井戸 穂花(いど ほのか、2006年7月6日 - )は、岐阜… 井戸 穂花(いど ほのか、2006年7月6日 - )は、岐阜県出身の野球選手(外野手)。右投左打。元埼玉西武ライオンズ・レディース所属。 小学4年生から野球を始め、美濃加茂東中学校時代は岐阜エンジェルスでプレー。高校へは女子硬式野球部のある静岡県の東海大静岡翔洋高校へ進学。第25回全国高等学校女子硬式野球選抜大会では準優勝。夏の第28回全国高等学校女子硬式野球選手権大会では第3位となった。3年生で全国高校野球女子選抜メンバーに選出され、東京ドームで開催されたイチロー選抜 KOBE CHIBEN対高校野球女子選抜の試合に出場し投手イチローから左翼・松坂大輔の頭を越える二塁打を浴びせ活躍した。 2025年に埼玉西武ライオンズ・レディースに入団。
大生 虎史(おおばえ こうし、2006年3月26日 - )は… 大生 虎史(おおばえ こうし、2006年3月26日 - )は、岐阜県加茂郡川辺町出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。ハヤテベンチャーズ静岡所属。 兄はBCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズに所属する大生竜万。 少年野球チームの川辺イーグルスで野球を始め、川辺町立川辺中学校在学時には豊田リトルシニアに在籍した。いずれも兄・竜万と同じチームである。3年次には第26回日本リトルシニア全国選抜野球大会に出場し、ベスト16の成績を残した。高校は大分県の柳ヶ浦高等学校に進学した。中学時代はサイドスローだったが、高校入学後にスリークォーターにフォームを変更した。3年夏の県大会2回戦では、シード校である高田高を8回途中無失点に抑えて勝利を収めたものの、県ベスト8の成績に終わり甲子園への出場はならなかった。
佐々木 泰(ささき たい、2002年12月24日 - )は、… 佐々木 泰(ささき たい、2002年12月24日 - )は、岐阜県大垣市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。広島東洋カープ所属。 大垣市立小野小学校で1年生の時に野球を始め、大垣市立東中学校在学時は硬式野球のクラブチームである岐阜ボーイズでプレーしていた。 岐阜県立岐阜商業高等学校に進学し、1年夏から4番を務めた。3年春の第92回選抜高等学校野球大会への出場が決定していたが、新型コロナウイルスの影響により同年の公式戦が全て中止となった。その後、2020年甲子園高校野球交流試合で明豊と対戦し、9回にソロ本塁打を放った。高校通算41本塁打。1学年下に高木翔斗がいた。 高校卒業後は青山学院大学に進学。
加藤 翼(かとう つばさ、2002年12月14日 - )は、… 加藤 翼(かとう つばさ、2002年12月14日 - )は、岐阜県益田郡金山町(現:下呂市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 下呂市立東第一小学校2年時に3歳上の兄の影響で野球を始め、金山少年野球クラブに入団。下呂市立金山中学校時代は岐阜可茂ボーイズでプレーし、この時までポジションは捕手がメインだった。 中学時は建築家を目指していたため、岐阜工業高等専門学校建築学科への進学を考えていたが、成績が不足していたため兄が在籍していた帝京大学可児高等学校へ進学し、プロ野球選手を目指しつつ建築科のある大学への進学も視野に入れるようになる。高校では、1年秋からベンチ入り。東京ヤクルトスワローズなどで活躍した田中祐貴コーチの指導を受け、3年時の夏には自己最速となる153km/hを計測し、8月に開催されたプロ志望高校生合同練習会では、当時ドラフト候補であった大阪桐蔭高等学校の西野力矢らから2つの三振を奪った。
元 謙太(げん けんだい、2002年5月17日 - )は、岐… 元 謙太(げん けんだい、2002年5月17日 - )は、岐阜県多治見市出身のプロ野球選手(外野手、内野手・育成選手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 小学校3年から野球を始め、6年生の時には中日ドラゴンズジュニアに選出された。中学校時代は硬式野球チームの岐阜東濃シニアに所属。 進学した中京高校(2年次までの校名は中京学院大学附属中京)では1年の春からベンチ入りを果たし、2年夏に出場した甲子園大会では、準々決勝の作新学院高校戦で逆転満塁本塁打を放ち、チームのベスト4進出に貢献した。 2020年10月26日に行われたプロ野球ドラフト会議において、オリックス・バファローズより2位指名を受け、12月4日に契約金6000万円、年俸650万円(金額は推定)で仮契約し、12月19日、入団発表会見が行われた。
