菊田 豊(きくた ゆたか,1961年4月28日‐)は、日本の… 菊田 豊(きくた ゆたか,1961年4月28日‐)は、日本の外交官 。 在ナイジェリア大使,在ネパール大使を歴任,2024年より在ブルネイ大使を務める。 福島県福島市出身。福島県立福島高等学校を経て、石弘光第14代一橋大学学長の勉強会などに参加し、1983年10月 外務公務員採用上級試験合格。1984年3月 一橋大学法学部卒業。 剣道6段。特技はスキー。使用言語は日本語、英語、タイ語、フランス語。家族は中学時代の同級生だった妻との間に3子。
星 秀明(ほし ひであき、1948年3月11日 - )は、日… 星 秀明(ほし ひであき、1948年3月11日 - )は、日本の外交官。福島県いわき市出身。元エストニア特命全権大使(初代常駐大使)。元外務省参与。株式会社ドトール・日レスホールディングス取締役。東京外国語大学ドイツ語学科卒業。2022年、瑞宝中綬章受章。
樽井 澄夫(たるい すみお、1947年(昭和22年)7月26… 樽井 澄夫(たるい すみお、1947年(昭和22年)7月26日 - )は、日本の外交官。軍縮担当大使、沖縄担当特命全権大使、公益財団法人交流協会(現:日本台湾交流協会)台北事務所代表(駐台湾大使に相当)を歴任した。 福島県郡山市出身。福島県立安積高等学校(79期)を経て、1970年(昭和45年)3月に慶應義塾大学経済学部を卒業して、同年4月慶應義塾大学大学院経済学研究科修士課程に進学。1971年(昭和46年)、大学院を中退して外務省に入省した。1972年(昭和47年)から台湾、香港、北京で中国語研修を受けたチャイナ・スクール。 1986年外務省条約局法規調整官、1988年国際連合日本政府代表部参事官、1989年在インドネシア日本国大使館参事官、1991年外務省アジア局中国課長、1993年外務省総合外交政策局安全保障政策課長、1995年駐中国公使、1998年外務大臣官房審議官(アジア局担当)、1999年外務大臣官房総括審議官、2001年防衛参事官(国際)、2002年駐クウェート大使、2004年内閣府国際平和協力本部事務局長兼内閣官房内閣審議官、2006年軍縮会議日本政府代表部特命全権大使、2009年(平成20年)6月、沖縄担当特命全権大使。
野口 雅昭(のぐち まさあき、1940年10月13日 - )… 野口 雅昭(のぐち まさあき、1940年10月13日 - )は、日本の元外交官。アラビスト。元京都文教大学人間学部長、現代社会学科教授。龍谷大学客員教授。京都聖母女学院短期大学非常勤講師。福島県会津若松市出身。父は旧帝国陸軍で参謀などを務めた野口省己。登山家の野口健は次男。野口絵子は孫(健の長女)。 外交官時代は、アラビア語の専門教育を受けたアラビストであった。1991年1月31日、イエメン大使在任時に、大使公邸に手榴弾が投げ込まれた。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
糠沢 和夫(ぬかざわ かずお、1936年11月20日 - 2… 糠沢 和夫(ぬかざわ かずお、1936年11月20日 - 2020年9月28日)は、日本の経済人、外交官。むつ小川原開発社長、経団連専務理事を経て、経団連出身者として初の特命全権大使や、民間人初の外務省大臣官房文化交流部長を務めた。初代本宮市名誉市民、タイ王国功労賞受賞、ハンガリー共和国功労中十字型章受章。外務大臣表彰。 福島県安達郡本宮町(のち本宮市)中條で実業家・糠沢仙吉の七男として生まれる。母のユウは、元棚倉町町長・宗田利助の六女。祖父の糠沢仙助は元本宮銀行頭取。 本宮町立本宮小学校、本宮町立本宮中学校、福島県立安積高等学校を経て、1959年一橋大学経済学部卒業。同年、経済団体連合会事務局入局。
