福田 修子(ふくだ のぶこ、1980年7月29日 - )は青… 福田 修子(ふくだ のぶこ、1980年7月29日 - )は青森県大鰐町出身のクロスカントリースキー選手。現姓は籏(はた)。冬季オリンピックに3度出場した。所属は大鰐町立大鰐中学校-青森県立大鰐高等学校-弘果スキーレーシングクラブ-岐阜日野自動車。同学年に石田正子がいる。 リンゴ農家に生まれ、幼いころから重い木箱を担いだことから自然と下半身の筋力を養ったという。小学生でスキーを始め、1999年の全国高等学校スキー大会(インターハイ)女子10kmフリーで優勝し注目される。 高校卒業後、クロスカントリースキーの強豪チームであった弘果弘前中央青果に入社。2001年全日本スキー選手権の複合と30kmフリーで優勝する。
長浜 一年(ながはま かずとし、1969年4月29日 - )… 長浜 一年(ながはま かずとし、1969年4月29日 - )は、日本、青森県野辺地町出身の元クロスカントリースキー選手。1990年代に国内外で活躍した。 専修大学-シークラフトスキークラブ-野辺地スキークラブ
佐々木 一成(ささき かずなり、1962年11月25日 - … 佐々木 一成(ささき かずなり、1962年11月25日 - )は、日本、青森県平内町出身の元クロスカントリースキー選手。1980年代から1990年代にかけて活躍した。 東奥義塾高等学校→専修大学→北野建設 冬季オリンピックに4回出場、1992年アルベールビルオリンピックでは選手団主将を務めた。全日本スキー選手権大会では個人四冠を3度達成するなど通算26勝(歴代1位)を記録した。 ソルトレークシティオリンピックコーチ。
長崎 昭義(ながさき あきよし、1945年3月3日 - 20… 長崎 昭義(ながさき あきよし、1945年3月3日 - 2017年9月4日)は、日本のノルディックスキー・クロスカントリースキー選手、放送記者、ニュースキャスター、実業家。青森放送代表取締役会長、青森商工会議所相談役、東北稲門スキー倶楽部会長、青森県スキー連盟会長。青森県南津軽郡大鰐町生まれ(本籍地は弘前市)。早稲田大学(教育学部国語国文学科)卒業。旧姓:松岡(まつおか)。 小学校3-4年時、大鰐スキークラブ会長を務めた父の儀助に連れられ阿闍羅山で滑り始め、間もなく「学校で一番早かったから」自然な形で距離スキーに入っていった。 青森県立弘前高等学校で長利武記の指導を受け、2年時に全国高等学校総合体育大会ノルディックスキー・クロスカントリー男子15キロで優勝。
三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 … 三浦 雄一郎(みうら ゆういちろう、1932年10月12日 - )は、日本のスキー選手、登山家、獣医師。青森県出身。クラーク記念国際高等学校名誉校長、一般社団法人全国森林レクリエーション協会会長、特定非営利活動法人グローバル・スポーツ・アライアンス理事長、株式会社ミウラ・ドルフィンズ代表取締役、株式会社三浦雄一郎事務所代表取締役。 北海道大学獣医学部助手、青森大学教授、日本プロスキー連盟会長、社団法人日本職業スキー教師協会顧問、日本プロモーグルスキー協会会長などを歴任した。 クラーク記念国際高等学校の校長に就任するとともに、全国森林レクリエーション協会の会長などを務めている。また、札幌市手稲区親善大使に委嘱されると同時に、青森市の名誉市民にも選ばれている。
山本 謙一(やまもと けんいち、1922年11月18日 - … 山本 謙一(やまもと けんいち、1922年11月18日 - 2002年2月26日)は、青森県南津軽郡大鰐町出身のクロスカントリースキー選手。オリンピアン。 旧制五所川原農林学校 → 明治大学 → 青森営林局 中学時代から才能を発揮し、1940年の第18回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人長距離(18km)・少年の部で優勝。その後明大に進み、1942年から1943年の同大会個人長距離・成年の部を連覇。同じ1942年~1943年の全日本学生スキー選手権大会では、リレーで連覇した他、1943年の個人長距離で前年王者の落合力松(明大)を破り優勝。 戦後1948年に再開された全日本スキー選手権大会個人長距離では、ライバル落合に敗れるが、翌1949年の同大会同種目は山本が制した。
山田 銀蔵(やまだ ぎんぞう、1915年7月8日 - 197… 山田 銀蔵(やまだ ぎんぞう、1915年7月8日 - 1978年12月25日)は、日本のクロスカントリースキー選手。青森県南津軽郡大鰐町出身。1936年ガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック日本代表。 大鰐尋常高等小学校高等科を卒業後、青森営林局(青森林友)に勤務する。 1934年の第12回全日本スキー選手権大会クロスカントリースキー個人長距離(18km)で優勝。翌年の同大会32kmリレーでは、山田伸三らとともに青森林友を優勝に導いた。 1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で56位、4x10kmリレーで12位だった。 現役引退後は、地元青森で後進の育成に尽くした。
山田 伸三(やまだ しんぞう、1914年1月17日 - 20… 山田 伸三(やまだ しんぞう、1914年1月17日 - 2000年3月20日)は、日本のスキー選手・指導者。1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックにノルディック複合、クロスカントリースキーで出場。青森県出身。 青森県南津軽郡大鰐町出身。旧制弘前中学校を卒業。中学在学中の1928年、樺太の豊原で行われた大会に出場して複合で6位、距離で8位の成績を残し、将来を嘱望される。 中学卒業後は、青森営林局(青森林友)に入る。 1934年の第12回全日本スキー選手権大会ノルディック複合個人、翌年の同大会クロスカントリースキー個人長距離(17km)で優勝。 1936年ガルミッシュ・パルテンキルヘンオリンピックでは、クロスカントリースキー個人長距離(18km)で49位、4x10kmリレーで12位、ノルディック複合個人で43位だった。
三浦 敬三(みうら けいぞう、1904年(明治37年)2月1… 三浦 敬三(みうら けいぞう、1904年(明治37年)2月15日 - 2006年(平成18年)1月5日)は、日本のプロスキーヤー。 青森県青森市生まれ。青森県立第三中学校(現 青森県立青森高等学校)、北海道帝国大学(北海道大学)農学部卒業。 北大在学中に八甲田山での山スキーに魅せられ、卒業後、青森営林局に勤務。八甲田のフィルム記録にスキー滑降で参加した。青森林友スキー部に所属し、選手、監督、部長を経験した。全日本スキー連盟の技術委員を務めたこともある。 1955年(昭和30年)、51歳で青森営林局を退職し、東京都練馬区に移住。この頃から海外の山々で多くのスキー滑降を行った。また、山岳カメラマンとしても、数々の実績を残し、イタリア山岳写真ビエンナーレ展において、ピトリオ・セラ賞とバダカップ賞を受賞する。