富田 蓮(とみだ れん、2001年9月6日 - )は、岐阜県… 富田 蓮(とみだ れん、2001年9月6日 - )は、岐阜県養老郡養老町出身のプロ野球選手(投手)。左投左打。阪神タイガース所属。 養老町立東部中学校時代は硬式野球チーム「大垣ボーイズ」に所属していた。岐阜県立大垣商業高校では1年秋からベンチ入り。2年春の大会では背番号1を身に着け、夏の大会では県大会準優勝を経験した。3年夏の大会では準決勝へ進むも、前年夏の県大会決勝で敗れた大垣日本大学高等学校の前に再び敗れた。 2年夏の大会には当時三菱自動車岡崎で監督を務めていた野波尚伸が大垣日大に所属する長男の応援のため観戦に来ていた。この試合で富田の投球に目を付けた野波は3年夏の大会前に富田を三菱自動車の練習に招待し、高校卒業後は同社に入社することとなった。
北村 恵吾(きたむら けいご、2000年12月18日 - )… 北村 恵吾(きたむら けいご、2000年12月18日 - )は、岐阜県大垣市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 岐阜県の大垣市立北小学校2年生のときに野球を始める。きっかけは、たまたま小学校の前を通った時に地元の少年野球チームである大垣北クラブを見てやりたいと思い、練習に参加させてもらった所、楽しかったために始めた。小学生の頃は主に「4番・投手」だった。 大垣市立北中学校進学後は、西濃ボーイズに所属した。中学時代には根尾昂と岐阜県選抜チームでチームメイトにもなった。 近江高等学校では1年生の春からベンチ入り。1年夏から「4番・左翼手」を務めた。その夏の甲子園では1回戦敗退。
中神 拓都(なかがみ たくと、2000年5月29日 - )は… 中神 拓都(なかがみ たくと、2000年5月29日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。 岐阜市立長森南小学校1年から野球を始め、岐阜市立長森南中学校では軟式野球の岐阜フェニックスに所属。 市立岐阜商業高では1年から遊撃でレギュラー。高校では遊撃手のほかに投手も務め、最速146km/hをマーク。 2018年10月25日のドラフト会議で広島東洋カープから4位で指名を受け、11月21日に契約金4000万円、年俸500万円(金額はともに推定)で仮契約した。背番号は56。 一軍出場がないまま、2022年オフに戦力外通告を受ける。 広島退団後は岐阜に戻り、軟式野球でプレーしている。
根尾 昂(ねお あきら、2000年4月19日 - )は、岐阜… 根尾 昂(ねお あきら、2000年4月19日 - )は、岐阜県吉城郡河合村(現:飛騨市)出身のプロ野球選手(投手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 飛騨市立河合小学校2年時に「古川西クラブ」に入団し野球を始める。主に投手と三塁手を務め、ドラゴンズジュニアにも選抜された。飛騨市立古川中学校時代は「飛騨高山ボーイズ」に所属。投手と遊撃手を務め、中学3年時には最速146km/hを記録したことから「スーパー中学生」として注目される存在だった。 大阪桐蔭高等学校進学後は1年夏からベンチ入り。2年春からは主力となり、投手、遊撃手に加えチーム状況によっては外野手もこなしながら、2年春から3年夏まで4季連続で甲子園大会出場を果たし、そのうち2年春、3年春、3年夏で全国優勝。
