城野 昭(じょうの あきら、1944年11月14日 - )は… 城野 昭(じょうの あきら、1944年11月14日 - )は、元テレビ西日本(TNC)・毎日放送(MBS)の男性アナウンサー。 神奈川県藤沢市出身。國學院大學卒。テレビ西日本を経て、1973年に毎日放送へ移籍。 主に野球などスポーツ中継を担当。プロ野球中継では「江夏の21球」で知られる1979年の日本シリーズ第7戦をはじめ、1992年10月10日のヤクルト優勝決定試合、1995年の日本シリーズ第2戦などの実況を担当。年末年始恒例の『全国高校ラグビー大会』では長年にわたり決勝戦の実況を担当。また、かつて行われていた「ソウル国際女子駅伝」のメイン実況も務めた。 1981年春の選抜高校野球の開会式では、入場行進曲(『青い珊瑚礁』)を歌った松田聖子をゲスト席に迎え実況を務める。
松平 定知(まつだいら さだとも 1944年11月7日 - … 松平 定知(まつだいら さだとも 1944年11月7日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)、京都造形芸術大学芸術学部通信教育部教授、早稲田大学専門職大学院公共経営研究科客員教授、國學院大學文学部客員教授、立教大学21世紀社会デザイン研究科客員教授。
小島 一慶(こじま いっけい、1944年〈昭和19年〉10月… 小島 一慶(こじま いっけい、1944年〈昭和19年〉10月2日 - 2020年〈令和2年〉4月23日)は、日本のフリーアナウンサー。元TBSアナウンサー、司会者。俳人(「玉藻」同人)。 本名の漢字表記は同じだが、名前の読みは「かずよし」である。長崎県長崎市出身。 母子家庭育ちで、本人曰く「貧しかった」。一家には、旅回りの役者だった祖父、博打打ちで「明烏のおはつ」と呼ばれていた祖母もいた。祖父が時折酒乱で暴れていたことから母は耐えられず別居して、子供のころの小島も身に危険を感じると母の元へ逃げ込んでいたということもあった。 幼稚園時代から演劇に熱中するようになり、また浪曲が好きで、子供の頃は浪曲師か役者になりたいと思っていた。
松永 邦久(まつなが くにひさ、1944年9月25日 - )… 松永 邦久(まつなが くにひさ、1944年9月25日 - )は、日本の男性アナウンサー。
原 國雄(はら くにお、1944年9月18日 - )は、東京… 原 國雄(はら くにお、1944年9月18日 - )は、東京都日野市出身の元俳優・元アナウンサー。 1950年代まで子役、1960年代後期から2000年代までアナウンサーとして活躍。 父は東映プロデューサーであったことから、小学3年次の1954年に子役として芸能界デビュー。『母水仙』『少年探偵団』『月光仮面』などに出演するが、中学時の1959年に芸能界を引退。 1964年に早稲田大学政治経済学部へ進学し、アナウンス研究会にも所属。同研究会ではフジテレビに入社した逸見政孝・松倉悦郎、毎日放送に入社した板倉俊彦、政治学者・大学教授の福岡政行と同期であった。 卒業後の1968年に福島テレビへ入社(同期には鈴木孝之、玉盛孝江、増子慶子)。
松原 敬生(まつばら たかお、1944年〈昭和19年〉8月5… 松原 敬生(まつばら たかお、1944年〈昭和19年〉8月5日 - 2020年〈令和2年〉11月22日)は、元東海ラジオ放送アナウンサー、フリーアナウンサー・会社役員・歌手。本名は松原 敬夫(読み同じ)。血液型はB型。 東京都生まれ、愛知県名古屋市北区大曽根育ち。名古屋市立六郷小学校、東海中学校・高等学校、同志社大学法学部政治学科卒業。 1968年4月、東海ラジオにアナウンサーとして入社。『ミッドナイト東海』『ぶっつけワイド』のパーソナリティを務めた。1970年代後半~90年代に掛けて、局の看板アナウンサーとして活躍を続ける一方、1980年代以降はアナウンス部長、ラジオ製作部長などの要職を歴任した。
小口 勝彦(おぐち かつひこ、1944年7月28日 - )は… 小口 勝彦(おぐち かつひこ、1944年7月28日 - )は、日本のアナウンサー、報道記者、テレビディレクター。 大阪府出身、早稲田大学文学部卒業。 早稲田大学文学部卒業後、1967年4月にTBSにアナウンサー12期生として入社(同期アナウンサーには青木靖雄、石森勝之、河野通太郎、久米宏、林美雄、宮内鎮雄、米沢光規)。11月15日にアナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務となる。主にニュース・報道系を担当。 映画が好きで、ラジオ『朝のひととき』では日本映画を紹介。試写会にデンスケを持ち込んで音声をテープ録音したものを映画音楽・内容を紹介した。 その後、報道局ラジオニュース部に所属後、アナウンス職を離れディレクターに転身する。
