姿 美千子(すがた みちこ、1945年5月28日 - )は、… 姿 美千子(すがた みちこ、1945年5月28日 - )は、日本の元女優、歌手。本名:橘 郁子(旧姓)。夫は元プロ野球選手の倉田誠。妹の橘和子も日活で女優を務めた。 染物業を営む家庭の5人兄妹の3番目(次女)として北海道札幌市南8条西3丁目で生まれた。生家は中島公園近くの紺屋『橘屋』。曽祖父は石川県の人で19世紀後半に渡道、当地で代々染物業を営んでいた。ちなみに、遠祖は四国地方で忍者をしていたという。札幌静修高等学校1年生の1961年、大映『すっとび仁義』の主演・橋幸夫の相手役募集に応じて当選。同年10月、大映に入社し同作品でデビュー、同時に日本大学第二高等学校に転校した。その後同校を卒業している。
山田 パンダ(やまだ パンダ、1945年〈昭和20年〉5月1… 山田 パンダ(やまだ パンダ、1945年〈昭和20年〉5月13日 - )は、フォークシンガー、元かぐや姫メンバーである。本名は山田嗣人(やまだ つぐと)、別名に山田つぐと。 佐賀県神埼郡千代田町大字崎村字黒津(現:神埼市)生まれ。のち福岡に移り、大牟田市立橘中学校を卒業、久留米大学附設高等学校(学力不振で中退)、福岡県立嘉穂高等学校で学ぶ。高校卒業後、八幡大学法経学部に進学後中退し、明治大学工学部に再入学し卒業。 明大在学中は放送研究会に属し、日本テレビでアルバイトに明け暮れ、この頃福留功男と知り合う。シュリークスから第二次かぐや姫に参加。ボーカルとウッドベース(コントラバス)を担当。作詞・作曲の代表曲は「僕の胸でおやすみ」「けれど生きている」(かぐや姫)。
鰐淵 晴子(わにぶち はるこ、1945年4月22日 ‐ )は… 鰐淵 晴子(わにぶち はるこ、1945年4月22日 ‐ )は、日本の女優・歌手・ヴァイオリニスト。身長165cm、体重48kg。アートプロモーション所属。2007年まではアクターズプロモーションに所属していた。 東京都生まれ。大西学園高校卒業。1995年、『眠れる美女』などで毎日映画コンクール女優助演賞受賞。 新潟県長岡市出身のヴァイオリニスト・鰐淵賢舟とハプスブルク家の末裔の1人であるオーストリア人の母・ベルタの間に出生。防空壕の中での出産であった。大ドイツ主義的な解釈から日独ハーフ、ドイツ系と記述されることもある[要出典]。 父の指導のもと、3歳からヴァイオリンの英才教育を受けて8歳で全国を演奏旅行し、当時は「天才少女ヴァイオリニスト」と騒がれた。
田辺 靖雄(たなべ やすお、1945年4月5日 - )は、日… 田辺 靖雄(たなべ やすお、1945年4月5日 - )は、日本の歌手、俳優。社団法人日本歌手協会8代目会長。ワイ・アンド・ワイ所属。東京都世田谷区出身。 妻は歌手・女優の九重佑三子。長男はミュージシャンの田辺晋太郎、孫は歌手の田辺ゆうせい。フリーアナウンサーの本村由紀子は義理の娘にあたる。父親は『紅白音楽試合』(『NHK紅白歌合戦』の前身番組)、『第1回NHK紅白歌合戦』、『第2回NHK紅白歌合戦』で総合司会を担当した元NHKアナウンサーの田辺正晴。四人兄弟で兄にアナウンサーの田辺よしのぶ、姉の伊都子は三原さと志の元妻。その息子で、田辺にとっては甥がミュージシャンの小山田圭吾。 高校時代の遊び場は赤坂 (東京都港区)や六本木で、大原麗子や峰岸徹、中尾彬、井上順らとともに六本木野獣会を結成したのがきっかけで、1961年に渡辺プロダクションからスカウトされ芸能界入り。
宮本 信子(、戸籍:池内 信子、旧姓:宮本、1945年〈昭和… 宮本 信子(、戸籍:池内 信子、旧姓:宮本、1945年〈昭和20年〉3月27日 - )は、日本の女優、歌手。所属事務所は東宝芸能(1990年から)。 北海道小樽市生まれ、愛知県名古屋市育ち。愛知淑徳高等学校卒業。夫は伊丹十三。長男は池内万作。義理の娘(池内万作の妻)は、音楽家である本田みちよ。俳優の佐々木勝彦は再従兄。 1963年、高校卒業後、文学座附属演劇研究所に入所。 1964年、劇団青俳に入団後にフリーとなる。 NHKドラマ「あしたの家族」(1965年 - 1967年)で共演した俳優・伊丹十三と交際に発展、1969年1月に結婚。子どもが3歳頃よりおおよそ2年間、毎日自作の物語を作って聞かせていた。
吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年〈昭和20年〉3月… 吉永 小百合(よしなが さゆり、1945年〈昭和20年〉3月13日 - )は、日本の俳優・歌手・ナレーター・司会者・タレント。本名:岡田 小百合(おかだ さゆり)。旧姓:吉永。 1960年代を代表する人気映画女優。10年間で、70本以上の映画に出演。吉田正(作曲家)の門下生として、数多くのレコードを世に送り出している。夫はフジテレビディレクター、共同テレビ社長、会長、取締役相談役を歴任した岡田太郎。ファンは「サユリスト」と呼称される。 1957年(昭和32年)、渋谷区立西原小学校6年生の時、ラジオドラマ『赤胴鈴之助』でデビュー。同年4月、渋谷区立代々木中学校に入学。同年10月、ラジオ東京制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビュー。