井川 翔(いかわ しょう、1998年6月15日 - )は、岐… 井川 翔(いかわ しょう、1998年6月15日 - )は、岐阜県山県市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。 山県市立富岡小学校1年の時に野球を始め、山県市立高富中学校時代は岐阜中央ボーイズに所属していた。2014年に滋賀学園高等学校へ進学し硬式野球部に入部。2015年に秋季近畿地区高校野球大会で大阪桐蔭高等学校に敗れ準優勝となり、3年春に第88回選抜高等学校野球大会に出場したが、智弁学園高等学校に敗れてのベスト8だった。大会中には自身のサングラス姿でのプレーが話題となった。高校卒業後は流通経済大学に進学し、硬式野球部に入部するも1年で退部し、学校も中退した。 2017年11月15日に滋賀ユナイテッドベースボールクラブの特別合格選手となり、2018年シーズンからはプロ野球選手として活動している。
今井 順之助(いまい じゅんのすけ、1998年5月25日 -… 今井 順之助(いまい じゅんのすけ、1998年5月25日 - )は、岐阜県多治見市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。北海道日本ハムファイターズ所属。
赤塚 瑞樹(あかつか みずき、1997年11月26日 - )… 赤塚 瑞樹(あかつか みずき、1997年11月26日 - )は、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(投手)。 世界でも極めて希少なスイッチピッチャーとして知られる。 岐阜大学教育学部附属小学校1年生のときに城西スポーツ少年団で野球を始め、この頃から投手でプレー。岐阜大学教育学部附属中学校ではドリームス岐阜北ボーイズに所属した。麗澤瑞浪高等学校では1年秋からベンチ入りし、投手兼外野手としてプレー。この頃から両投げ投手として注目され始める。卒業後は立教大学に入学したが、同大学の野球部での公式戦では両投げとしての登板はできなかった。 大学卒業後の2020年は海外留学として、トライアウト型トラベリングチーム「アジアン・ブリーズ」に参加しヨーロッパのプロリーグでのプレーを目指していたが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の流行によりプロリーグの開幕が難航したため、同年の8月26日に日本の独立リーグ・BCリーグのオセアン滋賀ブラックスに入団した。
勝野 昌慶(かつの あきよし、1997年6月12日 - )は… 勝野 昌慶(かつの あきよし、1997年6月12日 - )は、岐阜県可児市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。中日ドラゴンズ所属。 可児市立春里小学校1年生から岐阜東濃リトルリーグで野球を始め、可児市立西可児中学校時代では中濃ドリームボーイズ(現・岐阜中濃ボーイズ)に所属していた。 土岐商業高等学校時代は1年夏からベンチ入りを果たし背番号18を背負った。2年秋にはエースとしてチームを引っ張り、岐阜県でベスト4に入り東海大会へ出場したが、2回戦で堀内謙伍、鈴木将平擁する静岡高校に敗れた。3年夏の岐阜県大会は、3回戦で羽島北高校に敗れ、甲子園出場はしていない。高校の時のストレートの最速は146km/hだった。
髙橋 純平(たかはし じゅんぺい、1997年5月8日 - )… 髙橋 純平(たかはし じゅんぺい、1997年5月8日 - )は、岐阜県岐阜市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。
髙橋 純平(たかはし じゅんぺい、1997年5月8日 - )… 髙橋 純平(たかはし じゅんぺい、1997年5月8日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学校2年生から「梅林スポーツ少年団」で軟式野球を始めた。岐阜市立梅林中学校では「揖斐本巣パワーボーイズ」に所属する。 岐阜県立岐阜商業高等学校では1年春から控え投手としてベンチ入り。3年春の第87回選抜大会では初戦の松商学園高校戦、2回戦の近江高校戦では好投したが、準々決勝の浦和学院高校戦では5失点で敗れた。夏は左太もも肉離れの影響で準々決勝の中京学院中京高校戦で打者7人の登板のみとなり、準決勝の斐太高校戦では登板の機会がなく、敗退。その後第27回 WBSC U-18ワールドカップの日本代表に選出された。
