三原 遥(みはら はるか、1994年12月10日 - )は大… 三原 遥(みはら はるか、1994年12月10日 - )は大阪府出身の元女子プロ野球選手である。 箕面リトルシニア出身で、箕面市立第六中学校を卒業後、埼玉県にある埼玉栄高等学校に進学。第13回全国高等学校女子硬式野球選抜大会で優勝・第15回全国高等学校女子硬式野球選手権大会で準優勝など功績を貢献。2012年10月に第4回日本女子プロ野球リーグ合同トライアウトで合格。イーストアストライア(現・埼玉アストライア)に入団。 2015年に兵庫ディオーネ(現・愛知ディオーネ)に移籍。「コンベンション2015」でベストナイン外野手賞を受賞。その後最多犠打(2017年・2018年)、ベストナイン二塁手(2018年)を獲得した。
竹安 大知(たけやす だいち、1994年9月27日 - )は… 竹安 大知(たけやす だいち、1994年9月27日 - )は、静岡県伊東市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 埼玉県蓮田市で出生後に、静岡県伊東市へ転居。伊東市立富戸小学校の1年時に地元の少年野球チーム・富戸ジュニアで野球を始めると、中学生時代には伊東リトルシニアに所属した。 中学卒業後に二松學舍大学附属高等学校へ進学。鈴木誠也と同級生となり竹安も1年生ながらベンチ入りをしていたが、1年生の夏に地元にある静岡県立伊東商業高校に転校した。転校後は、3年生夏の選手権静岡大会で、NPBの複数球団のスカウトが視察するほどにまで成長したが、在学中は春夏ともに甲子園球場で開催の全国大会に出場できなかった。
楢岡 美和(ならおか みわ、1994年8月15日 - )は、… 楢岡 美和(ならおか みわ、1994年8月15日 - )は、東京都江戸川区出身の元女子プロ野球選手、、日本代表(外野手)。 小学1年生の時に4歳年上の兄を見て、江戸川区の学童野球チーム「椿パワーズ」に入団。江戸川区の学童女子野球チーム「オール小岩女子」を兼部。 埼玉栄中学へ入学し、「埼玉栄高校女子硬式野球部」で高校生と同じメニューをこなす。投手や野手として活躍。毎朝5時半起床で都内の自宅から2時間かけて学校に通う。 2009年7月17日、国際女子野球大会に参加。アメリカ代表相手に被安打4、5奪三振で完封勝利した。 2011年 、「第1回女子野球ジャパンカップ」において埼玉栄高校の一員として初代チャンピオンに貢献。
狩野 行寿(かりの ゆきかず、1994年7月31日 - )は… 狩野 行寿(かりの ゆきかず、1994年7月31日 - )は、埼玉県川越市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 中学生時代に硬式野球の武蔵狭山ボーイズでプレーしていたが、控えに甘んじていた。川越工業高等学校への進学後は、主に「2番(または9番)・遊撃手」として起用されたが、対外試合では本塁打を1本も放てなかった。しかし、平成国際大学硬式野球部監督の大島義晴が、肩の強さと球際に強い守備に着目し、大島の勧めで同大学に進学した。高校時代の2学年後輩に太田賢吾がいる。 平成国際大学への進学後は、1年時から関甲新学生野球のリーグ戦に出場。2年春の対作新学院大学戦で1イニング2本塁打を含む1試合3本塁打・9打点のリーグ新記録を達成すると、3年の春季には打率.378、2本塁打、14打点という好成績で最多打点のタイトルを獲得した。
石塚 ちづる(いしづか ちづる、1994年5月30日 - )… 石塚 ちづる(いしづか ちづる、1994年5月30日 - )は、日本の元女子プロ野球選手。栃木県出身。 花咲徳栄高校で女子硬式野球部に所属、キャプテンを務め全国高等学校女子硬式野球大会で4番ショート出場、チームの優勝に大きく貢献 。2013年にノース・レイアへ入団するが、腰椎椎間板ヘルニア発症のため内視鏡による摘出手術を受け、1年目は5試合の出場のみ。2015年に兵庫ディオーネに移籍、2016年シーズン終了後に引退。
遊馬 ジェシー(あすま ジェシー、1994年1月31日 - … 遊馬 ジェシー(あすま ジェシー、1994年1月31日 - )は、日本の元プロ野球選手、野球指導者。 アメリカ合衆国ハワイ州出身。本名は同じ。 埼玉県立南稜高校を経て埼玉大学で学ぶ。大学卒業後、小学校の教員を務めていた。 2018年に独立リーグのベースボール・ファースト・リーグ(略称:BSL、2019年より関西独立リーグ)に加盟する兵庫ブルーサンダーズ(現:兵庫ブレイバーズ)に練習生として入団する[要出典]。 2019年に支配下登録され、選手兼任コーチにも就任したが、[要出典]6月28日付で退団した。2020年より同じリーグの06BULLS(現:大阪ゼロロクブルズ)に入団。14試合に出場して規定未到達ながら打率.421を記録する。
