くどう れいん(くどう れいん、女性、1994年11月10日… くどう れいん(くどう れいん、女性、1994年11月10日)は、日本の小説家、歌人。歌人としての名義は本名である「工藤玲音」(読み同じ)であったが、2024年2月をもって「くどうれいん」名義に統一した。 岩手県盛岡市出身。石川啄木の出身地として知られる渋民で育つ。俳句結社『樹氷』同人、コスモス短歌会所属。 岩手県立盛岡第三高等学校で文芸部に所属し、2012年度全国高等学校文芸コンクール小説部門・詩部門・短歌部門で優秀賞を受賞する。岩手日報の随筆賞の最年少受賞や、全国高校生短歌大会団体優勝も経験した。複数の文芸ジャンルにわたって作品を執筆しているが、高校の文芸部ではそれが通常の姿勢であり、自身は「文芸部をずっとやってる感覚」であると述べている。
嵯峨 直樹(さが なおき、1971年9月15日 - )は、… 嵯峨 直樹(さが なおき、1971年9月15日 - )は、日本の歌人。ミュージシャンの宙也は叔父。 岩手県盛岡市に生まれる。法政大学社会学部中退。 岡井隆に師事し、歌誌「未来」会員。2000年、「未来賞」受賞。2004年、作品「ペイルグレーの海と空」30首にて第47回短歌研究新人賞受賞。2006年、全国高校生短歌大会審査員。2008年、日本現代詩歌文学館常設展「天体と詩歌」出展。同年、第一歌集『神の翼』を刊行。2011年、さいかち真とともに短歌研究誌「美志」を復刊。 師である岡井隆の影響の強い修辞的、批評的な作風が特色。また、性愛を主題とした作品も多い。方法としては、性にかかわる直接的なタームは出さず、作中の登場人物たちのあいだにある社会的な距離感が異常に近いことをほのめかしながら表現していくため、性愛の歌として読まないこともできる。
照井 翠(てるい みどり、1962年(昭和37年)9月7日 … 照井 翠(てるい みどり、1962年(昭和37年)9月7日 - )は、岩手県花巻市出身の俳人。同県釜石市市在住。岩手県内の高校で長く国語教師を務める。現在「寒雷」「草笛」同人、現代俳句協会会員。東日本大震災では、岩手県立釜石高校で被災、1ヶ月間体育館と合宿所で生活した。 1990年、「寒雷」に入会し加藤楸邨に師事。同年「草笛」に入会。1993年「草笛」同人。1996年「草笛」新人賞、「寒雷」同人。2001年「草笛賞」優秀賞。2002年、第20回現代俳句新人賞。 2011年、岩手県釜石市で東日本大震災により被災。2013年、第5句集『龍宮』により第12回俳句四季大賞および第68回現代俳句協会賞特別賞を受賞。
山本 一歩(やまもと いっぽ、1953年11月28日 - … 山本 一歩(やまもと いっぽ、1953年11月28日 - )は俳人。俳誌「谺」主宰、横浜俳話会顧問。 岩手県稗貫郡大迫町(現在の花巻市)生まれ。小林康治に師事。1980年、「林」創刊に参加。1993年、「谺」創刊。1996年、作品「指」50句により角川俳句賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、… 佐藤 通雅(さとう みちまさ、1943年1月2日 - )は、日本の歌人、評論家。河北新報歌壇選者。 岩手県水沢市(現奥州市)出身、宮城県仙台市在住。岩手県立水沢高等学校、東北大学教育学部卒業。宮城県内の高等学校にて教員を務める。 歌誌『短歌人』を経て、1966年に文学思想個人編集誌『路上』を創刊。短歌、詩、評論、児童文学研究などの分野で編集。宮沢賢治論、北原白秋論が多い。2011年の第120号にて第1期を終刊、第2期へと移行した。 1965年、「青海」で第11回角川短歌賞候補。1971年『新美南吉童話論』で第4回日本児童文学者協会新人賞受賞。1986年『日本児童文学の成立・序説』で日本児童文学学会賞奨励賞。
