打田 稔(うちだ ねん、1953年 - 2016年)は、日本… 打田 稔(うちだ ねん、1953年 - 2016年)は、日本のモーターサイクルジャーナリスト、編集者、写真家(JPS日本写真家協会、JRPA日本レース写真家協会会員)、オフロードライダーである。本名:打田 稔(うちだ みのる)。エディトリアルプロダクション有限会社シフト代表。山形県鶴岡市出身、東京都在住。1987年から1999年までの12年間、月刊ガルル(実業之日本社・刊)の編集長を務め、国内にオフロードバイク人気とエンデューロブームを築いた。自らも国際ラリーレイドなどに出場し、海外のオフロードレースを紹介したオフロードバイク界の第一人者。
後藤 広喜(ごとう ひろき、1945年 - )は日本の漫画雑… 後藤 広喜(ごとう ひろき、1945年 - )は日本の漫画雑誌編集者。『週刊少年ジャンプ』の第4代編集長。 山形県鶴岡市出身。1970年に東京教育大学(現・筑波大学)を卒業して集英社に入社。『週刊少年ジャンプ』編集部へ配属され、「アストロ球団」(遠崎史朗・中島徳博)、「さわやか万太郎」(本宮ひろ志)、「ドーベルマン刑事」(武論尊・平松伸二)、「私立極道高校」(宮下あきら)、『キャッツ♥アイ』(北条司)などを担当。中島徳博の初代担当者として有名である。その後、副編集長を経て1986年から1993年までに週刊少年ジャンプ編集長を務め、生え抜き編集長第一号となった。 後に集英社取締役を経て、2002年9月、集英社の子会社である創美社(現・集英社クリエイティブ)に常務取締役として出向。
岡崎 英生(おかざき ひでお、1943年8月11日 - )は… 岡崎 英生(おかざき ひでお、1943年8月11日 - )は、日本の編集者、漫画原作者、フリーライター。山形県山形市生まれ。 早稲田大学仏文科卒業。少年画報社で漫画雑誌『ヤングコミック』編集部勤務。1971年退社。その後、劇画原作者、フリーライターとなる。 宮谷一彦の実録漫画『ライク ア ローリング ストーン』には、本人役で出演している。
齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 20… 齋藤 愼爾(さいとう しんじ、1939年8月25日 - 2023年3月28日)は、日本の俳人、編集者、文芸評論家。 朝鮮京城府(現・韓国ソウル市)生まれ。1946年、山形県の飛島に移住。高校時代より句作を開始。1955年、秋沢猛、秋元不死男に師事し、秋元不死男主宰の「氷海」に投句。1959年氷海賞受賞。「孤島の寺山修司」と称されたが、翌年より20年以上の間句作を中断した。 山形大学文理学部国文科を中退後、1963年に深夜叢書社を設立。1973年、堀井春一郎らと『季刊俳句』創刊。1983年、寺山修司らと「雷帝」創刊のために句作を再開。さらに50歳の頃から文筆活動に入る。2010年、『ひばり伝 蒼穹流謫』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。
冨士田 元彦(ふじた もとひこ、1937年6月26日 - 2… 冨士田 元彦(ふじた もとひこ、1937年6月26日 - 2009年12月18日)は、日本の評論家、編集者、実業家。京城府(現・ソウル特別市)生まれ、山形県出身。 山形県立山形東高等学校を経て、早稲田大学文学部史学科卒業。角川書店の「短歌」編集長として60年代の前衛短歌運動の一端を担う。1972年、個人誌「雁-映像+定型詩」を創刊。14号まで編集・発行を続ける。小紋潤と設立した書肆「雁書館」代表。短歌及び日本映画の評論を精力的に行った。著書に「冨士田元彦短歌論集」など。2009年、敗血症のため逝去。
針重 敬喜(はりしげ けいき、1885年〈明治18年〉2月1… 針重 敬喜(はりしげ けいき、1885年〈明治18年〉2月1日 - 1952年〈昭和27年〉6月5日)は日本の編集者、アマチュアテニス選手。『武侠世界』などの雑誌で主筆を務め、また日本のテニスの普及・振興に尽力した。 山形県南置賜郡南原芳泉村(現・米沢市芳泉町)出身。父親の幸主は地元の名士で、住民から記念碑を建立されるほどであった。 米沢中学(現・山形県立米沢興譲館高等学校)を経て1903年(明治36年)に早稲田大学英文科に入学。早稲田を選んだのは坪内逍遥に憧れたためであった。また、庭球部に入部し、ここから本格的にテニスを始めることとなる。 早稲田大学卒業後、読売新聞、東京日日新聞を経て、1912年(明治45年)、押川春浪に請われて飛田穂洲と共に武侠世界社に入社。
大橋 乙羽(おおはし おとわ、1869年7月12日〈明治2年… 大橋 乙羽(おおはし おとわ、1869年7月12日〈明治2年6月4日〉 - 1901年〈明治34年〉6月1日)は、日本の小説家、編集者。本名は又太郎、旧姓は渡部。羽前国米沢(現・山形県米沢市)生まれ。 硯友社に入り『こぼれ松葉』『露小袖』などを執筆。のち博文館主人大橋佐平の娘婿・養子となり、博文館に入社。樋口一葉を商業誌デビューさせたほか、尾崎紅葉、巖谷小波らを担当し、日本の近代文学における編集者の先駆けであった。著書に小説などをまとめた『花鳥集』『若菜籠』、紀行文集『千山万水』など。 明治2年(1869年)6月4日、羽前国米沢の立町二ツ橋畔に生れた。父は渡部治兵衛、母はかつといい、旅館「音羽屋」を営んでいた。