滝野 要(たきの かなめ、1996年7月8日 - )は、三重… 滝野 要(たきの かなめ、1996年7月8日 - )は、三重県飯南郡飯高町(現:松阪市)出身の元プロ野球選手(外野手、内野手)、元野球指導者。右投左打。 飯高町立宮前小学校(現:松阪市立)2年時に堂山スポーツ少年団でソフトボールを始め、松阪市立飯高東中学校では松阪ボーイズに所属していた。 大垣日大高校進学後、2年時にサードのレギュラーを掴むと、2年夏の岐阜県大会では、準決勝で本塁打を放ち、春の甲子園ベスト8の県立岐阜商業高校を破った。決勝では4番打者を務め、市立岐阜商業高校も破って、第95回全国高等学校野球選手権大会出場を決めた。開幕戦となった有田工業高校戦は古川侑利から2安打2盗塁を決めるも惜敗した。
吉川 尚輝(よしかわ なおき、1995年2月8日 - )は、… 吉川 尚輝(よしかわ なおき、1995年2月8日 - )は、岐阜県羽島市出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。 2026年シーズンから第22代選手会長を務める。妻はシンガーソングライターの足立佳奈。 小学生から軟式野球を始め、中学生になると父が監督を務める岐阜南ボーイズ(前・羽島フジクラブ)にて硬式野球を始める。中学時代は卓球部に所属。中京高校では1年夏から三塁手のレギュラーに定着し、秋からは遊撃手を守る。 吉川は、当初は亜細亜大学に進学する予定であったが、入学前に参加した野球部の練習が合わずに入部を取りやめ、地元の中京学院大学に進学した。1年春からリーグ戦に出場し、秋にベストナインを受賞。
大藏 彰人(おおくら あきと、1994年5月15日 - )は… 大藏 彰人(おおくら あきと、1994年5月15日 - )は、愛知県宝飯郡一宮町(現:豊川市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。NPBでは育成選手だった。 一宮町立一宮東部小学校3年生の時に野球を始める。当初から投手を務めていたが、小学校と中学校時代は他にエース投手がいたため、投手としては控えで、野手兼任でのプレーだった。豊川市立一宮中学校時代は新城ベアーズに所属。中学3年の3学期に岐阜県不破郡垂井町への転居に伴って垂井町立不破中学校に編入した。 岐阜県立大垣西高等学校進学後に主戦投手となり、2年時の秋季大会の岐阜大会ではベスト4、3年生となった翌2012年の春季岐阜大会では準優勝し、チームを東海大会に導いている。
辻 空(つじ そら、1994年4月24日 - )は、岐阜県岐… 辻 空(つじ そら、1994年4月24日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者。右投右打。 野球好きの家庭に生まれ、テレビや球場観戦など、常に周りに野球がある環境で育った。 岐阜市立梅林小学校の2年時に、スポーツ少年団で野球を始めた時から投手一筋で、岐阜市立梅林中学校時代は、軟式野球部に所属。 岐阜城北高等学校では、2年時の秋から主戦投手となる。3年時春は県ベスト4。3年時の夏は最速143km/h右腕として注目され、岐阜大会初戦の大垣工業高校戦では9回一死までノーヒットノーランの快投を演じるも、その後2安打を打たれて2失点完投勝利を収めた。しかし、ベスト8で中京高に2-7で敗れた。
沼田 拓巳(ぬまた たくみ、1994年3月4日 - )は、愛… 沼田 拓巳(ぬまた たくみ、1994年3月4日 - )は、愛知県名古屋市守山区出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学5年生の夏から野球を始め、森孝東小学校在学時は「守山ボーイズ」、森孝中学校在学時は「守山クラブ」に所属した。中学時代までのポジションは投手兼中堅手。 高校からは投手に専念。大垣日大高校在学中、高校は第82回と第83回選抜高等学校野球大会に出場しているが、エースに葛西侑也がいたため、沼田自身は予選には出場したものの本戦はベンチ外で甲子園出場実績はない。高校時代の1年先輩には阿知羅拓馬がいる。 高校卒業後は愛知大学野球の2部リーグに所属する名古屋産業大学に進学したが、その年の夏に中退。
伊藤 大智郎(いとう だいちろう、1992年12月29日 -… 伊藤 大智郎(いとう だいちろう、1992年12月29日 - )は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。プロでは育成選手であった。 5歳から野球を始める。中学時代は守山クラブに所属し、当時から投手を務めた。尾関学園高等学校(現在の誉高等学校)入学後、サイドスローに転向。徐々に頭角を現し、3年時の春に県大会ベスト4となり注目を集めた。夏には、プロのスカウトも視察に訪れたが、本調子ではなく4失点で初戦敗退。在学中には春夏ともに、阪神甲子園球場での全国大会出場はなかった。 2010年のNPBドラフト会議で、福岡ソフトバンクホークスから育成3巡目で指名。育成選手として入団した。背番号は127。
