スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
田渡 凌(たわたり りょう、1993年6月29日 - )は、… 田渡 凌(たわたり りょう、1993年6月29日 - )は、日本の男子プロバスケットボール選手である。東京都足立区出身。身長179cm、体重77kgで、ポジションはポイントガード。 東洋大学京北中学高等学校バスケットボール部監督の田渡優を父とする田渡三兄弟の三男で、兄は元東京サンレーヴスの田渡敏信と福井ブローウィンズの田渡修人。芸能活動は、エーチームグループのエーライツ所属[要出典]。 3歳からバスケを始め、京北中学3年の時、全国中学校バスケットボール大会の決勝で富樫勇樹を擁する新発田市立本丸中学校と対戦し敗れたが、個人としては大会得点王と優秀選手賞を獲得している。 高校卒業時には、大学進学と米国挑戦で悩んだが、日本の大学バスケに物足りなさを感じ、自分を成長させるために米国挑戦を選択した。
田渡 修人(たわたり しゅうと、1990年〈平成2年〉1月6… 田渡 修人(たわたり しゅうと、1990年〈平成2年〉1月6日 - )は、日本のプロバスケットボール選手。東京都出身。ポジションはシューティングガード。Bリーグ・福井ブローウィンズ所属。 1990年、東京都に生まれる。父は東洋大学京北中学高等学校バスケットボール部監督の田渡優。兄はさいたまブロンコス、東京サンレーヴスに所属した田渡敏信、弟はNIKE ALL ASIAN CAMP日本代表に選ばれた経験を持つ、しながわシティに所属の田渡凌。 弥生第二スポーツ少年団でバスケを始め、京北中学校・高校に進学。高校3年生時の2007年ウインターカップはベスト8。 2008年4月、筑波大学に進み、4年次には第33回李相佰杯争奪日韓学生バスケットボール競技大会のメンバーにも選出される。
田渡 敏信(たわたり としちか、1987年4月30日 - )… 田渡 敏信(たわたり としちか、1987年4月30日 - )は、日本の男子バスケットボール選手である。 東京都出身。身長190cm、体重93kgで、ポジションはスモールフォワード、パワーフォワード。B3.LEAGUE・東京サンレーヴスに所属している。背番号91。 1987年、母親の実家のある山口県に生まれる。父は東洋大学京北中学高等学校バスケットボール部監督の田渡優。バスケ一家の長男として生まれ、次男はサンロッカーズ渋谷の田渡修人、三男は三遠ネオフェニックスの田渡凌。 弥生第二スポーツ少年団でバスケを始め、京北中学校・高校に進学。京北高校では1年生時2003年長崎インターハイ、2年生時2004年島根インターハイに出場している。
河内 修斗(かわち しゅうと、1985年8月5日 - )は、… 河内 修斗(かわち しゅうと、1985年8月5日 - )は、日本のプロバスケットボール選手ならびに指導者。ポジションはポイントガード、シューティングガード。bjリーグのコミッショナーを務めた河内敏光は父。 東京都に生まれ、京北中学校在学時の13歳の時にバスケットボールを始める。 京北高校に進学し、高校卒業後はロサンゼルスのロサンゼルス・ハーバー・カレッジ(英語版)に留学。帰国後の2008年に浜松・東三河フェニックスに入団し、同年から2009年までの1シーズンを選手として過ごした後、2009-2010シーズンよりアシスタントコーチに就任した。 その後2011-2012シーズン限りで退団。2012-2013シーズンはニューヨークにあるNCAAビッグ・イースト・カンファレンスに所属するセント・ジョンズ大学にてコーチング留学をしていた。
末廣 潤(すえひろ じゅん、1984年5月7日 - )は、千… 末廣 潤(すえひろ じゅん、1984年5月7日 - )は、千葉県出身のプロバスケットボール選手である。ポジションはシューティングガード。190cm、82kg。竹内世代のひとり。 京北中・高校に在籍し、全国大会で活躍。高校3年次には主将を務めた。 法政大学では4年次にインカレ準優勝に貢献。 卒業後の2007年、ライジング福岡に入団。 退団後、ストリートボールリーグLEGENDを経て、地元の千葉ピアスアローバジャーズにてプレー。
