前田 昌保(まえだ まさやす、1914年3月10日 - 生没… 前田 昌保(まえだ まさやす、1914年3月10日 - 生没不明)は、日本のバスケットボール選手・指導者。1936年ベルリンオリンピックに出場。1956年メルボルン、1960年ローマの2大会でオリンピック日本代表チームのコーチを務めた。 立教大学に入学。1933年から1936年にかけてバスケットボール部主将を務めた。1934年には第10回極東選手権競技大会(マニラ)に出場した。 1936年、立教大学経済学部商学科を卒業。1936年ベルリンオリンピックに出場した。 第二次世界大戦後は立教大学でバスケットボールの指導に当たるとともに、1956年メルボルンオリンピック、1960年ローマオリンピックで日本代表チームのコーチを務めた。
もっと読む
廉 殷鉉(ヨム・ウニョン、1914年2月22日 - 1999… 廉 殷鉉(ヨム・ウニョン、1914年2月22日 - 1999年1月19日)は、朝鮮半島出身のバスケットボール選手。本貫は坡州廉氏。 1936年ベルリンオリンピックに日本代表選手の一人として出場した。 第二次世界大戦後は大韓民国で西洋史の大学教員となった。 ソウル出身という。延禧専門学校(現在の延世大学校)のバスケットボール部で、センターとして活躍。1936年の全日本選手権では朝鮮代表(延禧専門学校)として出場し、優勝した。1936年ベルリンオリンピックには日本代表選手の一人として出場した。この時の日本代表チームには、廉殷鉉を含む3人の朝鮮人選手が参加していた。ほかの2人も全日本選手権優勝メンバーで、李性求(延禧専門学校OB)・張利鎮(延禧専門学校学生)である。
もっと読む
田中 秀次郎(たなか ひでじろう、1910年1月1日 - 没… 田中 秀次郎(たなか ひでじろう、1910年1月1日 - 没年不詳)は、昭和戦前期に活動した日本のバスケットボール選手。1936年ベルリンオリンピックに出場し、バスケットボール日本代表チームの主将を務めた。 旧制成蹊高等学校(現在の成蹊中学校・高等学校)に学び、籠球部に所属。当時の成蹊高校籠球部は好調な成績を残しており、1929年(昭和4年)、1930年(昭和5年)と全国高校選手権を連覇した。1931年(昭和6年)には、第10回全日本選手権において、決勝で早稲田大学を破り、高校チームが全国制覇をするという快挙を成し遂げた。この際のメンバーに田中秀次郎が含まれる。当時のあだ名は「デンチュー」であったという。
もっと読む
三橋 誠(みつはし まこと、1907年 <明治40年> 1月… 三橋 誠(みつはし まこと、1907年 <明治40年> 1月16日 - 1990年 <平成2年> 10月20日)は、日本の経営者、バスケットボール選手。全国農業協同組合連合会会長を務めた。位階は従四位。 鳥取県鳥取市出身。1933年に京都帝国大学農業経済科を卒業。山陰日日新聞社取締役などを経て、1955年に鳥取県議員となり、後に副議長も務めた。1957年6月に全国購買農業協同組合連合会会長に就任し、1972年3月には全国農業協同組合連合会会長に就任。 バスケットボール選手としても活躍し、1934年には極東大会に出場し、1936年のベルリン・オリンピックでは、日本代表チームのヘッドコーチを務め、1967年11月には日本バスケットボール協会理事長に就任。
もっと読む
植田 義巳(うえだ よしみ、1906年6月28日 – 199… 植田 義巳(うえだ よしみ、1906年6月28日 – 1996年11月9日)は、東京都出身の日本のバスケットボール選手・指導者。 選手としては1928年から1934年まで東京商科大学(現一橋大学)に所属し、全日本選手権2度優勝。1959年からは日本オリンピック委員会(JOC)、国際バスケットボール連盟(FIBA)委員をそれぞれ1989年まで務め、アジアバスケットボール連盟(現・FIBAアジア)の設立にも関わった。 1960年ローマオリンピックでは全日本マネージャーを務めた。 2007年、日本人で初めてFIBA殿堂に表彰された。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
もっと読む
李 相佰(イ・サンベク、1904年8月6日 - 1966年4… 李 相佰(イ・サンベク、1904年8月6日 - 1966年4月14日)は、朝鮮(大韓帝国)に生まれ、日本および大韓民国で活動した歴史学者・社会学者、バスケットボール選手・指導者。 早稲田大学に留学、日本における黎明期の大学バスケットボール選手となり、スポーツ理論・競技技術の普及や、スポーツ組織の結成・運営に大きな足跡を残した。戦後の韓国においてもスポーツ界の重鎮として活動、国際オリンピック委員会(IOC)委員を務めた。学生バスケットボールの日韓対抗戦である李相佰盃に名を残している。また、学者としてはソウル大学校教授を務め、歴史学・社会学に業績を残している。号は想白(サンベク/상백、発音は本名と同じ)、百無一斎。
もっと読む
