小原 佑太(おばら ゆうた、1996年2月29日 - )は、… 小原 佑太(おばら ゆうた、1996年2月29日 - )は、競輪選手、自転車競技選手。日本競輪選手会青森支部所属。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第115期生。師匠は佐藤康紀(73期)。ホームバンク(練習地)は八戸自転車競技場。自転車競技選手としては、ドリームシーカーにも所属。 青森県三戸郡階上町出身。 八戸工業大学第一高等学校で自転車競技を始め、卒業後は朝日大学に進学。同大学3年時より、日本代表チーム入り。 2019年3月、競輪学校を卒業。在校時の競走成績は7位、卒業記念レースでは3位。7月6日、伊東温泉競輪場でデビューし1着。 2020年3月28日、競輪学校時代の同期である出水菜央(116期、引退)と結婚、第1子である長女が誕生。
新山 響平(しんざん きょうへい、1993年11月2日 - … 新山 響平(しんざん きょうへい、1993年11月2日 - )は、青森県八戸市出身の競輪選手、自転車競技選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第107期生。師匠は坂本勉(競輪学校第57期生)。 兄の新山将史も競輪選手(競輪学校第98期生)。また、元競輪選手の小笠原嘉(競輪学校第43期生)は伯父にあたる。 青森県立八戸工業高等学校時代の2011年、アジア自転車競技選手権大会のジュニア部門・チームスプリントで優勝に貢献。その後、日本大学へ進学するも中退した後、競輪学校へ入校。在校競走成績は第10位(9勝)だったが、同校卒業記念レースでは優勝した。 2015年7月6日、大宮競輪場でデビューして初勝利も挙げた。
濱田 瞳(はまだ ひとみ、1990年8月17日 - )は、青… 濱田 瞳(はまだ ひとみ、1990年8月17日 - )は、青森県出身の元女子競輪選手。日本競輪選手会青森支部所属、ホームバンクは青森競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第106期生。師匠は高谷雅彦(67期)。 小学校1年から中学校3年まで剣道をしており、青森商業高校に進学してから自転車競技を始めた。法政大学に入学後も自転車競技を続けていたが、経験を生かすため大学を休学しガールズケイリン選手を目指したという。 2012年12月20日、競輪学校第106回技能試験に合格。在校競走成績は11位(4勝)。 2014年5月14日、武雄競輪場でデビューし6着。初勝利は同年5月16日の武雄競輪場で挙げた。
坂本 貴史(さかもと たかし、1989年2月16日 - )は… 坂本 貴史(さかもと たかし、1989年2月16日 - )は、日本の競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第94期生。日本競輪選手会青森支部に所属。青森県八戸市出身。 ホームバンクは八戸自転車競技場。坂本勉(競輪学校57期)は実父であり師匠。四人兄弟の長男であり、弟(次男)の坂本周輝(100期)、末弟(四男)の坂本紘規(117期)も、ともに同じく青森支部所属の競輪選手。また、幻のモスクワオリンピック日本代表の一人であった元競輪選手の坂本典男(51期)は伯父で、典男の子息すなわち貴史の従兄弟である坂本昌宏(91期)、昌宏の弟の坂本周作(105期)もともに同じく青森支部所属の競輪選手と、競輪一家の環境で育つ。
佐々木 健司(ささき けんじ、1974年4月6日 - )は、… 佐々木 健司(ささき けんじ、1974年4月6日 - )は、日本の競輪選手(76期)。 青森県青森市出身。86期生の佐々木省司は実弟。師匠は葛西新藏。 青森山田高校を経て東北学院大学に進んだ。1993年の全日本大学対抗選手権自転車競技大会(インカレ)・タンデムスプリントで優勝。その後競輪学校に入校。同期には市田佳寿浩、石丸寛之らがいる。 1995年8月5日、松阪競輪場でデビューしたが失格に終わった。2012年3月2日時点、日本選手権競輪に6回出場などの実績を持つ。 2011年12月11日午前4時20分頃、青森県青森市新城山田の国道7号でワンボックスカーを運転中、丁字路で56歳女性の軽自動車が右折してきた際に左側面が佐々木の車の前面と衝突、女性は全身を強く打って市内の病院に搬送されたが約1時間後に内臓損傷による出血性ショックで死亡、佐々木は肩などを打撲して軽傷、呼気から基準値超えのアルコールが検出、道路交通法違反(酒気帯び運転)容疑で逮捕された。
