御嶽海 久司(みたけうみ ひさし、1992年12月25日 -… 御嶽海 久司(みたけうみ ひさし、1992年12月25日 - )は、長野県木曽郡上松町出身で出羽海部屋所属の現役大相撲力士。本名は大道 久司(おおみち ひさし)。身長178cm、体重153kg、血液型はO型。得意技は突き・押し。自己最高位は東小結(2016年11月場所、2017年3月場所 - 5月場所)。好物はバナナ。好きな俳優は峰竜太。父は日本人、母はフィリピン人。
高三郷 勝義(たかみさと かつよし、1990年3月30日 -… 高三郷 勝義(たかみさと かつよし、1990年3月30日 - )は、長野県安曇野市出身で東関部屋所属の元大相撲力士。本名は和木 勝義(わき かつよし)。身長184cm、体重149.5kg。最高位は西幕下16枚目(2016年7月場所)。 2014年の春巡業から2018年の春巡業まで、勝武士(高田川部屋)とのコンビで初切を務めた。 男ばかりの4兄弟の次男として生まれた。兄弟4人とも身長180cmを超す中自身は特に大柄で、中学3年生で身長180cm、体重120kgの体格をしていた。両親は共働きであったため「料理を作るのが好き」という自身が兄弟の夕食をこしらえ、米は1日8合を炊いていたという。スポーツ歴は中学時代に柔道を村のクラブで習っていた程度で、相撲は全く興味がなく、だれが横綱かも知らなかった。
前田 一輝(まえだ かずき、1988年〈昭和63年〉2月23… 前田 一輝(まえだ かずき、1988年〈昭和63年〉2月23日 - )は、高田川部屋に所属した元大相撲力士。二所ノ関部屋マネージャー。茨城県稲敷郡阿見町議会議員(1期)。身長174cm、体重92.5kg。最高位は西幕下32枚目(2012年7月場所)。 兵庫県神戸市灘区出身。報徳学園中学校を卒業したが、報徳学園高等学校を1年で中退した。中退後、高田川部屋に入門し、2004年3月場所で初土俵を踏む。翌5月場所、序ノ口に付き、四股名を師匠の「前の山」と戦前の名力士の「神風」から高田川部屋所属の行司・式守勘太夫(後の38代木村庄之助)により、「前神風」と改めた。その後、四股名は序二段で「輝錦」、三段目で四股名を「威力」と変え(当時部屋付きだった千田川(元関脇安芸乃島)の命名)、 2009年5月場所から四股名を「前神風」に戻し、「前神風」のときに幕下に上がり、最高位の幕下32枚目に進んだ。
木村 幸三郎(きむら こうざぶろう、1983年(昭和58年)… 木村 幸三郎(きむら こうざぶろう、1983年(昭和58年)5月8日 - )は、大相撲の十両格行司である。本名は宮坂 亮輔(みやさか りょうすけ)。中村部屋→八角部屋所属。血液型はB型。 長野県茅野市出身。2001年11月場所で中村部屋から木村亮輔の名で初土俵を踏む。2011年1月場所幕下格に昇進。2012年12月に所属する中村部屋が閉鎖することにより八角部屋に移籍。2023年1月場所十枚目格に昇進し、木村幸三郎に改名した。 この項目は、相撲に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ相撲)。
昴 光司(すばる こうじ、1972年8月30日 - )は、長… 昴 光司(すばる こうじ、1972年8月30日 - )は、長野県飯田市出身で高砂部屋に所属した元大相撲力士。本名は下澤 吉雄。176cm、110.5kg。最高位は西幕下10枚目。 2013年8月12日にNHKで放送された「ドキュメンタリー同期生 土俵探し 今なお~大相撲昭和63年春組~」に出演し、現在は岐阜県高山市で製薬会社(中京医薬品)の営業をしていることを明かした。 闘牙進の四股名は兄弟子の昴が名付けている。 現在は大阪府堺市で保険業の会社であるすばる保険そうだんを営んでいる https://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=245&l=j