小谷 究(こたに きわむ、1980年9月4日-)は石川県出身… 小谷 究(こたに きわむ、1980年9月4日-)は石川県出身のバスケットボール研究者。流通経済大学スポーツ健康科学部スポーツコミュニケーション学科准教授、日本バスケットボール殿堂事務局を務める。バスケットボールの歴史と戦術研究を専門とする。
勝又 英樹(かつまた ひでき、1980年6月16日 - )は… 勝又 英樹(かつまた ひでき、1980年6月16日 - )は、埼玉県草加市出身の元プロバスケットボール選手である。ポジションはスモールフォワード、パワーフォワード。195cm、80kg。田臥世代の一人。 出身は埼玉県草加市になっているが、生まれは宮城県。両親は宮城県牡鹿郡女川町出身であり、本人も生まれてから6歳まで女川町で過ごした。 草加市立両新田中学校在籍時の13歳の時にバスケットボールを始める。 その後、高校は東京の名門京北高校に進学。1998年インターハイではベスト16入り。 東海大学では2002年インカレでベスト16入り。 大学卒業後、新潟アルビレックスA2(二軍)に入団。 2004年、A1(一軍)に昇格。
矢野 通(やの とおる、1978年5月18日 - )は、日本… 矢野 通(やの とおる、1978年5月18日 - )は、日本の男性プロレスラー、レスリング選手、実業家(飲食店経営)、YouTuber。東京都荒川区出身。新日本プロレス所属。 中央大学レスリング部でジャンボ鶴田の2年先輩だった矢野修の息子として生まれ、7歳から父の指導のもとレスリングを始めた。京北中学校・高等学校時代には全国中学生選手権優勝、全国高等学校選抜レスリング大会、全国高校総合体育大会、国体と様々な全国大会で優勝を果たした。卒業後は日本大学に進学し、世界学生選手権日本予選97kg級で優勝する。2000年には全日本学生選手権でフリー、グレコの両部門を制覇した。日本大学経済学部経済学科卒業。
杉山 紀彰(すぎやま のりあき、1974年3月9日 - )は… 杉山 紀彰(すぎやま のりあき、1974年3月9日 - )は、日本の男性声優、ナレーター。東京都出身。血液型はA型。身長168cm。愛称は「のんたん」「すぎさま」。ステイラック所属。
近衛 龍春(このえ たつはる、1964年 - )は、埼玉県出… 近衛 龍春(このえ たつはる、1964年 - )は、埼玉県出身の歴史小説家。
松井 章圭(まつい しょうけい、韓国名: 文 章圭〈ぶん あ… 松井 章圭(まつい しょうけい、韓国名: 文 章圭〈ぶん あきよし/ムン・ジャンギュ、朝: 문장규〉、1963年〈昭和38年〉1月15日 -)は、日本の空手家。国際空手道連盟極真会館の館長。極真空手八段。大東流合気柔術二段。 極真空手界を代表する名空手家の一人で、外国人初の全世界空手道選手権大会王者。大山倍達、盧山初雄と共に日本における極真空手道の普及に貢献した。 1963年(昭和38年)1月15日、東京都文京区で在日韓国人2世 として東京大学医学部附属病院にて生まれる。族譜は南平文氏の38代目にあたる。後に、父の転居に伴い千葉県柏市に移り住む。 1975年(昭和50年)6月、柏市立柏中学校に入学後、『少年マガジン』に連載されていた『空手バカ一代』を読んで大山倍達に憧れ、それまで習っていた少林寺拳法を辞め、加藤重夫がインストラクターを務める流山市の極真会館千葉北支部(手塚道場)に入門。
河内敏光(かわち としみつ、1954年5月7日 - )は、東… 河内敏光(かわち としみつ、1954年5月7日 - )は、東京都足立区出身のバスケットボール選手・指導者・解説者。 1973年に京北高等学校から明治大学に進み、同期の北原憲彦らとともにインカレなどのタイトルを獲得。 卒業後は、1977年に三井生命保険バスケットボール部入部。日本リーグの主力選手の一人としてリーグ戦はもとより1977年から1970年まで全日本チームでも活躍し、1986年の現役引退後は、1988年に三井生命の監督に就任し、実業団選手権大会優勝、天皇杯準優勝、日本リーグ3位にチームを導いた。 1993年には全日本男子監督に就任し、アトランタオリンピック予選アジア選手権3位、ユニバーシアード福岡大会優勝、広島アジア大会で優勝している。
