清野 公彦(きよの きみひこ、1973年4月23日 - )は… 清野 公彦(きよの きみひこ、1973年4月23日 - )は、神奈川県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。双子の弟・清野乙彦も元サッカー選手。 帝京高校では、1学年上には森下仁志、1学年下には松波正信、阿部敏之、丸山良明、小峯隆幸、時岡宏昌がいた。 1992年に、兄と共に創設されたばかりの日本プロサッカーリーグ・名古屋グランパスエイトに入団。フォワードとしてプレー、1993年まで在籍した。
福永 泰(ふくなが やすし、1973年3月6日 - )は、東… 福永 泰(ふくなが やすし、1973年3月6日 - )は、東京都町田市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。 桐蔭学園時代は林健太郎と同級生で、戸倉健一郎や長谷部茂利は1学年上、1学年下には栗原圭介と松川友明が在籍していた。李国秀監督の元、高校2年時には背番号8をつけ、全国高校サッカー選手権に出場。準々決勝で前橋商業にPK戦の末敗れたものの、5得点の活躍。 ドリブルとキープ力が持ち味で、FWからボランチまでこなすプレーヤーとして活躍。テスト生(トレーニー契約)として1995年に浦和レッドダイヤモンズに入団、ファーストステージ途中からデビュー。シーズン後半はFWとして、この年のレッズの躍進を支える原動力となり、浦和のエース福田正博とのコンビネーションは「フクフク・コンビ」と呼ばれた。
山岸 範之(やまぎし のりゆき、1972年9月22日 - )… 山岸 範之(やまぎし のりゆき、1972年9月22日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 日本大学卒業後の1995年にNTT関東サッカー部(現:大宮アルディージャ)に入団。古島清人らと正GKの座を争った。1999年、チームのJリーグ加盟に伴い退団。NTTの社員を務めつつ、横河電機サッカー部(現:東京武蔵野シティFC)に入団して2003年をもって現役を引退した。 現役引退後は母校の日本大学サッカー部などでコーチを務めていた。2006年、植木繁晴に引き抜かれ、ザスパ草津に加入。5年間GKコーチを務めたが、2010年に「さらに上を目指したい」と退団。
村田 達哉(むらた たつや、1972年8月8日 - )は、東… 村田 達哉(むらた たつや、1972年8月8日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(左サイドバック)。 読売ユース、ジュニオールを経て、ヴェルディ川崎に加入後、旧JFLの東芝(今のコンサドーレ札幌)へ移籍。札幌では左サイドバックや、3バック時は左のウイングバックでプレーした。 2000年からはベガルタ仙台へ加入するも、怪我に泣かされることが多く、2003年シーズン途中からは大宮アルディージャにレンタル移籍し、2004年限りで現役を引退。ベガルタ仙台のフロントを経て、2005年5月よりキエーボ・ヴェローナ(イタリア・セリエA)にてコーチ留学。 2008年2月25日、コンサドーレ札幌の強化部スカウト担当、翌2009年にはトップチームコーチ、2013年にはU-15コーチに就任する。
朝野 安之(あさの やすゆき、1972年8月3日 - )は、… 朝野 安之(あさの やすゆき、1972年8月3日 - )は、東京都杉並区出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションは、ゴールキーパー(GK)。 小学校4年生でサッカーを始めた。高校卒業後、2年間ブラジルへサッカー留学し、CAレンソエンセ(ポルトガル語版)、キンゼ・デ・ジャウー、スポルチ・レシフェのU-20でプレーした。ビザの関係で1993年に一旦帰国し、1994年に再びブラジルへ渡り、アメリカFC (リオグランデ・ド・ノルテ州)のトップチームに練習生として参加した。 1995年、パラグアイへ渡り、クラブ・ナシオナルの練習に参加。同年、さらにボリビアへ移り、ザ・ストロンゲストとプロ契約を結んだ。
奥原 崇(おくはら たかし、1972年7月31日 - )は、… 奥原 崇(おくはら たかし、1972年7月31日 - )は、東京都稲城市出身のサッカー指導者、元サッカー選手、フットサル選手。 堀越高校、中央大学を経て、1995年に東京ガスサッカー部(現 FC東京)に加入。高いテクニックと創造性のあふれるプレーでファンタジスタとして活躍し、FC東京の初代背番号10を背負った。スルーパスやボレーシュートに代表される攻撃センス溢れるプレーと、ポニーテールをなびかせた外見から「ロベルト・オク」、「東京のバッジョ」と呼ばれ愛された。 しかし、大学時代にファウルを受けた際に膝を負傷して以来、この怪我との戦いが続いた。髪型をバッジョに肖ったのも、バッジョが重傷からの復活を遂げた選手だからだった。
