柏原 竜二(かしわばら りゅうじ、1989年7月13日 - … 柏原 竜二(かしわばら りゅうじ、1989年7月13日 - )は日本の陸上競技元選手、スポーツ解説者・ナビゲーター。現役時代の陸上専門種目は主に長距離走・駅伝競走。福島県いわき市出身。愛称は「かっしー」、「新・山の神」、「2代目・山の神」「山の神童」「山の竜神」。妻は、BS11アナウンサーの八木菜緒で、2児の父。 福島県立いわき総合高等学校、東洋大学経済学部卒業。身長174cm、体重55kg。 大学時代に世界ジュニア陸上競技選手権大会10000m7位、ユニバーシアード10000m8位など日本代表として活躍し、箱根駅伝では往路5区山上りで4年連続で区間賞を獲り3回区間記録を更新した。 小学校時代はソフトボール部に所属。
遠藤 一彦(えんどう かずひこ、1955年4月19日 - )… 遠藤 一彦(えんどう かずひこ、1955年4月19日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ、解説者、野球評論家。現役時代は横浜大洋ホエールズのエースとして活躍した。元プロ野球選手の遠藤政隆とは従弟にあたる。マネジメント会社は株式会社レガシージャパン。 学法石川高校では1972年、2年生時に中堅手、控え投手として夏の甲子園予選東北大会決勝に進出。東北高と対戦し6回からリリーフに立つが3-6で敗退。翌1973年にはエース、四番打者として福島大会決勝に進むが双葉高に1-2で惜敗、甲子園には届かなかった。 卒業後は東海大学工学部に進学。原辰徳は野球部の3年後輩にあたり、在学中は共にプレーしている。
福田 昌久(ふくだ まさひさ、1934年7月31日 - 19… 福田 昌久(ふくだ まさひさ、1934年7月31日 - 1988年11月29日)は、福島県いわき市出身のプロ野球選手(投手、外野手)・コーチ・監督、解説者。 磐城高校、常磐炭坑、専修大学を経て、1956年に南海ホークスへ投手として入団。3年目の1958年には外野手へ転向し、主に左腕対策として起用され、1960年には自己最多の6本塁打をマーク。1961年に27試合、1962年には10試合に先発出場を果たす。長打力と強肩が売りで、巨漢で怪力の福田は打撃練習こそ打球が凄まじく、タイヤを叩く打撃練習では軸のなる支柱を折ってしまったりするが、肝心の試合になると「扇風機」と仇名がつくほどカーブが全く打てなかった。
鈴木 隆(すずき たかし、1933年9月22日 - 2024… 鈴木 隆(すずき たかし、1933年9月22日 - 2024年5月31日)は、福島県田村郡三春町出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、解説者。 田村高卒業後は中央大学に進学し、伊藤芳明・穴吹義雄と同期になり、投手と外野手の2役をこなす。東都大学リーグでは1953年春季に優勝を飾り、同年の大学全日本選手権は決勝で立大に敗れて準優勝に終わる。 大学卒業後は川崎トキコに入社し、チームメイトに久保吾一(国鉄)がいた。社会人時代から評判の左腕で、1956年から日本コロムビアの補強選手として都市対抗に2年連続出場。 1957年秋にデトロイトで行われた第3回アマチュア世界野球大会に日本代表として参加し、4試合連続リリーフで優勝に導くと共に大会MVPを獲得すると、メジャー球団のスカウトからも注目を浴びる。
阿部 八郎(あべ はちろう、1925年1月6日 - 没年不明… 阿部 八郎(あべ はちろう、1925年1月6日 - 没年不明)は、福島県出身のプロ野球選手(投手、左投左打)・解説者。 小学校出のプロ野球選手。福島県熱海小学校から社会人野球の全福島日東紡へ入団。在籍時に阪急ブレーブスなど複数球団のスカウトマンだった宇高勲にスカウトされ、1949年に阪急ブレーブスへ入団。 1949年は2勝に終わる。同年オフのセ・パ両リーグ分立に伴って、セ・リーグの新球団である西日本パイレーツの選手集めのため、宇高が阪急の選手の大量引き抜きを行う。ここで、個人的に仲が良かったセ・リーグの鈴木龍二から「(引き抜きに)用心しろ」と忠告を受けた阪急監督の浜崎真二は1日中阿部に付いて離れなかったため、阿部は引き抜きを受けず阪急に留まった。