堀越 美紀(ほりこし みき、1993年12月25日 - )は… 堀越 美紀(ほりこし みき、1993年12月25日 - )は、日本の元女子プロ野球選手(投手、捕手)。 花咲徳栄高校で女子硬式野球部に所属。2011年の日本女子プロ野球機構第3回トライアウトに合格し、2012年に兵庫スイングスマイリーズに所属。2013年はノース・レイアに所属し、シーズン後に契約解除されるが、翌2014年にレイアに復帰。2015年シーズン終了後に引退。2012年、2013年は投手として、2014年、2015年は捕手としてプレーした。2016年より南九州短期大学の女子硬式野球部監督に就任している。
谷田成吾(やだ せいご、1993年5月25日 - )は、埼玉… 谷田成吾(やだ せいご、1993年5月25日 - )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手(外野手)、経営者。2019年12月19日から2023年1月31日まで、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスの取締役兼球団代表を務めた。2023年5月から2024年3月まで、関西独立リーグ(さわかみ関西独立リーグ)の専務理事を務めた。 慶應義塾高校時代に1年次から4番を打ち、高校通算76本塁打。慶應義塾大学時代に東京六大学通算15本塁打を打ち、「高橋由伸2世」とも呼ばれるなど注目された。 大学4年次の2015年にドラフト会議において上位指名が予想されたが、大学の同期である山本泰寛が読売ジャイアンツ、横尾俊建が北海道日本ハムファイターズに指名される中での指名漏れとなった。
谷山莉奈(たにやまりな、1992年9月26日 - )は埼玉県… 谷山莉奈(たにやまりな、1992年9月26日 - )は埼玉県草加市出身の元女子プロ野球選手。 高校時代はソフトボールを、日本体育大学時代は軟式野球の選手として活躍。硬式野球は未経験だった。2014年の女子プロ野球リーグの入団テストに合格し、京都フローラに入団した。 2015年にはコンベンションで投手部門で最多ホールドを獲得、翌年も同賞を獲得している。2016年から埼玉アストライアに移籍。 2017年に最優秀防御率を、2018年に最多投球回とゴールデングラブ賞を獲得している。 2019年11月1日、今季限りで女子プロ野球リーグを退団することが発表された。 2020年12月現在は公益社団法人全国野球振興会(日本プロ野球OBクラブ)の職員として活動している。
山﨑 福也(やまさき さちや、1992年9月9日 - )は、… 山﨑 福也(やまさき さちや、1992年9月9日 - )は、埼玉県所沢市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。 実父は元プロ野球選手の山崎章弘。 所沢市立北小学校の2年生の時に「新所沢ライノーズ」で、投手として野球をスタート。向陽中学校時代には、「所沢中央シニア」で投手や一塁手を経験した。なお、中学3年の時の冬に脳腫瘍が判明したが、手術を経て克服している(詳細後述)。 日大三高への進学後には、1年の秋に一塁手としてベンチ入りを果たすと、2年の春からレギュラーに定着。第91回全国選手権大会では、「5番・一塁手」として2試合にスタメンで出場したが、通算打率は.143(7打数1安打)にとどまった。
山﨑 福也(やまさき さちや、1992年9月9日 - )は、… 山﨑 福也(やまさき さちや、1992年9月9日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手(投手)。父は巨人、日本ハムでプレーした山崎章弘。
高梨 雄平(たかなし ゆうへい、1992年7月13日 - )… 高梨 雄平(たかなし ゆうへい、1992年7月13日 - )は、埼玉県川越市出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。読売ジャイアンツ所属。 2020年からYouTubeチャンネルを運用している(詳細後述)。 川越市立高階南小学校3年時に川越リトルで野球を始めると川越市立高階西中学校時代には川越シニアへ所属した。 元プロ野球選手だった阿井英二郎監督に教わりたいと川越東高校へ進学すると1年春からベンチ入り。3年夏の選手権埼玉大会では、準々決勝で春日部共栄高校を相手に延長14回を1人で投げ切った。この試合の14回裏にチームがサヨナラ勝ちを収めると、花咲徳栄高校との準決勝でも延長10回を投げたが、決勝には進めなかった。
原口 文仁(はらぐち ふみひと、1992年3月3日 - )は… 原口 文仁(はらぐち ふみひと、1992年3月3日 - )は、埼玉県大里郡寄居町出身の元プロ野球選手(捕手・内野手 )。右投右打。野球講演家・野球解説者・野球評論家として活動。マネジメント契約は株式会社オフィスS.I.Cである。 読売ジャイアンツ(巨人)の正捕手だった阿部慎之助への憧れが高じて、小学4年時に、軟式野球チームの寄居ビクトリーズ(現在のキングフィッシャーズ)で捕手として野球生活を始めた。埼玉県寄居町立城南中学校在学中には、寄居リトルシニア(現在の深谷彩北リトルシニア)で一塁手としてプレー。中学校からの卒業を機に、帝京高校(東京都板橋区)へ進学した。進学の決め手になったのは、中学3年時に世田谷西シニアとの試合で放った本塁打で、同チームの監督としてこの一打を目にした蓬萊昭彦(元・西武ライオンズ)が帝京高校硬式野球部監督(いずれも当時)の前田三夫に原口の入部を推薦したという。