木村 圭吾(きむら けいご、本名:山田健、1971年12月2… 木村 圭吾(きむら けいご、本名:山田健、1971年12月22日 - 1995年1月7日)は、二子山部屋に所属していた大相撲の行司であった。最高位は幕下格。長野県飯田市出身。 1987年3月、二子山部屋に入門。3月場所で初土俵を踏む。 1993年1月場所幕下格昇進。巡業の先発の書記や場内放送などを担当した。 1994年5月場所5日目、三段目の雷王-竜風戦で5回にわたって取り直すという珍事が起こった取組を裁いた。これは現行制度における取り直しの最多回数の記録となっている。この取組の詳細は物言い#平成時代参照。 1994年12月30日午前2時過ぎ、中野区の二子山部屋で門限に遅れて締め出されたため、その部屋の2階から入ろうとしたが転落し、その際に頭を打ち、意識不明となった。
金親 和憲(かねちか かずのり、1969年11月12日 - … 金親 和憲(かねちか かずのり、1969年11月12日 - )は、神奈川県横浜市鶴見区出身で北の湖部屋(入門当時は三保ヶ関部屋)所属の元大相撲力士。本名は山村 和行(やまむら かずゆき)、旧姓は金親。趣味は映画鑑賞。最高位は東十両2枚目(1995年7月場所)。血液型はAB型。2015年に後述する暴行事件を起こし、日本相撲協会から解雇されて以降、本名で報道されることが多かった。 中学時代はバスケットボール部に所属していた。金親が中学1年生の頃には父が18歳の女性と再婚したが、金親とその義母となった女性は折り合いが悪く喧嘩が絶えなかったという。身体が大きかったため多くの相撲部屋からの勧誘があったが一度は入門を断り、横浜商大高校に進学した。
大鷲 平(おおわし ひとし、1946年1月12日 - )は、… 大鷲 平(おおわし ひとし、1946年1月12日 - )は、長野県佐久市大字志賀(出生時は北佐久郡志賀村)出身で若松部屋に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 平(いとう ひとし)。最高位は西前頭3枚目(1975年1月場所・1976年5月場所)。身長190cm、体重115kg。得意手は左四つ、上手投げ、吊りなど。 幼少時は普通の体格であったが、小学生の頃から急に身長が伸び始めた。東中学校に在学中は野球部に在籍した。制球は覚束なかったが、豪速球を武器に投手として活躍していた。 中学卒業後、親戚からその活躍ぶりを聞き付けた同じ佐久市出身の西岩親方(元前頭18・若嵐)の勧誘を受け、本人も相撲が嫌いでなかったためあっさり角界入りが決まった。
10代 式守 与太夫(しきもり よだゆう、1925年12月4… 10代 式守 与太夫(しきもり よだゆう、1925年12月4日-1983年5月25日)は大相撲の元三役格行司。三役格としての在位期間は1977年11月〜1983年5月。立浪部屋所属。 長野県佐久市出身。本名は関口清三郎。 ヒゲの19代式守伊之助の弟子。27代木村庄之助は兄弟子、31代木村庄之助は弟弟子にあたる。1936年小学5年生の時に行司見習いとして春日山部屋に入門。 1937年夏場所に式守政吉の名で初土俵。のち政臣と改名し、1952年1月に十両格昇格、式守清三郎と改名。1958年7月に幕内格昇格。1969年3月に10代式守与太夫襲名。1974年1月に行司抜擢制度にて、序列1つ上の木村筆之助と序列が入れ替わり幕内格筆頭に昇進したが、同時に与太夫をも抜いて先に三役格に昇格したのは、与太夫より序列が2つ下だった8代式守錦太夫である。
大昇 充宏(おおのぼり みつひろ、1925年8月1日 - 2… 大昇 充宏(おおのぼり みつひろ、1925年8月1日 - 2009年3月1日)は、長野県北佐久郡軽井沢町出身で春日山部屋(一時立浪部屋)に所属した大相撲力士。本名は石田 勇。最高位は西前頭筆頭(1955年3月場所)。現役時代の体格は身長185cm、体重116kg。得意手は左四つ、寄り、外掛け。引退後は春日山部屋を経営して、後進の指導に尽くした。 1941年1月場所、春日山部屋から初土俵を踏む。藤川の四股名で昇進していったが、親方(元関脇・藤ノ川)が1946年限りで部屋を閉じ、幕下だった彼は立浪部屋に預けられることになった。1949年1月場所、信州の四股名で十両昇進、すぐに大昇と改め、1951年1月場所に新入幕を果たした。
