熊谷 太雅(くまがい たいが、2006年10月17日 - )… 熊谷 太雅(くまがい たいが、2006年10月17日 - )は、宮城県登米市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 登米市立石越中学校を経て、東陵高校へ進学。 東陵高校では入学早々、左肘の怪我に見舞われた。2年春も2年夏も熊谷はベンチ外であり、いずれもチームは県大会準決勝で仙台育英にコールド負け。2年秋の地区予選初戦で公式戦初登板を果たすと、県大会準々決勝では仙台育英を相手に1失点完投勝利を挙げた。続く準決勝と3位決定戦にも先発したが、いずれもリードを許して降板し、チームも敗戦。3年夏の宮城大会では聖和学園との準々決勝で敗退した。甲子園出場経験はなし。 2024年10月24日に開催されたドラフト会議にて、福岡ソフトバンクホークスから育成12位指名を受けた。
山口 廉王(やまぐち れお、2006年5月14日 - )は、… 山口 廉王(やまぐち れお、2006年5月14日 - )は、東京都大田区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 練馬区立田柄第二小学校1年生のときに軟式野球を始め、青森県の『野内ヤンキース』でのプレーを経て、宮城県の多賀城市立高崎中学校時代は硬式野球の『宮城北部リトルシニア』でプレー。小中ともにメインポジションは捕手ながら、成長痛もあって内野手と投手も兼任していた。 仙台育英高校へ進学し、投手一本で勝負してみたいという願望を抱いていたが、中学時代から違和感があった右肘がドクターチェックで緊急手術を要する状態であることが判明。成長する前の軟骨が破損しており、膝の骨を肘に移植するという手術を入学直後の5月に受けた。
大内 誠弥(おおうち せいや、2006年3月9日 - )は、… 大内 誠弥(おおうち せいや、2006年3月9日 - )は、宮城県東松島市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 生まれも育ちも宮城県東松島市であり、5歳のときに東日本大震災を経験。東松島市立赤井南小学校1年生のときに『大曲ドリームズ』で指導者をしていた祖父に誘われて野球を始め、投手兼遊撃手であった。東松島市立矢本第二中学校では『東松島シニア』でプレーし、投手兼外野手であった。 日本ウェルネス宮城高校へ進学し、1年夏からベンチ入り。2年秋に佐々木朗希のように足を高く上げるフォームに改造すると、最速144km/hまで成長した。3年夏は宮城大会2回戦で古川学園に敗れた。
山田 脩也(やまだ しゅうや、2005年8月20日 - )は… 山田 脩也(やまだ しゅうや、2005年8月20日 - )は、宮城県仙台市青葉区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 6歳年上の兄、利輝の影響で仙台広瀬リトルリーグで野球を始め、小学校6年生の時にWBSC U-12ワールドカップの日本代表に選出された。その後仙台東部リトルシニアを経て、利輝も在籍した仙台育英学園高等学校へ進学。 仙台育英学園高等学校では1年春から遊撃手のレギュラーを務める。2年夏の第104回全国高等学校野球選手権大会では2番打者として全試合に先発出場し、東北勢初となる優勝に貢献した。同年秋から主将を務めた。3年春の第95回記念選抜高等学校野球大会ではベスト8に進出。
伊藤 樹(いとう たつき、2003年8月24日 - )は、秋… 伊藤 樹(いとう たつき、2003年8月24日 - )は、秋田県仙北郡美郷町出身のプロ野球選手。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 小学校6年時には東北楽天ゴールデンイーグルスジュニアでプレー。仙台育英高校でのプレーに憧れ、系列の秀光中学校に入学するために小学校卒業後に秋田から転居した。秀光中3年次には全中軟式大会の決勝で高知中の森木大智と投げ合ったが、惜しくも準優勝に終わった。 仙台育英学園高等学校に進学し、1年夏と3年春に甲子園出場。3年夏は宮城県大会で仙台商に1点差で敗れ、3季目の甲子園出場とはならなかった。1学年先輩に入江大樹、同級生に同じ年に埼玉西武へ入団した秋山俊、2学年後輩に山田脩也がいた。
松浦 慶斗(まつうら けいと、2003年7月1日 - )は、… 松浦 慶斗(まつうら けいと、2003年7月1日 - )は、宮城県石巻市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 石巻市立門脇小学校1年生の時に門小ガッツスポーツ少年団で野球を始めるが、同時期に東日本大震災で被災し、2年生の終わりに両親の故郷である北海道旭川市に転居。旭川市立新富小学校に転校すると新富野球少年団に入部する。6年生の時には、北海道日本ハムファイターズジュニアに選抜された。 旭川市立明星中学校に進学すると、旭川大雪ボーイズに所属。1年生の時に12歳以下の国際大会であるカル・リプケンワールドシリーズに日本代表として出場し世界制覇に貢献。中学3年時には札幌ドームで開催された「FIGHTERS BASEBALL CHAMPIONSHIP U-15」で優勝した。
