久米 常民(くめ つねたみ、1913年5月5日 - 1977… 久米 常民(くめ つねたみ、1913年5月5日 - 1977年2月10日)は、日本の国文学者。専門は万葉集であり、中部地方における万葉研究の中心的な役割を果たした。学位は、博士(文学)(名古屋大学)。愛知県知多郡東浦村(現・東浦町)出身。 1913年(大正2年)5月5日、愛知県知多郡東浦村(現・東浦町)藤江に生まれた。1920年(大正9年)4月に藤江尋常小学校に入学し、1926年(大正15年)3月に藤江尋常小学校を卒業した。1926年(大正15年)4月に旧制愛知県立半田中学校に入学し、1931年(昭和6年)3月に愛知県立半田中学校を卒業した。半田中学校時代の友人として、後に児童文学作家となる新美南吉(本名は新美正八)がおり、南吉と久米は互いが書いた文学作品を交換して読み合うなどしていた。
古川 久(ふるかわ ひさし、1909年(明治42年)2月2日… 古川 久(ふるかわ ひさし、1909年(明治42年)2月2日 - 1994年(平成6年)8月15日)は、日本の国文学者。東京女子大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。東北帝国大学国文科卒、松本高等学校教授、宇都宮大学助教授、東京女子大学教授、68年定年退任、名誉教授、東京農業大学教授、武蔵野女子大学教授。52-81年法政大学能楽研究所兼任所員。能楽・狂言を主として研究。ほか、師の小宮豊隆を助けて戦後の岩波書店『漱石全集』の編纂に携わり、漱石研究も行った。墓所は多磨霊園
戸川 敬一(とがわ けいいち、1909年1月2日 - 200… 戸川 敬一(とがわ けいいち、1909年1月2日 - 2002年4月9日)は、日本のドイツ文学者。専門はドイツ思想史。上智大学名誉教授。 愛知県豊橋市生まれ。東京市立市谷尋常小学校卒業。早稲田中学校卒業。1932年上智大学文学部ドイツ文学科卒業。1932-1936年ドイツのミュンヘン大学、ベルリン大学、およびスイスのフリブール大学に留学、哲学博士。 帰国後、1936年上智大学文学部講師、助教授、教授、文学部長、上智学園理事を務め、1979年定年、名誉教授。1979‐2000年中村学園監事。日独協会、OAG(ドイツ文化研究所)、アイヒェンドルフ協会などに所属した。
風巻 景次郎(かざまき けいじろう、1902年〈明治35年〉… 風巻 景次郎(かざまき けいじろう、1902年〈明治35年〉5月22日 - 1960年〈昭和35年〉1月4日)は、日本の国文学者。 兵庫県川辺郡神崎村(のち尼崎市)に伊達藩士・平田景儀の子として生まれ、生後すぐ京都市上京区の風巻平の妻・舞免の養子となる。生母・里の祖母は林子平の妹にあたる。養父・風巻平は里の次弟にあたり、舞免は伊達藩家老の長女である。風巻平は中央大学を中退後、横浜火災保険会社の京都支店長であった。その後養父の転勤に従い、金沢市、大阪市、名古屋市と移る。小学校時代を過ごした大阪では幼友達に恵まれ、当時出会った四方山径とは長く旧交を温めた。 愛知県立第一中学校(のち愛知県立旭丘高等学校)、第八高等学校を経て1926年東京帝国大学国文科卒業。
吉田 賢抗(よしだ けんこう、1900年〈明治33年〉5月1… 吉田 賢抗(よしだ けんこう、1900年〈明治33年〉5月10日 - 1995年〈平成7年〉4月28日)は、日本の漢文学者。学位は、文学博士(東洋大学・論文博士・1961年)(学位論文「北宋における心性論の研究 契嵩と王安石を中心として」)。東北大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。第八高等学校卒、東京帝国大学文学部支那哲学科卒。 松本高等学校教授、第二高等学校教授、戦後東北大学教養部教授、1961年「北宋における心性論の研究 契嵩と王安石を中心として」で東洋大学文学博士。 1964年東北大を定年退官、名誉教授、東北工業大学教授、名誉教授、桜美林大学教授。
本多 顕彰(ほんだ あきら/けんしょう、1898年10月7日… 本多 顕彰(ほんだ あきら/けんしょう、1898年10月7日 - 1978年6月30日)は、日本の英文学者、評論家、浄土真宗の僧侶。法政大学名誉教授。 愛知県名古屋市の寺院に生まれ、自らも僧籍を有した。本名・けんしょう。旧制愛知県立第五中学校(現・愛知県立瑞陵高等学校)を経て、1923年東京帝国大学文学部英文科卒。九州帝国大学講師、旧制福岡高等学校教授、東京女子高等師範学校教授を経て、1933年から1966年まで法政大学教授を務めた。その後、駒沢大学、実践女子大学、武蔵野女子大学の教授を歴任。シェイクスピア、ロレンスなど英文学の翻訳・研究に加え、近代日本文学など広範な評論活動をおこなった。 夏目漱石、親鸞に関する著作のほか、エッセイストとしても長年執筆を行い、学内事情を暴露した『大学教授』や『歎異抄入門』はベストセラーとなった。
久松 潜一(ひさまつ せんいち、1894年〈明治27年〉12… 久松 潜一(ひさまつ せんいち、1894年〈明治27年〉12月16日 - 1976年〈昭和51年〉3月2日)は、日本の国文学者。学位は文学博士。 1894年(明治27年)、愛知県知多郡藤江村(現・知多郡東浦町)で生まれた。愛知一中、第八高等学校を経て、東京帝国大学文学部国文学科に進んだ。1919年(大正8年)、大八車で搬入したとされる大部の卒業論文を提出して卒業し、同大学大学院に進学した。 1922年(大正11年)、佐佐木信綱の三女三枝子と結婚。一高教授となり、1925年(大正14年)からは東京帝国大学国文学科助教授となった。1934年(昭和9年)、学位論文『日本文学評論史ノ研究』を東京大学に提出して文学博士を取得。
尾崎久彌(おざき きゅうや、1890年6月28日 - 197… 尾崎久彌(おざき きゅうや、1890年6月28日 - 1972年6月2日)は、国文学者。近世文学、浮世絵、書誌学が専門。死後、江戸文学関係書など、約一万点の蔵書が名古屋市の蓬左文庫に寄贈された。 1890(明治23)年6月28日に愛知県名古屋市に生まれる。愛知一中(現在の旭丘高校)に通ったのち、國學院大學へと進学する。このときから文章を書き始める。卒業後は愛知県へと戻り、愛知一中、豊橋中学(現在の時習館高校)などで教鞭をとる。のちに国学院大の講師、東邦高校の教師を勤め、1953年からは名古屋商科大学教授となるなど教育者としても幅広く活動した。晩年は名古屋市文化財調査委員会の委員長も務めている。 教育に尽力した傍ら、創作活動や浮世絵の収集、江戸軟派文学の研究を行っており、特に収集家としての評価は現在でも高い。
高木 市之助 (たかぎ いちのすけ、1888年(明治21年)… 高木 市之助 (たかぎ いちのすけ、1888年(明治21年)2月5日 - 1974年(昭和49年)12月23日)は 、日本の国文学者である。愛知県名古屋市出身。
沼波 瓊音(ぬなみ けいおん、1877年10月1日 - 19… 沼波 瓊音(ぬなみ けいおん、1877年10月1日 - 1927年7月19日)は、明治・大正期の国文学者・俳人・右翼。本名は武夫(たけお)。名古屋市出身。