能勢 秀幸(のせ ひでゆき、1954年6月13日 - )は、… 能勢 秀幸(のせ ひでゆき、1954年6月13日 - )は、日本の銀行家。SBJ銀行監査役。大東銀行社長、新生信託銀行社長等を歴任した。 2003年、プロパーである高橋清幸が大東銀行頭取に就任するも、5期連続の赤字と、2期連続の無配に至り、在任1年で蓮佛宗宏会長とともに引責辞任した。このため、蓮佛と同様大蔵省出身で東北財務局長等を経て、専務に就任していた佐藤武が同行トップに就任する。 佐藤は、相互銀行時代の精神にたち返るため、その象徴として、就任と同時に頭取の呼称を社長に変更。不良債権処理の目処をつけ、2005年3月期の決算は6期ぶりに黒字の計上となった。そして、更なる経営改革を新生銀行グループから招聘し専務に就任していた能勢に委ねることとし、在任1年で退任した。
北村 清士(きたむら せいし、1947年(昭和22年)4月1… 北村 清士(きたむら せいし、1947年(昭和22年)4月14日- )は、日本の銀行家。東邦銀行顧問。 福島県喜多方市(旧・塩川町)出身。福島県立会津高等学校、慶應義塾大学商学部を卒業。1970年(昭和45年)東邦銀行に入行。 2007年(平成19年)、同行初の生え抜きとして頭取に昇格した。トップ在任中は東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所事故により、多くの支店が営業できなくなる中で立て直しを指揮し、取引先の経営再建なども進めた。また行員の働き方改革などでも県内企業に先駆けて取り組んだほか、地元3行との間で「3行連携協定」を締結し、事務の合理化も図った。 2020年(令和2年)6月、代表権のない会長に退き、2022年(平成4年)6月顧問。
安斎 隆(あんざい たかし、1941年〈昭和16年〉1月17… 安斎 隆(あんざい たかし、1941年〈昭和16年〉1月17日 - )は、日本の銀行家。 福島県安達郡上川崎村(現・二本松市上川崎)で農家の二男として生まれる。 上川崎村立上川崎小学校、上川崎村立上川崎中学校、福島県立安達高等学校を経て、1963年(昭和38年)東北大学法学部を卒業。 日本銀行入行。香港駐在、新潟支店長、考査役、総務局次長、電算情報局長、経営管理局長、考査局長を経て、1994年(平成6年)から決済システム、アジア担当理事を務め、東アジア・オセアニア中央銀行役員会議(EMEAP)メンバーとしてアジア通貨危機への対応などにあたった。98年信用機構担当理事から日本長期信用銀行頭取となり破綻処理を行った。
瀬谷 俊雄(せや としお、1936年〈昭和11年〉4月2日 … 瀬谷 俊雄(せや としお、1936年〈昭和11年〉4月2日 - 2025年〈令和7年〉3月11日)は、日本の銀行家。位階は従四位。 東邦銀行頭取、地域経済活性化支援機構社長、全国地方銀行協会会長、福島商工会議所会頭などを務めた。 福島県白河市出身。東邦銀行の前身となる白河瀬谷銀行の創業家に生まれ、福島県立白河高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業。 父・誠一と祖父に渋沢栄一の銀行だからと勧められ、第一銀行に入行。枢要店である虎ノ門支店長を務め、当時の東邦銀行頭取の内池佐太郎から請われ、1986年(昭和61年)に東邦銀行に転じ、常務取締役に就任した。 副頭取を経て1990年(平成2年)から2007年(平成19年)まで17年間にわたって、頭取を務め、県内金融、経済業界を牽引。
