スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
土田 龍空(つちだ りゅうく、2002年12月30日 - )… 土田 龍空(つちだ りゅうく、2002年12月30日 - )は、滋賀県坂田郡米原町(現:米原市)出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 米原市立米原小学校2年時に米原野球スポーツ少年団で野球を始めた。米原市立米原中学校時代は硬式の湖北ボーイズに所属。 近江高等学校では、1年時から遊撃手のレギュラーを掴み、第100回全国高等学校野球選手権記念大会に出場。準々決勝で吉田輝星擁する金足農業高等学校に敗れた。2年生の夏には、第101回全国高等学校野球選手権大会に出場。初戦でチーム全体で6失策、土田自身も2失策と精彩を欠き、東海大学附属相模高等学校に敗れる。秋の滋賀大会を制覇し、近畿大会の初戦では3安打と気を吐いたが初戦敗退を喫した。
北村 恵吾(きたむら けいご、2000年12月18日 - )… 北村 恵吾(きたむら けいご、2000年12月18日 - )は、岐阜県大垣市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。東京ヤクルトスワローズ所属。 岐阜県の大垣市立北小学校2年生のときに野球を始める。きっかけは、たまたま小学校の前を通った時に地元の少年野球チームである大垣北クラブを見てやりたいと思い、練習に参加させてもらった所、楽しかったために始めた。小学生の頃は主に「4番・投手」だった。 大垣市立北中学校進学後は、西濃ボーイズに所属した。中学時代には根尾昂と岐阜県選抜チームでチームメイトにもなった。 近江高等学校では1年生の春からベンチ入り。1年夏から「4番・左翼手」を務めた。その夏の甲子園では1回戦敗退。
山内 舟征(やまうち しゅうせい、2000年12月13日 -… 山内 舟征(やまうち しゅうせい、2000年12月13日 - )は、愛知県犬山市出身のサッカー選手。関東サッカーリーグ・SHIBUYA CITY FC所属。ポジションはディフェンダー。 中学までは全く無名の存在で、元々フォワードでプレーしていたが、近江高校入学後にセンターバックにコンバートされた。その後めきめきと頭角を現し、2年時には同校初のインターハイに出場した。卒業後は関西学院大学に進学し、同大サッカー部で山田剛綺、木村勇大らとプレー。2020年・2021年には関西学生サッカーリーグ連覇を達成した。2022年12月29日、2023年シーズンからのFC琉球加入内定が発表された。 2023年3月11日、J3リーグ第2節のいわてグルージャ盛岡戦でJリーグデビューを飾った。
竹村 俊二(たけむら しゅんじ、2000年8月11日 - )… 竹村 俊二(たけむら しゅんじ、2000年8月11日 - )は、兵庫県出身のプロサッカー選手。九州サッカーリーグ・FC延岡AGATA所属。ポジションはミッドフィールダー。 近江高校を経て、卒業後は立正大学に進学。同大サッカー部では平松航、吉田新、井上竜太、深港壮一郎、鳥飼椋平らとプレーした。2022年12月15日、2023年シーズンからのカマタマーレ讃岐加入内定が発表された。 2023年3月12日、J3リーグ第2節のギラヴァンツ北九州戦でJリーグデビューを飾った。 2025年6月23日、九州サッカーリーグのFC延岡AGATAへの期限付き移籍が発表。同年12月10日、FC延岡AGATAへの期限付き移籍期間の満了と契約の満了を発表。
京山 将弥(きょうやま まさや、1998年7月4日 - )は… 京山 将弥(きょうやま まさや、1998年7月4日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属するプロ野球選手(投手)。背番号48 。
植田 海(うえだ かい、1996年4月19日 - )は、阪神… 植田 海(うえだ かい、1996年4月19日 - )は、阪神タイガースに所属する滋賀県甲賀市出身のプロ野球選手(内野手)。
