松野 志保(まつの しほ、1973年2月10日 - )は、歌… 松野 志保(まつの しほ、1973年2月10日 - )は、歌人。山梨県出身。 山梨県立甲府南高等学校、東京大学文学部日本語日本文学専修卒業。高校在学中より短歌を作り始め、雑誌に投稿。1993年、短歌結社「月光の会」に入会し、福島泰樹に師事。2000年、「永久記憶装置」で第43回短歌研究新人賞候補。2003年より短歌同人誌「Es」に参加。ボーイズラブを好み、短歌にもそのテイストを持ち込むことを特徴としている。第一歌集『モイラの裔』では萩尾望都、高河ゆん、森茉莉などからエピグラフの引用を行っている。
日原 傳(ひはら つたえ、1959年(昭和34年)4月30日… 日原 傳(ひはら つたえ、1959年(昭和34年)4月30日 - )は、日本の俳人・中国哲学文学研究家。法政大学人間環境学部教授。 山梨県に生まれる。同じ日原姓の日原利国と同じ集落の出身。(縁戚関係はない。)山梨県立日川高校卒。高校時代甲府一高で末木文美士を教えた弦間教諭の教えを受ける。1979年(昭和54年)、東大学生俳句会に入会し、小佐田哲男、有馬朗人、山口青邨の指導を仰ぐ。文科Ⅲ類から始め文学部国文学専修に進むが一年後中国哲学専修に転ずる。1984年(昭和59年)に東京大学文学部を卒業。1990年(平成2年)に有馬朗人主宰の「天為」の創刊に参加。1992年(平成4年)に同大学大学院人文科学研究科中国哲学専門課程博士課程を単位修得後退学する。
秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )… 秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )は、日本の歌人、近代日本文学研究者。現代歌人協会理事。日本歌人クラブ中央幹事。 山梨県東山梨郡後屋敷村(現山梨市)生まれ。旧姓、堀内。山梨英和中学校・高等学校、國學院大學文学部卒。岡野弘彦に師事し、1974年「人」短歌会入会。1985年、「応答に抑揚ひくき日本語よ - 宮柊二の歌とともに」で第3回現代短歌評論賞次席。日本語教師として働くかたわら、1990年の第5回「現代短歌を評論する会」にて「フェミニズムを体現した歌人たち」のテーマで研究発表。以後、三ヶ島葭子などの女性歌人を中心に「青鞜」の女性運動について研究を行うようになる。 1993年、「人」解散に伴い藤井常世主宰の「笛」に参加。
三枝 浩樹(さいぐさ ひろき、1946年(昭和21年)10月… 三枝 浩樹(さいぐさ ひろき、1946年(昭和21年)10月17日 - )は、日本の歌人。本名は三枝 亨。 河野裕子(1946年 - 2010年)、永田和宏(1947年 - )、小池光(1947年 - )、道浦母都子(1947年 - )らと共に、団塊世代を代表する歌人の一人。 山梨県甲府市生まれ。甲斐市在住。父・清浩(本名:福武)は植松寿樹門下の歌人。五人兄弟の五男。歌人で文芸評論家の三枝昂之は四兄。高校時代、歌誌「沃野」にて植松寿樹に学ぶ。 1965年、法政大学文学部英文学科入学。1967年、法政短歌会を結成、同人誌「風車(ふうしゃ)」を創刊。「日常の視界のかなた何揺らぎつつあらんひと群れの樅そよげるを」。
三枝昻之(さいぐさ たかゆき、1944年1月3日 - )は、… 三枝昻之(さいぐさ たかゆき、1944年1月3日 - )は、日本の歌人・文芸評論家。歌誌「りとむ」主宰。日本歌人クラブ名誉会長。山梨県立文学館館長。宮中歌会始の選者でもある。(「たかゆき」は「昂之」ではなく「昻之」) 山梨県甲府市生まれ。父・清浩は窪田空穂門下の歌人。五人兄弟の四男。歌人の今野寿美は妻、同じく歌人の三枝浩樹は弟(五男)。歌人の萩原慎一郎に影響を与えた。 幼少期に脊椎カリエスにかかり、小学校には8年間通った。早稲田大学高等学院進学とともに甲府から上京。弟浩樹とともに歌誌「沃野」に入会し、植松寿樹に師事。早稲田大学入学と同時に早稲田大学短歌会に入会。上級生の佐佐木幸綱や福島泰樹と知り合う。
廣瀬 直人(ひろせ なおと、1929年5月16日 - 201… 廣瀬 直人(ひろせ なおと、1929年5月16日 - 2018年3月1日)は、日本の俳人。 山梨県一宮町(笛吹市)生まれ。本名は直瀬。東京高等師範学校を卒業。卒業後は郷里で高校教師として務める。祖父の影響で句作をはじめ、1948年「雲母」入会、飯田蛇笏に師事。1961年「雲母」同人、1968年第4回山蘆賞受賞。蛇笏の没後は飯田龍太に師事。1992年「雲母」廃刊、翌年その後継誌として「白露」を創刊・主宰。一貫して自然と生活を主題として句作し、2008年には句集『風の空』で第43回蛇笏賞、第1回小野市詩歌文学賞を受賞した。また福田甲子雄とともに『飯田龍太全集』(2005年、角川書店)を監修している。
