和田 拓也(わだ たくや、1978年2月14日 - )は、日… 和田 拓也(わだ たくや、1978年2月14日 - )は、日本の男性総合格闘家、プロレスラー。東京都大田区出身。フリーランス。サンボ。元ウェルター級キング・オブ・パンクラシスト。日本のサンボの主要大会(全日本サンボ選手権、全日本学生サンボ選手権、全日本サンボ団体選手権、関東選抜サンボ選手権)のタイトル保持者でもある。 小中学生時代からプロレスラーに憧れ、自由ヶ丘学園高等学校に進学しレスリング部に入部。在学中にプロレスから徐々に格闘技に興味を持ち、パンクラス入門を目指し卒業後にスポーツ会館サンボスクールに入会。パンクラスの入門テストは身長体重が足りなかった為、書類選考で不合格になり階級制がある修斗を目指す事になる。
下田 大作(しもだ だいさく、1977年10月2日 - )は… 下田 大作(しもだ だいさく、1977年10月2日 - )は、日本のプロレスラー。 双子の弟はプロレスラーの不動力也。 1998年、DDTプロレスリングに入門して12月16日の駒沢オリンピック公園総合運動場屋内球技場における対西野勇喜&菊澤光信組戦でデビュー(パートナーは勇作)。 2000年、DDTからレッスル夢ファクトリーへ移籍。その後、大日本プロレスに移籍して伊東竜二とのタッグで活躍。数年間在籍した大日本プロレスを退団して冬木軍プロモーション、アパッチプロレス軍を経てリキプロへ移籍。その後、フリーとして活動。 2008年11月16日には初の自主興行であるデビュー10周年記念大会「Turn on the Light」を北沢タウンホールで開催し成功を収めた。
青木 篤志(あおき あつし、1977年9月25日 - 201… 青木 篤志(あおき あつし、1977年9月25日 - 2019年6月3日)は、日本の男性プロレスラー。元自衛官。東京都大田区出身。最終所属全日本プロレス。血液型B型。 高校時代からアマチュアレスリングで活躍。陸上自衛隊(市ヶ谷第32普通科連隊、朝霞駐屯地、青森第5普通科連隊)時代の1999年には、全国社会人オープンレスリング選手権大会69kg級で優勝する。2005年5月、プロレスリング・ノアに入門。秋山準の付き人となった。 2005年12月24日に行われた年末興行でデビュー。当時同じく新人だった太田圭則と組み、三沢光晴&田上明組と対戦した。 2006年、スターネスに加入。 2007年12月23日の「SEMful Gift in Differ '07」での秋山との対戦を皮切りに、「青木篤志“閃光十番勝負”」が組まれた。
佐藤 耕平(さとう こうへい、1977年9月21日 - )は… 佐藤 耕平(さとう こうへい、1977年9月21日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都江東区出身。血液型B型。 1998年、プロレスラーの村上和成、空手・キックの猛者だった藤井毅、スポーツインストラクターでプロ格闘家の岡田孝(現:三州ツバ吉)が千葉県内に設立した格闘技道場に参加。1998年8月23日、全日本アマチュア修斗選手権ヘビー級に出場し、決勝で岡田貴幸(ジャイアント落合)に勝利し、優勝を果たした。プロ修斗では2戦2勝の実績をひっさげてZERO-ONEに入団した、 2001年6月14日にプロレスデビューを果たした。 2003年に海外修行を果たし凱旋、かつては横井宏考とチーム名「ROWDY」として共闘。
YOSHIYA(ヨシヤ、1976年12月21日 - )は、男… YOSHIYA(ヨシヤ、1976年12月21日 - )は、男性元プロレスラー。東京都武蔵野市出身。身長185cm、体重107kg。妻は元女子プロレスラーの長嶋美智子。 1997年8月12日、IWA・JAPANにて山下義也でプロレスデビュー。対戦相手は佐藤竜騎士。その後リングネームをYOSHIYAに改名。 2001年、同団体を離脱しフリーになる。GENTAROとのタッグで名をあげる。 2002年、TAKAみちのくにスカウトされKAIENTAI DOJO所属となり、当初は同じ長身の筑前りょう太、ジョー赤山と千葉ポートタワーズを結成していた。 2005年、古巣のIWA・JAPANにも参戦し、抗争していたアップルみゆきとスラムローズを結成。
上山 龍紀(うえやま りゅうき、1976年4月17日 - )… 上山 龍紀(うえやま りゅうき、1976年4月17日 - )は、日本の男性総合格闘家、プロレスラー。東京都町田市出身。U-SPIRIT JAPAN 町田所属。元DEEPミドル級王者。 プロボクサー、総合格闘家の上山知暁は実兄。 高校時代はレスリング部に所属。高校卒業後、UWFインターナショナルに入門し、1996年にプロデビュー。 1998年9月21日、リングスに初参戦し、滑川康仁に判定負け。 2000年、U-FILE CAMPに移籍。 2002年6月9日、DEEP2001ミドル級(-82kg)王座決定トーナメントの1回戦で梁正基に判定勝ち、準決勝で村浜天晴にチョークスリーパーで一本勝ち、決勝では石川英司にアンクルホールドで一本勝ちを収め王座獲得に成功した。
