佐藤 慧(さとう けい、1982年 - )は、日本のフォトジ… 佐藤 慧(さとう けい、1982年 - )は、日本のフォトジャーナリスト、ライター。認定NPO法人Dialogue for People代表。アフリカや中東、東ティモールなどを取材。東日本大震災以降、継続的に被災地の取材も行っている。 岩手県盛岡市出身。中学1年のときに不登校になり、高校には行かずにカー用品店でバイトをしていたが、先輩らから「高校くらい出ておきな」と言われ通信制高校に通うようになる。高校生のときに姉が19歳で自殺する。高校卒業後は大阪芸術大学の音楽学科に進学するが、中退した。2007年、アメリカのNGOに渡り研修を受け、その後南部アフリカ、中米などで地域開発に携わる。2009年、ザンビアにて学校建設のプロジェクトに携わり、アフリカを中心に取材を進める。
鈴木 英里(すずき えり、1979年 - )は、日本の実業家… 鈴木 英里(すずき えり、1979年 - )は、日本の実業家、東海新報社代表取締役社長・3代目、新聞記者、ジャーナリスト。 1979年、岩手県大船渡市生まれ。家業は祖父・鈴木正雄が創業した東海新報社で、父・鈴木英彦が2代目社長。兄が2人おり、末っ子の長女として育つ。 高校時代も地元岩手に愛着を持ち、岩手県内の大学進学を考えていたところ、母親から地元を離れ視野を拡げることを勧められ、東京の立教大学文学部日本文学科へ進学。 大学卒業後は東海新報社を継ぐと決めていたが、憧れでもあった雑誌編集者の仕事を経験するため、東京の出版社に就職し、住宅誌やアニメ雑誌の編集を行った。 母親が病で倒れたことから地元へ戻ることを決め、28歳の時に岩手へ戻り、東海新報社に入社。
佐々木 正明(ささき まさあき、1971年〈昭和46年〉 -… 佐々木 正明(ささき まさあき、1971年〈昭和46年〉 - )は、日本のジャーナリスト。元産経新聞社会部編集委員。2021年より大和大学社会学部教授。実弟は元警察官で犯罪評論家の佐々木成三。 岩手県一関市生まれ、一関第一高等学校、大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)卒業。1996年(平成8年)産業経済新聞社に入社。神戸総局、横浜総局、産経新聞大阪本社社会部などを経てロシアのモスクワ大学留学。2007年より産経新聞東京本社外信部。モスクワ支局長、ブラジルのリオデジャネイロ支局長などを経て産経新聞社会部編集委員を担当。2021年より大和大学社会学部教授。
千葉 千枝子(ちば ちえこ、1965年4月11日 - )は、… 千葉 千枝子(ちば ちえこ、1965年4月11日 - )は、旅行ジャーナリスト、ファイナンシャルプランナー、起業家。淑徳大学経営学部長。岩手県釜石市生まれ。 1984年、東京都立富士高等学校を卒業し、中央大学経済学部に入学。1988年に同大学を卒業後、富士銀行に入行したが、翌年にシティバンクに、さらに翌年日本交通公社(現・JTB)に移籍。同社初の女性中途採用社員となり、団体旅行に携わる。 1996年に独立。有限会社「インペルアル・チエコ」を立ち上げる。1998年、旅行業取扱主任者資格を取得し、翌年にはフィナンシャルプランナーの資格も取得した。 2004年、日本旅行作家協会に入会。2006年に東京商工会議所入会。
及川仁(おいかわ ひとし、1961年 - )は、日本のジャー… 及川仁(おいかわ ひとし、1961年 - )は、日本のジャーナリスト。アメリカ同時多発テロ事件発生後のアフガニスタンからの一連の報道で2001年度ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。イラク戦争時に共同通信社バグダッド支局長を務めた。 1961年岩手県水沢市(現・奥州市)生まれ。岩手県立水沢高等学校を経て、1985年早稲田大学第一文学部ロシア文学専修卒。1985年共同通信社入社。1993年より外信部記者。ベオグラード、モスクワ両支局を経て、2003年8月から2004年8月まで1年間バグダッド支局長。現在外信部デスク。 イラクで殉職した外交官の奥克彦やミャンマーで亡くなったジャーナリストの長井健司とも親交があった。
千田 善(ちだ ぜん、1958年10月10日 - )は、日本… 千田 善(ちだ ぜん、1958年10月10日 - )は、日本の国際ジャーナリスト、通訳・翻訳者(セルビア・クロアチア語など)、政治学者。元日本共産党中央機関紙特派員。 元・サッカー日本代表監督イビチャ・オシムの通訳を務めたことで知られる。 岩手県胆沢郡胆沢町(現・奥州市)出身。胆沢町立南都田中学校(現・奥州市立胆沢中学校)、岩手県立水沢高等学校、東京大学教育学部卒業。ベオグラード大学政治学部大学院修士課程国際政治専攻中退。専門は国際政治、民族紛争、異文化コミュニケーション、サッカーなど。 しんぶん赤旗特派員として、ベオグラード(セルビア)、リュブリャナ(スロベニア)を合わせてユーゴスラビアでの生活を10年近く送る。
