森 泰斗(もり たいと、1981年(昭和56年)1月11日 … 森 泰斗(もり たいと、1981年(昭和56年)1月11日 - )は、地方競馬の船橋競馬場所属の調教師、元騎手。 1998年3月31日付で地方競馬騎手免許を取得し、足利競馬場佐藤和伸厩舎からデビュー。同年4月18日第2回宇都宮競馬1日目第3競走サラ系4歳11組一般戦ツルマイローレンスで初騎乗(9頭立て4番人気6着)。同年4月20日第2回宇都宮競馬3日目第6競走サラ系C4ニ一般戦をユウエーワースで優勝(9頭立て8番人気)し、初勝利。 1999年9月13日第14回全日本新人王争覇戦出場(12人中7位)。 2000年に一度騎手免許を返上し引退。その後同厩舎厩務員を経て騎手免許を再取得し2001年に再デビュー、2002年地方競馬通算100勝達成。
辻 哲英(つじ てつひで、1980年3月6日 - )は、日本… 辻 哲英(つじ てつひで、1980年3月6日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) ・美浦トレーニングセンターに所属している調教師。元調教助手、元厩務員。 千葉県佐倉市出身。千葉県立佐倉高等学校から北里大学獣医学部に進学し、獣医師資格を取得。 2007年7月にJRA競馬学校厩務員課程に入学する。2008年1月に美浦・加藤和宏厩舎で厩務員から4月には調教厩務員になるも6月に厩務員に戻ると、7月には美浦・池上昌弘厩舎へ移籍し調教厩務員となる。10月には調教助手となる。2012年4月に美浦・大和田成厩舎へ移り調教助手となり、2013年7月に美浦・戸田博文厩舎に調教助手として移籍。2019年12月に2回目の受験で新規調教師免許試験に合格。
栗田 徹(くりた とおる、旧姓:佐藤、1978年〈昭和53年… 栗田 徹(くりた とおる、旧姓:佐藤、1978年〈昭和53年〉3月16日 - )は、日本中央競馬会(JRA)・美浦トレーニングセンターに所属する調教師である。 1978年3月16日、千葉県に生まれる。市立船橋高校、日本獣医畜産大学を卒業後、ノーザンファームに就職。2002年10月に競馬学校の厩務員課程に入学。2003年4月に萩原清厩舎の厩務員となり、5月には義父の栗田博憲厩舎で調教助手となる。 2011年3月に独立し、美浦トレーニングセンターで厩舎を開業。3月20日の阪神競馬場1R・3歳未勝利戦のヒダカアルテミスで初出走(10着)。4月9日の小倉競馬場7R・4歳500万下のジュモーで初勝利を飾った。
前川 恭子(まえかわ きょうこ、旧姓:田場、1977年4月9… 前川 恭子(まえかわ きょうこ、旧姓:田場、1977年4月9日 - )は、日本中央競馬会(JRA)に所属している調教師。JRA史上初の女性調教師。夫は角居勝彦厩舎でオークス馬トールポピーや友道康夫厩舎でダービー馬ドウデュースを担当した調教助手の前川和也。1児の母。 千葉県印旛郡富里町(現・富里市)出身。実家近くには牧場が多く、馬に囲まれた環境で育ち、11歳から乗馬を始める。筑波大学(生物資源学類)に進学し、馬術部に所属する。部費を稼ぐため、茨城県美浦村の乗馬苑でアルバイトをしていた際、トレセンで競走馬に携わる仕事があることを知る。北海道浦河町のビクトリーホースランチやアイルランドでの研修で腕を磨き、調教師になるため2003年7月JRA競馬学校の厩務員課程を経て2003年10月から厩務員として﨑山博樹厩舎でトレセン生活をスタートさせた。
小林 智(こばやし さとし、1974年7月20日 - )はフ… 小林 智(こばやし さとし、1974年7月20日 - )はフランスギャロ・シャンティイ調教場の調教師。千葉県船橋市出身。既婚者で妻はフランス語教室が縁で、現地で日本語を教わっていたフランス人で、2007年入籍。 父・菊男、母・凉子の下、2つ上の兄と共に育てられた。新聞社勤務だった父が競馬ファンであり、シャコーグレイドが2着になった皐月賞が競馬へのきっかけである。日本大学理工学部を卒業後、北海道のコアレススタッドで5年間牧場勤務し、日本中央競馬会の厩務員試験を3回受験するもすべて不合格だった。牧場ではオーストラリアやアイルランド、イギリス、フランスといった競馬の先進国に研修に行かせてもらっていたので、国際的で見識も広がると、試験を受けるのをやめて牧場に骨を埋める気持ちになっていた。
