小早川 常雄(こばやかわ ときお、1879年(明治12年)7… 小早川 常雄(こばやかわ ときお、1879年(明治12年)7月21日 - 1970年(昭和45年)2月)は、日本の実業家。京三製作所創業者。 広島県賀茂郡出身。1906年(明治39年)東京帝国大学工科大学電気工学科卒業後、川越電気鉄道技師長を経て、1907年(明治40年)芝浦製作所(現・東芝)入社。技術部・商務部各副部長を務めた後、1918年(大正7年)独立し、東京電機工業を創業。会社事務所を当時の東京市京橋区の三十間掘に置いたことから、"京橋"と"三十間掘"から一字ずつとって「京三商会」(現・京三製作所)と名付けた。 当初は水力・火力発電所や電気鉄道の計画・設計・工事の請負や出願書類の作成、これらに関わる機械器具類の製造販売を手掛けていたが、その後鉄道信号機の製造を始めた。
波多野 精一(はたの せいいち、1877年7月21日 - 1… 波多野 精一(はたの せいいち、1877年7月21日 - 1950年1月17日)は、日本の哲学史家・宗教哲学者。玉川大学第2代学長。
中村 幸之助(なかむら こうのすけ、明治5年6月16日(18… 中村 幸之助(なかむら こうのすけ、明治5年6月16日(1872年7月21日) - 昭和20年(1945年)1月11日)は、日本の電気工学者。 宮城県仙台市出身。第二高等学校を経て、1898年(明治31年)に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業し、大学院に進んだ。1899年(明治32年)、東京工業学校教授となり、翌年から欧米諸国に留学した。1902年(明治35年)に帰国後は、東京高等工業学校教授に特許局審査官、東京高等工業学校附設工業教員養成所主事、特許局技師などを兼ねた。1919年(大正8年)、工学博士の学位を得た。1926年(大正15年)、東京高等工業学校校長に就任し、翌年には財団法人協調会東京工業専修学校校長も兼ねた。
中野 猪之助(なかの いのすけ、1872年7月21日(明治5… 中野 猪之助(なかの いのすけ、1872年7月21日(明治5年6月16日)- 1938年(昭和13年)1月18日)は、明治後期から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。 大分県日田郡、のちの三芳村(現日田市下井手町)で、中野伍兵衛の二男として生まれる。漢学を修めた。 1899年(明治32年)福岡県久留米市京町で久留米製材所を設立し材木商を営む。のちに東京で合資会社中野材木店(京橋木挽町)を開店した。その他、久留米材木同業組合長、九州材木連合協会長、日田実業銀行取締役、九州材木専務取締役、久留米商業会議所特別議員、同顧問なども務めた。 政界では、久留米市会議員、同参事会員に在任。1924年(大正13年)5月、第15回衆議院議員総選挙(大分県第5区、無所属)で当選し、立憲民政党に所属して衆議院議員に1期在任した。
三浦 周行(みうら ひろゆき、明治4年6月4日〈1871年7… 三浦 周行(みうら ひろゆき、明治4年6月4日〈1871年7月21日〉 - 1931年〈昭和6年〉9月6日)は、日本の歴史学者・法制史の研究者。京都帝国大学名誉教授。 明治4年(1871年)、出雲国島根郡内中原町(現:島根県松江市)に於いて、松江藩で18石4人扶持を知行した下級武士の三浦正祐の長男として生まれた。父は維新後島根県の役人を務めた。幼名は禄之助。元服し、周行と称した。1890年に東京英和学校を修業し、東京帝国大学文科大学選科に入学。1893年に国史科を修業。同年父が没したため家督を継ぐ。 卒業後は、史料編纂助員となった。のち史料編纂官に昇進。東京帝国大学法科大学より法制類聚編纂を嘱託され、歴史学と法学双方の研究を行う過程で日本に「法制史」という新しい学問分野を打ち立てた。