佐藤 柳之介(さとう りゅうのすけ、2002年11月1日 -… 佐藤 柳之介(さとう りゅうのすけ、2002年11月1日 - )は、宮城県宮城郡七ヶ浜町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。広島東洋カープ所属。 小学3年生の時に塩竈ドラゴンズで野球を始め、向洋中学校時代は七ヶ浜リトルシニア(2022年に仙台伊達リトルシニアにチーム名変更)に所属していたが、公式戦への登板はなかった。高校は東陵高校に入学。高校入学時の球速は最速120 km/h程度であった。2年の秋季宮城県大会では仙台三高を相手に11回まで2安打16奪三振に抑えるも、12回に決勝点を奪われ敗北。3年では宮城代替大会で2回戦まで大会無失点を継続、3回戦は気仙沼向洋高を相手に5者連続奪三振を含む11奪三振で4安打完封。
麦谷 祐介(むぎたに ゆうすけ、2002年7月27日 - )… 麦谷 祐介(むぎたに ゆうすけ、2002年7月27日 - )は、宮城県仙台市太白区出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。オリックス・バファローズ所属。 小学校2年生の時に東北楽天ゴールデンイーグルスのアカデミーで野球を始め、仙台市立袋原中学校在学時は楽天が下部組織として新たに創設したクラブチーム、東北楽天リトルシニアの1期生としてプレーした。 高崎健康福祉大学高崎高等学校に進学したが、部内暴力の被害を受け、「部に合わない」という理由で1年冬に中退し、宮城県大崎市古川(旧・古川市)にある大崎中央高等学校に転校した。高校時代は甲子園大会への出場はなかった。 高校卒業後は富士大学へ進学し、外野手のレギュラーに定着。
小野寺 賢人(おのでら けんと、1998年7月13日 - )… 小野寺 賢人(おのでら けんと、1998年7月13日 - )は、宮城県黒川郡大和町出身の日本のプロ野球選手(投手)。 小学2年生の時に八幡原スポーツ少年団で野球を始め、中学時代は宮城黒川リトルシニアに所属した。聖和学園高等学校では3年夏に背番号10でベンチ入りしたが、仙台育英学園高等学校に3回戦で敗れた。 聖和学園高等学校から星槎道都大学に進む。2年からベンチ入りし、3年春にはチームの抑えを務めた。大学時代には札幌学生野球連盟1部リーグで複数回の優勝を経験した。大学当時について小野寺自身は「星槎道都大2年の時は、リリーフで出て、四球・四球・ホームランみたいな状態でした。3年で先発して1回5失点KOという試合があって、そこからはもう何をやってもだめ。
平沢 大河(ひらさわ たいが、1997年12月24日 - )… 平沢 大河(ひらさわ たいが、1997年12月24日 - )は、宮城県多賀城市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 多賀城市立城南小学校時代から軟式野球を始めると、地元球団の東北楽天ゴールデンイーグルスが運営する「楽天イーグルスベースボールスクール」に所属していた。中学時代は七ヶ浜リトルシニア(現仙台伊達リトルシニア)で野球を続けた。 仙台育英学園高等学校への進学後は、1年時の春から公式戦に出場。1年時の秋から、遊撃手のレギュラーに定着した。2年時の秋に出場した明治神宮野球大会・高校の部では、浦和学院高等学校との決勝戦で2点本塁打を放ち、チームの優勝と翌春の第87回選抜高等学校野球大会への出場権確定に貢献した。
佐藤 世那(さとう せな、1997年6月2日 - )は、宮城… 佐藤 世那(さとう せな、1997年6月2日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 仙台市立南光台東小学校2年生の時から南光台東小野球愛好会で野球を始め、地元球団の東北楽天ゴールデンイーグルスが運営する「楽天イーグルスベースボールスクール」に所属した。 小学校卒業後は、仙台育英学園系列の中学校・高校に在籍。秀光中等教育学校時代には軟式野球部のエースとして活躍した。 仙台育英学園高等学校への進学後は、同学年のチームメイト・平沢大河、郡司裕也などと共に、2年秋の第45回明治神宮野球大会で優勝。3年時には、春の第87回選抜高等学校野球大会・夏の第97回全国高等学校野球選手権大会に続けて出場。
佐藤 優悟(さとう ゆうご、1997年4月2日 - )は、宮… 佐藤 優悟(さとう ゆうご、1997年4月2日 - )は、宮城県刈田郡蔵王町出身のプロ野球選手(外野手)、野球指導者。右投右打。福島レッドホープス所属。NPBでは育成選手であった。 蔵王町立平沢小学校2年の時に野球を始めた。蔵王町立円田中学校では軟式野球部に所属し正捕手を務め、2年秋には宮城県選抜に選出された。 宮城県柴田高等学校では1年秋から6番・一塁手でベンチ入りし、2年秋から4番に座った。最高成績は3年春の県大会準優勝で、甲子園大会の出場経験はない。 仙台大学で外野手に転向し、1年春から仙台六大学野球リーグ戦に出場。レギュラーに定着した4年春のリーグ戦で、リーグ5位の打率.342、1本塁打、11打点、6盗塁の成績を残しベストナインを受賞した。
永谷 真衣(ながや まい、1996年12月14日 - )は、… 永谷 真衣(ながや まい、1996年12月14日 - )は、宮城県出身の女子ソフトボール選手(投手)。東海理化チェリーブロッサムズ所属。 姉の影響で12歳でソフトボールを始めた。東北生活文化大学高等学校、東北福祉大学を卒業後、2019年に日本リーグ2部の東海理化に入団。 2022年のJDリーグ創設以降、2シーズンにわたりレギュラーシーズンにおけるチームの全勝利を挙げた。 球速がない分、キレを意識している。打たせて取るスタイルを基本としているが、追い込んでからは得意のライズボールや変化球で三振を狙いにいく。 2022年のJDリーグ創設以降、2シーズンにわたりレギュラーシーズンにおけるチームの全勝利を挙げた。
