小薗江 圭子(おそのえ けいこ、1935年 - 2011年)… 小薗江 圭子(おそのえ けいこ、1935年 - 2011年)は、日本の作家、作詞家、映像作家、アニメーター。本名・平川圭子。 東京生まれ。9歳まで銀座に住む。日本女子大学在学中からぬいぐるみ作家として注目され、その後イラストレーター、童話作家、エッセイストとしても活躍。初期の「みんなのうた」のアニメ作家でもあり、「この広い野原いっぱい」の作詞者としても知られる。 「うちのネコ ぼくのネコ」「魔法のワルツ(魔法使いチャッピー)」「夕やけ番長」などの作詞のほか、『モザイクの馬』『耳かきのすきな王様』『生活美人』などの著作がある。「ツビレグ ツブレグ マーチ」「新しい動画 3つのはなし」のアニメ映像も担当した。
鈴木 三好(すずき みよし、1935年 - 2019年9月2… 鈴木 三好(すずき みよし、1935年 - 2019年9月27日)は、神奈川県藤沢市出身の元アマチュア野球選手、監督である。ポジションは投手。 藤嶺藤沢高等学校、法政大学を経て、神奈川大学に転校する。大学卒業後は、社会人野球のリッカーに入団する。現役時代は下手投げの投手として活躍した。 1959年から1998年までに神奈川大学の監督を務め、神奈川大学野球リーグでは40回のリーグ優勝を遂げ、日米大学野球日本代表のコーチも務めた。
石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年〈昭和9年〉1… 石原 裕次郎(いしはら ゆうじろう、1934年〈昭和9年〉12月28日 - 1987年〈昭和62年〉7月17日)は、日本の俳優、歌手、実業家。兄は、芥川賞を受賞した小説家で政治家の石原慎太郎。 石原プロモーション創立者で、初代代表取締役社長兼会長。ヨットマンとしても活動していた。昭和を代表する俳優・タレントとされている。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・男優編」で日本男優の2位、同号の「読者が選んだ20世紀の映画スター男優」では第6位になった。2014年に発表された『キネマ旬報』の『オールタイム・ベスト 日本映画男優・女優』では日本男優の14位となっている。 1934年(昭和9年)12月28日(金曜日)に父石原潔(山下汽船社員、愛媛県出身)、母光子(広島県宮島の出身)のもと、兵庫県神戸市須磨区で誕生。
折笠 美秋(おりがさ びしゅう、1934年〈昭和9年〉12月… 折笠 美秋(おりがさ びしゅう、1934年〈昭和9年〉12月23日 - 1990年〈平成2年〉3月17日)は、俳人、新聞記者。本名・美昭。 神奈川県横須賀市出身、早稲田大学高等学院・中学部国文学科卒。在学中に同人誌に文芸作品を発表するとともに早大俳句会に参加。1958年東京新聞社に入社。同年『俳句評論』が創刊されて同誌の編集同人となり高柳重信に師事、新聞記者として働く傍らで俳句作品や俳句評論を精力的に執筆する。1967年第3回俳句評論賞を受賞(評論の部)。「俳句評論」終刊のちに、有力同人10人限定の同人俳句誌「騎」創刊(1984年)に参加し、その志を継いだ。ほかの創刊同人は、坂戸淳夫、岩片仁次、安井浩司、寺田澄史、川名大、大岡頌司、阿部鬼九男、志摩聰、佐藤輝明。
藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年〈昭和9年〉12月… 藤村 俊二(ふじむら しゅんじ、1934年〈昭和9年〉12月8日 - 2017年〈平成29年〉1月25日)は、日本の俳優、声優、タレント、振付師、実業家。神奈川県鎌倉市出身。愛称は「おヒョイ(さん)」。俳優事務所、有限会社O’hyoi & Sons(オヒョイアンドサンズ)所属。 実父はスバル興業社長2代目や国際宣伝企業株式会社常務を務めた藤村一良。兄に藤村哲司、妹に晴美、弟に藤村和三郎、藤村良典(後にキョードー東京関連会社キョードー横浜の会長を務めた)、藤村和良がいる。父は1904年6月東京生まれで、1923年に慶応義塾商業を卒業後旭硝子に入り日本油化工業の課長を務め、1946年からスバル興業専務となった。
小山 幹夫(こやま みきお、1934年12月7日 - )は日… 小山 幹夫(こやま みきお、1934年12月7日 - )は日本の映画監督、テレビディレクター、舞台演出家、脚本家、日本映画監督協会会員。日本大学芸術学部映画科卒業、神奈川県茅ヶ崎市出身。福島県西白河郡矢吹町在住。 神奈川県茅ヶ崎市生まれ。神奈川県立湘南高等学校、日本大学芸術学部映画科を卒業。 1957年(昭和32年)東映東京撮影所の助監督として入社。関川秀雄、佐伯清、深作欣二らに師事。 1965年(昭和40年)東映東京撮影所・監督に昇進。初監督作品は藤田まこと主演映画『喜劇・一発かましたれ!』、キャッチコピー「昼はサラリーマン、夜はギャングのボス!腰抜け社員で笑わせて、恐いギャングでまた笑わせる、爆笑必至の底抜けコメディー!!」。