門脇 陸男(かどわき りくお、1945年(昭和20年)3月1… 門脇 陸男(かどわき りくお、1945年(昭和20年)3月10日‐)は日本の演歌・民謡歌手。 宮城県登米郡南方町(現・登米市)出身。 高校卒業後、就職したバス会社(のちの宮城交通)入社後から民謡を始め、1980年、東北の民謡コンクールで優勝。 レコードデビュー直前は宮城交通のバス運転手と農業の兼業だった。 1982年、東北放送の人気ラジオ番組「民謡でごきげん」放送三百回記念として、クラウンレコードとタイアップして作られた「祝い船」でデビュー。レコード会社の宣伝文には「やったぜ!リック」とミスマッチなコピーが記されていた。当初、レコード会社はまったく宣伝しなかったが、地元の有線放送で支持され、当時流行していたカラオケで歌われるようになり、仙台から東北、さらには東京へと広まり、2年半越しで全国に浸透。
大川 隆子(おおかわ たかこ、1945年(昭和20年)3月6… 大川 隆子(おおかわ たかこ、1945年(昭和20年)3月6日 - )は日本の声楽家(ソプラノ)、音楽教育者。 大阪府出身。東京藝術大学卒業。畑中良輔に師事。文化庁派遣芸術家在外研究員としてウィーンとミラノに留学。モーツァルトの4大オペラ『フィガロの結婚』伯爵夫人、『ドン・ジョヴァンニ』ドンナ・エルヴィーナ、『コジ・ファン・トゥッテ』フィオルデリージ、『魔笛』パミーナでオペラ歌手としての地位を確立。ワーグナー『タンホイザー』エリーザベト、『ワルキューレ』ジークリンデで力量を示し、ヴェルディ『椿姫』ヴィオレッタ、プッチーニ『ラ・ボエーム』ミミ、『蝶々夫人』蝶々さん、ヨハン・シュトラウス2世『こうもり』ロザリンデなどに出演、二期会オペラのプリマドンナとして活躍。
ベートーベン鈴木( - すずき、本名:鈴木功、1945年3月… ベートーベン鈴木( - すずき、本名:鈴木功、1945年3月3日 - )は、茨城県守谷市出身のシンガーソングライター、東京演芸協会所属のギター漫談家。 日本大学在学中にロックバンド活動に熱中し、1年で中退。『ナッツダンディーズ』を経て、コミックバンド『那須三郎とダスターポット』→『岡本八とダスターポット』ではリードギターを担当。 1972年の『ダスターポット』解散後はナイトクラブで弾き語りをしていたが、1974年に元同僚の岡本とのコンビで『(中小企業楽団)バラクーダー』を結成。作曲を手掛けた「日本全国酒飲み音頭」(72万枚)、「チャカ・ポコ・チャ」(40万枚)、「演歌・血液ガッタガタ」(50万枚)の連続ヒットで、人気者となる。
扇 ひろ子(おうぎ ひろこ、本名:田辺 博美、1945年2月… 扇 ひろ子(おうぎ ひろこ、本名:田辺 博美、1945年2月14日 - )は、日本の演歌歌手、女優である。既婚。 広島県広島市段原中町(現:南区段原)生まれ。生後6ヶ月を目前にした1945年8月6日、爆心地から約2キロの自宅で被爆、父を亡くした。25歳だった母は、新しい男と結婚するため、子どもを四国愛媛県の祖父母に預け、祖母の籍に入れた。このため9歳まで愛媛で育ち、その後、再会した母とともに大阪に出て9歳から大阪市西区で育った。母とは戸籍上は姉妹だった。 幼い頃から歌好きの母に連れられ、ABC朝日放送の童謡の合唱団に入り、その後は歌謡学院などで歌う。 相愛高等学校卒業後の1963年、日本コロムビアと契約。
伊原 直子(いはら なおこ、1945年(昭和20年)2月14… 伊原 直子(いはら なおこ、1945年(昭和20年)2月14日 - )は、日本の声楽家(メゾソプラノまたはアルト)、オペラ歌手、音楽教育者。東京藝術大学名誉教授。 東京都出身。1967年(昭和42年)東京藝術大学音楽学部卒業。1969年(昭和44年)同大学院修了。戸田敏子、中山悌一に師事。大学院在学中の1969年(昭和44年)1月二期会ワーグナー『ラインの黄金』エルダでオペラデビュー。 1971年(昭和46年) - 1945年(昭和50年)西ドイツ政府給費留学生(DAAD)としてミュンヘン国立音楽大学に留学し、エルンスト・ヘフリガーに師事。傍らベルリン歌劇場他、ドイツやスイス各地でオラトリオを歌う。
本間 千代子(ほんま ちよこ、1945年1月29日 - )は… 本間 千代子(ほんま ちよこ、1945年1月29日 - )は、日本の歌手・女優。本名同じ。長野県上伊那郡伊那町(現:伊那市)生まれ、生後8ヵ月から東京都杉並区高井戸育ち。身長162cm、体重45kg、B83cm、W53cm、H84cm(1964年4月)。夫は音楽プロデューサーのひのきしんじ。 父は日本銀行勤務で、二男二女の次女として、戦時疎開先の長野県上伊那郡伊那町(現:伊那市)で生まれる。本間家は佐渡本間氏の出で、現在の新潟県柏崎市で先祖代々地主を務めた。また、酒田本間氏とも同族の関係になる。終戦後の同年10月に東京都杉並区西荻窪に移り、近くの「かしの実幼稚園」に入る。そのころから歌に興味を持ち、NHK「うたのおばさん」として知られ、後に参議院議員を務めた安西愛子から童謡を習う。