船迫 大雅(ふなばさま ひろまさ、1996年10月16日 -… 船迫 大雅(ふなばさま ひろまさ、1996年10月16日 - )は、宮城県刈田郡蔵王町出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 蔵王町立永野小学校で3年生の時に野球を始め、蔵王町立円田中学校では軟式野球部に所属していた。また、小学4年生の時には野球教室で原辰徳と初対面したと語っている。 聖光学院高等学校に進学後、チームは2年春の第85回記念選抜高等学校野球大会、夏の第95回全国高等学校野球選手権大会に出場したが、自身はベンチ外だった。3年夏に出場した第96回全国高等学校野球選手権大会ではエースとして活躍し、チーム史上初となる1大会3勝を挙げてのベスト8進出に貢献した。同学年に八百板卓丸、1学年上に園部聡、1学年下に佐藤都志也がいた。
鈴木 遼太郎(すずき りょうたろう、1996年2月18日 -… 鈴木 遼太郎(すずき りょうたろう、1996年2月18日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。右投右打。 向陽小学校1年時に軟式野球を始め、蛇田中学校では軟式野球部に所属。石巻選抜チームにも所属し、中継ぎやロングリリーフを務め宮城県選抜大会の優勝に貢献した。 中学卒業後は石巻西高等学校に入学。3年夏の宮城県大会4回戦で上林誠知、熊谷敬宥、馬場皐輔擁する仙台育英と対戦したが、7回コールド負け。3年間での甲子園出場経験は無し。 東北学院大学では2年秋からベンチ入りし、リーグ通算39試合に登板。18勝を挙げ、防御率は1.76の成績を残し、2年時に最優秀新人賞、3、4年時に敢闘賞を獲得した実力を持つ。
熊谷 敬宥(くまがい たかひろ、1995年11月10日 - … 熊谷 敬宥(くまがい たかひろ、1995年11月10日 - )は、宮城県仙台市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 仙台市立南光台小学校2年時の冬に、友人の勧めで軟式野球をスタート。仙台市立南光台中学校在学中には、仙台東部シニアへ所属していた。 仙台育英高校への進学後に硬式野球部へ入部すると、2年時(2012年)夏の全国高等学校野球選手権大会から、春夏を通じて3季連続で甲子園球場の全国大会に出場した。3年時(2013年)には、春の第85回記念選抜高等学校野球大会で通算14打数2安打と振るわなかったものの、チームは準々決勝まで勝ち残った。夏の第95回全国高等学校野球選手権大会では、通算で8打数4安打を記録。
馬場 皐輔(ばば こうすけ、1995年5月18日 - )は、… 馬場 皐輔(ばば こうすけ、1995年5月18日 - )は、宮城県塩竈市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 塩竈市立第三小学校で3年生のときに塩竈ドラゴンズで野球を始める。塩竈市立第三中学校では七ヶ浜シニアに所属した。 仙台育英高校への進学後には、2年秋からベンチ入り。鈴木天斗との2枚看板で秋季東北大会、第43回明治神宮野球大会を制した。3年春の第85回記念選抜高等学校野球大会では、3回戦の早稲田実業戦に先発。7回1失点の好投でチームを勝利に導いた。和田恋を擁する高知との準々決勝では、6回からリリーフでマウンドに上がり、4回1安打無失点に抑えたが、0-2で敗れた。
今野 龍太(こんの りゅうた、1995年5月11日 - )は… 今野 龍太(こんの りゅうた、1995年5月11日 - )は、宮城県大崎市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 小学校2年生の時に地元のスポーツ少年団・岩出山フェニックスで野球を始めると、岩出山中学校時代には軟式野球部に所属した。 宮城県岩出山高等学校への進学後は、1年時よりベンチ登録。 2013年には部員わずか11人で臨んだ春季宮城県北部地区大会での準優勝によって、チームを30大会ぶり(東日本大震災直後で春の大会が中止された2011年を含めると31年ぶり)に春季宮城県大会出場へ導いた。宮城県大会の初戦で宮城県鹿島台商業高等学校打線から19三振を奪うなど、地区・県大会を通じて、登板6試合中4試合で2桁奪三振を記録。
只埜 榛奈(ただの はるな、1995年4月23日 - )は、… 只埜 榛奈(ただの はるな、1995年4月23日 - )は、宮城県大崎市出身の元女子プロ野球選手(内野手、投手)、指導者、監督。 ニックネームは「はるちゃん」。 兄の影響で、小学4年生から地元の少年野球団「松山シャークス」で野球を始める。チームでは、遊撃手と投手を任された。 その後は男女の体力差を懸念し野球を続けるか悩むが、当時の野球団の監督に背中を押され、松山中でも野球部に入部する。2年生の夏以降には主将を任され、2010年3月に行われた東北中学校選抜野球大会では宮城県選抜に選出された。女子選手が選出されたのは初めてのことであった。 中学卒業後は女子野球ができる環境ではなかったため、ソフトボールへの転向を決意し、聖和学園高等学校に進学。