板宮 清治(いたみや せいじ、1935年〈昭和10年〉2月2… 板宮 清治(いたみや せいじ、1935年〈昭和10年〉2月22日 - 2024年〈令和6年〉4月15日)は、岩手県胆沢郡金ケ崎町出身の歌人、専業農家。 昭和30年代の農村生活と自然を主な内容とする第一歌集『麥の花』は、青春期のみづみづしい作品を特色とする。1964年から2005年にかけて6冊の歌集を発行し、何れも東北の風土に根差した鋭敏な感性と清新な詠風によって貫かれている。病を克服して収めた『杖』は、平成18年度の日本歌人クラブ賞を受賞した。同賞の受賞は、岩手県民では初であった。 地元の金ケ崎町立図書館には特設文庫として「板宮文庫」があり、板宮寄贈による現代歌人の歌集を中心とした書籍が収められている。
田江 岑子(たえ みねこ、1925年(大正14年) 3月15… 田江 岑子(たえ みねこ、1925年(大正14年) 3月15日- )は日本の歌人。岩手県宮古市出身で盛岡市に在住。2025年(令和7年)12月1日、永眠。享年100. 1925年岩手県川井村(現在の宮古市西部)に生まれる。結婚後は盛岡に住む。1961年、新墾社に入社。1973年、未来短歌会に入会。1974年、『北宴』文学会の復刊に参加。1982年、『岬』創刊に参加。1984年、季刊個人誌『淼』を発刊し、1988年に終刊。翌1989年、季刊個人誌『漨』を発刊、1994年に終刊。1982年、第28回角川短歌賞に応募し、474人中の34人の候補に残る。 第一歌集『美しと思う花いくつ覚えしか』の刊行は著者50歳の時。
大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8… 大西 民子(おおにし たみこ、1924年(大正13年)5月8日 - 1994年(平成6年)1月5日)は、昭和期の日本の歌人である。本名は菅野 民子(かんの たみこ)。日常の風景をあらわした短歌で知られる。 1924年(大正13年)5月8日、岩手県盛岡市八幡町に、父・菅野佐介、母・カネの三姉妹の次女として生まれる。 盛岡市立城南尋常小学校、岩手県立盛岡高等女学校(現岩手県立盛岡第二高等学校)を経て、奈良女子高等師範学校(現奈良女子大学)へ進む。石川啄木に憧れ、在学中に前川佐美雄の短歌指導を受ける。卒業後、岩手県立釜石高等女学校(現岩手県立釜石高等学校)の教諭となり、終戦を迎えた。1947年(昭和22年)結婚、男児を早死産し半年あまり病床にあった。
佐藤鬼房(さとう おにふさ、1919年3月20日 - 200… 佐藤鬼房(さとう おにふさ、1919年3月20日 - 2002年1月19日)は、日本の俳人。岩手県釜石市出身。本名は喜太郎。 塩竈町立商業補習学校(現・塩釜市立第一小学校)卒業。10代からロシア文学を耽読する一方で俳句に目覚め、1935年より新興俳句系の「句と評論」に投句、渡辺白泉の選句を受ける。1936年より長谷川天更の「東南風」同人。1940年、徴兵により入隊、中国・南方に転戦。なお占領地の南京でそれまで面識のなかった鈴木六林男に出会っている。 戦後は西東三鬼に師事し、「青天」「雷光」「梟の会」などに参加。1953年「風」同人。1954年、第3回現代俳句協会賞受賞。1955年、「天狼」同人。
小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 197… 小川博三(おがわ ひろぞう、1913年10月3日 - 1976年1月17日)は、日本の都市計画家研究者・交通計画研究者・歌人。岩手大学教授・北海道大学教授を歴任。 岩手県生まれ。学生時代から短歌をよくして、歌誌「地中海」や「満州短歌」の同人として活動。1975年には「カルル橋」で第11回「短歌研究賞」を受賞した。 1937年(昭和12年)、北海道帝国大学工学部土木工学科卒。在学中の満州事変勃発を契機に大陸に志を抱いたという。満州や朝鮮へ実習をかねて訪れている。大学卒業後、南満州鉄道株式会社へ入社する。 1943年、現職のまま大東亜省嘱託として東南アジア諸国の交通実態調査を命じられ、翌1944年から1946年まで、ベトナム、カンボジア、タイ王国、マレーシア、ビルマ(ミャンマー)などで調査にあたる。