ピーコ(1945年〈昭和20年〉1月18日 - 2024年〈… ピーコ(1945年〈昭和20年〉1月18日 - 2024年〈令和6年〉9月3日)は、日本のタレント、ファッション評論家・ジャーナリスト、シャンソン歌手である。本名は杉浦 克昭(すぎうら かつあき)。映画評論家のおすぎは一卵性双生児の弟で、ともにデビュー時から同性愛者であることを公表し、そのキャラクターを活かしてタレント、コメンテーターとして活躍していた。兄弟姉妹は双子の弟のおすぎの他に姉が2人いる。ピーコの名付け親は永六輔。 横浜市立桜丘高等学校を経て、文化服装学院研究専門部卒業。 主にタレント及びファッション評論家として活動するが、シャンソン歌手としても活動。活動は多くはないがCDを出したり、コンサートも行っていた。
佐良 直美(さがら なおみ、1945年1月10日 - )は、… 佐良 直美(さがら なおみ、1945年1月10日 - )は、日本の女性歌手・タレント・女優・作曲家。現在は主に実業家として活動する。 東京都出身、日本大学藝術学部卒業。日本芸術専門学校特別講師。 本名:山口直子、現在は戸籍名を芸名と同じく佐良直美に改名している。 明治時代の漢学者・川田甕江の玄孫で、住友財閥常務理事の川田順(甕江の三男)の従曾孫にあたる。遠縁に吉永小百合がいる。また山本直純の妻の山本正美も遠縁にあたる。 雙葉高等学校在学時の16歳のとき、ジャズボーカリストの水島早苗に師事しジャズボーカルを学ぶ。1963年、日本大学藝術学部放送学科へ進学。 1967年に大学卒業後、NHK新人オーディションを受け、高成績で合格。
はしだ のりひこ(本名:端田 宣彦〈読み同じ〉、1945年1… はしだ のりひこ(本名:端田 宣彦〈読み同じ〉、1945年1月7日 - 2017年12月2日)は、日本のシンガーソングライター、フォークシンガーである。身長163cm。愛称はのりちゃん。長男は、元長野大学准教授の端田篤人(故人)、娘は舞台女優の端田新菜。 京都府京都市生まれ。4人兄弟の長男。同志社高等学校を経て、同志社大学神学部に進学。8年と2年の休学で10年在籍し、退学。 高校2年の文化祭でギターを始める。1964年にドゥーディ・ランブラーズの一員としてデビューした後、加藤和彦に請われて1967年にザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)の1年限定のメジャー活動の一員として参加する。フォークルは予定通り1年で解散。
中村 晃子(なかむら あきこ、1945年1月3日 - )は、… 中村 晃子(なかむら あきこ、1945年1月3日 - )は、日本の歌手、女優、声優。千葉県習志野市出身。本名同じ。愛称はアッコ。身長163cm。習志野市立第一中学校、昭和学院高等学校卒業。ベルグコーポレーション所属。 1962年、高校在学中に第2回ミス・エールフランスコンテストに応募して最終審査まで進んだことがきっかけで、松竹大船撮影所からお呼びがかかり、同撮影所の奨学生制度の一人として同年に銀幕デビュー。その後、1964年5月に松竹と正式に契約を結んだ。多数の映画に出演し、1965年〜1966年は田村正和とコンビで売り出すも、互いに芽が出ずパッとしない存在だったが、その後同年『望郷と掟』『炎と掟』やザ・ドリフターズの映画などに出演。
三浦 久(みうら ひさし、1945年 - )は、日本の男性フ… 三浦 久(みうら ひさし、1945年 - )は、日本の男性フォークシンガー、翻訳家。ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーン、レナード・コーエンの歌詞対訳、評論・研究書の翻訳などでも知られる。 千葉県生まれ、長野県上伊那郡辰野町育ち。長野県諏訪清陵高等学校卒業、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(UCSB)卒業(宗教学)、京都大学大学院修士課程修了(仏教学)。 1963年から翌年にかけてAFS (交換留学)により米国カリフォルニア州の高校に留学し、ボブ・ディランなどのフォークソングを聴き、歌い始める。ICU国際基督教大学を中退し、1966年から再渡米しUCSBに留学。1969年に帰国後、京都でフォークシンガーとしての活動を始め、『私は風の声を聞いた』など4枚のアルバムをリリース。
小野 由紀子(おの ゆきこ、1944年12月16日 - )は… 小野 由紀子(おの ゆきこ、1944年12月16日 - )は日本の演歌歌手。本名は斉田 由起子。 16歳で上京、遠藤実門下生となる。 1963年デビューする。 1967年から「うたおどりショー」を続ける。 1980年、一時引退した同門の先輩・三船和子から歌い継いだ「他人船」がヒットし、初のコンサートを開催。 1992年に、本格的に歌と踊りを教える「花ゆき会」を発足させる。 弟の小野嘉彦(2018年死去)は、「杉紀彦のラジオ村」のプロデューサーを長年務めていた。 この項目は、歌手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ芸能人)。