大山 唯(おおやま ゆい、1992年1月23日 - )は、日… 大山 唯(おおやま ゆい、1992年1月23日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)、監督。 愛称(ニックネーム)は「おーちゃん」。 小学校時代は入間川ベアーズ、中学時代は、狭山リトルシニアでプレーをし、高校時代と大学時代は、それぞれ花咲徳栄高校及び尚美学園大学の女子硬式野球のチームでプレーしていた。 2014年、ノース・レイアに入団。プロ1年目からレギュラーの座を掴むと、瞬く間に中軸打者にのし上がり、全試合に出場。リーグ5位の打率.359・同4位タイの33安打・同1位タイの17四球を記録し、非凡なバッティング技術を発揮して同年の最優秀新人賞に選出された。また、一塁手部門でベストナインにも選出され、ルーキーながらリーグを代表する選手の1人として大活躍した。
中村 勝(なかむら まさる、1991年12月11日 - )は… 中村 勝(なかむら まさる、1991年12月11日 - )は、埼玉県春日部市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。 春日部市立武里中学校在校時には投手と遊撃手を務め、投手として3年時にはKボールの県選抜で全国優勝を果たした。第3回AAアジア選手権大会に日本代表として参加、香港戦で先発して勝利投手となったが、チームは準決勝で台湾に敗退した。 高校は春日部共栄高校に進学。2年冬にフォームを変え、3年生時の2009年春大会で、前年夏の甲子園に出場した本庄第一高戦で4安打完封勝利を挙げた。夏の県大会2回戦の小松原高戦では、4回を投げ初回先頭から9連続三振を含む11奪三振、5回戦富士見高戦でも11奪三振完封勝利を挙げた。
野川 拓斗(のがわ たくと、1991年9月6日 - )は、埼… 野川 拓斗(のがわ たくと、1991年9月6日 - )は、埼玉県戸田市出身の元プロ野球選手(投手)。 埼玉県戸田市出身。小学4年時に前野町ジャイアンツで野球を始め、戸田市立美笹中では軟式野球部で投手を務めた。 川口青陵高校では、入学当初は球速は117km/hであり代走要員であったが、週2回ジムに通い急成長を果たし、2年の夏に背番号1を貰った。2年の秋の関東大会では文星芸大附属高校相手に9回2アウトまで無安打無失点ピッチングを披露した。3年の夏は埼玉県大会ベスト4で埼玉栄高校に敗れた。 城西国際大学進学後、1年春からリーグ戦に登板。4年秋には防御率0.38、4勝1敗で奪三振王を獲得するとリーグ優勝に貢献した。
磯崎 由加里 (いそざき ゆかり、1991年7月26日 - … 磯崎 由加里 (いそざき ゆかり、1991年7月26日 - ) は、日本の元女子プロ野球選手。ポジションは投手。 愛称(ニックネーム)は「いっそ~」「いそぴ~」。 野球をやっている父親や兄の姿を見ていたのが、野球を始めたきっかけである。 埼玉栄高校では、女子硬式野球チームに所属。高校卒業後は、多数の女子プロ野球選手を輩出している名門校・尚美学園大学の女子硬式野球チームに所属した。 2010年には、女子野球の世界大会である第4回IBAF女子ワールドカップの日本代表メンバーに選出され、日本の2連覇に貢献。続く2012年の第5回、2014年の第6回にも選出され、3大会連続で代表メンバー入りを果たした。
加藤 翔平(かとう しょうへい、1991年3月28日 - )… 加藤 翔平(かとう しょうへい、1991年3月28日 - )は、埼玉県加須市出身の新聞記者、元プロ野球選手(外野手)。右投両打。 加須市立三俣小学校2年時に野球を始める。陸上競技やサッカーなども同時にやっていたが、父からの「陸上より野球の方が面白い」という言葉で野球に専念することになった。小学校時代は「三俣タイガース」に、加須市立昭和中学校時代は「加須シニア」に所属。その後、野球と勉強をしっかりとやって公立高校で私立に勝ちたいという思いから、春日部東高校へ進学した。 1年夏の県大会後、当時のコーチからの薦めで左打ちにも挑戦。コーチからの指導と人一倍の練習量と練習時間で、約1か月後の練習試合では早くも安打を打つなど、左打ちを自分のものにした。