杉本 梨沙(すぎもと りさ、1994年8月1日 - )は、日… 杉本 梨沙(すぎもと りさ、1994年8月1日 - )は、日本のスカッシュ選手。近江高等学校出身。 2018年アジア競技大会の女子団体で小林海咲、渡邉聡美とともに銅メダルを獲得した。 世界ランクの最高順位は127位。
手原 紳(てはら しん、1993年4月14日 - )は、日本… 手原 紳(てはら しん、1993年4月14日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、指導者である。 滋賀県愛知郡愛荘町出身。小学3年生のときに、友達に誘われたのがきっかけでバレーボールを始める。 近江高等学校、龍谷大学を経て、2015年、V・プレミアリーグ(当時のVリーグ1部リーグ)に所属するFC東京に内定し、内定選手として、2015-16シーズンのリーグ戦にも出場した。 2022年6月、FC東京のチーム譲渡により誕生したプロクラブ・東京グレートベアーズに全体移籍。 2023年、グレートベアーズのコーチ兼選手に就任した。 2024年6月、選手契約の継続が発表されたが、SVリーグの規約でコーチの選手登録が不可能となったため、2024-25シーズンは選手登録外となっている。
髙橋 千晶(たかはし ちあき、1990年10月3日 - )は… 髙橋 千晶(たかはし ちあき、1990年10月3日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 滋賀県大津市出身。3人兄弟の次女(兄と姉がいる)。小学3年生のとき、人数合わせとして参加したソフトバレーをきっかけにバレーボールをはじめた。 近江高等学校在学時には丸山亜季らとともにインターハイに出場。 京都橘大学在学時にはチームキャプテンとして全日本インカレなどで活躍。小柄ながら守備力が高く、レセプションの軸としてチームを牽引した。 2013年4月2日、PFUブルーキャッツへの入団が発表された。同期入団は彌永衣利。 2016年6月1日、チーム新体制が発表。副キャプテンに就任した。 2017年5月15日、PFUブルーキャッツからの退団と現役引退が発表された。
小熊 凌祐(おぐま りょうすけ、1990年8月11日 - )… 小熊 凌祐(おぐま りょうすけ、1990年8月11日 - )は、中日ドラゴンズに所属するプロ野球選手(投手)。滋賀県大津市栗原(旧志賀町)出身。
川畑 愛希(かわばた あき、1989年10月4日 - )は、… 川畑 愛希(かわばた あき、1989年10月4日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 滋賀県栗東市出身。小学校3年生より母親の影響でバレーボールを始める。近江高校では、2006年、2007年春高バレー本選大会への同校二年連続出場に原動力として活躍。 2008年4月、プレミアリーグ・岡山シーガルズに入団した。同年11月の2008/09VプレミアリーグのJT戦にてVリーグデビューを果たした。その後はチームの中心選手として活躍し、2013/14Vプレミアリーグではチーム1の得点を叩き出し、準優勝に導いた。 2018年6月、岡山シーガルズを退団。 Vプレミアリーグレギュラーラウンドにおける個人成績は下記の通り。
伊奈 龍哉(いな りゅうや、1988年5月9日 - )は、兵… 伊奈 龍哉(いな りゅうや、1988年5月9日 - )は、兵庫県洲本市由良町出身の元プロ野球選手(外野手)。
竹内 和也(たけうち かずや、1983年9月5日 - )は、… 竹内 和也(たけうち かずや、1983年9月5日 - )は、京都府向日市出身の元プロ野球選手(投手)。
島脇 信也(しまわき しんや、1983年5月12日 - )は… 島脇 信也(しまわき しんや、1983年5月12日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手(投手)。