久米 宏(くめ ひろし、1944年〈昭和19年〉7月14日 … 久米 宏(くめ ひろし、1944年〈昭和19年〉7月14日 - 2026年〈令和8年〉1月1日)は、日本のフリーアナウンサー、タレント、総合司会者、ラジオパーソナリティ、ニュースキャスター。ドイツ親善大使も務める。オフィス・トゥー・ワン所属。 国鉄と東芝に勤務していたエンジニアを父に、両親が疎開していた埼玉県浦和市(後のさいたま市浦和区)で誕生。姉3人の下の末っ子。戦時中は同児玉郡に疎開。戦後は、東京都品川区北品川で幼少時代を過ごす。 なお、父親は仕事で留守がちだったため、姉のスカートを縫い直した半ズボンを履いて「女の館に育った」と自身語っており、幼少時から女性の性(さが)を知っていた環境が、久米の感性に影響を与えたことは間違いないという。
桑原 征平(くわばら しょうへい、1944年〈昭和19年〉5… 桑原 征平(くわばら しょうへい、1944年〈昭和19年〉5月14日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、ラジオパーソナリティ。ニックネームは「征平さん」(もしくは「征平ちゃん」)で、2015年度からは種智院大学人文学部の客員教授を務める。 1969年8月から2004年5月までは、アナウンサーとして関西テレビに勤務。2004年度から2014年度までは、アナウンサーとして活動するかたわら、大阪芸術大学で客員教授や教授を歴任した。また、一時は「丹後ふるさと観光大使」(京都府)も務めていた。 京都府京都市右京区西院の出身で、京都で「水泳一家」として知られた家庭の三男として出生した。 高校進学の際には、2人の兄の母校でもある京都市立西京高等学校商業科を受験するも不合格。
神山 喜久子(かみやま きくこ、1944年5月8日 - 、旧… 神山 喜久子(かみやま きくこ、1944年5月8日 - 、旧姓・井室)は、元日本テレビアナウンサー。 東京都立新宿高等学校、慶應義塾大学文学部国文学専攻卒業。1967年に日本テレビにアナウンサーとして入社。同期は山本園子、白石(旧姓・久保)旺子、竹内公一、高雄孝昭。アナウンサー時代は主に情報番組を担当。「お昼のワイドショー」のサブ司会を10年間の長きにわたって務めた。同番組降板後はアナウンス部を離れ、ファッション事業部(在籍中に深夜のファッション番組「クチュリエで道楽」のプロデューサーを担当)などを経て1996年から広報局に在籍。2004年に定年を迎えた後も嘱託でテレビドラマやバラエティの広報を担当。
銅谷 志朗(どうや しろう、1944年(昭和19年)4月30… 銅谷 志朗(どうや しろう、1944年(昭和19年)4月30日 - 2018年(平成30年)10月29日)は、日本のアナウンサー(山陽放送→テレビ朝日→フリー)、相撲キャスター、相撲ジャーナリスト。東京相撲記者クラブ会友。 港区立白金小学校、港区立高松中学校、東京都立三田高等学校を経て、明治大学政治経済学部経済学科を卒業後、1968年(昭和43年)4月、山陽放送(現在のRSK山陽放送)にアナウンサーとして入社、ラジオDJ、テレビ広報番粗、ニュースなどを担当。 1971年(昭和46年)4月、日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)に移籍。主にニュース、ドラマのナレーション、スポーツ実況(大相撲・プロレス・ボクシング・アーティスティックスイミング・重量挙げ・卓球・競馬・陸上競技フィールド競技など)を担当。
佐藤 征一(さとう せいいち、1944年4月28日 - )は… 佐藤 征一(さとう せいいち、1944年4月28日 - )は、福岡県北九州市出身のフリーアナウンサー。 小倉高校時代の同級生には漫画家・イラストレーターのわたせせいぞうがいる。法政大学卒業後の1967年にテレビ西日本へ入社し、主にプロ野球・公営競技などのスポーツ中継を担当。特に競馬中継→エキサイティング競馬→ドリーム競馬の小倉開催分のメインキャスターを務め、退職までの数年間はプロデューサーも兼務。これは後輩の川﨑聡にも引き継がれた。プロ野球ニュースでは福岡からのコーナーキャスターも担当し、時間終わりの「佐藤アナ・今日の一句」は番組名物となった。TVQ開局前の1990年まで小倉競輪場・飯塚オートレース場の特別競走を実況し、特に小倉の競輪祭はテレビ東京系列でも放送された。