中村 順一(なかむら じゅんいち、1934年11月26日 -… 中村 順一(なかむら じゅんいち、1934年11月26日 - )は、日本の外交官。京都国際会館館長も務めた。神奈川県横浜市出身。長男は財務官僚の中村英正。岳父は大蔵官僚の山田義見。 1958年に東京大学法学部を卒業し、1960年にケンブリッジ大学大学院修士課程修了。 その後、外務省に入省し、在インドネシア公使、在シドニー総領事、国際協力事業団理事、外務省儀典長、ベルギー国駐箚特命全権大使などを歴任し、現在は外務省参与を務めている。 1998年から2008年までに京都国際会館館長を務めた。 平安女学院大学客員教授、京都外国語大学理事、国際京都学協会副理事長も兼任している。 著書に「日本の感性と東洋の叡智」(淡交社、2021年)などがある。
潮木 守一(うしおぎ もりかず、1934年11月11日 - … 潮木 守一(うしおぎ もりかず、1934年11月11日 - 2023年2月26日)は、日本の教育社会学者。専門は、教育開発論・教育社会学。名古屋大学名誉教授。桜美林大学招聘教授。元日本教育社会学会会長。牧野巽の教え子。瑞宝中綬章受章。 1934年、神奈川県横須賀市生まれ。1957年、東京大学教育学部教育学科を卒業。1975年、東京大学に学位論文を提出して教育学博士の学位を取得。2023年2月26日、急性心筋梗塞のため死去、88歳没。 中央教育審議会委員、国民生活審議会委員、日本学術会議会員、ユネスコ国内委員会委員などを務めた。 国立大学法人山梨大学経営協議会委員
石川 晶(いしかわ あきら、1934年11月10日 - 20… 石川 晶(いしかわ あきら、1934年11月10日 - 2002年2月10日)は、日本のジャズ・ドラマー、スタジオ・ミュージシャン。 神奈川県横須賀市出身。三浦学苑高等学校を卒業後、田中雅一と松本伸に音楽を学ぶ。松本伸とニュー・パシフィックにドラム担当で加わり、宮沢昭モダン・オールスターズ、保坂俊雄とエマニアーズとバンドを渡り歩く。後に宮間利之とニューハードのドラマーになり活動。 後年の独立後に、後のカウントバッファローズの母体となるバンド・ゲンチャーズ(現地人の集まりという意味)を結成。彼のライフワークとなるアフリカへ行き、ドラム以外の打楽器を多く学んだ後、帰国してリサイタルを開いた。後にフジテレビの音楽番組「ビートポップス(大橋巨泉司会)」のレギュラーとなる。
土屋 守章(つちや もりあき、1934年 <昭和9年> 10… 土屋 守章(つちや もりあき、1934年 <昭和9年> 10月26日 - 2010年 <平成22年> 8月2日)は、日本の経営学者。学位は、経済学博士(東京大学・1963年)。東京大学名誉教授。 1934年10月26日、神奈川県逗子市生まれ。1953年、神奈川県立湘南高等学校卒業。1957年、東京大学経済学部卒業。1963年、東京大学大学院社会科学研究科課程修了。東京大学より経済学博士の学位を取得。 1963年、東京大学経済学部助手。1965年、同経済学部助教授。1978年、同経済学部教授。1993年、日本生産性本部経営アカデミー学長。1995年、東京大学名誉教授、東京経済大学経営学部・経営学研究科教授。
篠原 欣子(しのはら よしこ、1934年10月19日 - )… 篠原 欣子(しのはら よしこ、1934年10月19日 - )は、日本の実業家、学校法人理事長。テンプスタッフ創業者。テンプホールディングス取締役会長。篠原学園専門学校理事長。
狩野 明男(かのう あきお、1934年〈昭和9年〉10月2日… 狩野 明男(かのう あきお、1934年〈昭和9年〉10月2日 - 1992年〈平成4年〉2月26日)は、日本の政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。選挙に立候補するときは「かのう 明男」という表記だった。 1934年(昭和9年)10月3日、神奈川県三浦郡葉山町生まれ。茨城県新治郡志士庫村(後の出島村、霞ヶ浦町を経て現在のかすみがうら市)出身。 1941年(昭和16年)4月、志士庫村立宍倉国民学校入学。小学2年生のときに父がニューギニアの戦いで戦死し、母も6年生のとき死去、狩野他3人の兄弟は親戚で別々に育てられる。1947年(昭和22年)4月、荏原中学校入学。1950年(昭和25年)4月、茨城県立土浦第一高等学校入学。
