。東京大学工学部建築学科卒業。同大学院数物系研究科にて都市計画学を専攻。大学院在籍中に、太田博太郎のもとで「妻籠宿保存計画」の策定、丹下健三のもとで「大阪万国博覧会会場計画」の策定に関わる。 1969年から都市計画設計研究所にて都市計画の実務に従事。1977年、トヨタ財団プログラムオフィサー(のちにプログラムディレクター)。
長谷川 啓(はせがわ けい、女性、1941年4月4日 - )… 長谷川 啓(はせがわ けい、女性、1941年4月4日 - )は、日本の日本近代文学研究者。 北海道生まれ。旧姓・朝倉。1964年都留文科大学国文科卒、同助手。1976年法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了、姫路独協大学助教授、城西短期大学教授、2012年定年退任。近現代女性文学、特に佐多稲子を研究。最近では、メディア、特に韓流ドラマも研究。日本文学協会、新日本文学会会員。
山崎 洋(やまさき ひろし、1941年3月22日 - )は、… 山崎 洋(やまさき ひろし、1941年3月22日 - )は、日本の翻訳家、ユーゴスラビア研究者。東京生まれで、セルビアのベオグラード在住。 ユーゴスラビアのジャーナリストであるブランコ・ヴケリッチと日本人の母親(山崎淑子、1915-2006)との間に生まれる。母は駒込の米穀薪炭商の娘で、津田英語塾卒業後三井物産に務め、来日中のヴケリッチと1940年に結婚した。洋はユーゴスラビア名としてラヴォスラヴの名を持つ。この名前は詩人であった曾祖父にちなむ。ユーゴスラビアでは通常祖父の名前をつけるが、ヴケリッチはこの曾祖父を尊敬していたからだという。ヴケリッチは山崎が生まれて7ヶ月後の1941年10月にゾルゲ事件に連座して逮捕され、1945年1月に網走刑務所で獄死した。
桑野 幸徳(くわの ゆきのり、1941年(昭和16年)2月1… 桑野 幸徳(くわの ゆきのり、1941年(昭和16年)2月14日 - )は、日本の太陽電池研究者、実業家。三洋電機代表取締役社長、太陽光発電技術研究組合理事長、大阪電気通信大学理事等を歴任した。集積型アモルファスシリコン太陽電池を世界で初めて工業化させた。 熊本大学理学部卒業。大阪大学にて工学博士号を取得。 1963年、三洋電機に入社。中央研究所に配属となり、アモルファス半導体の研究にとりくみ、1980年にアモルファスシリコン太陽電池の世界最初の工業化に成功した。 1993年に取締役研究開発本部長、1998年に常務となる。 2000年10月、太陽光発電パネルの不正表示が明るみに出て、近藤定男社長が辞任に追い込まれたことを受け、専務だった桑野が後任に就き、05年まで務めた。
小椋 正気(Seiki Ogura、おぐら せいき、1941… 小椋 正気(Seiki Ogura、おぐら せいき、1941年(昭和16年)2月 - )は、数多くの半導体製造技術(LDD、Halo LDD、サイドウォール、スペーサー、CMP、ダマシン)やmpu の開発に携わった半導体の世界的研究者。1996年にIEEEモーリス・N・リーブマン記念賞を受賞。IEEEフェロー。 1941年、福岡県大牟田市で生まれ、長崎県の大島で幼少期を過ごす。福岡県立修猷館高等学校を経て、早稲田大学理工学部に進む。1960年代、大学院在籍中に日本の半導体分野の発展を目指して単身で渡米。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で量子力学、電子工学、マテリアルの3つの科目を専攻し、当時のUCLAで最短記録となる2年半でマスター+Ph.D. の学位を取得。
志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は… 志村 有弘(しむら くにひろ、1941年1月19日 - )は、日本文学研究者、文芸評論家、相模女子大学名誉教授。 北海道深川市生まれ。立教大学文学部日本文学科卒業。立教大学大学院日本文学専攻博士課程満期退学。1966年、立教高校教諭。梅光女学院大学助教授、1978年相模女子大学助教授、教授、2006年定年、名誉教授。
