井上 敏樹(いのうえ としき、1994年12月5日 - )は… 井上 敏樹(いのうえ としき、1994年12月5日 - )は、日本の騎手、栗東トレーニングセンター厩舎所属。埼玉県秩父市出身。血液型はO型。2014年にデビュー。 中学2年生で乗馬を始め、騎手を志すようになった。 競馬学校出の同期の新人騎手よりも1歳年上である。その理由は、一般的には中学卒業後に競馬学校へ入るのだが、競馬学校への願書の提出期限に間に合わず、入学が1年ずれ込んだことによる。1年間高校に通ったのち、改めて競馬学校へ入学、2014年に騎手免許を取得して、中央競馬の騎手としてデビューした。同期には松若風馬らがいる。目標の騎手は武豊。 『競馬最強の法則』のライターである樋野竜司によれば「穴党注目の存在」としていた。
嶋田 純次(しまだ じゅんじ、1993年3月8日 - )は、… 嶋田 純次(しまだ じゅんじ、1993年3月8日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) の騎手。埼玉県久喜市出身。美浦トレーニングセンター・手塚貴久厩舎所属。 サッカー少年だった中学生のころにテレビで競馬中継をみて騎手を志す。2008年、競馬学校に騎手課程第27期生として入学。在学時にはフジテレビ系列の情報バラエティ番組『潜入!リアルスコープ』の密着取材を受けた。2011年2月に競馬学校を卒業、とくに騎乗技術が優秀だった者に与えられるアイルランド大使特別賞を受賞した。2011年3月1日付けで騎手免許を取得(平地競走・障害競走)。 2011年3月5日の中山競馬第1競走でワイズアンドクールに騎乗し優勝、松山弘平以来となるJRA史上45人目の初騎乗初勝利を飾った。
宮崎 北斗(みやざき ほくと、1989年3月12日 - )は… 宮崎 北斗(みやざき ほくと、1989年3月12日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンターに所属していた元騎手。 埼玉県東松山市出身。小学5年生の時に知人の飼っている道産子に乗せてもらい、後に競馬場に連れて行ってもらったのが騎手になるきっかけである。 2004年に競馬学校第23期生として入学し、2007年に騎手免許を取得。同年に美浦・高市圭二厩舎所属として騎手デビュー。同期に浜中俊、藤岡康太、丸田恭介、草野太郎らがいる。 初騎乗は同年3月3日中京競馬第2競走のオリジナルカラーで3着。初勝利は同年4月21日福島競馬第3競走で、デビュー戦に騎乗したオリジナルカラーであった。 2008年12月20日、第46回愛知杯で単勝16番人気のセラフィックロンプに騎乗し、重賞競走初挑戦で初勝利を挙げた。
小林 拓未(こばやし たくみ、男性、1988年9月6日 -)… 小林 拓未(こばやし たくみ、男性、1988年9月6日 -)は、地方競馬の東京都騎手会(2018年9月18日 - )に所属していた元騎手。 地方競馬教養センター長期騎手課程第83期生。大井競馬の鈴木啓之調教師・元騎手は叔父にあたる。 2006年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、竹山隆厩舎からデビュー。同年4月9日大井競馬第6競走3歳条件戦2番人気ジャックポットで初騎乗(12頭立て6着)。同年11月9日大井競馬第1競走C3一組二組条件戦を1番人気ベルモントソニックで優勝し、デビュー56戦目で初勝利。同年12月6日付けで竹山隆厩舎から柏木一夫厩舎へ所属変更。 2008年12月25日大井競馬第1競走ポインセチア賞(2歳20万円以上34万円未満)で11番人気のスカイタイガーに騎乗し1着となり、当時地方競馬最高配当額となる3連単1523万6020円という馬券を演出した。
