浅野 秀剛(あさの しゅうごう、1950年12月28日 - … 浅野 秀剛(あさの しゅうごう、1950年12月28日 - )は、日本の美術史研究家。特に浮世絵を独学で学び、浮世絵考証研究の第一人者とうたわれる。 秋田県能代市生まれ。秋田県立能代高等学校、立命館大学理工学部数学物理学科卒業。在学中は古美術研究会の会長を務めた。上京して築地市場でアルバイトをしながら日本浮世絵協会(現・国際浮世絵学会)で活動。通信教育で学芸員の資格をとり、34歳で千葉市教育委員会の学芸員となる。2007年、「初期浮世絵」で博士(哲学)(学習院大学)。千葉市美術館学芸課長を経て、財団法人大和文華館館長、2013年6月からはあべのハルカス美術館館長も兼任。 2025年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」では、浮世絵考証を担当した。
平野 光雄(ひらの みつお、1909年 - )は、時計史研究… 平野 光雄(ひらの みつお、1909年 - )は、時計史研究家。秋田県秋田市生まれ。小学校卒業後、鎌倉、東京に住む。1927年旧制鎌倉中学(現:鎌倉学園)卒。1931年東洋大学支那哲学科卒。株式会社第二精工舎嘱託。戦前からの時計収集家であり、戦後は『精工舎史話』などの社史をまとめる傍ら、1951年に発足した日本時計倶楽部の中心メンバーとして『時計文化』『日本時計倶楽部通信』などのガリ版刷機関誌を発行。時計に関する著書も多い。
天野 芳太郎(あまの よしたろう、1898年(明治31年)7… 天野 芳太郎(あまの よしたろう、1898年(明治31年)7月2日 - 1982年(昭和57年)10月14日)は大正、昭和の日本の実業家、アンデス文明研究家。1920年代に南米パナマに渡り、戦時中は日本に強制送還されるも、再びペルーに渡り事業を興した。古代アンデス文明のチャンカイ文化(英語版)の調査研究でも知られ、天野が収集した文化遺産をもとにペルーの首都リマに博物館が開設されている。 秋田県南秋田郡脇本村(現在の男鹿市脇本)生まれ。1912年(明治45年)に秋田市高等小学校を卒業、陸軍幼年学校を受験するが視力が弱いため不合格となった。1913年(大正2年)4月に秋田県立工業学校(現在の秋田県立秋田工業高等学校)機械科に入学した。
大黒 富治(おおぐろ とみじ、1893年11月15日 - 1… 大黒 富治(おおぐろ とみじ、1893年11月15日 - 1965年12月18日)は、秋田県出身の歌人、農業研究家。旧姓丹波。(昭和28年、仁別務沢、植物園にて撮影) 1893年(明治26年)11月15日、仙北郡大川西根村(現・大仙市)において丹波常吉とフミの間に六男三女の末っ子として生まれる。 秋田農業学校(現・秋田県立大曲農業高等学校)を卒業後、1909年(明治45年)に鹿角郡の曙尋常高等小学校の代用教員となり、1915年(大正4年)から仙北郡花館村(現・大仙市)の農商務省農事試験場陸羽支場にて農学博士の寺尾博の助手として作物育種事業に従事する。同僚の仁部富之助らとともに冷害に強い米の品種改良に取り組み、陸羽132号、秋田1号、秋田7号などの育種に尽力した。
仁部 富之助(にべ とみのすけ、1882年(明治15年)12… 仁部 富之助(にべ とみのすけ、1882年(明治15年)12月15日 - 1947年(昭和22年)1月11日)は、日本の鳥類研究家、農業改良家。「鳥のファーブル」と称された。 秋田県岩城町(現在の由利本荘市の一部)出身。1901年に秋田県農学校を卒業し、大曲の農商務省農事試験場陸羽支場に農業技師として勤めた。ここで、寺尾博とともに新品種のイネ「陸羽132号」を生み出した。 イネの新品種の開発の傍ら鳥類の観察を始め、1915年に「敦公の蕃殖に関する研究」を発表した。1923年の行政整理に際し依願退官し、1925年には農商務省により委嘱を受け、野鳥の生態研究に専念した。1936年に著書「野の鳥の生態」を発表した。
安藤 和風(あんどう はるかぜ、慶応2年1月12日(1866… 安藤 和風(あんどう はるかぜ、慶応2年1月12日(1866年2月26日) - 昭和11年(1936年)12月26日)は、日本のジャーナリスト、マスメディア経営者、俳人、郷土史研究家。通名および俳号は「和風」をそのまま音読みして「わふう」。秋田県の地方紙「秋田魁新報」の事業拡大に貢献し、秋田魁新報社三大柱石の一人と称された。「魁の安藤か、安藤の魁か」と言われるほど、新聞記者としての名声を全国にとどろかせた。 俳号・雅号として他に、柳外、夢蝶、時雨庵、大蕗軒、白松子、太平山人、城南陰士、自適庵、布々木園、蝶々、松陰舎、松庵など十数以上を用いていた。 秋田藩士安藤和亭(通名は和市)、イクの長男として生まれる。