石井 正忠(いしい まさただ、1967年2月1日 - )は、… 石井 正忠(いしい まさただ、1967年2月1日 - )は、千葉県市原市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF、DF。 千葉県立市原緑高等学校から、一般入試で順天堂大学に進む。当時は「高校の教員になる」つもりだったが、本人曰く「教員採用試験の願書受付期間を勘違い」してしまい試験を受験できなくなってしまう。ところが、蹴球部の監督から「実はNTT関東から誘いが来ている」ことを聞かされ、1989年に当時日本サッカーリーグ2部所属だったNTT関東(現 大宮アルディージャ )へ入団。1年目から出場機会を得た。 1991年、既にプロ化に向けて動き始めていた住友金属工業へ移籍。鹿島アントラーズの創設メンバーとなり、鹿島の主力として1993年のサントリーシリーズ制覇などに貢献した。
簔口 祐介(みのぐち ゆうすけ、1965年8月23日 - )… 簔口 祐介(みのぐち ゆうすけ、1965年8月23日 - )は、千葉県出身の元日本代表のサッカー選手。ポジションはFW。 現役引退後、現在は北海道栄高校サッカー部の監督を務めている。
大野 俊三(おおの しゅんぞう、1965年3月29日 - )… 大野 俊三(おおの しゅんぞう、1965年3月29日 - )は、千葉県船橋市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 習志野高校出身で、同級生に藤川久孝がいる。卒業後に住友金属工業に入社し住友金属工業蹴球団に入部。1992年に同クラブが鹿島アントラーズとなると共にプロ契約を結んだ。鹿島では、奥野僚右や杉山誠とコンビを組み、ヘディングや1on1に強く、パワフルで粘り強いマンマークとロングスローでディフェンダー(センターバック)として活躍し、チームの黄金期を支えた。1993年、Jリーグ1stステージで大きく成長、守備面でチームの優勝に大きく貢献、日本代表にも選出され、国際Aマッチの出場こそ無かったものの、同年10月28日のドーハの悲劇もメンバーの一人として経験している。
藤川 久孝(ふじかわ ひさたか、1964年5月1日 - )は… 藤川 久孝(ふじかわ ひさたか、1964年5月1日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF、DF。 習志野高校出身で、大野俊三は同級生である。 ヘディングが強く、また読みの良さと当たりの強さをいかしたプレー で、守備的ミッドフィールダー、センターバック、スイーパーをこなせるため、リーグ創成期の市原や名古屋で活躍した。 現在は愛知東邦大学サッカー部監督を務め、その傍ら中日スポーツ紙上での評論活動やスカパー!のサッカー中継の解説も行なっている。
宮澤 ミシェル(みやざわ ミシェル、1963年7月14日 -… 宮澤 ミシェル(みやざわ ミシェル、1963年7月14日 - )は、日本の元サッカー選手、サッカー解説者・指導者。現役時代のポジションはディフェンダー。千葉県出身。国士舘大学卒。家族は妻と2男1女。長男はサッカー選手・宮澤勇樹。長女はモデル、タレント(元乃木坂46)の宮澤成良。 1963年にフランス人の父親と日本人の母親の元に生まれ、千葉県千葉市で育ち、小学校からサッカーをはじめる。1979年に千葉県立市原緑高校に入学し、本田裕一郎監督のもとでプレー。速いサッカーを目指す本田監督はテクニックのある宮澤をセンターフォワードで起用した。また、1981年にびわ湖国体で、国体史上初の外国籍選手として出場した。
小野 剛(おの たけし、1962年8月17日 - )は、千葉… 小野 剛(おの たけし、1962年8月17日 - )は、千葉県出身のサッカー指導者。 千葉県立船橋高等学校、筑波大学体育専門学群卒業。大学の2年先輩に松田浩、1年先輩に風間八宏・鈴木淳・望月一頼がいる。筑波大学蹴球部4年間をCかDチーム(3ないし4軍)で過ごし、大学4年時には蹴球部副キャプテンを務めた。 1988年、筑波大大学院体育研究科修士課程修了、1990年まで筑波大助手兼サッカー部コーチを務めた。1990年から1996年まで成城大学法学部専任講師を務め、その間成城大サッカー部コーチや東京都学生選抜および関東大学選抜コーチなどを経験した。1994年から1年間、リバプール・ジョン・ムーア大学客員研究員を経験している。