みなみ らんぼう(本名:南 寛康(みなみ ひろやす)、194… みなみ らんぼう(本名:南 寛康(みなみ ひろやす)、1944年〈昭和19年〉12月13日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、俳優。 「らんぼう」という芸名はフランスの詩人アルチュール・ランボーにあやかったものである。 宮城県栗原郡志波姫町(現・栗原市)生まれ。プロボクシング元WBA世界スーパーフライ級王者の河野公平は娘婿に当たる。 1963年、宮城県築館高等学校卒業。1967年、法政大学社会学部卒業。その後、コピーライター、ラジオ台本作家を経て1971年、日活映画『ネオン警察 ジャックの刺青』の挿入歌『酔いどれ女の流れ唄』で作詞・作曲家としてデビュー。1973年に『ウイスキーの小瓶』で歌手デビューした。
舟木 一夫(ふなき かずお、本名:上田 成幸(うえだ しげゆ… 舟木 一夫(ふなき かずお、本名:上田 成幸(うえだ しげゆき)、1944年〈昭和19年〉12月12日 - )は、日本の歌手、タレント。橋幸夫・西郷輝彦とともに“御三家”と呼ばれている。学生服と八重歯がトレードマークで、デビュー当時は、学園ソングとよばれる、高校生活をテーマにした歌が多かった。 初期の所属事務所はホリプロダクション、現在のホリプロであった。 愛知県中島郡萩原町(現・一宮市)出身。当初は舟木和夫という芸名になる予定であったが、舟木が「和はひ弱な感じがあるので、一にして欲しい」と希望したために一夫になったという。本人は、紙に書いたら字が縦に長くなって横倒しになりそうで頼りない感じがしたので、「和」を「一」にして“つっかえ棒”としてほしい、とお願いしたとも話している。
千葉 紘子(ちば ひろこ、1944年11月19日 - )は、… 千葉 紘子(ちば ひろこ、1944年11月19日 - )は、日本の女性歌手、教育関係者。東京都荒川区出身。 1964年3月、山脇学園短期大学卒業。1970年2月に日本万国博覧会会場(現:万博記念公園)で行われた「第3回 全国カンツォーネコンクール」優勝を機に芸能界入り。 1971年に『恋する女に悔いはない』で歌手デビュー。 1972年に発売された第3弾シングル「折鶴」がオリコンチャートで最高第9位、100位以内に28週に渡ってランクインし同誌集計で27.7万枚を売り上げるロングヒットとなった。その後も「初めてのお酒」や、「宗谷岬」などヒット。 1980年からラジオパーソナリティーとして、FM東京「ステレオ歌謡バラエティ」、NHKラジオ第1放送「はつらつスタジオ505」等担当。
デイヴ平尾(デイヴひらお、1944年11月17日 - 200… デイヴ平尾(デイヴひらお、1944年11月17日 - 2008年11月10日)は、日本の歌手、俳優。通称は、時坊(トキボウ)。 ※1945年(昭和20年)生まれと書かれることもあるが、プロデビューする際に所属事務所から1歳サバを読むよう指示されたため、しばらくの間そのように称していたことの名残だと思われる。ルイズルイス加部も同じく1歳サバを読んで1949年生まれと称していた(実際は1948年生まれ)。 1944年11月17日、神奈川県横浜市出身。本名は平尾時宗。 実家は外国航路船員専門のクリーニング店だった。実姉の影響で音楽に親しむ。姉の影響で、日本劇場の日劇ウエスタンカーニバルを観覧したり、神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校在学中にビートルズスタイルのバンドを結成。
亀渕 友香(かめぶち ゆか、本名:亀渕 捷子〈かめぶち かつ… 亀渕 友香(かめぶち ゆか、本名:亀渕 捷子〈かめぶち かつこ〉、1944年〈昭和19年〉11月3日 - 2017年〈平成29年〉10月22日)は、日本のゴスペル歌手、ボイストレーナー、女優。 1944年、北海道札幌市に生まれ、そのすぐ後に一家は転居し江東区深川のベニヤ工場で育つ。3学年上の兄はニッポン放送の名物DJで後に同社社長・相談役を歴任した亀渕昭信。叔母はジャズシンガーだった。兄と共にその叔母の影響を受け、アメリカの流行歌を子守唄代わりに聴いていた。 小学校の時、マヘリア・ジャクソン出演映画『真夏の夜のジャズ』を観て、その歌声に衝撃を受け涙を流す。以来サッチモ、ゴールデン・ゲイト・カルテット、アレサ・フランクリンなど、ゴスペルミュージシャンをヒーロー&ヒロインとし、ブルース、ジャズ、アフリカン音楽に至るまでの黒人音楽を聴きながら成長。
瀬端 優美子(せばた ゆみこ、1944年10月28日 - )… 瀬端 優美子(せばた ゆみこ、1944年10月28日 - )は、日本の童謡歌手。おかあさんといっしょ(当時はうたのえほん)、7代目うたのおねえさんである。群馬県生まれ。3人姉弟(妹1人、弟1人)の長女。血液型はO型。 1967年、瀬端は6代片桐和子とともにオーディションに合格。しかし、その当時、5代中川順子が番組に出演中であったため、片桐が先にうたのおねえさんを務めることになった。同年7月に中川が番組を卒業。そして8月より、7代目うたのおねえさんとして番組に出演。以来、2年8ヶ月番組に出演し、1970年3月に卒業。片桐も同様に70年3月までとされているが、妊娠し、3月11日の出演を最後に緊急手術のために急遽番組を降板したので、瀬端より若干早い卒業であった。