関 浩二(せき こうじ、1972年6月26日 - )は、東京… 関 浩二(せき こうじ、1972年6月26日 - )は、東京都青梅市出身のサッカー指導者、元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。 小学生の頃から読売サッカークラブ(現:東京ヴェルディ)の下部組織に所属。1990年にトップチームに入団(第2節より追加登録)したが、出場機会には恵まれず読売サッカークラブ・ジュニオールに登録変更し、JSL2部でプレーしていた。 1994年、ジャパンフットボールリーグ・東京ガスサッカー部(現 FC東京)に移籍。同部にとっては初の日本人選手とのプロ契約だった。関はアマラオと2トップを組み、負傷や累積による出場停止を除いてフル出場を続け得点を量産。攻撃の軸の一人としてサポーターからも絶大な支持を得ていた。
蓮見 知弘(はすみ ともひろ、1972年6月6日 - )は、… 蓮見 知弘(はすみ ともひろ、1972年6月6日 - )は、東京都保谷市(現西東京市)出身の元サッカー選手。現役時代のポジションは主にミッドフィールダー(MF)。 Jリーグのヴェルディ川崎やベガルタ仙台でプレーした後、2001年限りで現役を引退。 この項目は、サッカー選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:サッカー/PJサッカー選手/PJ女子サッカー)。
西村 雄一(にしむら ゆういち、1972年4月17日 - )… 西村 雄一(にしむら ゆういち、1972年4月17日 - )は、東京都出身のサッカー審判員。
澤村 公康(さわむら きみやす、1971年12月19日 - … 澤村 公康(さわむら きみやす、1971年12月19日 - )は、東京都出身のサッカー指導者。
篠原 統(しのはら おさむ、1971年10月26日 - )は… 篠原 統(しのはら おさむ、1971年10月26日 - )は、東京都八王子市出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはフォワード。 都立駒場高校を卒業後、日本サッカーリーグ2部の読売ジュニオールに加入。 1992年、読売ジュニオールが日本プロサッカーリーグのヴェルディ川崎のサテライトチームとして再編されたことに伴い、同クラブに加入。トップチームでの出場機会はなく、同シーズン限りで退団した。その後は、横河電機サッカー部(後の横河武蔵野FC、現東京武蔵野シティFC)や青梅FCでプレーした。 1995年から横河の選手兼スクールコーチとして活動を始め、1999年に同クラブのジュニアコーチに就任した。以来、横河の育成部門で10年近く指導に関わった後、2007年にNPO法人Sports Unityや、三鷹FAJrユースを立ち上げた。
申 在範(シン・チェボン、신재범、1971年9月27日 - … 申 在範(シン・チェボン、신재범、1971年9月27日 - )は、東京都出身の在日朝鮮人の元サッカー選手、サッカー指導者。日本サッカー協会公認A級ライセンス所持。 東京都足立区にて在日朝鮮人三世として生まれる。小学校から一貫して朝鮮学校で育ち、大学も朝鮮大学校に進んだが、半年ほどで退学してサッカー留学でブラジルに渡る。ブラジル時代には広島で開催されたユニバーシアードに出場する北朝鮮代表チームに招集されたが、直後に肝炎を患ったため大会には出場できなかった。 1992年4月、東日本JR古河サッカークラブ(同年よりジェフユナイテッド市原。現・ジェフユナイテッド千葉)の入団テストを受け、240名の志願者の中からただ1人合格する。
村井 一俊(むらい かずとし、1971年7月9日 - )は、… 村井 一俊(むらい かずとし、1971年7月9日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 東京都の正則学園高等学校から、日本サッカーリーグに所属する東邦チタニウムに入部。その後は指導者として、長く柏レイソルの若手育成に当たった。2012年、サンフレッチェ広島F.Cのジュニア監督に就任した。2015年1月15日、ロアッソ熊本のジュニアユース コーチに就任した。
岡島 清延(おかじま きよのぶ、1971年6月30日 - )… 岡島 清延(おかじま きよのぶ、1971年6月30日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィルダー(ボランチ)。 読売クラブの下部組織で育ち、1986年には日本ジュニアユース代表に選出された経験を持つ。中央大学へ進学。同期に長谷部茂利、1学年上に沢田謙太郎・宮澤浩、1学年下に渡辺毅・奥原崇などがいたチームで3年生時(1992年)に大学選手権優勝を果たした。4年生時(1993年)には主将を務め、この年コーチとして赴任してきた大熊清からはボランチとしての戦術理解力を高く買われていた。 1994年に大学を卒業し、複数のJリーグクラブから獲得の打診を受ける中で最も熱心だった浦和レッドダイヤモンズへ入団。