鈴木 良(すずき りょう、1934年9月25日 - 2015… 鈴木 良(すずき りょう、1934年9月25日 - 2015年2月16日)は、日本の歴史学者。専門は日本近代史・部落問題など。立命館大学教授、部落問題研究所理事、国民融合をめざす部落問題全国会議代表などを務めた。主な著書に『近代日本部落問題研究序説』、『水平社創立の研究』がある。 1934年、神奈川県川崎市に生まれる。1945年の敗戦時に国民学校5年生、1947年の新制中学校の発足の時に中学校1年生であった。明治学院中学校、神奈川県立川崎高等学校を経て、1953年に京都大学文学部に入学する。同級生には、石躍胤央(のち徳島大学教授)、大山喬平(のち京都大学教授)、河音能平(のち大阪市立大学教授)、芝原拓自(のち大阪大学教授)、中野玄三(のち嵯峨美術短期大学教授)、ひろたまさき(のち大阪大学教授)、安丸良夫(のち一橋大学教授)らがいた。
金子 勝彦(かねこ かつひこ、1934年8月30日 - 20… 金子 勝彦(かねこ かつひこ、1934年8月30日 - 2023年8月20日)は、日本のスポーツアナウンサー・コメンテーター。元毎日放送(MBS)・テレビ東京(TX)アナウンサー。神奈川県横浜市生まれ。愛称「ネコさん」。 横浜中学校・高等学校→中央大学法学部卒業後、1957年、毎日放送(MBS)にアナウンサーとして入社。1958年アジア大会サッカー日本代表の加茂豊(京都パープルサンガ元監督・加茂周の実兄)は毎日放送の同期であり、金子が日本サッカー界の要人との人脈を作るきっかけを与えた人物である。この経緯で、サッカーとの接点はMBS時代からあったが、MBS時代にサッカー中継を担当する事は一度も無かった。
池田 宏(いけだ ひろし、1934年8月10日 - )は、日… 池田 宏(いけだ ひろし、1934年8月10日 - )は、日本のアニメーション演出家、教員。東京都大田区生まれ。 1941年、相生国民学校入学後、3年次より疎開を繰り返し、同じ学校を含め8回。[要出典] 1950年、神奈川県立湘南高等学校に入学するが、バスケット部の夏の合宿時に病気を発症、入学1年目で休学した。フランス自然主義文学に熱中する。[要出典]また、中学時代から「生死」「自他」「存在」といった哲学的なテーマに興味を示し、答を求めて通った神田神保町の古書店主の何人かから、哲学史を「私塾的」に教えられたという。高校卒業時は仏文科志望だったが、浪人中に「情報メディアの情報伝達機能に関する議論」をしたことで、映像を志望することとなる。
今泉 昭(いまいずみ あきら、1934年7月23日 - 20… 今泉 昭(いまいずみ あきら、1934年7月23日 - 2021年2月8日)は、日本の政治家。参議院議員(2期)。神奈川県藤沢市出身。 満洲の旅順で終戦を迎える。早稲田大学文学部を卒業。ハワイで旅行代理店を営んだ後、ゼンキン連合へ。副書記長、書記長、会長代行と歴任。民社党の中核労組の幹部として活動し、1995年の第17回参議院議員通常選挙に比例区から新進党公認で立候補し初当選。新進党解党後は新党友愛を経て民主党に所属した。 2001年の第19回参議院議員通常選挙に千葉県選挙区から立候補し当選。その後、党参院国会対策委員長、党参院幹事長などを経て、2007年1月30日、政治献金を巡る疑惑により引責辞任した角田義一に代わり参議院副議長に選出された。
望月 明(もちづき あきら、1934年7月18日 - 201… 望月 明(もちづき あきら、1934年7月18日 - 2016年8月25日)は、日本の俳人。神奈川県横浜市南区高砂町生まれ。在家得度、法名は、「徹心明道」(みょうどう)。 神奈川県横浜市南区高砂町に生まれる。10歳(小学校4年生)の頃、同区伏見町に転居。横浜市立共進中学校を卒業後、1950年(昭和25年)、横浜市立横浜商業高等学校普通科に入学、同期には、写真家の南信一郎等がいる。 1959年(昭和34年)、結婚を機に、横浜市南区庚台(かのえだい)に転居、ついの住居とする。隣家に、演出家でアニメーターの板野一郎が小中学生時代住んでいた。生粋の横浜子(はまっこ)である。 1948年(昭和23年)、中学の国語の時間で初めて俳句を習い、「横浜の焼跡かなし夏の草」の一句稿が国語教師に激賞され、『少年新聞』の俳句欄では第一席を占めた。
西堀 昭(にしぼり あきら、1934年7月14日 - )は、… 西堀 昭(にしぼり あきら、1934年7月14日 - )は、フランス文学者、日仏文化交流研究、横浜国立大学名誉教授。 横浜市出身。1953年(昭和28年)3月、県立横浜立野高等学校(旧県立横浜第二高等女学校)卒業。1957年(昭和32年)横浜市立大学文理学部文科卒業。同年中央大学大学院仏蘭西文学研究科修士課程入学。1962年(昭和37年)、同大学博士課程入学。1963年(昭和38年)3月中央大学大学院文学研究科仏蘭西文学専攻博士課程中退。 中央大学大学院フランス文学研究科博士課程で辰野隆(中央大学大学院専任教授、前 東京大学教授)、鈴木信太郎(東京大学教授、後に中央大学大学院専任教授)、渡辺一夫(東京大学教授、中央大学大学院兼任講師)、秋山晴夫(中央大学大学教授)、水野亮(中央大学教授)、川口篤(東京大学教授、中央大学大学院兼任講師)、中平解(東京教育大学教授、中央大学大学院兼任講師)教授に師事。