岡野 祐一郎(おかの ゆういちろう、1994年4月16日 -… 岡野 祐一郎(おかの ゆういちろう、1994年4月16日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校3年から野球を始め、中学校は石巻中央シニアに所属する。 高校は聖光学院に進学し、1年秋にベンチ入りを果たすも、公式戦初登板は2年秋であった。3年になると春夏連続で甲子園出場し、第84回選抜高等学校野球大会では、1回戦で鳥羽高校と対戦し、2安打完封と好投し同校の選抜初勝利に貢献する。続く2回戦では柳裕也、田原啓吾、樋口龍之介ら擁する横浜高校と対戦するも、15安打7失点と崩れて1対7で敗北する。第94回全国高等学校野球選手権大会では1回戦で前年度優勝の日大三高と対戦し9回1失点で完投勝利を収めるが、2回戦の浦和学院戦では3回9安打6失点と炎上し、チームは4対11で敗退する。
熊原 健人(くまばら けんと、1993年10月19日 - )… 熊原 健人(くまばら けんと、1993年10月19日 - )は、宮城県角田市出身の元プロ野球選手(投手)。右投左打。 実家は室町時代から18代にわたって続く深山(しんざん)神社で、長らく神主を務めていた実父の三男として出生。幼稚園から北郷小学校5年時まで水泳を習っていたが、軟式野球チームの桜ドラゴンズの選手募集チラシを見たことがきっかけで、同チームへ入団した。ただし、入団3日目に右手首を骨折したため、実際にプレーを始めたのは6年時の春からである。 北角田中学校時代には軟式野球部で主に遊撃を守っていたが、柴田高校への入学後は、自身の希望で投手へ本格的に転向。高校では春夏とも甲子園球場での全国大会と無縁で、家族も実家で神職を継ぐことを望んでいたが、地元の仙台大学から誘いを受け、同大学へ進んだ(詳細後述)。
佐藤 貴規(さとう たかのり、1993年1月29日 - )は… 佐藤 貴規(さとう たかのり、1993年1月29日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)。 実兄はプロ野球選手の由規(佐藤由規)で、自身が2011年から2014年までNPBの東京ヤクルトスワローズに育成選手として所属していた際には同僚であった。2015年・2016年にはベースボール・チャレンジ・リーグの福島ホープスに所属していた。なお福島時代のみ、名前の「貴規」を登録名に用いていた。 仙台市立北仙台小学校に在学中の5年生の時から、本格的に野球を始め、6年時に全日本リトルリーグ野球大会準優勝。仙台市立北仙台中学校時代は東北シニアに所属し投手兼三塁手。当時は最速138キロを記録し素質は由規以上と言われていた。
木村 謙吾(きむら けんご、1992年4月20日 - )は、… 木村 謙吾(きむら けんご、1992年4月20日 - )は、宮城県塩竈市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。プロでは育成選手であった。東北楽天ゴールデンイーグルス所属当時のニックネームは「冷蔵庫」「キムケン」「ボブ」。 小学1年時から野球を始める。中学時代は、塩釜中央シニアに所属する。 仙台育英高校に進学すると、1年時の春からベンチ入り。夏の第90回全国高等学校野球選手権記念大会では、宮城代表になったチームの一員として、甲子園球場での全国大会を初めて経験した。1回戦では西勇輝擁する菰野高校戦で初登板を果たし、2回戦の中村悠平擁する福井商業戦では1点リードの5回1アウト満塁から登板し、同点となる押し出しのフォアボールを出すが、後続を打ち取り、直後に打線が2点を勝ち越し。
伊藤 祐介(いとう ゆうすけ、1990年10月20日 - )… 伊藤 祐介(いとう ゆうすけ、1990年10月20日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。 小学校3年時から投手として野球を始め、仙台市立西多賀中学校時代は七ヶ浜シニアに所属した。 聖和学園高等学校では、1年時の秋からベンチ入りする。2年時の秋からエースとなり、県大会3位で同校野球部創部4年目で東北大会初出場に貢献した。3年時の夏は、宮城県大会ベスト8で仙台二高と4-4で延長15回引き分け、再試合に末に0-3で敗れる。甲子園出場経験は無し。 東北学院大学に進学すると、仙台六大学野球連盟に加盟している野球部に入部する。1年時の春から公式戦に登板し、秋に新人賞、2年春に敢闘賞。
由規(よしのり、本名:佐藤 由規〈さとう よしのり〉、198… 由規(よしのり、本名:佐藤 由規〈さとう よしのり〉、1989年12月5日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。右投左打。 NPB入り後から一貫して由規の登録名を使用している。実弟の(佐藤)貴規も野球選手で、一時は東京ヤクルトスワローズに兄弟揃って在籍していた。 小学校4年生の時に野球を始める。仙台市立北仙台中学校1年生だった2002年には、リトルリーグの仙台東リーグの一員として全国制覇。その後、仙台東は日本代表としてアジア大会を勝ち進み、世界大会に進出。初戦の対ロシア戦に先発した由規は大会10年ぶりとなるノーヒットノーランを達成し、最終的にチームは決勝でアメリカ代表に0-1で敗れる。