山口 青邨(やまぐち せいそん、1892年〈明治25年〉5月… 山口 青邨(やまぐち せいそん、1892年〈明治25年〉5月10日 - 1988年〈昭和63年〉12月15日)は、日本の俳人・鉱山学者。岩手県出身。東京大学名誉教授。 本名は吉郎(きちろう)。初号は泥邨。高浜虚子に俳句を師事、工学博士として東京大学に勤めながら俳誌「夏草」を主宰した。 岩手県盛岡市出身。父は士族の家柄。5歳のときに母が死去し、母方の叔父笹間夫妻の元で育った。岩手県立盛岡中学校卒業、1910年、第二高等学校入学。野球部でキャプテンを務めた。1916年、東京帝国大学工科大学採鉱科卒業。古河鉱業に入社。1918年、退社し農商務省技師として鉱山省に勤務。19年にはシベリア炭鉱を調査した。
富田 砕花(とみた さいか、1890年11月15日 - 19… 富田 砕花(とみた さいか、1890年11月15日 - 1984年10月17日)は、日本の詩人、歌人。校歌や市町歌の作詞など、旺盛な詩作活動を行なったことから「兵庫県文化の父」と称される。 岩手県盛岡市生まれ。本名・戒治郎。日本大学殖民科卒業。1902年に上京し、同年12月から会計検査院に勤める。1908年、与謝野寛と与謝野晶子の新詩社に加わり、石川啄木とともに歌会に参加する。以来、啄木に思想的な影響を受け、啄木の死に際してエッセイを発表した。 1912年、歌集『悲しき愛』を出版する。その前後にホイットマンやエドワード・カーペンターの訳詩集を刊行し、彼らの詩を日本に初めて紹介した。1915年、最初の詩集『末日頌』を上梓。
菊池 知勇(きくち ちゆう・ともお、1889年〈明治22年〉… 菊池 知勇(きくち ちゆう・ともお、1889年〈明治22年〉4月7日 - 1972年〈昭和47年〉5月8日)は、日本の教育者、歌人。 岩手県東磐井郡渋民村(現・一関市大東町曾慶)出身。奥玉高等小学校に入学したのち下折壁高等小学校を卒業。岩手師範学校(現・岩手大学教育学部)卒業。上京し、慶応幼稚舎の教員となる。1910年若山牧水の『創作』の創刊に参加、1926年初めての綴方専門誌『綴方教育』を創刊。1927年口語短歌誌『ぬはり』を創刊した。幼稚舎での教え子に詩人の薩摩忠がいる。 『ぬはり』は戦時下の用紙統制で1944年、『真樹』(1930年、山本康夫創刊)などと合併し『直毘』(なおび)として刊行された時期もあったが、その後も刊行が続いている。
小田 観螢(おだ かんけい、1886年〈明治19年〉11月7… 小田 観螢(おだ かんけい、1886年〈明治19年〉11月7日 - 1973年〈昭和48年〉1月1日)は、日本の歌人。本名は小田哲弥。北海道歌壇の草分け、北海道歌壇の功労者とされる。二度にわたって妻を喪いながらも歌を詠み続けたことから、「逆境の歌人」とも呼ばれる。 岩手県九戸郡宇部村(後の久慈市)で誕生した。伯父である小田為綱の教育の賜物で、13歳のとき中国の歴史書『一八史略』を読み、周囲を驚かせた。 1900年(明治33年)、家が破産したために学業を断念、母方の叔母を頼って一家で北海道小樽にわたり、観螢は奥沢小学校の代用教員として勤めた。その後も北海道各地に転任し、開拓民の子供たちに教えつつ、自らも農業に携わる、半農半教の生活を送った。