木村 英俊(きむら ひでとし、1934年6月10日 - 20… 木村 英俊(きむら ひでとし、1934年6月10日 - 2019年7月16日)は、北海道出身の音楽プロデューサー。ジーベック音楽出版代表取締役。 実娘はシンガーソングライターの木屋響子(本名・木村恭子)。妻はマリンバ奏者の安倍圭子。 慶應義塾高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。日東金属鉱山を経て、1963年に日本コロムビア入社。1965年に志願して営業部から学芸部へ移籍し、1977年から学芸部長、1989年から制作本部長を歴任した。アニメーション作品・特撮作品の楽曲や子供向けの楽曲をプロデュースし、日本コロムビアの隆盛期の一分野を担う。 1992年、日本コロムビアが新規設立したグループ会社「フォルテミュージックエンタテインメント」(FME)の社長に就任。
山田 太一(やまだ たいち、1934年〈昭和9年〉6月6日 … 山田 太一(やまだ たいち、1934年〈昭和9年〉6月6日 - 2023年〈令和5年〉11月29日)は、日本の脚本家・小説家。本名:石坂 太一(いしざか たいち)。 松竹で木下惠介の助監督を務めた後、フリーランスとなり、テレビドラマの脚本家に転身。社会的弱者を主題としたり、テレビドラマのタブーに挑戦したりするなど、数々の話題作を次々と生み出した。 小説では『飛ぶ夢をしばらく見ない』『異人たちとの夏』『遠くの声を捜して』の三部作を著し、小説家としても活動した。『異人たちとの夏』では1988年(昭和63年)に山本周五郎賞を受賞し、同作の映画や舞台も手掛けている。 東京市浅草区出身。浅草六区で大衆食堂を経営していた愛知県出身の父親と栃木県真岡市出身の母親の子として誕生。
中村 粲(なかむら あきら、1934年4月24日 - 201… 中村 粲(なかむら あきら、1934年4月24日 - 2010年6月23日)は、日本の英文学者、近代史研究家、獨協大学名誉教授。 1934年、東京都生まれ。海軍主計少佐の父・春男の下に生まれる。鎌倉市立御成小学校、栄光学園中学校・高等学校卒業。1959年、東京大学文学部英文学科を卒業。 都立高校教員を経て、1964年より獨協大学に勤務する。所属は外国語学部英語学科。専任講師、助教授(1971年)を経て1987年より教授。1991年からは英語学科長を務めた。2005年3月に定年退職し、名誉教授となった。2010年6月23日、肺癌のため死去。76歳没。 なお、「昭和史研究所」「NHK報道を考へる会」は、中村の死去により同年末解散した。
内野 正雄(うちの まさお、1934年4月21日 - 201… 内野 正雄(うちの まさお、1934年4月21日 - 2013年以前)は、神奈川県出身のサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW(インサイドライト)。 神奈川県立小田原高等学校を1953年に卒業。中央大学ではサッカー部に所属。卒業後は古河電工サッカー部に入団。1960年度天皇杯にて、実業団チームとして初となる天皇杯優勝に貢献した。翌1961年度、1964年度にも天皇杯優勝。 学生時代から日本代表に選出され、1956年のメルボルンオリンピック予選では韓国代表との1戦目で貴重な先制点を挙げた。2戦目は韓国に敗れたものの、抽選で本大会出場が決定。本大会でのオーストラリア代表戦にも出場した。
衆樹 資宏(もろき すけひろ、1934年4月19日 - 19… 衆樹 資宏(もろき すけひろ、1934年4月19日 - 1999年6月25日)は、神奈川県藤沢市出身のプロ野球選手(外野手)。 湘南高校では2年生の時、エースとして1951年春の選抜に出場したが、1回戦で長崎西高に0-1で敗れた。1年上のチームメートには、遊撃手の佐々木信也がいた。翌1952年春季関東大会では準々決勝から3試合連続延長戦でサヨナラ勝ち、決勝で宇都宮高を下し優勝を飾った。同年夏の甲子園県予選でもエース、4番打者として決勝に進出するが小坂佳隆らのいた法政二高に敗れた。 卒業後は慶應義塾大学に入学し、野手に転向する。東京六大学野球リーグでは1955年春季リーグで戦後初の三冠王となり、同年の第2回アジア野球選手権大会日本代表(東京六大学リーグ選抜チーム)に選出された。