森 大(もり だい、1990年12月28日 - )は、埼玉県… 森 大(もり だい、1990年12月28日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市浦和区)出身の元社会人野球選手、高校野球指導者。浦和学院高校、早稲田大学教育学部卒。 浦和学院高等学校時代には控え投手として、夏の甲子園大会に2007年と2008年の2度出場。同級生に坂本一将がいる。2007年は本大会でベンチ入りしながら登板機会に恵まれなかったものの、2008年は南埼玉大会の全6試合に先発する活躍を見せ、父親でもある監督の森士と「親子鷹」として注目された。 高校卒業後は早稲田大学に進み全日本大学選手権優勝を経験。三菱自動車倉敷オーシャンズでプレーののち、25歳で引退。引退後は後述の高校野球指導をしながら筑波大学大学院で1年、早稲田大学大学院で2年間、スポーツバイオメカニズムや心理学を学ぶ。
土肥 寛昌(どひ ひろあき、1990年11月16日 - )は… 土肥 寛昌(どひ ひろあき、1990年11月16日 - )は、埼玉県さいたま市南区出身の元プロ野球選手(投手)。右投両打。 元プロ野球選手の土肥義弘は、再従兄にあたる。 埼玉栄高2年秋は県大会ベスト4、3年夏は南埼玉大会でベスト8。大学では1学年上に藤岡貴裕がいて、リーグ通算16試合0勝1敗、防御率3.07。社会人では2年目の都市対抗野球で2試合先発した。2014年10月23日、ドラフト会議にて東京ヤクルトスワローズから6位指名受け、11月12日、契約金3000万円、年俸800万円で仮契約を結んだ。背番号は45。 2015年は、一軍での登板はなかった。 2016年は、4試合に登板したが防御率8点台に終わる。
髙島 祥平(たかしま しょうへい、1990年8月4日 - )… 髙島 祥平(たかしま しょうへい、1990年8月4日 - )は、埼玉県朝霞市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。現在は中日ドラゴンズの打撃投手。 朝霞市立朝霞第二小学校時代は野球が嫌いで、2年生から6年生までアイスホッケーのクラブチーム「西武ホワイトベアーズ」でディフェンダーを担当。主将を務めた6年生の時には関東大会で優勝。東京都選抜チームにも選出され全国大会第3位。朝霞市立朝霞第二中学校では野球好きの父親に請われる形で軟式野球部に入部。Kボールの埼玉県選抜チーム「藤倉オールスターズ」(現・埼玉スーパースターズ)ではエースとして全国優勝。続くアジア大会では準優勝。 帝京高校進学後は1年夏からベンチ入り。
矢島 陽平(やじま ようへい、1990年6月16日 - )は… 矢島 陽平(やじま ようへい、1990年6月16日 - )は、埼玉県加須市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 小学4年生から野球を始める。駿河台大学では東京新大学野球リーグでチームは2部、3部に在籍する状況で登板機会にも恵まれなかった。4年生の時に関西独立リーグ・神戸サンズのトライアウトを受験し、合格。2012年の1シーズンプレーし、リリーフを中心に全64試合中39試合に登板した。同年オフ、ベースボール・チャレンジ・リーグの福井ミラクルエレファンツからドラフト1位指名を受け、入団。福井への入団は「NPBのスカウトの目に止まるようなポイントを作りたい」という理由であった。
髙木 伴(たかぎ ばん、1990年6月1日 - )は、埼玉県… 髙木 伴(たかぎ ばん、1990年6月1日 - )は、埼玉県川口市出身の社会人野球選手、元プロ野球選手(投手)。 飯塚小学校3年生の時にソフトボールを始めた。西中学校では軟式野球部で主に遊撃手だったが、川口市立川口高等学校では1年生時の冬に投手に転向した。高校3年間で甲子園出場経験は無く、東京農業大学では1年生時の春から出場、東都大学野球・2部リーグでは通算32試合で7勝6敗の成績だった。 大学卒業後にNTT東日本へ入社すると、第84回都市対抗野球大会の1回戦に先発登板、6回1/3を投げ自責点1、防御率1.42だった。10月には台湾で行われた「2013 BASEBALL CHALLENGE 日本 VS チャイニーズ・タイペイ」の日本代表に選出された。
伊藤 和雄(いとう かずお、1989年12月13日 - )は… 伊藤 和雄(いとう かずお、1989年12月13日 - )は、埼玉県比企郡小川町出身の元プロ野球選手(投手)。 小川東中学校時代に野球をスタート。当初は控えの二塁手であった。埼玉県立坂戸西高等学校への入学後に投手へ転向すると、2年時の秋からエースの座を確保したが、在学中には全国大会と無縁であった。卒業後に高校からグラウンドが程近い東京国際大学へ進学。広島東洋カープの監督時代に日本シリーズ制覇を3度経験した古葉竹識が監督へ就任したばかりの硬式野球部で、1年時の春から東京新大学野球のリーグ戦に登板した。エースとして臨んだ4年時(2011年)の春季リーグ戦では、3完封を含む7勝を挙げて、チーム史上初の優勝に貢献。