鈴木悟(すずき さとる、1976年3月3日 - )は、東京都… 鈴木悟(すずき さとる、1976年3月3日 - )は、東京都八王子市出身の日本の元プロボクサー、キックボクサー、シュートボクサー、俳優、プロレスラー。 プロボクシング、シュートボクシング、プロレスでそれぞれ王座を獲得し、史上初の異種格闘技三冠王とされている。 2013年1月には、東京都港区西麻布にパーソナルトレーニングジム「private lesson studio TAKE IT EASY」をオープンし、代表を務めている。 入場曲は、小柳ゆきの「愛情」。ボクサー時代は、サビ部分に合わせてリングインを行っていた。 K-1デビュー戦の際、名前コール時にグローブにキスしてテレビカメラに向かってウィンクするというパフォーマンスを見せた。
田村 欣子(たむら よしこ、1976年2月6日 - )は、日… 田村 欣子(たむら よしこ、1976年2月6日 - )は、日本の女子プロレスラー。東京都江戸川区篠崎町出身。『タムラ様』の愛称と「ケッテー」の一言だけで重要事項を決定してしまうパフォーマンスで有名である。
タニー・マウス(本名:谷山 美奈(たにやま みな)、1976… タニー・マウス(本名:谷山 美奈(たにやま みな)、1976年1月7日 - )は、日本の女子プロレスラー。東京都世田谷区出身。引退後は鍼灸師に転身した。 1994年11月3日、全日本女子プロレス・いすゞ自動車大和工場体育館興行において、対藤本由美戦でプロレスデビュー。 デビュー当初は本名で試合を行っていたが、後にネズミをモチーフにしたキャラクターレスラー『タニー・マウス』に改名し、コミカルなファイトを見せる(なおリングネームの命名者は、当時全日本女子プロレス社員で、後にプロレス記者に転向した田中正明)。 全日本女子プロレスの経営難により、他の選手と共に1997年に離脱。同年にネオ・レディース(後のNEO女子プロレス)へ移籍し、旗揚げに参加する。
賀川 照子(かがわ てるこ、1975年3月20日 - )は、… 賀川 照子(かがわ てるこ、1975年3月20日 - )は、日本のタレント・元女子プロレスラー。身長158cm、体重49kg、血液型A型。東京都大田区出身。医師の家系に育ち、幼稚園から高校まで田園調布雙葉学園に通う。東洋英和女学院大学および早稲田大学第一文学部仏文科卒業。早大在学中に中国武術を学びはじめ、吉本女子プロレスに応募したことがデビューのきっかけとなった。 2001年4月8日、アストレス1期生として東京・ディファ有明の対大森彩乃戦でデビュー。 2002年3月にアストレスを卒業しリングを離れていたが、8月に選手活動を再開。 2003年1月にアップルみゆきとの王座決定戦を制しJd'ジュニア王座を獲得。
GENTARO(ゲンタロー、1974年10月28日 - )は… GENTARO(ゲンタロー、1974年10月28日 - )は、日本の男性プロレスラー。血液型O型。東京都小金井市出身。プロレスリングFREEDOMS所属。本名:高橋 元太郎(たかはし げんたろう)。 城西大学在学中にヤブサメとして学生プロレスを始める。 1999年5月8日、レッスル夢ファクトリー所沢サン・アビリティーズ大会でF.M-TAROとして三浦博文、覆面太郎とタッグを組んで対加藤茂郎&死神&怨霊組戦でデビュー。 2001年、KAIENTAI DOJOに移籍してリングネームをGENTAROに改名。同年、K-DOJOを退団。 2002年、DDTプロレスリングに入団。後に佐々木貴とタッグチーム「アカレンジャーズ」を結成。
小野 武志(おの たけし、1974年9月30日 - )は、日… 小野 武志(おの たけし、1974年9月30日 - )は、日本のプロレスラー。 1994年10月18日、プロフェッショナルレスリング藤原組の対田中稔戦でデビュー。 1995年11月19日、藤原組を退団。12月、石川雄規らと共に格闘探偵団バトラーツを設立。 1997年、折原昌夫とタッグチーム「トンパチ・マシンガンズ」を結成。 1998年、みちのくプロレスに参戦して折原が扮する「サスケ・ザ・グレート」とタッグを組んでブラック・タイガーのマスクを被って「マスクド・タイガー」としてザ・グレート・サスケとタイガーマスクと敵対していた。タイガーマスクを相手に「虎ハンター」を名乗っていた。 2001年10月26日、バトラーツが活動停止。