青木 靖雄(あおき やすお、1944年4月21日 - )は、… 青木 靖雄(あおき やすお、1944年4月21日 - )は、日本のアナウンサー。 富山県高岡市出身。東京大学法学部卒業。 1967年4月、TBSに入社、アナウンサー12期生(同期には石森勝之・小口勝彦・河野通太郎・久米宏・林美雄・宮内鎮雄・米沢光規)として放送界にデビュー、ニュース・報道系アナウンサーとして活躍。11月15日にアナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務となる。 TBS退社後もTBSニュースバードの「ビジネス・ナビ」コーナーで東証アローズからのリポートを2007年3月30日まで担当した。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
柴山 光由(しばやま みつよし、1944年(昭和19年)3月… 柴山 光由(しばやま みつよし、1944年(昭和19年)3月9日 - )は、仙台放送の元アナウンサー、元アナウンス部長。在籍末期は解説委員の肩書も持っていた。 東京都台東区生まれ。1966年に法政大学卒業。同年、仙台放送に入社(同期に山崎正)。『2時ですOXです』やゴルフの『JCBクラシック仙台』の実況などを経て、夕方のローカルニュース(『FNN仙台放送スーパータイム』~『仙台放送スーパーニュース』)のキャスターを2004年3月26日まで16年近く務めた。 2004年3月31日でアナウンサー職を退いた後、仙台放送を退職し、さとう宗幸が代表を務めるさとう音楽事務所に所属。仙台市教育委員を務めつつ、宮城県ローカル版のアメリカンホームダイレクトのコマーシャルに出演している。
草野 仁(くさの ひとし、1944年2月24日 - )は、日… 草野 仁(くさの ひとし、1944年2月24日 - )は、日本のニュースキャスター、総合司会者、元NHKアナウンサー。 『世界・ふしぎ発見!』の司会など、多方面で活動している。 1944年、満洲国新京(現:中国吉林省長春)に生まれる。父は数学者で長崎大学名誉教授の草野萬三郎、母フジコは音楽教師。2歳の時に引き揚げ、長崎県島原市で育つ。10歳以上年の離れた兄2人(尚・永)と8歳年上の姉洋子を持つ末っ子。島原市立島原第一中学校卒業後、長崎県立島原高等学校に進学。その後、長崎県立長崎西高等学校への転校、一浪を経て東京大学文学部社会学科を首席で卒業。卒業論文のテーマは「戦後沖縄における対米感の推移」。 1967年、NHKに入局。
岩崎 直子(いわさき なおこ、1944年2月24日 - )は… 岩崎 直子(いわさき なおこ、1944年2月24日 - )は、フリーアナウンサー、元TBSアナウンサー。 東京都世田谷区出身。東京学芸大学国文学科卒業。 1966年4月、TBSに入社した。1970年2月、TBSを退社した。1970年3月、フリーアナウンサーに転身した。1987年11月、『JALミュージックツアー』でゴールデンマイク賞を受賞した。 NHKのアナウンサーだった伯父の影響で放送界を目指す。学生時代はラジオドラマ製作に携わっていた。 1966年4月、TBSにアナウンサー11期生として入社した(同期には遠藤泰子・川戸惠子・藤田恒美・堀川友子)。アナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部(1967年11月15日)、アナウンサー研修室付兼ラジオ局放送部(1969年3月)、ラジオ局放送部兼第一制作部兼アナウンサー研修室付(1969年4月)に所属した。
岡崎 トミ子(おかざき とみこ、1944年〈昭和19年〉2月… 岡崎 トミ子(おかざき とみこ、1944年〈昭和19年〉2月16日 - 2017年〈平成29年〉3月19日)は、日本の政治家、アナウンサー。 衆議院議員(2期)、参議院議員(3期)、文部政務次官(村山内閣)、参議院総務委員長、参議院災害対策特別委員長、国家公安委員会委員長(第82代)、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全、少子化対策、男女共同参画)、民主党副代表を歴任。 福島県福島市出身。最終学歴は、福島県立福島女子高等学校(現:福島県立橘高等学校)卒業。 福島女子高では体操部に所属し、国民体育大会に出場した。福島女子高を1962年(昭和37年)に卒業すると同時にラジオ福島に入社し、アナウンサーを務めた。
川戸 惠子(かわど けいこ、1944年2月6日 - )は、日… 川戸 惠子(かわど けいこ、1944年2月6日 - )は、日本のTBS(東京放送→TBSテレビ)[注 1]のアナウンサー、報道記者、解説委員、シニアコメンテーター。川戸 恵子とも表記[3]。旧姓名:堀川 恵子[3][4]。
