小林 ふみ子(こばやし ふみこ、1973年 - )は、日本近… 小林 ふみ子(こばやし ふみこ、1973年 - )は、日本近世文学研究者、法政大学教授。 山梨県生まれ。山梨県立甲府南高等学校卒、1996年東京大学文学部国文科卒、2003年同大学院人文社会系研究科博士課程満期退学。2003年「大田南畝『七観』をめぐって-詩文と戯作」などで日本古典文学会賞受賞。2004年「天明狂歌研究」で文学博士。2004年法政大学キャリアデザイン学部専任講師、2007年准教授。2011年文学部准教授、2014年教授。
小俣 喜久雄(おまた きくお、1967年- )は日本の近世芸… 小俣 喜久雄(おまた きくお、1967年- )は日本の近世芸能(主に一中節)及び台湾の民俗信仰(主に鄭成功)の研究者。元台湾の大葉大学応用日本語学科教授。 山梨県勝沼町生まれ、1986年、山梨県立甲府工業高等学校機械科卒、在学中にテーマ「平面図形の図心、立体の重心を求める」で山梨県工業高等学校「第1回プログラミングコンテスト」(機械系部門)金賞受賞(1984年)。1991年、東洋大学一部文学部国文学科卒。在学中に、一中節を中心テーマにすえ、近世芸能(歌舞伎、浄瑠璃等)の研究を始める。1991年度、東洋大学大学院文学研究科国文学専攻博士前期課程一年時に義太夫教室第44期(語り、三味線)部門修了。同時期に重要無形文化財保持者(人間国宝)都一いきの元で初代都太夫一中作曲の初期一中節を中心に語りの稽古をうける(1996年まで)。
宮田 律(みやた おさむ、1955年(昭和30年)5月5日 … 宮田 律(みやた おさむ、1955年(昭和30年)5月5日 - )は、日本のイスラム研究者(現代イスラム地域研究・途上国の国際政治・イラン現代史・イラン現代政治)。学位は歴史学修士(カリフォルニア大学ロサンゼルス校・1985年)。静岡県立大学国際関係学部准教授・大学院国際関係学研究科准教授、一般社団法人現代イスラム研究センター理事長。
ジャンボ鶴田(ジャンボつるた、1951年〈昭和26年〉3月2… ジャンボ鶴田(ジャンボつるた、1951年〈昭和26年〉3月25日 - 2000年〈平成12年〉5月13日)は、日本のプロレスラー、スポーツ科学研究者。本名及び旧リングネーム:鶴田 友美(つるた ともみ)。 全日本プロレスで活動した三冠ヘビー級王座の初代王者であり、日本人初の第30代AWA世界ヘビー級王者である。 1972年ミュンヘンオリンピックのレスリングである、グレコローマンスタイル最重量級日本代表を経て、その後全日本プロレスへ入門する。ジャイアント馬場の後を継ぐ次世代・全日本プロレスの若き大型エースとしても期待され、順調に頭角を現しトップレスラーの1人として活動した。しかし後にB型肝炎を発症したことにより第一線を退く形となる。
宮下 徳治(みやした とくじ、1948年5月18日 - )は… 宮下 徳治(みやした とくじ、1948年5月18日 - )は日本の高分子材料・ハイブリッドナノ材料、高分子ナノシート開発の研究者。山梨県富士吉田市出身。東北大学名誉教授。神奈川大学の非常勤講師も務めた。元高分子学会副会長。紫綬褒章、瑞宝中綬章受章。 1993年より東北大学教授、2013年東北大学名誉教授。2013年より宮下リサーチオフィス代表。2015年よりJNC(株)取締役。2011年よりプリンテッドデバイス技術 (PDTec) 研究会会長。研究業績としては、高分子化学の分野において、1分子の厚さ(100万分の1~2ミリ(1~2 nm))の極めて薄い高分子超薄膜フィルム(高分子ナノシート、宮下氏の命名)の開発に成功した。
秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )… 秋山 佐和子(あきやま さわこ、1947年6月15日 - )は、日本の歌人、近代日本文学研究者。現代歌人協会理事。日本歌人クラブ中央幹事。 山梨県東山梨郡後屋敷村(現山梨市)生まれ。旧姓、堀内。山梨英和中学校・高等学校、國學院大學文学部卒。岡野弘彦に師事し、1974年「人」短歌会入会。1985年、「応答に抑揚ひくき日本語よ - 宮柊二の歌とともに」で第3回現代短歌評論賞次席。日本語教師として働くかたわら、1990年の第5回「現代短歌を評論する会」にて「フェミニズムを体現した歌人たち」のテーマで研究発表。以後、三ヶ島葭子などの女性歌人を中心に「青鞜」の女性運動について研究を行うようになる。 1993年、「人」解散に伴い藤井常世主宰の「笛」に参加。
川村 晃生(かわむら てるお、1946年〈昭和21年〉11月… 川村 晃生(かわむら てるお、1946年〈昭和21年〉11月4日 - )は、日本の文学研究者・国文学者。学位は、文学博士(慶應義塾大学・論文博士・1991年)。慶應義塾大学名誉教授。現在は市民運動家。「緑のイーハトーブ」代表。 山梨県甲府市生まれ。1965年山梨県立甲府第一高等学校卒業、1969年慶應義塾大学文学部文学科国文学専攻卒業。1976年同大学院文学研究科国文学専攻後期博士課程単位取得退学。同年慶應義塾大学文学部非常勤講師となり1979年同助手、1982年助教授、1992年教授。1995年文学研究科委員。2012年定年退任、名誉教授。 1981年 「僧正遍照-その詠歌の特質をめぐって」ほか過去の業績に対し第7回日本古典文学会賞受賞。