梶 光夫(かじ みつお、本名:梶 芳道、1944年9月9日 … 梶 光夫(かじ みつお、本名:梶 芳道、1944年9月9日 - )は、1960年代の日本の歌手、現在は日本を代表する金細工師・宝飾デザイナーとして国際的にも知られ、また米国宝石学会(G.I.A GG)の資格を取得し、宝石鑑定家でもある。 大阪府大阪市出身。1944年、大阪で時計・宝石・貴金属を扱う宝石商「スイス時計店」の長男として生まれる。 1963年12月、コロムビアレコードより「黒髪」で歌手デビュー、翌1964年には、3作目の「青春の城下町」が大ヒット。テレビを中心に映画にも多数出演する。 父親は長男に家業を継いでほしいという思いから芸能界入りを反対していたが、デビュー時に父親と交わした“芸能生活は5年間”という約束を守り、1970年には歌手を引退した。
松原 敬生(まつばら たかお、1944年〈昭和19年〉8月5… 松原 敬生(まつばら たかお、1944年〈昭和19年〉8月5日 - 2020年〈令和2年〉11月22日)は、元東海ラジオ放送アナウンサー、フリーアナウンサー・会社役員・歌手。本名は松原 敬夫(読み同じ)。血液型はB型。 東京都生まれ、愛知県名古屋市北区大曽根育ち。名古屋市立六郷小学校、東海中学校・高等学校、同志社大学法学部政治学科卒業。 1968年4月、東海ラジオにアナウンサーとして入社。『ミッドナイト東海』『ぶっつけワイド』のパーソナリティを務めた。1970年代後半~90年代に掛けて、局の看板アナウンサーとして活躍を続ける一方、1980年代以降はアナウンス部長、ラジオ製作部長などの要職を歴任した。
渡瀬 恒彦(わたせ つねひこ、1944年〈昭和19年〉7月2… 渡瀬 恒彦(わたせ つねひこ、1944年〈昭和19年〉7月28日 - 2017年〈平成29年〉3月14日)は、日本の俳優、歌手。本名同じ。 島根県能義郡安来町(現・安来市)生まれ、兵庫県淡路島育ち。東映マネージメント最終所属。兄は俳優の渡哲也、長男はTBSディレクターの渡瀬暁彦。 幼少期はガキ大将だった。同じ小学校に通った同級生は「恒ちゃんは、ガキ大将で、けんかがものすごく強かった。友だちをいじめた相手に『何やってるんや』と向かっていき、兄貴肌で慕われていた」と懐かしんだ。生誕した島根県から兵庫県津名郡淡路町(現・淡路市)に移り、三田学園中学校・高等学校卒業(6年間の寮生活)。中学の入学試験で「あの野郎2番の成績で入って来た」と兄・渡哲也が回想していたが中学三年で柔道黒帯。
島 和彦(しま かずひこ、1944年(昭和19年)7月15日… 島 和彦(しま かずひこ、1944年(昭和19年)7月15日 - )は、日本の歌手。島和彦が歌手としてデビューするきっかけは、当時東京第一プロダクションが一世を風靡したスリーファンキーズのメンバーの一人が辞める後釜を募集したときに、本人に内緒で関係者が応募し、公開コンテストで優勝したが、グループのカラーに合わないので、2位の手塚がメンバー後任に選ばれたが、選考委員の一人、後の東京都知事を務めた青島幸男が惚れ込み、島和彦の母が営む中野区の喫茶店Mに、場所に不似合いの真紅のスポーツカーにトレンチコートを着たダンディーな青島幸男が押しかけ、島和彦と彼の母親をソロでデビューするよう説得し、その後、大島渚監督の映画『悦楽』の主題歌「悦楽のブルース」で1965年にデビューした。
木村 俊光(きむら としみつ、1944年(昭和19年)6月2… 木村 俊光(きむら としみつ、1944年(昭和19年)6月28日 - 2026年4月17日)は、日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、音楽教育者。桐朋学園大学名誉教授。 北海道札幌市生まれ。 1967年(昭和42年)桐朋学園大学卒業。声楽を伊藤武雄に、指揮法を齋藤秀雄に師事。 1968年(昭和43年)に渡欧。ウィーン国立音楽大学に入学。在学中に国際コンクールで連続優勝(後述の受賞歴の項を参照)。1970年(昭和45年)ウィーン国立音楽大学を首席で卒業。 1970年(昭和45年)からライン・ドイツ・オペラ(西ドイツ・デュッセルドルフ/デュースブルク)と契約し、16年にわたり専属歌手として、プッチーニ『ラ・ボエーム』マルチェロ役などで活躍。
愛 まち子(あい まちこ、1944年6月11日 - )は、日… 愛 まち子(あい まちこ、1944年6月11日 - )は、日本の女優、歌手。本名:渡辺 伸子。 東京都赤坂区(現:港区南青山)出身。上野高等学園音楽科、上野学園大学卒。趣味は旅行。テイチクレコードなどを経て、東宝に所属していた。