鈴木 健仁(すずき たけひと、1971年6月11日 - )は… 鈴木 健仁(すずき たけひと、1971年6月11日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはディフェンダー(DF)。 日本大学藤沢高等学校卒業後、日産自動車サッカー部のセカンドチームである日産ファームを経て、1998年まで横浜マリノスでプレー。1998年途中に京都パープルサンガに移籍。 2000年にガンバ大阪に移籍。2001年にヴィッセル神戸に移籍。2002年6月にベガルタ仙台に完全移籍。契約満了に伴い2003年7月をもって退団、引退。 2004年からはアルビレックス新潟でスカウトを担当。2014年12月、アビスパ福岡の統括部長に就任した。2019年末に退任。2020年、ジェフユナイテッド市原・千葉のテクニカルダイレクターに就任。
池田 太(いけだ ふとし、1970年10月4日 - )は、東… 池田 太(いけだ ふとし、1970年10月4日 - )は、東京都小金井市出身の元プロサッカー選手、現サッカー指導者。ポジションはDF。JFA 公認S級コーチ。
遠藤 雅大(えんどう まさひろ、本名・旧登録名:遠藤 昌浩〈… 遠藤 雅大(えんどう まさひろ、本名・旧登録名:遠藤 昌浩〈読み同じ〉、1970年8月15日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー解説者。元日本代表。 実子はサッカー選手の遠藤雅己。 松戸市立新松戸北中学校、帝京高等学校、順天堂大学を経て、1993年、当時旧JFLのヤマハ発動機(ジュビロ磐田)に入団。帝京高校サッカー部では岩本三郎、巻田清一は2学年上、飯島寿久、本田泰人、礒貝洋光、島根聡一、森山泰行は1学年上、同期に池田伸康、保坂信之、浅沼達也、2学年下に森下仁志がいる。 元々はフォワードとしてプレーしていたが、磐田が1994年にJリーグ昇格後、就任したハンス・オフト監督により左サイドバックにコンバートされる。
保坂 信之 (ほさか のぶゆき、1970年7月23日 - )… 保坂 信之 (ほさか のぶゆき、1970年7月23日 - ) は、埼玉県出身のサッカー指導者、元サッカー選手、元フットサル選手である。ポジションはミッドフィールダー。 埼玉県さいたま市(旧大宮市と旧浦和市のそれぞれを出身とする資料がある)出身。神奈川県厚木市の厚木ゴールプランダーズでサッカーを始め、第5回全日本少年サッカー大会出場。その後、北浦和サッカー少年団で少年時代を過ごし、浦和市立本太中学校へ進学。中学時代には関東選抜に選出される。 帝京高校では、2学年上に岩本三郎、巻田清一、1学年上に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、森山泰行、同期に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、浅沼達也、2学年下に森下仁志がいた。
池田 伸康(いけだ のぶやす、1970年5月18日 - )は… 池田 伸康(いけだ のぶやす、1970年5月18日 - )は、日本の元サッカー選手、現サッカー指導者である。埼玉県浦和市(現:さいたま市)出身。ポジションはミッドフィルダー(攻撃的MF、守備的MF)、フォワード(ウインガー)。 小学時代の1982年にFC浦和の一員として全日本少年サッカー大会に出場し3位入賞と優秀選手に選出された。中学時代は地元の浦和ルーテル学院へ通学しながら、クラブチームのロクFCでサッカーを学んだ。高校は強豪の帝京高等学校へ進学。帝京高等学校サッカー部では、2学年上に岩本三郎、巻田清一、1学年上に飯島寿久、本田泰人、礒貝洋光、島根聡一、森山泰行、同期に遠藤雅大(昌浩)、保坂信之、浅沼達也、2学年下に森下仁志がいる。
藤吉 信次(ふじよし しんじ、1970年4月3日 - )は、… 藤吉 信次(ふじよし しんじ、1970年4月3日 - )は、東京都町田市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはFW。 中学時代に読売ユースB(ジュニアユース)に所属すると、1989年にはトップチームに昇格。その後はヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ1969)に所属。読売、ヴェルディ時代を通じて持ち味のドリブルを生かしたスーパーサブとしての起用が多かったが、その明るいキャラクターやゴール後のパフォーマンスで高い知名度と人気を博した。 1996年シーズン途中から京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)、2000年からベガルタ仙台に所属するも2002年シーズン終了後にベガルタから戦力外通告を受ける。
吉田 謙(よしだ けん、1970年3月1日 - )は、東京都… 吉田 謙(よしだ けん、1970年3月1日 - )は、東京都国立市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー。 小学生時代は、国立SSSに所属し、「サッカーと共に生きる」 生活を送る。ダイヤモンドサッカーを録画して何回も見たり、サッカーマガジンとサッカーダイジェストを発売日に購入し、熟読していた。中学二年生になると、三浦知良が所属していたブラジルCAジュベントスに単身留学。「魔法のようなグラウンドや練習」は皆無で、基礎の徹底と積み上げの大切さを実感する。1987年10月号のサッカーマガジンでは、「178cmの長身を生かしたヘディングに威力を発揮するディフェンダーで、ロングスローも大きな武器」と吉田の読売ユース時代が紹介されている。