石川 一洋(いしかわ いちよう、1957年 - )は、日本の… 石川 一洋(いしかわ いちよう、1957年 - )は、日本のジャーナリスト。NHK元記者。専門はロシア情勢。NHK解説委員を務めその担当分野は、ロシア、ユーラシア、エネルギーなど。 岩手県出身。岩手県立盛岡第一高等学校(1976年卒業)、東京大学文学部ロシア語ロシア文学科卒業後、1982年NHK入局。 1982年から1985年に秋田放送局記者、1985年から1988年に青森放送局三沢通信部記者を経て、1988年から1992年は報道局取材センター国際部記者を務め、1992年から1996年にモスクワ支局記者、1996年から1998年に報道局国際部記者、1998年から2002年に報道局国際部デスク・日露プロジェクト統括経て、2002年から2007年にはモスクワ支局長を務めた。
松田 賢弥(まつだ けんや、1954年 - 2021年10月… 松田 賢弥(まつだ けんや、1954年 - 2021年10月8日)は、日本のジャーナリスト。 岩手県北上市出身。出版業界紙「新文化」記者を経てジャーナリストとなり、「週刊現代」を中心に執筆活動を行う。 政界について多くの記事を執筆しており、とりわけ同郷である小沢一郎について多く取り上げ、「小沢一郎の天敵」と評された。2013年、『小沢一郎 淋しき家族の肖像』で第12回新潮ドキュメント賞候補。 2021年10月8日、肺炎による急性心不全の為死去。享年67。
小松沢 陽一(こまつざわ よういち、1950年 - )は、日… 小松沢 陽一(こまつざわ よういち、1950年 - )は、日本の映画ジャーナリスト。東北芸術工科大学大学院客員教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山口 光(やまぐち こう、1944年 - )は、日本のジャー… 山口 光(やまぐち こう、1944年 - )は、日本のジャーナリスト。共同通信社顧問。岩手県水沢市(現・奥州市)に生まれる。 1963年岩手県立水沢高等学校、1967年国際基督教大学を卒業後、1968年共同通信社に入社し、サイゴン(現ホーチミン)・バンコク・ニューヨーク支局を経て、編集局外信部次長、ジュネーブ支局長、総務局次長、1988年長野オリンピックメディア責任者、2002年FIFAワールドカップ日本組織委員会スポークスマン、共同通信国際局長、業務顧問、企画経営室顧問などを歴任し、現在共同通信社社長室顧問。
新井 直之(あらい なおゆき、1929年9月21日 - 19… 新井 直之(あらい なおゆき、1929年9月21日 - 1999年5月13日)は、日本のジャーナリスト、ジャーナリズム研究者。 岩手県盛岡市出身。東京大学文学部独文科卒業。在学中に同大学新聞研究所の第1期研究生となった。1951年共同通信入社。社会部、文化部を経て文化部次長、科学部長、編集委員、調査部長を歴任し、1978年退社して創価大学文学部教授、1993年東京女子大学現代文化学部教授。日本ジャーナリスト会議設立時には共同支部幹事を務め、1973年から1979年まで同会議副議長を務めた。 評論家の樋口恵子とは事実婚の関係にあった。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。
浅野 七之助(あさの しちのすけ、1894年11月29日 -… 浅野 七之助(あさの しちのすけ、1894年11月29日 - 1993年3月6日)は、盛岡市出身のジャーナリスト。 アメリカ合衆国で新聞記者として活動し、第二次世界大戦後にアメリカから日本に対しておこなわれた難民救済事業である「ララ物資の父」と言われている。 郷土の先輩、原敬の書生となり、中央大学で学んだ後、1917年に東京毎夕新聞記者特派員として渡米、1924年から朝日新聞米国西部沿岸通信員を務めた。1946年、サンフランシスコの代表的邦字紙「日米時事」を発刊し、社長となる。在米日本人、日系人の権利擁護、拡張のための民権擁護協会、帰化権獲得同盟に参加した。 日米親善と在留邦人の地位向上に貢献したことで、1973年に勲三等瑞宝章を授与される。
佐藤東華(さとう とうか、1867年(慶應3年)- 1923… 佐藤東華(さとう とうか、1867年(慶應3年)- 1923年(大正12年)12月16日)は、明治・大正時代のジャーナリスト。本名は佐藤敬吉(さとうけいきち)。 猊鼻渓(岩手県一関市東山町)の観光地開発に携わった佐藤猊巌(さとうげいがん)の実弟。1916年(大正5年)「磐井(いわい)の名勝」を出版、猊鼻渓の項あり。仙臺風藻(せんだいふうそう)1912年(大正元年)9月27日出版によると、慶應3年 丁卯 生まれで、中陸新聞、仙臺新聞、秋田魁新報などの記者として従事中と記載がある。後に北海道に移住した。また、「胆振公論」(いぶりこうろん)という雑誌を発行していた。生前に、3冊の書籍を出版している。大正12年12月16日に没す。