阿部 幸江(あべ さちえ、1974年9月18日 - )は、日… 阿部 幸江(あべ さちえ、1974年9月18日 - )は、日本の元女子プロレスラー。 高校卒業後、全日本女子プロレスの新人オーディションを受けるも不合格、その後も受け続けるも4度目の不合格で挫折。1995年、ザ・ブラディーに促される形で吉本女子プロレスJd'を受け合格、1期生として入門。 1996年4月14日、六本木ヴェルファーレ大会において、対小山亜矢戦でデビュー。 1999年12月16日、「貧乳」(「アベちゃんwithブリトラ」名義)でCDデビューを果たした。当時のバックダンサーは西千明と松尾永遠だった。 怪我で欠場を続けるなどしばらく低迷するが、2001年2月24日のディファ有明大会にて行われた「メタルガレージ(天井付き金網)」マッチでファング鈴木から劇的な勝利を収めてから急浮上、年末にはKAZUKIとのコンビ「WANTED!?」でTWFタッグ王座を獲得するなど、Jd'の中心選手として活躍。
K-ness.(クネス、1974年4月16日 - )は、日本… K-ness.(クネス、1974年4月16日 - )は、日本の元男性覆面レスラー。本名:齋藤 誠(さいとう まこと)。東京都練馬区出身。最終所属DRAGON GATE。血液型B型。 アニマル浜口トレーニングジムでトレーニングを積む。 1995年、みちのくプロレスに入門、1996年4月23日、二戸市体育館大会で斎藤誠として対ウィリー・ウィルキンスJr.戦でデビュー。同期はGamma。同年、レッスル夢ファクトリーに移籍。 1999年2月6日、闘龍門JAPAN千種スポーツセンター大会に参戦。4月、リングネームをMAKOTOに改名。6月、闘龍門JAPANに移籍。12月、CRAZY-MAXに加入。 2000年6月4日、ワールド記念ホール大会で不仲を起こしたTARUとの敗者追放マッチに敗れて姿を消す。
AKINO(アキノ、本名:秋野 美佳〈あきの みか〉、197… AKINO(アキノ、本名:秋野 美佳〈あきの みか〉、1973年10月24日 - )は、日本の女子プロレスラー。 プロレスラーになる前は沖縄にてダイビングインストラクターをしていた。 1998年7月21日、東京・後楽園ホールにおいて、対吉田万里子戦でアルシオンからプロレスラーとしてデビュー。アルシオン・ライセンスナンバーは13。 2003年6月22日、アルシオンが活動停止。翌日、メジャー女子プロレスAtoZに移籍。11月にAtoZを退団し、フリーに転向する。 2004年、吉田万里子、大向美智子、中西百重と共に、M's Styleを結成。M's Styleは2006年10月8日の興行で解散した。 2005年、5月に六本木で一緒にいた女性の腰を触ったトンガ国籍の男性と当時ラグビー日本代表の少年の逮捕に協力。
チャパリータASARI(チャパリータ・アサリ、本名:渡邉 真… チャパリータASARI(チャパリータ・アサリ、本名:渡邉 真美(わたなべ まさみ)、1973年9月15日 - )は、日本の元女子プロレスラー。東京都荒川区出身。日本女子体育大学附属二階堂高等学校卒業。 ニックネームは「ちゃぱ、ASARI」。中学時代から大の長渕剛ファン。引退後、40歳を過ぎた頃から突如、SMAP、中居正広の魅力にも気付きスマオタに。ファンネームは、チャパ男、チャパ子 幼少期から夢は「プロレスラーになる事」だったが、中学3年で初挑戦したオーディションでは書類審査で不合格。当時の教師の勧めで、スポーツの名門校、日本女子体育大学附属二階堂高等学校に進学。体操部に所属。体操の技術を全てプロレスに活かすことに専念するため減量は一切行わず、体操選手としては無名の存在だった。
坂口 征夫(さかぐち ゆきお、1973年7月26日 - )は… 坂口 征夫(さかぐち ゆきお、1973年7月26日 - )は、日本の元男性プロレスラー、元総合格闘家。 東京都世田谷区出身。坂口道場代表、最終所属DDTプロレスリング。血液型A型。1級土木施工管理技士、建設会社経営。 元プロレスラーの坂口征二を父に、俳優の坂口憲二を弟に持つ。 明大中野中学・高校と柔道を経験。父親が代表を務める坂口道場の柔道コーチも務めていた。 当初はプロレスラーを目指していたが身長が低く断念。高校卒業後、建設会社に就職し、土木作業員として勤務。2004年には1級土木施工管理技士も取得している。 著名な父・弟と比較され、コンプレックスの塊だったと語っている。 27歳で空手を始め、東都空手道選手権で準優勝、ルーキーチャレンジカップで優勝。
ジャンボ松田(ジャンボまつだ)、本名松田 道人(まつだ みち… ジャンボ松田(ジャンボまつだ)、本名松田 道人(まつだ みちひと、1973年6月26日 - )は、東京都多摩市出身の日本の実業家、政治活動家、プロレスラー(シアタープロレス花鳥風月所属)。AI党(人工知能が日本を変える党)党首。 2023年真鶴町長選挙、2024年東京都知事選挙に出馬した候補者AIメイヤーと目されているが、本人は明言していない。 東京都多摩市に生まれ、多摩市立北落合小学校、東落合中学校、東京都立三鷹高等学校から上智大学へ。大学在学中は上智大学大道塾の主将を務め、1996年、関東大会ベスト16(特別賞)、1997年、北斗旗全日本無差別選手権大会に出場。 大学卒業後、大手IT企業のYahoo! JAPANにて宮坂学のアシスタントを勤めた後、28歳で音楽配信サービス会社を起業。
