藤澤 有沙(ふじさわ ありさ、英:Arisa Fujisaw… 藤澤 有沙(ふじさわ ありさ、英:Arisa Fujisawa 1989年10月27日 - )は、日本の女性キーボーディスト、作詞家、作曲家、編曲家である。 宮城県仙台市 生まれ、埼玉県育ち。身長162cm。埼玉県立浦和西高等学校出身。 3歳からクラシックピアノを始める。18歳からはサポートキーボードの活動を始め、レコーディングなどにも参加。その後も楽曲のサポートやアレンジ、楽曲制作活動、講師としての活動、さらにはアーティストのライブにも参加している。現在は個人プロジェクト The Fabric ARTS として活動している。 愛称は”ありごん”。名付け親はYUIである。3歳下の妹がいる。 姉妹での曲を趣味として制作している。
石川 晃次(いしかわ こうじ、1978年9月26日 - )は… 石川 晃次(いしかわ こうじ、1978年9月26日 - )は日本のシンガーソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー 1978年9月26日、宮城県仙台市生まれ。1985年から1987年まで西ドイツのミュンヘンにて育ち、1987から1999まで日本で暮らし、2009年以降は主に日本とフィリピンに在住。 幼い頃から多様な音楽を聴いて育ち、14歳の時に自作で曲を創り始める。15歳になるとパソコンとキーボードを使い編曲も含めた本格的な楽曲を創り始める。このスタイルは現在に至るまで、一貫して変わっていない。18歳になると、親友の長瀬弘樹と共に曲造りをするなどして、プレゼンテーションを積極的に行う。
宮藤 官九郎(くどう かんくろう、1970年〈昭和45年〉7… 宮藤 官九郎(くどう かんくろう、1970年〈昭和45年〉7月19日 - )は、日本の脚本家、ラジオパーソナリティ、俳優、映画監督、演出家、作詞家、作曲家、放送作家、ミュージシャン、濡れ場評論家。劇団大人計画所属。愛称は「クドカン」「クン」。ロックバンド・グループ魂のギタリストとしての名義は暴動(ぼうどう)。パンクバンド画鋲のギタリスト。 宮城県栗原郡若柳町(現在の栗原市)出身。本名は宮藤 俊一郎(くどう しゅんいちろう)。身長176.5cm。妻は振付師の八反田リコ。 実家は文具店を経営。父は教員であり、校長を務めたこともある。年の離れた姉が2人いる。 幼少時から文才を発揮し朝日新聞主催の作文コンクールで2年連続の県予選入賞歴がある。
遊佐 未森(ゆさ みもり、1964年2月20日 - )は、日… 遊佐 未森(ゆさ みもり、1964年2月20日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、作曲家、作詞家。宮城県仙台市出身。 「遊佐」は本名で、東北地方南部や宮城県に多い苗字。山形県には遊佐町がある。「未森」は本人と外間隆史が命名した芸名である。 芸能事務所は、デビュー以来ヴァーゴミュージックに所属していたが、神奈川県横須賀市に「株式会社水音社」を設立した。遊佐と元ピチカート・ファイヴの鴨宮諒が所属する。 1964年に仙台市で生まれる。両親は、いつも歌っているような子であった、と語る。 6歳でNHKの『ちびっこのどじまん』に出場し、童謡「たきび」を披露した。7歳頃よりピアノを弾きながら作詞と作曲を始め「自然豊かな場所に住んでいた影響もあり、空や山をテーマにした曲が多かった」と述べる。
藤 公之介(ふじ こうのすけ、本名:工藤 喜美夫〈くどう き… 藤 公之介(ふじ こうのすけ、本名:工藤 喜美夫〈くどう きみお〉、1941年〈昭和16年〉5月17日 - )は、日本の作詞家、詩人、放送作家。 宮城県塩竈市出身。東北学院中学校・高等学校を経て、日本大学芸術学部卒業。アイドルから、大人の歌まで幅広い作詞活動をしている。
水島 哲(みずしま てつ、1929年2月3日 - 2015年… 水島 哲(みずしま てつ、1929年2月3日 - 2015年6月27日)は、日本の作詞家。 1929年2月3日、宮城県仙台市出身。本名は安倍亮一。 早稲田大学理工学部在学中より音楽業界に入り、1958年に平尾昌章が歌った『星は何でも知っている』で作詞家としてデビュー。 その後、読売新聞社に記者として入社。東京本社文化部記者として音楽関係の記事や評論を書きながら、一方では作詞家として数々の作品を世に送り出す。 1989年頃まで読売新聞に在職しており、その後フリーの音楽評論家となった。 2015年6月27日、大腸癌のため死去。86歳没。 水島は洋楽曲の訳詞、和製ポップス、演歌、グループ・サウンズまでジャンルを問わない創作活動を行っていた。