飯島 寿久(いいじま かずひさ、1970年1月6日 - )は… 飯島 寿久(いいじま かずひさ、1970年1月6日 - )は、東京都町田市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはDF(主に右サイドバック)。 帝京高等学校サッカー部では1学年上に巻田清一、岩本三郎、同期に礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、森山泰行、1学年下に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、保坂信之、浅沼達也がいた。 2009年5月にJFA 公認S級コーチライセンスを取得した。 現中部大学第一高等学校指導者。 2014年から愛知県長久手市でカフェ を夫人と経営している。 2021年から一般社団法人地域部活童振興会の運営するAsonlense郡上フットボールクラブの指導を開始している。
加藤 竜二(かとう りゅうじ、1969年12月24日 - )… 加藤 竜二(かとう りゅうじ、1969年12月24日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 東邦チタニウム、東京ガス、PJMでそれぞれ正GKとしてプレー。 1995年にJリーグ昇格元年の柏レイソルへ加入。昇格に貢献した土肥洋一からポジションを奪いレギュラーを掴んだ。同年シーズン終盤に土肥が再台頭して以後は第2GKとなったが、明るい性格でチームを盛り立てた。 1998年、コンサドーレ札幌へ移籍。1999年、シーズン終了を待たずチームから離脱し、ブラジルへ短期留学。帰国後2000年よりサンフレッチェ広島へ加入。2002年5月に広島を退団 して佐川急便東京へ移籍し、正GKとして活躍した。
野田 朱美(のだ あけみ、1969年10月13日 - )は、… 野田 朱美(のだ あけみ、1969年10月13日 - )は、東京都狛江市出身の元女子サッカー選手、解説者、サッカー指導者。 中学3年生だった1984年、当時日本最年少で日本女子選抜(後の日本女子代表)に選出された。 日本女子サッカーリーグ(JLSL→L・リーグ)では読売サッカークラブ女子・ベレーザの中心選手としてリーグの4連覇に貢献、1990年にはリーグMVP、得点王の個人タイトルも獲得した。1995年から2年間は宝塚バニーズSCでプレーした。 1995年6月7日、スウェーデンで開催されたFIFA女子ワールドカップ1次リーグの対ブラジル戦において2得点。女子W杯史上、日本の初得点および初勝利に貢献した。
小池 直文(こいけ なおふみ、1969年9月21日 - )は… 小池 直文(こいけ なおふみ、1969年9月21日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 三菱養和ユースから日産ファームを経て、横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)に入団。1993年に京都パープルサンガ(現:京都サンガF.C.に移籍。1995年より指導者に転身し、横浜FMのアカデミーで長らく指導、2024年時点はJリーグ育成部にて、JFAエリートユースAチューターとして活動している。
木島 敦(きじま あつし、1969年9月6日 - )は、埼玉… 木島 敦(きじま あつし、1969年9月6日 - )は、埼玉県出身の元サッカー選手で、現在はサッカー指導者・解説者である。ポジションはMF。 中学時代にU-16日本代表に選ばれ、帝京高校から東京農業大学を経て、東芝に入社。 東芝サッカー部がコンサドーレ札幌に変わると、出向選手として所属。1996年シーズンは14試合に出場し2得点9アシストとチーム1の得点生産率と活躍した。 シーズン終了後大分トリニティに移籍。 引退後は札幌に戻り、ベアフット北海道の監督に就任する一方、スカイパーフェクTV!などでのサッカー解説やサッカー教室の主宰として活動。 現在はベアフット北海道を辞め、サンクFCくりやまに所属した後、2009年からクラブフィールズ・ノルブリッツ北海道の監督に就任。
土屋 潤二(つちや じゅんじ、1969年8月18日 - )は… 土屋 潤二(つちや じゅんじ、1969年8月18日 - )は、東京都出身のメディカルトレーナー、サッカー指導者。一般社団法人 日本オランダ徒手療法協会代表理事、筑波大学客員研究員。 筑波大学卒業後、同大学大学院へ進学。体力トレーニングを専攻し修士課程を修了。当時、まだ日本サッカー界にはフィジカルコーチという専門家もおらず、サッカーのための体力トレーニングについてのノウハウは皆無であった。1993年、サッカーのプロリーグ『Jリーグ』がスタート。その前年、2012年より、西嶋尚彦教授らが発起人になり、数々のJクラブで活躍する「菅野淳氏(日本サッカー協会 フィジカルフィットネスプロジェクトリーダー)」や日本人初のフィジカルコーチとなる「川俣則幸氏(後に日本サッカー協会での日本のGK指導を牽引する一人となる)」、選手あがりでJクラブだけでなく海外での実績も積んでいく「池田誠剛氏」…らとともに『フィジカルコーチの勉強会』で明日の日本サッカーのフィジカルについてコンセプトを作りはじめる。