中村 晃(なかむら あきら、1989年11月5日 - )は、… 中村 晃(なかむら あきら、1989年11月5日 - )は、埼玉県朝霞市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。左投左打。福岡ソフトバンクホークス所属。 小学校2年生の時に岡ファイターズという少年野球チームに所属し、野球を始めた。朝霞市立朝霞第二中学校では軟式野球部に所属し、髙島祥平とは中学時代から同じチームに所属していた関係がある。一つ下の学年であった。帝京高校入学時は内野手兼投手だったが、同級生に大田阿斗里(横浜ベイスターズに入団)や垣ヶ原達也(青山学院大学→日立製作所)といった好投手がおり、投手としての自分に限界を感じて野手を志したという。子どもの頃は埼玉西武ライオンズのファンだった。 帝京高等学校入学後1年夏からベンチ入り。
武藤 祐太(むとう ゆうた、1989年6月14日 - )は、… 武藤 祐太(むとう ゆうた、1989年6月14日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。
斉藤 彰吾(さいとう しょうご、1989年5月14日 - )… 斉藤 彰吾(さいとう しょうご、1989年5月14日 - )は、埼玉県春日部市出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。 小学2年から野球を始める。葛飾中学時代は庄和シニアで1番・中堅手としてプレーし、3年夏に全国大会ベスト8。また、中学時代には砲丸投で全国大会に出場している。 春日部共栄高等学校へ進学後は1年春の関東大会で早くも左翼手のレギュラーとなり、夏の埼玉県大会決勝で木村文和に4三振を喫すものの、8番・左翼手で第87回全国高等学校野球選手権大会に出場。しかし初戦で中田翔、辻内崇伸、平田良介らを擁する大阪桐蔭高等学校に敗退した。中軸として迎えた2006年は、春夏ともに県大会準々決勝で増渕竜義を擁した埼玉県立鷲宮高等学校に無安打に抑え込まれ敗北。
木村 文紀(きむら ふみかず、本名:木村 文和〈読み同じ〉、… 木村 文紀(きむら ふみかず、本名:木村 文和〈読み同じ〉、1988年9月13日 - )は、東京都大田区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 プロ入り時は投手だったが、2012年シーズン途中で外野手に転向した。 大田区立梅田小学校時代にソフトボールを始める。俊足・強肩・強打を兼ね揃えたエース投手であり、打順は主に1番を打っていた。打率も7割を超えるなど非凡な才能を発揮していた。埼玉栄高校では、1年時は主に外野手として出場し、2年時からエースとして活躍。2005年夏の埼玉県大会では決勝戦まで進出したが、斉藤彰吾らを擁する春日部共栄を相手に3点リードで迎えた9回表に二死満塁2ストライクから4番・靍岡賢二郎に走者一掃の3点適時三塁打を打たれ同点とされると、続く5番・射手矢大輔には適時二塁打を打たれ勝ち越しを許す。
太田 あゆみ(おおた あゆみ、1988年8月27日 - )は… 太田 あゆみ(おおた あゆみ、1988年8月27日 - )は、日本の元女子プロ野球選手である。 2015年に兵庫ディオーネに入団。 2016年最多打点者賞を受賞。 2019年埼玉アストライアへ移籍。同年11月1日、今季限りで女子プロ野球リーグを退団することが発表された。
黒沢 翔太(くろさわ しょうた、1988年8月5日 - )は… 黒沢 翔太(くろさわ しょうた、1988年8月5日 - )は、埼玉県秩父市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 埼玉県立秩父高校から城西国際大学に進学。大学時代には、3年時の千葉県大学野球春季リーグ戦で、最多勝利と奪三振王のタイトルを獲得した。 2010年のNPB育成ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから育成1巡目で指名され、入団した。入団当初の背番号は121。 2011年には、イースタン・リーグ公式戦9試合に登板。1勝1敗、防御率1.69の成績を残したが、支配下選手登録には至らならなかった。 2012年には、イースタン・リーグ公式戦14試合の登板で、防御率3.00を記録したが、支配下選手登録を見送られた。
大竹 秀義(おおたけ ひでよし、1988年7月26日 - )… 大竹 秀義(おおたけ ひでよし、1988年7月26日 - )は、埼玉県久喜市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 春日部共栄高等学校時代は2年の夏に第87回全国高等学校野球選手権大会に出場。高校卒業後は國學院大學に進学。 國學院大では登板のないまま、2年の冬にベースボール・チャレンジ・リーグのトライアウトを受験。2008年のBCリーグドラフトで信濃グランセローズから指名され入団。 2009年は30試合に登板し1勝3敗1セーブ、防御率3.89だった。 2010年は右肘の手術を行い治療に専念するため、4月9日に任意引退が発表された。 2011年1月に練習生契約で信濃に復帰し、7月29日に信濃と「秀義」の登録名で再契約した。