宇佐美 寛(うさみ ひろし、1934年4月16日 - 202… 宇佐美 寛(うさみ ひろし、1934年4月16日 - 2023年8月25日)は、日本の教育学者。千葉大学名誉教授。 神奈川県横須賀市出身。1960年、東京教育大学教育学部卒業、同大学助手。1961 - 62年、ミネソタ州立大学に留学する。1965年、東京教育大学大学院博士課程修了。「ブロンスン・オルコットの教育思想」で教育学博士。1967年、千葉大学教育学部講師、1968年助教授、1977年教授、1993 - 97年教育学部長。2000年定年退官、名誉教授。
熊谷 賢一(くまがい けんいち、1934年2月16日 - 2… 熊谷 賢一(くまがい けんいち、1934年2月16日 - 2017年10月9日)は、日本の作曲家。神奈川県横浜市生まれ。名古屋市立菊里高等学校音楽課程、1954年愛知学芸大学(現・愛知教育大学)卒業。1974年より1994年まで暁学園短期大学(現・四日市大学)教授。 1978年創作合唱曲公募受賞。1990年に朝日作曲賞受賞。日本作曲家協議会会員。日本室内管弦楽団代表。1949年に桜台高等学校の校歌を作曲している(出典:桜台高校広報紙「図書館の窓」)。NHKドラマ「中学生日記」の音楽も担当した。 2017年、腎不全で死去。 公式ウェブサイト“KUMA HOUSE”
中尾 俊夫(なかお としお、1934年2月13日 - 200… 中尾 俊夫(なかお としお、1934年2月13日 - 2000年5月13日)は、日本の言語学者、英語学者。 神奈川県横浜市生まれ。東京教育大学卒、1961年同大学院博士課程満期退学、1975年「後期中英語の強勢音韻論」で東京教育大学文学博士。宇都宮大学講師、助教授、津田塾大学助教授、教授。 2000年5月13日、肺癌のため死去。
森本 英夫(もりもと ひでお、1934年1月26日 - 20… 森本 英夫(もりもと ひでお、1934年1月26日 - 2022年3月27日)は、日本のフランス語学者、翻訳家。大阪市立大学・甲南女子大学名誉教授。 神奈川県横浜市生まれ。1957年名古屋大学文学部卒、1962年早稲田大学大学院文学研究科博士課程中退。1976年「フランス語動詞時称の統辞的分析と記述の方法に関する試論」で文学博士。大阪市立大学講師、助教授、教授、1997年定年退官、名誉教授、甲南女子大学教授、2003年退職、名誉教授、2005年京都外国語大学教授、2009年退任。 中世フランス語が専門。中世ロマンス、幕末フランス人が見た日本、料理書などを翻訳した。 2022年3月27日、心不全のため死去。
山口 祐司(やまぐち ゆうじ、1934年1月23日 - 20… 山口 祐司(やまぐち ゆうじ、1934年1月23日 - 2017年11月5日)は、日本の実業家、商学者。桜美林大学名誉教授。専門はホスピタリティ経営。長女はノンフィクション作家の山口由美。 1934年に神奈川県横浜市で生まれる。1957年に早稲田大学第一商学部卒業後、三菱商事に入社する。1958年には富士屋ホテルに転職した。1959年にホテル業界で有名であるコーネル大学ホテル経営学部に入学し、1961年に卒業する。その間に、ウオルドルフ・アストリアホテル、ロイヤルハワイアンホテルに勤務する。その後、1971年に富士屋ホテル取締役、1988年には副社長、富士屋ホテルチェーン総支配人を経て、1999年に監査役となる。
大須賀 明(おおすが あきら、1934年1月21日 - 20… 大須賀 明(おおすが あきら、1934年1月21日 - 2015年12月23日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1984年)(学位論文「生存権論」)。早稲田大学名誉教授。元早稲田大学比較法研究所所長。元司法試験第二次試験考査委員(憲法)。神奈川県横浜市出身。女優・十朱幸代は母方の従妹。 特に社会権関係の研究で知られる。生存権について具体的権利説を推進した。具体的権利説によれば具体的な立法(例えば生活保護法)が存在しなくとも、直接憲法25条によって司法に訴えることが出来ることになる。大須賀の具体的権利説の場合は、立法権(国会)に対してその最高機関性をなるべく侵害しない形で、作為を義務づけるのではなく、不作為の違憲確認訴訟を起こすことにその意義がある。
玉置 宏(たまおき ひろし、1934年1月5日 - 2010… 玉置 宏(たまおき ひろし、1934年1月5日 - 2010年2月11日)は、日本のフリーアナウンサー、テレビ司会者である。 本名は玉置 宏行()。日本司会芸能協会名誉会長、横浜にぎわい座初代館長。 神奈川県川崎市川崎区南町の遊郭入口でタマオキ米屋を営んでいた玉置義作と、小学校教師の玉子の5人兄弟の長男として生まれる。神奈川県立川崎高等学校、明治大学商学部卒業。 大学卒業後、1956年文化放送にアナウンサーとして入社。1958年、三橋美智也の勧めで退社しフリーに転身。以後、司会を中心にテレビ・ラジオ・舞台などで活動。同年から1977年までTBS『ロッテ歌のアルバム』を務める。当時としては斬新な司会の手法は人気を呼び、19年・1,000回、1967年からNET『象印スターものまね大合戦』を10年務める。