浅野 延秋(あさの のぶあき、1901年(明治34年)11月… 浅野 延秋(あさの のぶあき、1901年(明治34年)11月10日 - 1969年)は、日本のバスケットボール選手・指導者。早稲田大学で最初の学生バスケットボールチームを組織し、大日本バスケットボール協会の設立に尽力した。 山梨県中巨摩郡落合村(現在の南アルプス市)出身。郷里の小学校を卒業後、成城中学に入学。成城中学はいち早くバスケットボールを受容していた中等学校の一つで、浅野はバスケットボール部の主将を務めた。 1920年、早稲田大学高等学院(早高)に入学。浅野は陸上競技部で同好者を集めてバスケットボールの練習を行い、アメリカ人英語教師スペンサーの指導を受けた。その後、早高にはほかにいくつかのバスケットボールチームが現れた(中山克己は建築科で、冨田毅郎は機械科でチームを結成した)。
もっと読む
内藤 しずか(ないとう しずか)は、愛知県出身の元バスケット… 内藤 しずか(ないとう しずか)は、愛知県出身の元バスケットボール選手である。
もっと読む
澁田 怜音 は、岩手県出身のプロバスケットボール選手。B.L… 澁田 怜音 は、岩手県出身のプロバスケットボール選手。B.LEAGUEの京都ハンナリーズに所属している。ポジションはポイントガード。
もっと読む
武藤 修平 は、日本の男子プロバスケットボール選手である。ポ… 武藤 修平 は、日本の男子プロバスケットボール選手である。ポジションはパワーフォワード。192cm。茨城県北茨城市出身。鹿児島レブナイズ所属。
もっと読む
野里 惇貴 は、日本の元男子プロバスケットボール選手、指導者… 野里 惇貴 は、日本の元男子プロバスケットボール選手、指導者である。身長180cmで、ポジションはシューティングガード。
もっと読む
杉原 美香 は、日本の元女子バスケットボール選手である。広島… 杉原 美香 は、日本の元女子バスケットボール選手である。広島県出身。東芝に所属していた。
もっと読む
網本 麻里 は、大阪府大阪市出身の女子車いすバスケットボール… 網本 麻里 は、大阪府大阪市出身の女子車いすバスケットボール選手。ポジションはフォワード。大阪国際大学卒業。関西の車椅子バスケチーム「カクテル」(女子チーム)、伊丹スーパーフェニックス(男子チーム)に所属。車いすバスケットボール女子日本代表キャプテン。
もっと読む
横山 アサ子(よこやま あさこ)は、栃木県出身の元女子バスケ… 横山 アサ子(よこやま あさこ)は、栃木県出身の元女子バスケットボール選手である。現姓:平賀。 宇都宮女子商(現宇都宮文星女子高)では1964年インターハイ優勝の原動力となる。 卒業後は東芝に入社。バスケットボール部で活躍。 最年少で全日本にも選ばれ、1967年世界選手権で日本人初のベスト5に選ばれた。1970年アジア選手権では日本の初優勝に貢献。 2008年、リンク栃木ブレックスより「ブレックス殿堂」に表彰される。
もっと読む
成田俊彦(なりた としひこ)は、元バスケットボール選手、現在… 成田俊彦(なりた としひこ)は、元バスケットボール選手、現在は山口パッツファイブ(旧山口ペイトリオッツ)代表取締役社長である。 聖徳学園関東高等学校から京都産業大学を経て、マツダオート東京で選手としてプレーし、後に広報に転じる。 1996年にアンフィニ東京が廃部になると、クラブチーム「所沢ブロンコス」を設立。GMに就任する。 1999年に日本リーグ昇格を果たしたが、当時の日本リーグは実業団のみで市民球団(クラブチーム)は例がなかったため、選手登録窓口だった実業団連盟と揉めるが、結局連盟は折れる事になり市民球団を認めさせた。 2005年、新潟アルビレックスの河内敏光GM(当時)とともにJBLを脱退。
もっと読む
安達 宣郎(あだち のぶお)は、日本の元バスケットボール選手… 安達 宣郎(あだち のぶお)は、日本の元バスケットボール選手。日本健康スポーツ連盟理事。元日本トップリーグ連携機構常務理事。 1961年、静岡県立静岡高等学校卒業。静高時代は粟野吉州とともに1年の時から全国大会を経験。1年生、2年生の時にインターハイ準優勝、3年生の1960年は国体準優勝。1961年、東京教育大学に進学。大学時代に、粟野吉州とともに1964年東京オリンピックの日本代表候補選手となる。 大学卒業後、八幡製鉄の主力選手として日本リーグで活躍した。1966年、八幡製鉄退社後、地元シャンソン化粧品に入社し1976年まで監督を務める。その後、三井生命の男女チームの監督、日本バスケットボール協会理事、1995年バスケットボール女子アジア選手権日本代表チーム団長、1996年アトランタオリンピック日本代表チームリーダーなどの要職を歴任。
もっと読む