相原 和友(あいはら かずとも、1989年10月27日 - … 相原 和友(あいはら かずとも、1989年10月27日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学校3年または4年の時に野球を始め、仙台市立広瀬中学校では軟式野球部に所属していた。高校は東陵高等学校に進学し、1年春からベンチ入り選手として名を連ね、3年春にはチームのエースとして宮城県大会で優勝した。3年夏の宮城県大会は3回戦で古川学園に敗れ、3年間での甲子園出場経験はない。 大学は東北福祉大学に進学し、1年春からベンチ入り選手として名を連ねていた。4年時の全日本大学野球選手権大会の2回戦の愛知学院大学戦では、9回無死満塁のピンチを抑えることができず逆転された。その後、明治神宮野球大会の準々決勝の大阪体育大学戦では、8回1死満塁のピンチを抑えると、続く9回も三者凡退に抑え、チームの勝利に貢献した。
中根 佑二(なかね ゆうじ、1989年9月7日 - )は、宮… 中根 佑二(なかね ゆうじ、1989年9月7日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。従兄弟は元プロ野球選手の中根仁。 小学2年から野球を始める。仙台東リトルで、世界選手権準優勝の経験を持つ。 エース候補として仙台育英高に進学したが、1年時の秋に右肘靭帯を手術。2年時の秋になって復帰するが、3年時の夏も佐藤由規の控えであった。宮城県予選の泉高戦では8回を4安打無失点13奪三振を記録する好投を見せ、チームも第89回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たしたが、甲子園での登板機会はなかった。 高校卒業後は、仙台六大学野球連盟に加盟する東北福祉大学に進学。1年時の春からリーグ戦に登板、秋に初勝利を挙げる。
阿部 俊人(あべ としひと、1988年12月23日 - )は… 阿部 俊人(あべ としひと、1988年12月23日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(内野手)、プロ野球解説者。右投左打。 両親の地元である仙台市内の病院で出生後に、東京都練馬区で育った。練馬区立田柄中学校時代は、和光シニアに所属。花咲徳栄高校では3年の夏に埼玉県大会準々決勝で赤坂和幸がいた浦和学院高校に敗れた。 東北福祉大学へ進学すると1年春から出場機会を得て、ショートで4度のベストナインに輝き、6度の全国大会出場に貢献。日本代表として国際大会へも出場しており、4年次には主将を務めた。2010年の仙台六大学野球秋季リーグ戦では、打率.424、12盗塁を記録し、東北福祉大学9季連続59度目の優勝に貢献し、最優秀選手賞を受賞した。
太田 裕哉(おおた ゆうや、1988年8月16日 - )は、… 太田 裕哉(おおた ゆうや、1988年8月16日 - )は、宮城県多賀城市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、東京ヤクルトスワローズの打撃投手。
加藤 政義(かとう まさよし、1987年4月28日 - )は… 加藤 政義(かとう まさよし、1987年4月28日 - )は、宮城県仙台市太白区出身の元プロ野球選手(内野手)。右投左打。 金剛沢小学校1年から軟式野球を始め投手、遊撃手を経験。西多賀中学校2年夏には仙台東部シニアで全国8強。東北高校に進学後は1年生にしてレギュラーを掴み、甲子園初出場。2003年夏の第85回選手権大会に六番・三塁手として出場し準優勝を経験した。3回戦の平安高校戦ではサヨナラ安打を打った。以後、卒業までに甲子園には春1、夏3の計4回出場した。高校時代は女子プロゴルファーの有村智恵とクラスメートだった。 九州国際大学に進学しても1年春季リーグからレギュラーを獲り、3年春季には初のベストナインに選ばれ、秋季リーグからは主将を務める。
真壁 賢守(まかべ けんじ、1986年5月3日 - )は、宮… 真壁 賢守(まかべ けんじ、1986年5月3日 - )は、宮城県柴田郡村田町出身の元社会人野球選手。 東北高校時代はダルビッシュ有と共にチームを支え、黒い眼鏡が話題となり「マカベッシュ」、「メガネッシュ」と呼ばれた。 村田町立村田第一中学校時代にはエースとして全国大会に出場。東北高校へと進学し、2年生であった2003年に当時監督であった若生正廣の助言でサイドスローに転向した。同年の第85回全国高等学校野球選手権大会に背番号18で出場し、1回戦の筑陽学園戦でエース・ダルビッシュ有の腰痛による早期降板のあと3番手として甲子園初登板を果たし、1点差に迫られながらも最後まで投げ切り、勝利へと導いた。その後もダルビッシュとの2枚看板で近江、光星学院などの強豪校を破り、決勝へ進出するも登板機会はなく、チームも2-4で常総学院に敗れ、東北勢初の優勝とはならなかった。
佐藤 弘祐(さとう こうすけ、1985年11月29日 - )… 佐藤 弘祐(さとう こうすけ、1985年11月29日 - )は、宮城県栗原市出身の元プロ野球選手(捕手)、指導者。 東北高校在学中に主にバッテリーを組んでいた投手が、1学年上の高井雄平、1学年下のダルビッシュ有と、いずれも高校卒業時にドラフト1巡目指名された好投手であった。その結果、彼らの速球を捕球するために特に守備能力が鍛えられ、恵まれた体格と相まって、高校生レベルでは守備力・特に捕球能力の評価が非常に高く、また肩の強さの評価も高かった。3年生時には春、夏の甲子園に連続出場、夏の甲子園ではダルビッシュ・真壁賢守の後輩投手をリードしてチームを準優勝に導く。 2003年のドラフト会議で読売ジャイアンツに7巡目で指名を受けて入団する。