樋田 慶子(ひだ けいこ、1934年〈昭和9年〉1月1日 -… 樋田 慶子(ひだ けいこ、1934年〈昭和9年〉1月1日 - )は、日本の女優。本名は同じ。東京都出身。旧芸名は緋多景子。 主にテレビドラマや舞台などで脇役として活躍している。
大関 弘政(おおぜき ひろまさ、1934年 - )は、日本の… 大関 弘政(おおぜき ひろまさ、1934年 - )は、日本の劇作家・舞台演出家。元宝塚歌劇団座付作・演出家。 横浜市出身。学習院大学卒業後、宝塚歌劇団に入団。1963年、「山彦乙女」でデビュー。 1994年、星組公演「若き日の唄は忘れじ」作・演出をもって退団。その後、宝塚音楽学校で演劇講師に就任し、2011年退職。2015年まで宝塚大学にて特任教授。劇団わらび座では「春秋山伏記」、「鬼ンこおばこ」を手掛けた。 高峰妙子・・初代瀧川末子・・奈良美也子・・汐見洋子・・神代錦・・打吹美砂・・越路吹雪・・淀かほる・・星空ひかる・・麻鳥千穂 ・・甲にしき - 安奈淳、松あきら&瀬戸内美八 - 榛名由梨&安奈淳 - 安奈淳 - 松あきら - 松あきら&順みつき - 順みつき - 高汐巴 - 大浦みずき - 安寿ミラ - 真矢みき - 愛華みれ - 匠ひびき - 春野寿美礼 - 真飛聖 - 蘭寿とむ - 明日海りお - 柚香光 - 永久輝せあ(現役) 秋田露子・・初代春日花子・・初代大江美智子・・久美京子・・打吹美砂・・日下輝子・・宮城野由美子・・鳳八千代・・夏亜矢子・・美和久百合・・竹生沙由里・・上原まり(固定でない) - 上原まり&北原千琴 - 美雪花代 - 若葉ひろみ - 秋篠美帆 - ひびき美都 - 森奈みはる - 純名里沙 - 千ほさち - 大鳥れい - ふづき美世 - 桜乃彩音 - 蘭乃はな - 花乃まりあ - 仙名彩世 - 華優希 - 星風まどか - 星空美咲(現役) 高砂松子 - 初代瀧川末子 - 奈良美也子 - 三浦時子 - 汐見洋子 - 神代錦 - 打吹美砂 - 大路三千緒 - 藤波洸子 - 打吹美砂 - 畷克美 - 美吉左久子 - 淡路通子 - 恵さかえ - 但馬久美 - 宝純子 - 北小路みほ - 未沙のえる - 星原美沙緒 - 磯野千尋 - 夏美よう - 高翔みず希 - 美風舞良(現役)
塚田孝雄(つかだ たかお、1934年- 2010年以前)は、… 塚田孝雄(つかだ たかお、1934年- 2010年以前)は、日本の西洋古典学者。 横浜市生まれ。東京大学法学部卒業。渋沢倉庫などを経て、和光大学非常勤講師を務めた。
大田 英雄(おおた ひでお、1934年(昭和9年)- 200… 大田 英雄(おおた ひでお、1934年(昭和9年)- 2005年(平成17年))は、日本の教師、平和運動家。神奈川県横須賀市生まれ。 沖縄戦で海軍陸戦隊を指揮した大田実海軍中将の長男として生まれる。11歳の時、広島県呉市で終戦を迎える。 軍国少年として育ち、父の影響から防衛大学校進学をめざした。ところが1952年に父の遺骨と対面した際、ピストルの穴の空いた頭蓋骨を見て軍人にむなしさを感じ、教師を志すようになる。 広島大学教育学部高校教育社会学科へ進学し、卒業後は社会科教師として広島県内各地の高校に赴任。反戦活動にも熱心に取り組み、原水爆禁止呉協議会事務局長、高教組呉地区支部平和教育推進部長、呉地区高校生「平和の集い」顧問、歴史教育者協議会会員などとして平和教育にたずさわる。
三田 洋(みた よう、1934年 - )は日本の詩人、エッセ… 三田 洋(みた よう、1934年 - )は日本の詩人、エッセイスト。神奈川県横須賀市生まれ、山口県長門市出身。山口県立大津高等学校美術部にて画家香月泰男に師事。早稲田大学第一文学部卒。 卒業論文で宮沢賢治にとりくみ、四次元の世界と創作を模索。出版社に勤務し、1970年第1詩集『青の断片』を刊行。70年代、詩の朗読集団「赤提灯」に加わり、諏訪優、吉増剛造、中上哲夫、八木忠栄らを知る。『詩人会議』、『冊』を経て『地球』に参加、秋谷豊や新川和江らを知る。詩の魅力はその抒情性にあるとして多くの詩論を執筆。詩集『回漕船』にて第四回壺井繁治賞受賞。 世田谷区主催「詩と作曲の会」会員、壺井繁治賞、日本詩人クラブ賞各選考委員、国民文化祭現代詩選者、世田谷文学賞選考委員を務める。