石川 節子(いしかわ せつこ、旧姓 堀合、1886年〈明治1… 石川 節子(いしかわ せつこ、旧姓 堀合、1886年〈明治19年〉10月14日 - 1913年〈大正2年〉5月5日)は日本の女性歌人。石川啄木の妻。 1886年(明治19年)に岩手県南岩手郡上田村(現・盛岡市)上田新小路11番地(現在の岩手大学農業資料館付近)に生まれる。堀合家は南部家臣の家系であり、父・忠操は岩手郡役所に勤めていた。節子が生まれて3年半後の1890年(明治23年)4月に一家は新山小路に転居している。9人兄弟(男子3・女子6)の長姉で、末の弟とは22歳の年齢差があった。すぐ下の妹であるふき子は後述するように、宮崎郁雨の妻となった。 1892年(明治25年)に盛岡第一尋常小学校を、1899年(明治32年)3月に盛岡高等小学校を卒業する。
石川 啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月… 石川 啄木(いしかわ たくぼく、1886年(明治19年)2月20日 - 1912年(明治45年)4月13日)は、日本の歌人、詩人。本名は石川 一(いしかわ はじめ)。
岡山 不衣(おかやま ふい、1885年(明治18年)12月9… 岡山 不衣(おかやま ふい、1885年(明治18年)12月9日 - 1943年(昭和18年)11月29日)は岩手県花巻市出身の俳人、新聞編集者。岩手毎日新聞社(1933年廃刊。現在の毎日新聞とは無関係)の主筆(編集長)でもあった。生誕時の本名は伊藤儀七であったが、幼少時に養子に出たことで岡山儀七となった。 1885年(明治18年) のちの貴族院議員伊藤儀兵衛の四男として、花巻に生まれる。1889年(明治23年)、岡山直機の養子となる。 旧制岩手県立盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)に入学し、石川啄木と出会う(学年は啄木が1年上)。1901年(明治34年)に啄木のほか野村長一(後の野村胡堂)や、後に医学博士となる小林茂雄や瀬川深(せがわふかし)、猪川浩らと短歌会「白羊会」を結成する。
瀬川 深(せがわ ふかし、1885年1月5日 - 1948年… 瀬川 深(せがわ ふかし、1885年1月5日 - 1948年)は、岩手県出身の医師、歌人・俳人である。雅号として藻外を名乗った。 1885年(明治18年)1月5日、岩手県江釣子村(現・北上市)の瀬川早水の三男に生れる。のちに、同族の医師の瀬川雅夫の養子となった。実父の早水は1846年(弘化3年)に村宿の長男として生まれ、のちに江釣子小学校を創設。1899年から1903年まで同村の助役を務めたのち板垣退助が率いる自由党のもとでの自由民権運動を推進した。 深は旧制盛岡中学校(現・岩手県立盛岡第一高等学校)に入学。同学年にはともに医師を志した小林茂雄や岡山儀七、一級上には歌人の石川啄木がおり、さらに先輩には金田一京助や及川古志郎、野村胡堂らがいた。
小田島孤舟(おだしま こしゅう、1884年3月1日 - 19… 小田島孤舟(おだしま こしゅう、1884年3月1日 - 1955年12月4日)は、岩手県和賀郡小山田村(現花巻市)出身の歌人・教育家・書道家。「岩手歌壇の父」と言われる。本名は小田島理平治。旧姓は佐々木。 1884年3月、和賀郡小山田町の農家の二男として生まれる。1902年、19歳で「小国民」懸賞小説に二等当選。同年4月、岩手師範学校本科に入学。1904年、同校文芸同人誌『花摺草』に短歌、俳句、美文「わが罪」を発表。1905年7月、石川啄木を訪問し交際が始まる。[要出典] 与謝野鉄幹は、「君は短歌より長詩の方が優る」と手紙でいさめたが、結果的には石川啄木が小田島にあてた書面「和歌は現代に新価値あり」に動かされ、歌人を目指すことになった。
絹川 柊佳(きぬがわ しゅうか)は、日本の歌人。 2016年… 絹川 柊佳(きぬがわ しゅうか)は、日本の歌人。 2016年、「いつも明るい」で第59回短歌研究新人賞を受賞し商業誌にデビュー。2022年、第1歌集『短歌になりたい』を刊行。