久保田 鼎(くぼた かなえ、安政2年3月27日(1855年5… 久保田 鼎(くぼた かなえ、安政2年3月27日(1855年5月13日) - 1940年1月10日)は近代日本の官僚。奈良および京都帝室博物館の館長、東京美術学校校長などを務めた。号は理道。 中津藩士久保田安兵衛の次男として江戸小石川で生まれ、理三郎と名付けられた。幼少期に両親を亡くした後、臼杵藩の江戸藩邸にいた叔父の白石照山に引き取られて漢書の句読などを受けている。明治維新の時期は収入の確保に苦労したが、1873年に東京府桜川学校で授業生の職を得て、さらに半年後には文部省の写字生となった。筆生や権少禄を経て1877年1月に九等属、同年12月に八等属へと昇進を重ねた。七等属に昇進した1880年には文部少輔の九鬼隆一の中国地方巡視に随行し、以後九鬼と接触する機会が増えた。
関根 柳介(關根、せきね りゅうすけ、1853年11月5日(… 関根 柳介(關根、せきね りゅうすけ、1853年11月5日(嘉永6年10月5日)- 1917年(大正6年)11月24日)は、明治から大正前期の官吏・政治家。衆議院議員、東京府南葛飾郡奥戸村長。 武蔵国葛飾郡曲金村(東京府南葛飾郡奥戸村大字曲金、奥戸町大字曲金、東京市葛飾区を経て現東京都葛飾区)で、代々里正を務めた関根家に生まれる。和漢学、武術を修めた。父に代わって里正を務めた。 1876年(明治8年)内務省に出仕。以後、鹿児島県属、大蔵省属、福井県属、熊本県徴収課長、逓信属などを歴任した。 1889年(明治22年)奥戸村長に就任。1892年(明治25年)東京府会議員に当選し、大隊区徴兵参事員も務めた。
山脇 玄(やまわき げん、嘉永2年3月3日(1849年3月2… 山脇 玄(やまわき げん、嘉永2年3月3日(1849年3月26日)- 大正14年(1925年)10月7日)は、日本の法学者、法制官僚、政治家、教育者。法学博士、行政裁判所長官、貴族院議員。 福井藩の藩医・山脇立樹の長男として生まれる。福井藩の医学校・済生館で学んだ後、長崎に遊学して蘭学を学んだ。 1870年(明治3年)、文部省留学生としてドイツに渡り、ベルリン大学、ライプツィヒ大学、ハイデルベルク大学などで法学等を学び、日本人として初めてドイツ政府よりドクトルの称号を授与された。 1877年(明治10年)5月に帰国。同年8月、司法省御用掛となり民法編纂掛分科詰に配属された。以後、司法権少書記官兼太政官権少書記官、太政官権少書記官、参事院議官補・法制部、法制局参事官、兼行政裁判所評定官、法制局第一部長、行政裁判所評定官、同裁判所部長などを歴任し、大日本帝国憲法・皇室典範の草案・起草にも参画した。
川路 寛堂(かわじ かんどう、弘化元年12月21日(1845… 川路 寛堂(かわじ かんどう、弘化元年12月21日(1845年1月28日) - 昭和2年(1927年)2月5日)は、江戸時代末期(幕末)から昭和の旗本、大蔵省官僚、教育者。川路聖謨の孫に当たる。通称は太郎、諱は温、寛堂は号だが、伊藤博文秘書役時代、公文書に寛堂と署名していたため、本名も寛堂になったという。 弘化元年(1844年)12月21日、江戸番町冬青木坂上に川路彰常の長男として生まれた。弘化3年(1847年)9月25日、2歳で父と死別し母も再婚して別離、大叔父の井上清直夫妻に引き取られ養育された。嘉永3年(1850年)2月27日に下総佐倉藩医鏑木仙安の手で牛痘を接種、嘉永4年(1851年)6月22日に6歳で奈良奉行を退任して江戸へ召還された祖父川路聖謨と面会して川路家に戻り、祖父の庇護を受けた。
熊澤 英昭 は、日本の農林官僚。姓の「澤」は「沢」の旧字体で… 熊澤 英昭 は、日本の農林官僚。姓の「澤」は「沢」の旧字体であるため、熊沢 英昭とも表記される。
榎本 武揚 は、日本の官僚・海軍軍人。海軍中将正二位勲一等子… 榎本 武揚 は、日本の官僚・海軍軍人。海軍中将正二位勲一等子爵。
森口 泰孝(もりぐち やすたか、‐)は、日本の官僚。前文部科… 森口 泰孝(もりぐち やすたか、‐)は、日本の官僚。前文部科学事務次官、東京理科大学副学長。東京都出身。
飯田 明子(いいだ あきこ)は、日本の厚生労働官僚。 東京都… 飯田 明子(いいだ あきこ)は、日本の厚生労働官僚。 東京都出身。東京都立戸山高等学校から東京大学文科一類に入学。東大法学部在学中に国家公務員一種試験(法律)を合格。2001年 厚生労働省入省。厚生労働省大臣官房人事課主査(育児休暇)、厚生労働省労働基準局労働関係法課長補佐などを経て、2021年7月 厚生労働省大臣官房付兼雇用環境・均等局。同年8月 厚生労働省雇用環境・均等局総務課雇用環境・均等企画官。同年9月 厚生労働省大臣官房総務課企画官。2023年7月4日 農林水産省大臣官房参事官兼大臣官房新事業・食品産業部付。2025年7月8日 厚生労働省大臣官房参事官。
