伊奈川 愛菓 は、日本将棋連盟所属の女流棋士、医師。女流棋士… 伊奈川 愛菓 は、日本将棋連盟所属の女流棋士、医師。女流棋士番号は36(2011年3月31日までの旧番号は旧60)。所司和晴七段門下。千葉県木更津市出身。東京都内の私立大学医学部卒業。
千葉県:17人
伊奈川 愛菓 は、日本将棋連盟所属の女流棋士、医師。女流棋士… 伊奈川 愛菓 は、日本将棋連盟所属の女流棋士、医師。女流棋士番号は36(2011年3月31日までの旧番号は旧60)。所司和晴七段門下。千葉県木更津市出身。東京都内の私立大学医学部卒業。
鈴木 環那 は、日本将棋連盟所属の女流棋士。原田泰夫九段門下… 鈴木 環那 は、日本将棋連盟所属の女流棋士。原田泰夫九段門下。女流棋士番号は29(2011年3月31日までの旧番号は旧53)。千葉県富津市出身。島朗九段は継父(実母の再婚相手、後述)。
小高 佐季子(おだか さきこ、2002年6月4日- )は、日… 小高 佐季子(おだか さきこ、2002年6月4日- )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。女流棋士番号は61 。千葉県佐倉市出身。田丸昇九段門下。千葉英和高等学校卒業。 千葉県八千代市で生まれ、3歳の時に佐倉市に引っ越した。佐倉市で将棋塾を経営している父の影響を受け5歳で将棋を覚え、小学生になった頃から本格的に始めた。2014年に小学校5年生で女子としては初めて「小学生将棋名人戦千葉県予選」で優勝するなど徐々に頭角を現し、翌2015年3月に関東研修会にD1で入会。 その後、2016年4月第6期女流王座戦アマ東日本予選大会を勝ち抜き一斉予選出場。翌2017年の第10期マイナビ女子オープンチャレンジマッチでも出場者決定トーナメントを勝ち抜き一斉予選に進出するなどして、アマチュアとして実力をつけていった。
礒谷 真帆(いそたに まほ、2002年3月22日 - )は、… 礒谷 真帆(いそたに まほ、2002年3月22日 - )は、日本女子プロ将棋協会(LPSA)所属の女流棋士。LPSA番号は21。千葉県習志野市出身。所司和晴七段門下。千葉県立幕張総合高等学校卒業。早稲田大学人間科学部卒業。LPSA所属の大庭美夏は母、大庭美樹は叔母。 小学1年生の時に親からルールを教わり将棋を始める。 2014年に第6回中学生女子名人戦と第7回女子アマ王位戦で優勝。 2016年に第48回女流アマ名人戦で優勝。 2017年には日本女子プロ将棋協会(LPSA)の女性育成プロジェクト「GSPチャレンジ」(女子勉強会)に積極的に参加して実力を着実に伸ばす。 2018年、第22回全国高等学校将棋女子選抜大会で優勝。
高橋 佑二郎(たかはし ゆうじろう、1999年7月9日 - … 高橋 佑二郎(たかはし ゆうじろう、1999年7月9日 - )は日本の将棋棋士。加瀬純一七段門下。棋士番号は342。千葉県船橋市出身。船橋市立三咲小学校、船橋市立御滝中学校卒業。 5歳の頃、父と兄が将棋を指す姿を見て、自然と将棋を始めた。その後、近くの将棋教室に通った。父が特に熱心で、遠方の第36回天童桜まつり子供将棋大会に小学1年生で参加し低学年の部で2位となるなど、週に1回、最低でも2週間に1回は、週末に将棋の大会に参加していた。 2009年、自身と弟と初心者の友人の3人で文部科学大臣杯小学校将棋団体戦に参加。2009年は予選敗退、翌10年は東日本大会進出、翌11年に決勝大会に進出し3位となった。
佐藤 和俊(さとう かずとし、1978年6月12日 - )は… 佐藤 和俊(さとう かずとし、1978年6月12日 - )は将棋棋士。棋士番号は250。加瀬純一七段門下。千葉県松戸市出身。 最初に将棋を指したのは幼稚園の頃。小4で本格的に将棋を始め、当時住んでいた松戸市の隣の柏将棋センターに通い始めた。小6で奨励会入会。2003年、年齢制限まであと1年の25歳で四段昇段。 2007年度に公式戦13連勝を記録(2007/6/7-2007/9/3、佐々木慎と並んでトップ)。これにより、将棋大賞での初受賞となる連勝賞を受賞。同年度、第1回朝日杯将棋オープン戦で藤井猛元竜王らを破り、ベスト8入り(準々決勝で羽生善治朝日選手権者に敗れる)。 2008年度、第2回朝日杯将棋オープン戦では、屋敷伸之元棋聖、森内俊之十八世名人資格者、丸山忠久元名人らを破り、ベスト4入り(準決勝で阿久津主税に敗れる)。