犬飼 俊久(いぬかい としひさ 1944年1月7日 - )は… 犬飼 俊久(いぬかい としひさ 1944年1月7日 - )は、日本のアナウンサー、実業家。愛知県名古屋市瑞穂区生まれ。 東海高等学校卒業。1967年(昭和42年)に中央大学商学部会計学科を卒業後、東海ラジオ放送へ入社。主にプロ野球の中日ドラゴンズ戦(『ガッツナイター』)などスポーツ中継を担当し、1974年・1982年・1988年のセントラル・リーグ優勝や1994年(平成6年)の「10.8決戦」など多くの名試合の実況を担当してきた。また、東海地方の有名企業のトップ・財界人にインタビューする番組を担当していた。 2004年12月に報道制作局長兼放送技術局長(役員待遇)となった後、2005年6月に取締役報道制作局長となりアナウンサーとしての一線から退くも、スペシャルウィーク(聴取率調査週間)時の『ガッツナイター』には特別に実況を担当することもあった。
井上 凱文(いのうえ いつのり、1944年〈昭和19年〉1月… 井上 凱文(いのうえ いつのり、1944年〈昭和19年〉1月5日 - )は、元山陽放送(RSK)アナウンサー。岡山弁協会名誉顧問。 番組内では、井上いつのりと紹介されることが多い。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
宮崎 総子(みやざき ふさこ、本名:同じ、1944年〈昭和1… 宮崎 総子(みやざき ふさこ、本名:同じ、1944年〈昭和19年〉1月2日 - 2015年〈平成27年〉2月24日)は、日本のアナウンサー。愛称は「ミヤちゃん」、「フチャコ」。アナウンサーとしてのテレビ出演で知られるほか、「無名塾」のプロデューサーとして演劇製作に携わったこともある。身長150cm。 第二次世界大戦末期の1944年、裁判官だった父親の赴任先であった福岡県福岡市博多区で生まれ、間もなく母・姉とともに広島県呉市の伯父宅に疎開した。戦後、父親が弁護士に転身し、一家で東京に移った。 立教女学院高等学校から立教大学文学部英米文学科に入学、英語劇の女優として活躍し立教・慶應・早稲田・一橋の4大学英語劇コンテストでは主演演技賞を受賞したこともあってスチュワーデスにも憧れていたが、150cmで身長不足により断念。
山崎 正(やまざき ただし、1944年1月1日 - 2023… 山崎 正(やまざき ただし、1944年1月1日 - 2023年6月25日)は、日本のフリーアナウンサー。元仙台放送・中京テレビ・テレビ朝日アナウンサー。相撲評論家(東京相撲記者クラブ会友)。また、圭三プロダクションに「客員」として所属。 東京都荒川区日暮里出身。日本大学第二高等学校、日本大学経済学部卒業。仙台放送(1966年 - 1969年)、中京テレビ(1969年 - 1973年)を経て、1973年6月15日、テレビ朝日(当時日本教育テレビ)に中途入社した。 テレビ朝日では主にニュースやプロレス中継を務め、中でも『大相撲ダイジェスト』では長年司会を務めた。また、在籍期間中にアナウンス部長も経験した。
柏村 武昭(かしむら たけあき、1944年〈昭和19年〉1月… 柏村 武昭(かしむら たけあき、1944年〈昭和19年〉1月1日 - )は、日本のフリーアナウンサー、タレント、司会者、政治家。自由民主党所属の元参議院議員(1期)。「木へんにホワイト、柏村武昭です」のキャッチフレーズで知られている。 婚姻歴は2回で、現在の妻は、元「はしだのりひことエンドレス」のヴォーカル・林竹洋子。洋子との間に授かった娘の柏村星良も、タレントとして活動している。 広島県三次市出身。広島県立三次高等学校(演劇部に所属)を経て、早稲田大学第一文学部演劇学科に入学。在学中は露木茂(のちのフジテレビアナウンサー)などが所属していた早稲田大学放送研究会に所属。ナレオハワイアンズの司会などで活動。
田中 穂蓄(たなか ほづみ、1944年(昭和19年) - )… 田中 穂蓄(たなか ほづみ、1944年(昭和19年) - )は元TOKYO FMアナウンサー。東海大学卒業。 現在はJ-WAVEのニュースデスク。 1944年生まれ。学生時代は、喫茶店でDJのアルバイトをする。1967年、FM東海(後のFM東京)入社。2004年7月、定年退職。2005年4月より、J-WAVEニュースデスク(日・月・火・金担当)。航空ジャーナリスト協会理事(2006年11月時点)。たまプラーザに本拠をもつプラモデルクラブろうがんず会員。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
