柴田 久(しばた ひさし、1963年(昭和38年)11月18… 柴田 久(しばた ひさし、1963年(昭和38年)11月18日 - )は、日本の実業家、銀行家。しずおかフィナンシャルグループ代表取締役社長を務める。 静岡県静岡市出身。慶應義塾大学商学部卒。1986年に静岡銀行に入行し、理事経営企画部長や執行役員呉服町支店長を経て、2014年に取締役常務執行役員に昇進する。2017年に慶大の同窓でもある中西勝則の後任として、代表取締役頭取に就任する。2021年6月から1年間、全国地方銀行協会会長を務める。2022年10月、金融持株会社体制移行によりしずおかフィナンシャルグループ代表取締役社長となる。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
豊島 勝一郎(とよしま かついちろう、1957年7月6日 -… 豊島 勝一郎(とよしま かついちろう、1957年7月6日 - )は、日本の銀行家。清水銀行代表取締役会長。静岡市出身。 静岡県立清水東高等学校を経て、1981年に早稲田大学商学部を卒業。同年、清水銀行入行。 その後、経営企画部長、総合統括部長などを経て、2005年に常務取締役、2007年に専務取締役、2010年に代表取締役専務に就任。 2011年に代表取締役副頭取に昇進。2012年に代表取締役頭取就任。2020年に代表取締役会長に就任。
岡野 喜久麿(おかの きくまろ、1925年10月17日 - … 岡野 喜久麿(おかの きくまろ、1925年10月17日 - 2015年7月29日)は、日本の銀行家。 静岡県沼津市出身。1951年に日本大学農学部を卒業。滝川製紙、駿州製紙での勤務を経て、1960年に駿河銀行に転じ、1964年に取締役に就任し、1966年に常務、1974年に専務、1978年1月に副頭取を経て、1981年3月には頭取に就任。1985年5月に相談役に就任。陸上自衛隊富士学校後援会会長、全国地方銀行協会理事なども歴任した。 2015年7月29日、心不全のために死去。89歳没。
岡野 喜一郎(おかの きいちろう、1917年2月19日 - … 岡野 喜一郎(おかの きいちろう、1917年2月19日 - 1995年8月13日)は、日本の経営者、銀行家。駿河銀行頭取、会長を務めた。静岡県沼津市出身。 1941年に慶應義塾大学法学部を卒業。三井銀行での勤務を経て、1949年に駿河銀行に転じ、1954年11月に取締役に就任し、1958年に常務、1963年に専務を経て、1964年8月には頭取に就任した。1981年3月に会長に就任。 1995年8月13日心不全のために死去。78歳没。
大塚 武(おおつか たけし、1917年(大正6年)1月9日 … 大塚 武(おおつか たけし、1917年(大正6年)1月9日 - 1983年(昭和58年)8月30日頃)は、日本の銀行家。北洋相互銀行取締役社長、日本銀行事務管理部長、北海道経営者協会会長などを歴任した。 静岡県静岡市出身。静岡県立静岡中学校を経て、1941年東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。卒業と同年に日本銀行に入行する。学生時代は年間百日以上も山登りに費やしたが、高橋泰蔵ゼミナールでは抜群の成績で、入行後も、2度ぐらい大学に戻らぬかといわれた逸材であった。 1953年に通商産業省に出向する。日銀に戻って外国為替局次長、新潟支店長を歴任後、1964年から札幌支店長を務め、大学同窓の森鼻武芳(のちに北海道銀行頭取)とゴルフや囲碁を嗜み、交遊を持つようになる。