増渕 竜義(ますぶち たつよし、1988年5月3日 - )は… 増渕 竜義(ますぶち たつよし、1988年5月3日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
戸村 健次(とむら けんじ、1987年10月20日 - )は… 戸村 健次(とむら けんじ、1987年10月20日 - )は、埼玉県日高市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。右投右打。 小学3年時から野球を始め、中学時代までは軟式野球をプレー。中学に入学する頃には東京六大学でのプレーを目指すため、大学の付属高校への入学を目標にしていた。志望校だった立教新座高校の合格の目安の偏差値が高く、3年生のときには受験勉強中心の生活になったため、中学最後の大会では野球部のレギュラーになれなかった。 勉強の甲斐あり、立教新座高校に合格し、進学。1年秋からのベンチ入りを経て、2年時の春からエースの座を確保した。在学中からストレートで最速145km/hを計測するなど、右の本格派投手として注目されていたが、春夏ともに阪神甲子園球場での全国大会へ出場できなかった。
今成 亮太(いまなり りょうた、1987年10月6日 - )… 今成 亮太(いまなり りょうた、1987年10月6日 - )は、埼玉県富士見市出身の元プロ野球選手(内野手、外野手、捕手)、野球解説者、実業家。株式会社V.C(ヴィーシー)の代表取締役社長。右投左打。 阪神タイガースや北海道日本ハムファイターズでスカウトを務めた今成泰章の次男で、自身も現役時代に両球団でプレー。2019年に阪神で現役を引退してからは、同球団が運営する「タイガースアカデミー ベースボールスクール」の専属コーチを務めながら、野球解説者やラジオパーソナリティとしての活動を始めていた。2021年12月31日付で退団したことを機に、野球解説者へ本格的に転身。2023年10月からは、松竹芸能所属のタレントとしても活動している。
靍岡 賢二郎(つるおか けんじろう、1987年7月7日 - … 靍岡 賢二郎(つるおか けんじろう、1987年7月7日 - )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。右投右打。 苗字の「靍」(「雨かんむり」に「隹」と「鳥」)は環境依存文字であるため、一部Webサイトにおいては常用漢字である「鶴」に置き換えた「鶴岡」、平仮名に置き換えた「つる岡」やカタカナに置き換えた「ツル岡」の表記も用いられる。「雨かんむり」に「鶴」を書いた「靏岡」は誤り。 春日部共栄高校時代は強肩強打の捕手として知られ、3年時に主将兼4番打者として夏の埼玉県大会の決勝戦進出に貢献。決勝戦では2年生エース投手の木村文和を擁する埼玉栄高校と対戦、1対4と3点リードされた9回表二死満塁の場面で、2ストライクと追い込まれながら同点打となる走者一掃の3点適時三塁打を木村から放った。
豊田 拓矢 (とよだ たくや、1987年3月28日 - )は… 豊田 拓矢 (とよだ たくや、1987年3月28日 - )は、埼玉県八潮市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校5年生の時に「小作田ベスターズ」で野球を始め、八潮中学校時代は「八潮シニア」でプレーした。浦和学院高等学校では1年生時の夏にベンチ入りし、チームは1年生時と3年生時に全国高等学校野球選手権大会に出場、自身は通算で2試合2/3回を投げ防御率0.00だった。 上武大学4年生の時、関甲新学生野球・春季リーグで5勝を挙げ最多勝を受賞した。この年、チームは第57回全日本大学野球選手権大会に出場。大学通算成績は12試合74回を投げ9勝2敗、防御率1.82。 TDKでは1年目から都市対抗、日本選手権に登板。
佐藤 達也(さとう たつや、1986年7月26日 - )は、… 佐藤 達也(さとう たつや、1986年7月26日 - )は、埼玉県大宮市(現:さいたま市西区)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。愛称は「サトタツ」、「ピン」。 さいたま市(入学当時は大宮市)立指扇中学校で、外野手として野球を始める。野球を始めた理由は「中学校にバスケ部がなかったから」だという。埼玉県立大宮武蔵野高等学校に進学後に投手に転向した。3年時の夏は埼玉県予選2回戦で敗退。 高校卒業後は、北海道学生野球連盟に加盟する北海道東海大学(現・東海大学北海道キャンパス)に進学。3年時の秋にはエースとなり、10試合で6勝を挙げ、同校5年ぶりの優勝に貢献。最優秀投手賞とベストナインを獲得した。4年時は春に腰痛と股関節痛を発症し、春と秋合わせて4勝に留まった。
坂本 直子(さかもと なおこ、1985年5月11日 - )は… 坂本 直子(さかもと なおこ、1985年5月11日 - )は、大阪府出身の女子ソフトボール選手(投手)。2004年アテネオリンピック銅メダリスト。彩の国功労賞を受賞。
