スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
松本 篤史(まつもと あつし、1988年3月24日-)は、日… 松本 篤史(まつもと あつし、1988年3月24日-)は、日本のレスリングフリースタイル及びグレコローマンスタイルの選手。群馬県邑楽郡千代田町出身。ALSOK所属。階級は92kg級。身長182cm。兄の隆太郎は2012年ロンドンオリンピックグレコローマン60kg級で銅メダルを獲得した。 千代田ジュニア教室でレスリングを始めた。館林高校3年の時にジュニアオリンピック カデットの部69kg級で優勝すると、インターハイ66kg級では3位になった。日体大に進むと、3年の時にはジュニアオリンピックジュニアの部84kg級で2連覇した。4年の時には全日本学生選手権で2連覇すると、グレコローマンスタイルでも2位となった。
兎月 竜之介(うづき りゅうのすけ、1987年9月16日 -… 兎月 竜之介(うづき りゅうのすけ、1987年9月16日 - )は、日本のライトノベル作家。文芸サークル「明日から休講です。」主催。 群馬県出身。群馬県立館林高等学校、獨協大学出身。 2010年9月、集英社主催の第9回スーパーダッシュ小説新人賞大賞受賞作『ニーナとうさぎと魔法の戦車』でデビューした(受賞時のタイトルは「うさパン! 私立戦車小隊 / 首なしラビッツ」、筆名はうさぎ鍋竜之介、同回のもう1人の大賞は神秋昌史)。 好きな作家として村上春樹、桜庭一樹、十文字青を挙げている。 その他短編作品については作者のホームページにて記載されている。
清瀧 千晴(きよたき ちはる、1986年〈昭和61年〉8月5… 清瀧 千晴(きよたき ちはる、1986年〈昭和61年〉8月5日 - )は、群馬県館林市出身のバレエダンサーである。 橘バレヱ学校を経て、牧阿佐美バレヱ団に所属。 3歳のとき、兄の習っていた教室に行き、バレエを始める。後に橘バレヱ学校に進み、AMステューデンツ第23期生や日本ジュニアバレエに選抜される。橘バレヱ学校では、小嶋直也の指導を受けた。 2003年、群馬県立館林高等学校2年在学中に、全国バレエコンクール高校生の部で第3位、チャコットスカラシップ賞を受賞し、ボリショイバレエ学校へ奨学生として1年間留学した。2005年、東京新聞主催第62回全国舞踊コンクール バレエジュニア部門第2位、2007年、第64回全国舞踊コンクール バレエ第1部で第1位。
松本 隆太郎(まつもと りゅうたろう、1986年1月16日 … 松本 隆太郎(まつもと りゅうたろう、1986年1月16日 - )は、日本の男子レスリング選手。群馬県邑楽郡千代田町出身。群馬ヤクルト販売所属。弟の篤史は2018年の世界選手権フリースタイル92㎏級3位となった。 群馬県立館林高等学校、日本体育大学体育学部体育学科卒。日体大院前期課程修了。 全日本選抜選手権では男子グレコローマン60kg級で2009年から現在まで3連覇している。 2010年レスリング世界選手権グレコローマン60kg級で銀メダルを獲得。 2011年レスリング世界選手権では翌2012年ロンドンオリンピックの日本の出場枠獲得を目指したが、初戦(2回戦)で欧州王者のレバズ・ラシヒ(グルジア)に敗退。
葉一(はいち、1985年3月11日 - )は、日本の教育者、… 葉一(はいち、1985年3月11日 - )は、日本の教育者、YouTuber。YouTubeにおいて、小学3年生から高校生に向け授業動画を配信している。 教育系YouTuberとして活動しており、教員とも塾講師とも異なる、第三の場所の次世代の教育者として注目されている。 動画では、基本的にテロップや効果音を含む編集は行なっていない。また途中でミスをすれば最初から撮り直す方式で動画制作を行なっている。その撮影手法から、動画の時間は平均10分程度に対して、撮影から投稿までは短くても3時間、長いときは3日費やすこともある。なるべく疑問点を残さない授業を心がけており、内容としては繰り返し見ても飽きないように雑談をしないこと、仕組みなど概念よりも解法を教える、教える学年にあわせ話す速度と言葉遣いを大きく変える、内容に集中してもらうため地味な服装を心がけ結婚指輪も外す、塾講師時代に考案した男女両方に好まれる文字のフォントを用いる、ずれがないよう黒赤青の3色のペンを使って定規で一文字ずつ計りながら綺麗に板書することなどを意識している。