長谷川邦彦(はせがわ くにひこ、1944年 - 1989年6… 長谷川邦彦(はせがわ くにひこ、1944年 - 1989年6月8日)は、北海道函館市出身 のアナウンサー。 高崎経済大学卒業後の1972年に北海道文化放送へ入社し、バレーボールや 競馬中継の実況を担当。 バレーボールでは1981年と1985年にワールドカップを担当するなど全国でもトップクラスの実力を発揮し 、北海道マラソンでは1987年に競技場を担当。 報道制作部アナウンス部長在籍中の1989年6月8日、膵癌で死去 。享年45歳。
竹石 松次(たけいし まつじ、1943年12月7日 - )は… 竹石 松次(たけいし まつじ、1943年12月7日 - )は、日本の実業家、新潟放送の元アナウンサー。同社代表取締役社長・会長を経て、現在は顧問を務めている。 この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
山川 建夫(やまかわ ゆきお、1943年11月21日 - )… 山川 建夫(やまかわ ゆきお、1943年11月21日 - )は、日本のアナウンサーであり、1985年までフジテレビのアナウンサーを務めていた。1989年からは東京俳優生活協同組合に所属。フジテレビお台場アナウンススクール講師。 東京・千駄ヶ谷生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。フジテレビアナウンサーとしておよそ17年間務めた後に退社、その後は憲法改正に反対する主張、環境保護や自然と親しむ暮らしについての講演などを行っている。 大学を卒業した1968年にアナウンサーとしてフジテレビに入社、同期入社のアナウンサーには逸見政孝、松倉悦郎、竹下典子、小林節子、山根佳代子。 ベ平連に係わってベトナム戦争反対運動を行っていたこともある山川は、1970年、当時司会アシスタントとして出演していた朝のワイドショー番組「小川宏ショー」の放送内で、他番組でベトナム視察報告をした女優の山口淑子(李香蘭、のち参議院議員。
遠藤 泰子(えんどう やすこ、1943年〈昭和18年〉11月… 遠藤 泰子(えんどう やすこ、1943年〈昭和18年〉11月19日 - )は、日本のフリーアナウンサー(元TBSアナウンサー)、声優、ナレーター、司会者である。 神奈川県横浜市出身。立教大学文学部日本文学科卒業後、1966年アナウンサー11期生としてTBSへ入社。岩崎直子、川戸惠子、堀川友子、藤田恒美らが同期。1967年11月にアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部、1969年3月にアナウンサー研修室付兼ラジオ局放送部、1969年4月にラジオ局放送部兼第一制作部アナウンサー研修室付、1970年7月にラジオ本部アナウンス室、それぞれに在籍した。第16回民放CMコンクール・ラジオ第一種(20秒以内)「雪印乳業」で金賞を受賞した。
世良 洋子(せら ようこ、1943年10月24日 - 202… 世良 洋子(せら ようこ、1943年10月24日 - 2025年7月4日)は、元中国放送アナウンサー、フリーアナウンサー。広島県賀茂郡河内町(現・東広島市)出身。血液型はA型。 広島県賀茂郡河内町(現・東広島市)で5人兄弟の末っ子として誕生、その後広島市東雲(現・南区東雲)に転居。 広島大学附属東雲小学校、中学校、比治山女子高校を経て、昭和女子大学文学部日本文学科に入学。 大学入学当初は教師を目指していた。高校時代から継続して演劇部に所属。一時期は新劇女優を目指していた時期もある。大学4年次に同じゼミに通う同郷の友人に誘われて中国放送を受験。1000人近くいた受験者から合格。合格通知を受け取ったときには、比治山女子高校で教育実習中だった。
蔭山 武人(かげやま たけと、1943年10月22日 - 2… 蔭山 武人(かげやま たけと、1943年10月22日 - 2016年12月16日 )は、元NHKエグゼクティブアナウンサー、元広島経済大学教授。享年73歳。
野間 脩平(のま しゅうへい、1943年10月17日 - )… 野間 脩平(のま しゅうへい、1943年10月17日 - )は、元フジテレビアナウンサー。現在は、共同テレビ所属のフリーアナウンサー。東京都出身。血液型B型。 慶應義塾志木高等学校、慶應義塾大学商学部卒。1966年、フジテレビに入社。同期入社に大林宏、岡正、渡辺直子、宮崎総子がいる。 入社時は若手二枚目アナウンサーとして女性ファンの人気を博し、後にワイドショーの司会からニュースキャスター、ナレーションまで幅広く担当した。アナウンス部専任部長、1996年アナウンス部長、1999年アナウンス室長などを歴任し、60歳になった2003年10月に定年退職。露木茂が退職後の2002年4月からの1年半はフジテレビの最年長アナウンサーだった。
