安藤 智重(あんどう ともしげ、1967年〈昭和42年〉 -… 安藤 智重(あんどう ともしげ、1967年〈昭和42年〉 - )は、日本の神職、郷土史家。安積国造神社第64代宮司。 1967年(昭和42年)、福島県郡山市に生まれる。福島県立安積高等学校99期生。早稲田大学教育学部国語国文学科で古典などを学び卒業したのち、國學院大學神道学専攻科にて神道について学びつつ神職資格を取得した。20代のうちに地元郡山に戻る。 2000年(平成12年)7月、安積幼稚園理事長に就任。祖父貞重が設立し、帰幽後休会していた日本酒道会につき、有志が再発足させたいと会長就任を依頼され、2006年(平成18年)10月23日に同会は再出発、会長となった。 2010年ごろから安積艮斎や安積町域の歴史についての執筆活動を始める(#著作参照)。
安藤 貞重(あんどう さだしげ、1907年〈明治40年〉8月… 安藤 貞重(あんどう さだしげ、1907年〈明治40年〉8月19日 - 1997年〈平成9年〉1月20日)は、日本の神職。安積国造神社第62代宮司。 1907年(明治40年)8月19日、福島県に生まれる。父は安藤國重、母トシは福島稲荷神社社家の丹治家出身。 旧制安積中学校(のちの福島県立安積高等学校)出身。1930年(昭和5年)12月までに文部省から歴史科の教員免許状を取得した。1931年(昭和6年)、國學院大學国史学科卒業。同年、累代社家を務めている実家の安積国造神社の社掌に就任。 1933年(昭和8年)、福島稲荷神社社司の丹治経也が帰幽すると、その子経幸がまだ幼かったため代わりに同社社司に就任。
柴田 武雄(しばた たけお、1904年(明治37年)2月20… 柴田 武雄(しばた たけお、1904年(明治37年)2月20日 - 1994年(平成6年)8月11日)は、日本の海軍軍人、宗教家。福島県相馬郡出身。海兵52期。最終階級は海軍大佐。 福島県相馬郡松ヶ枝原釜(現相馬市原釜)に生まれる。子供のころはひ弱で言語障害をもっていた。少年時代から作文と弁論は苦手であったという。小学校を6年と父の意思で高等科を2年経た後、相馬中学に100人中14番の成績で入学。柴田によれば中学時代は数学の神様と呼ばれ、中学1年の時に催眠術を覚え、中学4年の時に的中率100%の数理的占い法を発明したという。中学5年の1学期に予言的占師ドウシタイと1週間寝食を共にし奥義を伝授されたという。
安藤 國重(あんどう くにしげ、新字体:安藤国重、明治2年〈… 安藤 國重(あんどう くにしげ、新字体:安藤国重、明治2年〈1869年〉 - 昭和14年〈1939年〉)は、日本の神職。安積国造神社第61代宮司(社司)。 明治2年(1869年)生まれ。福島県尋常中学校(のち福島県立安積高等学校)の2期生。2期下でのち歴史学者となる朝河貫一と親交を深めた。国学者久米幹文に皇学を、渡辺重石丸に和漢学を、林甕臣に国語学を学んだ。 1889年(明治22年)、家業たる安積国造神社の祠官となる。1895年(明治28年)、開成山大神宮社司を兼補。 1912年(明治45年 / 大正元年)、福島県神職養成所を設立し所長に就任。 1923年(大正12年)3月17日、内閣より奏任官待遇を受ける。
小林美登利(こばやし みどり 1891年(明治23年)- … 小林美登利(こばやし みどり 1891年(明治23年)- 1961年(昭和36年))は、日系ブラジル人の教育家、宗教家(プロテスタントの牧師)、剣道師範、音楽家、冒険家。考古学や探検にも携わった。大正年間にブラジルに移住し、同国を中心に活動した。