白鳥 智香子(しらとり ちかこ、1973年6月25日 - )… 白鳥 智香子(しらとり ちかこ、1973年6月25日 - )は、日本の元女子プロレスラー。身長165cm、体重53kg。血液型B型。東京都目黒区出身。夫はプロレスラーの丸山敦である。本名:丸山 智香子(旧姓:長谷川)。 1991年10月4日、全日本女子プロレス後楽園ホールにおいて、玉田りえ戦でデビュー。当時は旧姓の「長谷川 智香子」としてリングに上がっていた。その後、アジャ・コングら率いる「ジャングル・ジャック」に加入している。 1993年8月頃より「お嬢様スタイル」のキャラクターとして「白鳥 智香子」に改名、1994年に腰の負傷を理由に全日本女子を退団した。 1995年、吉本女子プロレスJd'が設立することに伴い、現役復帰を果たす。
新井 健一郎(あらい けんいちろう、1972年7月7日 - … 新井 健一郎(あらい けんいちろう、1972年7月7日 - )は、日本の男性プロレスラー。通称:アラケン。東京都練馬区出身。血液型O型。DRAGON GATE所属。 19歳でFMWの入門テストを受けるも不合格(同日に受けた合格者にはハヤブサ、ミスター雁之助など)にはなるが、そのままFMWが経営するプロレス学校に練習生として入る(1991年)。同期に中川浩二がいたが挫折し退所。次にW☆INGの入門テストを受けたものの不合格。警備や重労働作業のアルバイトで資金を作り、闘龍門の2期生としてメキシコへ渡る。1998年11月29日にメキシコにてデビュー。逆上陸当初は菅原文太似の顔立ちからトラック野郎キャラであったが次第に熱狂的な阪神タイガースファンであることの方がクローズアップされるようになる。
ほいっとに(1972年6月17日 - )は、元吉本興業所属の… ほいっとに(1972年6月17日 - )は、元吉本興業所属の芸人、アームレスラー。 かつては吉本興業に所属しお笑い芸人として活動。渋谷公園通り劇場などに出演。 また、アームレスリングの選手として数々の大会で入賞。最高位は2004年のアジア大会レフトハンド63キロ級3位。
山本SAN(山本サン、1972年6月9日 - )は、日本の男… 山本SAN(山本サン、1972年6月9日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都新宿区出身。プロレス団体THE EXTREME FIGHTING STAGE COMBOを主宰。 関東一高 時代はラグビー部に所属。後にプロ野球選手となる山﨑健や山本保司と同級生に当たる。高校卒業後は就職先の社会人ラグビー部でフッカーとして奮闘。1部リーグ復帰への切り札の1人としての入団であったが、1部復帰を果せぬまま、廃部という現実に直面し自身も現役引退。 その後はDEEPジムで格闘家としての技術を磨いた。運動における特徴は、格闘技に限らず、視覚情報を自らの身体で再現する能力に長けているところである。 プロレス自体は35歳と遅いデビューでキャリア自体は浅いが、25年のファン歴(当時)を誇るプロレス眼とリスペクト、そしてプロレス愛を存分に発揮し、ベテランに負けない体力、テクニックで活躍を見せる。
山本 淳一(やまもと じゅんいち、1972年〈昭和47年〉2… 山本 淳一(やまもと じゅんいち、1972年〈昭和47年〉2月28日 - )は、日本の歌手、俳優、プロレスラー。男性アイドルグループ・光GENJIの元メンバー。血液型はB型。 ジャニーズ事務所に入所後、1987年に光GENJIのメンバーとしてデビュー。プロレスにも関心があり、ジャニーズ事務所所属時には新日本プロレス道場にて山本小鉄にプロレストレーニングを毎日受けていた。 1995年に光GENJI解散後、ジャニーズ事務所に残留するが、2002年に退所。一時は一般企業に就職し、バナー広告を売る営業マンとして働いていた。 その後2012年に芸能活動を再開するが、2013年3月2日に所属事務所との契約が解除となり、再び芸能活動を休止した。
西村 修(にしむら おさむ、1971年9月23日 - 202… 西村 修(にしむら おさむ、1971年9月23日 - 2025年2月28日)は、日本の政治家、プロレスラー。血液型A型。東京都文京区出身、文京区議会議員。 錦城学園高校在学中に新日本プロレス学校に入り、卒業後の1990年4月、新日本プロレスに入門。 4月21日、沖縄県糸満市西崎総合体育館の飯塚孝之戦でデビュー。7月17日、留萌市スポーツセンター大会でデビュー2戦目の小島聡と対戦。6分、逆エビ固めで勝利。初勝利を挙げる。 3月の第4回ヤングライオン杯で準優勝後、同年8月に米国武者修行に出発。渡米後、フロリダに移動しヒロ・マツダのもとでトレーニングを受ける。ブライアン・ブレアーのゴールドジムでウェイトトレーニングを行う。
