渡辺 浩稔(わたなべ ひろとし、1963年4月25日 - )… 渡辺 浩稔(わたなべ ひろとし、1963年4月25日 - )は秋田県仙北郡西仙北町(現・大仙市)出身の日本の柔道家。95kg超級の選手。現役時代は身長184cm。体重155kg。 父親が村相撲で活躍しており、自身も小学生の頃から体格が大きかったこともあって、柔道を始めるようになった。大曲中学から秋田経済法科大学附属高校に進むも、この当時大きな実績はなかった。秋田経済法科大学に進むと、山下泰裕の最大のライバルの一人だった柔道部監督である遠藤純男の指導を受けることになり、実績を上げるようになっていった。3年の時には全日本選手権に出場すると、初戦となる2回戦で山下と対戦した。山下が指導を先取するも、中盤に渡辺が蟹挟を仕掛けると山下は腰から崩れて尻餅をついた。
三戸 範之(さんのへ のりゆき、1961年12月19日 - … 三戸 範之(さんのへ のりゆき、1961年12月19日 - )は、秋田県出身の日本の柔道家。現役時代は86kg級の選手。段位は七段。身長178cm。2016年現在は秋田大学教育文化学部の教授を務める。 秋田高校から筑波大学へ進学すると、2年の時に新人体重別86kg級で2位に入った。3年の時には正力杯で2位だった。4年の時には講道館杯で3位になった。 その後筑波大学の大学院へ進んだ。さらに八戸工業高等専門学校の教員となると、1986年の講道館杯では3位だったが、選抜体重別では決勝で東海大学4年の村田正夫を破って優勝を飾った。アジア大会では決勝で地元韓国のパク・キュンホに判定で敗れて2位に終わった。
白瀬 英春(しらせ ひではる、1952年3月28日 - )は… 白瀬 英春(しらせ ひではる、1952年3月28日 - )は、日本の柔道家(講道館8段)。 現役時代は全日本選手権3位や全日本選抜体重別選手権優勝等の実績を持ち、現在は母校・東海大学にて体育学部教授および柔道部部長を務める。 秋田県秋田市土崎港出身。市立土崎小学校時代には少年野球に熱心で、一塁手としてレギュラーを務めた。市立土崎中学への進学に際し、柔道経験者の親類の勧めで柔道部へ籍を置くと同時に地元の土崎道場へも入門し、その両方で稽古に打ち込んだ。団体戦では市の大会で優勝を果たすも、同級生で3番手に過ぎなかった白瀬は県大会の初戦でチームの中堅として出場、この試合で白瀬が敗れたために土崎中の1回戦敗退が決定し、優勝候補に数えられながら結果を残す事はできなかった。
夏井 昇吉(なつい しょうきち、1925年10月19日 - … 夏井 昇吉(なつい しょうきち、1925年10月19日 - 2006年9月13日)は、日本の柔道家(講道館9段)。 21歳で柔道を始めた晩学ながら第1回世界選手権大会や全日本選手権大会を制した。現役引退後は秋田県警警察官としての道を全うし、後には全日本柔道連盟評議委員や東北柔道連盟会長等を務めて柔道界の運営に携わった。 秋田県男鹿市船川に生まれる。幼少期から運動神経は抜群で、いわゆる“わんぱく坊主”として近所でもよく知られていた 秋田工業高校入学と同時に、夏井の体格の良さ・足腰の強さに目を付けたラグビー部に勧誘され、入部後はロックとして活躍した。この頃の夏井は柔道の経験は無いが、体が大きいために柔道の試合には臨時選手として引っ張り出されたりもしている。
富木 謙治(とみき けんじ、1900年3月15日 - 197… 富木 謙治(とみき けんじ、1900年3月15日 - 1979年12月25日)は、日本の武道(合気道・柔道)家。教育学者(武道論)。日本合気道協会、秋田県角館町(後の仙北市)出身。 満州建国大学教授、早稲田大学教育学部教授を歴任、合気道創始者・植芝盛平の高弟として成立期の合気道に理論面で影響を与え、自ら考案した競技合気道の普及発展に努めた。講道館柔道創始者・嘉納治五郎が柔術を柔道に昇華させたように、合気道をより昇華させることを目指し、合気道の乱取り稽古を考案し導入した。富木の合気道は乱取り稽古を行うなど、他の会派と異なる点も多く、区別するため、「富木流合気道」、「富木合気道」と通称される(ただし、富木自身はこの呼称を用いておらず、「新合気道」「合気道競技」と命名していた)。