中村 哲郎(なかむら てつろう、1942年11月23日 - … 中村 哲郎(なかむら てつろう、1942年11月23日 - )は、歌舞伎を中心とした演劇研究者、評論家。 山梨県甲府市の温泉旅館で生まれ育った。山梨県立甲府第一高等学校卒、早稲田大学文学部に学び、郡司正勝に師事。国立劇場(1967年開場)に勤務したが数年で退職を経て、中学1年でやみつきになった歌舞伎を軸に半世紀を超えた観劇歴で、演劇研究・執筆活動を行う。 1983年『西洋人の歌舞伎発見』で芸術選奨文部大臣新人賞、2007年『歌舞伎の近代 作家と作品』で日本演劇学会河竹賞・AICT演劇評論賞、2012年『花とフォルムと 転換する時代の歌舞伎評論』で芸術選奨文部科学大臣賞をそれぞれ受賞。2021年、『評話集 勘三郎の死 劇場群像と舞台回想』で第72回読売文学賞を受賞。
末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 20… 末木 剛博(すえき たけひろ、1921年9月10日 - 2007年12月1日)は、日本の哲学者、論理学者、比較思想研究者。東京大学教養学部名誉教授。 戦後いち早く現代論理学(記号論理学)を研究した一人。東大の大学院では科学史・科学哲学と比較文化を教えた。中村元を助け比較思想学会の創立に関わり、同学会の理事を務めた。 1921年、山梨県甲府市生まれ。旧制甲府中学、第一高等学校を経て、1945年東京帝国大学哲学科卒業。卒業後は東京帝国大学副手、電気通信大学助教授を経て、1954年より東京大学教養学部助教授となった。後に同大学教授に昇進。在職中には東京大学陵禪会の顧問を務め、学生と共に参禅していた。この陵禪会の繋がりで、野矢茂樹は末木を師の一人として仰ぐ様になる。
永田 久光(ながた ひさみつ、1921年4月14日 - 19… 永田 久光(ながた ひさみつ、1921年4月14日 - 1975年5月17日)は、日本の広告研究者、評論家。 山梨県塩山市郊外に生まれる。山梨県立日川中学校、多摩美術大学卒業。台糖株式会社宣伝課長、日本経済新聞社『日経広告手帖』編集長、中部日本放送「CBCレポート」編集長、「週刊明星」創刊にかかわり、市場調査機関・永田オペレーション・センターを設立、のち電通PRセンターとし、初代社長となる。1970年株式会社ジャパーク(JPRC)を創立。評論家として著書多数を著した。 1960年代、永田が電通PR(現電通パブリックリレーションズ)社長時代提唱したとされる。
茂手木 元蔵(もてぎ もとぞう、1912年6月21日 - 1… 茂手木 元蔵(もてぎ もとぞう、1912年6月21日 - 1998年6月25日)は、日本の古代哲学研究者。 山梨県甲府市出身。1938年東京帝国大学文学部哲学科卒。東洋高等学校講師、横浜大学[疑問点 – ノート]助教授、校名変更で横浜市立大学教授となり、1978年定年退官、名誉教授、大正大学教授を務めた。アリストテレスやルキウス・セネカを専門とする。
須田 正継(すだ まさつぐ、1893年8月10日 - 196… 須田 正継(すだ まさつぐ、1893年8月10日 - 1964年9月16日)は、日本のイスラム教研究者。日中戦争期には、外交官として内蒙古に派遣されて諜報活動をおこなった。 「国士的人物」であり、「とにかく独立独歩、他からの制肘を好まず」、晩年に至っても「意気軒昂たる」ものがあったとされる。 山梨県東八代郡一桜村小城(後の一宮村→一宮町→笛吹市の一部)に生まれる。 旧制の日川中学校(山梨県立日川高等学校の前身)から東京府豊島師範学校に進んだが、さらに東京外国語学校に学び、ロシア語部選科を修了した。 1918年のシベリア出兵の際には、通訳として従軍し、沿海州からザバイカル州までを転戦した。この3年に及ぶシベリアでの活動の間に、白軍の一翼を担っていたアタマン・セミヨノフをリーダーとする中央アジア系ムスリム兵の部隊と接触し、イスラム教に帰依したといわれる。
浅川 伯教(あさかわ のりたか、1884年(明治17年)8月… 浅川 伯教(あさかわ のりたか、1884年(明治17年)8月4日 - 1964年(昭和39年)1月14日)は、朝鮮古陶磁研究者。山梨県北巨摩郡甲村五丁田(現在の北杜市高根町五町田)出身。浅川巧は弟。 山梨県師範学校に学び、県内で小学校教諭となった。甲府キリスト教会での小宮山清三との出会いから朝鮮王朝の美術に憧れ、1913年(大正2年)、韓国併合3年目の朝鮮半島に渡る。当初は朝鮮陶磁の「青磁」に惹かれていたが、偶然目にした日常の器「白磁」に魅了され、柳宗悦(思想家、民藝運動創始者)に紹介。これが朝鮮王朝時代の白磁が日本で注目されるきっかけとなる。 1924年(大正13年)、日本統治下の京城(現ソウル)に、柳宗悦や弟の巧とともに、文化擁護と継承のため「朝鮮民族美術館」を設立。