結城 昭二(ゆうき しょうじ、1950年8月27日 - )は… 結城 昭二(ゆうき しょうじ、1950年8月27日 - )は、日本の元バスケットボール選手である。ポジションはシューター。東京都出身。 バスケットボールの名門校として知られる京北高校で活躍後、中央大学に進学。在学中全日本に選出される。 卒業後は。住友金属に入社。1976年にはモントリオール五輪に出場した。住友でも日本リーグ優勝3回(1973・1974・1977)、オールジャパン 優勝3回(1974・1978・1980)に貢献する。 1981年現役引退。著書に、バスケットバイブル、マイケルジョーダンの最強のテクニック、他 現在はNBA解説者として活躍する一方、全国で普及活動も行っている。
水森 英夫(みずもり ひでお、1949年9月18日 - )は… 水森 英夫(みずもり ひでお、1949年9月18日 - )は、日本の作曲家。栃木県出身。日本作曲家協会常務理事。作曲活動のほか、歌手の氷川きよしをスカウトし世に出したことでも知られる。
坂田 栄一郎(さかた えいいちろう、1941年11月16日 … 坂田 栄一郎(さかた えいいちろう、1941年11月16日 - )は日本の写真家。週刊誌『AERA』での人物写真の撮影で知られる。東京都出身。 京北高等学校を経て、1965年日本大学芸術学部写真学科卒業。大学時代は写真屋などでアルバイトをしていた。卒業後、ライトパブリシティに入社。1966年に渡米し、ニューヨークにてリチャード・アヴェドンに師事した。 1970年、銀座ニコンサロンにて、個展『Just Wait』でデビューした。その後1971年に帰国し、CMや雑誌で活躍する。1988年に朝日新聞社がニュース週刊誌『AERA』を創刊し、2016年3月28日号まで、ずっと表紙写真を担当してきた。1993年には「アルル国際写真フェスティバル」で「アルル名誉市民賞」を受賞した。
高木 ブー(たかぎ ブー、boo Takagi、1933年〈… 高木 ブー(たかぎ ブー、boo Takagi、1933年〈昭和8年〉3月8日 -)は、日本のコメディアン、ミュージシャン(ウクレレ奏者、ギタリスト)。ザ・ドリフターズのメンバー。 本名は、高木 友之助(たかぎ とものすけ)で、高木ブーへの改名以前は高木 智之名義で活動していた。「8時だョ!全員集合」のオープニングなどでは、高木 ブ~名義で表記されていた。身長160 cm。芸名の由来となったのは若い頃からの肥満体型である。 東京府東京市豊島区巣鴨(現:東京都豊島区巣鴨)に兄2人・姉3人の末っ子として生まれる。第二次世界大戦末期の1945年に戦災で焼け出され、12歳の時に母方の郷里を頼って千葉県東葛飾郡柏町篠籠田(現:千葉県柏市明原2丁目)に一家で移り住み育った。
桶谷 秀昭(おけたに ひであき、1932年(昭和7年)2月3… 桶谷 秀昭(おけたに ひであき、1932年(昭和7年)2月3日 - 2025年(令和7年)3月27日)は、日本の文芸評論家。東洋大学名誉教授。 紫綬褒章受章。芸術選奨文部大臣賞、伊藤整文学賞、毎日出版文化賞、他受賞。 1950年に一橋大学商学部に入学するも、在学時に一橋大学社会学部に転部。同・社会学部を卒業後は、研究社(出版社)に勤務する一方、村上一郎(文芸評論家)とともに同人誌「典型」「無名鬼」を編集し評論活動を開始。 後に東洋大学文学部教授を務めた。東洋大学退職後は名誉教授の称号を受け、東洋大学兼任研究員を務めた。他に多摩美術大学、大妻女子大学講師、日本近代文学館理事等も務めた。 1990年に毎日出版文化賞を受賞。
