萩原 貴則(はぎわら たかのり、1973年11月17日 - … 萩原 貴則(はぎわら たかのり、1973年11月17日 - )は、スキー・元ノルディック複合・ワールドカップ代表。群馬県利根郡片品村出身。 地元で行われた国体を契機に競技生活に入る。群馬県武尊高等学校(現群馬県立尾瀬高等学校)、早稲田大学、トーエネックに順次所属した。1999年からワールドカップを転戦。1999年のワールドカップBでは準優勝という快挙を成し遂げる。国内では第56回、第58回の国民体育大会冬季大会スキー競技大会で優勝。2003年には第81回全日本スキー選手権大会でノルディックコンバインドに優勝するなど名実ともに日本のトップ選手として活躍。 2003年限りで第一線を退き、後進の指導に当たっている。
角皆 優人(つのかい まさひと、1955年1月26日 - )… 角皆 優人(つのかい まさひと、1955年1月26日 - )は、日本のフリースタイルスキー選手(モーグル・エアリアル・アクロなど)・水泳選手、スキー指導者、作家。 群馬県高崎市出身。群馬県立高崎高等学校卒業、青山学院大学中退。 高校までは水泳選手として活動し、1972年200メートル個人メドレー群馬県優勝他。高校の同級生に指揮者 三澤洋史、政治家 下村博文がいる。 青山学院大学在学時代フリースタイルスキーに取り組み、学内にフリースタイルスキーチームを創設、初代部長を務める。 1978年~1986年、全日本フリースタイルスキー選手権大会総合優勝7回、種目別優勝35回(全日本フリースタイルスキー協会主催・全日本スキー連盟主催大会)。
市村 政美(いちむら まさみ、1950年〈昭和25年〉12月… 市村 政美(いちむら まさみ、1950年〈昭和25年〉12月29日 - )は、日本のアルペンスキー選手。1970年代の日本スキー界で活躍した。現在は競技スキーを専門とするスキースクール冬龍門の代表を務める。 群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)出身。群馬県立利根農林高等学校(現・群馬県立利根実業高等学校)から法政大学に進学し、中退。1971年(昭和46年)に日本楽器製造(現・ヤマハ)に入社。 1972年(昭和47年)の札幌オリンピックに出場し、大回転3分15秒34で15位、回転1分54秒83で17位の成績を収める。1977年(昭和52年)1月24日、オーストリア・キッツビューエルで行われたアルペンスキー・ワールドカップ男子回転第5戦ハーネンカム大会にて7位入賞の快挙を成し遂げた。
沖津 はる江(おきつ はるえ、1949年5月31日 - )は… 沖津 はる江(おきつ はるえ、1949年5月31日 - )は、日本のアルペンスキー選手。札幌オリンピック代表となるなど1960年代末から1970年代に活躍した。群馬県吾妻郡草津町出身。大東文化大学卒業。 この項目は、スキーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:スポーツ/Portal:スポーツ)。
黒岩 達介(くろいわ たつゆき、1935年〈昭和10年〉1月… 黒岩 達介(くろいわ たつゆき、1935年〈昭和10年〉1月15日 - 2013年〈平成25年〉11月5日[要出典])は、日本のスキー指導者。 群馬県高崎市に生まれる。実家は万座温泉の旅館。群馬県立高崎高等学校を中退。兄の死去により旅館を継ぐために東京・銀座の料亭で修業し四条流庖丁式を身に付け、ふぐ調理師資格を取得した。 1958年(昭和33年)に万座を訪れたオーストリアのルディ・マット(ドイツ語版)のスキー術に感銘を受けスキー指導者を志す。オーストリアに留学し、シュテファン・クルッケンハウザー(ドイツ語版)に師事。1966年(昭和41年)に杉山進に次いで日本人2人目となるオーストリア国家検定スキー教師の資格を得る。
園部 勝(そのべ まさる、1934年〈昭和9年〉3月23日 … 園部 勝(そのべ まさる、1934年〈昭和9年〉3月23日 - )は、日本のスキー指導者。群馬県出身。 1934年(昭和9年)、群馬県利根郡水上町(現・みなかみ町)に、園部良雄の次男として生まれる。幼少から園部ヒュッテ前インターハイ発祥の地大穴スキー場でスキーを学ぶ。群馬県立沼田高等学校卒業後、国鉄大井工場で勤務。 法政大学に入学し、全日本学生選手権・全日本選手権を制覇。法政大学を中退し、1961年(昭和36年)プロに転向。1962年(昭和37年)に苗場スキースクールを立ち上げた。 プロ団体「日本職業スキー教師連盟」(SIA)を有志と発足。現在は、全日本スキー連盟(SAJ)でスキースクール代表を務める。
猪谷 六合雄(いがや くにお、1890年〈明治23年〉5月5… 猪谷 六合雄(いがや くにお、1890年〈明治23年〉5月5日 - 1986年〈昭和61年〉1月10日)は、日本のスキー指導者。国際オリンピック委員会(IOC)副会長・猪谷千春の父。日本スキー界の草分け的存在。日本職業スキー教師連盟(SIA)2代会長。3回の結婚で計9人の子をもうけた。3人目の妻の定子は日本初の女性ジャンパーでもあった[要出典]。 1890年(明治23年)5月5日、群馬県勢多郡富士見村大洞の赤城山大沼湖畔に生まれた。実際の出生日は5月23日だったが、戸籍上は5月5日生まれとなっている。父は赤城神社の神主をしていた。生家は猪谷旅館を営んでおり、1904年(明治37年)には高村光太郎、石井柏亭、与謝野鉄幹らが訪れている。