佐々木 雅尚(ささき まさなお、1962年6月19日 - )… 佐々木 雅尚(ささき まさなお、1962年6月19日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 元々はFWとしてプレーし、本田技研工業時代は関塚隆とコンビを組んでいたが、1988年に日本代表監督に就任した横山兼三によってウイングバックへとコンバート。1989年のワールドカップ・イタリア大会予選を始め国際Aマッチ20試合に出場すると所属クラブでもウイングバックやサイドバックのポジションで活躍。引退後は保善高校サッカー部で監督を務めた。
布 啓一郎(ぬの けいいちろう、1960年12月21日-)は… 布 啓一郎(ぬの けいいちろう、1960年12月21日-)は、千葉県習志野市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 体育教師志望で日本体育大学に一般入試で受験し合格した。所属したサッカー部では三軍からレギュラーを勝ち取り全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)でも優勝している。 日体大卒業後、1984年に船橋市立船橋高等学校に赴任し、サッカー部監督に就任。これ以降、1987年、88年の高校総体連覇をはじめ、高校選手権4回の優勝などの成績を残した。2000年に日本サッカー協会公認のS級ライセンスを取得した。 2003年、船橋市立船橋高校を退職し、U-16日本代表監督に就任したが、日本で開催されたAFC U-17選手権2004は1次リーグで敗退し、2005 FIFA U-17世界選手権出場は成らなかった。
砂金 伸(いさご しん、1960年11月29日 - )は日本… 砂金 伸(いさご しん、1960年11月29日 - )は日本のサッカー指導者。
関塚 隆(せきづか たかし、1960年10月26日 - )は… 関塚 隆(せきづか たかし、1960年10月26日 - )は、千葉県船橋市出身の元サッカー選手、指導者。JFA 公認S級コーチ。現役時代のポジションはフォワード。 千葉県立八千代高等学校から1年の浪人期間を経て一般入試で早稲田大学教育学部に進学。当時の早大蹴球部には3学年先輩に原博実がおり、また吉田靖、城福浩らともチームメイトだった。卒業後、日本サッカーリーグ1部に昇格したばかりの本田技研工業(現Honda FC)に進み、チーム隆盛の礎を築いた。自身は1年目の1984年に得点ランキング2位(11得点)となり、新人王とベストイレブンのタイトルを獲得している。翌1985年も10得点の活躍でチーム初のリーグ3位に導いた。
宗像 マルコス 望(むなかた マルコス のぞみ、1959年2… 宗像 マルコス 望(むなかた マルコス のぞみ、1959年2月3日 - )はブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現渋谷幕張高校サッカー部監督。 両親は広島からブラジルに渡った移民の日系2世。13歳でサンパウロFCの下部組織に入団するが、サンパウロ大学への合格を機にプロサッカー選手への道を諦め、学業の傍らアマチュアとして日系人リーグ(AUSP)のモシダージでプレイしていた。サンパウロ大学2年時に小城得達に誘われ日本サッカーリーグ(JSL1部)所属の東洋工業(のちのマツダSC、現・サンフレッチェ広島)に入団するが、日本のサッカーに全く適応できず、活躍できないまま東洋工業を去る。
松崎 康弘(まつざき やすひろ、1954年1月20日 - )… 松崎 康弘(まつざき やすひろ、1954年1月20日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー審判員。現日本サッカー協会常務理事。