柳澤 健(やなぎさわ たけし、1889年(明治22年)11月… 柳澤 健(やなぎさわ たけし、1889年(明治22年)11月3日 - 1953年(昭和28年)5月29日)は、日本の外交官、詩人。 旧会津藩士で女学校校長柳澤良三の長男として福島県会津若松市に生まれる。会津中学校(のち福島県立会津高等学校)から一高、東京帝国大学仏法科に学び、1915年(大正4年)5月卒業。逓信省に入り同年10月文官高等試験に合格。横浜郵便局長心得在職中の1919年(大正8年)4月辞職。大阪朝日新聞社に入社し論説班に所属した。 その後外務省に勤務し、フランス、イタリア、メキシコなどに駐在。外務省文化事業部第2課長や、新設された第3課(国際文化事業担当)の初代課長を務めた。上司にあたる文化事業部長は、のちに初代駐タイ大使となった坪上貞二。
石射 猪太郎(いしい いたろう、1887年2月6日 - 19… 石射 猪太郎(いしい いたろう、1887年2月6日 - 1954年2月8日)は、日本の外交官。 日中戦争初期に外務省東亜局長を務めた。戦争拡大に走る軍部に抵抗し、日中和平を試みたことで知られる。外務省東亜局長(海外の外務省では、次官補クラス、のち大東亜省)、駐タイ特命全権大使、駐ブラジル特命全権大使、駐ビルマ特命全権大使を歴任。 1887年、福島県西白河郡川崎村に石射文五郎の長男として生まれた。福島中学(現:福島県立福島高等学校)を経て、1908年、東亜同文書院を卒業し満鉄に入社。その後父の仕事を手伝うべく退社したが、父が事業に失敗し失業。岳父(福島県山白石村の農家で多額納税者)から生活援助を受けながら外交官及領事官試験の勉強に励み、2回目の挑戦で合格した。
斎藤 良衛(さいとう りょうえ、1880年(明治13年)11… 斎藤 良衛(さいとう りょうえ、1880年(明治13年)11月15日- 1956年(昭和31年)11月4日)は、日本の外交官。外務省通商局長を最後に退官し、南満州鉄道理事、同最高顧問、外務省顧問を務める。『支那ニ於ケル外国人ノ権利義務』で法学博士(東京帝国大学)。会津短期大学学長歴任。 旧会津藩士であった斎藤家に、医師の長男として生まれる。会津中学に進学し、同級生には岸本正雄や常盤盛衛などがいた。検定試験から東京帝国大学に進み、卒業の翌々年(1910年)に外交官及領事官試験合格(同期生は9名で首席合格者は斎藤博)。オタワやワシントンでの在勤もあったが、中国勤務が長く、本省では通商局課長、同局長を歴任した。
松平 恆雄(まつだいら つねお、1877年(明治10年)4月… 松平 恆雄(まつだいら つねお、1877年(明治10年)4月17日 - 1949年(昭和24年)11月14日)は、日本の外交官、政治家。
小松 緑(こまつ みどり、慶応元年9月7日(1865年10月… 小松 緑(こまつ みどり、慶応元年9月7日(1865年10月26日)- 昭和17年(1942年)1月16日)は明治・大正期の外交官で退官後は著述家として活躍した。号は霞南。 陸奥国会津地方(福島県)出身。鹿目政恒の長男で、会津藩士・小松光明の養子として絶家を再興する。慶應義塾を卒業後、米国に留学し、政治学をまなんだ。留学期間は8年に及びエール大学で法学士、プリンストン大学でマスターオブアーツを取得。帰国後は明治学院教授を短期間務めたのち外務省にはいり、駐米日本公使館の書記官や朝鮮総督府の外務部長などを歴任した。日露戦争では遼東守備軍司令部付であった。1916年(大正5年)総督府中枢院書記官長を最後に退官、その後は著述家として活動した。