本田 泰人(ほんだ やすと、1969年6月25日 - )は、… 本田 泰人(ほんだ やすと、1969年6月25日 - )は、福岡県北九州市若松区出身の元サッカー選手。元日本代表。現在は、サッカー解説者や鹿島アントラーズのアドバイザーを務める。 帝京高等学校サッカー部では1学年上に岩本三郎、巻田清一、同期に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、森山泰行、1学年下には池田伸康、遠藤雅大(昌浩)、保坂信之、浅沼達也がいる。卒業後の1988年に本田技研工業サッカー部(現:Honda FC)へ入団。1988年9月25日の日産自動車(現:横浜F・マリノス)戦でデビューを果たす。1992年に鹿島アントラーズへ移籍。1993年にはチームの1stステージ制覇に貢献するなど、Jリーグベストイレブンに選出。
村上 伸次(むらかみ のぶつぐ、1969年5月11日 - )… 村上 伸次(むらかみ のぶつぐ、1969年5月11日 - )は、東京都目黒区出身のサッカー審判員(元プロフェッショナルレフェリー)、元サッカー選手(ポジションはDF)。岐阜県在住。 目黒区立第八中学校、帝京高校から立正大学卒業。帝京高校時代の同級生に森山泰行、礒貝洋光がいる。大学卒業後、当時ジャパンフットボールリーグ(旧JFL)に所属していた西濃運輸でプレーしたが、1997年シーズン終了後の旧JFL解散とともにチームが廃部となることが決まり、「サッカーに関わっていたい」という思いと、学生時代に取得していた4級審判員の資格を思い出し、28歳にして審判の道を目指すことになる。 学生時代に取得した4級審判員資格は失効していたため取り直し、西濃運輸での社業の傍ら1998年に2級審判員、2002年に1級審判員の資格を取得。
森山 泰行(もりやま やすゆき、1969年5月1日 - )は… 森山 泰行(もりやま やすゆき、1969年5月1日 - )は、岐阜県出身の元サッカー選手、サッカー指導者、サッカー解説者。ポジションはFW。JFA 公認S級コーチ。 笠松中学校時代は全国中学校サッカー大会3位を経験。高校は東京の帝京高校に進学。中学時代まではドリブルで自ら持ち込みゴールを決めるタイプだったというが、高校で礒貝洋光と出会ったことにより、周りを活かすよりも活かされるタイプの選手であるという自覚を持ちプレースタイルを変えていく。帝京サッカー部では1学年上に岩本三郎、巻田清一、同期に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、1学年下には池田伸康、遠藤雅大(昌浩)、保坂信之、浅沼達也がいる。
礒貝 洋光(いそがい ひろみつ、1969年(昭和44年)4月… 礒貝 洋光(いそがい ひろみつ、1969年(昭和44年)4月19日 - )は、熊本県下益城郡小川町(現宇城市)出身の元サッカー選手。元日本代表。 小学校時代に全日本少年サッカー大会に出場すると天才サッカー少年として脚光を浴びた。中学時代はU-17日本代表のエースストライカー。 1985年に帝京高校に入学すると1年生から10番を背負った。1986年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユースアジア予選に出場した。 1988年に東海大学に入学すると澤登正朗と共に1年時からレギュラーとして全日本大学サッカー選手権大会を始め多くのタイトルを獲得した。また、1991年に日本代表に選出され、4月のスパルタク・モスクワ戦と5月のバスコ・ダ・ガマ戦でプレーしている(在学中はAマッチ出場は無し)。
宮村 正志(みやむら まさし、1969年2月18日 - )は… 宮村 正志(みやむら まさし、1969年2月18日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。日本サッカー協会公認B級コーチ。 1969年、東京都町田市で生まれる。都立成瀬高校、中央大学を経て読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)に入団。フジタSC(現:湘南ベルマーレ)、アビスパ福岡、水戸ホーリーホックでのプレーを経たのち、引退後はFC町田JY(現:町田ゼルビア)、日テレ・ベレーザでの監督歴を持つ。 そして現在は少年サッカーチームのテクニカルコーチや監督としてジュニア選手の育成に取り組んでいる。 日テレ・ベレーザの監督時代には、日本女子サッカーリーグ(L・リーグ)優勝1回、準優勝2回、皇后杯全日本女子サッカー選手権大会優勝1回、準優勝2回の成績を残している。