渡辺 剛夫(わたなべ たけお、1943年10月13日 - )… 渡辺 剛夫(わたなべ たけお、1943年10月13日 - )は、埼玉県出身の元アナウンサー。 東京都北区立富士見中学、法政大学第一高等学校、法政大学経済学部卒業。ラジオ大阪(旧社名・大阪放送株式会社)にアナウンサーとして入社。主にスポーツ・ニュース部門を担当。 ハワイ日本語放送局KZOOに日本語アナウンサーとして派遣される。1994年(平成6年)、ラジオ大阪を退社。 元京都光華女子大非常勤講師。 株式会社「フェーム」ならびにフェーム・コミュニケーションアカデミーを設立。 話し方教室「渡辺剛夫のスピーチセミナー」、朗読教室「フェーム・朗読教室」を主宰。 その後、リタイアして兵庫県丹波篠山市に移住、現在、地区老人クラブで会長職などを務めている。
三久保 角男(みくぼ すみお、1943年10月6日 - )は… 三久保 角男(みくぼ すみお、1943年10月6日 - )は、中部日本放送の元アナウンサー。
林 美雄(はやし よしお、1943年8月25日 - 2002… 林 美雄(はやし よしお、1943年8月25日 - 2002年7月13日)は、日本のアナウンサー。 東京府深川区(現在の東京都江東区)出身。TBS編成局アナウンス部副理事。 東京都立第三商業高等学校卒業後、三菱地所に入社。退職後、早稲田大学に入学。卒業後、1967年4月、TBSにアナウンサーとして入社。ラジオ『パックインミュージック』のDJを担当。デビュー前の荒井由実(後の松任谷由実)や、おすぎとピーコを紹介し、若者たちの人気を得る。その後『夜はともだち』『夜はこれから』などを担当。1994年社会情報局アナウンスセンター専任部長を経て、2001年編成局アナウンス部副理事。TBSの放送終了時に流れる「こちらはTBS、東京放送です」とのステーションコールを担当するなどTBSを代表するアナウンサーとして知られた。
近藤 美矩(こんどう よしのり、1943年8月9日 - )は… 近藤 美矩(こんどう よしのり、1943年8月9日 - )は、日本のアナウンサー。 東京都千代田区出身。TBSラジオニュースデスク。東京都立両国高等学校、千葉大学文理学部卒業。 1972年5月、TBSにアナウンサーとして中途採用入社。主にニュース、報道番組を担当。2003年8月、TBSを定年退職。現在は主にTBSラジオのニュースデスクを担当。 1972年5月、TBSにアナウンサーとして中途採用入社(同期には辻村国弘)、2003年8月、TBSを定年退職。
岡部 晃彦(おかべ あきひこ、1943年7月26日 - )は… 岡部 晃彦(おかべ あきひこ、1943年7月26日 - )は、元NHKエグゼクティブアナウンサー。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高校、東京大学教育学部教育心理学科卒業。1967年入局。初任地鳥取。岐阜、釧路、京都、名古屋、山形、横浜、日本語センター、広島で勤務し、婦人百科茶の湯、きょうの料理などの教養番組を主に、報道・スポーツなど各種番組を担当した。日本語センターエグゼクティブアナウンサーから日本語センター専門委員。ビジネストークやプレゼンテーション研修、話しことばやアナウンスメントの講義、学生の就職面接の指導。
藤田 恒美(ふじた つねみ、1943年7月17日 - )は、… 藤田 恒美(ふじた つねみ、1943年7月17日 - )は、日本の女性アナウンサー、ナレーター。 東京都出身。法政大学社会学部卒業。 1966年4月、TBS(現・TBSHD。以下同)にアナウンサー11期生として入社(同期には岩崎直子・遠藤泰子・川戸惠子・堀川友子)。 1967年11月15日、アナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務に。。1969年3月、アナウンサー研修室付兼ラジオ局放送部。1969年4月、ラジオ局放送部兼第一制作部兼アナウンサー研修室付に。1970年7月25日、ラジオ本部アナウンス室(アナウンサー研修室から改称)。1991年5月、アナウンスセンター。
志摩 れい子(しま れいこ、1943年〈昭和18年〉6月23… 志摩 れい子(しま れいこ、1943年〈昭和18年〉6月23日-)は、日本の政治家、フリーアナウンサー。鹿児島市議会議員(5期)。元鹿児島県議会議員。元MBC南日本放送アナウンサー。 鹿児島市出身。東京の共立女子短期大学を卒業。 1964年(昭和39年)に帰郷し、有島裕子として同年4月1日付けでMBC南日本放送へアナウンサーとして入社。 鹿児島市の丸屋デパートにおいて1963年(昭和38年)に完成した九州初のサテライトスタジオ「MBCサテライトスタジオ」では、ラジオ公開放送の度スタジオ前に人だかりができる状態であったが、その丸屋デパートにおいて1965年(昭和40年)、2周年記念イベントの公開ラジオ番組「ミュージック☆オンパレード」を行い『ユアヒットパレード』で人気を博していたアナウンサーの横山欣司と共に司会を務め、集まった多くの来場者からリクエスト曲の受け付けを行った。