三州 ツバ吉(さんしゅう ツバきち、1971年1月26日 -… 三州 ツバ吉(さんしゅう ツバきち、1971年1月26日 - )は、日本の格闘家、プロレスラー、ボディーガード、スポーツインストラクター。銀座プロレス代表。本名:岡田 孝(おかだ たかし)。東京都中央区銀座出身。帝京大学経済学部卒業。空手初段(創天会小笠原道場)、柔道初段。 ニックネームは「銀座の鉄人」、「世界3大砂漠マラソンを覆面仮装で完走した唯一の男」、「世界一過酷なアマゾン・ジャングルマラソンを世界一数多く走破した男」、「過酷なマラソンを楽しむ覆面仮装ランナー」、「驚異の心臓を持つ男」。 大学在学中から、格闘家、スポーツインストラクターとして東京を中心に活動する傍ら、小学生の頃から大好きだったプロレスの世界への憧れを捨てきれず、36歳でプロレスデビューした。
寺尾 新(てらお しん、1970年12月24日 - )は、日… 寺尾 新(てらお しん、1970年12月24日 - )は、日本のキックボクサーで、元プロボクサー、プロレスラーである。東京都八王子市出身。ボクシング元日本フライ級2位、キックボクシングUKF東洋フェザー級初代王者。プロボクシングKSD杯フライ級優勝。 21歳で伊原ジムに入門しキックボクサーとしてデビュー。8戦経験し日本キックボクシング連盟ランキング入りを果たした。 1995年、開設されたばかり八王子中屋ジムに入門しボクシングに転向。同ジム第1号プロとして9月22日のデビュー戦を勝利で飾る。しかし2戦目はKO負け。 1998年5月18日、当時OPBF東洋太平洋フライ級王者でWBA5位・WBC7位にランクされていたマニー・パッキャオと後楽園ホールでノンタイトルを戦い、3度のダウンを奪われ1R2分59秒でKO負けを喫した。
下田 美馬(しもだ みま、1970年12月23日 - )は、… 下田 美馬(しもだ みま、1970年12月23日 - )は、日本の女子プロレスラー。 1987年8月5日、全日本女子プロレスでの三田英津子戦でデビューし、全日本ジュニア王座を獲得するなどしたが、新人時代は伸び悩み、同期の豊田真奈美とタッグチーム『スイートハーツ』を結成する。端正なルックスからアイドルレスラー的な売り方をされる。ただし、これは本人が望んだことではなく、フロントの考えによるものである。その後、同期の三田英津子とタッグを組み、全日本タッグのタイトルを獲得。 1990年3月18日、格闘技経験が皆無である状況ながら、後楽園ホールにおける格闘技戦(グローブマッチ) でアジャコングと対戦し、滅多打ちにされ、ローリング裏拳により下顎骨折および前歯数本を欠損した。
ジャンクハンター吉田(ジャンクハンターよしだ、本名:吉田武、… ジャンクハンター吉田(ジャンクハンターよしだ、本名:吉田武、1970年11月5日 - )は、日本の会社経営者、元プロレスラー、ゲーム・映画コラムニスト。東京都北区赤羽出身。東京都立赤羽商業高等学校卒業。身長184cm。
アジャコング(本名: 宍戸 江利花〈ししど えりか〉、197… アジャコング(本名: 宍戸 江利花〈ししど えりか〉、1970年9月25日 - )は、東京都立川市出身の女子プロレスラー、タレント、女優。血液型O型。芸能活動はWAHAHA本舗に所属。100kgを超える体重から繰り出すパワフルなファイトが特徴。女子プロレスラーの中でもレジェンドと言われる重鎮の一人。 父親が米軍立川基地に勤務していたアフリカ系アメリカ人で、母親は日本人。「江利花」という名前は父親がエリカ属の花から命名した。両親は事実婚だったが、幼少時に父の突然の本国召還のため離別を余儀なくされ、母子家庭に育つ。母は、父との関係を良く思わない親族全てから絶縁されていた。小学5年生の時に立川市から昭島市へ転居。
小島 聡(こじま さとし、1970年9月14日 - )は、日… 小島 聡(こじま さとし、1970年9月14日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都江東区出身。新日本プロレス所属。血液型A型。 オレンジを基調としたコスチュームがトレードマーク。全日本プロレス時代はヒールユニット「VOODOO-MURDERS」に加入した際に黒と赤を基調としたコスチュームがトレードマークだった。 実兄にハードコア・パンクバンド「鉄アレイ」のヴォーカリストのBUTA-MANがいる。 学生時代に格闘技のバックボーンを持たず、一度はノーリツに就職したものの退職しアニマル浜口ジムでトレーニングを積み、1991年2月に新日本プロレスに入門。なお、小島の脱サラのきっかけは失恋だった。同年7月、山本広吉(後の天山広吉)戦でデビュー。