長島 和幸(ながしま かずゆき、1981年9月25日 - )… 長島 和幸(ながしま かずゆき、1981年9月25日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手。群馬県太田市出身。双子の兄に長島正彦。クリナップ所属を経て福岡大学教員を務める。 2011年12月1日、急性骨髄性白血病と診断され、闘病中であることが公表された。その後抗がん剤による治療を経て、2012年2月14日に双子の兄から骨髄移植を受け、3月に退院した。 その後、福岡大学の教員に就任して再起を図るも、白血病の再発が認められた為、再び入院生活に入った。日本レスリング協会では長島の治療費が増大することを考慮し、12月23日の全日本レスリング選手権会場にて米満達弘を始め、現役の五輪選手や関係者により募金呼びかけなどを行って支援活動を進めている。
長島 正彦(ながしま まさひこ、1981年9月25日 - )… 長島 正彦(ながしま まさひこ、1981年9月25日 - )は、日本の元アマチュアレスリング選手。 群馬県出身。長島和幸とは双子の兄弟。
冨田 知孝(とみた ともたか、1977年8月24日 - )は… 冨田 知孝(とみた ともたか、1977年8月24日 - )は、日本のボーカリスト。敏いとうとハッピー&ブルーの元メンバー。群馬県館林市出身。 幼い頃より東京音楽大学付属幼稚園にてヴァイオリンを専攻。徹底したスパルタ音楽教育を受け4歳にして絶対音感を身につける(本人談)。 高校は地元群馬県立館林高等学校へ入学、男子校ということもあり本人曰く「何も得る事の無い3年間だった。でもギャンブルだけが俺を救ってくれた」との事であるが、実際は担任教師に競泳用水泳パンツを盗まれたりもしている。 その後、日本体育大学体育学部健康学科へ進む事となる。絶対音感の封印は本人にとっては修行のような物であったらしい。 スキー初心者にもかかわらずスキー教室のインストラクターを務める。
山崎 智也(やまざき ともや、1974年3月11日 - )は… 山崎 智也(やまざき ともや、1974年3月11日 - )は、群馬県邑楽郡邑楽町出身の元ボートレーサー。 登録第3622号、71期。身長165cm。群馬支部所属。群馬県立館林高等学校中退。同期には川北浩貴、天野晶夫、深川真二、海野ゆかり、岩崎芳美などがいる。 現役時代にはボートレース界を代表していたレーサーの一人で、安定感のあったレース運びに定評があり、コース取りは基本的には枠なりであったが、ピット離れが良いときには積極的に内に入ってくることもあった。ボートレーサーの職業病的な腰痛に苦しむ事があったものの、常にSGやG1で安定した成績を残した。 関東地区のボートレーサーの中では、毒島誠(群馬支部)、桐生順平(埼玉支部)および濱野谷憲吾(東京支部)らと並びファンの注目を集める選手である。
佐々木 昌信(ささき まさのぶ、1969年8月6日 - )は… 佐々木 昌信(ささき まさのぶ、1969年8月6日 - )は、日本の元プロ野球審判員。NPB審判員袖番号は38。東都大学野球連盟審判員。浄土真宗の僧。 群馬県館林市出身。館林市立第一小学校、館林市立第一中学校、群馬県立館林高等学校、大谷大学卒業。 小学校時代は剣道をやっていたが、高校に入ってから本格的に野球を始めたという。実家は浄土真宗の寺で佐々木自身は長男でもあり、実質的には寺の後継者であったため、仏教を学ぶべく大谷大学文学部真宗学科へ入学。父親からは「大学卒業して実家へ帰るまでは好きなことをやって良い」と言われたので、大谷大学でも硬式野球部に入部した。大谷大学時代は一塁手・外野手でプレー、京滋大学野球リーグ公式戦に出場し、大学2年の時にはリーグ優勝も経験し、3年秋のリーグでは外野手でベストナインも受賞している。