坂本 勉(さかもと つとむ、1962年8月3日 - )は、日… 坂本 勉(さかもと つとむ、1962年8月3日 - )は、日本の元競輪選手・元自転車競技選手。現在の青森県三戸郡南部町出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第57期卒業。日本競輪選手会青森支部所属。師匠は実兄の坂本典男。初出走は1986年5月10日の青森競輪場で初勝利も同日。血液型はO型。 同県所属94期生坂本貴史は長男、100期生坂本周輝は次男、117期生坂本紘規は四男。三男は高校で自転車競技部の顧問をしている。同県所属91期生坂本昌宏・105期生坂本周作は甥(典男の子息)。周作と同期の磯島康祐も勉の甥に当たり自身が師匠。 学生時代から自転車競技を始め、青森県立三戸高等学校を経て日本大学に進学し、在学中に出場した1984年のロサンゼルスオリンピックでは、自転車競技の1000mタイムトライアルで出場権を掴んだが、共産圏諸国のボイコットのため追加で出場権を得たスプリント種目において、敗者復活戦から勝ち上がり、3位決定戦でフィリップ・ヴェルネを下して銅メダルを獲得。
坂本 典男(さかもと のりお、1959年5月20日 - )は… 坂本 典男(さかもと のりお、1959年5月20日 - )は、青森県三戸郡南部町出身の元競輪選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第51期生。 坂本勉(57期)は実弟であり、当人が師匠を務めた。また、坂本昌宏(91期)と坂本周作(105期)は実子、坂本貴史(94期)、坂本周輝(100期)、坂本紘規(117期)は甥(ともに勉の実子)にあたる。 青森県立三戸高等学校を経て日本大学へと進む。同大学在籍時代には、1979年の全日本大学対抗選手権自転車競技大会(インターカレッジ)・1kmタイムトライアルで優勝、1980年の全日本アマチュア自転車競技選手権大会では、スクラッチレース(現在はスプリントに名称変更)で優勝し、同年開催のモスクワオリンピック日本代表選手に選出されたが、同年5月24日、日本オリンピック委員会(JOC)が同大会の不参加を決定したことから、オリンピック出場は幻となってしまった。
岡堀 勉(おかぼり つとむ、1957年7月10日 - )は、… 岡堀 勉(おかぼり つとむ、1957年7月10日 - )は、青森県三戸郡南郷村(現・八戸市)出身の元競輪選手。1976年モントリオールオリンピック日本代表。日本競輪選手会青森支部に所属していた。 八戸電波工業高等学校在学時代、全国高等学校総合体育大会自転車競技大会の個人追い抜きにおいて、1973年、1974年と2連覇。 その後、日本大学文理学部に進み、1976年モントリオールオリンピック男子4000m団体追抜競走に同郷である小笠原嘉、小笠原義明と組んで出場した。記録は4'37"03で14位(予選敗退)。 日大卒業後、島野工業へ入社。同社在籍時代に1980年モスクワオリンピック代表選手に選出されたものの、ボイコットにより出場できず「幻の代表選手」となった。
小笠原 嘉(おがさわら ただし、1955年6月21日 - )… 小笠原 嘉(おがさわら ただし、1955年6月21日 - )は、青森県八戸市出身の元競輪選手。1976年モントリオールオリンピック代表。日本競輪選手会青森支部に所属していた。新山将史(98期)、新山響平(107期)の伯父。 八戸電波工業高校(現・八戸工業大学第一高校)卒。 日本大学文理学部在籍中だった1976年、モントリオールオリンピック男子4000m団体追抜競走に同郷である小笠原義明、岡堀勉と組んで出場した。記録は4'37"03で14位(予選敗退)。 その後、日本競輪学校第44期生を経て、1979年10月27日、函館競輪場でデビューし5着。初勝利は同年同月28日の同場。 2002年8月13日選手登録削除。
小笠原 義明(おがさわら よしあき、1954年4月29日 -… 小笠原 義明(おがさわら よしあき、1954年4月29日 - )は、青森県八戸市出身の元競輪選手。1976年モントリオールオリンピック日本代表。日本競輪選手会青森支部に所属していた。 八戸電波工業高等学校在学時代、1972年に開催された全国高等学校総合体育大会自転車競技大会の個人追い抜きで優勝。 その後、日本大学文理学部に進み、1976年のモントリオールオリンピック男子4000m団体追抜競走に同郷である小笠原嘉、岡堀勉と組んで出場した。記録は4'37"03で14位(予選敗退)。 その後、日本競輪学校第43期生(同期に滝澤正光、佐々木昭彦、小川博美、北村徹らがいる)を経て、1979年4月7日、前橋競輪場でデビューし5着。