なべやかん(1970年〈昭和45年〉8月22日 - )は、日… なべやかん(1970年〈昭和45年〉8月22日 - )は、日本のお笑いタレント・俳優・演出家・プロレスラー・元パワーリフティング日本代表。所属事務所はゴッデス・エンターテイメント。身長156cm。東京都出身。 本名は渡辺 心(わたなべ しん)。なべおさみ・笹るみ子夫妻のもとに出生。姉がひとりいる。 平子理沙とは成城学園初等学校の同級生(小学4年生まで)。雨宮塔子と鶴田真由、中山泰秀は成城学園高等学校の同級生。なお、高校3年で留年し、大西祥平と同じクラスになった。中学・高校時代はラグビー部に所属していた。 芸名のなべは父の芸名から、やかんは明大二部(=夜間学部)商学部の裏口入学に失敗したことを、「なべ」と同じく台所道具である「やかん」に引っ掛けて命名。
臼田 勝美(うすだ かつみ、1970年3月17日 - )は、… 臼田 勝美(うすだ かつみ、1970年3月17日 - )は、日本の元プロレスラー。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
望月 成晃(もちづき まさあき、1970年1月17日 - )… 望月 成晃(もちづき まさあき、1970年1月17日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都江東区出身。DRAGON GATE所属。血液型B型。DRAGON GATEでのリングネームは望月 マサアキ。 足立高等学校(現:足立学園高等学校)卒業。1994年1月21日、WAR後楽園ホール大会でデビュー(望月のブログ「マサにモチヅキ」では、「北尾道場(後に武輝道場に改名)旗揚げ戦です。週プロの選手名鑑が間違えたんだよな(苦笑)」と語っている)。対戦相手は後にタズとなるピート・タンジーロであった。この頃はまだ岡村隆志、TARUとともに北尾光司率いる武輝道場の一員であった。その後もフリーとして格闘探偵団バトラーツ、みちのくプロレスなど10以上の団体で活動していた。
中川 達彦(なかがわ たつひこ、1969年7月29日 -)は… 中川 達彦(なかがわ たつひこ、1969年7月29日 -)は、日本の空手家、プロレスラー。東京都出身。空手家としては打撃武道我円所属。プロレスラーとしては王子キツネ空手軍所属。 2008年8月31日、喧嘩イベント・Shibuya CLUB ATOM「KRUNCH」に出場しプロデビュー(ハンマー・ミノル戦)。40歳でデビューしたため、異名は“史上最強中年”であった。2009年8月23日、東京・多摩永山情報教育センター多目的ホールにて行われた「山本喧一プロデュース TFC タイタン・ファイティング・チャンピオンシップ5〜無差別級オープントーナメント〜」にうなぎ拳法使いとして参戦。この時点での競技歴は「キックボクシング1年、柔道6年、KRUNCH4回、ナイトキング1回、空手2回」というものであった。
岡林 理恵(おかばやし りえ、1969年4月29日 - )は… 岡林 理恵(おかばやし りえ、1969年4月29日 - )は、日本の元女子プロレスラー。身長165cm、体重64kg、血液型AB型で、東京都中野区出身である。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
外道(げどう、1969年2月20日 - )は、日本の男性プロ… 外道(げどう、1969年2月20日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名:高山 圭司(たかやま けいじ)。東京都武蔵村山市出身。新日本プロレス所属。血液型A型。 デビューから2022年3月まで「兄弟」こと邪道とのタッグチーム(邪道&外道)で活動していた(この間、ユニバーサル・プロレスリング時代にパット・タナカ&ビジャノ3号と『バッドカンパニー』を結成し、一時敵対したことがある)。邪道とのタッグは後記するユニバーサル、FMWの一時期を除き、30年以上に渡りほぼ断続的に活動しており、現存するタッグチームでは国内最長であった。過去の参戦団体を見た場合、邪道と共にその団体を離脱すると活動停止となることが非常に多い。
船木 勝一(ふなき しょういち、1968年8月24日 - )… 船木 勝一(ふなき しょういち、1968年8月24日 - )は、日本の男性プロレスラー。東京都葛飾区出身。血液型A型。リングネームはFUNAKI(フナキ)。アメリカ合衆国テキサス州サンアントニオ在住。息子はプロレスラーのジェシー・フナキ 大学卒業後、アニマル浜口トレーニングジムでインストラクターを務めていた。その後、新日本プロレスに入門したが怪我により退団。アニマル浜口トレーニングジムでコーチを務めていた。 1993年、プロフェッショナルレスリング藤原組に入門。12月5日、プロフェッショナルレスリング藤原組後楽園ホール大会で船木 勝一(ふなき しょういち)として対カール・グレコ戦でデビュー。 1994年10月、新日本プロレスで開催された「SUPER Jr. TAG LEAGUE」に石川雄規とタッグを組んで出場。