茂木 秀昭(もてぎ ひであき、1960年 - )は、日本の英… 茂木 秀昭(もてぎ ひであき、1960年 - )は、日本の英語教育学者。 1960年群馬県太田市生まれ。1979年群馬県立館林高等学校卒業。1984年慶應義塾大学文学部英米文学専攻卒業。1990年コロンビア大学大学院修士課程修了。自治医科大学医学部英語研究室准教授、都留文科大学文学部国際教育学科教授を務めた。専門は異文化コミュニケーションおよび議論学。日本や欧米の言論風土に関する研究を進めている。
宗次郎(そうじろう、本名:野村 宗次郎(のむら そうじろう)… 宗次郎(そうじろう、本名:野村 宗次郎(のむら そうじろう)、1954年10月10日 - )は、日本のオカリナ奏者・製作者、作曲家。風音工房(かざねこうぼう)代表取締役。 群馬県館林市出身。子どものころ、夕日を見るためにたびたび多々良沼へ足を運んでいる。 少年時代における豊かな自然での体験、特に土への親しみが、創作活動の原点になっているという。 使用するオカリナは全て自身による手作りである。デビュー前からオカリナ製作を始め、およそ10年間で1万本以上のオカリナを製作したが、実際に演奏で使用するのは10数本だという。自身の笛の音は、名もないひとりの農民として誇りを持って生きてきた祖父の足音、祖父の響きであると述べている。
武者野 勝巳(むしゃの かつみ、1954年〈昭和29年〉1月… 武者野 勝巳(むしゃの かつみ、1954年〈昭和29年〉1月1日 - 2023年〈令和5年〉5月8日)は、将棋棋士。花村元司九段門下で、棋士番号は137。群馬県館林市出身。 館林第一中学校を経て、1972年に群馬県立館林高等学校を卒業。 1971年にアマチュア名人戦の群馬県代表となる。これが契機となり師匠の花村の薦めで同年4級で奨励会に入会。翌1972年より、日本将棋連盟に当時存在した「塾生」制度により将棋会館に住み込んで修行を行う。1975年3月に三段昇段。当時は三段リーグが存在しなかったため、三段も現行の二段以下と同様に、直近の勝率によって昇段の可否が決められていた。1979年3月22日に規定の勝率を修め、25歳で四段昇段。
松沢 幸一(まつざわ こういち、1948年〈昭和23年〉12… 松沢 幸一(まつざわ こういち、1948年〈昭和23年〉12月13日 - )は日本の実業家、農学博士。キリンビール代表取締役社長を経て、明治屋代表取締役社長、日本洋酒輸入協会理事長。首都大学東京客員教授、埼玉大学客員教授、参天製薬監査役等を歴任。 群馬県邑楽郡千代田町出身。群馬県立館林高等学校を経て、1971年北海道大学農学部卒業。1973年北海道大学大学院農学研究科修士課程修了、キリンビール入社、福岡工場検査部門配属。同期入社の前田仁と親しく交友した。 1978年ドイツ留学。1988年京都工場製造部長。1991年北海道大学農学博士。1992年経営企画室室長代理。1996年キリン・ヨーロッパGmbH代表取締役社長。
安楽岡 一雄(安樂岡 一雄、やすらおか かずお、1947年〈… 安楽岡 一雄(安樂岡 一雄、やすらおか かずお、1947年〈昭和22年〉5月10日 - 2017年〈平成29年〉2月12日)は、日本の政治家。位階は正五位。 館林市長(3期)。群馬県議会議員(3期)。 群馬県邑楽郡館林町(現・館林市)出身。群馬県立館林高等学校卒。1971年、法政大学経済学部経済学科卒業。坂村吉正衆議院議員、谷津義男衆議院議員らの秘書、有限会社安楽岡代表取締役を経て、1995年に館林選挙区から群馬県議会議員選挙に出馬し初当選。これ以降連続3期当選。この間、自由民主党群馬県議団長、自由民主党群馬県支部連合会総務会長などを歴任。 2007年、館林市長だった中島勝敬が病気のため市長を辞職したことに伴い、県議会議員を辞職して市長選に出馬。