若嵐 武(わかあらし たけし、1924年6月9日 - 没年不… 若嵐 武(わかあらし たけし、1924年6月9日 - 没年不明)は、長野県北佐久郡岩村田町(現・同県佐久市)大字長土呂出身で西岩部屋(入門時は若松部屋)に所属した大相撲力士。本名は東城 武(とうじょう たけし)。現役時代は、最高位は西前頭18枚目(1951年1月場所)。現役当時の体格は180cm、84kg。得意手は右四つ、吊り、上手投げ。 16歳の時に上京し、若松部屋(後、西岩部屋に改称)へ入門。1941年1月場所で初土俵(前相撲)翌5月場所で新序・翌1942年1月場所で序ノ口に昇進した。 生まれついての近視であり、それ故に相手から離れての取り口が困難であった。長身の割に細身で、右四つからの吊りや投げを得意とした。
木村 筆之助(きむら ふでのすけ、1924年(大正13年)1… 木村 筆之助(きむら ふでのすけ、1924年(大正13年)1月17日 - 1984年(昭和59年)4月26日)は大相撲の元幕内格行司。伊勢ノ海部屋所属。師匠は初代木村今朝三。長野県伊那市出身。本名は田畑 啓。生家は伊那市の映画館「伊那旭座」。 1936年1月、12歳で相撲界へ入門。兵役で一時相撲界を離れたが、1946年11月場所から三段目格で復帰した。 1958年7月場所に幕内格行司に昇格。1967年7月場所より2代木村今朝三を襲名したが、1970年9月場所より今朝三の名跡を返上し筆之助に戻した。今朝三の名跡はこれ以降襲名する者が現れていない。 1966年11月場所より幕内格の筆頭行司であったが、上位の行司が急に廃業したり、病気休場したこともあり、行司の成績考課制度が導入された1972年~1973年頃の一時期は三役の取組を裁いたことがある。
信州山 由金(しんしゅうざん よしかね、1918年11月1日… 信州山 由金(しんしゅうざん よしかね、1918年11月1日 - 1976年8月20日)は、長野県諏訪郡上諏訪町(現在の同県諏訪市岡村)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は河西 由金(かわにし よしかね)。 現役当時の体格は179cm、92kgと、当時としては肩幅も広くがっしりとした体型であった。右を差しての思い切った攻め、頭を付ける堅実さを持ち合わせた取り口。 18歳の時に角界入りし、1937年5月場所で初土俵。1938年5月、19歳で序ノ口に付き、故郷の長野県諏訪郡に由来する「諏訪昇」を四股名とした。 その後、1942年5月場所より、郷里・長野県の旧称(信濃・信州)に因んだ「信州山」に改名。
太郎山 勇吉(たろうやま ゆうきち、1901年3月25日 -… 太郎山 勇吉(たろうやま ゆうきち、1901年3月25日 - 1964年12月30日)は、長野県小県郡上田町(現:上田市)出身の元大相撲力士。本名は宮島 諭吉(みやじま ゆきち)。 1917年5月場所において浦風部屋から初土俵を踏んだ。長身・色白・好男子であることから「男は太郎山」とたちまち評判になり、本場所では常に黄色い声援を受けていたが、勝ち味が遅く相撲に豪快さなどが無かった。1925年5月場所において新入幕を果たしたが、一度十両陥落を経て1928年1月場所に幕内へ返り咲いてからは、現役引退まで常に幕内に在位し続けていた。 その間に師匠の廃業で高砂部屋へ、さらに1933年からは伊勢ヶ濱部屋へ身を寄せるなど、転々とした生活を送った。
21代 木村 庄之助(にじゅういちだい きむら しょうのすけ… 21代 木村 庄之助(にじゅういちだい きむら しょうのすけ、1889年4月1日 - 1970年11月25日)は、大相撲の立行司。所属部屋:伊勢ノ海→井筒→双葉山道場・時津風。風貌から「蔣介石庄之助」と通称されている。 長野県更級郡塩崎村(現長野市)出身。本名:樽田→竹内重門。祖父、父(湊崎)ともに東京相撲の力士で、廃業後も浦風部屋の地方世話人(巡業の世話)をしていた。そのため幼少の頃に父の力士時代からの知人であった伊勢ノ海部屋所属の年寄・6代山響の養子となり、1897年、わずか8歳で初土俵を踏んだ。初名は3代式守与之吉で、20代庄之助が兄弟子である。1913年1月場所8日目に青白房(十両格)に昇格。