阿知羅 拓馬(あちら たくま、1992年11月20日 - )… 阿知羅 拓馬(あちら たくま、1992年11月20日 - )は、大阪府出身(宮崎県西都市育ち)の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 プロフィール上の出身地は大阪府だが、実父が宮崎スポーツ振興会の職員であることから、実際には大阪府内で出生後に宮崎県内で生活していた。西都市立三財中学校時代は、宮崎情熱ボーイズ(現在の宮崎西部ボーイズ)に所属。中学3年時には、日本代表チームの一員として、第18回世界少年野球大会で優勝を経験した。 中学校からの卒業後に、阪口慶三を慕って岐阜県の大垣日本大学高等学校へ進学。1年時の春季岐阜県大会では、準々決勝で先発デビューを果たした。2年時の夏にエースとして選手権岐阜大会に臨んだが、登板試合で序盤に降板するなど本調子に程遠く、3回戦で県岐阜商に敗れた。
白村 明弘(はくむら あきひろ、1991年12月11日 - … 白村 明弘(はくむら あきひろ、1991年12月11日 - )は、岐阜県美濃加茂市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。右投左打。 実父の信幸は日本体育大学硬式野球部のOBで、美濃加茂高校の硬式野球部監督。明弘自身は美濃加茂市立東中学校へ進学後、岐阜ビクトリーズに所属した。同チームでは、中学3年時の夏まで外野手や遊撃手としてプレー。後に投手へ転向したが、ストレートは当時から139km/hを計測した。 中学卒業後は慶應義塾高等学校へ進学し、入学直後から対外試合でベンチ入りを果たすと、1年生ながらストレートで最速142km/hを記録した。2年時の春からは、3季連続甲子園に出場。2年春(第80回選抜高等学校野球大会)と2年夏(第90回全国高等学校野球選手権記念大会)では、同球場のマウンドに立てなかった。
角屋 龍太(かどや りゅうた、1990年10月18日 - )… 角屋 龍太(かどや りゅうた、1990年10月18日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 小学4年から加納東スポーツ少年団で野球を始める。富田高校では、1学年先輩であった東明大貴の後を継ぐ形で2年から投手に転向した。 その後、名城大学を経てジェイプロジェクトに入社。同社の経営する名古屋市内の飲食店で厨房の調理担当として勤務するかたわら、ヤマハの補強選手として第86回都市対抗野球大会に出場した。 2015年のプロ野球ドラフト会議で、オリックス・バファローズから8巡目で指名。契約金2,000万円、年俸700万円(金額は推定)という条件で入団した。入団当初の背番号は58で、入団を機に、再び東明のチームメイトになった。
東明 大貴(とうめい だいき、1989年6月15日 - )は… 東明 大貴(とうめい だいき、1989年6月15日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手、右投右打)。 小学生時代に地元の厚見スポーツ少年団に所属したが、チームは6年間に3回しか勝てなかった。厚見中学校で軟式野球部に所属した後に、富田高へ進学。1年の秋からエースになったが、高校時代は地方大会で一度も初戦を突破できなかった。 スポーツ推薦ではなくAO入試で桐蔭横浜大学へ進学すると、神奈川大学野球のリーグ戦に1年時の春から登板。後に球速を大きく伸ばすなど急成長を遂げ、同年の秋季リーグ戦では、ベストプレーヤー賞を受賞した。2年時の春には、チームをリーグ戦初優勝と全日本大学野球選手権大会への進出に導いたが、故障のため選手権大会では登板の機会はなかった。
三上 朋也(みかみ ともや、1989年4月10日 - )は、… 三上 朋也(みかみ ともや、1989年4月10日 - )は、岐阜県多治見市出身のプロ野球選手(投手)。横浜DeNAベイスターズ所属。