岸 孝之(きし たかゆき、1984年12月4日 - )は、宮… 岸 孝之(きし たかゆき、1984年12月4日 - )は、宮城県仙台市太白区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 社会人野球の七十七銀行硬式野球部(宮城県仙台市)の初代監督である父親の影響で、仙台市立西中田小学校3年となった1993年(平成5年)から安久野球部(現:西中田ゴールデンアクロス)で野球を始めた。1997年に仙台市立柳生中学校に入学。 2000年に宮城県名取北高等学校(名取市)に進学。自宅に最寄りだったことと、野球部が坊主頭を強制していないことが同校選択の理由であると後のインタビューで答えている。5月には野球部退部も考えたが踏みとどまった。同年夏の身長は170cm、体重が51kg(宮城県大会登録メンバー表より)で、BMIが17.65(適正体重:63.58kg)とやせ型であり、体格に恵まれているわけではなかった。
下山 学(しもやま まこと、1984年9月29日 - )は、… 下山 学(しもやま まこと、1984年9月29日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(育成選手)。血液型はA型。
菊池 俊夫(きくち としお、1984年8月20日 - )は、… 菊池 俊夫(きくち としお、1984年8月20日 - )は、宮城県塩竈市出身の元プロ野球選手(内野手)。 仙台育英高校では2年生の時に第73回選抜高等学校野球大会に出場し、2年生ながら4番打者としてチームの準優勝に貢献した。当時は中谷翼、矢貫俊之とチームメイトだった。 2002年プロ野球ドラフト会議で、オリックス・ブルーウェーブに5巡目で指名され、入団。長打力があり、肩も強いと将来の大型内野手として期待された。 しかし、1年目の成績はウエスタンリーグで51試合出場、打率.101と散々な結果だった。 翌2004年もウエスタンでの出場は39試合と少なく活躍はできなかった。2004年末の球団合併・分配ドラフトを経て、2005年はオリックス・バファローズと契約。
渡辺 雅弘(わたなべ まさひろ、1983年3月3日 - )は… 渡辺 雅弘(わたなべ まさひろ、1983年3月3日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(捕手)。 柳生中学校から東北高校に進学し、2000年のドラフト9位で横浜ベイスターズに入団。同期入団の後藤伸也とは高校時代にバッテリーを組んでいた。福岡ダイエーホークスに指名された加藤暁彦も高校時代のチームメイト。 引退後は横浜DeNAベイスターズの球団職員として、湘南シーレックス担当、横浜DeNAベイスターズ一軍用具担当などを務め、2013年は打撃投手。2015年には中畑監督付きをし、2019年現在はチーム付き広報をしている。2022年時点でも、打撃投手が必要だと言われれば投げることもあるという。2025年からはファーム(二軍)の試合運営に携わっている。
佐藤 貴博(さとう たかひろ、1983年 - )は、宮城県登… 佐藤 貴博(さとう たかひろ、1983年 - )は、宮城県登米市出身の日本の野球指導者。岡山学芸館高等学校社会科教諭。 登米市立中田中学校卒業後は、仙台育英学園高校に進学。高校時代の同級生には後に仙台育英高校野球部の監督を務める須江航がいた。在学時には、1年夏、2年夏、3年春夏の4度甲子園大会に出場。特に3年春の選抜大会では準優勝の成績を収めている。 高校卒業後は、首都大学野球連盟所属の城西大学に進学。2年秋の明治神宮野球大会に出場。 大学卒業後の2006年から2011年迄は岡山県の岡山県作陽高校に勤務。野球部のコーチや部長を務めた。 2013年からは、岡山学芸館高校に赴任。部長を務め、2018年夏の大会終了後からは監督に就任。
後藤 伸也(ごとう しんや、1982年9月6日 - )は、宮… 後藤 伸也(ごとう しんや、1982年9月6日 - )は、宮城県登米市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学4年の時に野球を始め、中学1年から投手となる。東北高校では2年次に選抜高校野球に外野手として出場。秋からはエースとなり、渡辺雅弘とのバッテリーで県大会優勝、東北大会では準々決勝で光星学院に延長11回サヨナラ負け。2000年の春季県大会の仙台育英高戦で17奪三振を記録し、春の東北大会も制した。夏は決勝で仙台育英高に敗退。同年のドラフト会議にて3位で横浜ベイスターズに指名された。ダイエーに指名された加藤暁彦は高校時代のチームメイト。 2001年10月11日の中日ドラゴンズ戦で初登板を果たす。翌2002年8月4日の中日戦でプロ初勝利を挙げる。