馬場 雅夫(ばば まさお、1933年12月14日 - 199… 馬場 雅夫(ばば まさお、1933年12月14日 - 1993年11月24日)は、日本のアナウンサー、演芸・競輪評論家。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校、明治大学文学部英米文学科卒業後、新日本放送(現在の毎日放送)に入局。1959年、日本教育テレビ(略称:NET。現在のテレビ朝日)開局のため、出向という形で転籍したが、以後もNETに在籍することになる。テレビ朝日(NET)在籍時代には、前任司会者の山田吾一の後を受け、1973年11月から1974年3月1日までアフタヌーンショーの司会者、時代劇・破れ傘刀舟悪人狩りのナレーションなどを務めたが、顕著な活動が見られたのは、落語の評論である。
阿部 薫(あべ かおる、1933年12月2日 - 2012年… 阿部 薫(あべ かおる、1933年12月2日 - 2012年11月13日)は、日本の医学者。医学博士。国立がんセンター名誉総長。横浜労災病院名誉院長。神奈川県出身。
水谷 貞雄(みずたに さだお、1933年11月26日 - 2… 水谷 貞雄(みずたに さだお、1933年11月26日 - 2025年9月29日)は、日本の俳優。劇団民藝所属。神奈川県横浜市出身。 1953年早稲田大学法学部入学。 大学在学中の1956年に劇団民藝水品演劇研究所に入門。 1962年に劇団民藝所属となる。 2019年上演の『新・正午浅草』永井荷風役で読売演劇大賞優秀男優賞受賞。 2025年9月29日、心不全のため東京都町田市内の病院で死去した。91歳没。 この項目は、俳優(男優・女優)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ芸能人)。
石川 不二子(いしかわ ふじこ、1933年11月22日 - … 石川 不二子(いしかわ ふじこ、1933年11月22日 - 2020年6月25日頃)は、日本の歌人。神奈川県藤沢市出身。岡山県吉備中央町在住。歌誌「心の花」選者。本名は黒井不二子。 父は東京朝日新聞の学芸部長を務めた人物。1950年に短歌結社竹柏会「心の花」に入会し、佐佐木信綱に師事。東京農工大学農学部在学中の1954年、『農業実習』にて第1回短歌研究50首詠(現在の短歌研究新人賞)に二席入選。この時の受賞者は中城ふみ子だった。 大学を卒業後、高校教師を経て島根県三瓶山麓の集団共同開拓農場に入植。1973年、岡山県に鳴滝農場を設立し、酪農業に従事する。1977年、第一歌集『牧歌』で第1回現代短歌女流賞受賞。
堂本 正樹(どうもと まさき 1933年11月1日 - )は… 堂本 正樹(どうもと まさき 1933年11月1日 - )は、日本の劇作家、演出家、演劇評論家。演出家として三島作品を多数手がける。また、新作能の作者として、数多くの作品を手がけている。
草笛 光子(くさぶえ みつこ、1933年〈昭和8年〉10月2… 草笛 光子(くさぶえ みつこ、1933年〈昭和8年〉10月22日 - )は、日本の女優。本名:栗田 光子(くりた みつこ、出生姓は富田)。 神奈川県横浜市神奈川区出身。草琇舎(そうしゅうしゃ)所属。オスカープロモーションと業務提携している。 神奈川県立横浜平沼高等学校卒業(49期)。妹は冨田恵子。作曲家の芥川也寸志は元夫。 4人兄弟の長女。妹(第2子)は富田恵子。 虚弱傾向を克服するため、小学生からバレエを始める。1950年に松竹歌劇団(SKD)に5期生として入団し、淡路恵子、深草笙子と共に「スリーパールズ」を結成。豊かな歌唱力を持ち味とした。SKD在籍中の1953年、松竹(松竹京都撮影所)から映画『純潔革命』で銀幕デビューも果たした。
佐々木 信也(ささき しんや、1933年10月12日 - )… 佐々木 信也(ささき しんや、1933年10月12日 - )は、東京府東京市(現:東京都)世田谷区生まれ、神奈川県藤沢市出身の元プロ野球選手(内野手)、野球解説者、スポーツキャスター。株式会社佐々木信也事務所の代表。 慶應義塾大学から高橋ユニオンズへ入団した1956年に、新人ながらパシフィック・リーグ(パ・リーグ)の公式戦154試合に出場。通算671打席で622打数を記録したほか、180安打を放った。安打のうちは141本は単打で、いずれも日本プロ野球の新人選手によるシーズン最多記録(2022年のNPBシーズン終了時点)。公式戦へのシーズン154試合出場は、この年の飯田徳治・杉山光平と並んで、日本プロ野球全体でのシーズン最多記録にも当たる。