齋藤 雅巳(さいとう まさみ、1946年 - )は、日本の登… 齋藤 雅巳(さいとう まさみ、1946年 - )は、日本の登攀家。群馬県立館林高等学校山岳部(ワンゲル設立)、獨協大学山岳部(群馬県人初の海外登山遠征)、獨協大学山岳部OB会、元館林山岳会々員。 1946年生まれ。1969年、ヨーロッパアルプスへ遠征。1969年5月、ドロミテ・アルプス(イタリア東部アルプス)、チヴェッタ北壁ゾレダールート、チマ・グランデディラバレド北壁、スーパーディレッティシマルートを登攀。当時これは世界第2登、日本人初の記録であった。6月にフランスアルプス(西部アルプス)、エイギュード・ミディ南壁、レビューファールート・コンタミンルートを回り、7月にグランドジョラス北壁、ウォーカーバットレスを登攀。
荻野 喜弘(おぎの よしひろ、1944年1月15日 - )は… 荻野 喜弘(おぎの よしひろ、1944年1月15日 - )は、日本の経済学者、経済学博士(九州大学)。第14代下関市立大学学長、元九州大学経済学研究院長(経済学部長・経済学府長)。専門は社会経済史、石炭産業論。 1944年、群馬県の生まれ。群馬県立館林高等学校、東京大学経済学部を経て、宇部興産株式会社(現・UBE株式会社)入社。その後、東京大学経済学研究科博士課程(単位習得退学)を経て、久留米大学商学部講師、同大学助教授を歴任。1983年より九州大学に転じ、2004年より同大学経済学研究院長、同大学附属図書館付設記録資料館長なども務めた。2010年より下関市立大学学長に就任。2013年より同大学理事長。
上武 洋次郎(うえたけ ようじろう、1943年〈昭和18年〉… 上武 洋次郎(うえたけ ようじろう、1943年〈昭和18年〉1月12日 - )は、日本のアマチュアレスリング選手。1964年東京五輪・1968年メキシコ五輪を制した選手のひとり。現在の姓は小幡。 群馬県邑楽郡邑楽町出身。長柄中学校を卒業。群馬県立館林高等学校時代にレスリングを始め、2年時に国体、3年時にインターハイを制覇。その後は早稲田大学に進学し、更に早大2年時に八田一朗の勧めでオクラホマ州立大学に留学して自らの技量向上を図った。 オクラホマ州立大学時代に、NCAAディビジョン1で3度優勝、最優秀選手にも2度選ばれ、通算57勝無敗の戦績を収めた。1964年に全日本レスリング選手権でフリースタイル・バンタム級で優勝。
森田 武雄(もりた たけお、1942年〈昭和17年〉12月1… 森田 武雄(もりた たけお、1942年〈昭和17年〉12月17日 - )は、群馬県出身のフリースタイルのレスリング選手、元館林市議会議員である。階級は62kg級。 群馬県館林市羽附出身。赤羽中学校を経て群馬県立館林高等学校に入学。レスリング部に入部し3年時には関東大会優勝、国体で3位に入賞した。明治大学入学後は4年時に全日本学生選手権で優勝を果たす。 明治大学を卒業して館林高校教員になると、1965年の世界選手権フェザー級(60kg級)で3位となった。1966年の全日本選手権では2位だったが、1967年には優勝を飾った。しかし、1968年のメキシコオリンピックには出場できなかった。1969年の世界選手権では62kg級に出場して高校の教員でありながら優勝を成し遂げた。
前原 章宏(まえはら あきひろ、1936年〈昭和11年〉2月… 前原 章宏(まえはら あきひろ、1936年〈昭和11年〉2月17日 - )は、日本の実業家。株式会社とりせん代表取締役社長を経て、現在は同会長をつとめる。 群馬県館林市出身。群馬県立館林高等学校を経て、1958年早稲田大学第一商学部を卒業。 1958年、とりせんに入社。1978年より取締役副社長。1981年に父の跡を継いでとりせん社長に就任する。 2010年6月、とりせん代表取締役会長に就任。