金田 利雄(かねだ としお、1909年〈明治42年〉10月1… 金田 利雄(かねだ としお、1909年〈明治42年〉10月10日 - 1998年〈平成10年〉12月22日)は、日本の政治家、銀行家。新鶴村長、福島協和信用組合理事長。 1909年(明治42年)10月10日、旧新鶴村(現会津美里町)生まれる。 福島県立会津工業高等学校卒業後、福島県経済農業協同組合連合会に勤務する。 同校出身者として初めて旧新鶴村長に選出され、旧新鶴村長を務める。 村長在任中、「簡易水道布設費国庫補助に関する請願」を参議院に提出し、それらが1963年(昭和38年)12月21日に受理され、広域簡易水道を完成させた。 新鶴村長退任後、同校出身者として初めて福島協和信用組合理事長に就任。
前田 實(まえた みのる、1903年(明治36年)5月4日 … 前田 實(まえた みのる、1903年(明治36年)5月4日 - 1983年(昭和58年)11月15日)は、日本の銀行家。秋田銀行頭取・会長および相談役を務めた。 商法学者前田庸(学習院大学名誉教授)の父。 福島県大沼郡高田町(現在の会津美里町)に、前田寅三郎の長男として生まれた。 1928年(昭和3年)東京帝国大学経済学部商業学科を卒業。同年、旧・秋田銀行に入行する。秋田・福島各支店支配人を歴任し、1946年(昭和21年)10月、常務に選任された。 1959年(昭和34年)には、鈴木直吉の後を受け頭取に昇格した。 頭取在任時は、店舗の県内外への新設や再編に取り組んだほか、現本店ビルの竣工や事務センタービルの建設、オンラインシステムの稼働、さらには東証2部上場の実現など経営の近代化を推進した。
星野 喜代治(ほしの きよじ、1893年(明治26年)11月… 星野 喜代治(ほしの きよじ、1893年(明治26年)11月11日 - 1979年(昭和54年)10月14日)は、日本の大蔵官僚、銀行家。銀行局検査課長を最後に退官し、朝鮮銀行副総裁を務める。第二次世界大戦終結後は同行の特殊清算人に選ばれ、第二会社として日本債券信用銀行の前身となる日本不動産銀行を設立し、頭取、会長を歴任。日債銀相談役。 福島県出身。父は酒造業を営み、その次男であった。会津中学、一高を経て1918年(大正7年)7月東京帝大を卒業。水野敏雄は中学以来の同級生である。在学中に文官高等試験に合格し、大蔵省に入省した。臨時調査局属。総務部総務課、外国為替管理部総務課、大臣官房秘書課のほか、銀行局の普通銀行課、銀行課、検査課で課長を務め、1938年(昭和13年)7月辞職。
森 俊六郎(もり しゅんろくろう、1877年(明治10年)3… 森 俊六郎(もり しゅんろくろう、1877年(明治10年)3月6日 - 1957年(昭和32年)3月19日)は、日本の大蔵官僚・銀行家。理財局長を最後に退官し、台湾銀行副頭取、南満州鉄道理事を歴任した。妻は烏山藩主・大久保忠順の娘・朝子。子爵・貴族院議員の大久保忠春は義弟。 福島県出身。会津中学を経て、二高第一部法科を首席で、1902年(明治35年)7月に東京帝大法学部政治学科を卒業。松平恒雄が大学時代の同級生である。大蔵省に入省し、同年11月文官高等試験に合格した。席次は41名中8番で首席は帝大同期の西野元であった。翌年主計局司計課長となり、参事官を兼任。1906年(明治39年)には大蔵大臣・阪谷芳郎の秘書官を務めた。
加藤 寛六郎(かとう かんろくろう、嘉永2年5月2日(184… 加藤 寛六郎(かとう かんろくろう、嘉永2年5月2日(1849年6月21日) - 昭和10年(1935年)6月17日)は、幕末の会津藩士、明治時代の地方官吏、警察官、教育者、銀行家である。号は六石。 若松城下に生まれる。藩が戊辰戦争に敗れたのち、青森中学の助教となる。次いで警察官となり、千葉県警察署長に就任。明治9年(1876年)、同藩出身の永岡久茂らが萩の乱に呼応して挙兵を図り千葉へ向う途中で乱闘となり検挙された(思案橋事件)。これは千葉に加藤ら会津藩出身の警察官がいたため、永岡は加藤らの協力を期待して千葉での挙兵を計画したといわれる。 翌年生起した西南戦争において加藤は抜刀隊小隊長となり歴戦している。