上田 栄治(うえだ えいじ、1953年12月22日 - )は… 上田 栄治(うえだ えいじ、1953年12月22日 - )は、千葉県館山市出身の元サッカー選手(FW)、サッカー指導者(JFA 公認S級コーチ)。現在は日本サッカー協会特任理事、女子委員長を務めている。 薬園台高校から1972年に青山学院大学へ進学し、4年次の1975年には日本学生選抜に選出されて、ソウルで行われた日韓定期戦に出場。卒業後の1976年にフジタ工業へ入部するが、卒業前にも日本学生選抜メンバーとして世界大学サッカー大会(ウルグアイ)に出場。入部後はFWとしてプレーし、JSL通算88試合20得点を記録するなど、3度のJSL1部優勝(1977年, 1979年, 1981年)と2度の天皇杯制覇(1977年, 1979年)に貢献。
木之本 興三(きのもと こうぞう、1949年1月8日 - 2… 木之本 興三(きのもと こうぞう、1949年1月8日 - 2017年1月15日)は千葉県出身の元サッカー選手。
田辺 暁男(たなべ あきお、1947年4月20日 - )は、… 田辺 暁男(たなべ あきお、1947年4月20日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW、MF。 習志野市立習志野高等学校、早稲田大学を卒業後、1970年にJSLの古河電気工業サッカー部に入部。シュート力を持ち味に、早稲田大学在学中は日本代表にも選出される。キープ力も兼ね備えた4年目、当時全盛期を迎えていた釜本邦茂と並び、1973年の日本リーグアシスト王に輝く。翌年からは主将としてもチームを引っ張った。30歳を迎えた1977年限りで引退。
安藤 正俊(あんどう まさとし、1946年2月14日 - 2… 安藤 正俊(あんどう まさとし、1946年2月14日 - 2008年8月20日)は、日本の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 千葉県出身。長生高、立教大学を経て、日本サッカーリーグの藤和不動産サッカー部/フジタ工業クラブサッカー部(湘南ベルマーレの前身)でプレーした。 立教大学で同世代の釜本邦茂、細谷一郎らが率いた早稲田大学ア式蹴球部と対峙した後、新興チームの藤和不動産サッカー部に入団(日立製作所本社サッカー部への入団が決まっていたが、留年で反故にしたという逸話もある)。主将としてHB(ハーフバック、現在のボランチ)の位置からゲームをコントロールし、チームを栃木県リーグから日本サッカーリーグに押し上げる原動力となった。
大仁 邦彌(だいに くにや、1944年10月12日 - )は… 大仁 邦彌(だいに くにや、1944年10月12日 - )は、兵庫県神戸市出身 の元サッカー選手(DF)・サッカー指導者、サッカー解説者。 日本サッカー協会第13代会長、現・名誉会長。 3人兄弟の末っ子として生まれ、神戸市立本山中学校2年時にサッカーを始める。神戸高校卒業後は1年の浪人を経て、1964年に慶應義塾大学文学部に入学。 慶應大には2年留年のため6年間在籍し、関東大学リーグでは6年連続全試合出場。大学時代は4-2-4の中盤の選手としてプレーし、1969年度の全日本大学選手権大会では大仁のゴールにより立教大学との決勝戦を1-0で制し優勝を決め、日本学生選抜では主将を務めた。 卒業後は1970年に三菱重工へ入部。
高橋 茂(たかはし しげる、生没年不明)は、日本の元サッカー… 高橋 茂(たかはし しげる、生没年不明)は、日本の元サッカー選手。元サッカー日本代表。現役時代のポジションはフォワード。 旧制佐倉中学(現在の千葉県立佐倉高等学校)卒業。早稲田大学に在籍していた1927年8月、上海で開催された第8回極東選手権競技大会のサッカー日本代表メンバーに選出された。この大会で27日に初戦、中華民国代表との試合にフル出場したが、1-5で負けた。29日のフィリピン代表との試合にも出場し、2-1で勝利した。この勝利は日本代表にとって初めての国際Aマッチでの勝利だった。
西原 紗稀 は、千葉県松戸市出身の女子サッカー選手。タイ女子… 西原 紗稀 は、千葉県松戸市出身の女子サッカー選手。タイ女子リーグのBGC-CAS所属。ポジションはディフェンダー。淑徳大学卒。夫はサッカー選手の西原拓夢。旧姓は「上野」。
南山 千明 は、千葉県市川市出身の元女子サッカー選手。サッカ… 南山 千明 は、千葉県市川市出身の元女子サッカー選手。サッカー指導者。元サッカー日本女子代表。現役時のポジションはミッドフィールダー。