浦上 壮史(うらかみ たけし、1969年2月7日 - )は、… 浦上 壮史(うらかみ たけし、1969年2月7日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはゴールキーパー。 横浜マリノス、清水エスパルスではそれぞれ松永成立・真田雅則という絶対的守護神が存在したため活躍の場がほとんどなかったが、1997年に川崎フロンターレに移籍してからはレギュラーを掴む。1998年のJ1参入決定戦では博多の森の悲劇を経験。1999年にはJ2で優勝しJ1昇格に貢献した。 2000年はチーム事情から、2001年は怪我から出場機会が減ったが、2002年には42試合(全44試合)に出場し、レギュラーとして活躍した。しかし翌2003年からは吉原慎也の成長と下川誠吾の加入もあって出場機会に恵まれなくなった。
関口 潔(せきぐち きよし、1969年1月15日 - )は、… 関口 潔(せきぐち きよし、1969年1月15日 - )は、東京都八王子市出身のサッカー指導者。早稲田大学卒。 1991年に早稲田大学を卒業し、リクルートに入社。 1995年、日本サッカー協会(JFA)に転職し、1999年までは事業部で国際試合の運営などを担当、2000年からは技術部で主に指導者養成事業を担当した。 2005年、フィートエンターテイメントより、Jリーグ・横浜FCに出向。2008年3月まで同クラブの強化育成部長、2008年4月から2009年5月までは同クラブの常務取締役を務めた。 2010年3月より、JFAのアジア貢献事業の一環として、サッカー北マリアナ諸島代表監督に就任。2012年5月より同事業によりラオスサッカー連盟技術委員長に就任。
岩本三郎(いわもと さぶろう、1969年1月14日 - 20… 岩本三郎(いわもと さぶろう、1969年1月14日 - 2005年4月)は、日本の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。兄の岩本慎二郎はサッカー指導者。 小学6年時に船橋FCの選手として全日本少年サッカー大会優勝に貢献し、優秀選手に選出 。当時は天才少年と称された。 船橋市立坪井中学校を経て帝京高等学校に進学。同期には巻田清一、1学年下に礒貝洋光、森山泰行がいる。帝京高校1年時に日本ジュニアユース代表に選ばれ、同年8月のAFC U-17選手権1985予選、1985年2月の本大会に出場した。1年時と2年時には日本ユース代表に選ばれた。3年時には帝京高校で主将を務めたほか、東京都選抜に選ばれ国体少年の部優勝に貢献した。
鈴木 政紀(すずき まさのり、1968年9月15日 - )は… 鈴木 政紀(すずき まさのり、1968年9月15日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー及びフットサル指導者。 プロ選手時の名前は「鈴木 将方」(読みは同じ)。 国士舘大学から東芝に入社してサッカー部へ。1993年にホルヘ・デリー・バルデスとコンビを組んで活躍したことがきっかけで認められ、1994年にジャパンフットボールリーグからJリーグに昇格したジュビロ磐田に移籍。それを契機に「政紀」から「将方」に改名した。 この年は中山雅史やサルバトーレ・スキラッチらフォワード陣が故障がちだったこともあり、Jリーグ1年目の磐田を引っ張る活躍を見せた。翌年以降は「ゴン・トト」の2トップが定着したため、途中出場やミッドフィールダーでの出場が多くなった。
松橋 力蔵(まつはし りきぞう、1968年8月22日 - )… 松橋 力蔵(まつはし りきぞう、1968年8月22日 - )は、千葉県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 東京都調布市の国領で生まれた。幼稚園入園前に転居し、千葉県で育ったため、一部のプロフィールを除いて出身地は千葉県と記載されている。少年時代はヨハン・クライフに憧れ、プレーを真似た。 千葉県立市原緑高等学校卒業後就職するものの、サッカー選手になるべく日産自動車サッカー部のサテライトチームに相当する日産FCファームの選考を受けた。合格とともに退職し、倉庫などのアルバイトをしながらプレーを続け、1989年にトップチームに加入した。日本サッカーリーグ(1部)初出場は、1990年2月11日 第14節 対松下電器戦(神戸総合運動公園ユニバー記念競技場)であった。
北澤 豪(きたざわ つよし、1968年8月10日 - )は、… 北澤 豪(きたざわ つよし、1968年8月10日 - )は、東京都町田市出身の元プロサッカー選手。ポジションはMF。元サッカー日本代表。現在は日本サッカー協会参与、フットサル委員長、日本障がい者サッカー連盟会長、國學院大學客員教授。三桂所属のタレント、サッカー解説者としても活躍している。 小学生時代は町田SSS、町田市の町田JFC、中学時代は読売ジュニアユースに在籍。修徳高等学校に進学後はユースとの掛け持ちを認められず部活動に専念、1985年に全国高校サッカー選手権出場、翌1986年に高校総体ベスト8進出に貢献した。卒業後は宮本征勝監督の勧誘もあり本田技研工業サッカー部に入部した(同い年で同期就職に古川昌明・黒崎久志)。