尾関 知人(おぜき ともひと、1971年12月17日 - )… 尾関 知人(おぜき ともひと、1971年12月17日 - )は、日本中央競馬会(美浦トレーニングセンター)所属の調教師。日本調教師会・第16代会長。 日本調教師会サイトでは「尾關 知人」と表記されている。 1971年12月17日、千葉県八千代市出身。 岩手大学農学部獣医学科卒業。1999年4月にJRA競馬学校厩務員課程に入学。同年10月に藤沢和雄厩舎に調教厩務員として所属し、1か月後の同年11月から2002年5月まで藤原辰雄厩舎に調教厩務員として所属。その後、調教助手として和田正道厩舎(2000年 - 2002年)、大久保洋吉厩舎(2002年-2008年)に所属した。 2008年に調教師試験に合格し、免許を取得。
堀 宣行(ほり のりゆき、1967年11月9日 - )は日本… 堀 宣行(ほり のりゆき、1967年11月9日 - )は日本中央競馬会(JRA)美浦トレーニングセンター所属の調教師である。 千葉県市川市出身。日本大学の商学部に通っている時に、実家から近かった中山競馬場で、誘導馬の世話をするアルバイトをしていた。大学卒業後は、電気設備工事や情報通信工事などを手がける「関電工」で、経理関係の仕事をしていたが、1991年に退職し競馬学校の厩務員課程に入る。競馬学校を卒業し諏訪富三厩舎で厩務員として、その後は二ノ宮敬宇厩舎で調教助手として経験を積み、2002年に調教師免許を取得。 2003年に厩舎を開業。同年3月15日、エレガントレガーロで初出走。初勝利は同年5月17日ミスタータダヒロで達成。
清水 英克(しみず ひでかつ、1965年9月24日 - )は… 清水 英克(しみず ひでかつ、1965年9月24日 - )は、日本中央競馬会・美浦トレーニングセンターに所属している調教師。 家の近くに中山競馬場があり、小学6年の時に乗馬を始める。初めての競馬観戦は1978年の日本ダービーで、サクラショウリの小島太に憧れて騎手を目指したが、体格が大きくなりすぎて厩務員に路線変更をした。 土田稔厩舎で厩務員と調教助手を務め、2005年2月に調教師試験に合格し、調教師免許を取得。 前田禎調教師の死去に伴い、旧前田厩舎の一部を引き継ぐ形で厩舎を開業。管理馬の初出走は2006年1月22日、中山競馬第8競走のマイネルグロッソ(12着)。 初勝利は同年の4月16日、中山競馬第1競走のブンブンブン(のべ32頭目の出走だった)。
田中 清隆(たなか きよたか、1951年12月16日 - )… 田中 清隆(たなか きよたか、1951年12月16日 - )は、千葉県銚子市出身の元騎手・元調教師。 調教師としての主な管理馬にシンコウウインディ、グルメフロンティア、レディパステル、ホエールキャプチャなどがいる。 舅は元騎手・調教師の今津福松。 銚子商業卒業後は銚子信用金庫に入社したが、小柄かつ敏捷であったことから、競馬好きの上司に騎手になることを勧められた。数々の厩舎へ入門願いの電話を掛けた末、中山・野平省三厩舎に入門を認められ、1971年から1974年まで候補生として4年間を過ごす。 1975年に騎手免許を取得し、師匠の野平省が前年に死去していたため、跡を継いでいた野平祐二厩舎からデビュー。
高松 邦男(たかまつ くにお、1948年2月26日 - 20… 高松 邦男(たかまつ くにお、1948年2月26日 - 2021年6月4日)は、千葉県市川市出身の元調教助手・元調教師。 高松は長男で、男一人であったため、両親に大事 に育てられた。父・三太は元騎手であり、テレビで晩年の騎乗は見ていた。スターロッチの優駿牝馬、ヒロキミの菊花賞などで、スターロッチとホマレボシで連覇した有馬記念などは家から近かった中山で直接観戦。市川市立若宮小学校では、6年生を卒業する時になっても三太より背が低かった。市川中学校を卒える時にも身長は150cm台で、東京・世田谷の馬事公苑騎手養成所を目指そうと考えた。三太は「いや、きっと、お前の手足を見れば、これから伸びる」と言ったため、高松は伸びなかったら「高1の三学期で中退」すればいいと思い、1963年に市川高校へ進んだ。
川島 正行(かわしま まさゆき、1947年9月27日 - 2… 川島 正行(かわしま まさゆき、1947年9月27日 - 2014年9月7日)は、船橋競馬場所属の調教師・元騎手。千葉県調教師会会長。 南関東公営競馬の調教師リーディングの常連としてその名を知られた。長男の川島正一も船橋競馬場の調教師、四男の川島正太郎は騎手、五男の川島光司は厩務員である。 千葉県山武郡松尾町(現・山武市)出身。実家が農家であったことから子供のころから農耕馬が身近におり、祭りの際には実際に乗るなど親しんでいた。近所の知人の紹介で、中学校卒業後に船橋競馬場の林正夫厩舎に入門。1964年10月に初騎乗すると、同年12月20日に初勝利を挙げた。船橋競馬場のリーディングジョッキーも一度獲得している。