角替 九郞平(つのがえ くろへい、1866年〈旧暦慶応2年1… 角替 九郞平(つのがえ くろへい、1866年〈旧暦慶応2年1月〉 - )は、日本の農家、政治家、銀行家。名の「郞」はJIS X 0208では「郎」と同一の区点が割り当てられているため、角替 九郎平とも表記される。 静岡県小笠郡土方村会議員、静岡県小笠郡土方村長、株式会社内田銀行頭取などを歴任した。 静岡県小笠郡土方村で農業を営んでいたが、政治家に転身し土方村会の議員に就任した。さらに土方村の村長に就任するなど、公職を歴任した。その後、内田銀行の頭取に就任するなど、銀行家としても活動した。 1866年(旧暦慶応2年1月)に角替九郞次の長男として生まれた。静岡県小笠郡土方村で農業を手広く手掛けており、角替家は豪農として知られていた。
岡野 喜太郎(おかの きたろう、1864年5月9日(元治元年… 岡野 喜太郎(おかの きたろう、1864年5月9日(元治元年4月4日) - 1965年(昭和40年)6月6日)は、日本の銀行家。 駿河国駿東郡青野村(現・静岡県沼津市青野)出身。静岡県多額納税者。スルガ銀行創設者。沼津市名誉市民。静岡県屈指の実業家であった。 駿河国駿東郡青野村(現・静岡県沼津市青野)に名主の長男として生まれた。岡野弥平太の長男。1879年(明治12年)に集成舎(後の静岡県立沼津中学校、現在の静岡県立沼津東高等学校)に入学。1885年(明治18年)には静岡県立豆陽中学校(現・静岡県立下田高等学校)に入学したが、故郷は1884年(明治17年)9月の暴風による飢饉にあえいでおり、結局師範科を中退して故郷で農業に専念した。
黒田 重兵衛(くろだ じゅうべえ、1863年10月27日(文… 黒田 重兵衛(くろだ じゅうべえ、1863年10月27日(文久3年9月15日) - 1952年(昭和27年)3月1日)は、明治から昭和時代前期の政治家、銀行家。衆議院議員(1期)。前名は孝造。 伊豆国田方郡、のちの静岡県田方郡上狩野村(天城湯ケ島町を経て現伊豆市)に生まれ、のち静岡県賀茂郡下河津村(現河津町)に住む。足立清次郎の三男として生まれ、先代重兵衛の養子となり、1895年(明治28年)家督を相続し前名を改めた。下河津村農会長、同村会議員、賀茂郡会議員、静岡地方森林会議員、静岡県会議員を歴任したほか、静岡農工銀行監査役、下田銀行頭取、下田自動車会社取締役を務めた。 1924年(大正13年)5月の第15回衆議院議員総選挙では静岡県第10区から憲政会所属で出馬し当選。
池田 猪三次(いけだ いさんじ、1863年9月25日(文久3… 池田 猪三次(いけだ いさんじ、1863年9月25日(文久3年8月13日) - 1942年(昭和17年)11月26日)は、明治から昭和時代前期の政治家、銀行家。衆議院議員(2期)。旧姓は矢部。 遠江国豊田郡浦川村(静岡県豊田郡浦川村、磐田郡浦川村、浦川町、佐久間町を経て現浜松市天竜区)の矢部家に生まれ、1879年(明治12年)引佐郡伊平村(引佐町を経て現浜松市浜名区)の池田徳治郎の長女さわと結婚し養子となる。1886年(明治19年)伊平戸長役場の用係に出仕し、同村会議員を経て、1893年(明治26年)同村長に就任した。養蚕、学校建設、道路整備に尽力した。引佐郡会議員を経て、1903年(明治36年)静岡県会議員となり、1911年(明治44年)同議長を務めた。