巻田 清一(まきた せいいち、1968年7月11日 - )は… 巻田 清一(まきた せいいち、1968年7月11日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 帝京高等学校ではサッカー部に所属し、第63回全国高等学校サッカー選手権大会では1年生で早くも試合に出場している。決勝戦は長崎県立島原商業高等学校と対戦し、1対1で引き分け、両校優勝となった。国立競技場を経験したことについて「自分を大きく成長させてくれた場所である」と語っている。同期に岩本三郎、井出俊哉1学年下に飯島寿久、礒貝洋光、島根聡一、本田泰人、森山泰行、2学年下に遠藤雅大(昌浩)、池田伸康、保坂信之、浅沼達也がいる。 東海大学を経て、1991年に日本サッカーリーグ2部に所属していたNTT関東サッカー部へ加入し 2シーズンを過ごす。
小林 伸樹(こばやし のぶき、1968年5月3日 - )は、… 小林 伸樹(こばやし のぶき、1968年5月3日 - )は、東京都出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー(DF)。 1987年に國學院久我山高校(同期に浦上壮史)を卒業し、國學院大學に進学。在学のまま三菱重工業サッカー部に在籍し、1シーズン所属(出場なし) の後、東京都リーグのエリースFC東京へ移籍。 1990年には「日本リーグを目指す」と勧誘されて東京ガスサッカー部(現 FC東京)でプレー。関東リーグ及び全国地域リーグ決勝大会で優勝を果たした。1991年に大学を卒業し、東京ガスに入社。社員選手としてプレーを続け、DF大熊清とセンターバックでコンビを組んだ。 1993年に退部すると社業を務めつつ、再びエリースへ。
前沢 光徳(まえさわ みつのり、1967年12月20日 - … 前沢 光徳(まえさわ みつのり、1967年12月20日 - )は、東京都杉並区出身の元サッカー選手。 東京学芸大学を経て1991/92シーズンに日本サッカーリーグ1部に所属していた東日本JR古河サッカークラブに加入。以後Jリーグ本格参入を控えるジェフユナイテッド市原にも選手登録されていたが、リーグ戦・リーグカップ戦を通じて出場はなく、1992年から指導者に転身。FC東京の育成組織で長年に渡り指導を続けた。
北野 誠(きたの まこと、1967年7月17日 - )は、香… 北野 誠(きたの まこと、1967年7月17日 - )は、香川県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW、MF。 高松市立勝賀中学校から帝京高校に進学し、2年次の全国高校サッカー選手権大会では鋤柄昌宏、岩井厚裕らと共に同校の大会2連覇に貢献。3年次もレギュラーとして三連覇に挑むがベスト8で黒崎久志を擁する宇都宮学園高校(現・文星芸術大附属高校)に敗れた。 卒業後の1986年に、日本サッカーリーグ (JSL) 1部の日立製作所(現・柏レイソル)に入部。1992年からはジャパンフットボールリーグ(旧JFL)所属の京都紫光サッカークラブに移籍。クラブが京都パープルサンガに移行した期間を含めて3年間プレーの後、現役を引退。
岩井 厚裕(いわい あつひろ、1967年1月31日 - )は… 岩井 厚裕(いわい あつひろ、1967年1月31日 - )は埼玉県出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはDF。 帝京高校で一年生の頃からレギュラーとして試合に出続け全国高校サッカー選手権をキャプテンとして自身が決勝ゴールを決め優勝した。東海大学で1年生の頃から試合に出続け4年連続全国優勝などの輝かしい経歴を経て、1989年に日本サッカーリーグ1部の全日空サッカークラブ(1992年に横浜フリューゲルスへと改組)へ入団。一学年先輩の元日本代表FW前田治とは高校・大学・全日空/横浜Fと同じ道程を辿ることになった。日本リーグ時代からJリーグ創生期の全日空および横浜Fでレギュラーのセンターバックとして活躍。
鋤柄 昌宏(すきがら まさひろ、1966年4月2日 - )は… 鋤柄 昌宏(すきがら まさひろ、1966年4月2日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、指導者。ポジションはFW。 1983年、1984年、帝京高校在学中に全国高等学校サッカー選手権大会で2度優勝を経験。 1988年、筑波大学在籍中にカタールで行われたAFCアジアカップに出場する日本代表Bのメンバーに選ばれる。 同年、読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)入団。Jリーグに移行し、ヴェルディ川崎と改称された後も所属するが、カップ戦のみの出場で、Jリーグのリーグ戦には不出場。1994年途中に浦和レッドダイヤモンズに移籍し、古巣のV川崎戦でJリーグ初出場を飾る。1995年にジャパンフットボールリーグの福島FCに移籍。