谷津 義男(やつ よしお、1934年〈昭和9年〉7月23日 … 谷津 義男(やつ よしお、1934年〈昭和9年〉7月23日 - 2021年〈令和3年〉6月3日)は、日本の政治家。位階は従三位。旭日大綬章受章。 農林水産大臣(第31代)、衆議院内閣委員長、衆議院議員(7期)、群馬県議会議員(3期)等を歴任。 群馬県邑楽郡多々良村(現・館林市)に、父鶴吉・母イソの長男として生まれる。1953年に群馬県立館林高等学校を卒業し、1957年法政大学法学部政治学科を卒業。親戚筋にあたる衆議院議員・福井盛太の秘書となった。埼玉ダイハツ販売勤務を経て1969年から衆議院議員・坂村吉正の秘書となる。1975年に群馬県議会議員に初当選し、連続3期務めた。 1986年、引退する長谷川四郎の地盤を引き継ぎ、第38回衆議院議員総選挙自由民主党公認で旧群馬2区から立候補し初当選。
矢口 昇(やぐち のぼる、1931年〈昭和6年〉11月29日… 矢口 昇(やぐち のぼる、1931年〈昭和6年〉11月29日 - 2016年〈平成28年〉12月10日)は日本の実業家、政治家。群馬県議(5期)、第78代群馬県議会議長、群馬県議会副議長を歴任した。 1931年11月29日、群馬県邑楽郡伊奈良村(現板倉町)大字籾谷に生まれる。1950年、群馬県立館林高等学校を卒業し、伊奈良村役場職員となる。1956年、毛塚食糧工業に入社する。1965年、物流機器製造会社の五十矢製作所を設立して、社長となる。 1987年4月12日の群馬県議会議員選挙に邑楽郡選挙区から立候補して、初当選を果たし、以後5期務めた。県議会では自由民主党に所属した。県議会では2000年5月30日から2001年5月29日まで群馬県議会副議長を、2003年12月15日から2005年5月31日まで第78代群馬県議会議長を務めた。
黒川 武(くろかわ たけし、1928年〈昭和3年〉4月1日 … 黒川 武(くろかわ たけし、1928年〈昭和3年〉4月1日 - 2021年〈令和3年〉7月28日)は、日本の労働運動家。位階は従三位。日本労働組合総評議会(総評)最後の議長。 群馬県館林市出身。1945年旧制館林中学校卒業。1946年帝都高速度交通営団(現東京地下鉄)に入社。1950年中央大学専門部卒業。神田駅助役を経て、1957年帝都高速度交通営団労働組合(営団地下鉄労組)執行委員、1962年同労組委員長。1974年日本私鉄労働組合総連合会(私鉄総連)副委員長、1980年同委員長。1983年日本労働組合総評議会(総評)議長。1987年11月の全日本民間労働組合連合会(民間連合)結成に貢献。1988年私鉄総連会長。
飯田 善國(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 20… 飯田 善國(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本の彫刻家、現代美術家、詩人。 栃木県足利市生まれ。旧制館林中学卒。慶應義塾大学在学中に徴兵され中国を転戦した。帰国後慶應に復学した後、かねてからの希望だった画家を志して東京藝術大学に入学、梅原龍三郎らの教えを受け1953年に卒業した。その後は、池田龍雄らと制作者懇談会を結成し、芸術論の交換をしながら、戦争体験でばらばらになった世界観や自己への懐疑を再構築すべく、表現主義的な絵画で彼なりのリアリズムを築き上げようとした。 1956年からのローマ留学の間、彫刻のコースで学び、さらにヴォルスの絵画やヘンリー・ムーアの抽象彫刻に衝撃を受けてそれまで描いてきた「リアル」に対する概念をゆすぶられた彼は、より外に開かれた、実感に近いものを求めて彫刻制作に転じ、ウィーンやベルリンなど主に欧州で活躍し、木や石を素材に各地の展覧会に出展した。
飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 20… 飯田 善国(いいだ よしくに、1923年7月10日 - 2006年4月19日)は、日本の彫刻家、現代美術家、詩人。