大野 拓弥(おおの たくや、1986年9月8日 - )は、日… 大野 拓弥(おおの たくや、1986年9月8日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属する騎手。 小学校6年生のときに乗馬クラブに行き、乗馬を始めたことがきっかけで騎手を目指す。 2002年、21期生として競馬学校に入学。同期には小島太一、鮫島良太、塚田祥雄、中村将之らがいる。目標とする騎手は横山典弘騎手。また、騎手のなかでは、比較的珍しい左利きである。ペンも箸も左手で持つ。 2005年に杉浦宏昭厩舎所属でデビュー。初騎乗は3月5日、中京第1競走でナンヨージルバに騎乗したが、スタート直後に落馬し競走中止。3月13日に中山第4競走のフレンチクルーラーで初勝利。この年は11勝を挙げ、民放競馬記者クラブ賞を受賞した。
田中 博康(たなか ひろやす、1985年12月5日 - )は… 田中 博康(たなか ひろやす、1985年12月5日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンターに所属する調教師、元騎手。埼玉県新座市出身。新座市立第五中学校卒業。愛称は「タナパク」。 偶然テレビでアグネスフライトが勝った2000年の日本ダービーを見て騎手を志す。中学3年のころから乗馬を始め、卒業を前に競馬学校受験を志望するも願書の受付が間に合わなかったことから、高校に通いながら受験勉強を行うこととなった。高校1年(21期生の入学試験)のときには不合格だったが、翌年2度目の試験で合格し、22期生として競馬学校に入学した。同期には北村友一、千葉直人、的場勇人らがいる。 2006年、美浦トレーニングセンターの高橋祥泰厩舎所属騎手としてデビュー。
橋本 直哉(はしもと なおや、1981年1月30日 - )は… 橋本 直哉(はしもと なおや、1981年1月30日 - )は、地方競馬・浦和競馬場に所属していた元騎手である。得意戦法は追い込み。地方競馬教養センター長期騎手課程第69期生。 1999年4月19日、浦和競馬第5競走(ジェネラルクイン号)にてデビュー。 1999年4月20日、浦和競馬第1競走(サクシード号)にて初勝利を挙げる。 2000年3月16日、南関東競馬新人王を受賞。 2003年8月1日、浦和競馬第5競走(ティファニーレディ号)にて1000回騎乗を達成。 2007年5月29日、浦和競馬第4競走(シャドウフィクサー号)にて地方競馬通算100勝達成。 2010年7月1日、小林真治厩舎から小久保智厩舎に所属が変更された。
稲垣 幸雄(いながき ゆきお、1977年12月25日 - )… 稲垣 幸雄(いながき ゆきお、1977年12月25日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターの調教師。埼玉県戸田市出身。 中学生の時にオグリキャップ、トウカイテイオーのレースを見て競馬に興味を持ち始める。川越東高等学校卒業後、日本獣医畜産大学へ進学。馬術部に所属した。 大学卒業後ノーザンファームに就職し2年間働いた後、2003年4月にJRA競馬学校厩務員課程に入学する。阿部新生厩舎で厩務員、調教厩務員を務め、2003年10月に萩原清厩舎に移籍し、2007年7月から調教助手に転向した。 2018年に8度目の挑戦でJRA調教師免許試験に合格し、翌2019年から美浦トレセンに厩舎を開業した。