田邊 伸明(たなべ のぶあき、1966年1月19日 - )は… 田邊 伸明(たなべ のぶあき、1966年1月19日 - )は日本のサッカー選手代理人である。株式会社ジェブエンターテイメント代表取締役。 東京都世田谷区出身。中学、高校時代はサッカー部に所属。和光大学時代、ヨーロッパなどを放浪してサッカーを観戦するバックパッカー生活を送る。大学卒業後、レコード会社への就職が内定していたが、それを断りスポーツイベント運営会社のジェブに就職。入社当初はゴルフ運営の業務を担当したが、その後増加するサッカー絡みの仕事に携わるようになっていく。 1991年、北澤豪のマネジメント業務を始める。1998年にFIFAワールドカップ・フランス大会のサッカー日本代表メンバーから北澤が落選したことや、同年末に所属クラブのヴェルディ川崎が若返りを図る中で北澤に移籍話が持ち上がった経験を通して、より近い立場で選手をサポートできる代理人の資格を取ることを決断する。
平岡 和徳(ひらおか かずのり、1965年7月27日 - )… 平岡 和徳(ひらおか かずのり、1965年7月27日 - )は、熊本県下益城郡松橋町(現・宇城市)出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 小学生時代より将来を嘱望された選手であり、熊本県松橋中学から帝京高等学校へサッカー留学。 3年生の時には主将としてFWの前田治やMFの広瀬治らと共に、1983年度全国高校サッカー選手権において3度目の全国制覇を果たした。清水東高校との決勝戦において前田治の決勝点となるアシスト(左サイドからのクロス)をした。 1984年に筑波大学へ進学。4年生の時には主将を務め、副主将の長谷川健太と共に1987年の総理大臣杯準優勝、4年ぶり6度目の関東大学リーグ制覇に貢献し名門復活の足掛りを築いた(元日本代表の中山雅史、井原正巳は2年後輩にあたる)。
広瀬 治(ひろせ おさむ、1965年6月6日 - )は、埼玉… 広瀬 治(ひろせ おさむ、1965年6月6日 - )は、埼玉県与野市(現:さいたま市中央区)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、ディフェンダー。 小学校3年生の時にサッカーを始め、5年生の時にクラブチームの三菱養和SCへ加入。中学は地元の与野西中学校へ進学したが中学ではサッカー部に所属せず、引き続き三菱養和でサッカーを学んだ。 高校進学の際には「全国高校サッカー選手権でプレーをしたい」という希望から東京都の帝京高等学校へ進学。1年次からレギュラーの座を掴むと同期の平岡和徳と共に中盤を形成し、1983年の高校選手権でベスト4進出。3年次の全国高校サッカー選手権では膝の故障もあって万全のコンディションではなかった が、同校の3度目の全国高校選手権制覇に貢献した。
園部 晃久(そのべ あきひさ、1964年12月16日 - )… 園部 晃久(そのべ あきひさ、1964年12月16日 - )は東京都出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 駒澤大学高等学校から駒澤大学へ進学。三菱養和SCでサッカーを学び、高校卒業と同時に三菱重工業サッカー部へ入部した。入部4年目から正GKの座を掴み以降、そのポジションを守り通した。 1992年に浦和レッドダイヤモンズへと改称後も同クラブに在籍。土田尚史の台頭、1993年途中からミロの加入もあって出場機会はなく、引退。1994年にGKコーチとなった。しかし同年、GKに怪我人が続出したことで現役復帰し、選手登録された。サブに入ることもあったが、シーズン終了をもって改めて引退し、1995年にはサテライトGKコーチに就任し、1996年まで務めた。
谷中 治(たになか おさむ、1964年9月24日 - )は、… 谷中 治(たになか おさむ、1964年9月24日 - )は、東京都府中市出身の元サッカー選手。元日本代表。 現役時代は俊足を活かした快速フォワード(ウインガー)として名を馳せ、サイドから中央へと切り込み鋭いシュートを放つなど高いサッカーセンスを持つ、と帝京高校時代から将来を嘱望されていた。第60回全国高等学校サッカー選手権大会で5得点をマークし、得点王の座に輝く。帝京高での同期に楠瀬直木、1期後輩に前田治、広瀬治、平岡和徳。同高校卒業後の1983年に日本サッカーリーグの強豪・フジタ工業クラブサッカー部に入部し、翌1984年には10代で日本代表に選出され、国際Aマッチ3試合に出場した。 フジタではペルー系日系人のホルヘ平野が在籍していた縁でペルーに短期留学を経験。
加藤 善之(かとう よしゆき、1964年7月27日 - )は… 加藤 善之(かとう よしゆき、1964年7月27日 - )は、東京都出身の元プロサッカー選手。日本大学文理学部卒業。 読売クラブ時代からヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)で活躍。ポジションはFWからMF、DFまで幅広く務めた。 現役引退後はJリーグ所属の東京ヴェルディのスカウト、強化部長、テクニカルディレクターを歴任、また東京都クラブユースサッカー連盟理事長を務めた。 2009年1月、Jリーグ入りを目指す日本フットボールリーグの松本山雅FCのゼネラルマネージャー(GM)に就任。2011年6月7日には監督に就任し、チームは初のJリーグ昇格を果たした。松本山雅が2012年シーズンよりJ2に加入したことに伴い、S級ライセンスを所持しない加藤は監督を続けることができないために退任し、反町康治の監督就任に伴い再びGMとなった。