植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年2月25日 -… 植木 等(うえき ひとし、本名同じ、1927年2月25日 - 2007年3月27日)は、日本の俳優、コメディアン、歌手、ギタリスト、タレント。「ハナ肇とクレージーキャッツ」のメンバー。愛称は、「ボンさん」「植木屋」「植木やん」。 父は僧侶の植木徹誠。長男は作曲家の比呂公一。妹の夫は部落問題研究者の川村善二郎。父方の祖母の親類に御木本幸吉がいる。 1927年(昭和2年)2月25日、父・植木徹誠、母・いさほの間に三男として愛知県名古屋市で生まれた。父・徹誠は、真宗大谷派名古屋別院にて僧侶としての教修中だった。 実際の生年月日は1926年12月25日。ちなみにこの日は、大正天皇が崩御した日である。植木本人が『徹子の部屋』で語ったことによると、父が出生時に体調を崩しており、叔父・保之助に役所への届けを依頼したが叔父がそれを忘れ、翌年ようやく出生届を出したことから、戸籍上の生年月日が翌年になったという。
和久本 貞雄(わくもと さだお、1925年10月1日 - 2… 和久本 貞雄(わくもと さだお、1925年10月1日 - 2011年5月17日 )は、日本の歯学者・歯科医師。昭和大学名誉教授。元昭和大学歯学部長。正五位瑞宝中綬章。 1943年京北実業学校卒業、1948年東京医学歯学専門学校卒業、東京医科歯科大学講師、助教授を経て1969年より東北大学教授、1979年より昭和大学歯学部教授、1985年より同歯学部長、1991年より名誉教授。 1959年 東京医科歯科大学より医学博士の学位を得る。学位論文は「模型ごとに埋没する鋳造方式について 」。
鈴木 精二(すずき せいじ、1922年5月25日 - 200… 鈴木 精二(すずき せいじ、1922年5月25日 - 2000年6月1日)は日本の実業家。三菱化成(現三菱ケミカル)代表取締役社長や、同社取締役会長、経団連副会長、石油化学工業協会会長、日本化学工業協会会長などを務めた。勲一等瑞宝章受章。 東京府(現・東京都)出身。旧制京北中学校を経て、旧制東京商科大学(現一橋大学)卒業。陸上競技部出身。三菱化成(のちの三菱化学、現在の三菱ケミカル)代表取締役社長、同社取締役会長、同社相談役、三菱化成生命科学研究所代表取締役、経済団体連合会(現日本経済団体連合会)副会長、石油化学工業協会会長、日本化学工業協会会長などを務めた。1986年藍綬褒章受章。1993年ダイヤ高齢社会研究財団初代理事長。
松田 耕平(まつだ こうへい、1922年1月28日 - 20… 松田 耕平(まつだ こうへい、1922年1月28日 - 2002年7月10日)は、マツダ(東洋工業)の創業者一族であり、同社元社長、プロ野球・広島東洋カープ元オーナー。広島県広島市上幟町(現・中区)出身。京北中学校 - 旧制修道中学校 - 慶應義塾大学卒業。
大竹省二(おおたけ しょうじ、1920年(大正9年)5月15… 大竹省二(おおたけ しょうじ、1920年(大正9年)5月15日 - 2015年(平成27年)7月2日)は、日本の写真家。静岡県出身。
奈良 靖彦(なら やすひこ、1917年4月28日 - 201… 奈良 靖彦(なら やすひこ、1917年4月28日 - 2013年9月6日)は、日本の外交官。駐シンガポール特命全権大使や駐カナダ特命全権大使を務めた。位階は従三位。 大分県出身。旧制京北中学校を経て、1941年に旧制東京商科大学(一橋大学の前身)を卒業し、外務省入省。同期に西堀正弘(国連大使)、魚本藤吉郎(駐ソ連大使)、内田宏(駐仏大使)、吉野文六(駐独大使)、人見鉄三郎(駐コスタリカ大使)など。 1943年、外務省弘報部で勤務し、戦時体制下で、ジャパンタイムズの監督を行った。 1965年5月シカゴ総領事に就任。着任時に、総領事公邸が外交に使うにはあまりに貧弱なものだったため、筋向いの邸宅を購入しようと考え、東京銀行のシカゴ支店長と交渉し購入資金の融資を受け、また当時大蔵事務次官を務めていた石野信一も案内した末購入し、新しい公邸とした。
松村 明(まつむら あきら、1916年9月3日 - 2001… 松村 明(まつむら あきら、1916年9月3日 - 2001年11月22日)は、日本の国語学者。位階勲等は正四位勲三等瑞宝章。称号は文学士、東京大学名誉教授。『大辞林』の編纂者として知られる。