攝津 正(せっつ ただし、1982年6月1日 - )は、宮城… 攝津 正(せっつ ただし、1982年6月1日 - )は、宮城県仙台市生まれ、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、野球解説者、YouTuber。 「攝」が旧字のため、報道では新字を使った「摂津」という表記も使用される。 仙台市で生まれ、小学校5年生の頃より秋田市に転居。秋田市立高清水小学校、秋田市立将軍野中学校を卒業。 秋田経法大附属高校では1年夏からベンチ入りし、3年時の2000年にはセンバツに出場。当時のチームメイトには加藤光教がいた。 高校卒業後はJR東日本に入社し、東北硬式野球部に所属。3年目から登板機会を増やし、社会人日本選手権東北二次予選では最優秀選手賞を受賞した。2004年からチームのエースとなる。
星 孝典(ほし たかのり、1982年5月4日 - )は、宮城… 星 孝典(ほし たかのり、1982年5月4日 - )は、宮城県名取市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ。 投手だった兄の影響で小学校1年生の時に、捕手として下増田ブラックホークスで野球を始めた。中学3年生の時には宮城県大会の決勝戦で後に横浜ベイスターズへ入団する後藤伸也が所属していたチームと対戦。相手のスクイズを3回連続で外すなどの好プレーで、優勝に貢献した。 仙台育英高校への進学後は、2年生の夏に第81回全国高等学校野球選手権大会、3年生の夏に第82回全国高等学校野球選手権大会の全国大会へ出場。いずれも2回戦で敗れている。 高校卒業後は地元の東北学院大学へ進学。4年生だった2004年には仙台六大学野球の秋季リーグ戦で打率.529を記録するとともに、捕手部門でベストナインに選ばれた。
眞山 龍(まやま りゅう、1981年6月5日 - )は、宮城… 眞山 龍(まやま りゅう、1981年6月5日 - )は、宮城県豊里町(現:登米市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 仙台育英高校時代には2年夏県大会準決勝で2番手として登板したが仙台高の丹野祐樹に完投されて敗退。秋は県大会決勝を延長10回完投勝利して優勝すると東北大会はベスト4。3年夏は県大会準決勝で仙台高を6回コールド完封で雪辱すると優勝、1999年夏の甲子園にエースとして出場。1回戦の佐賀東高校戦では完封勝利を挙げた。2回戦では正田樹、一場靖弘を要する桐生第一高校戦では四球から崩れ、8回7失点でマウンドを降りた。後続投手も打ち込まれ、結局11-2と大敗を喫した。1999年のドラフト会議にて西武ライオンズから2位指名を受け入団。
小山 桂司(おやま けいじ、1980年11月19日 - )は… 小山 桂司(おやま けいじ、1980年11月19日 - )は、宮城県仙台市太白区出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。右投右打。 小学3年生時に野球チームに入ってから一貫して捕手を務める。ただし大学時代に一時抑え投手として登板することもあった。 秋田経法大附属高では3年夏に県大会ベスト4。秋田経済法科大学を中退し、2003年にシダックスに入社。その後、野村克也監督の厳しい指導のもと素質が開花し、遠投110m以上の強肩で、送球が二塁に到達するまでの時間は約1.8秒。 2005年度ドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)にて北海道日本ハムファイターズから5巡目指名を受けて入団。 2008年4月23日の対オリックス・バファローズ戦でプロ初出場、5月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦で初先発出場を果たした。
丹野 祐樹(たんの ゆうき、1980年7月20日 - )は、… 丹野 祐樹(たんの ゆうき、1980年7月20日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 仙台高では第80回全国高等学校野球選手権大会に出場。エースとして登板したが1回戦で、のちに準優勝する京都成章高校に10-7で敗れた。バスケットボール選手の柏倉秀徳は高校の同期である。 1998年のドラフト会議でヤクルトスワローズに7位指名され入団。松坂世代の一人である。 4年間で1軍登板はなく、2002年に戦力外通告となった。 武器はスライダー、フォーク、シュート。 引退後はヤクルトで打撃投手を2014年まで務め、その後は球団職員としてランドリー業務を担当している。
新沼 慎二(にいぬま しんじ、1979年6月22日 - )は… 新沼 慎二(にいぬま しんじ、1979年6月22日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。 現役時代を通じて右投右打だったが、一時は練習でスイッチヒッターに挑戦していた。 仙台育英学園高等学校では2年・3年時に連続で全国高等学校野球選手権大会出場。 1997年のドラフト会議で横浜ベイスターズ、日本ハムファイターズ、ヤクルトスワローズの3球団に2位指名され、横浜に入団。くじ引きの時、横浜・権藤博監督が当たりくじを引き当て交渉権を獲得のはずだったが、ヤクルトからくじ引きの順番が違うと抗議が出る。事務局は協議し不手際を認め、3球団もそれを了承した結果、交渉権はそのまま横浜が獲得した。