尾藤 竜一(びとう りゅういち、1988年11月19日 - … 尾藤 竜一(びとう りゅういち、1988年11月19日 - )は、岐阜県郡上市白鳥町出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。プロでは育成選手であった。 白鳥町立大中小学校(現 郡上市立大中小学校)の4年次より野球を始める。白鳥町立白鳥中学校(現 郡上市立白鳥中学校)では軟式野球部で投手として活躍した。 岐阜県立岐阜城北高校に進学すると、1年春の東海大会からベンチ入り。同年秋からエースとして活躍。2年時の夏は、岐阜県予選準々決勝の中京高戦では9回途中までノーヒットノーランピッチングをするなど躍進し、決勝まで進むが土岐商業高に敗れ甲子園出場はならなかった。新チーム後の秋の岐阜大会及び東海大会で優勝したが、明治神宮大会では初戦で斎藤佑樹のいた早稲田実業高に敗れた。
小豆畑 眞也(あずはた しんや、1988年7月22日 - )… 小豆畑 眞也(あずはた しんや、1988年7月22日 - )は、岐阜県各務原市出身の元プロ野球選手(捕手)。 岐阜県立長良高等学校への在学中は甲子園と無縁で、卒業後に國學院大學へ進学。硬式野球部へ入部したが、環境に馴染めずに1年時に中退した。 國學院大學からの退学後に、中部学院大学経営学部経営学科へ改めて入学。東海地区大学野球連盟に加盟する硬式野球部で2年時の春から正捕手の座をつかむと、秋季リーグでMVPを受賞した。3年時の秋季リーグ終了時点で(國學院大學からの通算で)大学在籍4年目に達したため、中部学院大学の学籍を残したまま西濃運輸へ入社。日本学生野球協会の規定で卒業までの1年間は「大学生兼会社員」という立場で社会人野球に携わっていたが、入社1年目の2011年から正捕手に定着すると、同年の第82回都市対抗野球大会にも出場した。
藤原 正典(ふじはら まさのり、1988年1月14日 - )… 藤原 正典(ふじはら まさのり、1988年1月14日 - )は、岐阜県揖斐郡揖斐川町出身の元プロ野球選手(投手)。
岩田 慎司(いわた しんじ、1987年1月27日 - )は、… 岩田 慎司(いわた しんじ、1987年1月27日 - )は、元プロ野球選手(投手)。岐阜県岐阜市出身。
大野 奨太(おおの しょうた、1987年1月13日 - )は… 大野 奨太(おおの しょうた、1987年1月13日 - )は、岐阜県大垣市出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。右投右打。 北海道日本ハムファイターズ投手の宮西尚生は、互いの夫人が双子姉妹のため義兄弟にあたる。 大垣市立荒崎小学校時代は岐阜県の荒崎野球少年団に所属し、捕手・投手・三塁手をこなす。大垣市立西部中学校時代は西濃ボーイズで三塁手としてプレーし、岐阜県選抜にも選ばれた。中学時代の夢は県内屈指の名門校である県立岐阜商業高校でプレーすることだったが、岐阜県選抜のメンバーの多くが同校に進学を考えるなか、あえて岐阜総合学園高校に進学した。 高校時代は1年生の夏から三塁手のレギュラーに定着。秋にチームの正捕手が肩を壊したため捕手へ転向した。
土本 恭平(つちもと きょうへい、1985年10月13日 -… 土本 恭平(つちもと きょうへい、1985年10月13日 - )は、岐阜県土岐市出身の元プロ野球選手(投手)。 岐阜県立土岐商業高等学校から本格的に投手を始め、3年夏は県大会ベスト4となり、専修大学に進学。大学4年時の2007年春季のみだったが、1部リーグ通算7試合に登板、3勝3敗、防御率3.47、45奪三振、2部通算は8試合、2勝3敗をマーク。大学の1年先輩には後に読売ジャイアンツでもチームメートになる松本哲也、福岡ソフトバンクホークスの長谷川勇也、BREATHEの宮田慧がいる。社会人では、主に中継ぎ・抑えとして活躍。三菱自動車岡崎の補強選手として第80回都市対抗野球大会に救援登板した。 2009年のドラフト会議で読売ジャイアンツに3位で指名され、メジャー移籍した上原浩治の背番号19を引き継いだ。