新井 正明(あらい まさあき、1912年〈大正元年〉12月1… 新井 正明(あらい まさあき、1912年〈大正元年〉12月1日 - 2003年〈平成15年〉11月27日)は、日本の実業家。住友生命保険社長・会長、松下政経塾理事長、関西師友協会会長を歴任した。
武田 泰淳(たけだ たいじゅん、1912年〈明治45年〉2月… 武田 泰淳(たけだ たいじゅん、1912年〈明治45年〉2月12日 - 1976年〈昭和51年〉10月5日)は、日本の小説家。浄土宗僧侶。大正大学教授。幼名覚。 第一次戦後派を代表する作家で、戦前期は左翼運動から離脱後、泰淳と改名。得度した。その後大陸(中華民国)に出征。除隊後、評伝『司馬遷』を経て小説に転じ、『蝮のすゑ』で認められた。その後も思想的重量感を持った作品を発表し、幾屈折もする人間生存の諸相を描き出した。 妻は随筆家の武田百合子、娘は写真家の武田花。兄は水産生物学者・東大農学部教授の大島泰雄。伯父に僧侶・仏教学者・社会事業家の渡辺海旭がいる。 東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)にある浄土宗の寺に大島泰信の三男として生まれる。
佐田 豊(、1911年〈明治44年〉3月30日 - 2017… 佐田 豊(、1911年〈明治44年〉3月30日 - 2017年〈平成29年〉7月[要出典])は、日本の元俳優。東京府東京市本郷区千駄木生まれ。本名同じ。旧芸名・別名は佐田 豊二、佐田 豊彦。 1928年、旧制京北中学校を卒業後、高松プロに入社。その後J.O.スタヂオの演技部に所属。当初は監督志望であったが、すぐに俳優へ転身し河合・大都映画の作品に多数出演する。 第二次世界大戦中は移動劇団にて活動し、映画では松竹作品に出演記録がある。 戦後は東宝と専属契約を結び成瀬巳喜男監督作品や特撮映画など数多くの作品に出演。中でも黒澤明監督『天国と地獄』での子供を誘拐される運転手・青木役が有名であり、佐田自身も最も好きな役だと語っている。
岩淵 悦太郎(いわぶち えつたろう、1905年12月14日 … 岩淵 悦太郎(いわぶち えつたろう、1905年12月14日 - 1978年5月19日)は、日本の国語学者。専門は音韻史。『岩波国語辞典』の編者として知られる。 福島県白河市出身。1917年、東京市下谷区に転居。京北中学校、旧制静岡高等学校を経て、1930年、東京帝国大学文学部を卒業。 同年、東京帝国大学文学部助手に就任。1938年、大阪高等学校(現 大阪大学)教授、1942年、第一高等学校教授、1946年東京女子高等師範学校(現 お茶の水大学)教授。1947年、文部省文部事務官。1949年、国立国語研究所研究第一部長を経て、1960年、同研究所2代目所長に就任。1963年、『岩波国語辞典』(共編)を刊行する。
中山 岩太(なかやま いわた、1895年8月3日 - 194… 中山 岩太(なかやま いわた、1895年8月3日 - 1949年1月20日)は、戦前の日本の新興写真を代表する写真家の1人。福岡県柳川市出身。 福岡県柳川で実業家・中山重行の一人息子として生まれる。小学生のときに家族で上京、仰高小学校、京北中学校を経て、1918年に東京美術学校臨時写真科を卒業(第1期生)。農商務省の派遣で、アメリカのカリフォルニア大学で学ぶ。その後、ニューヨークにて、菊地東陽のスタジオで働いたり、「ラカン・スタジオ」を開設したのち、1926年には渡仏。マン・レイや未来派のエンリコ・プランポリーニと知り合う。 1927年に日本に帰国したのちは、芦屋カメラクラブをハナヤ勘兵衛ら地元の写真愛好家を集め結成し、欧米での経験を生かして活躍。
柳川 宗左衛門(宗左衞門、やながわ そうざえもん、1895年… 柳川 宗左衛門(宗左衞門、やながわ そうざえもん、1895年〈明治28年〉7月21日 - 1978年〈昭和53年〉11月8日)は、明治期から昭和期にかけての地主であり、醤油醸造家、実業家、政治家。衆議院議員(1期)、参議院議員(1期)。 常陸国鹿島郡の日川砂漠を開拓した柳川宗左衛門秀勝の孫(四代目)。 茨城県鹿島郡若松村大字柳川新田(現:神栖市柳川)に、農業や醤油醸造業を営む第三代・柳川宗左衛門の長男・謙一として生まれる。1911年(明治44年)家督を相続。1913年(大正2年)東京市の京北中学校(現・東洋大学京北中学高等学校)を卒業した。 父が小作人のために設立した産業組合、柳川信用販売組合を継承し発展させた。