水谷 勝海(みずたに かつみ、1943年5月17日 - )は… 水谷 勝海(みずたに かつみ、1943年5月17日 - )は、元毎日放送チーフアナウンサー。現在は、CS放送・GAORAのチーフアナウンサー。 三重県桑名市出身。立命館大学文学部卒業後の1966年、毎日放送入社。同期には斎藤努がいた。主に野球、ゴルフ、バレーボール等のスポーツ中継を担当した。 特にゴルフ中継の実況アナウンサーとしての印象が強く、毎日放送主催の秋のビッグイベントである「インターナショナルツアー・ダンロップフェニックストーナメント」では1985年から1998年まで実況を担当した。その1985年、それまで先輩の井上光央が実況出来なかった日本人選手の大会制覇を水谷に実況を交代した途端、中嶋常幸(当時は「中島」と表記)が達成したことで大騒ぎになった話は有名である。
川野 一宇(かわの かずいえ、1943年4月4日 - )は、… 川野 一宇(かわの かずいえ、1943年4月4日 - )は、日本放送協会(NHK)の元アナウンサー。 千代田区立麹町中学校、東京都立八潮高等学校を経て東京大学卒業後、1967年入局。初任地は佐賀。フリーアナウンサーの草野仁はNHKと大学の同期。 2008年4月に65歳となり、年齢規定でNHK本体との雇用関係が終了。“シニアスタッフ”(嘱託職員)として、番組出演契約の形で引き続きラジオの番組に出演しているほか、一時日本語センターにも籍を置いて指導業務などを行っていた。 毎月1日(1月に限り4日)の11:59 - 12:00に総合テレビ、ラジオ第1、FM放送で流れる緊急警報放送試験放送のアナウンスを担当。
館野 直光(たての なおみつ、1943年3月25日 - )は… 館野 直光(たての なおみつ、1943年3月25日 - )は、NHKの元アナウンサー。現在はシニアスタッフ。 慶應義塾高等学校を経て慶應義塾大学卒業後、1966年入局。各地で勤務したほか、大河ドラマのナレーションを手掛けた。阪神・淡路大震災の前後は関西で勤務しており、関連のドキュメンタリー番組でナレーションを担当。 定年が迫ると1度勤務していた北海道へ再び移り(2度目の北海道での勤務は1997年6月に旭川局に異動)、2度目の札幌局勤務を最後にそのまま退職。札幌局のシニアスタッフとして、職員が対応できない場合に応援要員として出演する程度になり、通常でも日曜日・祝日にラジオニュースを2014年頃まで担当していた。
道上 洋三(どうじょう ようぞう、1943年〈昭和18年〉3… 道上 洋三(どうじょう ようぞう、1943年〈昭和18年〉3月10日(公称) - )は、朝日放送テレビ(ABCテレビ)元・アナウンサー。 山口県熊毛郡平生町出身。2014年7月にワニブックスから刊行された自著『ふたつめの誕生日 〜おはようパーソナリティ道上洋三の「なんで?」〜』にて、実際には1942年9月に出生していたこと を明かしている。血液型については、幼少期から「A型」と思い込んでいたが、朝日放送への入社後(39歳の時)に受診した人間ドックで「B型」と判明している。 出生の時点で実父が太平洋戦争に出征していた ことなどから、5歳までは広島県甲奴郡上下町(現在の府中市)の母方の祖父母宅で育った。
加藤 昌男(かとう まさお、1943年2月25日 - )は、… 加藤 昌男(かとう まさお、1943年2月25日 - )は、元NHKアナウンサー。現在は日本語センター専属。 長野県出身。長野県長野高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒業後、1966年入局。初任地は鳥取。FMリクエストアワーを担当。その後東京アナウンス室、札幌、福岡、名古屋などでニュース、報道番組、教育問題、ことば番組などを担当。1996年徳島放送局長、1998年アナウンス室エグゼクティブアナウンサー、1999年7月日本語センターエグゼクティブアナウンサー。2006年日本語センター専門委員。日本国語教育学会会員。
