小森沢 長政(こもりさわ ながまさ、1843年(天保14年)… 小森沢 長政(こもりさわ ながまさ、1843年(天保14年) - 1917年(大正6年)3月13日)は、幕末の米沢藩士、明治期の海軍法務官。初期海軍の法制度確立に努め、海軍省法務部長に至る。また郷里の後進を海軍に勧誘し、米沢海軍の祖とされる人物である。米沢有為会第二代会長。 旧名は宮島琢蔵。父は米沢藩右筆・宮島吉利、兄は宮島誠一郎である。 明治維新後に米沢藩少属となり、次いで兵部省海軍所文官に採用され、海軍省発足とともに海軍大録に任じられた。小森沢の海軍入りは兄の宮島誠一郎と親しかった勝海舟の影響があったともいわれる。 長く海軍大臣を務めた西郷従道の知己を得たといわれ、1877年(明治10年)太政官権大書記官、翌年には海軍大書記官を兼ねる。
下条 正雄(下條、げじょう / しもじょう まさお、1842… 下条 正雄(下條、げじょう / しもじょう まさお、1842年8月29日(天保13年7月24日) - 1920年(大正9年)12月1日)は、幕末の米沢藩士、明治・大正期の海軍軍人、政治家、日本画家。最終階級は海軍主計大佐。貴族院勅選議員。雅号・桂谷(けいこく)。 出羽国置賜郡米沢(現山形県米沢市)で、米沢藩士・下条半兵衛の長男として生まれ、慶応2年6月(1866年)下条武兵衛の養子となり家督を相続。明治2年12月(1870年1月)権少属任官。1873年以降、海軍少秘書、同大秘書、同少書記官、同主計少監、同督買部理事官、横須賀鎮守府会計監督部長、佐世保鎮守府主計部長、海軍主計学校長、海軍部内の諸課長、海軍主計大監等を歴任し、1893年5月予備役に編入。
和田 久馬(わだ きゅうま、生年不明 - 1944年(昭和1… 和田 久馬(わだ きゅうま、生年不明 - 1944年(昭和19年)2月19日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争においてグリーン諸島に逆上陸し、守備部隊指揮官として戦死した。戦死による一階級昇進で最終階級は海軍少佐。 和田は米沢中学を経て、1938年(昭和13年)3月に海軍兵学校を卒業した海兵65期生である。重巡「鈴谷」、戦艦「長門」での艦船勤務を経て、1939年(昭和14年)10月に佐世保鎮守府第八特別陸戦隊附となって以降は陸上勤務が続いた。配置は海南島根拠地隊司令部附、舞鶴鎮守府第一特別陸戦隊分隊長、横須賀海兵団分隊長兼教官である。1941年(昭和16年)11月に横須賀鎮守府附となるが、和田は海南島勤務以来三日熱マラリアに悩まされており、郷里や水交社で療養している最中に開戦を迎えた。
風間 馨(かざま かおる、生年不明 - 没年不明)は、日本の… 風間 馨(かざま かおる、生年不明 - 没年不明)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍軍医中佐、酒田風間氏分家・東美系の一族。
風間 彦五郎(かざま ひこごろう)は、日本の陸軍軍人。最終階… 風間 彦五郎(かざま ひこごろう)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中尉、酒田風間氏宗家第九代当主。
風間 満季(かざま みつき)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸… 風間 満季(かざま みつき)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大佐、酒田風間氏宗家第十代当主。旧姓:大村。 陸軍士官学校(30期)卒業、以後歩兵第9連隊にて長年勤務。 山口県立宇部工業学校に配属将校として赴任中、日露戦争で戦死した酒田風間氏第九代当主風間彦五郎の娘・豊と結婚。婿養子として風間家を継承した。 独立守備歩兵第1大隊中隊長を経て、太平洋戦争では南方戦線に赴き、独立混成第27旅団(長:馬淵逸雄少将)隷下の独立歩兵第151大隊長としてスマトラ島にて終戦を迎える。戦後しばらくもバタビヤの治安警備に留まった。