渡瀬 信之(わたせ のぶゆき、1941年- )は、日本のイン… 渡瀬 信之(わたせ のぶゆき、1941年- )は、日本のインド哲学研究者。東海大学名誉教授。 ブラフマニズム世界は紀元前 6 世紀頃から紀元前後ころまでにかけて形成され、後のヒンドゥー教世界の社会的基盤となった。この世界の形成の全体を最初期のダルマシャーストラ(Dharmasaastra 古典期インドにおける倫理・道徳・価値観・法律・社会制度に関する百科全書)を中心資料として解明している。 多様性の中の統一性という言葉によって表現されるインド文明の特徴について、その形成過程および実態を文明論的見地に立って考察している。
貫井 英明(ぬくい ひであき、1941年 - )は、日本の医… 貫井 英明(ぬくい ひであき、1941年 - )は、日本の医師、研究者。元山梨大学学長。 1941年に埼玉県で生まれる。埼玉県立熊谷高等学校を経て1966年、群馬大学医学部医学科卒業。1984年に山梨医科大学脳神経外科を開講し初代教授となる。2002年、山梨大学との統合により山梨大学脳神経外科初代教授となる。2004年10月から2009年3月まで山梨大学学長を務める。現在は名誉教授。 2017年の春に瑞宝重光章を受章する。2020年に齋藤眞賞社会賞を受賞する。
林田 孝和(はやしだ たかかず、1941年 – 2023年)… 林田 孝和(はやしだ たかかず、1941年 – 2023年)は、日本の中古文学研究者。学位は、文学博士(1993年11月 國學院大學 文乙108号)。國學院大學栃木短期大学国文学科教授。 1941年、熊本県下益城郡杉合村大字国町(現、熊本市南区富合町)に生まれる。1959年、熊本県立宇土高等学校卒業。1964年、國學院大學文学部文学科卒業。1969年、國學院大學大学院文学研究科日本文学専攻博士課程所定単位取得満期退学。 1964年–1966年、東京電機大学高等学校非常勤講師。1966年–1970年、同高等学校専任講師扱い。1970年–1972年、國學院高等学校教諭。1970年–1987年、同高等学校専任講師。
江種 満子(えぐさ みつこ、1941年 - )は、日本近代文… 江種 満子(えぐさ みつこ、1941年 - )は、日本近代文学研究者。博士(人文科学)(お茶の水女子大・論文博士・2004年)(学位論文「日本近代文学とジェンダー 女性・身体・言葉」)。文教大学名誉教授。 広島県に生まれる。お茶の水女子大学文教育学部国文学科を卒業。東京教育大学大学院博士課程満期退学。文教大学文学部教授。2004年に「日本近代文学とジェンダー 女性・身体・言葉」でお茶の水大学より博士(人文科学)の学位を授与される。2012年に定年退任、名誉教授となった。日本近代文学館の理事を務める。
浜中 宏一(はまなか こういち、1941年(昭和16年)は、… 浜中 宏一(はまなか こういち、1941年(昭和16年)は、日本の工学研究者。専門は、電子デバイス・光デバイス。工学博士(慶應義塾大学・1996年)。千歳科学技術大学光科学部光応用システム学科教授に就任(1999年2月)。千歳科学技術大学(2019年4月より公立千歳科学技術大学)名誉教授(2012年4月) 広島県出身。慶應義塾大学工学部電気工学科卒業、同大学院工学研究科電気工学専攻修士課程修了。三菱電機中央研究所量子エレクトロニクス部次長、同中央研究所計画部長、同先端技術総合研究所開発支援部長・デバイス技術部門参事を経て千歳科学技術大学教授。三菱電機在籍中は、ハイブリッドIC、マイクロ波IC、光IC、光部品、ジョセフソン素子、高温超電導材料の研究に携わった。
森 梅代(もり うめよ、1941年 - )は研究者。 津田塾… 森 梅代(もり うめよ、1941年 - )は研究者。 津田塾大学数学科卒業後、文部省数理統計研究所、京都大学霊長類研究所。女性としてはサル学フィールド研究者の第1号。森明雄と結婚。名古屋文理短大、名古屋文理大学に勤務。名古屋文理大学情報文化学部長を経て副学長を務め2011年退官した。三戸サツヱの次女。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。