高田 利種(たかだ としたね、1895年(明治28年)1月1… 高田 利種(たかだ としたね、1895年(明治28年)1月15日 - 1987年(昭和62年)10月25日)は、日本の海軍軍人、実業家。海兵46期、海大28期。最終階級は海軍少将。戦後は生化学工業株式会社社長。 1895年(明治28年)1月15日、鹿児島県で税務署長・高田利英の二男として生まれる。現在の西之表市出身。京北中学校を経て、海軍兵学校に45期生として入校したが、病気のため留年し1918年(大正7年)11月、46期生として卒業。公的な席次は次席であったが、首席は皇族(伏見宮博義王)の名誉席次であり、実質的には首席である。翌年8月、海軍少尉任官。海軍大学校航海学生として学び、優等で卒業。「第5号駆逐艦(春風 [II])」「野風」の各航海長、横須賀鎮守府付、練習艦隊参謀、「長鯨」航海長などを経て、1930年(昭和5年)11月、海軍大学校(甲種28期)を次席で卒業した。
本多 鋼治(ほんだ こうじ、1893年(明治26年)12月1… 本多 鋼治(ほんだ こうじ、1893年(明治26年)12月15日 - 1964年(昭和39年)12月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(1期)、愛知県会議員(4期)、愛知県議会議長(1期)などを務めた。 文芸評論家の本多秋五、陶芸研究家の本多静雄は弟。衆議院議員の伊藤よし子は義妹。 愛知県西加茂郡上郷村花本(現・豊田市花本町)に生まれる。父親の本多松三郎は上郷村長を務めた。挙母尋常高等小学校(現・豊田市立童子山小学校)卒業。1912年(明治45年)、京北中学校(現・東洋大学京北中学高等学校)卒業。 1927年(昭和2年)9月25日の愛知県会議員選挙に西加茂郡選挙区から立憲民政党公認候補として出馬し初当選した。
木田 金次郎(きだ きんじろう、1893年〈明治26年〉7月… 木田 金次郎(きだ きんじろう、1893年〈明治26年〉7月16日 - 1962年〈昭和37年〉12月15日)は、北海道岩内町出身の画家。 有島武郎の小説「生れ出づる悩み」のモデルとなった画家で、自由奔放な作風によって同町の自然を数多く描いた。 岩内尋常高等小学校高等科卒業後、上京し開成中学、京北中学に通う。京北中学時代から絵を描き始め、また上野の展覧会に通うようになる。1910年、学校を中退し札幌市郊外で絵を描き続ける日々を送る。札幌で開催されていた黒百合会(東北帝国大学農科大学美術部)の展覧会で有島武郎の絵と出会い感銘を受け、スケッチを携えて訪問。以後有島との交友が生まれるが、その後岩内に帰郷し漁業に従事する。
赤木 顕次(あかぎ けんじ、1891年(明治24年) - 1… 赤木 顕次(あかぎ けんじ、1891年(明治24年) - 1959年(昭和34年))は、日本の宗教家、PL教団祐祖。日本三大寮歌である北海道大学恵迪寮の明治45年寮歌「都ぞ弥生」の作曲者。北海道小樽市出身。 1891年、小樽市の医者の家に生まれる。生まれつき耳が遠かったものの、ハーモニカの名手であった。京北中学校から北海道大学農学部に進学した。 1912年、日本三大寮歌のひとつとなる、北海道大学恵迪寮の明治45年寮歌「都ぞ弥生」を寮の同室であった横山芳介が作詞し、赤木が作曲した。都ぞ弥生の作歌活動のために一年留年し、1917年(大正6年)に、畜産科を卒業した。 卒業後、東京、広島で食品化学会社研究員、東京帝国書院で教科書編集、中学教師と勤める。
杉浦 武雄(すぎうら たけお、1890年(明治23年)5月2… 杉浦 武雄(すぎうら たけお、1890年(明治23年)5月20日 - 1963年(昭和38年)9月12日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(6期)、参議院議員(1期)。位階は正四位、勲等は勲二等。