桑原 陽子(くわばら ようこ、(旧姓、祷、いのり)1974年… 桑原 陽子(くわばら ようこ、(旧姓、祷、いのり)1974年6月14日 - )は、日本棋院所属の囲碁の女流棋士。千葉県市川市出身。小林光一門下。 1979年、アマチュア4段の父に日本棋院の教室や東京八重洲のジュニア・ゴ・スクールや、津田沼や市川の碁会所に連れて行かれ碁を覚える。同じく棋院や碁会所に通った姉の真理子は、1991年全日本女子学生囲碁選手権や2006年全日本女流アマ囲碁選手権大会で優勝するなどのアマチュア強豪。この頃、子供教室にて梅沢由香里と知遇を得る。1983年、少年少女囲碁大会小学生の部で7位。1985年、全日本女流アマチュア囲碁選手権大会で敢闘賞。同年、小林光一のアドバイスもあり日本棋院院生になる。
木村 一基(きむら かずき、1973年6月23日 - )は、… 木村 一基(きむら かずき、1973年6月23日 - )は、将棋棋士。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は222。千葉県四街道市出身。亜細亜大学経営学部卒業。 幼稚園のころ、近所に住む友人から将棋の駒の動かし方を教わる。両親も将棋のルールは知っているが、父は多忙で指した記憶がなく、最初は母が事典でルールを覚えて指してくれていたという。 小学校のころ、将棋教室の席主に佐瀬勇次八段(当時)を紹介され、そのまま入門した。佐瀬の最後の弟子である。 小学6年の1985年の春、第10回小学生将棋名人戦でベスト8。この大会では野月浩貴が優勝、行方尚史が3位であった。 同年12月、6級で奨励会に入会。二段(1988年10月)までは順調に昇級・昇段する。
真田 圭一(さなだ けいいち、1972年10月6日 - )は… 真田 圭一(さなだ けいいち、1972年10月6日 - )は、将棋棋士。棋士番号は202。千葉県八千代市出身。松田茂役九段門下。 竜王・名人(王位・棋聖・棋王・王将/六冠) 藤井聡太(永世竜王・永世王位・永世棋聖) 叡王・王座(二冠) 伊藤匠 十七世名人 谷川浩司 九段 羽生善治(永世竜王・十九世名人・永世王位・名誉王座・永世棋王・永世王将・永世棋聖) 九段 佐藤康光(永世棋聖) 九段 森内俊之(十八世名人) 九段 渡辺明(永世竜王・永世棋王) 七段 藤原直哉 ( 2026年4月22日引退 ) 八段 小倉久史 ( 2026年4月30日引退 ) 九段 脇謙二 ( 2026年5月1日引退 ) 八段 所司和晴 ( 2026年5月13日引退 ) 【2026年04月 四段昇段者】小窪碧、川村悠人、古井丈大(3名、第40期からの出場) 【2026年10月 四段昇段者】(2名、第40期からの出場) 2026年10月1日昇段者(2名):2027年04月1日昇段者(2-3名): (棋士番号の割り当てがない棋士 → 「template:日本将棋連盟引退棋士」参照)
丸山 忠久(まるやま ただひさ、1970年9月5日 - )は… 丸山 忠久(まるやま ただひさ、1970年9月5日 - )は、将棋棋士、九段。実力制11人目の名人。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号は194。千葉県木更津市出身。いわゆる「羽生世代」の一人。 1983年に奨励会の入会試験に挑戦するが不合格。同年12月に新たに発足した第1期研修会にB2クラスで入会。 1984年、第9回中学生名人戦で優勝するも、研修会ではB1クラスで足踏みしてしまい奨励会への編入とはならず(研修会Aクラス昇級で奨励会6級に編入可)、この年の奨励会入会試験を再び受験するがまたも不合格となる。翌1985年に研修会Aクラスに昇級したことで奨励会6級への編入を果たした。 1986年、志学館高等学校(現:志学館高等部)に入学。
達 正光(たち まさみつ、1965年4月18日 - 2007… 達 正光(たち まさみつ、1965年4月18日 - 2007年3月26日)は、将棋棋士。棋士番号165。千葉県出身。高柳敏夫名誉九段門下。 アマチュア時代は、第2回(1977年)小学生将棋名人戦優勝、第3回(1978年)中学生将棋名人戦優勝(当時は大阪在住)。 佐藤康光とは2回対戦して2勝0敗の成績であった。特に2回目は佐藤が名人であった1999年のことで、全日本プロ将棋トーナメントの準々決勝で対戦し勝利している。(準決勝で森内俊之に敗れる。) 2007年3月26日、心不全のため死去。41歳没。 最後の参加となった第65期順位戦では、自身はC級2組で3勝7敗・47人中38位で最初で最後の降級点を喫した。
