岡 三沙子(おか みさこ、1933年 - )は、日本の詩人、… 岡 三沙子(おか みさこ、1933年 - )は、日本の詩人、ノンフィクション作家。 秋田県生まれ、東京都町田市在住。本名・川端みさお。1951年、秋田県立秋田北高等学校卒。1954年、秋田大学教育学部修了。小学校に2年勤務ののち、1956年上京、日本大学芸術学部に編入学。1959年卒業後、新聞記者、コピーライター。1964年、初の詩集『屍』を出版。1992年、日本海中部地震津波遭難児童の遺稿集『岳彦の日記』(編集)で土井晩翠児童賞受賞、2017年、『寡黙な兄のハーモニカ』で日本詩歌句協会・随筆評論賞優秀賞受賞。所属日本詩人クラブ会員、詩誌「日本海詩人会」、短歌誌「埴」同人。
小坂 太郎(こさか たろう、1928年(昭和3年)5月30日… 小坂 太郎(こさか たろう、1928年(昭和3年)5月30日 - 2010年(平成22年)11月8日)は、秋田県出身の詩人。第7回小熊秀雄賞受賞。本名小坂 芳太郎(こさか よしたろう)。 秋田県雄勝郡西馬音内町(現、羽後町)生まれ。旧制県立横手中学校卒。1951年(昭和26年)より郷里の中学校にて教職に就き、1989年(平成元年)羽後町立三輪中学校(教頭)を定年にて退官。教職の傍ら郷里を基底に詩作を続け、1960年(昭和35年)に思潮社より第一詩集『北方の眼』を刊行。生涯に詩集十冊のほか、評論や随筆集などを著した。1973年(昭和48年)詩「米」(『北の儀式』所収)にて第十回総評文学賞、翌1974年に第四詩集『北の儀式』にて小熊秀雄賞、1987年(昭和60年)には第八詩集『北の鷹匠』で秋田県芸術選奨を受賞している。
畠山 義郎(はたけやま よしろう、1924年8月12日 - … 畠山 義郎(はたけやま よしろう、1924年8月12日 - 2013年8月7日)は、日本の政治家・詩人。秋田県北秋田郡下大野村村長(1期)、同郡合川町町長(10期)を歴任した。 1924年8月、下大野村で8人きょうだいの4男として生まれるが、次兄・長姉以外は夭折した。3歳の時に母が脳卒中で倒れ半身不随になり、また小学校入学前後に祖父を亡くし、また父も脳卒中に倒れる。 木戸石尋常小学校を卒業後、1939年に鷹巣農林学校林業科(後の秋田県立鷹巣農林高等学校、現秋田県立秋田北鷹高等学校)に入学するが、ほどなくして肺結核を患い、1940年に中退する。 療養中の1941年には月刊詩誌『詩叢』(しそう)を主宰(~1943年)。
狩野 旭峰(かのう きょくほう、1832年(天保3年) - … 狩野 旭峰(かのう きょくほう、1832年(天保3年) - 1925年(大正14年))は、日本の漢学者・漢詩人・ジャーナリスト。 出羽国秋田郡大館町に狩野与十郎長安の子として生まれた。本名は良貴、通称は徳蔵。狩野氏は、山形を本拠地とする最上氏が江戸幕府によって改易されたのち、久保田藩(本城は久保田城)の支城のあった大館の佐竹西家に仕えた。1849年(嘉永2年)、18歳で江戸に出て、塩谷宕陰に学び、以降5年のあいだ、古賀謹一郎、藤森弘庵、田口江村らに学んだ。のち、久保田藩江戸邸の学問所「日知館」の教授を務めた。 内務省に入った兄狩野良知の推挙で、明治7年(1874年)、遐邇新聞(現在の秋田魁新報)の創刊にかかわり、その編集長(のち主幹)となって明治初年の秋田言論界をリードした。
佐々木 桂(ささき かつら、男性、2月23日 - )は、日本… 佐々木 桂(ささき かつら、男性、2月23日 - )は、日本の詩人、エッセイスト、ライターである。 秋田県雄勝郡東成瀬村出身。秋田県立横手高等学校卒業後、成蹊大学文学部を卒業。 学生時代から働いていたIVSテレビ制作に籍を置く。その後、リクルート(現在の株式会社リクルートホールディングス)に入社し、創刊したばかりの『フロム・エー』編集部に所属した。 1988年にライターとして独立。雑誌・単行本の執筆・編集及びパブリシティ、パンフレット等の制作に携わると同時に、ライタープロダクションを立ち上げる。 リクルート社発行の『じゃらん』、『ガテン』、『ゼクシィ』、角川書店の『東京ウォーカー』、祥伝社の『Boon』の雑誌創刊に参画した。
十田撓子(とだ とうこ、Tohko Toda)は、日本の詩人… 十田撓子(とだ とうこ、Tohko Toda)は、日本の詩人。 十田撓子は、秋田県鹿角市生まれ、東京女子大学文理学部哲学科を経て、日本大学大学院芸術学研究科に学ぶ。 詩集『銘度利加』で、第68回H氏賞を受賞した。 在学中、哲学とフランス文学を学び、マルグリット・デュラスをはじめ、ヌーヴォー・ロマンを愛読してきた。 第一詩集の表題でもある『銘度利加』(めとりか)とはロシア語の“МЕТРИКА”のことで、明治時代に日本へもたらされたロシア正教の信徒名簿を意味する。 小川類:歌曲『銘度利加』2023年
中田重治かつ子・あやめ・羽後笹尾鉄三郎・秋山由五郎C・E・カ… 中田重治かつ子・あやめ・羽後笹尾鉄三郎・秋山由五郎C・E・カウマン・カウマン夫人E・A・キルボルン・山崎亭治車田秋次・森五郎野辺地天馬・三谷種吉米田豊・一宮政吉・菅野鋭小原十三司・小原鈴子小出朋治・小出忍 中田 羽後(なかだ うご、1896年9月9日 - 1974年7月14日)は、日本の牧師、音楽伝道者、福音歌手、詩人、作詞家、作曲家、編曲家、言語学者、指揮者、聖歌の編者。 福音主義・超教派の教会音楽のために生涯をささげた。「おお牧場はみどり」の作詞者として有名であり、ヘンデルの『メサイア』の訳者、研究家、演奏家としても知られる。 日本ホーリネス教会の中田重治監督は実父。 1896年9月9日、秋田県北秋田郡大館町(現大館市)にて、牧師の父・中田重治と伝道師の母・かつ子の次男として生まれた。