鏡 五郎(かがみ ごろう、1944年6月8日 - )は、日本… 鏡 五郎(かがみ ごろう、1944年6月8日 - )は、日本の演歌歌手。大阪府豊中市出身。大阪府立園芸高等学校卒業。長男は作曲家の山中孝真。殺陣師の三好郁夫は兄。 1967年に「嫌んなっちゃった東京」で日本コロムビアからレコードデビュー。この曲は鏡いわく「そこそこ売れた」という。以降、長い間に渡って下積み生活が続く。その間、俳優としても活動をしており暴れん坊将軍などの時代劇で得意の殺陣を披露した経験がある。所属レコード会社は東芝・ビクター・トリオを経て、1985年にキングレコードに移籍。 1988年に『鴻上尚史のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)で自身や家族が話題となり(詳細は後述)、同年に発売した「おしどり人生」がヒット。
マイク眞木(マイク まき、1944年4月27日 - )は、日… マイク眞木(マイク まき、1944年4月27日 - )は、日本の俳優、フォーク歌手。本名、眞木 壮一郎 (まき そういちろう)。真木と表記される場合もあるが、正確には眞木である。日本大学藝術学部放送学科卒業。東京都出身。
マイク眞木(マイク まき、1944年4月27日 - )は、日… マイク眞木(マイク まき、1944年4月27日 - )は、日本の俳優、フォーク歌手。本名は眞木 壮一郎(まき そういちろう)。活動の初期においてはマイク真木とする表記を用いていたが、後には眞木と改めた。日本大学藝術学部放送学科卒業。東京都港区赤坂出身。身長170cm。 少年期から音楽に熱中しており、中学生の頃には地元のクラブに演奏に来ていたザ・ドリフターズのファンであったことを後年、『ドリフ大爆笑』(144回、1992年)の「雷様コント」にゲスト出演した際に語っている。 また、舞台美術家の父の影響もあり、幼い頃から模型作りが好きで、部屋中には模型やプラモデルだらけだった。高校3年生の頃には自宅近所のTBSの美術部で特撮のアルバイトをしていたこともある。
冠 二郎(かんむり じろう、1944年4月23日 - 202… 冠 二郎(かんむり じろう、1944年4月23日 - 2024年1月1日)は、日本の演歌歌手。「炎」の大ヒットにより「ネオ演歌」「J-Enka」「アクション演歌」の旗手と目された。 埼玉県秩父市出身。埼玉県立秩父高等学校を卒業した。学生時代は女子に人気だったため、アイドルを目指して上京。しかし作詞家の三浦康照に「君の顔は演歌顔だ!」と言われ、演歌に転向。音程の良さや「土の香りのする素朴さがいい」と見込まれ、三浦に弟子入りする。 レコード会社も三浦と同様に「あなたの顔は演歌だ。鼻が演歌鼻だ!」と演歌でのデビューを推した。1967年に「命ひとつ」で日本ビクターよりデビュー。三浦から和田香苗を紹介され、同時に師事するようになる。
広瀬 みさ(ひろせ みさ、1944年4月1日 - )は、昭和… 広瀬 みさ(ひろせ みさ、1944年4月1日 - )は、昭和時代の日本の歌手、映画、テレビ女優。 神奈川県横浜市出身。1962年、横浜学園高等学校を卒業後、大映第15期ニューフェースとして大映演技研究所で学び、1964年日本テレビ『ダイヤル110番・死のダイビング』で主役に抜擢されデビューした。それに先立つ1963年8月には日本コロムビアと専属歌手契約をし、広瀬美砂名義でシングル『思い出のバカンス』をリリースし歌手デビューした。ただし、歌手活動は1967年にコロムビアとの契約が切れるまでの数年間のみで、1964年から1969年に結婚引退するまでの間は、女優としてテレビと映画を中心に活躍した。テレビでは竜雷太主演の『でっかい青春』にヒロインの女教師、高見紀美役に抜擢されたほか数多くのドラマにレギュラー出演した。
大塚 博堂(おおつか はくどう、本名の読み:おおつか ひろた… 大塚 博堂(おおつか はくどう、本名の読み:おおつか ひろたか、1944年3月22日 - 1981年5月18日)は、ニューミュージックのシンガーソングライター。大分県別府市出身。東洋音楽大学(現:東京音楽大学)声楽科中退。活動時の所属事務所は渡辺プロダクション。 以下の表記は、「博堂」で統一する。 1972年(昭和47年)に「大塚たけし」名義で歌手デビュー、デビュー曲は「自由に生きてほしい」。作曲:井上忠夫、作詞:阿久悠の音楽祭用の楽曲であったが、ヒットには繋がらなかった。その後クラブやライブハウスでの弾き語りの活動が評判になり、1976年(昭和51年)6月26日、『ダスティン・ホフマンになれなかったよ』で32歳での再デビュー。
麻生 レミ(あそう れみ、1944年3月5日 - )は、日本… 麻生 レミ(あそう れみ、1944年3月5日 - )は、日本の歌手、ギタリスト。初期の芸名は麻生京子。日本の女性ロック・ボーカリストの草分け的存在で、ソウルフルな歌唱から「和製ジャニス」とも呼ばれた。 東京都出身。本名は土生(はぶ)京子。 1960年頃より、ジャズ喫茶などで演奏していたブルーコメッツにボーカルとして参加するようになる。 1962年、日本コロムビア主催のコンテストにて最優秀賞を受賞し契約。同年、麻生京子の芸名で「ハンガリア・ロック」でソロ・デビューし、主に洋楽ポップスの日本語カヴァー曲をリリースする。 1965年、エレキ・バンドのブルー・ファイアに迎えられ、麻生京子とブルー・ファイアを結成し、ブルーコメッツの前座や、同年秋から放送された「エキサイト・ショー」でレギュラーをつとめた。