石毛 善衛(いしげ ぜんえい、1923年5月26日 - 20… 石毛 善衛(いしげ ぜんえい、1923年5月26日 - 2014年10月24日)は、日本の競馬騎手、調教師。 1942年に日本競馬会(日本中央競馬会の前身)で騎手デビュー。1947年にトヨウメ、1958年にセルローズで、それぞれ天皇賞(秋)に優勝した。1948年に結婚するまでは「小林善衛」の名で騎乗。1964年より調教師に転じ、1998年に定年引退。日本中央競馬会調教師の石毛善彦は次男。 1923年、群馬県邑楽郡大川村(後の大泉町)に、東武鉄道の職員であった小林定五郎、きぬ夫妻の長男として生まれる。近郊には地方競馬の館林競馬場があった。旧制館林中学1年生のころに騎手の姿に憧れ、1937年、父の知人の紹介で名騎手の評が高かった石毛彦次郎(中山競馬場)の門下に入る。
国谷 純一郎(くにや じゅんいちろう、1918年〈大正7年〉… 国谷 純一郎(くにや じゅんいちろう、1918年〈大正7年〉2月23日 - 1986年〈昭和61年〉11月14日)は、日本の宗教哲学者、明治大学教授。 群馬県邑楽郡千江田村(現・明和町)生まれ。千江田村の小学校で学んだ後、同郡館林町(現・館林市)へ引っ越す。1935年(昭和10年)旧制館林中学校を卒業。明治大学予科を経て、1944年(昭和19年)京都帝国大学文学部哲学科を卒業。1947年(昭和22年)同大学院修了。 1947年(昭和22年)明治大学予科講師となり、翌年同教授。1949年(昭和24年)に新制明治大学が誕生すると文学部助教授となり、1958年(昭和33年)教授。1969年(昭和44年)から1970年(昭和45年)にかけてドイツ・イギリスへ留学。
大村 喜吉(おおむら きよし、1916年4月21日 - 20… 大村 喜吉(おおむら きよし、1916年4月21日 - 2003年2月19日)は、英語教育史の研究者、埼玉大学名誉教授。
坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月1… 坂村 吉正(さかむら よしまさ、1913年〈大正2年〉6月19日 - 1983年〈昭和58年〉6月2日)は、日本の政治家、農林官僚。衆議院議員(4期)。館林市名誉市民。 群馬県邑楽郡郷谷村(現・館林市)に生まれる。旧制館林中学校(現・群馬県立館林高等学校)、旧制第一高等学校文科を経て、1937年(昭和12年)に東京帝国大学法学部を卒業。 大学在学中の1936年(昭和11年)に高等文官試験に合格し、大学卒業後に農林省に入省。1956年(昭和31年)水産庁漁政部長生産部長となり、日ソの外交交渉に尽力。1959年(昭和33年)農林経済局長、1962年(昭和37年)農林水産技術会議事務局長を経て1963年(昭和38年)に退官する。
島田 豊作(しまだ とよさく、1912年3月31日 - 19… 島田 豊作(しまだ とよさく、1912年3月31日 - 1988年7月11日)は、日本の陸軍軍人。士候45期。最終階級は陸軍中佐。群馬県館林市出身。 1929年、旧制館林中学校を卒業後、陸軍士官学校に入校(第45期、兵科:歩兵)。卒業後は見習士官を経て陸軍歩兵少尉として戦車第2連隊で戦車教育を受ける。 その後、1935年の満州事変、1939年の日中戦争(支那事変)に従軍。 太平洋戦争(大東亜戦争)緒戦の南方作戦においては、戦車第6連隊麾下の第4中隊長(島田戦車隊、九七式中戦車・九五式軽戦車計15両装備)としてマレー作戦に参加。スリム・リバーの戦い(英語版)では、第4中隊の戦車および随伴の歩兵・工兵100人余りとともに、トロラク、スリム・リバー、スリムの陣地に対し戦史上稀な戦車による夜襲を決行。
やなぎ 女楽(やなぎ めらく、1910年〈明治43年〉8月8… やなぎ 女楽(やなぎ めらく、1910年〈明治43年〉8月8日 - 1997年〈平成9年〉6月17日)は、日本の曲独楽師。本名∶田口 亀次。 群馬県館林市出身。芝居小屋の息子で小さい頃から芸事に親しむ。館林中学中退後、1929年に上京し落語家の5代目柳亭左楽に入門する。はじめは噺家を目指し柳亭女楽を名乗る。 のち噺家の道を断念し曲ごまを独学で学ぶ。素人演芸会に出ていたところプロの目に留まり、1942年、本郷の寄席にやなぎ女楽の名で出演。戦後、米軍キャンプの慰問などで日本各地を回った。1965年から落語芸術協会に所属する。 十八番は「衣紋流し」。貴重な膝替わりの芸人として晩年まで寄席出演をしていた。