小川 直也(おがわ なおや、1968年3月31日 - )は、… 小川 直也(おがわ なおや、1968年3月31日 - )は、日本の男性柔道家、元総合格闘家、元プロレスラー、体育学者、YouTuber。東京都杉並区出身。学位は体育学修士(筑波大学大学院・2013年)。 全日本柔道選手権では7度の優勝(山下泰裕に次ぐ歴代2位)、世界柔道選手権では100超級と無差別級の2階級制覇(1989年)を含む4度の優勝、バルセロナオリンピックでは銀メダルを獲得。現役時代はJRA職員として活躍。長男は柔道家で2018年世界柔道選手権代表の小川雄勢。 私立八王子高等学校の面接試験の際には、体格のよさを後に恩師となる面接官の小野実に見込まれて、入学したら柔道をやってみないかと問われた際に、本当はラグビーに興味を持っていたが、印象を良くするために柔道をやってみたいと答え、無事合格を果たした。
グリズリー岩本(グリズリーいわもと、1968年2月7日 - … グリズリー岩本(グリズリーいわもと、1968年2月7日 - )は、日本の元女子プロレスラー。本名は岩本 久美子(いわもと くみこ)。東京都大田区出身。プロレス入門では1年後輩のバイソン木村は高校時代の部活の1年先輩である。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。
石黒 泰子(いしぐろ やすこ、1967年12月6日 - )は… 石黒 泰子(いしぐろ やすこ、1967年12月6日 - )は、日本の元女子プロレスラー。東京都文京区出身。全日本女子プロレス所属。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
タカ・クノウ(1967年5月18日 - )は、日本の男性柔術… タカ・クノウ(1967年5月18日 - )は、日本の男性柔術家、総合格闘家、プロレスラー。本名は久能 孝徳。東京都出身。オリンピックメダリストの太田章が主宰する「チーム太田章」所属。 国士舘高校までは柔道を続け、高校卒業後は自衛隊体育学校に進みグレコローマンスタイルを経験する。約1年後に除隊された後、1990年・22歳で渡米、ロサンゼルスに拠点を置いてボディビルを中心としたトレーニング理論を学ぶ。 渡米から14年間、インストラクターや指圧師として暮らしていたが、2001年にアメリカン・インターナショナル・グラップリング大会に於いてブラジリアン柔術の黒帯選手アミリカ・シピリから一本勝ちを奪い、「日本人柔道家として木村政彦以来50年ぶりに黒帯の柔術家から一本勝ちした選手」として注目された。
安生 洋二(あんじょう ようじ、1967年3月28日[要出典… 安生 洋二(あんじょう ようじ、1967年3月28日[要出典] - )は、日本の元男性プロレスラー・プロ格闘家、元GLORYスポークスマン。東京都杉並区出身。血液型A型。 幼稚園の年少から小学校4年生のころまでニュージーランドで過ごす。中学生のころ、初代タイガーマスクに魅了され、第1次UWFにおける高田延彦の試合を見たことでプロレスへの本格的な興味を抱いた。埼玉県立和光高等学校卒業後、UWFに入門。 1985年7月8日、広島県立体育館における星名治戦にてデビュー。同年末に第1次UWFが興行活動を停止後、UWF軍として新日本プロレスに参戦。 1987年、新日本プロレスのヤングライオン杯に出場。 1988年の新生UWFの設立に参加。
バイソン木村(バイソンきむら、1967年3月9日 - )は、… バイソン木村(バイソンきむら、1967年3月9日 - )は、日本の元女子プロレスラー。本名:木村 伸子(きむら のぶこ)。 1985年に高校を卒業後、半年間OLを経験した後、全日本女子プロレスのオーディションを受け合格。同期にアジャコング・KAORU・神谷美織・工藤めぐみ・コンバット豊田・高橋美華らがおり、俗に『61年組』と呼ばれている。 1986年9月10日、茨城・古河市立体育館において、対大橋順子戦でデビュー戦を行い、その後、ダンプ松本率いる『極悪同盟』に加入、ヒールレスラーとなった。武術用具のトンファーを凶器として愛用した。 ダンプ引退後、ブル中野が結成した『獄門党』に参加。1年先輩(同じ高校・同じ部活の1年後輩)であるグリズリー岩本と共にタッグチーム『アウトサイダース』を結成し、タッグチームとしても活躍する。
高山 善廣(たかやま よしひろ、1966年9月19日 - )… 高山 善廣(たかやま よしひろ、1966年9月19日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、俳優。東海大学付属相模高等学校、東海大学文学部文明学科卒業。東京都墨田区出身。血液型O型。個人事務所「高山堂」に所属。マネジメントはハイタイド。 高校時代はラグビー部に、大学時代はアメリカンフットボール部に所属。湘南海岸でライフガードのアルバイト経験を持つ、元ライフセイバーでもある。 20歳のとき大学を休学し、第1次UWF(興行活動停止後の新日本プロレスとの業務提携時代)の入門テストに合格する。入門後、ラグビー時代に負った肩の負傷が再発したことを言い出せず、一か月弱で脱退する。のちにライフガードのアルバイト中、UWFの先輩である宮戸優光と偶然再会し交流を続けたが、当時の新生UWFブームは傍観した。