南 正人(みなみ まさと、1944年3月3日 - 2021年… 南 正人(みなみ まさと、1944年3月3日 - 2021年1月7日)は、日本のフォークシンガー。レゲエ、ロック歌手。 東京都杉並区出身。東京外国語大学外国語学部スペイン語学科卒業。死去当日までライブツアーを行っており、ライブ中に逝去した。 1960年代後半、東京外国語大学外国語学部スペイン語学科在籍中に休学届けを提出し、少年の頃からの夢を実現すべく太平洋を船で渡り、アメリカ、メキシコ、ヨーロッパ各地を丸2年間放浪。帰国後は大学を卒業するものの就職せず、都内のバーで弾き語りのアルバイトをする。ベトナム戦争という時代背景のもと、反戦集会などで自作のメッセージソングを歌い始める。高田渡、遠藤賢司、真崎義博らと日本語フォーク・ソングのチーム「アゴラ」に参加し、東京を拠点に活動する。
黒沢 年雄(くろさわ としお、1944年〈昭和19年〉2月4… 黒沢 年雄(くろさわ としお、1944年〈昭和19年〉2月4日 - )は、日本の俳優・歌手・タレント。本名・旧芸名(2000年に改名)、黒沢 年男(読み同じ)。株式会社プロダクション・クロ代表取締役。弟は黒沢博(寺内タケシとバニーズ&ヒロシ&キーボー元メンバー)。妻は街田リーヌ(本名・街子、旧姓・宮崎)、娘は元女優の黒沢レイラ(旧芸名・三井万裕美、本名・裕美)。 神奈川県横浜市西区出身。日本大学高等学校中退。 父はボイラー技士。四人兄弟の長男(博は三男)。 小学生の頃に好きだった巨人の選手(川上哲治、青田昇ら)に憧れて野球選手になると決心して野球を始め、日本大学横浜学園(日本大学中学校)進学後も高校生時代まで野球部に所属。
黒沢 年雄(くろさわ としお、1944年2月4日 - )は、… 黒沢 年雄(くろさわ としお、1944年2月4日 - )は、日本の俳優・歌手。本名・旧芸名(2000年に改名)、黒沢 年男(読み同じ)。株式会社プロダクション・クロ代表取締役。神奈川県横浜市西区出身。日本大学高等学校中退。弟はくろさわ博(元ヒロシ&キーボー)。妻は街田リーヌ(本名・街子、旧姓・宮崎)、娘は黒沢レイラ(旧芸名・三井万裕美、本名・裕美)。
朝月 廣臣(あさづき ひろおみ、1944年1月22日 - 2… 朝月 廣臣(あさづき ひろおみ、1944年1月22日 - 2009年9月13日)は、日本の歌手、作曲家。 千葉県千葉市出身。1964年に日本コロムビアより『若いんだもの』で歌手としてデビュー。当時の芸名は「朝月景一」だった。 1978年に都はるみと結婚。結婚期間中の1981年には、宮崎 雅(みやざき ただし)名義で都はるみとのデュエット曲『ふたりの大阪』を発売し、ヒットとなったが、1982年2月に離婚。その後は作曲家として活動する傍ら、千葉県で歌謡教室を開くなどの活動をしていた。 2009年9月13日、すい臓がんの為に逝去。65歳没。
小椋 佳(おぐら けい、1944年〈昭和19年〉1月18日 … 小椋 佳(おぐら けい、1944年〈昭和19年〉1月18日 - )は、日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家。本名・神田 紘爾(かんだ こうじ)。 1971年に歌手としてデビュー。当初はフォークソングあるいはニューミュージックに分類されていたが、次第にジャンルを広げていった。銀行員としてエリートコースを歩む一方、デビューから20年以上もの間、ほとんど表舞台に出ないアーティストとして活躍する。 1993年、銀行を早期退職すると、音楽活動の一方で再び母校の東京大学法学部に学士入学し、1995年に法学部第3類(政治コース)を卒業。さらに東京大学文学部思想文化学科とその大学院(人文社会系研究科の思想文化コース)でも学び、2000年に修士号を取得した(哲学専攻)。
荒木 一郎(あらき いちろう、1944年1月8日 - )は、… 荒木 一郎(あらき いちろう、1944年1月8日 - )は、日本の俳優、歌手、音楽プロデューサー、実業家、小説家、マジック評論家、カードマジック研究家。
子門 真人(しもん まさと、1944年1月4日 - )は、日… 子門 真人(しもん まさと、1944年1月4日 - )は、日本の元ミュージシャン(歌手・元音楽プロデューサー)。血液型はA型。本名:藤川 正治()で、旧芸名・別名義:藤 浩一()、谷 あきら()など多数。東京都目黒区生まれ。玉川大学文学部英米文学科卒業。 代表曲に「およげ!たいやきくん」「レッツゴー!! ライダーキック」など子供番組・アニメ番組で多くのヒット曲を持つことから、水木一郎やささきいさおと並んでアニメソング御三家と称された。 1966年、藤 浩一の芸名で歌謡曲の歌手として日本グラモフォン(ポリドール・レコード=現:ユニバーサル ミュージック ジャパン)からデビュー。デビュー曲「故郷の悲しき星/涙のギター」(両A面シングル)は1万枚を売り上げた。