日夏 耿之介(ひなつ こうのすけ、1890年〈明治23年〉2… 日夏 耿之介(ひなつ こうのすけ、1890年〈明治23年〉2月22日 - 1971年〈昭和46年〉6月13日)は、日本の詩人・英文学者。本名樋口 國登(ひぐち くにと)(通称は「圀登」の字体を愛用)。号は夏黄眠、黄眠道人、黄眠堂主人、聴雪盧主人、石上好古、溝五位など30数種類存在する。広範な学識と多岐にわたる文学活動で「学匠詩人」と称される。 詩人としては自らゴスィック・ローマン詩體と称す高踏的で荘重幽玄な詩風であり、その神秘主義的な象徴詩は他に類をみない個性を放っている。また、訳詩や文学論考、随筆などの幅広い著作があり、明治大正期の文学論でも知られる。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市知久町)に樋口藤治郎、以志(樋口龍峡の姉)の長男として生まれる。
山下 長(やました たけし、1889年4月8日-1959年2… 山下 長(やました たけし、1889年4月8日-1959年2月9日)は、日本の実業家。オリンパス(旧・高千穂製作所)創業者、高千穂製作所社長。顕微鏡をはじめとする光学機器の製造業を経営した。 鹿児島県名瀬の金久(現・奄美市内)出身。名瀬の高等小学校で3年間学んだ後、鹿児島の本家にひきとられて中学造士館に入る。1904年に上京。東京の京北中学校 (旧制)と京都の第三高等学校 (旧制)を卒業。1915年東京帝国大学法科大学法律学科(独法科)卒業。弁護士となるが、父の勧めで実業界に転じ親戚の松方正義関連の企業に就職することとなる。川崎造船所などの大企業は断り、松方の五男・五郎が経営する常盤商会に1918年入社。
鈴木 貞一(すずき ていいち、1888年(明治21年)12月… 鈴木 貞一(すずき ていいち、1888年(明治21年)12月16日 - 1989年(平成元年)7月15日)は、日本の軍人、陸軍中将。千葉県出身。通称「背広を着た軍人」。「三奸四愚」と呼ばれた東條英機側近三奸の一人とされる。
藤村 操(ふじむら みさお、1886年(明治19年)7月20… 藤村 操(ふじむら みさお、1886年(明治19年)7月20日 - 1903年(明治36年)5月22日)は、北海道出身の旧制一高の学生。華厳滝で投身自殺した。自殺現場に残した遺書「巌頭之感()」によって当時の学生・マスコミ・知識人に波紋を広げた。 祖父の藤村政徳は盛岡藩士であった。父の胖(ゆたか、政徳の長子)は明治維新後、北海道に渡り、事業家として成功する。 操は、1886年(明治19年)に北海道で胖の長男として生まれ、12歳の札幌中学入学直後まで北海道札幌で過ごした。単身、東京へ移り、開成中学から一年飛び級での京北中学に編入。この間の1899年(明治32年)に父・胖が死亡し、母や弟妹も東京に移り、同居するようになる。
半田 孝海(はんだ こうかい、1886年6月28日 - 19… 半田 孝海(はんだ こうかい、1886年6月28日 - 1974年9月17日)は日本の天台宗の僧侶、平和運動家。 茨城県水戸市生まれ。10歳で長野県上田市の常楽寺の養子となる。旧制京北中学校、旧制第七高等学校造士館、東京帝国大学文学部心理学科卒卒業。1917年常楽寺住職に就任し、上田自由大学を積極的に支援した。1920年上田蚕糸専門学校講師、1929年天台宗教学部長、同比叡山中学校長、学監などを経て、1950年天台宗大僧正となり、1959年善光寺大勧進副住職を務め、のち名誉貫主なる。また比叡山樹王院住職も務めた。 戦後は平和運動を推進し、1947年から長野県仏教会会長を務め、米軍の浅間山演習場計画には先頭に立ってこれを阻止し、1956年、原水爆禁止日本協議会の代表委員兼長野県協議会長を務めた。
飯田 蛇笏(いいだ だこつ、1885年〈明治18年〉4月26… 飯田 蛇笏(いいだ だこつ、1885年〈明治18年〉4月26日 - 1962年〈昭和37年〉10月3日)は、山梨県出身の日本の俳人。本名、飯田武治(いいだ たけはる)。別号に山廬(さんろ)。高浜虚子に師事、山梨の山村で暮らしつつ格調の高い句を作り、村上鬼城などとともに大正時代における「ホトトギス」隆盛期の代表作家として活躍した。俳誌「雲母」を主宰。四男の飯田龍太も俳人であり、飯田家を継ぎ蛇笏の没後に「雲母」主催を継承した。句集に『山廬集』(1932年)、『椿花集』(1966年)、ほかに随筆集なども多数。 山梨県東八代郡五成村(のち境川村、現笛吹市境川町小黒坂)に生まれる。飯田家は名字帯刀を許された旧家で、大地主である。