野村 久秀(のむらひさひで、生没年不詳)は、日本の実業家、バ… 野村 久秀(のむらひさひで、生没年不詳)は、日本の実業家、バスケットボール選手。高輪プリンスホテル支配人を務めたほか、立教大学時代にはバスケットボールの日本代表として極東選手権競技大会(極東オリンピック)で活躍した。 静岡県出身。旧制沼津中学校(静岡県立沼津東高等学校の前身)に入学。同校では野球部に入り、4番打者として活躍し、ポジションはセンターや捕手を務めた。野村は、親には内緒で野球に没頭し、スパイク代も親を騙して捻出した。 同校卒業後、立教大学へ入学しバスケットボール部に入部。 1922年(大正11年)5月には、第2回全日本バスケットボール選手権大会が東京女子高等師範学校(お茶の水女子高等師範)を会場に開催され、立教大学はB組に出場し、決勝では強敵の大阪YMCAを大接戦の末に破って優勝した。
もっと読む
阿部 良太(あべ りょうた)は、豊田通商に2006年-201… 阿部 良太(あべ りょうた)は、豊田通商に2006年-2012年に所属していた、バスケットボール選手である。2012年-2016年豊田通商バスケットボールのアシスタントコーチ、2016年-2017年豊通ファイティングイーグルス名古屋のアシスタントコーチを務めた。
もっと読む
春田 結斗(はるた ゆいと)は、岐阜県出身の日本のバスケット… 春田 結斗(はるた ゆいと)は、岐阜県出身の日本のバスケットボール選手。B.LEAGUEの名古屋ダイヤモンドドルフィンズに在籍している。ポジションはSG。 中学年代から名古屋Dのユースチームでプレーしており、2025年5月には若野瑛太らとともにBリーグU18選手向けの遠征企画『B.LEAGUE U18 International Training Camp 2025 in Australia』に参加。 2025年7月25日、2025-26シーズン ユース育成特別枠選手として選手登録されたことが発表された。
もっと読む
テーブス 流河(テーブス るか)は、兵庫県神戸市出身のバスケ… テーブス 流河(テーブス るか)は、兵庫県神戸市出身のバスケットボール選手。ポジションはポイントガード。父はバスケットボール指導者のBT・テーブス、兄はプロバスケットボール選手のテーブス海。 報徳学園高等学校では1年時から出場機会を得て、同年冬の第73回全国高等学校バスケットボール選手権大会(ウインターカップ)に出場した。2年夏の令和3年度全国高等学校総合体育大会(インターハイ)にも出場し、主力として活躍。同大会終了後にアメリカ留学を決断し、かつて兄の海が在学していたノースフィールド・マウントハーモン・スクール(英語版)へ編入した。 2022年より、ザ・ニューマン・スクール(英語版)へ転校した。
もっと読む
渡部 真代(わたなべ まよ、 - )は、広島県出身の元バスケ… 渡部 真代(わたなべ まよ、 - )は、広島県出身の元バスケットボール選手である。デンソーアイリスに所属していた。ポジションはガード。172cm。ニックネームは「レミ」。 五日市小学校でバスケを始め、五日市中学校を経て広島皆実高校では1年より全国大会に出場。 大阪体育大学進学後、1年よりインカレ出場。3年では優勝に貢献し優秀選手賞を受賞。4年では準優勝で敢闘賞を受賞。 2009年、デンソーに入社。
もっと読む
平松 克樹(ひらまつ かつき)は、福岡県出身のバスケットボー… 平松 克樹(ひらまつ かつき)は、福岡県出身のバスケットボール選手。2024シーズンより、ファイティングイーグルス名古屋に所属している。 5歳からバスケットボールを始める。中学3年次には全国優勝、アンダーカテゴリでのプレーを経験した。明治大学ではキャプテンも務めた。最後のインカレはトーナメント初戦敗退。拓殖大学戦で14得点6リバウンド3アシストのスタッツを残した。 2024年12月にFE名古屋に特別指定選手(プロ契約)として新規加入した。この年は、B1リーグ戦で3試合に出場した。2025年6月に契約(継続)が発表された。
もっと読む
神田 壮一郎(かんだ そういちろう)は、山口県出身のバスケッ… 神田 壮一郎(かんだ そういちろう)は、山口県出身のバスケットボール選手。Bリーグ・ファイティングイーグルス名古屋に所属している。 山口県防府市立国府中学校卒。福岡第一高等学校では、後にNBA・メンフィス・グリズリーズなどで活躍する河村勇輝と同級生。小川麻斗、内尾聡理、クベマ・ジョセフ・スティーブらと共に、高校2冠を達成した。拓殖大学ではキャプテンを務めた。 2024年4月に練習生として加入したが、選手契約には至らなかった。 2024年6月、B.LEAGUE FE名古屋契約。この年は、リーグ戦全60試合中、9試合全約42分に出場した。 2025年6月に契約(継続)。 外からの3Pシュートだけでなく、自ら切り込むドライブやそこからの合わせなどオールラウンドな活躍が期待される選手。
もっと読む
田中 健介 は、静岡県出身の元プロバスケットボール選手である… 田中 健介 は、静岡県出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはガード。背番号12。187cm、80kg。B.LEAGUEの富山グラウジーズに所属。2017-18シーズン終了後に現役を引退し、現在は同クラブU15ヘッドコーチ。
もっと読む