古谷 一行(ふるや いっこう、1944年〈昭和19年〉1月2… 古谷 一行(ふるや いっこう、1944年〈昭和19年〉1月2日 - 2022年〈令和4年〉8月23日)は、日本の俳優、歌手。本名:古谷 一行(ふるや かずゆき)。フロム・ファーストプロダクション所属。 1970年代から2000年代にかけて、数多くのサスペンスドラマで主演を務め、人気を博した。 東京都出身。大塚の写真館の長男。東京都立板橋高等学校を経て、弁護士を目指して、中央大学法学部卒業。 大学在学中、俳優座養成所第16期を経て俳優生活を開始。 1977年からの『横溝正史シリーズ・名探偵金田一耕助シリーズ』などでの主人公・金田一耕助役を一貫して演じ、当たり役となる(2019年12月21日には、NEWSの加藤シゲアキが金田一耕助を演じる『悪魔の手毬唄〜金田一耕助、ふたたび〜』に磯川常次郎警部役で出演し、加藤と古谷の新旧金田一役俳優の共演が実現。
横井 久美子(よこい くみこ、1944年 - 2021年1月… 横井 久美子(よこい くみこ、1944年 - 2021年1月14日)は、日本のフォークシンガーであり、シンガーソングライターでもある。事務所は東京都国立市。「ノーモア・スモンの歌」など、公害や差別をテーマにした歌で知られる。 愛知県名古屋市出身。名古屋市立菊里高等学校、国立音楽大学声楽科卒業。大学在学中よりコーラスグループ「ボーチェ・アンジェリカ」に入団。1969年よりソロシンガーとして活動開始。創造集団「麦笛の会」を結成して全国を回る[要出典]。1998年、文化庁新進芸術家派遣研究員としてアイルランドのリムリック大学に留学した。1972年、ベトナムのハノイを訪れ、反戦歌を歌う。2005年、ベトナム政府よりベトナム戦争を勝利に導いた国際的友人として「国際平和友好勲章」を受けた。
加藤 登紀子(かとう ときこ、本名:藤本 登紀子、1943年… 加藤 登紀子(かとう ときこ、本名:藤本 登紀子、1943年〈昭和18年〉12月27日 - )は、日本初の女性シンガーソングライター、作詞家、作曲家、女優。日本訳詩家協会6代目会長。「おときさん」の愛称で親しまれている。 「百万本のバラ」(1987年 のヒット曲)の日本語歌詞作詞を行ったことや、「難破船」(自身の歌唱後、中森明菜がカバーした)の作詞作曲などでも知られる。『ほろ酔いコンサート』を50年以上に渡って開いている(2023年現在)。 城西国際大学観光学部で客員教授をした後、星槎大学共生科学科客員教授(2025年1月現在)。日本訳詩家協会会長に就任(2021年5月〜)。夫は学生運動活動家の藤本敏夫。
仲野 文梧(なかの ぶんご、1943年12月18日 - )は… 仲野 文梧(なかの ぶんご、1943年12月18日 - )は、日本の俳優、声優、ソングライター、歌手である。早稲田大学教育学部英語英文学科卒。1963年に劇団「民藝」入団、1970年退団。現在、有限会社グルー所属の俳優である。音楽事務所はサニープラニング。 東京都出身。早稲田大学教育学部英語英文学科卒。1963年に劇団「民藝」に入り、1970年退団。現在、有限会社グルー所属の俳優。 作詞家、作曲家として、ジュディ・オング、郷ひろみ等にも作品を提供。音楽事務所はサニープラニング。 デュエット曲「東中野は初恋の街」は、自身の作詞・作曲で、女優の山口いづ世(女優の斎藤こず恵(NHK朝のドラマ「鳩子の海」主役)の母)とデュエットで歌っている。
海勢頭 豊(うみせど ゆたか、 (1943-11-17) 1… 海勢頭 豊(うみせど ゆたか、 (1943-11-17) 1943年11月17日(82歳)- )は、沖縄県与那城町(現うるま市)平安座島出身の日本の作曲家、シンガーソングライターである。 1962年にギターの演奏および音楽理論、編曲、作曲法を独学で習得し、琉球大学ギターアンサンブルを創設する。 1982年、東京国立劇場にて文化庁主催・沖縄県本土復帰10周年記念『沖縄のこころとかたち』コンサートにて「さとうきびの花」がNHK「みんなのうた」で放送された。 2007年には沖縄那覇市民会館にてバレエ「血の婚礼」を公演し、冠船流川田禮子芸歴70周年記念公演「川田禮子の世界」(前進座劇場にて)三隅治雄作・演出の創作琉球舞踊劇「伊野波節の女」の音楽を担当する。
安田 南(やすだ みなみ、1943年11月14日 - 200… 安田 南(やすだ みなみ、1943年11月14日 - 2000年代初頭?/2008年頃?/2009年?/2018年12月25日?)は、日本の女性ジャズシンガー。 北海道札幌市生まれ。12歳まで札幌で過ごし、中学の時、東京都目黒区の目黒第十中学校に転入する。同級生に佐藤信(劇作家・演出家)がいた。一人で演劇部を創設するなど、活動的な生徒であった。東京都立広尾高等学校では授業をさぼってジャズ喫茶に入り浸り、サラ・ヴォーンやアート・ブレイキーに夢中になる。同校卒業後の1961年、18歳でテレビ番組「勝ち抜きジャズ」ボーカル部門に出演し優勝、世界一周をした実力派。20歳のとき俳優座養成所に16期生として入所するが2年で中退(養成所同期に古谷一行、鶴田忍、峰岸徹、大林丈史、大出俊、太地喜和子などがいる)。