神崎 文枝(かんざき ふみえ、1966年8月4日 - )は、… 神崎 文枝(かんざき ふみえ、1966年8月4日 - )は、日本の保育士、元女子プロレスラー。身長156cm、体重55kg、血液型AB型。東京都江東区出身。 この項目は、格闘技およびその選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ総合格闘技/PJプロレスラー)。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
風間 ルミ(かざま ルミ、本名:斉藤 ルミエ〈さいとう ルミ… 風間 ルミ(かざま ルミ、本名:斉藤 ルミエ〈さいとう ルミエ〉、1965年11月28日 - 2021年9月21日)は、日本の元女子プロレスラー、元女子シュートボクサー、タレント。東京都台東区出身。血液型B型。 1982年、高校生の時に友人に誘われて始めたキックボクシングで在学中にプロデビュー。 1985年にはシーザー武志に声をかけられシュートボクシング(SB)に入り。SB初の女子試合に出場、美少女シュートボクサーとして雑誌のグラビアを飾り人気アイドルとなる。 1986年、ジャッキー佐藤に誘われプロレスへ転向、ジャパン女子プロレスに入団。 同年8月17日、ジャパン女子プロレス後楽園ホール大会でプロレスラーとしてデビュー。
蝶野 正洋(ちょうの まさひろ、1963年〈昭和38年〉9月… 蝶野 正洋(ちょうの まさひろ、1963年〈昭和38年〉9月17日 - )は、日本の男性プロレスラー、YouTuber。アメリカ合衆国ワシントン州シアトル出身、東京都(渋谷区、三鷹市)育ち。血液型O型。 父は愛媛県新居浜市出身で、日本製紙の前身企業のひとつ・山陽国策パルプ専務を務めた蝶野照正。母は愛媛県大洲市出身で医者の家系であった。兄と姉がいる。父の赴任先であるアメリカ合衆国ワシントン州シアトルで3人兄弟の末子として生まれた。2歳半で帰国し、以後は神奈川県川崎市多摩区、東京都渋谷区、三鷹市で過ごす。アメリカと日本の多重国籍であったが帰化[要出典]している。 目黒区たちばな幼稚園、渋谷区立猿楽小学校、三鷹市立北野小学校、三鷹市立第五中学校、三鷹市立第六中学校、東京都立永山高等学校卒業。
サンボ浅子(サンボあさこ、1963年8月27日 - 2004… サンボ浅子(サンボあさこ、1963年8月27日 - 2004年5月18日)は、日本のプロレスラー。本名:浅子 文晴(あさこ ふみはる)。 中学2年生より柔道を始め、柔道家を経て1982年の世界サンボ選手権で活躍後、第一次UWFやジャパン女子プロレスの営業マンとして勤務していたが、1989年10月に大仁田厚が旗揚げしたFMWへ初期のレスラーとして参加。12月1日に対徳田光輝戦でプロデビュー。 大仁田厚・ターザン後藤に次ぐ「FMW第3の男」と呼ばれ、明るく憎まれない人柄とサンボ仕込みのファイトスタイルで、ファンに親しまれて大仁田軍団の一員として活躍する。しかし持病の糖尿病で体調を崩してしまい、1995年1月5日に行われた後楽園ホール大会の大仁田戦で現役を引退する。
ジャンボ堀(ジャンボほり、1962年(昭和37年)9月25日… ジャンボ堀(ジャンボほり、1962年(昭和37年)9月25日 - )は、日本の元女子プロレスラー。本名:堀 あゆみ(ほり あゆみ)。 中学生の頃はバレーボールに打ち込んでいた。 フジテレビで全日本女子プロレスのオーディションが開かれると聞き「アイドルに会える」という安易な考え方で受けて一発で合格した。当時はプロレスを全く知らず、「ビューティペア」をアイドルだと思っていた。そして審査員だったビューティペアのジャッキー佐藤に「履歴書の記述よりも背が低いのでは」と問われ、逆に「上げ底の靴を履いているのでは」と言い返し、ヒールの靴を脱いだジャッキー佐藤の隣に立ったら、172cmの身長であったジャンボ堀の方が背が高かった。
山崎 一夫(やまざき かずお、1962年8月15日 - )は… 山崎 一夫(やまざき かずお、1962年8月15日 - )は、整体師、鍼灸師、タレント、元男性プロレスラー。血液型B型。YouTuber。東京都港区出身。愛称は山ちゃん。ワールドプロレスリングの解説を務めていた。 東京都港区麻布十番生まれ。しばしば、山崎は「『いいところに住んでいたんだね』と言われるが、チンチン電車が走っているぐらいで何もなかった。唯一、これっていうのは東京タワーが近くに見えるぐらい」と生育環境を語っている。父親はパイプ加工企業に勤めていた会社員であった。5歳の時、世田谷区の九品仏に引っ越している。中学時代に友人にプロレスラーになりたいと言ったところ、新日本プロレスの道場を勧められ、そこで練習生としてトレーニングを始めた。