中濱 裕之(なかはま ひろゆき、1978年4月10日 - )… 中濱 裕之(なかはま ひろゆき、1978年4月10日 - )は、福島県郡山市出身の元プロ野球選手(外野手)。 仙台育英学園高等学校在籍時、1995年の第67回選抜大会と第77回全国選手権・1996年夏の第78回全国選手権に出場。1996年度ドラフト会議にて近鉄バファローズから4位指名を受けて入団。 プロ5年目の2001年、二軍での成績は打率.347を記録してウエスタン・リーグ首位打者に。同年、1軍初出場初安打を記録。 2002年オフに小野仁、永池恭男とのトレードで吉川元浩と共に読売ジャイアンツへ移籍。翌2003年、1軍初スタメン出場及び初打点を記録。 2005年オフに戦力外通告を受けた。トライアウトを受けるもオファーがなく、埼玉県のクラブチームである一球幸魂倶楽部に入団。
太田 敦士(おおた あつし、1978年3月20日 - )は、… 太田 敦士(おおた あつし、1978年3月20日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。 小学3年の時にボーイズリーグに入り、5年生の時に全国大会で準優勝する。仙台高校では2年夏に県大会ベスト4、3年夏もやはり準決勝で優勝した仙台育英高に敗れる。2年夏のベスト4進出の際、他チームのエースが仙台育英・金村秀雄、東北高・嶋重宣、仙台工・櫻井幸博と高卒プロ入りする面々であったことから注目されると1995年ドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに入団。同校初のプロ野球選手となった。カーブやスライダーを武器とした。 1999年に初の一軍登板を果たすも、2000年に現役引退。その後はいくつかの仕事を経て、整体を習得するためにカラダファクトリーへ入り、店長やエリアマネージャーを歴任して株式会社ファクトリージャパングループ専務取締役となる。
天野 勇剛(あまの ゆうごう、1977年12月11日 - )… 天野 勇剛(あまの ゆうごう、1977年12月11日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(内野手)。 在日韓国人で、千葉ロッテマリーンズ時代の登録名は2002年から2005年まではユウゴー、韓国では本名の金 勇剛(キム・ヨンガン、김용강)。 小学4年で野球を始め、中学2年の時に内野手へ転向。1994年夏・1995年春・夏の甲子園に出場。2年次は内野手(主に遊撃手)で3年では投手でプレーしていた。 1996年に千葉ロッテマリーンズに入団。当初は投手としての入団だったが、1年も持たずに内野手に転向する。俊足かつパワーヒッターの選手として期待されていたが、一軍では満足な成績が残せなかった。さらに入団以来毎年のようにコンバートが行われており、結局9つのポジションすべてを経験したという珍しい選手の一人である。
江尻 慎太郎(えじり しんたろう、1977年4月30日 - … 江尻 慎太郎(えじり しんたろう、1977年4月30日 - )は、宮城県仙台市宮城野区出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)・野球指導者、野球解説者、スポーツキャスター、実業家。 2023年4月1日より、福岡ソフトバンクホークス子会社であるAcroBatsの代表取締役社長を務める。 進学校の宮城県仙台第二高等学校野球部時代はエースとして活躍し、3年春の県大会では強豪の仙台育英学園高等学校を破って大会を制し注目を浴び、東北大会では準優勝も経験した。3年夏は県大会ベスト8で終えた。慶應義塾大学の当時の監督・後藤寿彦から誘いを受けるが、2年間浪人した。 3度目の受験で早稲田大学社会科学部に合格し入学し、二浪の末に早稲田大学に入学したという経緯が同じ事、低めへの制球力から「小宮山悟二世」と呼ばれた。
櫻井 幸博(さくらい ゆきひろ、1976年5月26日 - )… 櫻井 幸博(さくらい ゆきひろ、1976年5月26日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 仙台工業では1年秋からエースを務め、1993年から2年連続で夏の宮城大会は準優勝となり甲子園には届かなかった。3年夏は準決勝で前年夏に敗れた東北高と再戦し、嶋重宣に投げ勝ったが決勝ではプロへ同期入団する金村秀雄を擁する仙台育英高に敗れた。 ドラフト3位で1995年に日本ハムファイターズへ入団。同年の10月4日の対西武戦で一軍初登板・初先発。1996年から3年連続でイースタン・リーグで100イニング以上登板している。その後中継ぎとして期待されていたが、制球難が祟って結果が残せず、2005年に戦力外通告を受け引退した。
金村 曉(かねむら さとる、本名:金村 秀雄〈かねむら ひで… 金村 曉(かねむら さとる、本名:金村 秀雄〈かねむら ひでお〉、1976年4月19日 - )は、宮城県気仙沼市出身の元プロ野球選手(投手)・指導者・解説者。右投右打。 愛称は名前が金村曉であること、その漢字をあかつきと読めることから「あかつき」、姓の金村の音読みである「キンソン」。 登録名は本名を使用後、1996年途中から「金村 暁」、2001年からは「金村 曉」へ変更している(読みはいずれも「かねむら さとる」)。現在はロッテ・ジャイアンツ投手統括コーディネーター。 小学生の頃から日本ハムファイターズのファンで西崎幸広に憧れていたという。 仙台育英高等学校進学後、1994年の第76回全国高等学校野球選手権宮城大会決勝で桜井幸博を擁する仙台工高を破り優勝。