加賀 繁(かが しげる、1985年4月13日 - )は、埼玉… 加賀 繁(かが しげる、1985年4月13日 - )は、埼玉県新座市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。 ゲーム「がんばれゴエモン」の主人公に風貌が似ているという理由で、チームメイトからは「ゴエモン」の愛称で呼ばれる。 川越ボーイズから埼玉平成高時代は三塁手、投手であり、甲子園出場経験はなかった。 関甲新学生野球連盟の上武大学に入学後に投手に転向、石川俊介と共に活躍。大学4年の秋季リーグではMVPを獲得した。出場した神宮大会では本塁打も放つ。 大学卒業後は住友金属鹿島に入社。1年目は春のJABA四国大会でチーム優勝に貢献しMVPを獲得した。第79回都市対抗野球大会に日立製作所の補強選手として初出場し、リリーフで登板。
古川 祐樹(ふるかわ ゆうき、1985年4月5日 - )は、… 古川 祐樹(ふるかわ ゆうき、1985年4月5日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、読売ジャイアンツ球団職員。 小学校1年から5歳上の兄に連れられ、草加市スポーツ少年団の瀬崎ベアーズで野球を始めた。草加市立瀬崎中学校では硬式クラブからの誘いもあったが、小学校時代のチームメイトとのプレイを希望したため学校の軟式野球部に所属した。 春日部共栄高に進学し、2年秋から背番号1を背負ったが、左ひじを痛めたため秋季大会は投げていない。高3夏の埼玉大会決勝で聖望学園高等学校に敗れる等、甲子園への出場はない。甲子園経験はないが、春日部共栄高時代は浦和学院高等学校・須永英輝のライバルとして知られていた。
小林 憲幸(こばやし のりゆき、1985年2月9日 - )は… 小林 憲幸(こばやし のりゆき、1985年2月9日 - )は、埼玉県鳩ヶ谷市(現:川口市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手であった。 埼玉県立川口高校から城西国際大学へ進学。進学後は、クラブチームの全浦和野球団に所属した。 2005年に大学を休学。同年に発足した四国アイランドリーグ・徳島インディゴソックスに入団すると、入団1年目からストッパーとして活躍した。入団2年目には最多セーブポイントのタイトルを獲得。なお、大学は入団後に中退している。 2007年の育成ドラフト会議で、NPBの千葉ロッテマリーンズから3巡目で指名。育成選手として入団した。徳島からNPBの加盟球団へ入団した選手は、この時の小林が初めてであった。
野原 祐也(のはら ゆうや、1985年1月7日 - )は、埼… 野原 祐也(のはら ゆうや、1985年1月7日 - )は、埼玉県越谷市出身の元プロ野球選手(外野手、内野手、右投左打)、野球指導者。 現役時代には、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の富山サンダーバーズ→富山GRNサンダーバーズとNPBの阪神タイガースに所属。富山時代には、「富山のおかわり君」と呼ばれていた。 2016年の現役引退後は、2017年から2020年まで社会人クラブチームのOBC高島、2021年から2022年まで阪神タイガース Women(阪神タイガースが運営する女子硬式野球クラブチーム)の監督を務めた。 大宮東高校から国士舘大学に進学。4年時は主将。大学時代には股関節を故障しNPBのドラフトにはかからなかったが、プロ入りの夢を追い求めて2007年に創設された北信越ベースボール・チャレンジ・リーグの富山サンダーバーズに入団。
藤野 遥香(ふじの はるか、1984年4月25日 - )は、… 藤野 遥香(ふじの はるか、1984年4月25日 - )は、岩手県東磐井郡千厩町出身の女子ソフトボール選手(外野手)。 1984年4月25日、岩手県東磐井郡千厩町清田(現:一関市千厩町清田)に生まれる。幼少期から2歳上の姉とキャッチボールを交わしたり、ソフトボールのフォームを真似していて、姉より上達しようと思ったのを機に小学3年生の冬から清田ソフトボールスポーツ少年団(千厩町立清田小学校)に入団し、本格的な活動を始めた。同少年団は、藤野が6年生の夏に全日本小学生ソフトボール大会において3位に入賞している。 1997年に旧千厩町立千厩中学校へ進学し、ソフトボール部に在籍した。藤原麻起子をはじめとした先輩を超すべく、自宅でも入念に練習やトレーニングを重ねた。
星野 真澄(ほしの ますみ、1984年4月4日 - )は、埼… 星野 真澄(ほしの ますみ、1984年4月4日 - )は、埼玉県さいたま市出身の元プロ野球選手(投手)、トレーナー。左投左打。 埼玉県さいたま市出身。桑田真澄のファンであった父親によって「真澄」と名付けられる。 埼玉栄高等学校では3年間ベンチ入りすることが出来なかった(2学年後輩には山崎憲晴がいた)。愛知工業大学に進学し愛知大学リーグでの通算成績は26試合に登板し4勝5敗、防御率2.26。 卒業後はバイタルネットに入社し、同社の硬式野球部に入部。2008年には同僚の谷元圭介と共にドラフト候補に挙がるも、北信越大会決勝の前日に気胸を発症。試合前練習にも参加できないほどだったが痛みをこらえて登板したものの、ベンチ裏で気を失い、チームも敗退し、即手術を受けた。