長谷部 康平(はせべ こうへい、1985年5月21日 - )… 長谷部 康平(はせべ こうへい、1985年5月21日 - )は、岐阜県関市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。左投左打。引退後、2017年から株式会社楽天野球団営業第二部スポンサー担当。現在は宮城県を拠点に活動。 小学2年で野球を始めると、中学時代には岐阜中濃シニアでプレー。愛知県の杜若高等学校時代には、後に名城大学を経て中日ドラゴンズへ入団する山内壮馬とエースの座を争いながら、背番号1番と10番を交互に付け合った。ちなみに、在学中には春・夏とも全国大会への出場経験がなく、3年生夏の愛知県大会でベスト4に入ったことが最高の成績だった。 愛知工業大学への進学後に、1年春の愛知大学野球リーグ戦で初登板。
黒瀬 春樹(くろせ はるき、1985年4月15日 - )は、… 黒瀬 春樹(くろせ はるき、1985年4月15日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(内野手)。右投右打。
嶋 基宏(しま もとひろ、1984年12月13日 - )は、… 嶋 基宏(しま もとひろ、1984年12月13日 - )は、岐阜県海津郡海津町(現:海津市)出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。右投右打。2026年シーズンより中日ドラゴンズヘッドコーチ。 労働組合日本プロ野球選手会第8代会長。 海津市立吉里小学校1年から「吉里少年団」で投手として野球を始め、海津市立日新中学校では軟式野球部に所属して2年時に第20回全国中学校軟式野球大会に出場し、3年時には主将を務めた。子供のころから中日ドラゴンズのファンだった。小学生の頃から成績優秀、運動神経抜群で、テレビでも取り上げられた(情熱大陸にて)。 愛知県名古屋市にある中京大学附属中京高等学校出身。同校では、2年秋からベンチ入りし、主将となった。
青木 高広(あおき たかひろ、1981年11月26日 - )… 青木 高広(あおき たかひろ、1981年11月26日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)。現役時代の愛称は「ペローン」だった(詳細後述)。
朝倉 健太(あさくら けんた、1981年6月11日 - )は… 朝倉 健太(あさくら けんた、1981年6月11日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)。
石原 慶幸(いしはら よしゆき、1979年9月7日 - )は… 石原 慶幸(いしはら よしゆき、1979年9月7日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(捕手)。岐阜県安八郡墨俣町(現・大垣市)出身。2010年からカープの選手会長に就任した。
奥村 武博(おくむら たけひろ、1979年7月17日 - )… 奥村 武博(おくむら たけひろ、1979年7月17日 - )は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手(投手)、公認会計士、株式会社スポカチ(スポーツチームの企画運営、集客支援、コンサルティングなどの業務などを担う会社)の創業者・代表取締役。 2001年に阪神タイガースで現役を引退してからは、打撃投手を1年だけ務めた後に、2013年の公認会計士試験に合格。公認会計士としての登録後には、株式会社スポカチを2019年に設立したほか、一般社団法人 アスリートデュアルキャリア推進機構などのスポーツ関連団体で理事を務めている。 実父がコーチを務めていた少年野球チームで野球を始める。そこで内野の全ポジションとバッテリーを経験。
山北 茂利(やまきた しげとし、1978年1月6日 - )は… 山北 茂利(やまきた しげとし、1978年1月6日 - )は、岐阜県多治見市出身の元プロ野球選手(投手)。
英智(ひでのり、1976年5月9日 - )は、岐阜県羽島市出… 英智(ひでのり、1976年5月9日 - )は、岐阜県羽島市出身[注 1]の元プロ野球選手(外野手)、コーチ。1999年から2012年まで中日ドラゴンズでプレーした。2017年現在は二軍外野守備・走塁コーチを務める。