笹本 一雄(ささもと かずお、1898年〈明治31年〉6月2… 笹本 一雄(ささもと かずお、1898年〈明治31年〉6月20日 - 1964年〈昭和39年〉6月11日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(3期)。 群馬県新田郡太田町(現・太田市)もしくは邑楽郡館林町(現・館林市)で、警視庁職員・笹本一郎、うらの四男として生まれる。群馬県立館林中学校(現・群馬県立館林高等学校)を経て明治大学法科で学び、卒業。 内閣調査事務嘱託、軍需省嘱託、商工省事務嘱託などを歴任。その後、朝鮮総督府顧問に就任。帰国して、商工省総務局嘱託、帝国新報社経済部記者となり、東洋電線取締役、東亜窯業取締役などを務めた。また、中小企業経営者を対象として大政翼賛会により組織された新産業連盟の会長に就任した。
大屋 晋三(大屋 晉三、おおや しんぞう、1894年〈明治2… 大屋 晋三(大屋 晉三、おおや しんぞう、1894年〈明治27年〉7月5日 - 1980年〈昭和55年〉3月9日)は、日本の政治家、実業家。運輸大臣、商工大臣、参議院議員、帝人社長。戦前から戦後にかけて通算26年間にわたって帝人社長を務めた。妻は大屋政子。 群馬県邑楽郡佐貫村大字川俣(現・明和町)に生まれた。父・央(なかば)は佐貫村尋常小学校の校長をしていた。母・ツネは埼玉県粕壁の本陣杉田家の娘。大屋家は代々川越藩士で、祖父は大屋門平といって柔術を指南していた。晋三が生まれた佐貫村大字川俣は館林から利根川の岸に沿う街道筋で、明治のはじめまでは宿場として本陣もあった。 1901年(明治34年)に尋常小学校に入学。
増田 連也(增田、ますだ れんや、1892年〈明治25年〉1… 増田 連也(增田、ますだ れんや、1892年〈明治25年〉12月16日 - 1965年〈昭和40年〉8月22日)は、大正から昭和期のジャーナリスト、政治家。衆議院議員(1期)、群馬県会議員(3期)、群馬県会議長。 群馬県邑楽郡伊奈良村岩田(現板倉町)で、増田甚平、あさ夫婦の三男として生まれる。増田家は伊奈良村の名主を代々勤めた家系で、増田長盛の後裔を称した。群馬県立太田中学校邑楽分校(現・群馬県立館林高等学校)を経て、第四高等学校に入学したが2年で中退した。 1914年(大正3年)まで『満洲日報』の政治記者として、満洲、中国、シベリアなどを視察した。帰国後、実業界で活躍。合同砂利株式会社、合同土木株式会社を設立して利根川・思川の砂利採取事業を経営した。
猪谷 六合雄(いがや くにお、1890年〈明治23年〉5月5… 猪谷 六合雄(いがや くにお、1890年〈明治23年〉5月5日 - 1986年〈昭和61年〉1月10日)は、日本のスキー指導者。国際オリンピック委員会(IOC)副会長・猪谷千春の父。日本スキー界の草分け的存在。日本職業スキー教師連盟(SIA)2代会長。3回の結婚で計9人の子をもうけた。3人目の妻の定子は日本初の女性ジャンパーでもあった[要出典]。 1890年(明治23年)5月5日、群馬県勢多郡富士見村大洞の赤城山大沼湖畔に生まれた。実際の出生日は5月23日だったが、戸籍上は5月5日生まれとなっている。父は赤城神社の神主をしていた。生家は猪谷旅館を営んでおり、1904年(明治37年)には高村光太郎、石井柏亭、与謝野鉄幹らが訪れている。
内田 信也(うちだ のぶや、本名:のぶなり、1880年(明治… 内田 信也(うちだ のぶや、本名:のぶなり、1880年(明治13年)12月6日 - 1971年(昭和46年)1月7日)は日本の実業家、政治家。
小暮 真望 は、日本の版画家、自動車技術者。日本版画会会長。… 小暮 真望 は、日本の版画家、自動車技術者。日本版画会会長。群馬県出身。