岩戸 孝樹(いわと たかき、1966年7月23日 - )は、… 岩戸 孝樹(いわと たかき、1966年7月23日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 美浦トレーニングセンターに所属している調教師で、元騎手。 1985年3月美浦・山崎彰義厩舎所属の騎手としてデビュー。競馬学校を卒業した最初の世代(第1期生)であり、同期には柴田善臣、石橋守などがいる。 途中フリー転向を一度挟み、デビュー当初所属した山崎厩舎の他、鈴木伸尋厩舎にも籍を置いたが、現役生活16年間で重賞勝利や表彰等の特筆すべき実績は無く、2000年2月調教師免許の取得に伴い現役を引退。騎手成績は中央通算1909戦83勝、地方通算31戦1勝であった。 その後、技術調教師研修などを経て2002年3月、定年解散となった山崎彰義厩舎を引き継ぐ形で厩舎を開業。
土屋 薫(つちや かおる、Kaoru Tsuchiya Ha… 土屋 薫(つちや かおる、Kaoru Tsuchiya Hawley、1958年1月20日 - )は、地方競馬の浦和競馬場、大井競馬場所属、そしてアメリカ合衆国ケンタッキー州の元騎手である。 埼玉県出身、血液型はAB型。地方競馬教養センター短期騎手課程生。所属厩舎だった土屋登元調教師は実父、同じ浦和競馬場に所属していた土屋千賀子元調教師は姉。配偶者は、カナダスポーツ殿堂博物館、アメリカ競馬名誉の殿堂博物館、カナダ競馬名誉の殿堂にて殿堂入りをした騎手のサンディー・ホーリー。 勝負服の柄は胴白・左青たすき、袖赤。 浦和市立南高等学校(現・さいたま市立浦和南高等学校)卒業後に地方競馬教養センターに入所。
斎藤 仁作(さいとう にさく、1953年10月26日 - 1… 斎藤 仁作(さいとう にさく、1953年10月26日 - 1987年4月26日)は日本中央競馬会の騎手。山形県出身。埼玉県立与野高等学校卒業。古賀一隆厩舎に所属していた。 1978年に騎手デビュー。同期には安藤賢一現調教助手や嘉堂信雄現調教助手、田原成貴元騎手、昆貢現調教師らがいる。 平地競走初騎乗は1978年4月16日、中山競馬第5競走のカワイオーザで、15頭立ての2着。 障害競走初勝利は1978年9月10日の東京競馬第3競走のバロンスポートで挙げた。 1987年4月26日の東京競馬場での障害未勝利戦でグリーンイールに騎乗してのレース中、障害飛越の際に落馬し、東京都立府中病院に収容されるも、脳挫傷、肋骨骨折、右肺血胸のため、その日のうちに死去。
田中 由子(たなか よしこ、1946年10月3日 - )は、… 田中 由子(たなか よしこ、1946年10月3日 - )は、日本の実業家、馬主。株式会社メガネスーパー創業者である田中八郎の妻で、代表取締役社長を務めた。埼玉県出身。 1946年、埼玉県出身。埼玉県立大宮高等学校卒業。1979年に有限会社セントラル商事、有限会社三栄商事の取締役、1980年に株式会社セントラル商事取締役に就任。1987年5月、旧株式会社メガネスーパー常務取締役、1994年5月には同社代表取締役社長に就任。2000年1月にセントラル商事が旧メガネスーパーおよび三栄商事を吸収合併し株式会社メガネスーパーに商号変更、田中は同社代表取締役社長に就任。2009年7月24日を以て代表取締役社長を退き取締役となったが、翌2010年7月23日付で取締役からも退任した。
出川 己代造(でがわ みよぞう、1917年9月27日 - 2… 出川 己代造(でがわ みよぞう、1917年9月27日 - 2000年5月28日)は、日本レース・倶楽部所属の元騎手、船橋競馬場所属の調教師・元騎手である。戦前は現在の中央競馬の前身のひとつである日本レース・倶楽部で騎手となり、戦後は地方競馬の船橋競馬場で調教師として長年に渡って活躍した。長男の出川龍一・次男出川博史・三男出川克己も船橋競馬場で調教師を開業している。 埼玉県本庄市出身。父が地方競馬のスターターをしていた関係で、1932年に林義和一門・川崎敬次郎の元へ騎手見習いとして入門する。同厩舎には兄弟子にのちにカブラヤオーを管理した茂木為二郎、弟弟子では森末ノ助、谷八郎らがいた。 第二次世界大戦中は召集を受け、戦後は5年間にわたるシベリア抑留を経験している。