木谷 寿巳(きたに ひさし、1980年10月15日 - )は… 木谷 寿巳(きたに ひさし、1980年10月15日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)。
山本 篤(やまもと あつし、1980年10月2日 - )は、… 山本 篤(やまもと あつし、1980年10月2日 - )は、日本の男性総合格闘家。滋賀県近江八幡市出身。フリーランス。近江高等学校卒業。 バックボーンはレスリングと柔道。過去に山梨学院大学レスリング部の先輩である山本"KID"徳郁主宰のKRAZY BEEに所属していた。なお、KIDと同姓だが血縁関係は無い。 2004年2月6日、パンクラスでプロデビュー。 2004年7月25日、パンクラスのネオブラッド・トーナメント フェザー級(-64kg)決勝で藤本直治と対戦し、判定勝ちを収め優勝を果たした。 2005年3月12日、D.O.Gで戸井田カツヤと対戦し、ドロー。 2005年9月7日、HERO'Sのオープニングファイトで戸井田と再戦し、判定勝ち。
村西 辰彦(むらにし たつひこ、1978年10月8日 - )… 村西 辰彦(むらにし たつひこ、1978年10月8日 - )は、滋賀県出身の元プロ野球選手(外野手)。
こうじょう雅之(こうじょうまさゆき、1978年7月24日 -… こうじょう雅之(こうじょうまさゆき、1978年7月24日 - )は日本の水墨画家・イラストレーター。「武人画師」や、「絵描師」を名乗る。2018年4月より宇治市観光大使に就任する。
津田 篤宏(つだ あつひろ、1976年〈昭和51年〉5月27… 津田 篤宏(つだ あつひろ、1976年〈昭和51年〉5月27日 - )は、日本のお笑いタレント。お笑いコンビダイアンのツッコミ担当。立ち位置は向かって右。相方はユースケ。 滋賀県愛知郡愛知川町(現:愛荘町)長野出身。高校時代はフェンシング部に所属し、県大会で個人優勝を果たした。 専門学校卒業後、建材会社に就職するも、多忙な上に仕事へやりがいを見出せず不眠に悩まされた時期があった。仕事を辞めて地元に戻り、中学校の同級生であったユースケと遊ぶようになった頃にコンビ結成を考えたという。その後の1年間、吉本総合芸能学院(NSC)の入学金を貯めるために契約社員として地元のホームセンターに就職した。 23歳の頃、津田・ユースケのどちらからということもなく芸人をやってみようかという話になり2人でNSCに入学した。
古井 千恵美(ふるい ちえみ、1973年10月18日 - )… 古井 千恵美(ふるい ちえみ、1973年10月18日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 滋賀県愛荘町出身。近江高校を経て、JTに入団。その後当時の東芝シーガルズに移籍し、東芝シーガルズ休部後、クラブチームのシーガルズで活躍。 2002年に現役を引退。その後、母校近江高校にてコーチを務め、2008年より再度岡山シーガルズにて現役復帰するも、2009年6月に現役引退、郷里滋賀県で再びコーチに復帰した。
田中 浩二(たなか こうじ、1967年8月26日 - )は、… 田中 浩二(たなか こうじ、1967年8月26日 - )は、日本のシッティングバレーボール選手。4大会パラリンピックに日本代表として出場、『シッティングバレーボールクラブ 滋賀サーカス』を結成し、シッティングバレーの普及に努めている。 滋賀県伊香郡余呉町(現滋賀県長浜市余呉町)生まれ。中学時代に日本台湾親善試合の滋賀選抜として国際大会に出場、私立近江高等学校に進学し、全国高等学校バレーボール選抜優勝大会に出場した。高校卒業後は9人制実業団チームに所属していたが、1998年交通事故で左足膝下切断。1999年シッティングバレーボールと出会い、翌年4月に『シッティングバレーボールクラブ 滋賀サーカス』を結成した。