福田 甲子雄(ふくだ きねお、1927年8月25日 - 20… 福田 甲子雄(ふくだ きねお、1927年8月25日 - 2005年4月25日)は、日本の俳人。 山梨県中巨摩郡飯野村(現・南アルプス市飯野)に生まれる。1947年より、飯田蛇笏選「春夏秋冬」に投句をはじめ、「雲母」に入会、蛇笏に師事。1960年より飯田龍太選に投句し龍太に師事、1963年より終刊まで「雲母」編集同人。1969年、第5回山盧賞を受賞、2002年、第25回野口賞を受賞。 1971年6月、第一句集『藁火』を出版。その後、数々の句集や評論集などを出版。1992年、「雲母」終刊。その後は、盟友・廣瀬直人の主宰誌「白露」の同人として活躍。作品は、重厚な風土性と格調の高さが特徴であると評される。
飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10… 飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年(大正9年)7月10日 - 2007年(平成19年)2月25日)は、山梨県出身の俳人。飯田蛇笏の四男で、蛇笏を継ぎ俳誌「雲母」を主宰。戦後の俳壇において森澄雄とともに伝統俳句の中心的存在として活躍した。
今井 福治郎(いまい ふくじろう、1901年7月2日 - 1… 今井 福治郎(いまい ふくじろう、1901年7月2日 - 1968年1月23日)は、歌人、国文学者。 山梨県甲府市生まれ。号・白水。1927年ころから作歌。1935年に國學院大學文学部国文科を卒業。1961年「万葉集の地名と伝承」で國學院大學文学博士。和洋女子大学教授。
米倉 久子(よねくら ひさこ、1889年〈明治22年〉11月… 米倉 久子(よねくら ひさこ、1889年〈明治22年〉11月6日 - 1938年〈昭和13年〉2月9日)は、日本の歌人。夫は同じく歌人の小田観螢。結婚後の本名は小田 久子。病気療養の身で、夫の手厚い看病を受けて、互いに心を通わせたことで、「現代の比翼歌人」と賞された。 山梨県東八代郡米倉村(現・笛吹市)で誕生した。1904年(明治37年)、17歳のときに作家を志した。1915年(大正4年)に短歌雑誌「潮音」の創刊に参画し、創刊と共に幹部同人として活躍した。 1918年(大正7年)、小田観螢と結婚した。夫の教員としての任地である北海道に移住し、二児をもうけた。しかし生来より病弱の身であり、先妻の子の養育、自身の出産、北海道の厳しい気候で体を患ったことで、1926年(大正15年)、子供を観螢のもとに残して山梨に帰り、療養生活を送った。
飯田 蛇笏(いいだ だこつ、1885年〈明治18年〉4月26… 飯田 蛇笏(いいだ だこつ、1885年〈明治18年〉4月26日 - 1962年〈昭和37年〉10月3日)は、山梨県出身の日本の俳人。本名、飯田武治(いいだ たけはる)。別号に山廬(さんろ)。高浜虚子に師事、山梨の山村で暮らしつつ格調の高い句を作り、村上鬼城などとともに大正時代における「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍した。俳誌「雲母」を主宰。四男の飯田龍太も俳人であり、飯田家を継ぎ蛇笏の没後に「雲母」主催を継承した。句集に『山廬集』(1932年)、『椿花集』(1966年)、ほかに随筆集なども多数。 山梨県東八代郡五成村(のち境川村、現笛吹市境川町小黒坂)に生まれる。飯田家は名字帯刀を許された旧家で、大地主である。
伊藤 生更(いとう せいこう、1884年(明治17年)6月2… 伊藤 生更(いとう せいこう、1884年(明治17年)6月28日 - 1972年(昭和47年)7月27日)は、アララギ派の歌人。短歌結社「美知思波(みちしば)」創立者。山梨県北巨摩郡(現・韮崎市)出身。本名は、伊藤基胤(もとつぐ)。妹の権藤はなよ(権藤花代)は、唱歌「たなばたさま」の作詞者で童謡詩人。 山梨県北巨摩郡穴山村(現・韮崎市穴山町)に父・友重、母・やよ、の長男として生まれる。1906年(明治39年)山梨師範学校(現・山梨大学)を卒業。母校の穴山尋常高等小学校、山梨師範学校附属小学校に勤める。浅川伯教(朝鮮古陶磁研究者)は、同僚で師範学校の学生時代からの親友。1908年(明治41年)に甲府市に転居。
堀内 柳南(ほりうち りゅうなん、1873年4月20日 - … 堀内 柳南(ほりうち りゅうなん、1873年4月20日 - 1932年2月1日)は、山梨県巨摩郡大八田村(現・北杜市長坂町)出身の教育者・俳人。出生名は堀内 常太郎(ほりうち つねたろう)であり、柳南は号である。 1873(明治6)年4月20日、山梨県北巨摩郡秋田村(現・北杜市長坂町大八田)に生まれる。父親は堀内与右衛門。10代後半、自由民権派新聞「峡中日報」編集長を通して俳句と出会う。山梨尋常師範学校卒業後、南都留郡谷村尋常小学校を初任地として33歳まで山梨県内で教鞭を執る。この間、25歳で結婚、28歳で校長職。俳句への思いを断つことができず33歳で職を辞して上京、自由律俳誌「層雲」の同人となるが、同年妻きくを鉄道事故で失い、上京生活1年で郷里へ帰る。