会田 有志(あいだ ゆうし、1984年1月30日 - )は、… 会田 有志(あいだ ゆうし、1984年1月30日 - )は、埼玉県春日部市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。 3人兄弟の三男であり、父は元ヤクルトスワローズ投手の会田照夫。母は元モデルでCMや雑誌などで活動していた。兄はエコノミストの会田卓司。叔父(母の弟)は元ヤクルト捕手の尾崎亀重で、その息子(会田有志の従弟)は元大相撲力士の隆乃若(最高位は関脇)。 実家は代々木材店を経営しており父の照夫がプロ野球選手引退後、家業を継いでいた。小学校3年生の時、日本テレビ系で放映されていた『ルックルックこんにちは』内の人気コーナー「突撃!隣の晩ごはん」に出演したことがある。その時、会田は「プロ野球選手になって、勝ちたい」と宣言していた。
相原 勝幸(あいはら かつゆき、1983年7月24日 - )… 相原 勝幸(あいはら かつゆき、1983年7月24日 - )は、埼玉県児玉郡上里町出身の元プロ野球選手(投手)。
平野 将光(ひらの まさみつ、1983年6月28日 - )は… 平野 将光(ひらの まさみつ、1983年6月28日 - )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 中学校時代は軟式野球部に所属し埼玉県大会で優勝。浦和実業高校では2年秋に県大会決勝で浦和学院の大竹寛と投げ合って延長10回の末に惜敗、関東大会は初戦を完投勝利してベスト8。平成国際大学へ進みリーグ通算5勝、2006年に社会人野球のJR東日本東北に入社。ここで素質が開花し、攝津正と2枚看板として活躍した。第78回都市対抗野球大会に補強選手で出場。大学の先輩と後輩にはチームメイトとなる山崎敏と牧田和久がいた。 2007年の大学・社会人ドラフトで埼玉西武ライオンズから1巡目で指名を受けて入団。
大竹 寛(おおたけ かん、1983年5月21日 - )は、埼… 大竹 寛(おおたけ かん、1983年5月21日 - )は、埼玉県八潮市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)、プロ野球コーチ。 浦和学院高2年夏に全国選手権に出場したものの2回戦で敗退。当時は1学年上の坂元弥太郎がエースだったため、登板機会なし。2年秋の関東大会からエースになるが水戸商業に初戦敗退。3年春は埼玉県大会で東農大三高に惜敗。3年夏の埼玉大会では春日部共栄に9回表二死まで3-1とリードしていたが、味方のエラーで逆転され埼玉大会ベスト8にとどまった。また、日本代表としてアジアAAA選手権に出場した。 2001年度プロ野球ドラフト会議にて広島東洋カープから1巡目指名を受けて入団。背番号は17。
須江 航(すえ わたる、1983年4月9日 - )は、埼玉県… 須江 航(すえ わたる、1983年4月9日 - )は、埼玉県比企郡鳩山町出身の高校野球指導者、仙台育英学園高等学校情報科教諭。 小学校2年時より野球を始める。鳩山町立鳩山中学校を経て、宮城県の仙台育英高校に進学。2年秋からはグランドマネージャーを務め、3年時には春夏連続で甲子園大会に記録員としてベンチ入りをしている。 高校卒業後は、青森県の八戸大学に進学。入学後は野球部に入部し、学生コーチを務める。 大学卒業後には、地元の埼玉県で高校教員を目指していたが恩師に誘われる形で仙台育英高校の系列校の秀光中等教育学校に着任し、創部間もない野球部の監督に就任。 その後は長く中学野球の指導者として実績を残し続けてきたが、母校・仙台育英高校の野球部内で不祥事が発覚し監督・佐々木順一朗が2017年12月10日引責辞任することと2018年1月1日付で須江が監督に就任することが発表された。
岩﨑 哲也(いわさき てつや、1982年10月13日 - )… 岩﨑 哲也(いわさき てつや、1982年10月13日 - )は、埼玉県深谷市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 埼玉県立行田工業高等学校時代は、春日部共栄高等学校とともに夏の埼玉大会優勝候補だったが、埼玉栄高等学校と初戦で対戦して惜敗。その後、国士舘大学では小島紳二郎が同期のエースで4年春の2部開幕戦で先発し初勝利を挙げたが主にリリーフであった。三菱重工横浜硬式野球クラブに入部した。 2005年の第76回都市対抗野球大会神奈川2次予選で好投し、三菱ふそう川崎の補強選手として出場した。5試合中4試合に登板して三菱ふそう川崎の優勝に大きく貢献、新人賞に当たる若獅子賞を受賞した。2006年は東芝に補強されて第77回都市対抗野球大会に出場。