磯辺 建臣(いそべ たておみ、1943年2月16日 - )は… 磯辺 建臣(いそべ たておみ、1943年2月16日 - )は元栃木放送、テレビ東京、テレビ大阪のアナウンサー。 栃木県下都賀郡大平町出身。栃木高校・國學院大學卒。栃木放送入社後、1971年に東京12チャンネル移籍。テレビ東京時代は『国際プロレスアワー』の実況などを担当。 1984年、開局3年目のテレビ大阪へ出向(テレビ大阪開局とともに出向していた杉浦滋男アナと入れ替わり、後に正式にテレビ大阪へ移籍)、『NEWSほっとライン』などのキャスターを務めた。 現在、大阪市内で建設業、不動産業、介護事業を運営する法人の顧問である。一年のほとんどはタイに在住で、現地の人たちの為の就労支援、子供たちの語学教育等のボランテイアで、忙しい日々をおくっている。
舛方 勝宏(ますかた かつひろ、1943年2月16日 - )… 舛方 勝宏(ますかた かつひろ、1943年2月16日 - )は、日本のアナウンサー、実業家。日本テレビ放送網(NTV)でアナウンサーを皮切りに、グループ各社で管理職や役員職を歴任した。富山県魚津市出身。富山県立魚津高等学校、早稲田大学第一文学部社会学科卒業。 ※特記なき限り、日本テレビアナウンサー当時のもの。
五味 陸仁(ごみ みちひと、1943年2月14日 - )は、… 五味 陸仁(ごみ みちひと、1943年2月14日 - )は、日本のアナウンサー。 東京都出身。学習院大学政経学部卒業。 陸仁の陸の字が睦に似ていることから一時期、五味睦仁(ごみむつひと)と紹介された事が度々あった。 1965年(昭和40年)4月、TBSにアナウンサー10期生として入社(同期には今村稔・小川哲哉・車尾具昭・多田護・奈良陽・桐本幸子・手塚俊子・本田綾子)。主にニュース、報道番組を担当。ラジオ局放送部兼テレビ編成局アナウンス部(1966年1月)に勤務後、1967年11月15日にアナウンサー研修室設置に伴いアナウンサー研修室付兼ラジオ局第一制作部勤務となる。その後、報道局ラジオニュース部兼アナウンサー研修室付(1968年6月)。
樫元 洋(かしもと ひろし、1943年1月4日 - )は、日… 樫元 洋(かしもと ひろし、1943年1月4日 - )は、日本のアナウンサー、ラジオパーソナリティ。元宮崎放送アナウンサー(元ラジオ局長)。 愛媛県南宇和郡出身。日本大学芸術学部卒業後、1964年1月宮崎放送に入社、2003年3月退社。現在はフリーアナとして活動中。MRT自社製作の様々なテレビ・ラジオ番組を担当したほか、TBS「ザ・ベストテン」の追っかけマンとして生中継レポーターを担当するなど広く活躍した。 ウインドサーフィンが趣味にあり、宮崎県ヨット連盟理事、宮崎県ボートセーリング協会理事長を務めていたことがあった。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。
横山 義恭(よこやま よしやす、1943年1月2日 - )は… 横山 義恭(よこやま よしやす、1943年1月2日 - )は、NHKの元アナウンサー。 東京都立小石川高等学校を経て慶應義塾大学卒業後、1967年入局。 定年後も嘱託職としてNHKに在籍していたが、2008年の幕開けとともに65歳完全定年となり、1月いっぱいでアナウンサーとしての勤務は終わった。現在は番組出演契約のシニアスタッフという形でラジオニュースなどを担当。
畑中 美耶子(はたなか みやこ、1943年 - )は、フリー… 畑中 美耶子(はたなか みやこ、1943年 - )は、フリーアナウンサー、実業家、演出家、方言指導家。岩手県大迫町(現・花巻市)生まれ。 岩手県立盛岡第一高等学校卒業後、児童劇団時代から出入りしていた岩手放送(現・IBC岩手放送)に1962年、アナウンサーとして入社(同期に前田正二がいる)。1969年に当時の同僚でもある畑中茂夫と結婚。同時に岩手放送を退社して、フリーアナウンサーとなる。また、児童劇団「CATSきゃあ」主宰や、朗読、小学生中心の子供だけの劇団などの活動を開始。 また、岩手の方言(盛岡弁など)のスペシャリストとして、岩手県を舞台にしたテレビドラマや映画において「方言指導」を担当する。
上田 彰(うえだ あきら、1943年 - )は、日本のフリー… 上田 彰(うえだ あきら、1943年 - )は、日本のフリーアナウンサー、実業家。芸能事務所「オフィスキイワード」の創業者・代表取締役社長。 兵庫県伊丹市出身。関西学院大学卒業。大学卒業後、広告代理店の協同広告に入社し、サラリーマンとして広告やイベントの企画業務に従事する。 1971年に退職し、フリーアナウンサーとしてデビュー。ラジオパーソナリティ、ナレーターなどの放送メディアでの活動のかたわら、イベント司会なども行う。1981年にオフィスキイワードを創業。 作詞家・コピーライター・放送作家・音楽プロデューサーとしても活動する。「キイワードアナウンススクール」の校長として後進の指導も行っている。