伊野上 のぼる(いのうえ のぼる、1928年8月7日 - 2… 伊野上 のぼる(いのうえ のぼる、1928年8月7日 - 2011年7月9日)は、昭和時代後期日本の作詞家。本名は井上 三夫(いのうえ みつお)。 別名義に乗田 まさみ (正美)、井上 浩志ほか。 1928年(昭和3年)、宮城県刈田郡宮村(現在の蔵王町遠刈田温泉)に7人兄弟の末子として生まれる。少年の頃より本が好きで、文芸雑誌に「井上蔵王」という名で投稿することもあったという。 のちに作詞家の石本美由起に師事。代表作に北原謙二『ふるさとのはなしをしよう』やCMソング『かに道楽』がある。『ふるさとのはなしをしよう』は落語家の立川談志が最も好んだ歌のひとつとされ、談志一門の集まりでは最後にこの歌をみんなで合唱したという。
遠山 徳男(とおやま とくお、1923年3月 - 1981年… 遠山 徳男(とおやま とくお、1923年3月 - 1981年8月)は日本の農家、作詞家。 第二次世界大戦後の復興期に作られた宮城県の2代目県民歌「輝く郷土」の作詞者。名前の表記を「徳雄」とする資料も見られる。 1923年(大正12年)3月、宮城県桃生郡桃生村永井表(現在の石巻市桃生町永井)で農家の長男として生まれる。桃生尋常小学校(現在の石巻市立桃生小学校)在学中より成績優秀で、雑誌に短歌を投稿して何度か掲載されたことがある。 1944年(昭和19年)9月に応召、配属先の仙台東部第22連隊で終戦を迎え、復員する。1946年(昭和21年)、宮城県が河北新報社と合同で1938年(昭和13年)制定の「宮城県民歌」に代わる2代目の県民歌を懸賞募集した際に応募作が一等入選で採用され、村を挙げた祝賀行事が盛大に行われた。
水上 不二(みずかみ ふじ、男性、1904年(明治37年)1… 水上 不二(みずかみ ふじ、男性、1904年(明治37年)1月10日 - 1965年(昭和40年)3月31日)は、日本の詩人、童話作家、絵本作家、作詞家。 宮城県本吉郡大島村(現在の気仙沼市)字長崎にて父・佐助、母・あやの の次男として生まれる。 1918年(大正7年)、本吉郡立水産学校(現在の宮城県気仙沼向洋高等学校)に入学し、卒業後は1922年(大正11年)9月より本吉郡内の小学校3校に勤務した。その後、1928年(昭和3年)4月に上京し、東京府南葛飾郡の松江第一小学校に勤務した。 1930年(昭和5年)、処女詩集『私の内在』を発行する。この頃より鈴木三重吉、北原白秋らが発刊した「赤い鳥童謡運動」に参加。
青木 存義(あおき ながよし、1879年8月15日 - 19… 青木 存義(あおき ながよし、1879年8月15日 - 1935年4月19日)は、日本の国文学者、唱歌作詞家、小説家、教育者。童謡『どんぐりころころ』の作詞者として知られる。 宮城県宮城郡松島町幡谷新田出身。宮城県尋常中学校(現在の宮城県仙台第一高等学校)、東京帝国大学文科大学卒業(1906年)。1917年に東京音楽学校教授就任。その後は文部省図書編集部長(1924年)、旧制新潟高等学校校長(1934年)などを歴任。文部省在職中に『どんぐりころころ』などを始め、文部省唱歌を数多く作りあげた。また青木苫汀(せんてい)の名で『我や人妻』などの小説も書いている。 180cmの長身で温和な性格だったと伝わる。
平 一洋(たいら かずひろ)は、日本のボーカリスト、作詞家。… 平 一洋(たいら かずひろ)は、日本のボーカリスト、作詞家。宮城県古川市(現・宮城県大崎市古川)出身。血液型はA型。ステージネームを「てんてん」「点々」としていた時期があり、現在もてんてんの愛称で知られる。アパレルブランド9B2のオーナーでもある。作詞家としては「篠目数尋」の名義を使用することもある。 大崎市立古川東中学校の頃に音楽を志し、文化祭でTHE YELLOW MONKEYの「JAM」をコピーしたことが初ステージとなった。ナイトメアのボーカリストYOMIとは中学校の同級生であり、現在も親交が深い。 複数のバンド活動とソロプロジェクトを経て、現在は3470.monのボーカリストとして活動中。
菅田 かおり(すがた かおり)は、日本の女性ジャズ・ミュージ… 菅田 かおり(すがた かおり)は、日本の女性ジャズ・ミュージシャン・ボーカリスト、作詞家、アレンジャー、ボイストレーナー。 東京都生まれ、宮城県仙台市育ち。宮城学院女子大学卒業。学生時代よりCMソングやコーラスの仕事などの音楽活動を行う。大学にてモダンジャズ研究会、ブラジル音楽研究会に参加。仙台・山形のジャズクラブなどで歌うようになる。 1999年(平成11年)に渡米。ジャズやラテンボーカル、ピアノ、理論を勉強、ニューヨークでのライブや教会でのクワイヤなどの音楽活動を経て、帰国。 現在は東北地方を拠点として、ジャズに限らずオリジナル曲や日本の楽曲等、ジャンルにとらわれない独創的な演奏活動を全国各地にて行っている。