馬渕 隆雄(まぶち たかお、1975年2月21日 - )は、… 馬渕 隆雄(まぶち たかお、1975年2月21日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、同朋大学野球部の監督。 美濃加茂高では3年春県大会優勝、同朋大学では在学中は2部リーグだが4年春秋優勝し秋は入替戦も勝利、1996年11月21日にプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから5位指名を受け入団。 一軍登板のないまま、1999年限りで戦力外通告を受ける。横浜ベイスターズの入団テストを受けるも不合格に終わり、現役を引退した。 2001年1月より佐川急便に入社。愛知県の港営業所に配属され、2018年時点では中京支社の営業課長を務める。現役引退後、裏方として球団に残る、海外などを含めて現役を継続するなどといった選択肢があったが、野球と仕事の両立が可能なことから佐川急便への入社を選んだ。
山田 貴志(やまだ たかし、1974年5月11日 - )は、… 山田 貴志(やまだ たかし、1974年5月11日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手(投手)。
山田 博士(やまだ ひろし、本名:山田 洋(読み同じ)、19… 山田 博士(やまだ ひろし、本名:山田 洋(読み同じ)、1973年6月17日 - )は、岐阜県大垣市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 実兄はヤクルトスワローズなどでプレーした山田勉。 大垣工業高時代は2年時からエースの座に就く。3年の夏には大会屈指の好投手として注目を集めた。初戦は完封勝利を収めたものの第二戦で市岐阜商に味方のエラーから失点して自責点0で高校野球を終えた。高校卒業後は、社会人野球の日本通運名古屋に入ると都市対抗野球へチームを18年ぶりの出場に貢献。 1994年、中日ドラゴンズを逆指名し、同年のドラフト2位で入団。1997年8月19日の対広島東洋カープ戦で初登板、同年8月22日の対阪神タイガース戦で初勝利をあげる。
林 純次(はやし じゅんじ、1973年2月21日 - )は、… 林 純次(はやし じゅんじ、1973年2月21日 - )は、岐阜県土岐市出身の元プロ野球選手(投手)。
蔵本 雅由(くらもと まさよし、1973年2月8日 - )は… 蔵本 雅由(くらもと まさよし、1973年2月8日 - )は、岐阜県羽島市出身の元社会人野球の選手(投手)。
中ノ瀬 幸泰(なかのせ ゆきやす、1972年10月8日 - … 中ノ瀬 幸泰(なかのせ ゆきやす、1972年10月8日 - )は、岐阜県高山市出身の元プロ野球選手(投手)。 高山工業高時代から県下屈指の好投手とされていたが、春・夏とも甲子園出場はなかった。 高校卒業後は、西濃運輸に入社して野球部に所属。入部4年目の第65回都市対抗野球大会(1994年)で、社会人野球に金属バットが導入されてから初めて同大会で2試合連続完封し、チームを準優勝に導き、個人でも久慈賞(敢闘賞)を受賞する。スライダーやフォークボールが武器。 1995年のドラフトで阪神タイガースを逆指名、2位で入団。1996年新人ながら開幕ベンチ入りを果たし開幕戦でも登板するがプロの洗礼を浴びてしまい、この年わずか7試合に終わる。
和田 一浩(わだ かずひろ、1972年6月19日 - )は、… 和田 一浩(わだ かずひろ、1972年6月19日 - )は、元プロ野球選手。野球解説者。タレント。
藤井 由宮子(ふじい ゆみこ、1972年4月24日 - )は… 藤井 由宮子(ふじい ゆみこ、1972年4月24日 - )は、岐阜県出身の女子ソフトボール選手(投手)。2000年シドニーオリンピック銀メダリスト。
曽我部 直樹(そがべ なおき、1972年3月20日 - )は… 曽我部 直樹(そがべ なおき、1972年3月20日 - )は、岐阜県岐阜市出身の元プロ野球選手。現在は、オリックス・バファローズの球団本部管理部運営グループ所属。 中学時代にボーイズリーグの大会で全国準優勝を経験する。大垣日大高では県大会ベスト8でが最高で甲子園出場は無かった。愛知大学野球リーグ2部の名古屋学院大学に進み、卒業後は社会人野球3チームのセレクションを受けるも全て不合格。一般就職を考えるも、社会人野球のサンジルシ醸造に入社。全国大会には出場できなかったが、伊勢大会で3試合連続本塁打を記録するなど活躍した。 1995年のドラフト4位で阪神タイガースに指名され、入団。当時チームメートであった新庄剛志以上の強肩と評された。