大岳 宗正(だいがく むねまさ、1965年4月14日 - )… 大岳 宗正(だいがく むねまさ、1965年4月14日 - )は、滋賀県草津市出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名は横江 英樹(よこえ ひでき)。身長185cm、体重148kg。得意手は押し、左四つ、寄り。最高位は西十両2枚目(1992年3月場所)。血液型はB型。 自動車修理業の長男で、小学校時代には柔道、中学校時代にはサッカーを経験し、スポーツ万能として鳴らした。中学3年のときから相撲を始め、団体で大会に出場して優勝を果たし、高校1年のときに国民体育大会に出場した。時津風部屋の幕下力士が噂を聞いたことにより高校を2年で中退し、1983年3月に時津風部屋に入門した。相撲の経験が豊富だったため順調に出世し1991年1月場所に新十両。
正岡 道一(まさおか みちかず、1937年(昭和12年)5月… 正岡 道一(まさおか みちかず、1937年(昭和12年)5月2日 - )は、日本の実業家である。セシール創業者として知られた。 愛媛県久万高原町に生まれる。近江高等学校卒業後、自衛隊に入隊するが後に除隊する。その後タイヤ販売会社に入社し勤務した。1970年(昭和45年)に香川県高松市にてアジア物産を創業し、低価格の下着を中心としたカタログ通信販売の開発に携わった。 その後は多くの職に向けたカタログの製作及び開発に携わり、一般家庭向けのカタログの作成にも携わった。後に「セシール」に商号変更し、代表取締役社長に就任する。また、出身の久万高原の名誉町民やこけしの寄贈にも携わった。しかし1992年(平成4年)に商標権の侵害疑惑によりハヤシニットに控訴し、大阪高等裁判所にて開廷したものの後に棄却となった。
鳥丸 軍雪(とりまる ぐんゆき、1937年(昭和12年)3月… 鳥丸 軍雪(とりまる ぐんゆき、1937年(昭和12年)3月5日 - )は、日本のファッションデザイナー。宮崎県小林市出身。 発足間もない東映動画(現・東映アニメーション)にアニメーターとして入社、同社初の長編作品となった『白蛇伝』では大塚康生の斑で動画を担当し、同作完成後に退社した。 ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに留学後、ピエール・カルダンのアシスタントとなる。 英国のダイアナ元妃や、元首相のマーガレット・サッチャーの着用したドレスをデザインした。ダイアナのドレスは1986年の来日時に着用したものが有名である。黒柳徹子と仲が良く、彼女のドレスもデザインしている。
横手 文雄(よこて ふみを、1935年6月15日 - 202… 横手 文雄(よこて ふみを、1935年6月15日 - 2021年4月28日)は、日本の政治家。衆議院議員(3期)。 鹿児島県国分市(現在の霧島市)で出生。近江高等学校卒業。1962年全国繊維産業労働組合同盟(ゼンセン同盟)愛知支部入り、1970年静岡支部次長、1971年福井支部長を経て1976年、第34回衆議院議員総選挙で福井県全県区から民社党公認で初出馬も落選、1979年、第35回衆議院議員総選挙で初当選し連続3期つとめた。 1986年春、撚糸工連事件で民社党を離党。在宅起訴された。同年の第38回衆議院議員総選挙には無所属で出馬したが落選した(なお、横手の離党記者会見に同席した大内啓伍も現職の書記長ながら、横手の事件の影響を受ける形で落選した)。
山元 勉(やまもと つとむ、1932年8月5日 - 2010… 山元 勉(やまもと つとむ、1932年8月5日 - 2010年1月4日)は、日本の政治家。衆議院議員(通算4期)。 滋賀県出身。滋賀大学卒業後、小学校教師として勤務する傍ら組合活動を行う。その後、専従役員として滋賀県教職員組合委員長等を務める。 1983年、第13回参議院議員通常選挙に日本社会党公認で滋賀県選挙区より立候補するが、自由民主党候補の河本嘉久蔵に大差で敗れ落選。1990年に行われた第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧滋賀県全県区より立候補し当選。以後4期連続当選を果たす。 1996年、旧民主党結党に参加。小選挙区制施行後の1996年の第41回衆議院議員総選挙では滋賀県第1区から立候補。