伊藤 市平(いとう いちへい、1862年9月3日(文久2年8… 伊藤 市平(いとう いちへい、1862年9月3日(文久2年8月10日) - 1923年(大正12年)12月31日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家。衆議院議員(1期)。 伊藤長重郎の子。遠江国麁玉郡宮口村(現・静岡県浜松市浜名区宮口)出身。1881年(明治14年)7月、浜松中学校を卒業後上京し同人社に入るが1883年(明治16年)7月、退学する。東京専門学校に転じ1886年(明治19年)7月、卒業をもって帰郷し1888年(明治21年)2月、静岡県茶業組合連合会議員となり、1890年(明治23年)2月には静岡県会議員に当選した。ほか同副議長、同参事会員、中央茶業組合会議所議員、関東茶業会本部主事、宮口銀行頭取、宮口委託監査役などを歴任した。
影山 秀樹(かげやま ひでき、1857年5月11日(安政4年… 影山 秀樹(かげやま ひでき、1857年5月11日(安政4年4月18日) - 1913年(大正2年)10月15日)は、明治時代の政治家、実業家、銀行家。大地主。衆議院議員(3期)。 駿河国富士郡岩本村(静岡県富士郡岩松村岩本を経て現富士市)の農家に生まれる。1872年(明治5年)沼津兵学校附属小学校を卒業し、山梨県の近藤漢学塾で漢籍を修めたのち上京・遊学し、1877年(明治10年)帰郷し、岩松村および富士郡の地主惣代となった。1880年(明治13年)富士勧業を創立して社長となり養蚕、製糸、製茶などの事業に傾倒する。1883年(明治16年)には県庁に要請し、養蚕伝習所を設け静岡県内に蚕の温度飼育法を広めた。
井上 彦左衛門(いのうえ ひこざえもん、1853年11月25… 井上 彦左衛門(いのうえ ひこざえもん、1853年11月25日(嘉永6年10月25日) - 1929年(昭和4年)5月2日)は、明治から大正時代の政治家、銀行家。新聞経営者。大地主。衆議院議員(5期)。幼名は幾次郎。 先代の豪農・井上彦左衛門の長子として、駿河国有渡郡八幡村(安倍郡豊田村を経て現静岡市)に生まれ、1883年(明治16年)3月、家督を相続する。下総の遠藤良規に学ぶが水戸城焼失事件で疑われ投獄される。1873年(明治6年)釈放され帰郷し、1882年(明治15年)野崎銀行創立に参画し取締役兼支配人に就任する。1884年(明治17年)静岡県会議員に当選し1890年(明治23年)まで務めた。
原川 孫九郞(はらがわ まごくろう、1847年〈旧暦弘化4年… 原川 孫九郞(はらがわ まごくろう、1847年〈旧暦弘化4年〉 - 1901年〈明治34年〉)は、日本の政治家、銀行家、歌人。雅号は寬岡。名の「郞」はJIS X 0208では「郎」と同一の区点が割り当てられていることから、原川 孫九郎(はらがわ まごくろう)と表記されることもある。 静岡県城東郡小貫村戸長、静岡県城東郡佐束村村長(初代)、株式会社佐束銀行専務取締役などを歴任した。 遠江国出身の政治家である。小貫村においては戸長を務め、佐束村においては村長に選任されていた。佐束山への植林に尽力し、豊かな美林を育てた。また、銀行家としての一面も持っており、佐束銀行で取締役を務め、地域経済の振興に努めた。
靑野 卯吉(あおの うきち、1844年4月30日〈旧暦弘化元… 靑野 卯吉(あおの うきち、1844年4月30日〈旧暦弘化元年3月13日〉 - 1907年〈明治40年〉4月18日)は、日本の銀行家、政治家。姓の「靑」は「青」の旧字体であるがJIS X 0208に収録されていないため、新字体で青野 卯吉(あおの うきち)とも表記される。 株式会社土方銀行頭取、静岡県小笠郡土方村長などを歴任した。 遠江国出身の銀行家である。土方銀行で頭取を務め、地域振興に努めた。また、土方村においては村長に選任されていた。村境にある風吹峠が交通の難所となっていたため、これを解消すべく風吹トンネルの開通に尽力した。 1844年4月30日(旧暦弘化元年3月13日)、遠江国城東郡入山瀬村にて生まれた。