岩月 直彦(いわつき なおひこ、1866年7月21日(慶応2… 岩月 直彦(いわつき なおひこ、1866年7月21日(慶応2年6月10日) - 1938年(昭和13年)6月5日)は、明治から昭和時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。旧姓・堀之内。 堀之内庄右衛門の弟として薩摩鹿児島藩領薩摩郡隈之城郷(隈之城村、川内町、川内市を経て現薩摩川内市勝目町)に生まれ、1891年(明治24年)8月、前戸主岩月佐美の養子となり家督を相続する。1887年(明治20年)薩摩郡城下尋常小学校訓導、同校長を経て隈之城村会議員に当選。ほか、鹿児島県農工銀行取締役、隈之城村学務委員、鹿児島県会議員、同参事会員などを歴任する傍ら、金銀鉱業を経営し、大口金山支配人を務めた。 1904年(明治37年)鹿児島県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から1906年(明治39年)8月27日まで在任。
白水 淡(しろうず あわし、1863年7月21日〈文久3年6… 白水 淡(しろうず あわし、1863年7月21日〈文久3年6月6日〉- 1932年〈昭和7年〉1月25日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。栄典は従三位勲一等功三級。号は孤峯。 筑前国那珂郡春日村(福岡県筑紫郡春日町大字春日を経て現春日市)で白水喜一の二男として生まれ、1904年(明治37年)1月に分家した。 1871年(明治4年)春日村の浦田塾に入塾。1880年(明治13年)8月、陸軍教導団に入り歩兵科生徒となる。1881年(明治14年)に修業し同年11月、歩兵伍長に任官し熊本鎮台に配属された。1884年(明治17年)陸軍士官学校(旧9期)に入校し、1887年(明治20年)に卒業し同年7月、歩兵少尉に任官し歩兵第7連隊小隊長に就任。
納富 教雄(安政5年6月11日(1858年7月21日)- 昭… 納富 教雄(安政5年6月11日(1858年7月21日)- 昭和9年(1934年)2月)は、日本の剣術家。流派は戸田流。称号は大日本武徳会剣道範士。 肥前国小城郡西川(現在の佐賀県小城市)に生まれる。納富家は小城藩の武術師範の家系で、代々五郎太夫を名乗った。教雄が明治30年(1897年)7月に建碑した石碑によれば、五郎太夫(父と祖父のどちらを指しているか不明)は「真之乱流組打・真之乱流棒縄術・戸田流剣術・真之乱流二刀・根岸流長刀」9代師範とある。納富家の道場での他流試合や道場での修行中に無念にも亡くなった人々を葬ったという「鬼塚」が現在も残る。 「鬼塚」は、納富道場へ来訪した諸国を廻る武者修行の剣士や道場破り、他流試合などの中で亡くなった人々のみを葬ったと言われているが、道場の稽古中に無念ながら亡くなった身寄りの無い門下生や、諸国巡礼中に病気や怪我により亡くなった方々を弔うための塚である。
波多野 喜右衛門(はたの きえもん、1857年7月21日(安… 波多野 喜右衛門(はたの きえもん、1857年7月21日(安政4年6月1日)- 1937年(昭和12年)3月1日)は、明治時代後期から大正時代の政治家。衆議院議員。 尾張国東春日井郡、のちの篠岡村、現在の小牧市篠岡に生まれる。神谷梅峰に儒学を学ぶ。戸長、大草村長、篠岡村長、愛知県会議員、同参事会員を経て、1920年(大正9年)第14回衆議院議員総選挙で愛知県第5区から立憲政友会所属で出馬して当選し、1期務める。1921年(大正10年)12月15日、選挙法違反の判決により議員を辞した。
平岡 浩太郎(ひらおか こうたろう、嘉永4年6月23日(18… 平岡 浩太郎(ひらおか こうたろう、嘉永4年6月23日(1851年7月21日) - 明治39年(1906年)10月24日) は、日本の政治団体玄洋社初代社長、自由民権運動家。