白間 竜一郎(しらま りゅういちろう)は、日本の文部科学官僚… 白間 竜一郎(しらま りゅういちろう)は、日本の文部科学官僚。文部科学省大臣官房審議官を経て、文部科学省高等教育局私学部長。 東京都立富士高等学校を経て、東北大学法学部卒業。1986年文部省入省。島根県教育委員会出向や、文部省高等教育局医学教育課課長補佐、文部科学省大臣官房総務課広報室長等を経て、2006年の第1次安倍内閣で公募による首相官邸政策スタッフとして、井上一徳や、高橋洋一、清水康弘らとともに内閣総理大臣補佐官付内閣参事官に就任した。 その後、文部科学省高等教育局私学部私学助成課長や、文化庁文化財部伝統文化課長を経て、2011年文部科学省初等中等教育局児童生徒課長。2013年文部科学省スポーツ・青少年局スポーツ・青少年企画課長。
植田 守昭(うえだ もりあき)は、日本の通産官僚。通商産業省… 植田 守昭(うえだ もりあき)は、日本の通産官僚。通商産業省基礎産業局長を経て、日本鉄鋼連盟副会長や、日本アルコール販売代表取締役社長を務めた。 東京都出身。東京都立第二中学校(現東京都立立川高等学校)、海軍兵学校第76期を経て、1951年に東京商科大学(現一橋大学)卒業後、大学の杉本栄一研究室に残り指導を受けて学者を目指したが、杉本が急逝したため、1954年通商産業省入省。 通商産業省企業局企業第一課長補佐を経て、1968年通商産業省企業局商務第二課長。1969年通商産業大臣官房審議官。1971年中小企業庁計画部下請企業課長。1972年通商産業省企業局工業用水課長。 1973年佐賀県経済部長。
内野洋次郎(うちの ようじろう)は、日本の財務官僚、ニューヨ… 内野洋次郎(うちの ようじろう)は、日本の財務官僚、ニューヨーク州弁護士。 私立武蔵高校、東京大学法学部卒業。1992年 大蔵省に入省(銀行局総務課)。1994年6月 ミシガン大学へ留学。1998年7月 国税庁徴収部徴収課長補佐。2006年7月主計局主計官補佐(防衛第一係主査)。 2014年7月9日 主計局総務課主計企画官(調整担当)。2015年7月9日 主計局給与共済課長。2016年6月22日 主計局主計官(防衛担当)。2019年7月9日 大臣官房付兼英国王立国際問題研究所。2021年7月16日 大臣官房審議官(国際局担当)。2023年7月4日 大臣官房参事官(関税局担当)兼大臣官房審議官(関税局担当)。
日向寺裕芽子(ひゅうがじ ゆめこ)は日本の財務官僚。 女子学… 日向寺裕芽子(ひゅうがじ ゆめこ)は日本の財務官僚。 女子学院高等学校、東京大学法学部第2類(公法コース)卒業。東大法学部第2類4年次には応援団のチアリーダーズの責任者を務めた。 2007年 財務省入省。理財局総務課配属。2012年6月からLSEへ留学。2015年7月 厚生労働省年金局年金課長補佐。年金制度について携わる。2019年7月 主税局税制第一課長補佐。2021年7月9日 国際局地域協力課地域協力調整室長。 2023年7月7日 主計局主計官補佐(外務、経済協力第一係主査)兼主計局司法課。外交・経済協力費(政府開発援助(ODA)等)を担当。外務省や経済協力費を持つ他の省庁の査定を行う。
上野 絢子(うえの じゅんこ)は、日本の財務官僚。外務省在フ… 上野 絢子(うえの じゅんこ)は、日本の財務官僚。外務省在フランス大使館参事官。 学習院女子高等科から東京大学に入学。東大法学部在学中はオーケストラでバイオリンを弾いていた。その一方で、バスケ部のマネージャーを務め、法律相談所にも所属していた。東大法学部卒業。 2004年 財務省入省(国際局国際機構課)。同期に篠田和哉、阿部敦壽、浅賀崇、越中隆広らがいる。G7を始めとする国際会議やIMF(国際通貨基金)に関する業務に従事。 2006年 福岡国税局調査査察部国税調査官。2007年6月からケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ、オックスフォード大学へ留学。 2009年7月 関税局関税課国際機構係長。主にWTO(世界貿易機関)、APEC(アジア太平洋経済協力)を担当。
浜野 潤(はまの じゅん、 - )は、日本の官僚。元内閣府事… 浜野 潤(はまの じゅん、 - )は、日本の官僚。元内閣府事務次官。