笹倉 武久(ささくら たけひさ、1945年3月28日 - 2… 笹倉 武久(ささくら たけひさ、1945年3月28日 - 2021年9月22日)は、千葉県船橋市出身(東京都府中市生まれ)の元騎手・元調教助手・元調教師。 父は厩舎の厩務員で、小学校時代からの1つ後輩に西塚十勝の実子である安夫がいた。中学校も一緒で同じ柔道部であり、笹倉は最初は騎手になる気などなかった。大きくなりたい一心で柔道を始めたが、結局柔道をやっても背が伸びなかったため、騎手を志す。それまでは乗馬苑の馬を引っ張り出して隠れて乗ったりはしていたが、あくまでも自己流であったため、教わりながら馬に乗ったことはなかった。そこから「お金を稼げる」という意識もあり、馬事公苑騎手養成長期課程に入った。同期には高橋隆、清水出美、簗田善則、久保敏文、領家政蔵、鹿戸明、久保田秀次郎、大崎昭一、安田伊佐夫などがいた。
中野 隆良(なかの たかお、1940年11月17日 - )は… 中野 隆良(なかの たかお、1940年11月17日 - )は、千葉県市川市出身(兵庫県武庫郡鳴尾村 (現・西宮市)生まれ)の元調教助手・元調教師。父は元調教師の中野吉太郎。 父・吉太郎は青森県上北郡大深内村(現・十和田市)出身の騎手で、中野は最初の子供であった。後に妹、弟、妹と続き、四人兄弟の長男となる。バリアー式スタートの競馬場で天神乗りによってレースに出ていた吉太郎を、中野は記憶している。とはいえ、それは鳴尾競馬場で見た記憶ではなかった。中野が2歳であった1942年に、吉太郎は家族をあげて市川の中山競馬場のすぐ近くに引っ越した。中野の記憶の中に生まれた鳴尾の出来事は一切残らず、市川市立中山小学校で5年まで学んだ。
加藤 修甫(かとう しゅうほ、1935年11月9日 - 20… 加藤 修甫(かとう しゅうほ、1935年11月9日 - 2012年4月16日)は、日本中央競馬会(JRA)に所属した調教師。1990年東京優駿(日本ダービー)優勝馬アイネスフウジン、1998年天皇賞(秋)優勝馬オフサイドトラップ等を管理した。1990年度JRA賞最高勝率調教師。千葉県市川市出身。日本大学農獣医学部獣医学科卒業。 1935年、日本競馬会中山競馬場に所属する調教師・加藤朝治郎の長男として生まれる。幼少期から父と同じく調教師を志し、日本大学在学中に調教助手免許を取得。卒業後、学友であった成宮明光と共にアメリカの生産現場を視察した後、父の元で助手となった。 1971年に調教師免許を取得。
宮本 悳(みやもと いさお、1930年11月29日 - 19… 宮本 悳(みやもと いさお、1930年11月29日 - 1996年7月28日)は、日本中央競馬会に所属した騎手、調教師。 1951年に国営競馬(後の日本中央競馬会)で騎手デビューし、1963年にリュウフォーレルで天皇賞(秋)と有馬記念、1968年にタニノハローモアで東京優駿(日本ダービー)を制した。1971年より調教師となり、1996年に在職のまま死去。 1930年、千葉県館山町(後の館山市)に生まれる。父親が競馬好きであったことから騎手になることを勧められ、1948年に国営競馬の武輔彦厩舎(阪神競馬場)に騎手見習いとして入門。1951年に騎手となった。長らく騎乗機会に恵まれず不遇を託っていたが、1956年より所属した橋本正晴厩舎(京都競馬場)を懇意にしていた三好諦三に真面目な仕事ぶりを認められ、その所有馬の騎手に抜擢された。
野平 祐二(のひら ゆうじ、1928年3月20日 - 200… 野平 祐二(のひら ゆうじ、1928年3月20日 - 2001年8月6日)は、日本の騎手(日本競馬会、国営競馬、日本中央競馬会〈JRA〉 )、調教師(日本中央競馬会)。千葉県船橋市古作出身。騎手としても調教師としても成功し「ミスター競馬」と呼ばれた。父の野平省三は元騎手(日本競馬会)、元調教師(国営競馬、日本中央競馬会)。孫の二本柳壮は騎手(JRA)。2004年、騎手顕彰者に選出。 父の省三が騎手を引退したあと、下総御料牧場で働いていたときに生まれる。幼少のころから馬が身近にいる環境で育ち、小学校時代には馬に鞍をつけて乗るようになっていた。 尋常小学校を卒業後、旧制関東中学校(現・千葉敬愛高等学校)に進学するが、騎手を志して退学。