4代 高橋 喜惣治(たかはし きそうじ、1850年7月21日… 4代 高橋 喜惣治(たかはし きそうじ、1850年7月21日(嘉永3年6月13日)- 1918年(大正7年)4月15日)は、明治期の地主、政治家。衆議院議員、貴族院多額納税者議員。のち左京(さきょう)と改名した。名・猷、諱・種健、字・伯応、号・鶴洲、通称・喜惣治。 上総国埴生郡立木村(千葉県上埴生郡鶴枝村立木、長生郡鶴枝村を経て現茂原市)で、豪農、大庄屋・高橋千満太の長男として生まれる。高橋家は曽祖父・信重以来、通称を喜惣治と称した。富津の織本東岳(履道)から漢学を学び、さらに江戸の島田重礼に入門し、小野湖山に詩文を学んだ。帰郷して大庄屋となった。 1872年(明治5年)第三十九区戸長に就任。第七大区地租改正惣代人、第七大区区会議員、第七大区四小区戸長などを歴任。
香月 恕経(かつき じょけい / ゆきつね、1842年7月2… 香月 恕経(かつき じょけい / ゆきつね、1842年7月21日(天保13年6月14日)- 1894年(明治27年)5月18日)は、幕末の医師、明治期の政治家、教育者。衆議院議員。玄洋社社員。幼名・恕吉郎、字・子貫。号・晦処、晦洞。 筑前国夜須郡下浦村(現福岡県朝倉市下浦)で、医師・香月春庵の長男として生まれる。佐野東庵(甘木高原町)の私塾梅西舎で漢籍を、医師・深水玄門(熊本)に漢方内科医術を、玉井養純(筑後国生葉郡)に漢学・医術をそれぞれ師事した。文久2年(1862年)父の死去により家督を相続し医業を開業し、幕末には国事に奔走した。 明治2年3月13日(1869年4月24日)秋月藩に同藩の情報を久留米藩に提供したとして捕らえられたが、同月17日に釈放された。
丸岡 南陔(まるおか なんがい、文政8年6月6日(1825年… 丸岡 南陔(まるおか なんがい、文政8年6月6日(1825年7月21日) - 明治19年(1886年)1月8日)は江戸時代から明治にかけての学者、漢詩人。佐渡国雑太郡折戸村名主、佐渡奉行所修教館教授を務め、明治維新後も相川県漢学局、雑太郡学区、公立佐渡中学校で教育に携わった。 文政8年(1825年)6月6日に生まれた。家は代々佐渡国雑太郡折戸町名主、佐渡奉行所官庫出納掾を兼ね、醤油醸造を行っていた。幼少より書を好み、特定の師は持たなかったものの、甲賀達斎等に兄事し、詩を藤木竹窓に学び、間もなく天野恥堂兄弟、万歳東所、西村滄州、大平菰塘、岡崎棟庵、謙亭、棟斎等と交流を持ち、廉社を結び毎月詩筵を開いた。
岩谷 九十老(いわや くじゅうろう、1808年7月21日(文… 岩谷 九十老(いわや くじゅうろう、1808年7月21日(文化5年6月28日) - 1895年(明治28年)3月12日)は、江戸時代後期-明治時代の公共事業家。石見国安濃郡川合村(現在の島根県大田市)の豪農。名は善九郎、善右衛門。 1808年7月21日(文化5年6月28日)、岩谷孝兵衛、もんの第七子として生まれる。もんの乳の出が悪く、小作農に預けられ、板の間に蓆を敷いて寝たり、麦飯さえ食べられず、芋飯を食べて育つという幼児期を過ごす。家に帰ってからも使用人と同じく働きながら、近所の医師土江三圭の下で読書・習字を習う。孝兵衛は九十老に家督を継ぐ器量があると見定め、学問をさせたと見られる。また、土江の塾で貝原益軒や太宰春台の本を読み、実用的な学問を学ぶ。
Yoko Maria(マリア・ヨーコ、7月21日生)は、日本… Yoko Maria(マリア・ヨーコ、7月21日生)は、日本の声楽家、オペラ歌手。ソプラノ、リリコ (ソプラノ)(英語版)歌手。 東京音楽大学大学院修士課程を修了後、フィンランドのヘルシンキに留学し、バリトン歌手ヨルマ・ヒュンニネン(英語版)に師事。その間、ドイツのカールスルーエ音楽大学、ロシアのチャイコフスキー記念ロシア国立モスクワ音楽院でも学ぶ。 大学在学中から、数多くの国際コンクールにて優勝と入賞を果たしている。 帰国後、日本に知られていないシベリウスを含む北欧歌曲の普及に努めている。師ヒュンニネンに教えを受け、フィンランド歌曲のレパートリーは600曲以上に上る。それと共に更なる試行錯誤を続け、音楽のジャンルを超え、国境を越えたクラシック・クロスオーバーの道をも切り開いている。