加瀬 純一(かせ じゅんいち、1957年11月26日 - )… 加瀬 純一(かせ じゅんいち、1957年11月26日 - )は、将棋棋士。棋士番号156。千葉県八日市場市(現・匝瑳市)出身。松田茂役九段門下。 父の加瀬不知夫は、日本将棋連盟の柏支部長。 1982年のプロ入り以来、タイトル戦で本戦進出歴は無く、第50期王座戦(2001年度)の二次予選決勝進出が最高であった。一般棋戦では、オールスター勝ち抜き戦で1回(第6回・1983年度)、NHK杯で2回(第35回・1985年度及び第52回・2002年度)予選を通過して本戦入りを果たした。順位戦での勝ち越しは第52期・1993年度の1回(7勝3敗)のみで、第56期・1997年度で3個目の降級点を喫し、同棋戦への参加資格を失いフリークラスに降級。
関屋 喜代作(せきや きよさく、1933年12月15日 - … 関屋 喜代作(せきや きよさく、1933年12月15日 - 2015年12月5日)は、将棋棋士。1994年、引退。土居市太郎名誉名人門下。棋士番号は69。千葉県茂原市出身。 1955年、22歳でプロ入り。 初参加(1956年度)から8期目の第18期(1963年度)C級2組順位戦は、2勝10敗で初の降級点を喫する。ところが、次の第19期(1964年度)では一転して開幕7連勝をするなど、最終局を待たずして10勝1敗(最終成績は10勝2敗)の圧倒的な成績でC級1組への昇級を決める。なお、もう一人の昇級者は、同じく10勝2敗の米長邦雄(関屋の10歳下)であった。 第2回(1958年度)古豪新鋭戦で優勝。
佐瀬 勇次(させ ゆうじ、1919年3月17日 - 1994… 佐瀬 勇次(させ ゆうじ、1919年3月17日 - 1994年3月25日)は、将棋棋士。千葉県山武郡松尾町(後の山武市)出身。石井秀吉七段門下。1990年引退。棋士番号41。 戦前のアマ名人戦の県代表となる。1938年入門。軍隊生活を経験し、復帰後の1944年に四段となる。1946年より順位戦に参加。 1974年、日本将棋連盟専務理事。 現役生活44年間対局不休、無遅刻の記録を続けながら1990年3月に引退。生涯成績は458勝599敗。 1994年3月、尿毒症のため死去。享年75。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
金高 清吉(かねたか せいきち、1919年3月9日 - 19… 金高 清吉(かねたか せいきち、1919年3月9日 - 1960年2月16日)は、将棋棋士。贈八段。木村義雄十四世名人門下。千葉県天津小湊町(現・鴨川市)出身。 1946年、順位戦C級に参加し、成績上位のために六段へ跳び昇段。翌年にB級に昇段する。B級2組在籍のまま、1960年に逝去。 珍形、変形、手損等は気にしない棋風で、「悪力の金高」の異名があった。 海釣りが好きで、釣った魚のことをけなされると、闘志満々で戦ったという。 非常に酒が好きであり、清野静男、間宮純一との三人で「将棋界の三奇人」とよばれた。 将棋の現行規則においては、指し手に反則行為が生じた場合には反則を犯した対局者の即負けが規定されているが、かつては反則を定めた明文規定がなく、反則規定が設けられたのは昭和32年頃であった。
大和久 彪(おおわく たけし、1914年1月23日 - 19… 大和久 彪(おおわく たけし、1914年1月23日 - 1956年8月25日)は、将棋棋士。贈八段。石井秀吉七段門下。千葉県千葉市出身。 この項目は、将棋の棋士(女流棋士・アマチュアを含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:ボードゲーム/プロジェクト:人物伝)。
渡辺 東一(わたなべ とういち、1905年(明治38年)12… 渡辺 東一(わたなべ とういち、1905年(明治38年)12月25日 - 1985年(昭和60年)5月27日)は、将棋棋士。棋士番号4。名誉九段。日本将棋連盟会長。関根金次郎十三世名人門下。千葉県東葛飾郡関宿町(現・野田市)出身。日本将棋連盟の創設時(創設当時は東京将棋連盟)の参加棋士20人のうちの一人。 1918年、渡辺の親戚でもある関根金次郎に入門。1922年四段昇段。 1941年八段。順位戦に3期参加した後、1949年に引退。 1948年、日本将棋連盟会長に就任。在任中の1949年に名人戦の主催社が毎日新聞社から朝日新聞社に変更されるが、これは渡辺の北海道出張中に交渉を委任された加藤治郎副会長(後の名誉九段)がやったことで、渡辺の帰京後、委任の範囲を巡って渡辺と加藤の間で一悶着あったという。