林 権助(はやし ごんすけ、安政7年3月2日(1860年3月… 林 権助(はやし ごんすけ、安政7年3月2日(1860年3月23日) - 昭和14年(1939年)6月27日)は、明治・大正期の外交官・男爵。会津藩出身。林又三郎の子。会津藩大砲隊長・林権助安定は祖父。位階・勲等は従一位勲一等。
赤羽 四郎(あかばね しろう、1855年(安政2年2月)- … 赤羽 四郎(あかばね しろう、1855年(安政2年2月)- 1910年(明治43年)1月28日)は、幕末の会津藩士で明治時代の外交官。日露戦争時のスペイン公使。 父は会津藩御旗奉行赤羽庄三郎。赤羽家は家禄350石の上級藩士であった。藩校日新館に学び、戊辰戦争では会津若松城に篭城して戦った。藩の降伏後猪苗代で謹慎していたが、同年輩の山川健次郎、柴四朗、高木盛之輔らと謹慎所を脱走。若松城下に赴き新政府軍に藩主父子の助命嘆願を行っている。のち斗南藩英学塾、次いで沼間守一が土佐藩藩邸に設けた塾で英学を学んだ。 1872年(明治5年)アメリカに留学しエール大学に学び、帰国後は東京大学予備門三等教諭、訓導を務めた。
塚原 大貮(塚原 大弐、つかはら だいに)は、日本の外交官。… 塚原 大貮(塚原 大弐、つかはら だいに)は、日本の外交官。2012年(平成24年)10月11日からベナン駐箚特命全権大使。 福島県出身。福島県立会津高等学校を経て、1975年(昭和50年)上智大学文学部フランス文学科を卒業する。1976年(昭和51年)外務省に入省した。ザイール(現在のコンゴ民主共和国)勤務、在ストラスブール日本国総領事館領事、在ギニア日本国大使館参事官、外務省研修所指導官などを経て、2010年(平成22年)1月、マルセイユ総領事。2012年(平成24年)10月11日からベナン駐箚特命全権大使。2025年、瑞宝中綬章受章。
橋本 栄治(はしもと えいじ)は、国際協力機構(JICA)職… 橋本 栄治(はしもと えいじ)は、国際協力機構(JICA)職員、日本の外交官。2011年(平成23年)9月1日から2014年(平成26年)5月27日までモザンビーク駐箚特命全権大使を務めた。 福島県会津若松市出身。1974年(昭和49年)宇都宮大学農学部を卒業し、海外技術協力事業団に入る。国際協力事業団企画部企画課長、国際協力事業団ケニア事務所長、国際協力事業団アフリカ・中近東・欧州部長、2003年(平成15年)10月、国際協力機構理事長室長、2007年(平成19年)10月1日、国際協力機構理事(アフリカ部、社会開発部、青年海外協力隊事務局担当)を経て、2011年(平成23年)8月31日退職。同年9月1日から2014年(平成26年)5月27日までモザンビーク駐箚特命全権大使。
佐藤 宗一(さとう そういち)は、日本の外交官。2010年(… 佐藤 宗一(さとう そういち)は、日本の外交官。2010年(平成22年)8月20日から2014年(平成26年)4月15日までドミニカ共和国駐箚特命全権大使。 福島県福島市出身。1973年(昭和48年)東京外国語大学外国語学部モンゴル語科を卒業して、翌1974年(昭和49年)外務省に入省した。1977年(昭和52年)からブラジルで語学研修。在ポルトアレグレ総領事館副領事を経て、ブラジリア、サンパウロ、3年間のベレンなどブラジルで長く勤務。2年間在ドミニカ共和国大使館一等書記官を務めたのち、2002年(平成14年)在サンパウロ総領事館主席領事。2004年(平成15年)9月から外務省大臣官房人事課企画官に就任し、7年ぶりに外務省本省で勤務。