島袋 千恵美(しまぶくろ ちえみ、7月21日- )は、日本の… 島袋 千恵美(しまぶくろ ちえみ、7月21日- )は、日本のラジオパーソナリティ、司会者。沖縄県を拠点に活動し、琉球放送(RBCiラジオ)のラジオ番組に出演している。 沖縄県うるま市出身。うるま市立兼原小学校、うるま市立具志川中学校、沖縄県立球陽高等学校、琉球大学を卒業。大学卒業後は司会やナレーションなど放送関連の業務に携わり、フリーランスとして活動を行ってきた。 ラジオ番組出演のほか、放送局主催イベントや式典などで司会を務めることがある。
高橋 啓恵(たかはし けい、7月21日 - )は、日本のなぞ… 高橋 啓恵(たかはし けい、7月21日 - )は、日本のなぞなぞ作家。島根県出身、東京都在住。 高校卒業後に上京し、バスガイドを勤めた。バスガイドとして様々な世代の客層を相手する中、観光案内だけでは飽きてしまう小さな子供へのレクリエーションの一つとして、行き先に因んだなぞなぞを出していた。当初は既存の本から題材に合うものを探していたが、自身で作った方がいいとオリジナルのなぞなぞを出すようになった。オリジナルのなぞなぞなどのガイド活動は好評を得、指名率ナンバーワンのガイドになり、日本バス協会より優良バスガイドとして表彰されたこともあった。 趣味でなぞなぞを書き溜めていくうちにストックは1000問を超えた。
冨山 真由(とみやま まゆ、7月21日 - )は、人材育成コ… 冨山 真由(とみやま まゆ、7月21日 - )は、人材育成コンサルタント。神奈川県鎌倉市出身。ウィルPMインターナショナル所属。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
おの くみこ(本名:小野 久美子、7月21日 - )は、佐賀… おの くみこ(本名:小野 久美子、7月21日 - )は、佐賀県武雄市出身のラジオパーソナリティでローカルタレントである。 血液型はA型。現在は佐賀市に在住。 関西の短大を卒業する年の春に、母親からの勧誘でNHK佐賀のFMリクエストアワーのアシスタントに合格し、1年間アシスタントを務める。 サガテレビのレポーターを務めた後、エフエム佐賀の局アナになり、エフエム滋賀のパーソナリティを経てフリーに転身、熊本に拠点を移す。
夢乃 聖夏(ゆめの せいか、7月21日 - )は、元宝塚歌劇… 夢乃 聖夏(ゆめの せいか、7月21日 - )は、元宝塚歌劇団雪組・星組の男役スター。 佐賀県多久市、市立中央中学校出身。身長172cm。愛称は「ともみん」、「夢ちゃん」。 1999年、宝塚音楽学校入学。 2001年、宝塚歌劇団に87期生として入団。入団時の成績は20番。宙組公演「ベルサイユのばら2001」で初舞台。その後、星組に配属。 2007年の「エル・アルコン」で新人公演初主演。 2008年のバウ・ワークショップ「ANNA KARENINA」で、バウホール公演初主演。 2010年の「摩天楼狂詩曲」でバウホール公演単独初主演。 2012年4月1日付で雪組へと組替え。 2014年、全国ツアー「ベルサイユのばら-オスカルとアンドレ編-」では、アンドレを演じた。
美和 久百合(みわ ひさゆり、7月21日 - )とは元宝塚歌… 美和 久百合(みわ ひさゆり、7月21日 - )とは元宝塚歌劇団娘役。元花組トップ娘役の人物である。山口県山口市出身。島根大学附属中学校出身。宝塚歌劇団時代の公称身長は160cm。宝塚歌劇団時代の愛称はミワク、一休。 1956年、宝塚音楽学校入学。 1957年、44期生として、宝塚歌劇団に入団。宝塚入団時の成績は52人中26位。初舞台公演演目は『春の踊り』である。 配属組は花、星、花である。 1967年8月、宝塚歌劇団を退団。最終出演公演は花組公演『燦めく星の下に』。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。