池田 文雄(いけだ ふみお、1933年(昭和8年)8月23日… 池田 文雄(いけだ ふみお、1933年(昭和8年)8月23日 - 2003年(平成15年)1月23日)は、日本のテレビプロデューサー。ニッポン放送、日本テレビのプロデューサーを務めた。 東京日本橋の商家の4代目として生まれた。小学校時代は、疎開先のお寺の本堂でドラマを作り、地元の老人たちを泣かせた。 慶應義塾大学在学中はグリークラブでアレンジやコンダクターをしていたほか、先輩のダークダックスに駆り出されて、アルバイトで日劇や国際劇場のステージにも立った。 大学卒業後、広告代理店の三晃社に入社。音楽プロデューサーとして『日石ドライブ・イン・アワー』等を担当した。1958年には担当していた番組が縁でニッポン放送に移る。
北村敬(きたむら たかし、1933年8月11日- )は、日本… 北村敬(きたむら たかし、1933年8月11日- )は、日本のウイルス学者。学位は医学博士。国立予防衛生研究所(現 国立感染症研究所)ウイルス第一部長などを歴任した。神奈川県秦野市出身。
比企 能樹(ひき よしき、1933年7月28日 - 2022… 比企 能樹(ひき よしき、1933年7月28日 - 2022年10月14日)は、日本の医師。専門は、消化器、外科学。医学博士。北里大学名誉教授。慶應連合三田会会長、慶應交詢社理事、慶應義塾理事・評議員を歴任。 父は国立がんセンター総長を務めた医師の比企能達。 妻は九州大学名誉教授三宅博の長女である比企寿美子(ノンフィクション作家・エッセイスト、フェリス女学院短期大学卒業)。 1933年東京都生まれ。神奈川県立湘南高等学校を経て、1958年に慶應義塾大学医学部を卒業。同大学院医学研究科外科学専攻博士課程修了、医学博士。1966年から1968年まで旧西ドイツ・キール大学医学部外科に留学。1984年より北里大学医学部教授。
島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2… 島田 章三(しまだ しょうぞう、1933年7月24日 - 2016年11月26日)は、日本の洋画家、版画家。愛知県立芸術大学元学長。兄は歌人の島田修二。 神奈川県横須賀市生まれ。父の英之は長野県の出身で、京都高等工芸学校図案科を卒業後、浦賀船渠の客船インテリアデザイナーを経て横須賀市議会議員、同市議会副議長を歴任、1970年には横須賀市の市政功労者に選ばれている。また、京都滞在中は黒田重太郎にデッサンを学んだという。母の敏子は斎藤茂吉に師事し、「上泉鶴」の名で『アララギ』に投稿していた。 ヨーロッパ留学中にピカソやブラックらキュビズム画家の作品に触れ、「キュビズムを日本人の言葉で翻訳」することを自らの課題として見出した。
沢田 秀男(澤田、さわだ ひでお、1933年(昭和8年)7月… 沢田 秀男(澤田、さわだ ひでお、1933年(昭和8年)7月18日 - )は、日本の政治家。神奈川県横須賀市の元市長(3期)。旭日中綬章。 神奈川県座間市生まれ。神奈川県立湘南高等学校を経て、東京大学法学部卒。1957年自治庁(のち自治省、現・総務省)に入る。広島市助役、自治省総務課長、国土庁審議官、同地方振興局長などを歴任し、1988年横須賀市助役となる。1993年横須賀市長に当選。3期務める。 市長在職中の1996年に「よこすか情報フロンティアプラン」を策定し、入札制度改革を断行。条件付き一般競争入札を導入した。さらに指名入札を全廃し、業者に指名条件として与えていた格付けを廃し、経営や技術力の客観的事項だけを見る経営審査事項総合評点を参加条件とし、過去の業績など行政側の主観的評価を一切含めない、「行政の恣意」を入札の場から排除した。
小峰 顕一(こみね けんいち、1933年7月10日 - 20… 小峰 顕一(こみね けんいち、1933年7月10日 - 2012年3月20日)は、日本の経営者。セコム社長を務めた。東京都出身。 神奈川県立湘南高等学校を経て、1956年に学習院大学政経学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行。 1970年に日本警備保障(のちのセコム)に転じ、1976年12月に取締役に就任し、1981年3月に常務、1986年2月に専務を経て、1990年2月に社長に就任。1995年6月に取締役相談役に就任。 2012年3月20日食道がんのために死去。78歳没。
奥井 一満(おくい かずみつ、1933年(昭和8年)7月8日… 奥井 一満(おくい かずみつ、1933年(昭和8年)7月8日 - 2004年(平成16年)2月11日)は、日本の評論家。学位は、農学博士。北里大学名誉教授。専門は、動物行動学・昆虫学・博物学。群馬県太田市出生、神奈川県鎌倉市出身。
加藤 太郎(かとう たろう、1933年7月7日 - )は、神… 加藤 太郎(かとう たろう、1933年7月7日 - )は、神奈川県横浜市出身の元プロ野球選手。 日本大学高校から1952年に阪急ブレーブスへ入団。 1954年に東映フライヤーズへ移籍。1955年に引退。