黒澤 酉蔵(くろさわ とりぞう、1885年(明治18年)3月… 黒澤 酉蔵(くろさわ とりぞう、1885年(明治18年)3月28日 - 1982年(昭和57年)2月6日)は、茨城県出身の実業家、酪農家、政治家、教育者、環境運動家。衆議院議員。北海道製酪販売組合連合会(のちの雪印乳業、現在の雪印メグミルク)創業者、北海道酪農義塾(現在の酪農学園大学)設立者。日本の酪農業の発展と北海道開発に功績を残し、日本酪農の父、北海道開発の父と呼ばれる。 1885年(明治18年)3月28日、茨城県久慈郡世矢村小目(現:常陸太田市小目町)で貧しい農家の四人兄弟の長男として生まれる。父母の家ともかっては相当な資産家であったが、黒澤の代には零落しており、又、父による過度の飲酒がもとで負債をつくり、家計は常に苦しかった。
阿部 次郎(あべ じろう、1883年〈明治16年〉8月27日… 阿部 次郎(あべ じろう、1883年〈明治16年〉8月27日 - 1959年〈昭和34年〉10月20日)は、日本の哲学者・美学者・作家。東北帝国大学法文学部教授、同学部長、帝国学士院会員。仙台市名誉市民。『三太郎の日記』著者。 1883年、山形県飽海郡上郷町(後の松山町、現・酒田市)大字山寺に生まれる。教師であった父の阿部富太郎とゆき(旧姓・竹岡)夫妻の次男。富太郎は叔父の阿部七郎衛門とわかの夫妻の養子となるが、わかのはゆきの長姉で竹岡家の姉弟は全員がキリスト教徒でもあった。8人兄弟で、加藤ます(加藤儀藏夫人)、阿部一郎(農業指導者・実業家、山形県食糧営団理事長、山形糧穀加工社長、阿部襄の父)、阿部次郎(本人)、堀三也(軍人、陸軍大佐、昭和通商社長)、阿部余四男(動物学者、広島大学教授)、竹岡勝也(日本史学者、九州帝国大学教授)、柏木礼子(柏木俊一夫人)、阿部六郎(ドイツ文学者・文芸評論家、旧制成城高校・東京藝術大学教授)と、兄弟のうち、次郎を含む4人が大学の教師となる。
宇井 伯寿(うい はくじゅ、旧字体:伯壽、1882年(明治1… 宇井 伯寿(うい はくじゅ、旧字体:伯壽、1882年(明治15年)6月1日 - 1963年(昭和38年)7月14日)は、日本の曹洞宗の僧侶、インド哲学研究者、仏教学者、文学博士。日本学士院会員。本名は茂七(しげしち)。
鹿倉 吉次 は、日本の実業家。TBS元社長。毎日新聞社最高顧… 鹿倉 吉次 は、日本の実業家。TBS元社長。毎日新聞社最高顧問。
新井 友蔵 は、日本の経営者、理学博士。群馬県出身。
水谷 達夫 は、日本のピアニスト。音楽教育者。父は音楽教育家… 水谷 達夫 は、日本のピアニスト。音楽教育者。父は音楽教育家・音楽家、児童演劇教育家の水谷志奇男。ピアニストの石川 百合子は三男三女の長女。ヴァイオリニストで歌手の水谷美月の大叔父にあたる。
塚田 好宣 は、千葉県鎌ケ谷市出身のプロゴルファー。
武部 力也(たけべ りきや)は、経済解説者、為替ストラテジス… 武部 力也(たけべ りきや)は、経済解説者、為替ストラテジスト。 東京都出身、東洋大学京北高等学校卒業、日本大学法学部卒業。 1989年東京短資入社。トウキョウフォレックス、トウキョフォレックス上田ハーローに出向し、東京外国為替市場のインターバンク銀行間取引ドル円外為ブローカーとして大手都銀、信託銀、地方銀、政府系金融機関、外銀、日銀を担当。 2001年トウキョウフォレックストレイダーズ証券(トレイダーズ証券)、トウキョフォレックスでは金融法人部長。 2009年岡三証券入社。 (2009年-2021年 岡三オンライン証券に出向。投資情報部長兼シニアストラテジスト) (2014年-2017年 東洋大学 社会人基礎力 特別講師) (2012年-2018年 東京金融取引所 為替・株価指数証拠金市場運営委員会委員、正副委員長)